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要塞の爆撃の痕 [南西ドイツと北東フランス 2019年秋]

現在、10月中旬の秋旅の話を連載中。戦争跡のお話は本日最終回。

めぎたちはフランス北東部ヴェルダンの要塞跡にやってきた。ここも爆撃の痕がそのまま残されている。
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要塞は中に入ることもできる。
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中はこんな感じ。
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めぎたちは中へは入らず、要塞の裏に行ってみた。
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ここも爆撃の痕が生々しかった。緑があるのに生々しかった。
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こんな風に迎え撃ったのね。
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そしてボコボコにやられたのね。
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ふと、ラピュタを思い出した。あのロボットが動き出してシータを守ろうと一人頑張った要塞のシーンを。
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ドイツとフランスが、ヨーロッパが、そして世界が平和であるためにめぎたち一人一人ができることって何かしら。
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そんなことを考えなくてもいいほど平和であればいいのだけど。
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一人一人の心構えと努力と行動が無ければ、コロッと平和でなくなるかも。そうなってもアニメのようにシータとパズーが救ってくれるわけじゃないしな。
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こういう場を見るのは精神的にかなりしんどい。でも、行って良かった。おかげでドイツとフランスがより深くわかったから。ここで13時となり、以上でヴェルダンの見学を終え、めぎたちは次の目的地へ向かった。
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慰霊墓地と塹壕の跡 [南西ドイツと北東フランス 2019年秋]

現在、10月中旬の秋旅の話を連載中。

フランス北東部のヴェルダンを訪れているめぎたち。ここは戦没者慰霊の墓地。
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↑ずっと向こうに見える塔みたいなのはバインハウス(納骨堂)。近くで見るとかなり大きい。中には入っていないけど。
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第一次世界大戦のヴェルダンの戦いでの死者と行方不明者は独仏合わせて26万人以上(負傷者も合わせると70万人以上)。お墓に葬られた人たちはごく一部で、ほとんどがあのバインハウスに入っているのだろう。まだ掘り起こされていない死者もいるのかもしれない。

こういうところ、写真としてはどう撮ったらいいのかしらね…
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難しい…
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影が印象的だった。
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戦没者はフランスのために犠牲になった英雄として葬られているのだが、英雄と言われたって、死んでしまったらこうして影を作ることすらできないじゃないの…とめぎは思う。
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バラが虚しく咲いていた。
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その近くにはこうして爆撃の痕が残されていた。こんな風に隆起するまほど莫大な量の爆撃があったということね。しかもこれがこの一帯に広がっているのだからねえ…それほどの爆撃があったことか。
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その近くには、砦のような基地のようなものもあった。
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道路沿いに、塹壕の跡も。
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その一部が当時のように再現されていたのでめぎは降りてみた。そこに入ると向こうが見えなくなり、音も聞こえにくくなり、いつ突然上から何か降ってくるかわからない感じ。
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うちのドイツ人は入ろうとしなかった。彼は兵役を経験しているので、めぎのように入ってみなくてもそれがどういうところか身をもって知っているのだ。兵役当時はドイツが東西に分断していて、東ドイツとの国境地帯に配置され、いつ何が起こるかわからないような緊張感ある日々だったらしい。何事もなく終わり、ホントになにより。
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100年前に思いを馳せる [南西ドイツと北東フランス 2019年秋]

現在、10月中旬の秋旅の話を連載中。

ここは第一次世界大戦のヴェルダンの戦いの跡。
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ここは学校があったところで…
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ここは洗濯屋があったところ。
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ここに人々の生活があったのね…100年前には。平らだったところがデコボコの隆起の地面になるほど爆撃されたわけで、この地形は自然のものではないのだ。
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これは、1916年のここの戦いと、そのまた100年以上前の1800年のナポレオン戦争時のバイエルンのホーエンリンデンの戦いによる犠牲者追悼の碑。ドイツとフランスは互いに何度も戦いを繰り返し、どちらも加害者であり被害者である歴史が長いのだが、つまりはその度に一般の人たちの生活が破壊されてきたのよね。
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ホーエンリンデンの戦いでの犠牲者は独仏合わせて約2万人。その約100年後のヴェルダンの戦いでは約70万人。規模の違いは武器の発展の所為だろうと思うのだが、ヴェルダンの約100年後の現在、ひとたび何か起こったら被害はいったいどの程度になることやら。ここに洗濯屋があった、などと慰霊碑を置けるような規模じゃないわよね。ここに○○という大都市があった、というレベルだわよね…

ちょうどここにフランス人の修学旅行生たちがいた。長い間シーンとしてガイドの話を聞いていた。
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その後ろにある礼拝堂は閉まっていた。
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外から覗いて中を撮ってみた。
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今、ドイツとフランスは手を取り合っているけれど、そこから拡大していったEUは今後どうなるのかしらね…
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