初夏のザルツブルクへ [2023年初夏 ザルツブルク]
今日から2023年初夏、つまりつい先日の聖霊降臨祭の4連休を利用してのザルツブルク旅行のお話を。
2023年の聖霊降臨祭は5月28日の日曜日で(これは毎年日にちが違う祝日で、5月末から6月初旬にある)、学校が月曜日と火曜日もお休みになる。めぎたちは27日の土曜日の朝、7時10分発の飛行機を取った。
7時10分発のはずがその時間にようやく搭乗。
飛行場は凄い混雑で、チェックインのためにもセキュリティチェックのためにも長蛇の列だった。4連休で当然混雑が予想されたので5時過ぎには飛行場についていたのだが、搭乗口にたどり着くまでに1時間半ぐらいかかった。飛行機の中も満席。
ちょっと書き留めておくが、この混雑、セキュリティチェックの人手不足のためだと言われていたのだが、それは去年のコロナ後すぐの夏の3~5時間かかると言われた頃と比べかなり改善されていた。それに対しこれはどうにかできないの、と今回思ったのは、荷物の預け入れである。世の中、PCやスマートフォンでチェックインできるようになり、あとは荷物を預けるだけという人が多く、航空会社からも空港での混雑を避けるために事前チェックインを推奨するメールがわんさかと来るのだが、その荷物の預け入れの空港でのシステムが全くもっていただけない。たくさん機械が並んでいるもののその機械は乗客が自分で荷物に張り付けるようタグを印刷することができるだけで、預け入れは結局カウンターなのだ。その預け入れ専用のカウンターはチェックインの人と同じ場所で、または、どうにもこうにも人がいっぱいだから預け入れ専用のカウンターもチェックインをやってて、結局預け入れだけでもチェックインをする人と同じ長い行列に並ぶこととなり、事前チェックインした意味は全くない。日本みたいに機械の場所からスーツケースが預け入れできるようでなければ(フランクフルト空港にはそういうのがあるらしいがデュッセルドルフにはまだ無い)、あのたくさん並んでいるタグ印刷の機械も閑古鳥で全く意味がない…一応、朝7時までの便は前日夜に荷物預け入れができるというサービスがあるのだけど、めぎたちの便は7時10分発だから対象外。もし6時台の飛行機だったとしても、前日夜8時頃にそのために空港に行かなければならないし、その前日預け入れの時間が行き帰りも含め1時間だと想定すると、当日もそこに行って(20分ぐらいかかる)セキュリティチェックに並んで全部で1時間はかかると考えたら、結局総時間は長くなるわけで、うーむ…
そんなわけでかなりストレスの多い雰囲気だったのだが、まあ終わってみれば1時間半で終わったのだからたいした話でもない。こうしてドイツの人はこのバタバタを忘れてしまい、それで空港も航空会社もそのままにしちゃうのだろうな…この日は非常に良い天気で、空の上からの景色を楽しめた。真下には褐炭採掘場。エネルギー危機で褐炭も使い続けているドイツだが、さて、今後どうなるのかな。そもそもこうして飛行機で飛ぶという行為も、かなり気が咎めるようになってきた…それでもこんなに人が飛んではいるのだが。
ザルツブルクに到着。ここは本当に小さな飛行場で、飛行機が建物近くに到着し、タラップを降りて自分で歩いていくシステム。
目指すはあの山の方。見えにくいが、翼のすぐ下の低い山の上にホーエンザルツブルク城塞が見えている。
公共のO-Busという電動バスに乗って到着。ここはザルツブルクの有名なショッピング通り、ゲトライデガッセ。9時半のゲトライデガッセはまだ人がほとんどいなく、真夏とはずいぶん違うなあと感じる。いつもの宿に荷物を置いて、部屋の支度ができるのをどこかで待つこととする。
ちなみにめぎ家が泊まる宿はチェックアウト11時だが、めぎたちの泊まる部屋に泊まっていた人はちょうど9時半頃に出発した。その人と顔を合わせたのだが、いつもここを利用しちゃうんだよね~とのこと。つまり、その人もめぎたちと同様、常連さん。
それからめぎたちは近くのうちのドイツ人の気に入りのカフェへ。
やっと朝のコーヒー。もちろんオーストリアのメランジェ。
そして、先日も載せたが、卵3つのベーコンエッグ。食べきれなかったし、このあともうしばらく卵は要らないという気分になったけど、ああザルツブルクに来たわ~と実感。
この旅の話は他の旅行記の合間合間にのんびりと長々続く予定。
2023年の聖霊降臨祭は5月28日の日曜日で(これは毎年日にちが違う祝日で、5月末から6月初旬にある)、学校が月曜日と火曜日もお休みになる。めぎたちは27日の土曜日の朝、7時10分発の飛行機を取った。
7時10分発のはずがその時間にようやく搭乗。
飛行場は凄い混雑で、チェックインのためにもセキュリティチェックのためにも長蛇の列だった。4連休で当然混雑が予想されたので5時過ぎには飛行場についていたのだが、搭乗口にたどり着くまでに1時間半ぐらいかかった。飛行機の中も満席。
ちょっと書き留めておくが、この混雑、セキュリティチェックの人手不足のためだと言われていたのだが、それは去年のコロナ後すぐの夏の3~5時間かかると言われた頃と比べかなり改善されていた。それに対しこれはどうにかできないの、と今回思ったのは、荷物の預け入れである。世の中、PCやスマートフォンでチェックインできるようになり、あとは荷物を預けるだけという人が多く、航空会社からも空港での混雑を避けるために事前チェックインを推奨するメールがわんさかと来るのだが、その荷物の預け入れの空港でのシステムが全くもっていただけない。たくさん機械が並んでいるもののその機械は乗客が自分で荷物に張り付けるようタグを印刷することができるだけで、預け入れは結局カウンターなのだ。その預け入れ専用のカウンターはチェックインの人と同じ場所で、または、どうにもこうにも人がいっぱいだから預け入れ専用のカウンターもチェックインをやってて、結局預け入れだけでもチェックインをする人と同じ長い行列に並ぶこととなり、事前チェックインした意味は全くない。日本みたいに機械の場所からスーツケースが預け入れできるようでなければ(フランクフルト空港にはそういうのがあるらしいがデュッセルドルフにはまだ無い)、あのたくさん並んでいるタグ印刷の機械も閑古鳥で全く意味がない…一応、朝7時までの便は前日夜に荷物預け入れができるというサービスがあるのだけど、めぎたちの便は7時10分発だから対象外。もし6時台の飛行機だったとしても、前日夜8時頃にそのために空港に行かなければならないし、その前日預け入れの時間が行き帰りも含め1時間だと想定すると、当日もそこに行って(20分ぐらいかかる)セキュリティチェックに並んで全部で1時間はかかると考えたら、結局総時間は長くなるわけで、うーむ…
そんなわけでかなりストレスの多い雰囲気だったのだが、まあ終わってみれば1時間半で終わったのだからたいした話でもない。こうしてドイツの人はこのバタバタを忘れてしまい、それで空港も航空会社もそのままにしちゃうのだろうな…この日は非常に良い天気で、空の上からの景色を楽しめた。真下には褐炭採掘場。エネルギー危機で褐炭も使い続けているドイツだが、さて、今後どうなるのかな。そもそもこうして飛行機で飛ぶという行為も、かなり気が咎めるようになってきた…それでもこんなに人が飛んではいるのだが。
ザルツブルクに到着。ここは本当に小さな飛行場で、飛行機が建物近くに到着し、タラップを降りて自分で歩いていくシステム。
目指すはあの山の方。見えにくいが、翼のすぐ下の低い山の上にホーエンザルツブルク城塞が見えている。
公共のO-Busという電動バスに乗って到着。ここはザルツブルクの有名なショッピング通り、ゲトライデガッセ。9時半のゲトライデガッセはまだ人がほとんどいなく、真夏とはずいぶん違うなあと感じる。いつもの宿に荷物を置いて、部屋の支度ができるのをどこかで待つこととする。
ちなみにめぎ家が泊まる宿はチェックアウト11時だが、めぎたちの泊まる部屋に泊まっていた人はちょうど9時半頃に出発した。その人と顔を合わせたのだが、いつもここを利用しちゃうんだよね~とのこと。つまり、その人もめぎたちと同様、常連さん。
それからめぎたちは近くのうちのドイツ人の気に入りのカフェへ。
やっと朝のコーヒー。もちろんオーストリアのメランジェ。
そして、先日も載せたが、卵3つのベーコンエッグ。食べきれなかったし、このあともうしばらく卵は要らないという気分になったけど、ああザルツブルクに来たわ~と実感。
この旅の話は他の旅行記の合間合間にのんびりと長々続く予定。
市場とモーツァルト [2023年初夏 ザルツブルク]
今日は5月末のザルツブルクのお話を。
つい先日のような気がするけど、もう3週間ぐらい前のこと。5月末の土曜日の朝、ザルツブルクに到着。宿の部屋にはまだ入れないので、ゆっくり朝食を取った後、街をぶらぶら。ここは大学広場で開かれている土曜日の午前中の市場。
場所はここ。
あ、アスパラの店。白アスパラは、一番高いので500g7.5ユーロ。めぎ家のうちの近くのマルクトでは1㎏13ユーロだったから、ちょっとお高め。グリーンは一番高いのが500g8ユーロだって。グリーンの方が高いのね。さらに紫アスパラというのもあって、500gが8.5ユーロだった。
ここには魚スタンドもあるのだが…
ほんの3泊の予定だし魚を料理するつもりはなく、肉屋スタンドで色々購入した。
うーん、美味しそう~
それからチーズもいくつか購入。
「購入」と書いたけど、買ったら荷物になるし、まだ宿には入れないので、市場が終わる13時ごろに取りに来るという約束をして、購入したものを書くスタンドに置いておいてもらった。
このときのお休みは聖霊降臨祭というキリスト教の祝日で、ドイツ語で「聖霊降臨祭のバラ」という名の花がたくさん切り花で売られていた。芍薬のことである。欲しかったけど、旅先なので写真撮っただけ。
それから街を歩いて(上の地図で言うと右の方へ歩いて、)モーツァルト広場まで行った。ここはいつも人がいっぱい。
このモーツァルトさんは、よく知っている顔とちょっと違う。
ザルツブルクはモーツァルトの生まれた町。モーツァルトがザルツブルク訛りのドイツ語を話していたんだなあと想像すると、ちょっと印象が変わるかも。日本語で喩えると、ウィーンが京都弁で、ザルツブルクが奈良弁という感じかな。奈良の人が話す言葉を奈良弁というのかどうかわからないけど。
場所はここ。
つい先日のような気がするけど、もう3週間ぐらい前のこと。5月末の土曜日の朝、ザルツブルクに到着。宿の部屋にはまだ入れないので、ゆっくり朝食を取った後、街をぶらぶら。ここは大学広場で開かれている土曜日の午前中の市場。
場所はここ。
あ、アスパラの店。白アスパラは、一番高いので500g7.5ユーロ。めぎ家のうちの近くのマルクトでは1㎏13ユーロだったから、ちょっとお高め。グリーンは一番高いのが500g8ユーロだって。グリーンの方が高いのね。さらに紫アスパラというのもあって、500gが8.5ユーロだった。
ここには魚スタンドもあるのだが…
ほんの3泊の予定だし魚を料理するつもりはなく、肉屋スタンドで色々購入した。
うーん、美味しそう~
それからチーズもいくつか購入。
「購入」と書いたけど、買ったら荷物になるし、まだ宿には入れないので、市場が終わる13時ごろに取りに来るという約束をして、購入したものを書くスタンドに置いておいてもらった。
このときのお休みは聖霊降臨祭というキリスト教の祝日で、ドイツ語で「聖霊降臨祭のバラ」という名の花がたくさん切り花で売られていた。芍薬のことである。欲しかったけど、旅先なので写真撮っただけ。
それから街を歩いて(上の地図で言うと右の方へ歩いて、)モーツァルト広場まで行った。ここはいつも人がいっぱい。
このモーツァルトさんは、よく知っている顔とちょっと違う。
ザルツブルクはモーツァルトの生まれた町。モーツァルトがザルツブルク訛りのドイツ語を話していたんだなあと想像すると、ちょっと印象が変わるかも。日本語で喩えると、ウィーンが京都弁で、ザルツブルクが奈良弁という感じかな。奈良の人が話す言葉を奈良弁というのかどうかわからないけど。
場所はここ。
暇つぶし [2023年初夏 ザルツブルク]
今日は2023年5月末のザルツブルクのお話を。今年2023年にはザルツブルクに2回行った。そのうちの1回目、うちのドイツ人と一緒に5月末の聖霊降臨祭の休暇に行った時のお話である。
午前中の飛行機でザルツブルクに着いためぎたちは、いつもの宿に荷物を置かせてもらった後、チェックイン可能な時間まで暇つぶし。ここはドーム前広場。いつも夏にはここに演劇イェーダーマンのためのステージと座席が設営されるので、こういう風に何もないのを見るのは初めて。
場所はこちら。
そこからレジデンツ広場に抜けると、フィアカー(馬車)の客待ちの馬さんたちがいた。
みんなお疲れのご様子…まだ朝なのに。
5月末のザルツブルクは暑くもなく寒くもなく気持ちよくて、外のミュージアムカフェに座ることにした。グロッケンシュピールの下にあるところ。
めぎはアフォガートを。うちのドイツ人はラッテマキアートだったと思う。
すぐ近くでなにやらダンスが始まった。
この日は聖霊降臨祭なので、何か催しか集まりがある模様。何があるのか分からないが、そこに行く前という感じの人たちが集まっていた。
暇なのでめぎはその辺をブラブラして色々撮っていた。これは大聖堂。
噴水をこう撮ったり…
こう撮ったり…
こう撮ったり。
場所はこちら。
そろそろいいかしらね~とゲトライデガッセに戻ったのが12時半。
場所はこちら。
このときの3泊4日の話はのんびり年末ぐらいまで続く。
午前中の飛行機でザルツブルクに着いためぎたちは、いつもの宿に荷物を置かせてもらった後、チェックイン可能な時間まで暇つぶし。ここはドーム前広場。いつも夏にはここに演劇イェーダーマンのためのステージと座席が設営されるので、こういう風に何もないのを見るのは初めて。
場所はこちら。
そこからレジデンツ広場に抜けると、フィアカー(馬車)の客待ちの馬さんたちがいた。
みんなお疲れのご様子…まだ朝なのに。
5月末のザルツブルクは暑くもなく寒くもなく気持ちよくて、外のミュージアムカフェに座ることにした。グロッケンシュピールの下にあるところ。
めぎはアフォガートを。うちのドイツ人はラッテマキアートだったと思う。
すぐ近くでなにやらダンスが始まった。
この日は聖霊降臨祭なので、何か催しか集まりがある模様。何があるのか分からないが、そこに行く前という感じの人たちが集まっていた。
暇なのでめぎはその辺をブラブラして色々撮っていた。これは大聖堂。
噴水をこう撮ったり…
こう撮ったり…
こう撮ったり。
場所はこちら。
そろそろいいかしらね~とゲトライデガッセに戻ったのが12時半。
場所はこちら。
このときの3泊4日の話はのんびり年末ぐらいまで続く。
聖霊降臨祭のザルツブルク音楽祭1日目 [2023年初夏 ザルツブルク]
今日は2023年5月末のザルツブルクのお話を。
滞在1日目、午前中にザルツブルクに着き、お昼過ぎにチェックイン。その後、宿のすぐ裏のビアガーデンへ。
ここで、やっと到着の乾杯。うちのドイツ人はGösser(グェッサー)というオーストリアのゴールド色のビールが好みで、いつもそれを飲む。
めぎはStern(シュテルン)というザルツブルクの地ビールの濁りのあるビールが好みで、いつもそれを頼む。グラスにはHausbier(ハウスビール、つまり地ビール)と書かれてた。
めぎ家はどこに行っても一番小さいグラスのを頼み、冷たいうちに飲み干せるようにしている。もっと欲しければお代わりすればいいのだから、と。
目の前にはSternの広告牛。牛さんはここにいた記憶があるが、この柄は今年初めて見たような気がする。
さて、その後は夜の音楽祭の公演に備えて宿で昼寝。毎年夏に行っているザルツブルク音楽祭だが、実は春のイースターの時期と初夏の聖霊降臨祭の時期にも短い音楽祭が開かれている。今年2023年は初めて、初夏の音楽祭にも行ってみることにしたのだ。この日の公演は19時半から。夏至前の5月27日19時過ぎの空。
祝祭劇場は満席。マスク姿も全く見当たらなくなっていた。
この日の公演は18世紀の作曲家クリストフ・ヴィリバルト・グルックのオペラ『オルフェとウリディス』。これにはいくつかの版があるが(それについてはこちら)、この日のはバレエがたくさん入った1774年のパリ版。それをジョン・ノイマイヤーが演出するということで、ぜひ見てみたくて聖霊降臨祭にもザルツブルクに来ることにしたのだった。出演者等の情報はこちら(ドイツ語)。公式予告映像はこちら。1分も無いので是非どうぞ。
これは初演ではなく、ノイマイヤーの焼き直し4作目の再演。そのハンブルクでの4作目のときのがこちらで少し紹介されている。ドイツ語で説明が入るが、設定すれば字幕を日本語にしてつけることができるので、よかったらどうぞ。
実は2020年、1859年のベルリオーズ版のがジョン・ノイマイヤー演出とめぎの好きなアルト歌手マリアンヌ・クレヴァッサの歌で公演されることになっていて、今年亡くなったアンゲリカ(うちのドイツ人の父親の3人目の奥さん)を連れて見に行こうとチケットを取ってあったのだが、コロナでキャンセルに。その夏は規模を縮小して音楽祭が開かれたのだが(2020年の夏に音楽祭を開いたのはたぶん世界中でザルツブルクだけだったのではないかと思う)、5月末の聖霊降臨祭の時はとてもじゃないが開けるような世界ではなかったのだ。それは初演の予定だったので、返す返すも見てみたかったなぁ…アンゲリカにも、音楽祭という華やかな場所をもう一度だけ味わわせてあげたかった。まあもう仕方がないのだが。
で、2023年のは2020年に予定していたのをやるのではなく、もっと昔にやったのを再演するということで実現。『オルフェとウリディス』というのはギリシャ神話のオルフェウスの物語(妻が毒蛇にかまれて死んで、取り戻すために冥府に行き返還を許されるが、冥府を出るまでは決して振り返ってはいけないという条件を守り抜くことができず永遠に妻を失ったという話)のことで、ノイマイヤーはそれを、振付師とその妻バレリーナとの物語、バレリーナは振付師の振り付けが気に入らず、ケンカしてリハーサルを飛び出し、交通事故で死ぬ、という物語に書き換えた。その筋書きはまあ分かるけど、話の本質はどうして死ぬのかじゃなくてどうして振り返っちゃうのかというところだから、陳腐に説明しなくてもいいんじゃないかなぁ…
オルフェとウリディスは歌手が歌い、同時にバレエも演じられる。バレエの質は素晴らしく、歌手の歌声もよかったが、演出はまあまあといった感じ。なんと言うか、オペラとバレエが一体になっていないというか、ノイマイヤーというバレエ振付師の演出だからかどうしてもバレエが主体になるというか、バレエが独立しすぎてオペラとして一つになっていない印象を受けた。そのバレエ、オペラとしては無くても別にいいよね、という感じに見えてしまうのだ。または、歌はつけ足しに見えてしまうというか。歌の歌詞は変えられないので仕方がないけど、例えば、バレエの振り付けがもとでケンカしてそれで出て行って死んだのなら、振り付けについて冥府でまたケンカして「私冥府に残るわ!」となるなら辻褄も合うと思うのだ。でもそうはできないのだから、最初の筋書きって意味ないと思ってしまうのだ…
指揮者は日本人の山田和樹。オケはカメラータ・ザルツブルク。演奏はめぎ的には可もなく不可もなく。
ノイマイヤーには拍手大喝采だったが、まあ2019年の最終改作版を見て内容を知っているファンがいっぱい来ていたのだろうから当然だろう。めぎも、彼のバレエ振り付けは素晴らしいとは思う。でも、オペラとバレエの総合芸術としては、うーん…というのが正直な感想だった。
…というようなことをアンゲリカと話してみたかったね、と言いながらこの日は終了。この時のザルツブルク滞在は3泊4日で、この後話はまだまだ続く。
滞在1日目、午前中にザルツブルクに着き、お昼過ぎにチェックイン。その後、宿のすぐ裏のビアガーデンへ。
ここで、やっと到着の乾杯。うちのドイツ人はGösser(グェッサー)というオーストリアのゴールド色のビールが好みで、いつもそれを飲む。
めぎはStern(シュテルン)というザルツブルクの地ビールの濁りのあるビールが好みで、いつもそれを頼む。グラスにはHausbier(ハウスビール、つまり地ビール)と書かれてた。
めぎ家はどこに行っても一番小さいグラスのを頼み、冷たいうちに飲み干せるようにしている。もっと欲しければお代わりすればいいのだから、と。
目の前にはSternの広告牛。牛さんはここにいた記憶があるが、この柄は今年初めて見たような気がする。
さて、その後は夜の音楽祭の公演に備えて宿で昼寝。毎年夏に行っているザルツブルク音楽祭だが、実は春のイースターの時期と初夏の聖霊降臨祭の時期にも短い音楽祭が開かれている。今年2023年は初めて、初夏の音楽祭にも行ってみることにしたのだ。この日の公演は19時半から。夏至前の5月27日19時過ぎの空。
祝祭劇場は満席。マスク姿も全く見当たらなくなっていた。
この日の公演は18世紀の作曲家クリストフ・ヴィリバルト・グルックのオペラ『オルフェとウリディス』。これにはいくつかの版があるが(それについてはこちら)、この日のはバレエがたくさん入った1774年のパリ版。それをジョン・ノイマイヤーが演出するということで、ぜひ見てみたくて聖霊降臨祭にもザルツブルクに来ることにしたのだった。出演者等の情報はこちら(ドイツ語)。公式予告映像はこちら。1分も無いので是非どうぞ。
これは初演ではなく、ノイマイヤーの焼き直し4作目の再演。そのハンブルクでの4作目のときのがこちらで少し紹介されている。ドイツ語で説明が入るが、設定すれば字幕を日本語にしてつけることができるので、よかったらどうぞ。
実は2020年、1859年のベルリオーズ版のがジョン・ノイマイヤー演出とめぎの好きなアルト歌手マリアンヌ・クレヴァッサの歌で公演されることになっていて、今年亡くなったアンゲリカ(うちのドイツ人の父親の3人目の奥さん)を連れて見に行こうとチケットを取ってあったのだが、コロナでキャンセルに。その夏は規模を縮小して音楽祭が開かれたのだが(2020年の夏に音楽祭を開いたのはたぶん世界中でザルツブルクだけだったのではないかと思う)、5月末の聖霊降臨祭の時はとてもじゃないが開けるような世界ではなかったのだ。それは初演の予定だったので、返す返すも見てみたかったなぁ…アンゲリカにも、音楽祭という華やかな場所をもう一度だけ味わわせてあげたかった。まあもう仕方がないのだが。
で、2023年のは2020年に予定していたのをやるのではなく、もっと昔にやったのを再演するということで実現。『オルフェとウリディス』というのはギリシャ神話のオルフェウスの物語(妻が毒蛇にかまれて死んで、取り戻すために冥府に行き返還を許されるが、冥府を出るまでは決して振り返ってはいけないという条件を守り抜くことができず永遠に妻を失ったという話)のことで、ノイマイヤーはそれを、振付師とその妻バレリーナとの物語、バレリーナは振付師の振り付けが気に入らず、ケンカしてリハーサルを飛び出し、交通事故で死ぬ、という物語に書き換えた。その筋書きはまあ分かるけど、話の本質はどうして死ぬのかじゃなくてどうして振り返っちゃうのかというところだから、陳腐に説明しなくてもいいんじゃないかなぁ…
オルフェとウリディスは歌手が歌い、同時にバレエも演じられる。バレエの質は素晴らしく、歌手の歌声もよかったが、演出はまあまあといった感じ。なんと言うか、オペラとバレエが一体になっていないというか、ノイマイヤーというバレエ振付師の演出だからかどうしてもバレエが主体になるというか、バレエが独立しすぎてオペラとして一つになっていない印象を受けた。そのバレエ、オペラとしては無くても別にいいよね、という感じに見えてしまうのだ。または、歌はつけ足しに見えてしまうというか。歌の歌詞は変えられないので仕方がないけど、例えば、バレエの振り付けがもとでケンカしてそれで出て行って死んだのなら、振り付けについて冥府でまたケンカして「私冥府に残るわ!」となるなら辻褄も合うと思うのだ。でもそうはできないのだから、最初の筋書きって意味ないと思ってしまうのだ…
指揮者は日本人の山田和樹。オケはカメラータ・ザルツブルク。演奏はめぎ的には可もなく不可もなく。
ノイマイヤーには拍手大喝采だったが、まあ2019年の最終改作版を見て内容を知っているファンがいっぱい来ていたのだろうから当然だろう。めぎも、彼のバレエ振り付けは素晴らしいとは思う。でも、オペラとバレエの総合芸術としては、うーん…というのが正直な感想だった。
…というようなことをアンゲリカと話してみたかったね、と言いながらこの日は終了。この時のザルツブルク滞在は3泊4日で、この後話はまだまだ続く。
5月末のメンヒスベルクからの眺め [2023年初夏 ザルツブルク]
今日は今年2023年の5月末のザルツブルクのお話を。
先日こちらに夏にメンヒスベルクから下を眺めた記事を書いたが、今日はその2か月ほど前、5月末に登ったときのお話。その時はうちのドイツ人と一緒にエレベーターで。エレベーターを降りると美術館があり、外に出るとこんなレストランがある。
↑ここからの眺めもいいのだが、そう言えばまだ食べたことがないなぁ。レストランの雰囲気がモダンすぎて、うちのドイツ人があまり行きたがらないものだから。
で、そのすぐ近くにこんな展望台がある。
いつもそこから写しているのだ。
この日は光がいっぱいだった。
写真としてはちょっと眩し過ぎるのだが。
場所はこちら。
そこからいつもの道を行く。
ちょっと歩くと、例の補修工事だった場所に出る。
5月末は、あともうちょっとという感じだった。
この城壁の反対側に出ると…
先日も書いたように、メンヒスベルクの裏側の山々が見えるところに出る。このときは青空でとても美しく見えた。
場所はこの城壁の前後。
先日の夏の話はこの辺までだったので、5月末の話も今日はここまでにして、続きはまた次回。
先日こちらに夏にメンヒスベルクから下を眺めた記事を書いたが、今日はその2か月ほど前、5月末に登ったときのお話。その時はうちのドイツ人と一緒にエレベーターで。エレベーターを降りると美術館があり、外に出るとこんなレストランがある。
↑ここからの眺めもいいのだが、そう言えばまだ食べたことがないなぁ。レストランの雰囲気がモダンすぎて、うちのドイツ人があまり行きたがらないものだから。
で、そのすぐ近くにこんな展望台がある。
いつもそこから写しているのだ。
この日は光がいっぱいだった。
写真としてはちょっと眩し過ぎるのだが。
場所はこちら。
そこからいつもの道を行く。
ちょっと歩くと、例の補修工事だった場所に出る。
5月末は、あともうちょっとという感じだった。
この城壁の反対側に出ると…
先日も書いたように、メンヒスベルクの裏側の山々が見えるところに出る。このときは青空でとても美しく見えた。
場所はこの城壁の前後。
先日の夏の話はこの辺までだったので、5月末の話も今日はここまでにして、続きはまた次回。
光の眩しい初夏のザルツブルクの景色 [2023年初夏 ザルツブルク]
今日は2023年5月末のザルツブルクのお話を。同時進行の夏の話(こちら)とほぼ同じ場所のこと。
2年ほどに渡る修復工事を終えた遊歩道。
上の写真の手前、下の写真の奥、城壁の端っこに下を見渡せるポイントがある。
何度もご紹介している景色。
このときはザルツァハ河を少しずつ左から右へ写していた。こういうのはパノラマ撮影するか、映像にした方がいいんだろうな。
視線を下へ。めぎの宿のある通り。朝は光がいっぱいだが、もう少しすると建物の影で通りが暗くなる。影があった方がおもしろいかもしれないが、こうやって通りが明るく見渡せる時間を狙ってくるのも楽しい。次に見渡せるのは夕方だが、その時間帯は音楽祭に行く準備等で忙しくてめぎ家はここへは来られない。
馬洗い池の前は、空港からのバスが着くところ。右からやってきてここで下へと曲がる。
今いるところはとても良い見晴らしポイントなのだが、とても狭い。特に、説明パネルを避けて真下を撮影しようとすると、際に立てるのは一人だけ。もう少し右へ立つスペースを長く作ることもできたはずだが…
柵で右へ行けないようになっている。
で、このすぐ横にめぎがこの前年夏に一泊した城壁の塔があるのだが、そこには到達できないし、入れない。
こんな風にぐるりと回って…
一枚目の遊歩道に繋がり、その途中で城壁のこちら側に出られるようになっている。下の写真の城壁にくっついて出っ張って立っている建物の左に見えるところからこちらへ抜けられるのだ。
場所はこちら。
こうして5月末と7月末の同じ場所を見てみると、毎回行く度に同じ写真を撮っているようでいて、実は微妙に違う。自分がそのとき何に惹かれていたのか、何を考えて撮っていたのか、それぞれの時の自分を思い出すのも面白い。
2年ほどに渡る修復工事を終えた遊歩道。
上の写真の手前、下の写真の奥、城壁の端っこに下を見渡せるポイントがある。
何度もご紹介している景色。
このときはザルツァハ河を少しずつ左から右へ写していた。こういうのはパノラマ撮影するか、映像にした方がいいんだろうな。
視線を下へ。めぎの宿のある通り。朝は光がいっぱいだが、もう少しすると建物の影で通りが暗くなる。影があった方がおもしろいかもしれないが、こうやって通りが明るく見渡せる時間を狙ってくるのも楽しい。次に見渡せるのは夕方だが、その時間帯は音楽祭に行く準備等で忙しくてめぎ家はここへは来られない。
馬洗い池の前は、空港からのバスが着くところ。右からやってきてここで下へと曲がる。
今いるところはとても良い見晴らしポイントなのだが、とても狭い。特に、説明パネルを避けて真下を撮影しようとすると、際に立てるのは一人だけ。もう少し右へ立つスペースを長く作ることもできたはずだが…
柵で右へ行けないようになっている。
で、このすぐ横にめぎがこの前年夏に一泊した城壁の塔があるのだが、そこには到達できないし、入れない。
こんな風にぐるりと回って…
一枚目の遊歩道に繋がり、その途中で城壁のこちら側に出られるようになっている。下の写真の城壁にくっついて出っ張って立っている建物の左に見えるところからこちらへ抜けられるのだ。
場所はこちら。
こうして5月末と7月末の同じ場所を見てみると、毎回行く度に同じ写真を撮っているようでいて、実は微妙に違う。自分がそのとき何に惹かれていたのか、何を考えて撮っていたのか、それぞれの時の自分を思い出すのも面白い。
岩山から下りる [2023年初夏 ザルツブルク]
今日は2023年5月末のザルツブルクのお話を。
先日こちらに夏にここに来た話を書いたばかりなので、なんだか紛らわしいが、これはその2か月前、5月末のこと。
場所はこちら。
この日は光いっぱいで眩しい世界が眼下に広がっていた。
この場所のすぐ近くだけど城壁の反対側の端っこにある見晴台からの眺めとは、見える角度が違う。
だから、めぎの宿の前のストリートが見えない。
さて、この辺り、緑が美しかった。
こちらの方に移動すると…
今度は眼下にこのバス停が見える。
場所はこちら。
そこから階段を下に降りていくところに、最後に木々の間から眼下を眺められるスポットがある。
めぎは毎年毎年ザルツブルクに来ているが、どうしてここが好きなんだろう、と不思議に思いつつ、その答えがまだハッキリ見つけられずにいる。理由としてあげられるのは、
1.子供の頃にモーツァルトの伝記を読んでザルツブルクという町の名前を知って以来、ずっと興味があった
2.クラシックファンとしてはザルツブルク音楽祭はずっと憧れだった
3.ドイツ語が通じるのでコミュニケーションが楽
4.ドイツ語の文化圏ということで、若干の外国滞在気分を味わえるのと同時にほぼドイツにいるのと同じような安心感があって、何かあればすぐに歩いてでもドイツに帰れる距離だし、気楽
5.小さい街なので、何をするにしてもあまり疲れないし、すぐに宿に戻れる
6.定宿があって、帰省するような感覚で行くことができる
…と、このように理由がすらすらと挙げられるのだが、先日のコメントを読んで、ああそうなのか、と一つ今まで気がつかなかったことに思い当たった。ここ、街並みと言うか上から見た屋根の感じが、札幌と似てるのだ。札幌の屋根はもっと赤か青の色がついていることが多いと思うが、このトタン屋根が、故郷とどこか似た雰囲気を醸し出してて、何か懐かしく感じるのかも。札幌には全く無い教会がいっぱい立っているにもかかわらず、である。
それからこんな階段を下りた。この階段も無事に補修工事が終わってた。
こうしてメンヒスベルクの岩山を下りてきた…ピンクの建物は、この夏に中での講演を見に行ったシュテファン・ツヴァイク記念館。
場所はこちら。
さらに続く。
先日こちらに夏にここに来た話を書いたばかりなので、なんだか紛らわしいが、これはその2か月前、5月末のこと。
場所はこちら。
この日は光いっぱいで眩しい世界が眼下に広がっていた。
この場所のすぐ近くだけど城壁の反対側の端っこにある見晴台からの眺めとは、見える角度が違う。
だから、めぎの宿の前のストリートが見えない。
さて、この辺り、緑が美しかった。
こちらの方に移動すると…
今度は眼下にこのバス停が見える。
場所はこちら。
そこから階段を下に降りていくところに、最後に木々の間から眼下を眺められるスポットがある。
めぎは毎年毎年ザルツブルクに来ているが、どうしてここが好きなんだろう、と不思議に思いつつ、その答えがまだハッキリ見つけられずにいる。理由としてあげられるのは、
1.子供の頃にモーツァルトの伝記を読んでザルツブルクという町の名前を知って以来、ずっと興味があった
2.クラシックファンとしてはザルツブルク音楽祭はずっと憧れだった
3.ドイツ語が通じるのでコミュニケーションが楽
4.ドイツ語の文化圏ということで、若干の外国滞在気分を味わえるのと同時にほぼドイツにいるのと同じような安心感があって、何かあればすぐに歩いてでもドイツに帰れる距離だし、気楽
5.小さい街なので、何をするにしてもあまり疲れないし、すぐに宿に戻れる
6.定宿があって、帰省するような感覚で行くことができる
…と、このように理由がすらすらと挙げられるのだが、先日のコメントを読んで、ああそうなのか、と一つ今まで気がつかなかったことに思い当たった。ここ、街並みと言うか上から見た屋根の感じが、札幌と似てるのだ。札幌の屋根はもっと赤か青の色がついていることが多いと思うが、このトタン屋根が、故郷とどこか似た雰囲気を醸し出してて、何か懐かしく感じるのかも。札幌には全く無い教会がいっぱい立っているにもかかわらず、である。
それからこんな階段を下りた。この階段も無事に補修工事が終わってた。
こうしてメンヒスベルクの岩山を下りてきた…ピンクの建物は、この夏に中での講演を見に行ったシュテファン・ツヴァイク記念館。
場所はこちら。
さらに続く。
ザルツブルクで撮った動画をまとめてみた [2023年初夏 ザルツブルク]
今日は2023年5月末にザルツブルクで写した動画をどうぞ。
動画を始めてみようと思って5月末にザルツブルクで撮ったのだが、ずっと編集できていなかった。今見ると、撮っているものは同じようなものばかりだし、手振れも多いし、カメラの動かし方も反省点ばかりなのだが、最初から完成品ができるはずもないし、習作かつ自分の記録としてまとめてみた。
こうして動画を見ると、めぎの下手な写真を並べるよりずっと雄弁だ。動くってやっぱり凄いんだな。でも、動画も写真も、何を撮るか明確な意図がないと、そしてそれなりの腕が無いと、何ですかそれは、ふーん、というので終わってしまう点は同じだわね。
動画を始めてみようと思って5月末にザルツブルクで撮ったのだが、ずっと編集できていなかった。今見ると、撮っているものは同じようなものばかりだし、手振れも多いし、カメラの動かし方も反省点ばかりなのだが、最初から完成品ができるはずもないし、習作かつ自分の記録としてまとめてみた。
こうして動画を見ると、めぎの下手な写真を並べるよりずっと雄弁だ。動くってやっぱり凄いんだな。でも、動画も写真も、何を撮るか明確な意図がないと、そしてそれなりの腕が無いと、何ですかそれは、ふーん、というので終わってしまう点は同じだわね。
5月のザルツブルク旧市街 [2023年初夏 ザルツブルク]
今日は今年(2023年)5月末のザルツブルクのお話を。
メンヒスベルクの岩山の上からシュテファン・ツヴァイク記念館まで降りてきた。
ここからもザルツブルクが見下ろせる。
場所はこちら。
真下は音楽祭会場の裏側。いや、正確には側面と言うべきかな。裏側は今降りて来たメンヒスベルクの岩山の中なので。
そこから階段があって、こんなところを降りて行ける。
ここは毎年撮り、ブログでも何度もご紹介してるけど、どうも満足できたことが無く。どう撮ったらいいのかしらねぇ。
紋章のような彫り物もあった。
下に降り、音楽祭会場の表側の方をちらっと見る。
でも、そちらとは反対の方角へ。地図で言うと、右の方へ。すると、フランツィスカーナー教会がある。どうやらまもなく聖霊降臨祭のミサが始まるようだ。
場所はこちら。
めぎたちはさらにまっすぐ進み、大聖堂広場の方へ。
↑上に見えているのがこの銅像。
そこに大聖堂が立っているのだが…
なぜここに来たのかと言えば、いつも夏に来ているめぎは、ここには常にイェーダーマンという野外劇の会場が設営されているため、ここの広場に何もない状態というのを見たことがなかったから。しかし、こんな時に限ってAPS-Cのセンサーに28㎜単焦点しか持ってなくて、つまり換算約40㎜なので、何もない広場と大聖堂の全体を入れるというのが不可能だった。
いや、ひょっとすると、広場の片隅に行ってしゃがんだりすれば撮れたのかも知れないが。どうもこの頃写欲が薄れてて、あまり一生懸命じゃなく素通りしちゃったわ。
メンヒスベルクの岩山の上からシュテファン・ツヴァイク記念館まで降りてきた。
ここからもザルツブルクが見下ろせる。
場所はこちら。
真下は音楽祭会場の裏側。いや、正確には側面と言うべきかな。裏側は今降りて来たメンヒスベルクの岩山の中なので。
そこから階段があって、こんなところを降りて行ける。
ここは毎年撮り、ブログでも何度もご紹介してるけど、どうも満足できたことが無く。どう撮ったらいいのかしらねぇ。
紋章のような彫り物もあった。
下に降り、音楽祭会場の表側の方をちらっと見る。
でも、そちらとは反対の方角へ。地図で言うと、右の方へ。すると、フランツィスカーナー教会がある。どうやらまもなく聖霊降臨祭のミサが始まるようだ。
場所はこちら。
めぎたちはさらにまっすぐ進み、大聖堂広場の方へ。
↑上に見えているのがこの銅像。
そこに大聖堂が立っているのだが…
なぜここに来たのかと言えば、いつも夏に来ているめぎは、ここには常にイェーダーマンという野外劇の会場が設営されているため、ここの広場に何もない状態というのを見たことがなかったから。しかし、こんな時に限ってAPS-Cのセンサーに28㎜単焦点しか持ってなくて、つまり換算約40㎜なので、何もない広場と大聖堂の全体を入れるというのが不可能だった。
いや、ひょっとすると、広場の片隅に行ってしゃがんだりすれば撮れたのかも知れないが。どうもこの頃写欲が薄れてて、あまり一生懸命じゃなく素通りしちゃったわ。
5月末ザルツブルク2日目の朝食など [2023年初夏 ザルツブルク]
今日は今年(2023年)5月末のザルツブルクのお話を。今年は2回ザルツブルクに行っているので、どっちの話?という感じだが、これは夏休み前、5月末の聖霊降臨祭の時。
朝9時にエレベーターを使ってメンヒスベルクに上り、上をちょっと散歩して音楽祭会場の近くで下に降りてきて、大聖堂前に行って、ここにやってきた。
で、こんなところに座って朝食をとることにした。
ここ、お昼には人でいっぱいになるのだが、まだガラ空き。
場所はこちら。
これ、日本でいうウィンナーコーヒーと同じ感じね。
めぎはオムレツに惹かれず、茹で卵とジャムとクロワッサンとパン。野菜はオムレツセットを頼んだうちのドイツ人に分けてもらった。
それから宿までちょっとブラブラ。
ここでこの看板を見てうちのドイツ人が話し出した…もう何度も聞いているけど、ここに来るとすぐにその話になる。
Zum Mohrenと書かれているのだが、Mohrenというのは「クロンボ」と言う意味。今は「ジプシー」という言葉と並ぶ差別用語だ。日本語の辞書にはムーア人(北アフリカに住むイスラム教徒でアラビア語を話す人たち)という意味も出ているが、その意味では普通Maurenを使う。とにかく黒人への差別的な呼び名としてMohrenがあるのだが、このZum Mohrenというのはレストランの名前で、16世紀からここにあるそうで、その昔モーツァルトもシューベルトもここで食べたことがあるらしい。ホームページはこちらで、今は経営者がインド系のようで、料理はインド料理やオーストリア料理やイタリアンを出すなんでもレストランになっている。まだ中に入ったことはない。
で、いつもさらに話が続くのだが(つまりずばり年寄りさながら毎回ここの前で同じ話を繰り返しているのだが)、その昔はMohren人の方がヨーロッパ人より医学などでずっと進歩してて、Mohren人のもたらす薬がよく効くということで、Mohrenapotheke(ムーア人の薬屋)という名称は最高級品の薬を扱う薬屋のイメージがあったのだとか。差別用語の「クロンボ」とは真逆の賞賛的イメージがあったらしい。だから、レストランが今もこの名称のままにしているのは、料理が凄くおいしいイメージが湧くのかもね、または、異国風で興味深く感じるのかもね、などと話は続く。今回記事を書くにあたりホームページを読んで見たら、16世紀にヴェネツィア商人がここにムーア人をコックとして連れてきたのだとか。その昔からインターナショナルだなぁ。当時その料理を食べたのはユダヤ人。そもそもこのレストランがある場所はJudengasseと言い、訳すとユダヤ人通り。その昔この辺りがユダヤ人のゲットーだったということだ。インターナショナルでありつつ非常に保守的で差別的だったヨーロッパ。その歴史が分かる名称そのままにしているのは、先日記事にしたヴィッテンベルクの教会のユダヤの雌豚のレリーフをそのままにしているのと同じような感じかな。とにかくこの辺は独特な場所で、小路に小さな素敵なお店が並んでて魅力的、という今のイメージとは全く異なる地域だったはずである。
そして話はさらに続く。オペラやバレエには、ムーア人が時折出てくる。モーツァルトのオペラにもMohrenland(ムーア人の国)に囚われた話があるし、ヴェルディのオテロはムーア人だし、胡桃割り人形にもムーア人の踊りがある。中には本当に東洋人や黒人を差別的に言うセリフもあったりするし、そのうちには人権を訴える人が出てきて、上演禁止になったりそのセリフを差し替えたりするのかも知れないわね…今のうちにいっぱい見ておこう…
それからめぎたちは宿に向かう。
目に留まったものを写しながら。これは家具屋かつ服屋かつカフェ。
向こうにカフェ・トマセッリがある。今年はこの5月末も夏も行かなかったなぁ。
町のあちこちに聖霊降臨祭の音楽祭の横断幕がある。この日に見に行くオペラのが出ていた。
それから宿に戻り、しばらくゆっくりして、13時頃ちょっと昼ビールだけ頂きに外へ。
夜は音楽祭で飲めないから、昼のうちにね♪
朝9時にエレベーターを使ってメンヒスベルクに上り、上をちょっと散歩して音楽祭会場の近くで下に降りてきて、大聖堂前に行って、ここにやってきた。
で、こんなところに座って朝食をとることにした。
ここ、お昼には人でいっぱいになるのだが、まだガラ空き。
場所はこちら。
これ、日本でいうウィンナーコーヒーと同じ感じね。
めぎはオムレツに惹かれず、茹で卵とジャムとクロワッサンとパン。野菜はオムレツセットを頼んだうちのドイツ人に分けてもらった。
それから宿までちょっとブラブラ。
ここでこの看板を見てうちのドイツ人が話し出した…もう何度も聞いているけど、ここに来るとすぐにその話になる。
Zum Mohrenと書かれているのだが、Mohrenというのは「クロンボ」と言う意味。今は「ジプシー」という言葉と並ぶ差別用語だ。日本語の辞書にはムーア人(北アフリカに住むイスラム教徒でアラビア語を話す人たち)という意味も出ているが、その意味では普通Maurenを使う。とにかく黒人への差別的な呼び名としてMohrenがあるのだが、このZum Mohrenというのはレストランの名前で、16世紀からここにあるそうで、その昔モーツァルトもシューベルトもここで食べたことがあるらしい。ホームページはこちらで、今は経営者がインド系のようで、料理はインド料理やオーストリア料理やイタリアンを出すなんでもレストランになっている。まだ中に入ったことはない。
で、いつもさらに話が続くのだが(つまりずばり年寄りさながら毎回ここの前で同じ話を繰り返しているのだが)、その昔はMohren人の方がヨーロッパ人より医学などでずっと進歩してて、Mohren人のもたらす薬がよく効くということで、Mohrenapotheke(ムーア人の薬屋)という名称は最高級品の薬を扱う薬屋のイメージがあったのだとか。差別用語の「クロンボ」とは真逆の賞賛的イメージがあったらしい。だから、レストランが今もこの名称のままにしているのは、料理が凄くおいしいイメージが湧くのかもね、または、異国風で興味深く感じるのかもね、などと話は続く。今回記事を書くにあたりホームページを読んで見たら、16世紀にヴェネツィア商人がここにムーア人をコックとして連れてきたのだとか。その昔からインターナショナルだなぁ。当時その料理を食べたのはユダヤ人。そもそもこのレストランがある場所はJudengasseと言い、訳すとユダヤ人通り。その昔この辺りがユダヤ人のゲットーだったということだ。インターナショナルでありつつ非常に保守的で差別的だったヨーロッパ。その歴史が分かる名称そのままにしているのは、先日記事にしたヴィッテンベルクの教会のユダヤの雌豚のレリーフをそのままにしているのと同じような感じかな。とにかくこの辺は独特な場所で、小路に小さな素敵なお店が並んでて魅力的、という今のイメージとは全く異なる地域だったはずである。
そして話はさらに続く。オペラやバレエには、ムーア人が時折出てくる。モーツァルトのオペラにもMohrenland(ムーア人の国)に囚われた話があるし、ヴェルディのオテロはムーア人だし、胡桃割り人形にもムーア人の踊りがある。中には本当に東洋人や黒人を差別的に言うセリフもあったりするし、そのうちには人権を訴える人が出てきて、上演禁止になったりそのセリフを差し替えたりするのかも知れないわね…今のうちにいっぱい見ておこう…
それからめぎたちは宿に向かう。
目に留まったものを写しながら。これは家具屋かつ服屋かつカフェ。
向こうにカフェ・トマセッリがある。今年はこの5月末も夏も行かなかったなぁ。
町のあちこちに聖霊降臨祭の音楽祭の横断幕がある。この日に見に行くオペラのが出ていた。
それから宿に戻り、しばらくゆっくりして、13時頃ちょっと昼ビールだけ頂きに外へ。
夜は音楽祭で飲めないから、昼のうちにね♪
聖霊降臨祭の音楽祭の2つ目の演目 [2023年初夏 ザルツブルク]
今日は2023年5月末のザルツブルクのお話を。
初夏の聖霊降臨祭と言うキリスト教の祝日に開かれるザルツブルク音楽祭を訪ねためぎたちは、滞在2日目、午前中の散歩を終えてから宿のアパルトメントでゆっくりしていた。これはお昼。
夜はこの音楽祭の目玉演目を見に行くことにしていた。その前に腹ごしらえ。こんな風にいちいちレストランに行かずに買ってきたものでそこそこお洒落に過ごせるのがアパルトメントの良いところ。
そして、公演へ。
何度見ても素敵で、撮りたくなる景色。スマホで写すのが残念。
会場のバルコニーから。
席は3階席の上の方。それでもよく見える。オペラグラスも使いながら楽しんだ。
この日の演目は「オルフェオとエウリディーチェ」という名前で、クリストフ・ヴィリバルト・グルックの作品。実は同じ作曲家の同じオペラのパリ版のバレエが多いのを、その前日にジョン・ノイマイヤーの演出・振り付けで鑑賞している。その話はこちら。
この日に見に行ったのは、同じオペラのパルマ版をもとにしたもので(このオペラは1762年のウィーン版と1774年のパリ版が知られているが、めぎたちが見たのは1769年のパルマ版と言うかなりマイナーなもの)、演出はクリストフ・ロイ。めぎはロイの演出が大好きなので、とても楽しみにしていた。主役のオルフェオを歌ったのはバルトリ。ちょっと年取ってきたなあという感はぬぐえないが、技術も演技も素晴らしく、さすが。
詳しくはこちら(ドイツ語)。夏にも同じオペラを上演してて、そちらの方が映像や写真が多く、面白い(こちら)。トレイラーはこちら。
ロイの演出はやっぱり素晴らしく、バレエの部分の振り付けすら本職のジョン・ノイマイヤーに負けない、と言うかひょっとしてずっと良かったかもという印象。振り付けにちゃんと意味があるというか、演出家の勝手な解釈ではなく、またはまずバレエがあってそのバレエを見せるために音楽や筋があるというのでもなく、その音楽と筋を優先した上での振り付けで動きの一つ一つが納得できるものだった。ロイ、凄い。
行って良かったと思う素晴らしい公演だった。映像がなく、とても残念。
初夏の聖霊降臨祭と言うキリスト教の祝日に開かれるザルツブルク音楽祭を訪ねためぎたちは、滞在2日目、午前中の散歩を終えてから宿のアパルトメントでゆっくりしていた。これはお昼。
夜はこの音楽祭の目玉演目を見に行くことにしていた。その前に腹ごしらえ。こんな風にいちいちレストランに行かずに買ってきたものでそこそこお洒落に過ごせるのがアパルトメントの良いところ。
そして、公演へ。
何度見ても素敵で、撮りたくなる景色。スマホで写すのが残念。
会場のバルコニーから。
席は3階席の上の方。それでもよく見える。オペラグラスも使いながら楽しんだ。
この日の演目は「オルフェオとエウリディーチェ」という名前で、クリストフ・ヴィリバルト・グルックの作品。実は同じ作曲家の同じオペラのパリ版のバレエが多いのを、その前日にジョン・ノイマイヤーの演出・振り付けで鑑賞している。その話はこちら。
この日に見に行ったのは、同じオペラのパルマ版をもとにしたもので(このオペラは1762年のウィーン版と1774年のパリ版が知られているが、めぎたちが見たのは1769年のパルマ版と言うかなりマイナーなもの)、演出はクリストフ・ロイ。めぎはロイの演出が大好きなので、とても楽しみにしていた。主役のオルフェオを歌ったのはバルトリ。ちょっと年取ってきたなあという感はぬぐえないが、技術も演技も素晴らしく、さすが。
詳しくはこちら(ドイツ語)。夏にも同じオペラを上演してて、そちらの方が映像や写真が多く、面白い(こちら)。トレイラーはこちら。
ロイの演出はやっぱり素晴らしく、バレエの部分の振り付けすら本職のジョン・ノイマイヤーに負けない、と言うかひょっとしてずっと良かったかもという印象。振り付けにちゃんと意味があるというか、演出家の勝手な解釈ではなく、またはまずバレエがあってそのバレエを見せるために音楽や筋があるというのでもなく、その音楽と筋を優先した上での振り付けで動きの一つ一つが納得できるものだった。ロイ、凄い。
行って良かったと思う素晴らしい公演だった。映像がなく、とても残念。
5月末のザルツブルク3日目の朝 [2023年初夏 ザルツブルク]
今日は今年(2023年)5月末のザルツブルクでのお話を。
聖霊降臨祭というキリスト教の祝日の音楽祭を訪ねためぎとうちのドイツ人は、主目的の演目、グルック作曲の『オルフェオとエウリディーチェ』のパリ版とパルマ版の2つを見終えて、3日目を迎えた。
↑いつも上のように撮っているので、この日、このラッパの看板が青空に入るようにアングルを変えて撮ってみた。
この日は長い散歩には出ず、サクッと朝食を食べに出かけた。
レジデンツ広場に面したミュージアムカフェで朝食。このバターの切り方と盛り付け方が面白くてそこにピントを合わせた。
ミュージアムの場所はここなのだが、食べたのは建物の左側のレジデンツ広場とモーツァルト広場の境目に並んでいる外のテーブル。
これがレジデンツ広場。
そこにこんな、かつては教会だったと思われる建物で今はクリスマスの飾りのミュージアムになっているところがあるのだが…
その建物の壁に、かつてここでナチズムによる焚書が行われたことが記されていた。
それからぶらぶらと歩いてこんなものを写しながら…
宿の方へ戻った。
午前中、まだこのビアガーデンは閉まっている。
聖霊降臨祭の音楽祭はこの日までで、この日見に行く予定のコンサートは午後3時から。めぎたちはこれで宿に戻り、のんびりと過ごしてコンサートに備えた。
聖霊降臨祭というキリスト教の祝日の音楽祭を訪ねためぎとうちのドイツ人は、主目的の演目、グルック作曲の『オルフェオとエウリディーチェ』のパリ版とパルマ版の2つを見終えて、3日目を迎えた。
↑いつも上のように撮っているので、この日、このラッパの看板が青空に入るようにアングルを変えて撮ってみた。
この日は長い散歩には出ず、サクッと朝食を食べに出かけた。
レジデンツ広場に面したミュージアムカフェで朝食。このバターの切り方と盛り付け方が面白くてそこにピントを合わせた。
ミュージアムの場所はここなのだが、食べたのは建物の左側のレジデンツ広場とモーツァルト広場の境目に並んでいる外のテーブル。
これがレジデンツ広場。
そこにこんな、かつては教会だったと思われる建物で今はクリスマスの飾りのミュージアムになっているところがあるのだが…
その建物の壁に、かつてここでナチズムによる焚書が行われたことが記されていた。
それからぶらぶらと歩いてこんなものを写しながら…
宿の方へ戻った。
午前中、まだこのビアガーデンは閉まっている。
聖霊降臨祭の音楽祭はこの日までで、この日見に行く予定のコンサートは午後3時から。めぎたちはこれで宿に戻り、のんびりと過ごしてコンサートに備えた。
5月の音楽祭の3つめの演目 [2023年初夏 ザルツブルク]
今日は2023年5月末の聖霊降臨祭のザルツブルク音楽祭のお話を。
5月末の音楽祭も最終日を迎えた。見慣れたこの場所からスマホでパチリ。
この日は午後のコンサートへ(15時から)。プログラムは全てシューベルトの作品。本当はバレンボイムとアルゲリッチが連弾&バルトリとランランが共演&ソプラノのMélissa Petitとコーラスとの共演というようなプログラムを見に来たはずだったのだが、直前にバレンボイムが健康上の理由でキャンセル、それとともにアルゲリッチもキャンセル。代わりにLucas und Arthur Jussenという兄弟が連弾をすることとなった。アルゲリッチを見たかっためぎとしてはものすごく残念だったが、まあ仕方がない。若い男の子たちの連弾はエネルギッシュで好感がもてたので良しとしよう。ソプラノとコーラスはもうあまり覚えがない…初めて生を見たランランは、もちろん素晴らしく上手いが、めぎ的にはそれほど感銘は受けなかった。バルトリの方が歳取ったなあと感じるけど何か惹きつけるもの放っていたのと対照的。下の写真にはランランは写っていない。一番左の男性はGianluca Capuanoという指揮者。スマホで撮った写真は白飛びしてたのでRAWから現像して修正してトリミング。ノイズ処理はしなかったので画像が荒い。
この日の夜に今回の音楽祭の千秋楽としてバレンボイムに捧ぐガラコンサートがあったのだが、ガラの嫌いなうちのドイツ人が拒否したため(サーカスのようで好きではないというのだ)、チケットを購入しなかった。そちらの方にバレンボイムが出演したそうで、もちろんアルゲリッチもそこで弾いたし、むむむむ…まあそれも仕方がないけど。
で、めぎたちはコンサート後、ちょっと早いけど長年行ってみようと言いつつ行けずにいた老舗レストランに夕食を食べに行ったのだった。
そこは聖ペーター教会のレストランで、岩山をくりぬいて作られていて、803年操業だというところ。でも、最近ポップに改装されたようで、なんだか重厚さに欠けた。
もっと奥(岩山の中)があるのかもしれないが、めぎたちが座ったところは明り取りの屋根の下。
めぎたちは飲み物にはビールを頂き…(後でワインにしようかとも思っていたが、ビールが美味しくてお代わりした)
オーソドックスなオーストリア料理を頂いた。めぎはウィーン風仔牛のシュニッツェルで、うちのドイツ人は牛を煮込んだターフェルシュピッツ。
食後はコーヒーを頂きながら…
めぎだけデザートにアプフェルシュトゥルデル。
お味は特別素晴らしいというわけではなく、でも悪くない。ただ、お高めなお値段なので、もうちょっと良ければなあという印象。
レストランの前。右の入り口の奥がレストランで、左の奥が墓地。
オーストリア民族衣装の3人家族。どこに行くのかな。
折角まだ明るいので、少し散歩することにした。
5月末の音楽祭も最終日を迎えた。見慣れたこの場所からスマホでパチリ。
この日は午後のコンサートへ(15時から)。プログラムは全てシューベルトの作品。本当はバレンボイムとアルゲリッチが連弾&バルトリとランランが共演&ソプラノのMélissa Petitとコーラスとの共演というようなプログラムを見に来たはずだったのだが、直前にバレンボイムが健康上の理由でキャンセル、それとともにアルゲリッチもキャンセル。代わりにLucas und Arthur Jussenという兄弟が連弾をすることとなった。アルゲリッチを見たかっためぎとしてはものすごく残念だったが、まあ仕方がない。若い男の子たちの連弾はエネルギッシュで好感がもてたので良しとしよう。ソプラノとコーラスはもうあまり覚えがない…初めて生を見たランランは、もちろん素晴らしく上手いが、めぎ的にはそれほど感銘は受けなかった。バルトリの方が歳取ったなあと感じるけど何か惹きつけるもの放っていたのと対照的。下の写真にはランランは写っていない。一番左の男性はGianluca Capuanoという指揮者。スマホで撮った写真は白飛びしてたのでRAWから現像して修正してトリミング。ノイズ処理はしなかったので画像が荒い。
この日の夜に今回の音楽祭の千秋楽としてバレンボイムに捧ぐガラコンサートがあったのだが、ガラの嫌いなうちのドイツ人が拒否したため(サーカスのようで好きではないというのだ)、チケットを購入しなかった。そちらの方にバレンボイムが出演したそうで、もちろんアルゲリッチもそこで弾いたし、むむむむ…まあそれも仕方がないけど。
で、めぎたちはコンサート後、ちょっと早いけど長年行ってみようと言いつつ行けずにいた老舗レストランに夕食を食べに行ったのだった。
そこは聖ペーター教会のレストランで、岩山をくりぬいて作られていて、803年操業だというところ。でも、最近ポップに改装されたようで、なんだか重厚さに欠けた。
もっと奥(岩山の中)があるのかもしれないが、めぎたちが座ったところは明り取りの屋根の下。
めぎたちは飲み物にはビールを頂き…(後でワインにしようかとも思っていたが、ビールが美味しくてお代わりした)
オーソドックスなオーストリア料理を頂いた。めぎはウィーン風仔牛のシュニッツェルで、うちのドイツ人は牛を煮込んだターフェルシュピッツ。
食後はコーヒーを頂きながら…
めぎだけデザートにアプフェルシュトゥルデル。
お味は特別素晴らしいというわけではなく、でも悪くない。ただ、お高めなお値段なので、もうちょっと良ければなあという印象。
レストランの前。右の入り口の奥がレストランで、左の奥が墓地。
オーストリア民族衣装の3人家族。どこに行くのかな。
折角まだ明るいので、少し散歩することにした。