日常を体験する旅 [ドイツ南西の旅]

めぎ家に遊びに来てくれた鳥さん。この鳥さんが二羽で遊びに来てくれてたの。

雨樋のところをいっぱい宝探しして、いらないものを散らかして、行っちゃった♪

いえ、これは母と妹の比喩では決してないのだけど・・・これは初日の朝ご飯の支度をしていたときに撮影した写真だったので。ドイツの美味しい朝ご飯を堪能してもらいたくて、パンも朝起きてから買いに行って、マルクト市場で用意したハムやチーズをいっぱい並べて、これからの10日間を前にウキウキしていた頃のこと。

食べ終わったあとも撮影。めぎがこうして朝ご飯を一緒に囲むことができたのは、旅行中を除けば実はこの日だけ。あとは午前中に授業があったので、早朝にめぎは出かけてしまい、うちのドイツ人が卵料理を作ったりして朝ご飯をもてなしてくれたのだった。彼のサポートに大感謝。

そんな風に、飾らずいつもの日常を見てもらう・・・それが今回の母のドイツ訪問に当たりめぎ家の設定したテーマ。高校が秋休みだから大学の仕事はあるとは言えいつもより相当少ないので、実際には本当の日常を見せることはできないけど、ただガイドについているかように旅行するのではなく、外国で暮らすことの現実を見て、その良さも苦しさも、喜びも辛さも、あるがままに感じてもらいたくて。

日本が震災で大きな痛手を受け、たくさんのドイツの人たちからお見舞いの言葉をもらい、どうして両親や兄弟をドイツに呼び寄せないのか、などと学生たちや同僚などから言われたりしためぎとしては、気晴らしにホッと一息ついて欲しいという気持ちもあって今回母を招待することにしたのだが、実際に会った母は、今年も海外旅行3回目で(めぎは20年来いつどこへ母が海外旅行しているのかほとんど知らされていないが、毎年2~3回旅をしているそうだった・・・ここ2年間にもショパンの音楽祭にポーランドへとか、ニュージーランドの原生林へとか、フランスのワインカーヴを訪ねるテイスティングの旅とか、チュニジアの、イタリアの、どこどこの・・・とあちこちに・・・たしかにこの身軽さと旅行好きは、めぎは母に似たのね)、髪を綺麗に染めて化粧も毎日朝からばっちりで素敵な服装をして耳にも首にも指にもたくさんのアクセサリーをつけてとても綺麗にしていて、そして何と言っても非常に元気でアクティヴで若々しくて全く疲れを見せず、「親も歳取ってきたよ~」と妹から聞いて描いていたイメージとの温度差に、正直なところかなり戸惑っためぎだった。

何はともあれ、親が健康で好きな旅行をたくさんできる財力も元気もあるというのは、遠くへ嫁いだ娘にとっては大変有り難いことよね。

めぎが日本へ戻らずにドイツに留まることにも、ドイツで職を得ることにも、研究を中途半端で教職に就くことにも、ドイツ人と結婚することにも、大反対だっためぎの両親。今でも、日本に戻ってきて日本で成功してもらいたいと願っているはず。ドイツに留まっているのはうちのドイツ人がドイツにいるからじゃなくて、本当はうちのドイツ人は日本に住みたくて仕方がないのだけど、めぎ自身がドイツの方に住み続けたいからであるというこの事実は、娘にそばにいて欲しいと願う親には受け入れがたい現実なんだろうな。だからこそ、実際の日常を見て、めぎの幸せを感じて欲しかった。歩きやすい靴と、汚れてもいい暖かい格好で、いつもの池を鳥さんと会話しながらゆっくり散策する楽しさ。これがドイツの日常であり、ドイツ風の楽しみ。華やかな見所はないけれど、実直な地に足の着いた生活。そんなことがちゃんと伝わっていたらいいな。

幸運なことに天気に恵まれ、ドイツの黄色の紅葉が美しかった。

池のキラキラも。

水面に映る母と二人の娘たち。思えば、いい年をした結婚して数年経っている娘が二人もいるのに、孫のいない母。そういう意味では申し訳ないな。でも、めぎはもう子供の産めるような歳じゃないし、妹もそろそろ限界。そろそろ諦めてもらうしかないわねえ。

でも、妹はこの通りずいぶん若々しくて、もしかしたら・・・と期待しちゃうのも分かるなあ。めぎは、ただただ妹が旦那と一緒に幸せであってくれればそれでよいのだけど、母親の立場からはきっと違った感情があるのだろうな。

それにしてもなんて綺麗だったんだろう。

デュッセルドルフに母と妹が着いたときにはもう真っ暗で、夜は早々に店仕舞いしてしまって(しかも日曜だったからもともと全く店は開いてなくて)ネオンも外灯もないドイツでは真っ暗で、なんて寂しいところなんだろう、と母は思ったそうだが、次の日にこんな綺麗な様子を目にして、ずいぶんお洒落なのね~とびっくりしたそうだった。

ずーっとぐるりと歩いて、ライン河畔へ。暑い時期ならここの近くでデュッセルドルフの地ビールをぐいっと一杯飲むところなのだけど・・・

ビール飲むには寒いし、おなかも空いたので、旧市街の年中毎日マルクト市場をやっているところで白ワインといつものこのお魚。塩漬けのニシンを前にちょっと微妙な顔をしている母。新鮮なお刺身がいくらでも手に入る札幌から来た彼女としては、これは生魚としては受け入れがたかったかしら。しかも、立ち食いなんて、お行儀悪かったわねえ。でも、美味しくいただいてくれて良かった。

そして、うちに帰る途中、この季節ならではのヴェックマンというパンを見つけた。

それじゃ、と早速お買い上げ。

これをうちでココアと一緒に賞味。うーん、秋だわあ。

こんな風に一日目が過ぎていったのだった。その後、サッカーを見に行ったりめぎ家によくお招きしている元学生さんと夕食を共にしたりなどしたけど、ほぼこんな調子でゆったりと四日間が流れていった。その間に時差ぼけが治って体調を整えてもらうことを意図していたのだけど、アクティヴで旅行慣れした母にはちょっとゆっくり過ぎてつまらなかったかも知れないなあ・・・めぎは仕事もあってあまりお相手できなかったし、妹も最初ちょっと体調が良くなかったし、旅慣れた母だからその辺を一人でどんどん散歩に行くのかと思っていたのだけどそういうこともなく、本を読んだり、うちのドイツ人と一緒に料理したり、日本から持ち込んだ食材で料理を作ってくれたり、食材を買う普通の買い物につきあったり、まさに日常を一緒に過ごしたという感じかしら。
そうそう、妹とは会った瞬間から一年以上会ってなかったのが嘘のように心が触れ合えて、かけがえのない妹を生んでくれた母に大感謝。みんなで記念撮影・・・真ん中のハロッズの熊さんは、今回同行できなかった妹の旦那の身代わり。ワンちゃんたちは、スイスで妹とお揃いで買ったもの。コウノトリさんは、子供になるのか何になるのか分からないけど妹に幸せを運んできてくれるようにという願いを込めてめぎがアルザスで妹にプレゼントしたもの。妹よ、一緒に来てくれてありがとう。

鮭寿司とサッカーと [ドイツ南西の旅]

今日からまた母が滞在していた間のお話を。今日は10月25日のこと。
お土産は何がいい?と聞かれて北海道産の生ものいっぱい頼んだめぎ。とは言えさすがに新鮮さを求めるわけにはいかないから塩漬けとか漬け物とかばかりなのだけど、冷凍してスーツケースに詰めてもらい、半解凍になって到着したところをまた冷凍し、冬中少しずつ楽しませてもらう予定。冷凍焼けしちゃう、などと言われたけど、そんな贅沢なこと言っていられないのよ・・・その現実を感じて欲しくて、あえて日本食を作らずにこちらの食事を出し続けためぎ家だった。いや、日本食を出した方が帰って現実を分かってもらえたかも・・・どうしても何か材料が欠けてて素材も北海道で手に入るようなものはなく、なんちゃって日本食しかできないから。
滞在中一度、母が持参してきた材料を使って料理してくれた。持ってきたのはお米(4合)、塩鮭、いくらの醤油漬け、かぼす、大葉、茗荷、酢、胡麻。妹が持ってきてくれたのが、フライパンで焼き魚ができるというクッキングシート。めぎ家からは以前お土産にいただいた寿司桶。

日本の新米に日本の酢で酢飯を作る。ああ、いい匂い!水分を飛ばすためにうちわで扇がされているのはうちのドイツ人。何のために何をどのくらい扇ぐのか知らないうちのドイツ人は、もっと力強く、と言いたい母と意思疎通ができず。ようやく理解したら嬉しそうに母に向かってバタバタ扇ぎ、子供みたい♪ それを叱ることもできず苦笑いする母。

この様子を見て気がついたのだが、何ができあがるのか分からないうちのドイツ人にとっては和食を作る際の真剣どころが分からず、趣味やパーティーのように楽しむ。でも、和食って、手早く真剣に作らなきゃいけない場面が多くて、しかも日本人ってドイツ人と比べると美味しい料理に対してものすごくこだわりがあって、カラッとした仕上がりとか歯ごたえとか彩りとか新鮮さとかが重要で、美味しく作るためにここでこうしなきゃ、とタイミング測って目が三角になってたりして、料理の際に真剣どころが多いのだ。めぎもこれまで何度も日本食をドイツ人たちに振る舞ったが、色々質問してきて、あ、それ、ぼくもやってみたい、わたしも、ええとどうやるんだっけ?めぎ~もう一度やって!ほらみんな見て~すごく上手でしょ、などと一緒にゆっくり楽しく料理したがるドイツ人たちに対し、今そんなにおしゃべりしている時間はないのよ、早くそれを切ってしまわないと新鮮さが失われちゃうわ、これは茹で時間が勝負なのよ、そこでしゃべってないで早く水を切って冷やして~などと思うめぎは、せっかくの料理が台無しになっちゃう、と気ばかり焦ったものだった・・・きっと母も、同じような気分じゃなかったかしら。ここで手早く水分を飛ばさないと美味しくならない、と思うと、子供のように遊ぶ大の大人に嫌悪感まで抱いてしまうかも。いや、日本人でも料理の際にもっと団欒を楽しむタイプの方もいると思うけど(特に子供と一緒に料理する場合にはそういう遊びのゆとりも必要だけど)、めぎは美味しいできあがりの方に対して真剣で、母との血のつながりをここでものすごく感じたのであった。
なにはともあれ、こんな風に美しく美味しくできあがり。

とっておきの煮干しととっておきの味噌ととっておきの豆腐でお味噌汁も。それがまた、美味しくて♪ これは全てデュッセルドルフにあった食材なのだけど、なぜかめぎはこんなに美味しくはできないわ~さすが、母ね。鮭寿司もとっても懐かしかった。美味しい日本の味をありがとう。

さて、この日、こうして少し早めの夕食を楽しんでから、ドルトムントへ。この日はブンデスリーガじゃなくてドイツカップの予選の日。試合は20時半から。寒さに備え、完全武装で乗り込んだ。

スタジアムを見た瞬間が一番感動したな~

おお~カガワだわ~スタメンしてくれて良かった♪

こうして試合が始まったのだが・・・

実は対するドレスデンのサポーターたちがフーリガン的行為を繰り返し、試合開始も遅れたし、何度も中断したの。

対するドルトムントの壁もすごかったけど。

発煙筒だけじゃなくて、目つぶしのレーザー光線を放ったりもしていたらしい。

機動隊が出動する場面も。

出て行け~みたいな雰囲気のドルトムント。

そんな妙な雰囲気の試合だったけど、カガワ、楽しそうにプレイしてたな。

めぎが個人的に嬉しかったのは、ゲッツェがゴールしてくれたこと。Tor(トア)とはドイツ語でゴールのことで、Tooooor!と叫ぶ。

盛り上がるドルトムントの壁。

ゲッツェとはこんな顔の19歳。これからのドイツを担うかも知れない新星。

ちょっと小柄なところが可愛い。

カガワは途中でクロップに下げられちゃった。

試合事態は2対0でドルトムントが難なく快勝、と報じられてたが、実際見た印象ではあまりうまいプレイではなかった。テレビで見るのとスタジアムで見下ろすのとではずいぶん印象が異なるのかも知れない。なにしろ、ゲッツェのゴールも、画面上のリプレイではすごくカッコイイスーパーゴールに見えたが、スタジアムでは、あら?入ったの?という程度だったから。
でも、この壁の雰囲気、面白かった。でも、母にとっては、本場のフーリガン付きのサッカー観戦を体験してもらえて良かったと言えるのか否か。でもでも、めぎはとっても楽しかった。

モーゼル川を渡る高速 [ドイツ南西の旅]

今日から10月末の旅行のお話を。ここは一回目の休憩をしたモーゼル側を望むビューポイントのサービスエリア。

めぎたちはここで持参したフリカデレ(ドイツ風ハンバーグ)とおにぎりの朝食をとったのだが、残念ながらその写真は撮り忘れ。めぎは早起きしておにぎりを作ったし、フリカデレは前日夜中にうちのドイツ人が焼いていた・・・日本のようにサービスエリアのご飯が美味しければ、またはコンビニがあって美味しいお総菜やお弁当が簡単に買えるなら、どんなに楽かしら。

綺麗な景色でしょ。

葡萄の紅葉がとても美しく・・・

遠くの紅葉も光を浴びてとても綺麗。

実はここ、7月にシュヴァルツヴァルトへ行くときも休憩をしたところ。

その頃はこんなに緑だった。

モーゼルワインはうちでは滅多に飲まないけれど・・・

葡萄を見ると飲んでみたくなるわねえ。

7月にはこんなにふさふさに葉が生い茂っていたのだが・・・

10月末頃はこんな色。

シュヴァルツヴァルトへ行ったのは7月中旬過ぎのこと。それから義母の連れ合いが亡くなり、義父の調子が悪くなり、ザクセンやらハンブルクやらドイツ中を駆け回ったこの夏。たった3か月になんてたくさんのことが起こり、どれほどのことが変わっていったことだろう・・・植物たちにも同じ時間が流れていたのね。

朝露が美しかった。

ネッカー川 [ドイツ南西の旅]

現在10月末の南西ドイツへの旅行記を連載中。
まず最初に向かったところはネッカー川。

ネッカー川沿いの古城ホテルに泊まることにしていたので、その近くの有名な町ハイデルベルクにちらっと寄ることにした。母も妹もハイデルベルクにはまだ来たことがないということだったので、それじゃやっぱり一度は見なきゃね、と急遽予定を付け加えたのだ。
可愛い町ね~


ロマンチックなラブラブカップルもこの町に似合うわね♪

そこにはこんな橋が架かっている。

アジア系の観光客が非常に多かった。

橋からは右上の方に・・・

こんな立派な城跡が見える。

ちょっと寄っただけだけど、あそこにはやっぱり行っておかなきゃね。ということで、移動開始。

こんな通りをまっすぐ抜けると・・・

市庁舎前の広場に出る。

人がいっぱい!この日は10月末にしては驚くほど穏やかな明るい一日で、外でビール飲んでいる人もたくさんいた。

ハトさん、あまり止まらないであげてね。

立派な紋章ねえ。

その市庁舎の向かいには立派な教会が。

この町をゆっくり見たらそれはそれで魅力満載なのだけど、今日のメインは古城ホテル。だから、さくっと素通りして、目的地へ。

といっても結構傾斜がきつそうだし、古城ホテルに備えて体力も温存したかったので、ここの突き当たりにある駅から・・・

ケーブルカーに乗ることにした。ほんのちょっとの距離に一人4ユーロって高過ぎじゃないのと思ったけど、あとの経過を振り返ると、やはりここで体力温存しておいて良かったわ。

続きは明日。
ハイデルベルクを見下ろす [ドイツ南西の旅]

現在10月末の旅行記を連載中。昨日のネッカー川からケーブルカーで上に上がると、こんな景色が眼下に広がる!

さっきまでいた橋。素敵ね~

数日前のナツパパさんのご指摘通り、ドイツの川は谷間を流れていることが多い。ネッカー川もネッカーの谷間を流れていく。ハイデルベルクはその河口辺り。向こうに流れていってラインに合流する。向こうは平地が続いて見えるけど、これまたラインの大きな谷間であり、ライン河畔の両側にはなだらかな山脈が続く。場所によってはシュヴァルツヴァルトやライン河くだりの名所のローレライの岩場のように谷間が狭いが、この辺りはちょっと平地が広い部分。

地図で見てみると分かりやすいかな・・・少しマイナスしていくと、左側に太いライン河が見えてくる。そのライン河を中心にして上下にスクロールすると、ライン河畔の地形がよく分かる。
川の方ばかりに目が向いちゃうけれど、実はその後ろ側も素敵な景色。

こんな綺麗な街並みの残るハイデルベルクだが、それは、戦争中にアメリカがあえてハイデルベルクをほとんど空襲しなかったから。マーク・トウェインが1878年に著書『ヨーロッパ放浪記』でハイデルベルク城について記述していたため、アメリカでは美しい町として有名で、空襲を避けたらしいのだ。でも、ドイツには同じように、いやもしかしたらもっと美しかった町がいくつもあったのに、ことごとく空襲されてたくさんの重要文化財が焼失した・・・ハイデルベルクだけが、たまたまアメリカで有名だったためにその被災を免れたというわけだ。だから、ハイデルベルク出身以外のドイツ人の多くはハイデルベルクに結構ねじれた妬みの感情を持っている。(ドイツ人が一般に嫌う)アメリカに助けられた町、という嘲笑さえも耳にする。なにしろ、戦後もハイデルベルクはアメリカ人観光客が押し寄せて栄え、近くには今もアメリカ軍基地が置かれているからだ。
それはさておき、いい天気に恵まれて良かったな。

お気に入りのカバーをつけたiPhoneで写真を撮る妹。彼女はカメラを持参せず、ずっとiPhoneのみ。iPhoneってカメラの性能がずいぶんいいのね。

このハイデルベルクの古城は17世紀から18世紀にかけて戦争などで炎上し、廃墟となった。その後ドイツロマン派の懐古主義によって再建しないまま残されたため、今でも廃墟のまま。



こうして見ると様式が全然違って、時代を経て建て増しされたこともよく分かるわね~

あ、日時計だわ♪

このときの時刻はこちら。

天秤と剣を持った像。ここで裁きも行っていたのかな。

この古城の建物の中で一番有名なのが、このワイン樽。階段を上がって2階から見下ろすこともできるこの大樽、長い間に乾燥してちょっと縮んだとはいえ、219,000リットルも入るんですって。

さて、そろそろここをお暇しないと、古城ホテルでゆっくりする時間がなくなっちゃうわ。

帰りはこんな急な坂道を下る。これを徒歩で上っていたら、きっと今頃はへろへろで古城ホテルで散策する時間も体力もなかったかも知れないな。一人4ユーロのケーブルカー、ぼったくりだけど使って良かった。

空にはこんな鳥が旋回していた。かなりトリミング。

ハイデルベルクにはこうしてちらっと寄っただけだが、夏のタリン旅行でこういう古都にはおなかいっぱいだっためぎたちはもう十分という気分。もともと、休暇には町ではなく田舎に行って何もないところでゆっくりのんびりしたい・・・と思うめぎ家。かたや母たちは日本からはるばるやってきて、有名なハイデルベルクをほんの2時間弱ハイライトだけ駆け足で見せられて、欲求不満だったかも。でも、あくまで古城ホテルに行きがてら、ちょっと寄りましょうか、という程度の意識だっためぎは、古城ホテルでゆっくり時間を取りたくて、ここはさくっとお仕舞いに。旅というのはどこにどういうハイライトを持ってくるか、構成が難しい・・・そして、そのプランがどの人にも喜ばれるということはまずもって不可能だとつくづく感じる。だって、何にもっと時間をかけたいかは、人によって全く違うんだもの。

こうしてめぎたちはハイデルベルクをあとにした。続きは古城ホテルとなるわけだが、めぎは所用により今週末また出かけるので、これから数日間はまたもや「めぎはいまここ」になる予定。この続きは所用から戻ってきてから。
古城ホテル [ドイツ南西の旅]

今日から気分を変えて、10月末の母と妹との旅行記の続きを始めようと思う。今思えばとってもとっても貴重な時間だったし、せっかくたくさん写真を撮ったので、その時間のことを書き留めておきたい。年内にどこまで終わるか微妙だけど、ぼちぼちと。
10月28日、ハイデルベルクにちらっと寄ったあと、その日の宿泊先へ。その道は古城街道と呼ばれているそうで、確かに走っているとこんな古城が次から次へと現れる。

右に左に廃墟やヴィラのようなのやホテルや美術館として使われているらしいのが次々と現れるので、とても全ては写せなかった。またいつか、この辺りをゆっくりと訪ねて一つ一つ見に行ってみたいなあ。

こうしてネッカー河畔の古城街道を走ること約一時間。本日の宿が見えてきた。

そこへ向かおうと思ったら、踏切がなって・・・

おびただしい数のアウディが運ばれていった。

そういえばこの近くにアウディの工場があるものね。
踏切を越えてこんな道を上っていくと・・・

古城ホテルが♪

めぎがチェックインするのを待っている母と妹。

塔の一つを使っているという部屋は、こんなところ。まず入り口のドアを開けると荷物を置く台とコートなどを掛ける場所があり、その奥にバスルームのドアがあって、そこから小さな階段を上がると・・・

こんな部屋になっている。

一応ソファーも。コンパクトにうまく作ってあるわねえ。

夕方の光があるうちに、周りを散策いたしましょ。

廃墟の部分も見学できるのだけど、それは次の日に。

こんな植物が壁の隙間から。可愛いね。

明日はこの先の景色をご紹介。

ネッカー川 [ドイツ南西の旅]

現在10月末のネッカー河畔古城ホテルのお話を連載中。
昨日の道を上ると・・・

ネッカー川と周辺の村々が見渡せた。

ローカル電車♪

見下ろすと、ワイン畑の下にネッカー川。その向こうには何かの工場・・・完全にロマンチックとはいかないけれど、ワイン畑の黄葉が綺麗だからまあ良しとしよう・・・ワイン畑、結構な傾斜ね。

取り残しの葡萄ちゃん♡

この頃は紅葉が綺麗だったなあ・・・

これは何かしら。

ネッカー川はこう見ると細く見えるけど・・・

こんな大きな船が往来してて・・・

こんな立派な設備もある。



有名な町の有名な見所を観光するよりも、こういうのをゆっくりと眺めるのがめぎは好き。こういう時間を取りたくて、ハイデルベルクをさっさと切り上げたのだ・・・ちょっとサービス精神には欠けたけど、観光よりもめぎの生活を知って欲しかったから。
今年の葡萄の紅葉は、よく見ると緑からそのまま枯れていっているのが多いかも。

それでも、遠目には赤っぽくて綺麗だったかな。

それにしてもスゴイ傾斜・・・夏が短く太陽の光が弱いドイツでは、こういう傾斜がないと葡萄が十分育たない。それでもできあがったワインはどうしてもスペインのような太陽いっぱいの味に欠ける。その代わり、繊細な味や、貴腐ワインなどが楽しめるのだけど。

だんだんと薄暗くなってきた・・・

そろそろホテルに戻りましょ。

夕焼け [ドイツ南西の旅]

現在10月末の古城ホテルの話を連載中。
散歩から戻ってきたら・・・

あら、まだ光があるみたい。

外に出てみたら、わあ、綺麗!

天気に恵まれてよかった♪

この木はなんて言うのかな。すごく素敵。

根元近くにこんなキノコが生えていた。

アーチ型の入り口の上にはこんな出っ張りがあるのだが、その昔敵にここから熱湯を浴びせたりしたんですって。

こうして夕方の散歩は終わり、一度部屋に戻って夕食に備えることにした。この日はドレスアップして古城ホテルのレストランへ行くことにしていたのだ。用意のできためぎは、時間まで、窓から夕焼けを楽しんだ。

空を映すネッカー川。

おどろおどろしい空だった。

しばらくするとどんどん暗くなり、ネッカー川が夕闇に染まっていった。

さて、そろそろ夕食へ行きましょ。

もーきちさん、お留守番、お願いね。

♪ おまけ ♪
今日から12月。ということは、今日からアドヴェントカレンダーが始まる!今年のアドヴェントカレンダーはこちら。

中から何が出てくるかは、みなさまには一日遅れでご紹介しますね♪

古城ホテルの夕食 [ドイツ南西の旅]

現在10月末の古城ホテルの話を連載中。
予約の時間になっていそいそと向かった古城ホテルのレストラン。

まずは地ビールで乾杯♪

↑ちらっと写っているのは妹。ね、ドレスアップしてるでしょ♪
秋の飾り付けが可愛かった。

お通しとして出された小皿。この中身が何だったのか、もう思い出せない。

前菜はそれぞれ別なものを頼んで少しずつ分けた。この山盛りのサラダの下にはたしか何かジビエのカルパッチョがあったはず・・・向かいの母のは何かのスープ。

真っ暗に写ったのを調整した写真なので写りが非常に荒いけど、うちのドイツ人はキノコとトリュフのクリームソースを絶賛してたし、その向かいの妹は今回の旅行でこれが一番美味しかったと言ってたが、彼女が食べたものは何だったのか、もうさっぱり分からない。

ワインは妹の希望でこの辺りのリースリングを。
メインは鹿肉。

これはたしかイノシシ。パスタはこの辺りのパスタ。ドイツにも南や南西ドイツにはその土地のパスタがある。

デザートはネッカー河畔のシュペートレーゼのゼリー。

いかにも古城ホテルという感じの、お洒落だけどどっしりとした食事だった。
食べ終わってから、ちょっとだけ外の景色を堪能。ドイツはネオンもないし、家々もあまりたくさん灯りをつけないから、夜景はこんなに淋しい。

でも、ホテルはライトアップしていた。

♪ 12月1日のアドヴェントカレンダー ♪
開ける瞬間が一番楽しいわね~



1日目はパズルだった♪

朝食 [ドイツ南西の旅]

現在10月末の古城ホテルの話を連載中。昨日のレストランでは、めぎはシンプルなワンピースに羽織を羽織った。めぎがドレスアップするときはたいてい和である。と言っても、着物を着るのは面倒なので、羽織を重宝しているというわけ♪
次の日の朝。

部屋の窓からはホテルのレストランのテラス席は見えるのだけど、ネッカー川はどこにも。

何も見えないけど、素敵ねえ。

朝食に行くときに、昨夜のレストランをちらっと撮影。

あそこに座っていたのね・・・

奥は昼食用にセッティングされていたが、手前は朝食用のセッティング。

めぎたちが座ったのはこちら。

朝食が並んでいる部屋は、中世の騎士のトーナメントが描かれているところ。

品揃えは、めぎ家的にはゴージャス、日本から来た母たちにはまあまあ、かな。

人によって取ってくるものや順番が全然違う。家族でも好みって違うわね。


ちらっと覗いた裏側には、食膳用のエレベーターがあった。

明日は古城見学のお話をする予定・・・たぶん。
♪ 12月2日のアドヴェントカレンダー ♪
2日目はシールだった。

3枚しかないわね・・・何に使おうかな。子供が偶数なら取り合いになりそう。
こちらは義母が予め送ってくれていたアドヴェントカレンダー。こんな風に窓を開けていく。

♪ おまけ ♪
12月2日の夜には、来年のEURO2012の組み合わせが発表された。ドイツはBグループで、オランダとデンマークとポルトガルと。ひえええ。(写真はARDから)

ヨギ曰く、keine Wunschgegner und keine Angstgegner(絶対勝てる相手もいないし、勝てない相手もいない)。ええ、まあ、そうだけど。先日のオランダとの親善試合は3対0でずいぶん楽勝だったけど。でも。でも。
スペインはCグループで、イタリアと一緒だって・・・それもまたすごそう。
朝の光 [ドイツ南西の旅]

現在10月末の古城ホテルのお話を連載中。
朝食を食べ終わって、ちょっと外に出てみた。

夏はここで食べられるのね。

下の方はまだまだ靄の中。

でも、上の方は朝日を浴びて、なんて美しいこと!

早朝と違って、ずっと向こうの方がうっすらと出てきていた。

ほら、うっすら鉄塔も見える。

この日は午前中に古城の廃墟の部分を見学。

あそこを見に行くのね~

結構傷んできてもいるのね・・・

・・・と、なんだか一日引っ張ったような気がするが、記事の編集上ここで日を変えることにする。以上、朝の光シリーズでした♪

古城ホテルの見学は本当に明日から。
♪ 12月3日のアドヴェントカレンダー ♪
3日目は・・・

神経衰弱ゲームだった♪

このアドヴェントカレンダーの由来が12月1日のマウスのカレンダーに書かれていた。

なんでももともとは、19世紀の終わり頃からクリスマスまでの日にちを数えるために藁を一本ずつ置いたり壁に書いたチョークの線を一本ずつ消していったりしたことが始まりらしい。藁はクリスマスにはクリッペ(キリスト降誕を再現した模型)に使われたようだ。チョコレートを毎日もらえるアドヴェントカレンダーが登場したのは1950年のことですって・・・それって、うちのドイツ人が生まれるちょっと前のことだわねえ。いやあ、我々、歳だわね。

♪ おまけ ♪
先週ようやくドルトムントが首位に立ったブンデスリーガだが、今週またもやバイエルン・ミュンヘンが首位に返り咲き。バイエルンが大勝した以外はどこも引き分けばかりでパッとしなかったこの土曜日、ケルンも引き分けたけど、シュトゥットガルトにアウェイで負けずに済んだのはポルディのおかげ。よしよし、よくやったわね♪ (写真はARDから)

廃墟へ [ドイツ南西の旅]

現在10月末の古城ホテルの話を連載中。
さあ、いよいよ古城見学へ!

案内図では、建てられた時代によって色分けされている。

めぎたちが泊まった部分は中央左側の茶色い四角の下、赤とオレンジの縞々になっているところで、1517年から94年までに建てられたところを1612年以降に改築したものらしい。これから入るのは案内図の上半分の入り組んでいる部分。

ちなみに1517年から94年までこの城を所有したベルリヒンゲン家は、ゲーテが1773年に『鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』という戯曲にしている。ゲーテの初期の作品で、史実を元に大いに脚色して書いたようだが(作品ではゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンは若くして死ぬが、ホンモノのゲッツは80歳以上まで長生きしたそうだ)、この作品は何より「Leck mich am Arsch!」(訳は敢えてひらがなで書くことにする・・・おれのけつのあなをなめてみろ!)という台詞で有名。これ、文字通りの意味じゃなくて、「てめえ、ひっこめ!」みたいな意味で使われる。この言葉、あのモーツァルトだってLeck mich am Arschと歌うカノンを作っているのだから、ドイツ語の芸術は奥深い。うちのドイツ人がよくこのことを話題にしてたので、めぎはゲッツの城(Burg Hornberg)に泊まってみたいと思ってたの。
さて、中にはいると、こんなところを上っていく。

足もとが結構悪いのだが、健脚の母には何のその。

石ゴロゴロののぼりもくだりも何の問題もなかった。

こんなところを上ったり下ったりして・・・

ふと見上げると、本当は建物の中のはずなのに屋根がないことに気がついた。

この辺は14世紀に建てられた部分なのだ・・・長い間にすっかり崩れちゃったのね。
トイレか汚物を捨てる穴だったと思われるところ。

向こうに見えるアーチ型の入り口の奥は・・・

左側は1570年に作られたワインセラー、右側は牛乳貯蔵室だった。

本当に危ないところは立ち入れないようになっているけれど、こんなに崩れそうなのにそのままにしてあるドイツの古城。こういう展示の仕方が、ドイツらしさ。飾らずにありのまま。危険か否かは自己責任。

可愛いお花も咲いてるし。

でも、かつてはここにちゃんと部屋があって、屋根もちゃんとあって、家具とかが置かれてて、ワイン飲んだり牛乳を使った料理を食べたりして、人が生活してたのね。

窓だって、こんなに精巧に作られている・・・ここに住んでいた人たちは、ここから外を眺めてどんなことを考えていたのかしら。

下界は少しずつ姿を現し始めていた。

つづく。
♪ 12月4日のアドヴェントカレンダー ♪
4日目はタトゥーだった。

12月4日は第2アドヴェント。2つめの蝋燭に点火。

4日の午後、うちのドイツ人の友人がお悔やみに訪ねてきて、一緒にシュトレンとフルーツ漬けのラム酒を楽しみながら静かに話していた。友人も昨年父親を亡くしたばかりなので、二人は色々と共感しあっていたようだった。こういうときに、ただただ共感しあえることが、そして優しい言葉を掛けられることが、何よりもの慰めになる。
ベルリヒンゲン家が建てた部分 [ドイツ南西の旅]

現在10月末の古城ホテルの話を連載中。昨日から古城ホテルの廃墟部分を見学中。
いよいよ中心部に入ってきた。

ここはこの古城を16世紀に治めたベルリヒンゲン家が建てた部分。

↑それにしてもこの入り口の彫刻は何を模倣した様式なのかしらねえ・・・
おお!ここには屋根が!16世紀って新しいのねえ。壊れずに残っていられるんですものね。

ここには何やら不思議な部屋もあった・・・

ちょ、ちょっと、不気味・・・

こちらの礼拝堂はベルリヒンゲン家よりも前の時代、15世紀後半に建てられたものらしい。

それではいよいよ塔に上ることにいたしましょ。ちなみに塔もベルリヒンゲン家の時代に建てられたらしい。右端に写っているのがその塔の入り口。

中は螺旋階段。掘られている印は石屋さんの印?それとも??

一階分くらい上がると、大きな部屋があった。この辺りは14世紀に建てられた部分らしい。壊れた古いワイン樽が無造作に置かれていた。

そこから外を眺めた景色。小さな塔が素敵ね。

入り口からずいぶん上ってきたなあ・・・

階段には時々窓があって・・・

屋根のない城の造りがよく見えた。

ああ、塔はまだまだ高いわね・・・

この急な螺旋階段を、母は難なく上っていった。とっても元気で、有り難いことにしばらくは何の心配も要らない感じ。めぎの方がぜいぜいはあはあ。これはいかん。運動せねば。
階段途中にもこのフィギュア・・・ベルリヒンゲンさん、どういう趣味をしていたのかしら・・・

つづく。
♪ 12月5日のアドヴェントカレンダー ♪
5日目はクッキーの型だった。これはマウスの友達のエンテ(鴨)。

こちらはスーパーで売られていた大人のアドヴェントカレンダー♪

塔からの眺め [ドイツ南西の旅]

現在10月末の古城ホテルの話を連載中。今、塔の上まで螺旋階段を一生懸命上っているところ。
途中の窓からこんな景色や・・・

こんな景色に感嘆の声を上げながら・・・

最後はこんな急で簡単な梯子のような木造のちょっと朽ちたような階段を上って・・・

到着!

そこから下を眺めたら・・・
おお~~@@!!

なんて素敵!!

あそこは昨日の夕方に散歩した辺り。

まだちょっと霞んでいるドイツの田舎。

別の方向には素晴らしい紅葉の山。

うっわー幻想的♪

こちらの方角には・・・

町が!

いつの間にか霧がこんなに晴れたのね。

これぞ上った甲斐があるというもの・・・しばし堪能して、急な階段をそろりそろりと下りたのだった。
途中にこんな空間があって・・・

うちのドイツ人が妹に、昔の貴族の女性はこうして窓辺に座って刺繍をしてたんだよ、その当時の女性は白い布を頭にかぶっていたんだよ、と教えたらしい。

そして妹はそれを再現♪

そんな思い出の古城。そろそろお暇いたしましょ。

古城の話は明日が最終回。
♪ 12月6日のアドヴェントカレンダー ♪
12月6日はドイツでは聖ニコラウスの日で、本当は聖ニコラウスがブーツにチョコレートをいっぱい入れていってくれたはずなんだけど、めぎ家はブーツを出し忘れちゃったので、もらえなかったの・・・
でも、アドヴェントカレンダーにはちょっと素敵なものが。

めぎ家、冬の寒さの中も、仲良く暮らしております♪

兵どもが夢の跡 [ドイツ南西の旅]

現在10月末の古城ホテルの話を連載中。今日が最終回。
塔を出て、もと来た部屋を通って入り口の方へ戻ると、こんな表示があった。

樹齢500年のイチイの木ですって・・・あのゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンも見た木なんですって・・・それは見ておかなきゃ!
というわけで、その方向へ。表示の下から外に出ると、こんな景色。

城の外壁に沿って進む。

すると、それらしい木が見えてきた。

下へ向かって伸びているという感じ。

500年も生きている木を、16世紀にはゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンが眺め、今東洋から来ためぎたちも眺めている・・・ゲッツさんはそのとき、まさか21世紀に東洋人がこんなところへ観光に来るとは思っていなかっただろうな・・・当たり前だけど。今から500年後、この木は、この城は、世界は、どうなっているのかしら。

戻る途中では・・・

カリンの木を見つけた。

そういえば今年はカリンを買うのを忘れたなあ。
その後、こんな鬱蒼としたところを通っていたら・・・

小さな塔があったのでちょっと入ってみた。

その塔の床にはこんな穴があって・・・

中を見るための電気のスイッチもある。

中は牢屋。

そして・・・!!!!!

ほんもの?ほんものっぽいよね??
そんな、なかなかスリリングな古城ホテルのお話はそろそろお仕舞い。

まさに人の世は諸行無常。まさに兵どもが夢の跡。それでも生きている間は一生懸命なのよね。

この古城ホテルBurg Hornbergはこちら。HPはこちら。
♪ 12月7日のアドヴェントカレンダー ♪
7日目は笛だった。
