2023年夏のザルツブルク音楽祭 7月21日のこと [2023年夏 ザルツブルク]
突然だが、今年もザルツブルクにやってきた。

日本へ行って帰ってきたばかりなのにまた旅ですかという感じだが、ザルツブルクは昨年夏からの計画で、日本は今年になってから決めた計画。ザルツブルクの方が先に決まっていたのである。ブログではめぎの近況を載せていたが、実は21日から既にザルツブルクに来ていた。音楽祭が始まったのは20日。めぎの取ったチケットは21日から。で、21日に現地入り。
ザルツブルク音楽祭というのは6週間にわたって開かれるのだが、毎年最初の10日間ぐらいOuverture spirituelleという冠タイトルの付いた教会コンサートが行われる。訳すと心霊的序幕という感じだろうか。毎年決まったテーマがあって、ここ数年世界のいろいろな宗教音楽を扱うテーマが多かったのだが、今年のテーマはLux aeterna「永遠の光」。

Lux aeternaはレクイエムやミサにおける聖歌なのだが、メディアに載った関係者の言葉によると、このテーマ「永遠の光」は、コロナで亡くなった方々を普通に弔うことも許されなかったここ数年を踏まえ、宗教音楽を奏でて弔いの儀式の代わりにする、という意味もあれば、このバラバラになって混とんとした現代の世界情勢に光を、という意味もあるようだ。
21日、そんな祈りの宗教音楽のコンサートの一つをKollegienkircheという教会で見た。始まるのは21時で、すでに薄暗い。

休憩時間にはすっかり闇。

この日持って行ったのはニコンの昔のコンデジ、Coolpix A。暗いのに結構頑張っていい写りしてる。

この日、雨も降ってかなり寒かった。外にいると寒すぎて、30分の休憩時間の真ん中ぐらいにもう中に入っためぎ。ちょうど舞台の設営が終わったところ。

ここがぎっしり満席。宗教音楽でもこんなに人気があるなんて。

こんな格好をしている程度に寒いということ。

コンサートの内容についてはこちら(ドイツ語)。1曲目はSofia GubaidulinaのSonnengesang für Violoncello, Chor und Schlagzeug「チェロと合唱と打楽器のための太陽の歌」で、2曲目はHeinrich SchützのMusikalische Exequien SWV 279—281「埋葬音楽」。21時から23時50分までという夜遅いコンサート。

興味のある方のために、1曲目はこんな曲。
2曲目。
この2曲目は本当は30分ちょっとの曲なのだが、それをPeter Sellarsという演出家がストーリーと振り付けを考えて80分の舞台にしていた。演出家の言葉はこちら(英語)。彼の演出のオペラをザルツブルクで以前2つ見たが(モーツァルトの「皇帝ティトス」と「イドメネオ」)、演出自体はいろいろ工夫しているのはよくわかるのだが失礼ながらめぎはあまりその意義を感じない。今回もやはり意味はよく分かるが意義はあまり感じなかったが、彼の意図はよくわかったし、音楽自体とその演奏自体は素晴らしかった。
かつてPeter Sellarsと「皇帝ティトス」と「イドメネオ」をやった指揮者のクルレンツィスが聴衆として来ていた。これはPeter Sellarsと抱き合って挨拶した直後。こんな風に、有名な音楽家(特に別の日の出演者)が聞きに来ていたりするのも音楽祭ならでは。

こうしてめぎは一気にザルツブルク音楽祭の世界に引き込まれた。何もかも、仕事も日本も、今夏休みの終わり近くであることさえもすっかり忘れて音楽に没頭。ああ、来てよかった。
日本へ行って帰ってきたばかりなのにまた旅ですかという感じだが、ザルツブルクは昨年夏からの計画で、日本は今年になってから決めた計画。ザルツブルクの方が先に決まっていたのである。ブログではめぎの近況を載せていたが、実は21日から既にザルツブルクに来ていた。音楽祭が始まったのは20日。めぎの取ったチケットは21日から。で、21日に現地入り。
ザルツブルク音楽祭というのは6週間にわたって開かれるのだが、毎年最初の10日間ぐらいOuverture spirituelleという冠タイトルの付いた教会コンサートが行われる。訳すと心霊的序幕という感じだろうか。毎年決まったテーマがあって、ここ数年世界のいろいろな宗教音楽を扱うテーマが多かったのだが、今年のテーマはLux aeterna「永遠の光」。
Lux aeternaはレクイエムやミサにおける聖歌なのだが、メディアに載った関係者の言葉によると、このテーマ「永遠の光」は、コロナで亡くなった方々を普通に弔うことも許されなかったここ数年を踏まえ、宗教音楽を奏でて弔いの儀式の代わりにする、という意味もあれば、このバラバラになって混とんとした現代の世界情勢に光を、という意味もあるようだ。
21日、そんな祈りの宗教音楽のコンサートの一つをKollegienkircheという教会で見た。始まるのは21時で、すでに薄暗い。
休憩時間にはすっかり闇。
この日持って行ったのはニコンの昔のコンデジ、Coolpix A。暗いのに結構頑張っていい写りしてる。
この日、雨も降ってかなり寒かった。外にいると寒すぎて、30分の休憩時間の真ん中ぐらいにもう中に入っためぎ。ちょうど舞台の設営が終わったところ。
ここがぎっしり満席。宗教音楽でもこんなに人気があるなんて。
こんな格好をしている程度に寒いということ。
コンサートの内容についてはこちら(ドイツ語)。1曲目はSofia GubaidulinaのSonnengesang für Violoncello, Chor und Schlagzeug「チェロと合唱と打楽器のための太陽の歌」で、2曲目はHeinrich SchützのMusikalische Exequien SWV 279—281「埋葬音楽」。21時から23時50分までという夜遅いコンサート。
興味のある方のために、1曲目はこんな曲。
2曲目。
この2曲目は本当は30分ちょっとの曲なのだが、それをPeter Sellarsという演出家がストーリーと振り付けを考えて80分の舞台にしていた。演出家の言葉はこちら(英語)。彼の演出のオペラをザルツブルクで以前2つ見たが(モーツァルトの「皇帝ティトス」と「イドメネオ」)、演出自体はいろいろ工夫しているのはよくわかるのだが失礼ながらめぎはあまりその意義を感じない。今回もやはり意味はよく分かるが意義はあまり感じなかったが、彼の意図はよくわかったし、音楽自体とその演奏自体は素晴らしかった。
かつてPeter Sellarsと「皇帝ティトス」と「イドメネオ」をやった指揮者のクルレンツィスが聴衆として来ていた。これはPeter Sellarsと抱き合って挨拶した直後。こんな風に、有名な音楽家(特に別の日の出演者)が聞きに来ていたりするのも音楽祭ならでは。
こうしてめぎは一気にザルツブルク音楽祭の世界に引き込まれた。何もかも、仕事も日本も、今夏休みの終わり近くであることさえもすっかり忘れて音楽に没頭。ああ、来てよかった。
2023年7月22日ザルツブルク音楽祭の無料イベント [2023年夏 ザルツブルク]
今日は2023年夏のザルツブルク音楽祭7月22日のお話を。
この日は音楽祭は無料イベントの日。土日にかけてのべ90ぐらいのイベントが行われた。半分ぐらいが音楽祭に関連のある場所のガイドツアーや講演で、あとの半分ぐらいがミニコンサートや路上コンサート。本来の有料のコンサートも2つあったのだが、めぎはそれを購入しておらず、無料イベントに参加することにしていた。まず1つめはこの祝祭劇場の5階が会場で10時から。

それはÖ1というオーストリアの公共ラジオ放送局の音楽トーク番組の公開ライブ放送で、ゲストは音楽祭の音楽部門総支配人のマルクス・ヒンターホイザーと、ザルツブルク音楽祭の初回1920年のこけら落としからずっと今まで毎回上演され続けてきている「イェーダーマン」という演劇の主役イェーダーマンを演じる俳優ミヒャエル・メルテンス。内容についてはこちら(ドイツ語)。

場所は祝祭劇場の中だが一般には公演の時も行けないようになっているところで、ザルツブルクの教会がいくつか見渡せる素晴らしい立地。

めぎはこのヒンターホイザーに興味があって…と言うのは、彼が総支配人になってから音楽祭のコンサートやオペラの質がググっと上がったと感じているので…正直に言えば生ヒンターホイザーが見たいというミーハーな気分でこの催しに申し込んで行ったのだが、話を聞いていてこの人とにかく音楽が好きなんだなあということがよくわかった。でも、総支配人ともなると色々と政治的にもあれこれ発言を求められたりするわけで、うまくいっているときはいいけど今はあれこれ意に沿わないことも多いようで(ウクライナ戦争中にクルレンツィスというロシアの指揮者を出演させることについて去年からずっとあれこれ言われてるし、つい最近ザルツブルク州議会選挙で右寄りの結果になったのに対し文化関係者がみんな遺憾の意を表明しているのに総支配人が何も言わずにいるのは、いくら州が音楽祭のパトロンの一つだからと言っても意気地なしだ、というのがちょうどこの日の新聞のトップになっていたし)、具体的にそれに言及することはなかったが、言葉尻や話題の選び方からなかなか大変なんだろうなあと感じる時間だった。女性はこのトーク番組の司会者。

この場でめぎは初めて知ったのだが、この前日夜に今年の初日だった「イェーダーマン」の舞台に地球温暖化防止を訴えるラスト・ジェネレーションの環境保護団体の3人が乗りこみ、抗議行動を行ったとのこと。イェーダーマンが恋人とキスをするシーンを合図に客席から叫び始めて前へ行こうとしたところですぐに警察に逮捕され、舞台は中断されることもなくそのまま続いたらしいが、見ている側は初演の初日だから訳が分からず、これも演出の一つなのか?とざわめく事態だったらしい。というのも、公演の最初に環境保護団体が金持ちイェーダーマンの家にオレンジ色のペンキを塗るという演出が盛り込まれていたからだ。でもこの3人は本物の抗議行動で、チケットを買って中に入って行為に及んだというのだから、そして、警察にマークされないよう今までデモに参加したことのない人が選ばれて頼まれてやったというのだから、テロ対策もまた次のステージに入ったという感じだわね。それ、オペラでも起こるかもしれないわねぇ…
イェーダーマンさんは、自分の俳優人生でいかに今まで移動でCO2をまき散らしてきたか、というような話もしていた。

そんな事件がなければもっと違う話をしたはずだったんだろうに、環境保護団体の事件で音楽の話とずいぶんかけ離れた内容の話が多かった。しかも、どうも最後にまとまりがなかったというか、話が中途半端で終わってしまったようなトーク番組だったのだが、それもまた生番組ということで興味深かった。とにもかくにもめぎはこの普段公開されていない5階に入ることができて、ヒンターホイザーの生の声を聞くことができて楽しかった。1時間半もあったので、ちょうどインタビューを受けていない間の様子とかちょっと素の状態も見えるし、そういうのって面白いわね。

楽しい1時間半が過ぎ、次の12時からのイベントはこちら、シュテファン・ツヴァイク記念館。さっきの祝祭劇場の裏、岩山を上ったところにある。30分でお手洗いに行って裏に回って長い階段を上がってハアハアゼイゼイ言いながら受付を済ませてやっと到着。

そこで、2つのテーマについての1時間のガイドツアーに参加した。シュテファン・ツヴァイクというのはザルツブルクに住んでいたユダヤ人作家なのだが、1つめのテーマは、同じくユダヤ人で同じくザルツブルクに住んでザルツブルク音楽祭の創始者となった当時の超売れっ子の舞台演出家のマックス・ラインハルトに自分の書いた演劇を演出してほしかったのだがついに実現しなかった、という話。もう1つは、マックス・ラインハルトは1937年のザルツブルク音楽祭にドイツを代表するゲーテの演劇「ファウスト」を演出したのだが、それはちょうどナチスがオーストリアを征服した頃で、この最もドイツ的な戯曲ファウストの上演についてシュテファン・ツヴァイクは反対の意見だった、という話。

偉大な頭脳が同時期に同じ場所に集っていたのに、ずっと相容れないままだったのね。

この2つに参加して13時となり、いったん宿へ。お昼を食べて本当は15時に2030年完成に向けた音楽祭会場の新設プロジェクトについての講演に行くつもりだったのだが、なんだか疲れ果ててしまい、会場がちょっと遠いということもあって行く元気を失い、オンラインでギリギリだけどキャンセル。2時間ほど昼寝して復活し、18時半に今度は大聖堂へ。

ここでパイプオルガンのコンサートを聞いた。大聖堂には7つのパイプオルガンがあるそうだが、この日はそのうちの5つの音色を聞くことができた。そういえばモーツァルトが弾いた事のあるというパイプオルガン、どれだったっけ。

6曲披露されたのだが、16~17世紀の曲はYouTubeでは見つからず。見つかったのを張り付けておく。映像には広告が最初に入る可能性があるが、そのあと綺麗な音色と弾く様子が見られる。まず、César Franck(1822‐1890)の Choral no. 3 a Mollという曲
次にバッハ(1685‐1750)のTrio Allein Gott in der Höh sei Ehr, BWV 664という曲。
最後にMax Roger(1873‐1916)のPhantasie und Fuge über BACH (op. 46)という曲。
オルガンの曲って、圧倒的で、1時間聞いただけでかなり疲れ切る…
終わったらすぐ近くでこのアルペンホルンの路上コンサート中だった。

そのまたすぐ近くを、まもなく別の広場で剣の舞を披露するらしい人たちがパレードしていった。

そこから宿へ向かうと、次の広場ではサックスのライブが行われていた。

このあと夜中の松明の舞とやらまで無料のイベントが目白押しなのだが、めぎはこれで終了とした。ご紹介したかったのは、ザルツブルク音楽祭にはこういう一面もあるということ。高級ドレスを着た社交界の集いばかりではないのだ。折しもウクライナの文化大臣が戦争の時期に文化どころではないということで退任したというニュースが流れる中、ここではみんなが平和に文化に酔い痴れている。いつ誰がテロ行為をするかもしれない危険も孕みながら。
この日は音楽祭は無料イベントの日。土日にかけてのべ90ぐらいのイベントが行われた。半分ぐらいが音楽祭に関連のある場所のガイドツアーや講演で、あとの半分ぐらいがミニコンサートや路上コンサート。本来の有料のコンサートも2つあったのだが、めぎはそれを購入しておらず、無料イベントに参加することにしていた。まず1つめはこの祝祭劇場の5階が会場で10時から。
それはÖ1というオーストリアの公共ラジオ放送局の音楽トーク番組の公開ライブ放送で、ゲストは音楽祭の音楽部門総支配人のマルクス・ヒンターホイザーと、ザルツブルク音楽祭の初回1920年のこけら落としからずっと今まで毎回上演され続けてきている「イェーダーマン」という演劇の主役イェーダーマンを演じる俳優ミヒャエル・メルテンス。内容についてはこちら(ドイツ語)。
場所は祝祭劇場の中だが一般には公演の時も行けないようになっているところで、ザルツブルクの教会がいくつか見渡せる素晴らしい立地。
めぎはこのヒンターホイザーに興味があって…と言うのは、彼が総支配人になってから音楽祭のコンサートやオペラの質がググっと上がったと感じているので…正直に言えば生ヒンターホイザーが見たいというミーハーな気分でこの催しに申し込んで行ったのだが、話を聞いていてこの人とにかく音楽が好きなんだなあということがよくわかった。でも、総支配人ともなると色々と政治的にもあれこれ発言を求められたりするわけで、うまくいっているときはいいけど今はあれこれ意に沿わないことも多いようで(ウクライナ戦争中にクルレンツィスというロシアの指揮者を出演させることについて去年からずっとあれこれ言われてるし、つい最近ザルツブルク州議会選挙で右寄りの結果になったのに対し文化関係者がみんな遺憾の意を表明しているのに総支配人が何も言わずにいるのは、いくら州が音楽祭のパトロンの一つだからと言っても意気地なしだ、というのがちょうどこの日の新聞のトップになっていたし)、具体的にそれに言及することはなかったが、言葉尻や話題の選び方からなかなか大変なんだろうなあと感じる時間だった。女性はこのトーク番組の司会者。
この場でめぎは初めて知ったのだが、この前日夜に今年の初日だった「イェーダーマン」の舞台に地球温暖化防止を訴えるラスト・ジェネレーションの環境保護団体の3人が乗りこみ、抗議行動を行ったとのこと。イェーダーマンが恋人とキスをするシーンを合図に客席から叫び始めて前へ行こうとしたところですぐに警察に逮捕され、舞台は中断されることもなくそのまま続いたらしいが、見ている側は初演の初日だから訳が分からず、これも演出の一つなのか?とざわめく事態だったらしい。というのも、公演の最初に環境保護団体が金持ちイェーダーマンの家にオレンジ色のペンキを塗るという演出が盛り込まれていたからだ。でもこの3人は本物の抗議行動で、チケットを買って中に入って行為に及んだというのだから、そして、警察にマークされないよう今までデモに参加したことのない人が選ばれて頼まれてやったというのだから、テロ対策もまた次のステージに入ったという感じだわね。それ、オペラでも起こるかもしれないわねぇ…
イェーダーマンさんは、自分の俳優人生でいかに今まで移動でCO2をまき散らしてきたか、というような話もしていた。
そんな事件がなければもっと違う話をしたはずだったんだろうに、環境保護団体の事件で音楽の話とずいぶんかけ離れた内容の話が多かった。しかも、どうも最後にまとまりがなかったというか、話が中途半端で終わってしまったようなトーク番組だったのだが、それもまた生番組ということで興味深かった。とにもかくにもめぎはこの普段公開されていない5階に入ることができて、ヒンターホイザーの生の声を聞くことができて楽しかった。1時間半もあったので、ちょうどインタビューを受けていない間の様子とかちょっと素の状態も見えるし、そういうのって面白いわね。
楽しい1時間半が過ぎ、次の12時からのイベントはこちら、シュテファン・ツヴァイク記念館。さっきの祝祭劇場の裏、岩山を上ったところにある。30分でお手洗いに行って裏に回って長い階段を上がってハアハアゼイゼイ言いながら受付を済ませてやっと到着。
そこで、2つのテーマについての1時間のガイドツアーに参加した。シュテファン・ツヴァイクというのはザルツブルクに住んでいたユダヤ人作家なのだが、1つめのテーマは、同じくユダヤ人で同じくザルツブルクに住んでザルツブルク音楽祭の創始者となった当時の超売れっ子の舞台演出家のマックス・ラインハルトに自分の書いた演劇を演出してほしかったのだがついに実現しなかった、という話。もう1つは、マックス・ラインハルトは1937年のザルツブルク音楽祭にドイツを代表するゲーテの演劇「ファウスト」を演出したのだが、それはちょうどナチスがオーストリアを征服した頃で、この最もドイツ的な戯曲ファウストの上演についてシュテファン・ツヴァイクは反対の意見だった、という話。
偉大な頭脳が同時期に同じ場所に集っていたのに、ずっと相容れないままだったのね。
この2つに参加して13時となり、いったん宿へ。お昼を食べて本当は15時に2030年完成に向けた音楽祭会場の新設プロジェクトについての講演に行くつもりだったのだが、なんだか疲れ果ててしまい、会場がちょっと遠いということもあって行く元気を失い、オンラインでギリギリだけどキャンセル。2時間ほど昼寝して復活し、18時半に今度は大聖堂へ。
ここでパイプオルガンのコンサートを聞いた。大聖堂には7つのパイプオルガンがあるそうだが、この日はそのうちの5つの音色を聞くことができた。そういえばモーツァルトが弾いた事のあるというパイプオルガン、どれだったっけ。
6曲披露されたのだが、16~17世紀の曲はYouTubeでは見つからず。見つかったのを張り付けておく。映像には広告が最初に入る可能性があるが、そのあと綺麗な音色と弾く様子が見られる。まず、César Franck(1822‐1890)の Choral no. 3 a Mollという曲
次にバッハ(1685‐1750)のTrio Allein Gott in der Höh sei Ehr, BWV 664という曲。
最後にMax Roger(1873‐1916)のPhantasie und Fuge über BACH (op. 46)という曲。
オルガンの曲って、圧倒的で、1時間聞いただけでかなり疲れ切る…
終わったらすぐ近くでこのアルペンホルンの路上コンサート中だった。
そのまたすぐ近くを、まもなく別の広場で剣の舞を披露するらしい人たちがパレードしていった。
そこから宿へ向かうと、次の広場ではサックスのライブが行われていた。
このあと夜中の松明の舞とやらまで無料のイベントが目白押しなのだが、めぎはこれで終了とした。ご紹介したかったのは、ザルツブルク音楽祭にはこういう一面もあるということ。高級ドレスを着た社交界の集いばかりではないのだ。折しもウクライナの文化大臣が戦争の時期に文化どころではないということで退任したというニュースが流れる中、ここではみんなが平和に文化に酔い痴れている。いつ誰がテロ行為をするかもしれない危険も孕みながら。
2023年7月23日のザルツブルク音楽祭 [2023年夏 ザルツブルク]
今日はザルツブルク音楽祭の7月23日のお話を。
23日の朝は快晴だった。

この日は11時に教会コンサート。

先日夜に来たKollegienkircheである。

今日も人がいっぱい来ているな~

…と思って写していたら…

ヒンターホイザー(ザルツブルク音楽祭の音楽部門の総支配人=芸術総監督)がいた。

中は光が入って美しかった。

この日の演目もOuverture spirituelleの枠組みの中のコンサートで、内容についてはこちら(ドイツ語)。1時間ほどの時間に次の4曲が演奏された。まず、モンテヴェルディのLaetaniae della Beata Vergine für sechs Stimmen SV 204。同じ曲を張り付けておく。
次に、Agostino SteffaniのStabat Materという曲。
次に、Heinrich Ignaz Franz von BiberのRosenkranzsonatenの中から、Sonate Nr 10 für Violine und Basso continuo in g mollという曲。
最後に、同じBiberのRequiem f-Moll。
終わったら拍手大喝采だった。上のリンクを今聞くと、めぎにはザルツブルク音楽祭の質の高さがよくわかる。教会での生コンサートという臨場感のせいもあるのかも知れないが、まさに天使が歌っているようだったり、天国から聞こえてくるような音色だったりしたのだ。存在すれば、の話だが。

かつて、今のようなエンターテインメントが何もなかった時代、働いて働いて、唯一のエンターテインメントは日曜日の教会のこの音楽だけだった時代、この整った美しい歌声・音色を聞けば人々が天国を信じたのは当然だったと思う。思えば西洋音楽は宗教音楽から発展したのであり、その後音楽はどんどんテーマも作曲法も自由になって行って、つまり羽目を外していって今に至っているわけだが、ひょっとしてそれは堕落したってことかも知れないな、と思った。規則に従って作られている昔の音楽の方が、心にすんなり響くように感じたのだ。規則というのは、人が安らかでいられるように作られたものだともいえるのかも。もちろん悪政のための規則もあるけど、普遍的な規則においては、ね。
この日の午後はずっと宿でゆっくりと過ごし、ブログを書いたりしていた。これは籠るつもりで予めカフェに寄って買ってきたアプリコットのシュトゥルデルというケーキ。

夕方には曇って来て雨が降ったが、その後持ち直していた。

この日までどこにも行かず、ブログを書いたほかは宿で音楽のことだけ考えて調べて聞いて、次の公演の予習をしたりして過ごしていた。最後には予習しながら(つまり音楽聞きながら)寝落ち。うーん、最高の夏休み。
23日の朝は快晴だった。
この日は11時に教会コンサート。
先日夜に来たKollegienkircheである。
今日も人がいっぱい来ているな~
…と思って写していたら…
ヒンターホイザー(ザルツブルク音楽祭の音楽部門の総支配人=芸術総監督)がいた。
中は光が入って美しかった。
この日の演目もOuverture spirituelleの枠組みの中のコンサートで、内容についてはこちら(ドイツ語)。1時間ほどの時間に次の4曲が演奏された。まず、モンテヴェルディのLaetaniae della Beata Vergine für sechs Stimmen SV 204。同じ曲を張り付けておく。
次に、Agostino SteffaniのStabat Materという曲。
次に、Heinrich Ignaz Franz von BiberのRosenkranzsonatenの中から、Sonate Nr 10 für Violine und Basso continuo in g mollという曲。
最後に、同じBiberのRequiem f-Moll。
終わったら拍手大喝采だった。上のリンクを今聞くと、めぎにはザルツブルク音楽祭の質の高さがよくわかる。教会での生コンサートという臨場感のせいもあるのかも知れないが、まさに天使が歌っているようだったり、天国から聞こえてくるような音色だったりしたのだ。存在すれば、の話だが。
かつて、今のようなエンターテインメントが何もなかった時代、働いて働いて、唯一のエンターテインメントは日曜日の教会のこの音楽だけだった時代、この整った美しい歌声・音色を聞けば人々が天国を信じたのは当然だったと思う。思えば西洋音楽は宗教音楽から発展したのであり、その後音楽はどんどんテーマも作曲法も自由になって行って、つまり羽目を外していって今に至っているわけだが、ひょっとしてそれは堕落したってことかも知れないな、と思った。規則に従って作られている昔の音楽の方が、心にすんなり響くように感じたのだ。規則というのは、人が安らかでいられるように作られたものだともいえるのかも。もちろん悪政のための規則もあるけど、普遍的な規則においては、ね。
この日の午後はずっと宿でゆっくりと過ごし、ブログを書いたりしていた。これは籠るつもりで予めカフェに寄って買ってきたアプリコットのシュトゥルデルというケーキ。
夕方には曇って来て雨が降ったが、その後持ち直していた。

この日までどこにも行かず、ブログを書いたほかは宿で音楽のことだけ考えて調べて聞いて、次の公演の予習をしたりして過ごしていた。最後には予習しながら(つまり音楽聞きながら)寝落ち。うーん、最高の夏休み。
2023年7月24日ザルツブルク音楽祭など [2023年夏 ザルツブルク]
今日も数日遅れでザルツブルクのお話を。
なかなかおどろおどろしい空模様だった7月24日の朝。

でも空のこちら側はこんな綺麗だったので、散歩に出かけることにした。いっぱい休んで、やっと普通の元気が出てきたってことかな。

朝日の影が綺麗。

でも、岩山の上に来たら、雲が多くなっていた。

それから山の上をずっと歩いてノンベルク修道院へ。あのサウンドオブミュージックのマリアがいた修道院ね。ここももう何回目かなぁ…10回以上だわね。

それから娑婆に降りてきた。

宿に戻り一日ゆっくり過ごし、19時からのコンサートへ。直前に凄い雨が降ったのだが、行く時には上がってくれた。

この日もOuverture spirituelleのコンサートなのだが、今回の会場は教会ではなくフェルゼンライトシューレ。

あのサウンドオブミュージックでトラップ一家がコンテストに出る会場ね。

この日のコンサートの内容はこちら(ドイツ語)。演目はモーツァルトのレクイエムを中心に何曲か。指揮はManfred Honeckで、数人のオペラ歌手とバイエルン放送局合唱団とカメラータ・ザルツブルク(オケ)の演奏。
さて、この日のプログラムの内容を書くのはとても難しい。まずグレゴリオ聖歌のRequiem aeternamがどこからか響いてきた。バックステージで歌っているらしい。曲はこちら。
次にGyörgy Ligeti(ジェルジ・リゲティ)という現代作曲家(2006年没)のLux aeterna(永遠の光)。映画「2001年宇宙の旅」で使われた音楽。それについてはこちらを参照。
そのあと鐘の音が3回。それに引き続き、モーツァルトの1787年4月4日付の父親宛の手紙の朗読。その後、モーツァルトのMaurerische Trauermusik c-Moll KV 477 (479a)。
次にまたグレゴリオ聖歌(Domine, exaudi orationem meam)。
そのあとモーツァルトのLaudate Dominum。これを歌ったソプラノ歌手の声がこのときとても美しかった。だからほかの歌手のを張り付けたくなくて、ボーイソプラノのを選んだ。
歌ったのはKatharina Konradiという歌手で、これは今回のコンサートの演目ではないが、どんな声か一つ張り付けておく。
次に、またグレゴリオ聖歌(In quacumque die)。
そのあとNelly Sachsの詩の朗読。彼女についてはこちらを参照。そのあとモーツァルトのレクイエムの1 Requiemと2 Kyrie(曲は後程)。そのあとヨハネの黙示録の朗読。そのあとグレゴリオ聖歌(Christus factus est)。
そのあとモーツァルトのレクイエムの3 Sequenz(曲は後程)。次にヨハネの黙示録の朗読の続き。そしてまたモーツァルトのレクイエム。今度は最後の4 Offertoriumで、未完のまま演奏。つまりよく演奏されているバージョンの弟子が後で最後まで作った作品ではなく、モーツァルトの絶筆までで、尻切れトンボで終わった(だから、YouTubeで同じものが見つけられなかった)。
続いてAve verum corpus für gemischten Chor, Orchester und Orgel KV618が奏でられた。
最後に鐘の音が3回。
この、ある意味演出された死の世界への序曲のようなコンサートで、これが良いのかどうか何とも言えないのだが(めぎ的には朗読は一切必要なかった…朗読を聞くたびに娑婆に引き戻されたので。音楽だけだったらあの世に引きずり込まれたかも知れない)、ある意味トランス状態になったことは確かである。総立ちのスタンディングオベーションだった。

上のトリミング。Manfred Honeckという指揮者、凄いなあ。

なんだか放心状態でここを去った。

さて、このモーツァルトのレクイエムだが、めぎの好きなクルレンツィスも2017年にザルツブルクでこの曲を演奏していた。弟子の完成させた全曲の演奏であるが、それを張り付けておく。この古楽器での演奏がいい。モーツァルトの時代の音である。
もう一つ、ガーディナーも同じく全曲演奏。
帰るときには土砂降りだった。濡れて帰り、髪を乾かしたもののあとはかなりぼんやりしてまもなく就寝。その夜、自分が死を迎えるという夢を見たのは、このコンサートの所為である。いつ死んでも悔いのないように生きてきたつもりだったけれど、いざ死を目の前にしたら、ああもうちょっと生きたかったな~と強く感じた、という夢であった。このコンサート、凄い影響力だった…
なかなかおどろおどろしい空模様だった7月24日の朝。
でも空のこちら側はこんな綺麗だったので、散歩に出かけることにした。いっぱい休んで、やっと普通の元気が出てきたってことかな。
朝日の影が綺麗。
でも、岩山の上に来たら、雲が多くなっていた。
それから山の上をずっと歩いてノンベルク修道院へ。あのサウンドオブミュージックのマリアがいた修道院ね。ここももう何回目かなぁ…10回以上だわね。
それから娑婆に降りてきた。
宿に戻り一日ゆっくり過ごし、19時からのコンサートへ。直前に凄い雨が降ったのだが、行く時には上がってくれた。
この日もOuverture spirituelleのコンサートなのだが、今回の会場は教会ではなくフェルゼンライトシューレ。
あのサウンドオブミュージックでトラップ一家がコンテストに出る会場ね。
この日のコンサートの内容はこちら(ドイツ語)。演目はモーツァルトのレクイエムを中心に何曲か。指揮はManfred Honeckで、数人のオペラ歌手とバイエルン放送局合唱団とカメラータ・ザルツブルク(オケ)の演奏。
さて、この日のプログラムの内容を書くのはとても難しい。まずグレゴリオ聖歌のRequiem aeternamがどこからか響いてきた。バックステージで歌っているらしい。曲はこちら。
次にGyörgy Ligeti(ジェルジ・リゲティ)という現代作曲家(2006年没)のLux aeterna(永遠の光)。映画「2001年宇宙の旅」で使われた音楽。それについてはこちらを参照。
そのあと鐘の音が3回。それに引き続き、モーツァルトの1787年4月4日付の父親宛の手紙の朗読。その後、モーツァルトのMaurerische Trauermusik c-Moll KV 477 (479a)。
次にまたグレゴリオ聖歌(Domine, exaudi orationem meam)。
そのあとモーツァルトのLaudate Dominum。これを歌ったソプラノ歌手の声がこのときとても美しかった。だからほかの歌手のを張り付けたくなくて、ボーイソプラノのを選んだ。
歌ったのはKatharina Konradiという歌手で、これは今回のコンサートの演目ではないが、どんな声か一つ張り付けておく。
次に、またグレゴリオ聖歌(In quacumque die)。
そのあとNelly Sachsの詩の朗読。彼女についてはこちらを参照。そのあとモーツァルトのレクイエムの1 Requiemと2 Kyrie(曲は後程)。そのあとヨハネの黙示録の朗読。そのあとグレゴリオ聖歌(Christus factus est)。
そのあとモーツァルトのレクイエムの3 Sequenz(曲は後程)。次にヨハネの黙示録の朗読の続き。そしてまたモーツァルトのレクイエム。今度は最後の4 Offertoriumで、未完のまま演奏。つまりよく演奏されているバージョンの弟子が後で最後まで作った作品ではなく、モーツァルトの絶筆までで、尻切れトンボで終わった(だから、YouTubeで同じものが見つけられなかった)。
続いてAve verum corpus für gemischten Chor, Orchester und Orgel KV618が奏でられた。
最後に鐘の音が3回。
この、ある意味演出された死の世界への序曲のようなコンサートで、これが良いのかどうか何とも言えないのだが(めぎ的には朗読は一切必要なかった…朗読を聞くたびに娑婆に引き戻されたので。音楽だけだったらあの世に引きずり込まれたかも知れない)、ある意味トランス状態になったことは確かである。総立ちのスタンディングオベーションだった。
上のトリミング。Manfred Honeckという指揮者、凄いなあ。
なんだか放心状態でここを去った。
さて、このモーツァルトのレクイエムだが、めぎの好きなクルレンツィスも2017年にザルツブルクでこの曲を演奏していた。弟子の完成させた全曲の演奏であるが、それを張り付けておく。この古楽器での演奏がいい。モーツァルトの時代の音である。
もう一つ、ガーディナーも同じく全曲演奏。
帰るときには土砂降りだった。濡れて帰り、髪を乾かしたもののあとはかなりぼんやりしてまもなく就寝。その夜、自分が死を迎えるという夢を見たのは、このコンサートの所為である。いつ死んでも悔いのないように生きてきたつもりだったけれど、いざ死を目の前にしたら、ああもうちょっと生きたかったな~と強く感じた、という夢であった。このコンサート、凄い影響力だった…
2023年7月25日ザルツブルクにて [2023年夏 ザルツブルク]
今日は7月25日のお話を。
この日、曇り時々雨という一日。朝、雨の上がっているうちに新聞とパンを買いに出かけた。今年は基本的にこの屋台でパンを買っている。聖霊降臨祭のときにうちのドイツ人と買ってみて、美味しかったので。

あまり写真を撮ろうという気分にならず、これで宿に帰ることにする。

ドイツかららしい修学旅行らしき団体。先生が生徒たちに呼びかけるドイツ語がオーストリア訛りではなかったので、ドイツからかな、と。

それから一日、雨なのでどこにも出かけず、宿でゆっくり今後の予習と計画。計画というのは、そろそろ滞在も半分になるので、後半に一回ぐらいはレストランに行って食べようとか、天気予報を見ていつどの辺に散歩に行こうかな、などと。
そして、夜。20時半からのコンサートに20時10分ごろ行こうとしたときに土砂降りの雨と強風になって、どうしましょ~諦めようかな…と思ったが、あと5分という時になって小降りになったので駆け付けた。宿から歩いて3分の立地のおかげ。場所はまたKollegienkircheで、Ouverture spirituelleの枠内の教会コンサート。内容についてはこちら。行ってみたら人がいっぱいで、みんなあの雨の中でもちゃんと来たのね…めぎが到着してから5分後ぐらいにコンサートが始まった。
最初の曲は16世紀のフランドル学派の作曲家Orlando di Lasso(彼についてはこちら)のProphetiae Sibyllarum — Motetten-Zyklus auf Sprüche der Sibyllenと言い、下の曲全部ではなく3曲目、10曲目、1曲目のみ。
15分ぐらいの上記の曲の後、引き続いてこの日の主作品、Wolfgang RihmのET LUX für Vokalensemble und Streichquartetに移る。Rihmはまだ存命の作曲家で(彼についてはこちら)、めぎは以前にザルツブルクで彼のオペラ「メキシコの征服」を見て感動し、次に見たオペラ「エディプス王」も面白かったので今回このコンサートに行くことを決めた。ET LUXは2009年作曲の現代音楽。正直なところ、この曲を理解するにはめぎは勉強不足。オペラと違って舞台を見て理解することができないので、曲だけだと全然わからないのだ。テキストはパンフレットに載っているので、何について歌っているかは読めばわかるのだけど、ふわふわした感じで聞き取れないのでどこを歌っているのかわからないし…
というわけで、今回は現代音楽の響きに宙づりになったような気分だけで終わった。あとで新聞の批評を読んだところによると、親しみやすかったらしいんだけど。むむむ…

↑上のトリミング。

この日でKollegienkircheでのOuverture spirituelleのコンサートは終わり、あと2演目残っているがそれは別の会場で。
この日、曇り時々雨という一日。朝、雨の上がっているうちに新聞とパンを買いに出かけた。今年は基本的にこの屋台でパンを買っている。聖霊降臨祭のときにうちのドイツ人と買ってみて、美味しかったので。
あまり写真を撮ろうという気分にならず、これで宿に帰ることにする。
ドイツかららしい修学旅行らしき団体。先生が生徒たちに呼びかけるドイツ語がオーストリア訛りではなかったので、ドイツからかな、と。
それから一日、雨なのでどこにも出かけず、宿でゆっくり今後の予習と計画。計画というのは、そろそろ滞在も半分になるので、後半に一回ぐらいはレストランに行って食べようとか、天気予報を見ていつどの辺に散歩に行こうかな、などと。
そして、夜。20時半からのコンサートに20時10分ごろ行こうとしたときに土砂降りの雨と強風になって、どうしましょ~諦めようかな…と思ったが、あと5分という時になって小降りになったので駆け付けた。宿から歩いて3分の立地のおかげ。場所はまたKollegienkircheで、Ouverture spirituelleの枠内の教会コンサート。内容についてはこちら。行ってみたら人がいっぱいで、みんなあの雨の中でもちゃんと来たのね…めぎが到着してから5分後ぐらいにコンサートが始まった。
最初の曲は16世紀のフランドル学派の作曲家Orlando di Lasso(彼についてはこちら)のProphetiae Sibyllarum — Motetten-Zyklus auf Sprüche der Sibyllenと言い、下の曲全部ではなく3曲目、10曲目、1曲目のみ。
15分ぐらいの上記の曲の後、引き続いてこの日の主作品、Wolfgang RihmのET LUX für Vokalensemble und Streichquartetに移る。Rihmはまだ存命の作曲家で(彼についてはこちら)、めぎは以前にザルツブルクで彼のオペラ「メキシコの征服」を見て感動し、次に見たオペラ「エディプス王」も面白かったので今回このコンサートに行くことを決めた。ET LUXは2009年作曲の現代音楽。正直なところ、この曲を理解するにはめぎは勉強不足。オペラと違って舞台を見て理解することができないので、曲だけだと全然わからないのだ。テキストはパンフレットに載っているので、何について歌っているかは読めばわかるのだけど、ふわふわした感じで聞き取れないのでどこを歌っているのかわからないし…
というわけで、今回は現代音楽の響きに宙づりになったような気分だけで終わった。あとで新聞の批評を読んだところによると、親しみやすかったらしいんだけど。むむむ…
↑上のトリミング。
この日でKollegienkircheでのOuverture spirituelleのコンサートは終わり、あと2演目残っているがそれは別の会場で。
2023年7月26日ザルツブルクにて [2023年夏 ザルツブルク]
今日は7月26日のお話を。
この日、雨がちの一日でググっと冷えた。最高気温が17℃とのこと。こんな格好で歩いてる。このコート、なんと綿入り。

雨が上がっているうちにちょこっと行ってみようと、いつもの墓地へやってきた。サウンドオブミュージックのあの緊迫した墓地に隠れるシーンのインスピレーションの元となった墓地である。(実際はセットを作って撮影したとのこと。)

雨の所為か観光客も全然いなくて、しっとりとした静かな墓地を見ることができた。

紫陽花が綺麗に咲いていた。つまり、北海道より気温が低いということね。今年は南欧の方はすごい暑さだし、ここはこんな状況で、過ごしやすくて有り難いけど、ちょっと寒すぎかな…

ここで、いつもお参りしているお墓を確認。あの女性、まだご存命のようだ。よかった。ちゃんと蠟燭が灯っている。きっとお近くにお住まいでよく来ているということね。

それからそのすぐ近くの聖ペーター教会へ。

宿に帰りついたら土砂降りとなり、その後も雨と曇りとわずかな日差しを目まぐるしく繰り返す一日だった。

この日の夜はOuverture spirituelleの枠内のコンサートだが、教会ではなくフェルゼンライトシューレで。ざっと見渡してもアジア人の全く見当たらない会場。ここまで教会コンサートを含め、アジア人の観客はめぎ一人だったかもしれない。やっぱり宗教音楽にはなじみが薄いということかしらね。

内容や出演者についてはこちら(ドイツ語)。演目はハイドンの「天地創造」。曲についてはこちら。どんな曲か興味のある方は下の映像をどうぞ。
実際にめぎが見たのはJordi Savall指揮のLe Concert des Nationsという古楽器のオーケストラの演奏で、響きは上の一般的な大編成の現在の楽器のオーケストラと全く異なる。めぎは作曲家の時代の楽器で演奏する試みが好きで、往年の名指揮者の演奏でもちょっと残念に感じてしまう。今回聞いた響きはこれに近い。
幕間の休憩中。

ホント、アジアの人をここまで見かけないのは初めてかも。

終わった後は、先日のモーツァルトのレクイエムのような総立ちではなかったが、お客さんたちは喝采を惜しまず、長い間温かい拍手を送り続けていた。

↑上のトリミング。今回会場にはCoopix Aを持ち込んでいるのだが、APS-Cのセンサーなので写りも結構いいし、35㎜換算で28㎜の単焦点なのだけどトリミング耐性もそこそこよく、かなり満足。

ところで、この日のテノールのソロとして出ていた歌手が中国人のMingjie Leiという人なのだが、この人、数年前にこの映像を見つけてから名前と顔を覚えていた。なんとザルツブルク音楽祭に出るまでになったのね。今年はもう一つ、聖ペーター教会でのモーツァルトのハ短調ミサ曲(ザルツブルク音楽祭でかなり重要な位置を占めているコンサート)にも出ることになっている。すっかり世界に認められたということだわね。このまま常連に定着するかな。どうかな。
日本からもこんな風に誰か出てこないかなあ…世界で活躍したという触れ込みで日本で有名でも、なかなかこちらのオペラに定着して出続ける人っていなくてねぇ…いつかザルツブルク音楽祭レベルでピアノの内田光子さんみたいに常連になって出演するような人が出てきてくれたらいいな。
この日、雨がちの一日でググっと冷えた。最高気温が17℃とのこと。こんな格好で歩いてる。このコート、なんと綿入り。
雨が上がっているうちにちょこっと行ってみようと、いつもの墓地へやってきた。サウンドオブミュージックのあの緊迫した墓地に隠れるシーンのインスピレーションの元となった墓地である。(実際はセットを作って撮影したとのこと。)
雨の所為か観光客も全然いなくて、しっとりとした静かな墓地を見ることができた。
紫陽花が綺麗に咲いていた。つまり、北海道より気温が低いということね。今年は南欧の方はすごい暑さだし、ここはこんな状況で、過ごしやすくて有り難いけど、ちょっと寒すぎかな…
ここで、いつもお参りしているお墓を確認。あの女性、まだご存命のようだ。よかった。ちゃんと蠟燭が灯っている。きっとお近くにお住まいでよく来ているということね。
それからそのすぐ近くの聖ペーター教会へ。
宿に帰りついたら土砂降りとなり、その後も雨と曇りとわずかな日差しを目まぐるしく繰り返す一日だった。
この日の夜はOuverture spirituelleの枠内のコンサートだが、教会ではなくフェルゼンライトシューレで。ざっと見渡してもアジア人の全く見当たらない会場。ここまで教会コンサートを含め、アジア人の観客はめぎ一人だったかもしれない。やっぱり宗教音楽にはなじみが薄いということかしらね。
内容や出演者についてはこちら(ドイツ語)。演目はハイドンの「天地創造」。曲についてはこちら。どんな曲か興味のある方は下の映像をどうぞ。
実際にめぎが見たのはJordi Savall指揮のLe Concert des Nationsという古楽器のオーケストラの演奏で、響きは上の一般的な大編成の現在の楽器のオーケストラと全く異なる。めぎは作曲家の時代の楽器で演奏する試みが好きで、往年の名指揮者の演奏でもちょっと残念に感じてしまう。今回聞いた響きはこれに近い。
幕間の休憩中。
ホント、アジアの人をここまで見かけないのは初めてかも。
終わった後は、先日のモーツァルトのレクイエムのような総立ちではなかったが、お客さんたちは喝采を惜しまず、長い間温かい拍手を送り続けていた。
↑上のトリミング。今回会場にはCoopix Aを持ち込んでいるのだが、APS-Cのセンサーなので写りも結構いいし、35㎜換算で28㎜の単焦点なのだけどトリミング耐性もそこそこよく、かなり満足。
ところで、この日のテノールのソロとして出ていた歌手が中国人のMingjie Leiという人なのだが、この人、数年前にこの映像を見つけてから名前と顔を覚えていた。なんとザルツブルク音楽祭に出るまでになったのね。今年はもう一つ、聖ペーター教会でのモーツァルトのハ短調ミサ曲(ザルツブルク音楽祭でかなり重要な位置を占めているコンサート)にも出ることになっている。すっかり世界に認められたということだわね。このまま常連に定着するかな。どうかな。
日本からもこんな風に誰か出てこないかなあ…世界で活躍したという触れ込みで日本で有名でも、なかなかこちらのオペラに定着して出続ける人っていなくてねぇ…いつかザルツブルク音楽祭レベルでピアノの内田光子さんみたいに常連になって出演するような人が出てきてくれたらいいな。
2023年7月27~29日ザルツブルクにて [2023年夏 ザルツブルク]
今日は一気に3日分のことを短くちょっとだけ。
というのは、この3日間、めぎのブログを見てくださっている方とザルツブルクでオフ会をしたので。どなたとでしょうか?うふふ♪

オフ会の目的は音楽祭に一緒に行くことなのだけど、もちろんめぎ的見どころにご案内もしたし、美味しいものも♪ これはこれだけで幸せになった絶品のフォアグラの前菜で…

これは一品目よりは驚きにかけるけどとっても美味しかったジロールタケ入りのイワナ料理で…

デザートはオーストリアならではのアプリコットのバリエーション。

ビールと白ワインとコーヒーの飲み物も入れてお一人様100ユーロ♪ 3時間かけてゆっくりおしゃべりしながら完食。
有難いことに27日から気温が上がって28日のこの日は26℃ぐらいになった。そんな訳でまた一気に軽装、周りにはこんな皆様が。

詳しくは後日、帰宅してから。
というのは、この3日間、めぎのブログを見てくださっている方とザルツブルクでオフ会をしたので。どなたとでしょうか?うふふ♪

オフ会の目的は音楽祭に一緒に行くことなのだけど、もちろんめぎ的見どころにご案内もしたし、美味しいものも♪ これはこれだけで幸せになった絶品のフォアグラの前菜で…

これは一品目よりは驚きにかけるけどとっても美味しかったジロールタケ入りのイワナ料理で…

デザートはオーストリアならではのアプリコットのバリエーション。

ビールと白ワインとコーヒーの飲み物も入れてお一人様100ユーロ♪ 3時間かけてゆっくりおしゃべりしながら完食。
有難いことに27日から気温が上がって28日のこの日は26℃ぐらいになった。そんな訳でまた一気に軽装、周りにはこんな皆様が。

詳しくは後日、帰宅してから。
2023年7月27日と28日のザルツブルク音楽祭 [2023年夏 ザルツブルク]
今日も数日遅れでザルツブルク音楽祭でのお話を。
ザルツブルクでのオフ会のお相手はおとさん。ピアノをお弾きになる話をブログで紹介していらっしゃるので、ザルツブルク音楽祭に来ませんか、とお誘いしたのが今年の初めだったか去年の暮れだったか。うまく都合があってチケットを申し込み&無事に取れ、ロンドンから来てくださってザルツブルク音楽祭でお会いすることが叶った。

27日はご一緒に祝祭劇場のピアノのコンサートへ。

この日から、これまでのOuverture spirituelleのテーマとは全く別の、オペラやリサイタルなどの様々なプログラムがスタート。その一つがDaniil Trifonovという2011年ショパンコンクール3位、チャイコフスキーコンクール優勝のロシア人ピアニストのソロコンサート。曲目など内容についてはこちら(ドイツ語)。一曲目はチャイコフスキーの「子供のアルバム」。彼の演奏はこちらの演奏よりずっと早く、めぎ的にはこれがこの日の彼の演奏の中で最も素晴らしく、印象に残った。ロシア人によるロシアの曲の演奏、という感じがしっくりとしたからだ。彼の演奏、彼の解釈、というのがよくわかるプログラムだった。
彼に関しては今回何を弾いたかよりも彼の演奏そのものについての方が興味深いかなと思うので、この中に今回弾いたものは一つもないけど、2019年のリサイタルの映像を張り付けておく。
↑上の映像の最後の方を聞いていただければわかるように、超絶技法の演奏はものすごく素晴らしい。ありえない名人芸を見る、という感じ。それを楽しみに見に来た人たちが、演奏が終わるのを待ちかねるように飛び上がってスタンディングオベーションをするというコンサートだった。こんな大きなホールが満席で、みんながウォーと唸り声をあげて総立ちで拍手。凄いね。

しかしめぎはなんと言うか、あまり好きになれなかった。今回彼が弾いた曲の中のモーツァルトの演奏があまり好みじゃなかったし、超絶技巧はハイ素晴らしいですだけでそれ以外に感じるものがなかったし、上着なしでの演奏もただだらしなく見えるだけだったし、出たり入ったりお辞儀したりする雰囲気もあまり…ファンの方、ごめんなさい。

おとさんの感想は、このピアノにこのホールは大きすぎてもったいない、もっと近くで聞きたい、とのこと。うん、たしかに、良しあしを決めるには遠すぎたかな。まあ20ユーロの安い席で大きなホールの一番後ろだったから仕方がないけど。なんと言うか、ロックフェスでも見に行ったような感じで、でもスクリーンはないしスピーカーもないから豆粒でよく見えないしよく聞こえない、でもファンみんなで一体感を感じるには最高、ファンじゃない人間にとっては違和感、という感じかな…
次に、7月28日。この日の音楽祭は夜遅く、22時からのコンサート。しかも川の反対側のホールにて。これは行く時に写した夜のザルツブルク。

古い床にスタンウェイ。

場所はモーツァルテウム。

演目はベートーベンのバガテル3曲。詳しくはこちら(ドイツ語)。Pierre-Laurent Aimardというフランス人のピアニスト。これも、この日に演奏した曲ではなく、この人がベートーベンをどう弾くかを聞いてほしいので、別の演目を張り付ける。非常に個性的で、重く弾くタイプ。おとさんの言葉を借りると、「引っ張る」弾き方。
めぎ的にはベートーベンってこういう弾き方もあるんだ!とびっくりで、結構重すぎたのだけど、これまた熱狂的ファンがいて、凄いブラボー連発だった。

弾き方は我が道を行く感じだったが、とても控えめに拍手を受ける人だった。

ピアノのコンサートって、めぎはどうも鬼門なんだよなぁ…手放しで感動したことが未だ無い。いつもザルツブルク音楽祭でこうやってチャレンジするのだが、今年もやっぱり駄目だった。誰の何を聞けば感動できるのか、全然見当がつかない…
とにもかくにも、うちのドイツ人が来ていない今回、おとさんが来てくれてやっと音楽祭の公演の後にどうだったどう思ったと話せる相手ができて、めぎはとても楽しかった。
29日の話はまた明日。
ザルツブルクでのオフ会のお相手はおとさん。ピアノをお弾きになる話をブログで紹介していらっしゃるので、ザルツブルク音楽祭に来ませんか、とお誘いしたのが今年の初めだったか去年の暮れだったか。うまく都合があってチケットを申し込み&無事に取れ、ロンドンから来てくださってザルツブルク音楽祭でお会いすることが叶った。
27日はご一緒に祝祭劇場のピアノのコンサートへ。
この日から、これまでのOuverture spirituelleのテーマとは全く別の、オペラやリサイタルなどの様々なプログラムがスタート。その一つがDaniil Trifonovという2011年ショパンコンクール3位、チャイコフスキーコンクール優勝のロシア人ピアニストのソロコンサート。曲目など内容についてはこちら(ドイツ語)。一曲目はチャイコフスキーの「子供のアルバム」。彼の演奏はこちらの演奏よりずっと早く、めぎ的にはこれがこの日の彼の演奏の中で最も素晴らしく、印象に残った。ロシア人によるロシアの曲の演奏、という感じがしっくりとしたからだ。彼の演奏、彼の解釈、というのがよくわかるプログラムだった。
彼に関しては今回何を弾いたかよりも彼の演奏そのものについての方が興味深いかなと思うので、この中に今回弾いたものは一つもないけど、2019年のリサイタルの映像を張り付けておく。
↑上の映像の最後の方を聞いていただければわかるように、超絶技法の演奏はものすごく素晴らしい。ありえない名人芸を見る、という感じ。それを楽しみに見に来た人たちが、演奏が終わるのを待ちかねるように飛び上がってスタンディングオベーションをするというコンサートだった。こんな大きなホールが満席で、みんながウォーと唸り声をあげて総立ちで拍手。凄いね。
しかしめぎはなんと言うか、あまり好きになれなかった。今回彼が弾いた曲の中のモーツァルトの演奏があまり好みじゃなかったし、超絶技巧はハイ素晴らしいですだけでそれ以外に感じるものがなかったし、上着なしでの演奏もただだらしなく見えるだけだったし、出たり入ったりお辞儀したりする雰囲気もあまり…ファンの方、ごめんなさい。
おとさんの感想は、このピアノにこのホールは大きすぎてもったいない、もっと近くで聞きたい、とのこと。うん、たしかに、良しあしを決めるには遠すぎたかな。まあ20ユーロの安い席で大きなホールの一番後ろだったから仕方がないけど。なんと言うか、ロックフェスでも見に行ったような感じで、でもスクリーンはないしスピーカーもないから豆粒でよく見えないしよく聞こえない、でもファンみんなで一体感を感じるには最高、ファンじゃない人間にとっては違和感、という感じかな…
次に、7月28日。この日の音楽祭は夜遅く、22時からのコンサート。しかも川の反対側のホールにて。これは行く時に写した夜のザルツブルク。
古い床にスタンウェイ。
場所はモーツァルテウム。
演目はベートーベンのバガテル3曲。詳しくはこちら(ドイツ語)。Pierre-Laurent Aimardというフランス人のピアニスト。これも、この日に演奏した曲ではなく、この人がベートーベンをどう弾くかを聞いてほしいので、別の演目を張り付ける。非常に個性的で、重く弾くタイプ。おとさんの言葉を借りると、「引っ張る」弾き方。
めぎ的にはベートーベンってこういう弾き方もあるんだ!とびっくりで、結構重すぎたのだけど、これまた熱狂的ファンがいて、凄いブラボー連発だった。
弾き方は我が道を行く感じだったが、とても控えめに拍手を受ける人だった。
ピアノのコンサートって、めぎはどうも鬼門なんだよなぁ…手放しで感動したことが未だ無い。いつもザルツブルク音楽祭でこうやってチャレンジするのだが、今年もやっぱり駄目だった。誰の何を聞けば感動できるのか、全然見当がつかない…
とにもかくにも、うちのドイツ人が来ていない今回、おとさんが来てくれてやっと音楽祭の公演の後にどうだったどう思ったと話せる相手ができて、めぎはとても楽しかった。
29日の話はまた明日。
2023年7月29日ザルツブルク音楽祭その1 [2023年夏 ザルツブルク]
今日は7月29日のお話を。
おとさんとのオフ会3日目、まず朝は市場に行ったのだけど、その話はいつか日を改めて。
ザルツブルク音楽祭は、まず11時からのコンサート。また川を渡る。

会場は前日夜に引き続きモーツァルテウム。

この日はモーツァルト・マチネーという昼のコンサート。出演者や演目など詳しくはこちら(ドイツ語)。この日のテーマは、モーツァルトの「始まりと終わり」で、まず最初はモーツァルト16歳の時の作品、Symphonie G-Dur KV 124。とても初々しい作品。
次に、モーツァルト21歳の時の作品、Konzert für Klavier und Orchester Es-Dur KV 271 „Jeunehomme“。同じ場所でかつて内田光子さんが弾いているのを見つけたので張り付けておく。
めぎたちが見た日のピアノは、2011年チャイコフスキーコンクール第3位、2015年ショパンコンクール優勝の29歳の韓国人のピアニストSeong-Jin Cho。彼のこの日の演奏がすでに音声のみだけどYouTubeに出ていた!
↑この人の演奏は、完璧でちょっとまだ機械的な音だがフレッシュで若さが満ち溢れてて慎み深くもエネルギッシュで、ものすごく美しかった。終わって拍手を受けている彼を見て、涙が出たほど感動した。

ああ若いって素敵だなあ。この人、これからどこまで羽ばたいていくのかなあ…またザルツブルクで会えるかしら。今回はオケとの共演だけど、彼のリサイタルを聞いたら、やっと感動できるかもしれないな…

韓国人の観客が多かった。ファンもいっぱいいそう。

休憩中、おとさんのいる二階席に遊びに行ってパチリ。おとさんも彼の若さと綺麗な音に感動してて、二人で「若いっていいねえ、このままいってほしいねぇ」と意気投合。

さて、フレッシュな感動の余韻を切り替え、休憩の後、またオーケストラだけの編成に戻る。最初の演目はOuvertüre zur Azione sacra Betulia liberata KV 118 (74c)。モーツァルトが15歳の時の曲。
そして最後に、いきなり飛んでモーツァルト32歳の時の作品、Symphonie g-Moll KV 550。35歳で亡くなるので、ほぼ晩年の作品。すっかり成熟した調べ。例としては、本当はめぎ一番の押しのクルレンツィス指揮の2021年ザルツブルク音楽祭のを貼りたいところなのだけど、その映像がYouTubeに無いので、代わりにアーノンクールのを。下の32分30秒ぐらいから。
この日の指揮者はIvor Bolton、オーケストラはモーツァルテウム管弦楽団で、Boltonが長い間首席指揮者として仕事をしたオケなので息もぴったり。お互いによく分かり合っていて、かつ尊敬・尊重しあっているというのが聞いていてよくわかり、気持ちのいい演奏だった。40番ではもっとピアニッシモを、もっと間を取って、もっと緊張感を、などといくつか思うところはあったが、Boltonの解釈も納得できた。なんと言うか、この40番はもっと実存をかけた緊張感のある作品だと思うのだが、彼の解釈は、とてもエレガントな作品、という感じだった。オケの一つ一つの音が立って聞こえたのはとても良かったと思う。このコンサート、こちらで前半、こちらで後半がオンデマンドで聞ける。でもたぶん7日間、つまり2023年8月6日までだと思う。

終わってちょっと近くを散歩して、それからお昼をめぎの部屋で食べながら音楽のことやら海外暮らしのことやらおしゃべりに花が咲き、夕方休憩に一時解散。

夜のオペラの話はまた明日。
おとさんとのオフ会3日目、まず朝は市場に行ったのだけど、その話はいつか日を改めて。
ザルツブルク音楽祭は、まず11時からのコンサート。また川を渡る。
会場は前日夜に引き続きモーツァルテウム。
この日はモーツァルト・マチネーという昼のコンサート。出演者や演目など詳しくはこちら(ドイツ語)。この日のテーマは、モーツァルトの「始まりと終わり」で、まず最初はモーツァルト16歳の時の作品、Symphonie G-Dur KV 124。とても初々しい作品。
次に、モーツァルト21歳の時の作品、Konzert für Klavier und Orchester Es-Dur KV 271 „Jeunehomme“。同じ場所でかつて内田光子さんが弾いているのを見つけたので張り付けておく。
めぎたちが見た日のピアノは、2011年チャイコフスキーコンクール第3位、2015年ショパンコンクール優勝の29歳の韓国人のピアニストSeong-Jin Cho。彼のこの日の演奏がすでに音声のみだけどYouTubeに出ていた!
↑この人の演奏は、完璧でちょっとまだ機械的な音だがフレッシュで若さが満ち溢れてて慎み深くもエネルギッシュで、ものすごく美しかった。終わって拍手を受けている彼を見て、涙が出たほど感動した。
ああ若いって素敵だなあ。この人、これからどこまで羽ばたいていくのかなあ…またザルツブルクで会えるかしら。今回はオケとの共演だけど、彼のリサイタルを聞いたら、やっと感動できるかもしれないな…
韓国人の観客が多かった。ファンもいっぱいいそう。
休憩中、おとさんのいる二階席に遊びに行ってパチリ。おとさんも彼の若さと綺麗な音に感動してて、二人で「若いっていいねえ、このままいってほしいねぇ」と意気投合。
さて、フレッシュな感動の余韻を切り替え、休憩の後、またオーケストラだけの編成に戻る。最初の演目はOuvertüre zur Azione sacra Betulia liberata KV 118 (74c)。モーツァルトが15歳の時の曲。
そして最後に、いきなり飛んでモーツァルト32歳の時の作品、Symphonie g-Moll KV 550。35歳で亡くなるので、ほぼ晩年の作品。すっかり成熟した調べ。例としては、本当はめぎ一番の押しのクルレンツィス指揮の2021年ザルツブルク音楽祭のを貼りたいところなのだけど、その映像がYouTubeに無いので、代わりにアーノンクールのを。下の32分30秒ぐらいから。
この日の指揮者はIvor Bolton、オーケストラはモーツァルテウム管弦楽団で、Boltonが長い間首席指揮者として仕事をしたオケなので息もぴったり。お互いによく分かり合っていて、かつ尊敬・尊重しあっているというのが聞いていてよくわかり、気持ちのいい演奏だった。40番ではもっとピアニッシモを、もっと間を取って、もっと緊張感を、などといくつか思うところはあったが、Boltonの解釈も納得できた。なんと言うか、この40番はもっと実存をかけた緊張感のある作品だと思うのだが、彼の解釈は、とてもエレガントな作品、という感じだった。オケの一つ一つの音が立って聞こえたのはとても良かったと思う。このコンサート、こちらで前半、こちらで後半がオンデマンドで聞ける。でもたぶん7日間、つまり2023年8月6日までだと思う。
終わってちょっと近くを散歩して、それからお昼をめぎの部屋で食べながら音楽のことやら海外暮らしのことやらおしゃべりに花が咲き、夕方休憩に一時解散。
夜のオペラの話はまた明日。
2023年7月29日ザルツブルク音楽祭その2 [2023年夏 ザルツブルク]
今日の話は7月29日の夜の話。
おとさんとのオフ会の最後の演目は、18時からのオペラ。

オペラのプルミエなんで、お洒落して出かけ、幕間にはテーブル予約もしてみた。

楽しいわ~♪

ゴージャスな方々に囲まれて、美味しく飲み、美味しく食べ、楽しく会話が弾んだ。

さて、この日のオペラはヴェルディのマクベスのプルミエ。演目の内容についてはこちら(ドイツ語)。めぎの大好きなソプラノ歌手Asmik Grigorianの歌声と、めぎの大好きな演出家Krzysztof Warlikowskiの新演出が楽しみだった。

マクベスの予習に使ったのは、ネトレプコがマクベス夫人を歌ったこちら。スカラのもあったのだけど、削除されちゃったみたい。
↑この完璧でどすの効いたネトレプコに対し、グリゴリアンがどう歌い、どう演じるのかが見もの。グリゴリアンは素晴らしい歌手だが、ヴェルディはほとんど歌ったことがない。苦手としている、という告白のインタビュー記事も事前に新聞に載ったほど果敢なチャレンジだったようだ。終わってみれば素晴らしくて拍手喝采だった半面、チャレンジしているんだな~というのが時々伝わる出来でもあった。ネトレプコと比べると、イタリアオペラ歌手の声の太さがないし、ヴェルディの調べはお安い御用という感じではないのだ。でも、繊細な心のひだを演じる迫真の演技で、こういうマクベス夫人の声と考えるとどすが効いてないのがあってるし、なるほど、と思う美しさに仕上げてあった。この辺り、どう批評されるかな。ネトレプコがドイツオペラに苦戦しているのを感じるのと同じかな…

Warlikowskiの演出もよかったが、2020年と21年に見たリヒャルト・シュトラウスの「エレクトラ」とほぼ同じと言えば同じで、これが彼の演出、と言えばそうだし、これ以上ネタがないのかなあと言えばまたそう。演出って、難しいわね。Warlikowskiは最前列右から2番目のちょっと小柄な瘦せた人。

終わってからビールで乾杯。めぎはその後2杯もお代わりし、おとさんもワインに切り替え、12時頃まで2時間半ぐらいおしゃべり。これでおとさんとのオフ会はおしまい(次の日11時にめぎはコンサートへ、おとさんは帰りの空港へ)。楽しかった~来てくれてどうもありがとう!
おとさんとのオフ会の最後の演目は、18時からのオペラ。
オペラのプルミエなんで、お洒落して出かけ、幕間にはテーブル予約もしてみた。
楽しいわ~♪
ゴージャスな方々に囲まれて、美味しく飲み、美味しく食べ、楽しく会話が弾んだ。
さて、この日のオペラはヴェルディのマクベスのプルミエ。演目の内容についてはこちら(ドイツ語)。めぎの大好きなソプラノ歌手Asmik Grigorianの歌声と、めぎの大好きな演出家Krzysztof Warlikowskiの新演出が楽しみだった。
マクベスの予習に使ったのは、ネトレプコがマクベス夫人を歌ったこちら。スカラのもあったのだけど、削除されちゃったみたい。
↑この完璧でどすの効いたネトレプコに対し、グリゴリアンがどう歌い、どう演じるのかが見もの。グリゴリアンは素晴らしい歌手だが、ヴェルディはほとんど歌ったことがない。苦手としている、という告白のインタビュー記事も事前に新聞に載ったほど果敢なチャレンジだったようだ。終わってみれば素晴らしくて拍手喝采だった半面、チャレンジしているんだな~というのが時々伝わる出来でもあった。ネトレプコと比べると、イタリアオペラ歌手の声の太さがないし、ヴェルディの調べはお安い御用という感じではないのだ。でも、繊細な心のひだを演じる迫真の演技で、こういうマクベス夫人の声と考えるとどすが効いてないのがあってるし、なるほど、と思う美しさに仕上げてあった。この辺り、どう批評されるかな。ネトレプコがドイツオペラに苦戦しているのを感じるのと同じかな…
Warlikowskiの演出もよかったが、2020年と21年に見たリヒャルト・シュトラウスの「エレクトラ」とほぼ同じと言えば同じで、これが彼の演出、と言えばそうだし、これ以上ネタがないのかなあと言えばまたそう。演出って、難しいわね。Warlikowskiは最前列右から2番目のちょっと小柄な瘦せた人。
終わってからビールで乾杯。めぎはその後2杯もお代わりし、おとさんもワインに切り替え、12時頃まで2時間半ぐらいおしゃべり。これでおとさんとのオフ会はおしまい(次の日11時にめぎはコンサートへ、おとさんは帰りの空港へ)。楽しかった~来てくれてどうもありがとう!
2023年7月30日のザルツブルク音楽祭その1 [2023年夏 ザルツブルク]
今日は7月30日のお話を。
まためぎ一人でのザルツブルクの日々が始まった。30日の音楽祭、まずは11時にこちらへ。

この日はオーケストラのコンサート。

内容についてはこちら(ドイツ語)。例のOuverture spirituelleという枠の「永遠の光」がテーマの今年最後のコンサートで、曲目はブラームスのドイツ・レクイエム。ティーレマン指揮でウィーンフィル。これに関しては、10月22日にNHKのBSプレミアムで放送予定とのこと。

ドイツ・レクイエムのコンサートはTV放送がすでにあった(VPNを使って見ようという方、オーストリアはこちら、ドイツはこちら)。Herbert Blomstedt指揮デンマーク放送管弦楽団のYouTubeのを参考に張り付けておく。
この日の指揮のティーレマンは今のクラシック界で一二を争う人気の有名指揮者だが、めぎは彼があまり好きではない。なんと言ったらいいか、優等生的指揮でどうもつまらなくて。しかし、長いことバイロイト音楽祭で指揮していたのにカタリーナ・ワーグナーと何かあったみたいでその仕事をやめたということで、へええちょっと見直したわ(ファンの方には申し訳ないが、めぎはカタリーナ・ワーグナーも好まない)と興味を持ち、見に行ってみることにしたのだった。ドイツ・レクイエムに興味があったのではなく、ウィーンフィルにでもなく、そんな動機で申し訳ないのだが。
いい意味で裏切られ、この日はめぎ的にとても納得のいくコンサートだった。ウィーンフィルは真剣に一生懸命全力で演奏していたし、ティーレマンも必死と言うか、やっぱりちょっと優等生的だけど、でもとても美しい場面がいくつかあって、彼の意図がよく分かった。合唱団が素晴らしく、ウィーンフィルより盛大なブラボーを受けていた。

また、右に写っている花束を持った女性ソプラノ歌手が、2020年と21年にザルツブルク音楽祭でコジ・ファン・トゥッテのフィオルディリージを歌っていた人で、とっても透明な美しい声なのでめぎは再会が嬉しかった。

ドイツでテレビ放送があったので、そのオンデマンドであとでうちのドイツ人と聞いてみるつもり。彼はなんと言うかな…
それから宿で一休みし、夜はオペラに行ったのだが、その話はまた明日。
まためぎ一人でのザルツブルクの日々が始まった。30日の音楽祭、まずは11時にこちらへ。
この日はオーケストラのコンサート。
内容についてはこちら(ドイツ語)。例のOuverture spirituelleという枠の「永遠の光」がテーマの今年最後のコンサートで、曲目はブラームスのドイツ・レクイエム。ティーレマン指揮でウィーンフィル。これに関しては、10月22日にNHKのBSプレミアムで放送予定とのこと。
ドイツ・レクイエムのコンサートはTV放送がすでにあった(VPNを使って見ようという方、オーストリアはこちら、ドイツはこちら)。Herbert Blomstedt指揮デンマーク放送管弦楽団のYouTubeのを参考に張り付けておく。
この日の指揮のティーレマンは今のクラシック界で一二を争う人気の有名指揮者だが、めぎは彼があまり好きではない。なんと言ったらいいか、優等生的指揮でどうもつまらなくて。しかし、長いことバイロイト音楽祭で指揮していたのにカタリーナ・ワーグナーと何かあったみたいでその仕事をやめたということで、へええちょっと見直したわ(ファンの方には申し訳ないが、めぎはカタリーナ・ワーグナーも好まない)と興味を持ち、見に行ってみることにしたのだった。ドイツ・レクイエムに興味があったのではなく、ウィーンフィルにでもなく、そんな動機で申し訳ないのだが。
いい意味で裏切られ、この日はめぎ的にとても納得のいくコンサートだった。ウィーンフィルは真剣に一生懸命全力で演奏していたし、ティーレマンも必死と言うか、やっぱりちょっと優等生的だけど、でもとても美しい場面がいくつかあって、彼の意図がよく分かった。合唱団が素晴らしく、ウィーンフィルより盛大なブラボーを受けていた。
また、右に写っている花束を持った女性ソプラノ歌手が、2020年と21年にザルツブルク音楽祭でコジ・ファン・トゥッテのフィオルディリージを歌っていた人で、とっても透明な美しい声なのでめぎは再会が嬉しかった。
ドイツでテレビ放送があったので、そのオンデマンドであとでうちのドイツ人と聞いてみるつもり。彼はなんと言うかな…
それから宿で一休みし、夜はオペラに行ったのだが、その話はまた明日。
2023年7月30日ザルツブルク音楽祭その2 [2023年夏 ザルツブルク]
今日は7月30日の夜のお話を。
夜はオペラ。

ゴージャスな方々と、それを見に来ているやじ馬多数。

上からの眺め。

雨が降らなくてよかった…今夏のザルツブルクは雨が多く、傘を持って行くか否か、毎回悩んだ。

この日の会場は「モーツァルトのための劇場」というところで、昨日の記事の祝祭劇場の隣。その昔はここが祝祭劇場で、会場を建て増ししたのだ。めぎの席は3階席。傾斜がかなりあるので前にどんな人が座ってもよく見えるのがこの劇場の良いところ。

壁には立見席。そこだと20ユーロでオペラが見られる。めぎも立見席で頑張って見たことがある。舞台が全部は見えないので、ずっと背伸びをしてみてて結構辛かった…

最後のカーテンコール。この日のオペラはモーツァルトの「フィガロの結婚」。内容についてはこちら。映像はこちらかこちら(見るにはログイン必要)。

この日のオペラは歌は概ね良かったが(めぎはこの日の伯爵役のファンなのだけど、この役にはちょっとまだ若すぎるという気がした。フィガロ役は好きになれなかったが、スザンナは良かったし、ケルビーノは素晴らしかったし、伯爵夫人はビブラート多すぎではあったがとても情感が籠っていて上手かった)、演出が全然好きになれなかった。舞台演劇の監督をしている人がオペラを演出したのだが、その場合アイディアが斬新で今までのオペラ演出には無いものが出てくるので良いときは抜群に面白いのだが、残念ながら、音楽を全く理解しないで奇抜な面白いアイディアだけで演出してしまうことが非常に多く、音楽では本当はこういう心持を表現しているのに演出と全く合わない、ということが多々起こるのだ。今回もそうで、残念ながらめぎ的には全く辻褄の合わない演出で、最後にどうしてこうなるのかも全く理解できない、という感じだった。演出のためいくつかのアリアがカットされちゃってて、何人かの歌手がお気の毒だったし…

それでもまあかなりの拍手喝采だったけど。何しろ歌は本当に悪くなかったからね。

そのようなわけで、今回最も楽しみにしていたフィガロはとても残念だった。でもまあ、生でオペラを見るのは他には味わえない楽しさがあって、演出に憤慨しながらも結構満足したのだけど。うちでテレビで見たうちのドイツ人は、憤慨しまくって怒りまくっていた…このためにザルツブルクまで行かないで良かった、とのこと。まあ彼はもう何百回と見てるからね…百何回ではなく、何百回とね。
夜はオペラ。
ゴージャスな方々と、それを見に来ているやじ馬多数。
上からの眺め。
雨が降らなくてよかった…今夏のザルツブルクは雨が多く、傘を持って行くか否か、毎回悩んだ。
この日の会場は「モーツァルトのための劇場」というところで、昨日の記事の祝祭劇場の隣。その昔はここが祝祭劇場で、会場を建て増ししたのだ。めぎの席は3階席。傾斜がかなりあるので前にどんな人が座ってもよく見えるのがこの劇場の良いところ。
壁には立見席。そこだと20ユーロでオペラが見られる。めぎも立見席で頑張って見たことがある。舞台が全部は見えないので、ずっと背伸びをしてみてて結構辛かった…
最後のカーテンコール。この日のオペラはモーツァルトの「フィガロの結婚」。内容についてはこちら。映像はこちらかこちら(見るにはログイン必要)。
この日のオペラは歌は概ね良かったが(めぎはこの日の伯爵役のファンなのだけど、この役にはちょっとまだ若すぎるという気がした。フィガロ役は好きになれなかったが、スザンナは良かったし、ケルビーノは素晴らしかったし、伯爵夫人はビブラート多すぎではあったがとても情感が籠っていて上手かった)、演出が全然好きになれなかった。舞台演劇の監督をしている人がオペラを演出したのだが、その場合アイディアが斬新で今までのオペラ演出には無いものが出てくるので良いときは抜群に面白いのだが、残念ながら、音楽を全く理解しないで奇抜な面白いアイディアだけで演出してしまうことが非常に多く、音楽では本当はこういう心持を表現しているのに演出と全く合わない、ということが多々起こるのだ。今回もそうで、残念ながらめぎ的には全く辻褄の合わない演出で、最後にどうしてこうなるのかも全く理解できない、という感じだった。演出のためいくつかのアリアがカットされちゃってて、何人かの歌手がお気の毒だったし…
それでもまあかなりの拍手喝采だったけど。何しろ歌は本当に悪くなかったからね。
そのようなわけで、今回最も楽しみにしていたフィガロはとても残念だった。でもまあ、生でオペラを見るのは他には味わえない楽しさがあって、演出に憤慨しながらも結構満足したのだけど。うちでテレビで見たうちのドイツ人は、憤慨しまくって怒りまくっていた…このためにザルツブルクまで行かないで良かった、とのこと。まあ彼はもう何百回と見てるからね…百何回ではなく、何百回とね。
2023年7月31日ザルツブルク音楽祭 [2023年夏 ザルツブルク]
今日は7月31日のお話を。
この日は朝から素晴らしい天気だった。今年のめぎのザルツブルク滞在の最終日だったので、綺麗な光の中、ゆっくり散歩を楽しんだ。その話はいずれ。

そして夜、めぎにとって今回最後のオペラへ。

この日の会場はフェルゼンライトシューレ(サウンドオブミュージックのトラップ一家がコンテストに出る会場)で、内容についてはこちら(ドイツ語)。めぎの大好きな指揮者クルレンツィスが、新しく組織したUtopiaというオーケストラと演奏するコンサート形式のオペラで、演目は1695年のHenry Purcellの作品The Indian Queen。この演目についてはこちら(英語)かこちら(ドイツ語)。

めぎはHenry Purcellという作曲家は全く知らなかったし、「インディアン女王」などというオペラはタイトルすら知らなかったが、クルレンツィスが指揮をするということで迷わずチケットを取った。それからそのオペラについて調べたわけだが、もともとは30分程度のセミオペラでインカとアステカの争いについて描いたものだったのを、Peter Sellarsという演出家がスペイン人による先住民マヤの征服をテーマに3時間以上の大長編オペラに作り替えたもの。どんな音楽かちょこっと聴きたい方はこちらをどうぞ。
そのオペラは既にマドリッドで上演され、DVDになっている。オペラの歌詞は英語。こちらが前半で、こちらが後半。この日はコンサート形式だから普通のオペラのような衣装とか舞台装置とか、上記の映像に入っているようなダンスなどはなかったのだが、歌うソロ歌手が歌う場面で真ん中に出てきて、その場面の演技をしながら歌った。その演技が普通のオペラの下手な演出よりずっと迫真で素晴らしかった。途中にナレーションが入るのだが、めぎ的にはどうしても必要なものとは思わなかったが、その声が場面の心のひだを表現していてなかなか凄かった。そして照明が非常に効果的に色を変え、普通のオペラを見ているよりずっと引き込まれた。
幕間の休憩中。コンサート形式だから、聴衆の恰好はゴージャスより若干落ち付いている。

こんな古い全く知られてもいないオペラだが、満員御礼だった。

そして長い2幕目もあっという間に終わり、拍手大喝采。

クルレンツィスの指揮は、彼のコンサートの多くの場合と同様、指揮台を置かず、オケと同じレベルに立ち、真ん中に突っ立てはいなくてまるで彼自身が音に乗ってダンスをしているかのように動き回る。全身から音が出ているかのようだ。それが他の指揮者と全く違うところ。オケも演奏する人は立っていることが多い。それが、みんなで全身全霊を込めてアンサンブルをしているという感じで、視覚的にもとても素敵なのだ。今回の演目はたった2回のみの上演で、ラジオ放送もテレビ放送もない。幻の上演という感じで、これを映像に残さないなんてああ勿体ないと思うほど素晴らしかったのだが、それもまた舞台演劇の儚さで、だからこそ良いとも言えるのだろう。
トリミングだが、右がクルレンツィスで、左がPeter Sellars。Sellarsの演出はめぎ的に外れも多いのだが、今回のは素晴らしかった。彼は光の演出を得意としているのだなと思う。今年の音楽祭の一番最初に見た教会コンサートでの合唱団の振り付けも、演出自体はフーンだったが、照明は素晴らしかった。

何度も何度もカーテンコールをしても拍手が鳴りやまなかったのを、クルレンツィスがオケを引き上げさせて無理やり終わらせた。観客は大満足の様子だった。次の日の批評も素晴らしかった。よかったらこちらをAIで訳してどうぞ。

そして外へ。

ああ、今年の夏も見納めだな…

最後の最後にこの上なく素晴らしい演奏をどうもありがとう。

次の日の飛行機は朝9時ごろで、7時過ぎには宿を後にした。雨だった。

ザルツブルク音楽祭は8月末までで、めぎが去った後も、今日もまだ続いている。まだまだとても見たかった演目があるのだが、仕事が始まってしまったので泣く泣く諦めざるを得ない。ああ、残念。ホント、残念。でも、今年もまた十分に楽しませてもらった。ありがとう、ザルツブルク音楽祭。またね。

ここまで音楽のことを中心に書いてきたが、今後はいつもの旅行記ルーティンの中で散歩に行って写した写真を紹介しようと思う。
この日は朝から素晴らしい天気だった。今年のめぎのザルツブルク滞在の最終日だったので、綺麗な光の中、ゆっくり散歩を楽しんだ。その話はいずれ。
そして夜、めぎにとって今回最後のオペラへ。
この日の会場はフェルゼンライトシューレ(サウンドオブミュージックのトラップ一家がコンテストに出る会場)で、内容についてはこちら(ドイツ語)。めぎの大好きな指揮者クルレンツィスが、新しく組織したUtopiaというオーケストラと演奏するコンサート形式のオペラで、演目は1695年のHenry Purcellの作品The Indian Queen。この演目についてはこちら(英語)かこちら(ドイツ語)。
めぎはHenry Purcellという作曲家は全く知らなかったし、「インディアン女王」などというオペラはタイトルすら知らなかったが、クルレンツィスが指揮をするということで迷わずチケットを取った。それからそのオペラについて調べたわけだが、もともとは30分程度のセミオペラでインカとアステカの争いについて描いたものだったのを、Peter Sellarsという演出家がスペイン人による先住民マヤの征服をテーマに3時間以上の大長編オペラに作り替えたもの。どんな音楽かちょこっと聴きたい方はこちらをどうぞ。
そのオペラは既にマドリッドで上演され、DVDになっている。オペラの歌詞は英語。こちらが前半で、こちらが後半。この日はコンサート形式だから普通のオペラのような衣装とか舞台装置とか、上記の映像に入っているようなダンスなどはなかったのだが、歌うソロ歌手が歌う場面で真ん中に出てきて、その場面の演技をしながら歌った。その演技が普通のオペラの下手な演出よりずっと迫真で素晴らしかった。途中にナレーションが入るのだが、めぎ的にはどうしても必要なものとは思わなかったが、その声が場面の心のひだを表現していてなかなか凄かった。そして照明が非常に効果的に色を変え、普通のオペラを見ているよりずっと引き込まれた。
幕間の休憩中。コンサート形式だから、聴衆の恰好はゴージャスより若干落ち付いている。
こんな古い全く知られてもいないオペラだが、満員御礼だった。
そして長い2幕目もあっという間に終わり、拍手大喝采。
クルレンツィスの指揮は、彼のコンサートの多くの場合と同様、指揮台を置かず、オケと同じレベルに立ち、真ん中に突っ立てはいなくてまるで彼自身が音に乗ってダンスをしているかのように動き回る。全身から音が出ているかのようだ。それが他の指揮者と全く違うところ。オケも演奏する人は立っていることが多い。それが、みんなで全身全霊を込めてアンサンブルをしているという感じで、視覚的にもとても素敵なのだ。今回の演目はたった2回のみの上演で、ラジオ放送もテレビ放送もない。幻の上演という感じで、これを映像に残さないなんてああ勿体ないと思うほど素晴らしかったのだが、それもまた舞台演劇の儚さで、だからこそ良いとも言えるのだろう。
トリミングだが、右がクルレンツィスで、左がPeter Sellars。Sellarsの演出はめぎ的に外れも多いのだが、今回のは素晴らしかった。彼は光の演出を得意としているのだなと思う。今年の音楽祭の一番最初に見た教会コンサートでの合唱団の振り付けも、演出自体はフーンだったが、照明は素晴らしかった。
何度も何度もカーテンコールをしても拍手が鳴りやまなかったのを、クルレンツィスがオケを引き上げさせて無理やり終わらせた。観客は大満足の様子だった。次の日の批評も素晴らしかった。よかったらこちらをAIで訳してどうぞ。
そして外へ。
ああ、今年の夏も見納めだな…
最後の最後にこの上なく素晴らしい演奏をどうもありがとう。
次の日の飛行機は朝9時ごろで、7時過ぎには宿を後にした。雨だった。
ザルツブルク音楽祭は8月末までで、めぎが去った後も、今日もまだ続いている。まだまだとても見たかった演目があるのだが、仕事が始まってしまったので泣く泣く諦めざるを得ない。ああ、残念。ホント、残念。でも、今年もまた十分に楽しませてもらった。ありがとう、ザルツブルク音楽祭。またね。
ここまで音楽のことを中心に書いてきたが、今後はいつもの旅行記ルーティンの中で散歩に行って写した写真を紹介しようと思う。
ザルツブルク2023年7月22日のこと [2023年夏 ザルツブルク]
今日は2023年夏のザルツブルクのお話を。第一目的の音楽祭の話は既に全て書いたので、今日からぼちぼちとそれ以外の散歩などのお話を。

ザルツブルク入りしたのは7月21日。その日は夜の到着だったので、夕食は持参していた。その次の日は土曜日で、めぎの宿のすぐ近くの広場で朝7時からだったか市が立つので、7時台に買い出しに。

まだ人が少ないので買い物がしやすい。

まだ設営中というところも多かったけどね。

この日早めに買い物に出かけたのは、10時から音楽祭のイベントに参加する予定だったから。その日の音楽祭の話はこちら。

その後別な場所で買い物をするため少し歩く。ゲトライデガッセというショッピング通りは、まだ早いため人通りが少ない。さらに、ここの賃貸料が高すぎるため撤退したらしいお店が数軒あり、ちょっと心配になる。この通りのマクドナルドも年内いっぱいで撤退を発表。この通り、午後には毎日人がいっぱいだったけど、人が歩くだけで売り上げは少ないのかもね。

別の通りではこんな状態の場所も見かけたし。このお店が撤退したのか、ただ改装するだけなのか、定かじゃないけど。

これはモーツァルトクーゲルのお店。ここは毎日いっぱい人が並んでいた。

市場の広場も、この後人でいっぱいになっていた。

ザルツブルクも音楽祭以外の時期はどうなのかな。夏でかなり稼がないと厳しいのかもね。

ザルツブルクという街は観光地だけど、ウィーンかミュンヘンからの日帰りツアーで来る人が多く、泊まったりレストランで夜に食事したりしっかり買い物したりしてくれる人が少ないところ。ちょうど民族衣装などかなり良いものがセール中だったけど、どの程度の人が買ってくれるのかな、とちょっと思う。めぎは今回ゲトライデガッセのかばん屋さんで仕事カバンを購入したのだが(ちょうど買い替えようという時期だったので)、そういうそこそこ高額なものを買うのは滞在10回目にして初めてのこと。大好きな街の自分が必ず泊まるストリートだから応援したい気持ちはあるけど、なかなかねぇ。
写真は飛んで夜。この日は一日あれこれ見てとても楽しかったがとても疲れ、食事は撮っていない。市場で買ったものの中から色々つまんだという記憶。

この夏のザルツブルクの話は長々と続く。きっと、来年までかかるんじゃないかな…
ザルツブルク入りしたのは7月21日。その日は夜の到着だったので、夕食は持参していた。その次の日は土曜日で、めぎの宿のすぐ近くの広場で朝7時からだったか市が立つので、7時台に買い出しに。
まだ人が少ないので買い物がしやすい。
まだ設営中というところも多かったけどね。
この日早めに買い物に出かけたのは、10時から音楽祭のイベントに参加する予定だったから。その日の音楽祭の話はこちら。
その後別な場所で買い物をするため少し歩く。ゲトライデガッセというショッピング通りは、まだ早いため人通りが少ない。さらに、ここの賃貸料が高すぎるため撤退したらしいお店が数軒あり、ちょっと心配になる。この通りのマクドナルドも年内いっぱいで撤退を発表。この通り、午後には毎日人がいっぱいだったけど、人が歩くだけで売り上げは少ないのかもね。
別の通りではこんな状態の場所も見かけたし。このお店が撤退したのか、ただ改装するだけなのか、定かじゃないけど。
これはモーツァルトクーゲルのお店。ここは毎日いっぱい人が並んでいた。
市場の広場も、この後人でいっぱいになっていた。
ザルツブルクも音楽祭以外の時期はどうなのかな。夏でかなり稼がないと厳しいのかもね。
ザルツブルクという街は観光地だけど、ウィーンかミュンヘンからの日帰りツアーで来る人が多く、泊まったりレストランで夜に食事したりしっかり買い物したりしてくれる人が少ないところ。ちょうど民族衣装などかなり良いものがセール中だったけど、どの程度の人が買ってくれるのかな、とちょっと思う。めぎは今回ゲトライデガッセのかばん屋さんで仕事カバンを購入したのだが(ちょうど買い替えようという時期だったので)、そういうそこそこ高額なものを買うのは滞在10回目にして初めてのこと。大好きな街の自分が必ず泊まるストリートだから応援したい気持ちはあるけど、なかなかねぇ。
写真は飛んで夜。この日は一日あれこれ見てとても楽しかったがとても疲れ、食事は撮っていない。市場で買ったものの中から色々つまんだという記憶。
この夏のザルツブルクの話は長々と続く。きっと、来年までかかるんじゃないかな…
朝の清々しさを感じながら歩き始めたのだけど [2023年夏 ザルツブルク]
今日はこの夏(2023年夏)の7月24日のザルツブルクでのお話を。
7月24日、既に書いた音楽祭の話はこちら。今日はその前の散歩の時のお話を始める。まずこれは6時45分頃、泊まっている部屋の窓から。ここは観光スポットのど真ん中なので、こんな風に早朝に色々準備しているのが見える。観光地の日常を垣間見られるのが楽しい。

クロウタドリがいた。

7月のこの頃はもう鳴かないので、ザルツブルクのクロウタの歌声がどんなかは分からない。いつかクロウタが囀る頃に来て聞いてみたいな。

外に出たのは9時半近く。このストリート、11時以降は車両進入禁止となるのだが、9時半はまだあちこち準備中。だから搬入などの車が止まっている。

めぎの泊まっている宿の1階はアイス屋さん。

建物は1408年ので、1958年に今のオーナーの父親がここを買って改装、アイス屋を始めたそうだ。その後ピザ屋に変えた時期もあったそうだが、アイス屋に落ち着いている。アパルトメントをいつから始めたのかは聞いていないが、2015年にフル改装した時からめぎはここの常連である。オーナーさんはすでに年金をもらい始めた年齢だが、まだまだ現役で働くとのこと。こうやっていつも通りに続けるだけさ、どうしてやめる必要がある?と笑ってた。お互い約10年分目に見えて歳を取ってきたけれど、変わらない笑顔とチャーミングなザルツブルク訛りのドイツ語にホッとする。

ゲトライデガッセと言うこのザルツブルクで最も有名な通りは、朝9時を過ぎると、まだ準備中とはいえ徐々に人通りが多くなる。お昼か午後は人だらけ。モーツァルトの生まれた家のある通りなので、どんな観光ツアーも必ずここを通るからだ。

と言ってもモーツァルトの家だけではなくショッピングストリートであるとともにカフェやアイス屋が並ぶ通りでもあるのだが、このマクドナルドがこの年内で閉店を決めている。採算が取れないとのこと。入ったことはないが、そのニュースにはちょっとびっくり。その後は何が入るのかな。と言うか、何か入るのかな。

さて、この朝めぎはゲトライデガッセからちょっと外れてこの写真の右のお店へ新聞を買いに行き…

その後上の写真のアーチを出てすぐ左に曲がったところにある馴染みのErlachというお肉屋さんに行くつもりだった。

ところが…

三代にわたる一つの時代が終わり、この店は7月1日より一時的に閉店し、9月から新装開店する予定だとのこと。Erlach(エアラッハ)家とそのチーム、と書かれている。何か9月にまた開店するようだが、三代の時代が終わったということは、たとえ肉屋が続いてもErlach家のお店ではなくなるということね。
これはめぎにとって、そしてデュッセルドルフで留守番中のうちのドイツ人にとっても、かなりのショックだった。買い物をするときのErlachさんとのやり取りがいつも楽しかったし、こんな一等地にありながら観光客向けではない素朴な普通の肉屋であるこのお店が大好きだったし、お肉はほとんど買ったことがないけどこのお店のハム類がとても美味しかったし、なんと言っても出来合いのお惣菜として売られていた豚肉のローストとポテトサラダが大好きだったから。今回もそれを食べるのを楽しみにしていたし、それをうちのドイツ人にお土産に買って帰る約束をしていたのだ。5月末の聖霊降臨祭の時には開いていたのに、ほんの2か月後にこんな表示を目にするとは、その時思ってもみなかった。また次回にね、と言ってお別れしたのに…9月に開店するお店が何なのかめぎは来年になるまで分からないのもジレンマ。

ザルツブルクも変わらないようでいて、変わっていくのだな…次にはどのお店が消えるのだろう。

この日の話は長々続く。
7月24日、既に書いた音楽祭の話はこちら。今日はその前の散歩の時のお話を始める。まずこれは6時45分頃、泊まっている部屋の窓から。ここは観光スポットのど真ん中なので、こんな風に早朝に色々準備しているのが見える。観光地の日常を垣間見られるのが楽しい。
クロウタドリがいた。
7月のこの頃はもう鳴かないので、ザルツブルクのクロウタの歌声がどんなかは分からない。いつかクロウタが囀る頃に来て聞いてみたいな。
外に出たのは9時半近く。このストリート、11時以降は車両進入禁止となるのだが、9時半はまだあちこち準備中。だから搬入などの車が止まっている。
めぎの泊まっている宿の1階はアイス屋さん。
建物は1408年ので、1958年に今のオーナーの父親がここを買って改装、アイス屋を始めたそうだ。その後ピザ屋に変えた時期もあったそうだが、アイス屋に落ち着いている。アパルトメントをいつから始めたのかは聞いていないが、2015年にフル改装した時からめぎはここの常連である。オーナーさんはすでに年金をもらい始めた年齢だが、まだまだ現役で働くとのこと。こうやっていつも通りに続けるだけさ、どうしてやめる必要がある?と笑ってた。お互い約10年分目に見えて歳を取ってきたけれど、変わらない笑顔とチャーミングなザルツブルク訛りのドイツ語にホッとする。
ゲトライデガッセと言うこのザルツブルクで最も有名な通りは、朝9時を過ぎると、まだ準備中とはいえ徐々に人通りが多くなる。お昼か午後は人だらけ。モーツァルトの生まれた家のある通りなので、どんな観光ツアーも必ずここを通るからだ。
と言ってもモーツァルトの家だけではなくショッピングストリートであるとともにカフェやアイス屋が並ぶ通りでもあるのだが、このマクドナルドがこの年内で閉店を決めている。採算が取れないとのこと。入ったことはないが、そのニュースにはちょっとびっくり。その後は何が入るのかな。と言うか、何か入るのかな。
さて、この朝めぎはゲトライデガッセからちょっと外れてこの写真の右のお店へ新聞を買いに行き…
その後上の写真のアーチを出てすぐ左に曲がったところにある馴染みのErlachというお肉屋さんに行くつもりだった。
ところが…
三代にわたる一つの時代が終わり、この店は7月1日より一時的に閉店し、9月から新装開店する予定だとのこと。Erlach(エアラッハ)家とそのチーム、と書かれている。何か9月にまた開店するようだが、三代の時代が終わったということは、たとえ肉屋が続いてもErlach家のお店ではなくなるということね。
これはめぎにとって、そしてデュッセルドルフで留守番中のうちのドイツ人にとっても、かなりのショックだった。買い物をするときのErlachさんとのやり取りがいつも楽しかったし、こんな一等地にありながら観光客向けではない素朴な普通の肉屋であるこのお店が大好きだったし、お肉はほとんど買ったことがないけどこのお店のハム類がとても美味しかったし、なんと言っても出来合いのお惣菜として売られていた豚肉のローストとポテトサラダが大好きだったから。今回もそれを食べるのを楽しみにしていたし、それをうちのドイツ人にお土産に買って帰る約束をしていたのだ。5月末の聖霊降臨祭の時には開いていたのに、ほんの2か月後にこんな表示を目にするとは、その時思ってもみなかった。また次回にね、と言ってお別れしたのに…9月に開店するお店が何なのかめぎは来年になるまで分からないのもジレンマ。
ザルツブルクも変わらないようでいて、変わっていくのだな…次にはどのお店が消えるのだろう。
この日の話は長々続く。
メンヒスベルクに上る [2023年夏 ザルツブルク]
今日は今年2023年夏のザルツブルクのお話を。滞在4日目の朝のこと。
朝、食料品の買い物を済ませ、宿で朝食も食べた後、あの山の上へ行ってみることにした。久々にフルサイズのZ6を持って。

年末年始のボルネオ旅行以来、旅にはずっとAPS-CのZ50を持ち出してきた。どうもフルサイズを背負ってしっかり写そうという意欲が生まれず、5月末のザルツブルクも、6月末~7月初めの日本へもZ50だけで行った。夏のザルツブルクも迷ったのだが、頑張って持って行くことに。で、やっとそれを持って散歩に行こうという気になったのだ。と言ってもレンズは24-200㎜の便利ズームだけど。
お手軽にエレベーターで昇ることとし、そちらの方へ向かう。写真の奥の方でちょうどバスが停まっているところがエレベーター乗り場。

上の写真の右の建物の1階は古いパン屋さんなのだが、定休日。

そして2.9ユーロ払ってエレベーターで上へ。今年もやってきました~

場所はこの辺り。
グロッケンシュピールをクローズアップ。

たくさんの教会の塔。左から、フランツィスカーナー教会、大聖堂、ノンベルク修道院教会、大聖堂、コレーギエン教会、大聖堂。

それからザルツァハ河と新市街の方。

モーツァルテウムやアンドレ―教会やミラベル宮殿など。

そこからお決まりの散歩道を歩く。2020年秋から大掛かりな補修工事が行われていたところは、やっと工事が終わったようだ。

こんなのが一つだけポツンと取り残されていた。

このアーチのトンネルをくぐると城壁の中。

と言っても、そこには広々とした空間がさらにあるだけ。メンヒスベルクの裏側が見える。

向こうに見えるのはウンタースベルクという山。ドイツとの国境の山。サウンドオブミュージックで、「あの山を越えて自由の世界へ行こう」と山越えをする山だが、越えたらドイツ…

そして、工事中行けなくなっていたところへの道が行けるようになっていた。実は5月末の聖霊降臨祭の時ももう行けるようになっていたのだけど、その時の話はまだブログの記事にしていない…

この散歩道、もう何回目なんだろう…毎年来てるし、その年によっては2~3回歩いてるし、20回目ぐらいかしらねぇ。何度来ても楽しい。足腰動く限り、行きたいな。
今この辺り。
続く。
朝、食料品の買い物を済ませ、宿で朝食も食べた後、あの山の上へ行ってみることにした。久々にフルサイズのZ6を持って。
年末年始のボルネオ旅行以来、旅にはずっとAPS-CのZ50を持ち出してきた。どうもフルサイズを背負ってしっかり写そうという意欲が生まれず、5月末のザルツブルクも、6月末~7月初めの日本へもZ50だけで行った。夏のザルツブルクも迷ったのだが、頑張って持って行くことに。で、やっとそれを持って散歩に行こうという気になったのだ。と言ってもレンズは24-200㎜の便利ズームだけど。
お手軽にエレベーターで昇ることとし、そちらの方へ向かう。写真の奥の方でちょうどバスが停まっているところがエレベーター乗り場。
上の写真の右の建物の1階は古いパン屋さんなのだが、定休日。
そして2.9ユーロ払ってエレベーターで上へ。今年もやってきました~
場所はこの辺り。
グロッケンシュピールをクローズアップ。
たくさんの教会の塔。左から、フランツィスカーナー教会、大聖堂、ノンベルク修道院教会、大聖堂、コレーギエン教会、大聖堂。
それからザルツァハ河と新市街の方。
モーツァルテウムやアンドレ―教会やミラベル宮殿など。
そこからお決まりの散歩道を歩く。2020年秋から大掛かりな補修工事が行われていたところは、やっと工事が終わったようだ。
こんなのが一つだけポツンと取り残されていた。
このアーチのトンネルをくぐると城壁の中。
と言っても、そこには広々とした空間がさらにあるだけ。メンヒスベルクの裏側が見える。
向こうに見えるのはウンタースベルクという山。ドイツとの国境の山。サウンドオブミュージックで、「あの山を越えて自由の世界へ行こう」と山越えをする山だが、越えたらドイツ…
そして、工事中行けなくなっていたところへの道が行けるようになっていた。実は5月末の聖霊降臨祭の時ももう行けるようになっていたのだけど、その時の話はまだブログの記事にしていない…
この散歩道、もう何回目なんだろう…毎年来てるし、その年によっては2~3回歩いてるし、20回目ぐらいかしらねぇ。何度来ても楽しい。足腰動く限り、行きたいな。
今この辺り。
続く。
城壁の端からの眺め [2023年夏 ザルツブルク]
今日は今年2023年夏のザルツブルクでのお話を。同じ場所だけど先日の5月末の話ではなく、夏のお話の続き。
メンヒスベルクの山の上を歩いてこの城壁のところまで来て、補修工事の終わった遊歩道を歩くと…

ずっと端まで行ける。

端っこの直前にこんな空間がある。

この塔はユースホステルのような宿の一室で、めぎはまさにここにこの前年に一泊している。

その塔の左側に小さな展望台があって、そこからの眺めを写すのが好き。

特にここは、ちょうど泊まっている宿の前の通りをまっすぐ見下ろせるので。

↑上は200㎜で写したもので、そのトリミングが下のこちら。流石フルサイズ、くっきり。

ここは有名な馬洗い池の前だが、いつも空港に向かうときに乗るバス停がここで、ちょうどそのバスが来ていた。

ここはいつも買い物をする大学広場。この日はたいして市が立っていないけど、でも数軒あるわね。

こうして久々にズームレンズの便利さを楽しんだ。



帰りは来た道を戻らず…

この通り抜けを使って城壁の向こう側へ抜けた。

場所はこちら。
つづく。
メンヒスベルクの山の上を歩いてこの城壁のところまで来て、補修工事の終わった遊歩道を歩くと…
ずっと端まで行ける。
端っこの直前にこんな空間がある。
この塔はユースホステルのような宿の一室で、めぎはまさにここにこの前年に一泊している。
その塔の左側に小さな展望台があって、そこからの眺めを写すのが好き。
特にここは、ちょうど泊まっている宿の前の通りをまっすぐ見下ろせるので。
↑上は200㎜で写したもので、そのトリミングが下のこちら。流石フルサイズ、くっきり。
ここは有名な馬洗い池の前だが、いつも空港に向かうときに乗るバス停がここで、ちょうどそのバスが来ていた。
ここはいつも買い物をする大学広場。この日はたいして市が立っていないけど、でも数軒あるわね。
こうして久々にズームレンズの便利さを楽しんだ。
帰りは来た道を戻らず…
この通り抜けを使って城壁の向こう側へ抜けた。
場所はこちら。
つづく。
曇って来ちゃったな… [2023年夏 ザルツブルク]
今日はこの夏(2023年夏)のザルツブルクのお話を。
ここは、先日5月末に写した写真を載せた記事と同じ場所。

場所はこちら。
地図上の右側に出て、そこからも下を見下ろす。

めぎの泊まっているところは見えるが、ここからはその通りは見えない。

この微妙な見える&見えない角度の移り変わりを楽しみながら、それぞれの見晴らし台で撮っている。

曇ってきたので建物そのものは見やすい。あそこはめぎがこの夏の滞在の初め頃に音楽祭の無料のイベントで音楽総監督と俳優の対談のラジオのライブ放送を見に行った場所。

それからこの場所を後にして…

別の場所から下を見る。2台を蛇腹で繋げた空港行きのバスは、ここで下へと曲がっていく。

ここからは宿はもう建物もかなり隠れてしまう。

今年もこうやってここから眺められてよかったな。

場所はこちら。
あ、曲がって行った…
ここは、先日5月末に写した写真を載せた記事と同じ場所。
場所はこちら。
地図上の右側に出て、そこからも下を見下ろす。
めぎの泊まっているところは見えるが、ここからはその通りは見えない。
この微妙な見える&見えない角度の移り変わりを楽しみながら、それぞれの見晴らし台で撮っている。
曇ってきたので建物そのものは見やすい。あそこはめぎがこの夏の滞在の初め頃に音楽祭の無料のイベントで音楽総監督と俳優の対談のラジオのライブ放送を見に行った場所。
それからこの場所を後にして…
別の場所から下を見る。2台を蛇腹で繋げた空港行きのバスは、ここで下へと曲がっていく。
ここからは宿はもう建物もかなり隠れてしまう。
今年もこうやってここから眺められてよかったな。
場所はこちら。
あ、曲がって行った…
岩山の上をさらに進む [2023年夏 ザルツブルク]
今日は今年(2023年)7月末のザルツブルクのお話を。
先日、5月末のザルツブルクでメンヒスベルクの岩山の上から降りてきた話をこちらに書いたが、その2か月後の7月末は、降りずにさらに岩山の上を進んだ。

しばらく行くとこんな家の前を通り過ぎる。

これみたい。
それからこんな家の前を通った。

掛かっている場所の文字を読むと、この城の広場のようだ。
分かれ道のところにある泉が素敵。

そこからちょっと行くとこんなのがあって、上に登れば向こうが見えるのかなと思って登ってみたら…

野原が広がっていた。

登ったところはここ。野原にあるのは、2021年に見たフランツ・ヨーゼフ・ヘーエという展望台と、そこに立っている仏教の塔。それらについてはこちら。
そして、そう言えばその2021年にも閉まっていたカフェのようなところの前を通り過ぎた。

場所はここ。
そしてさらに進むとこんな塔があって…

地図ではこちら。
やっとホーエンザルツブルク城が見えてきた。あ、人がもういっぱい来てるわね。

下にはケーブルカーも。

そしてこの塔をくぐり…

場所はここ。
ケーブルカーの下をくぐり…

城下が見えるポイントへやってきた。

ごとごとという音に振り替えると、ケーブルカー。これは下って行く方で、ガラガラ。

続く。
先日、5月末のザルツブルクでメンヒスベルクの岩山の上から降りてきた話をこちらに書いたが、その2か月後の7月末は、降りずにさらに岩山の上を進んだ。
しばらく行くとこんな家の前を通り過ぎる。
これみたい。
それからこんな家の前を通った。
掛かっている場所の文字を読むと、この城の広場のようだ。
分かれ道のところにある泉が素敵。
そこからちょっと行くとこんなのがあって、上に登れば向こうが見えるのかなと思って登ってみたら…
野原が広がっていた。
登ったところはここ。野原にあるのは、2021年に見たフランツ・ヨーゼフ・ヘーエという展望台と、そこに立っている仏教の塔。それらについてはこちら。
そして、そう言えばその2021年にも閉まっていたカフェのようなところの前を通り過ぎた。
場所はここ。
そしてさらに進むとこんな塔があって…
地図ではこちら。
やっとホーエンザルツブルク城が見えてきた。あ、人がもういっぱい来てるわね。
下にはケーブルカーも。
そしてこの塔をくぐり…
場所はここ。
ケーブルカーの下をくぐり…
城下が見えるポイントへやってきた。
ごとごとという音に振り替えると、ケーブルカー。これは下って行く方で、ガラガラ。
続く。
真夏のメンヒスベルクで [2023年夏 ザルツブルク]
今日は今年(2023年)7月末のザルツブルクでのお話を。滞在4日目(おとさんがいらっしゃる日の3日前)、メンヒスベルクの上を一人で散歩中。前回の話はこちら。
城塞へ向かう道のところまでやってきた。

頑張って登っていく方々。早朝ならめぎも上るのだが、もうこんなに人がいるのでそれはカット。

そこから下界を眺める。

場所はこちら。
川向こうの新市街も見える。

ここでちょうど11時を迎え、このグロッケンシュピールを聞いた。

途中で登山電車が通って行って煩い。そこが早朝と違うところ。

グロッケンシュピールは3回同じのを繰り返すので、1回はただ聞き、2階を録画してみた。NDフィルターを持ってなかったから明るすぎるし、三脚も持ってなかったから体育座りで膝の上に載せて撮ったとはいえやっぱりぶれてるし、まわりの人の声も横から後ろへと走る登山電車の音も入っちゃってるけど。しかも最後には城塞から轟のようにパイプオルガンの音が被さってくるし。これはいつものことなので、あともう数秒待ってくれればいいのに、といつも思う。さらに途中で隣にいた人のくしゃみの音が最も大きく入っていたのだが(そういうとき、どうしてもふとコロナが心配になるわよね)、それはほんの一瞬だったので編集でカットしてみたところ、音楽にも影響なく済んだ。編集のマジックですわね。
そこからちょっと地図上で右の方へ移動して、下の地面が見えるところまで来た。

ここ。
下に見える無料で音楽祭の演目の映像を見ることができるところ、めぎはまだ一度も利用したことがない。いつもライブを見ることを優先しちゃって。

そこから下へ降りずにさらに地図上右のノンベルクの方へ進む。あ、クロウタちゃんだ。

この石はザルツブルクとノンベルクの境目で、あのサウンドオブミュージックにもちらりと出てくる。

実は人がいっぱい歩いていた。金髪のお嬢さん以外は韓国からの皆様で、流ちょうに韓国語を話しているオーストリア人のガイド付き。

この夏、日本人はほとんど見かけなかったが、韓国人は元気に旅行していたなぁ。
めぎはその人たちを追い越し、さらにまっすぐ進む。このお嬢さんはここで下へ降りて行った。

さて、付け足しだが、このビデオを載せそびれたので、ついでに。滞在2日目に音楽祭が無料で色々なイベントをしていた時に映したもの。その日の記事はこちら。
城塞へ向かう道のところまでやってきた。
頑張って登っていく方々。早朝ならめぎも上るのだが、もうこんなに人がいるのでそれはカット。
そこから下界を眺める。
場所はこちら。
川向こうの新市街も見える。
ここでちょうど11時を迎え、このグロッケンシュピールを聞いた。
途中で登山電車が通って行って煩い。そこが早朝と違うところ。
グロッケンシュピールは3回同じのを繰り返すので、1回はただ聞き、2階を録画してみた。NDフィルターを持ってなかったから明るすぎるし、三脚も持ってなかったから体育座りで膝の上に載せて撮ったとはいえやっぱりぶれてるし、まわりの人の声も横から後ろへと走る登山電車の音も入っちゃってるけど。しかも最後には城塞から轟のようにパイプオルガンの音が被さってくるし。これはいつものことなので、あともう数秒待ってくれればいいのに、といつも思う。さらに途中で隣にいた人のくしゃみの音が最も大きく入っていたのだが(そういうとき、どうしてもふとコロナが心配になるわよね)、それはほんの一瞬だったので編集でカットしてみたところ、音楽にも影響なく済んだ。編集のマジックですわね。
そこからちょっと地図上で右の方へ移動して、下の地面が見えるところまで来た。
ここ。
下に見える無料で音楽祭の演目の映像を見ることができるところ、めぎはまだ一度も利用したことがない。いつもライブを見ることを優先しちゃって。
そこから下へ降りずにさらに地図上右のノンベルクの方へ進む。あ、クロウタちゃんだ。
この石はザルツブルクとノンベルクの境目で、あのサウンドオブミュージックにもちらりと出てくる。
実は人がいっぱい歩いていた。金髪のお嬢さん以外は韓国からの皆様で、流ちょうに韓国語を話しているオーストリア人のガイド付き。
この夏、日本人はほとんど見かけなかったが、韓国人は元気に旅行していたなぁ。
めぎはその人たちを追い越し、さらにまっすぐ進む。このお嬢さんはここで下へ降りて行った。
さて、付け足しだが、このビデオを載せそびれたので、ついでに。滞在2日目に音楽祭が無料で色々なイベントをしていた時に映したもの。その日の記事はこちら。
ノンベルク修道院教会 [2023年夏 ザルツブルク]
今日は今年(2023年)夏のザルツブルクのお話を。滞在4日目、おとさんのいらっしゃる3日前のこと。
メンヒスベルクの岩山の上を歩いてきてノンベルクと言う岩山に入り、今年もまたここへやってきた。

ウンタースベルクと言う山が見えるここは…

ノンベルク修道院と言って、サウンドオブミュージックで最後に隠れて逃げるシーンに使われたところ。

正確には隠れたシーンに使われたお墓の場所はここじゃないのだけど(ここに来て写真を撮っていると、あの隠れたお墓はどこ?と知らない人(アメリカ人)に英語で聞かれることがある…見るからに明らかに観光客のめぎに聞きますかって感じだけど、ここじゃないことを知っているからもちろん教えてあげる)、↑ここの前で車で逃げるシーンを撮ったのは確かである。それに、あのマリア本人は本当にここの修道院出身だし。逃げていくウンタースベルクを越えると自由じゃなくてドイツだという話ももう何度も書いたし、有名な笑い話。まあ映画ってそんなものなのだ。
さて、いつものようにここであまりにもたくさん写真を撮ったので、今回はフォトムービーにしてみた。ブログに写真を羅列していっぱい載せるより、こうした方がまとまってずっといい。画質もデータを軽くするために多少落としてあるが、まあまあ見られる。でも、3分半もあるので、お時間のある方のみどうぞ。
メンヒスベルクの岩山の上を歩いてきてノンベルクと言う岩山に入り、今年もまたここへやってきた。
ウンタースベルクと言う山が見えるここは…
ノンベルク修道院と言って、サウンドオブミュージックで最後に隠れて逃げるシーンに使われたところ。
正確には隠れたシーンに使われたお墓の場所はここじゃないのだけど(ここに来て写真を撮っていると、あの隠れたお墓はどこ?と知らない人(アメリカ人)に英語で聞かれることがある…見るからに明らかに観光客のめぎに聞きますかって感じだけど、ここじゃないことを知っているからもちろん教えてあげる)、↑ここの前で車で逃げるシーンを撮ったのは確かである。それに、あのマリア本人は本当にここの修道院出身だし。逃げていくウンタースベルクを越えると自由じゃなくてドイツだという話ももう何度も書いたし、有名な笑い話。まあ映画ってそんなものなのだ。
さて、いつものようにここであまりにもたくさん写真を撮ったので、今回はフォトムービーにしてみた。ブログに写真を羅列していっぱい載せるより、こうした方がまとまってずっといい。画質もデータを軽くするために多少落としてあるが、まあまあ見られる。でも、3分半もあるので、お時間のある方のみどうぞ。
散歩の終了とその後 [2023年夏 ザルツブルク]
今日は今年(2023年)夏のザルツブルクのお話を。滞在4日目、おとさんがいらっしゃる3日前のこと。
朝の山の上の散歩とノンベルク修道院でのひとときを終えて、長い坂道と階段を下界へ下る。

下のここにはいつもロマの人がいる。かつて「ジプシー」と呼ばれていた人たちだ。持っている紙には、自分は3人子供がいて2回も手術をして、薬を買うお金がない、というようなことが書かれている。ちょうどこの通りの建物からワンちゃん2匹を連れて出てきてめぎとすれ違った人が、その人にお金をあげるところを目撃。すかさず撮った。それがいいことかどうかわからないけど、いつもここを通るたびにここにいるんだよなぁ、その事を伝える写真を撮りたいなあと思っていたので。

他にもロマの人がいるポイントがいくつかあるのだが、まだうまく撮れたことがない。いっそのことお金を渡して撮らせてもらおうかと思ったりもするが、それもまだ実行したことがない。ただ、こうやって地元の人が散歩に行くときにあらかじめ用意してあげたりしているんだなということが初めて分かり、観光客目当てばかりではないのだと知った。そう言えばめぎのうちの近くのスーパーの前にもよくロマの男性がいて、2ユーロぐらいで情報誌のようなものを売っているのだが、うちのドイツ人はその情報誌を買わずにスーパーから出てきたところでお釣りの小銭(せいぜい1ユーロぐらいまで)をそのままその人たちにあげたり、ペットボトルや瓶のデポジットの紙(スーパーの入り口のところにペットボトルを入れるとその本数分のデポジットが印刷された紙が出てきて、それをレジで換金するシステムなのだ)をあげたりしている。それと似たような感じなのね。
話は逸れるが、最近はスーパーでもパン屋など小売店でも銀行カードで支払うことも多くなったのでお釣りをもらうことがなくなりつつあるが、そのうちに世の中が現金を使わなくなったら、こういう物乞いの人たちはどうなるのかな…まあきっと彼らもこうして物乞いをしていてもスマホは持っているんじゃないかなと思うのだが、世の中のインフラは今後どう変わっていくのかしらね。
これは、その通りのある建物の入り口の辺り。

めぎはその昔ここで外国人向けのドイツ語のサマースクールに参加したことがある。今はもうここにスクールは無いようだが、懐かしいな。

そして、上から見えていたこの看板のところまで戻ってきた。

場所はこちら。
ここは、音楽祭の演目がスクリーンで上演され、無料で見られるところ。看板にはその演目が書かれている。毎晩、その年の音楽祭のライブ上演だったり、昔の映像の再上演だったり。こうして見ると、めぎはこのほぼ全てを生で見たことがある。ずいぶん長年ここに通い続けているってことね…このお二人は何を見るのかな。

サマースクールに通った頃、休み時間によくここに座って持参したサンドイッチなどを食べた。懐かしいな。

そして、今はびっしりと野外劇用の座席が置かれている大聖堂前を通り…

そこに入ってきた観光客のグループと馬車をパチリと写し…

振り返って大聖堂も写し…(このときはフルサイズで24㎜からのズームレンズをつけていたので、大聖堂と広場をこうして移すことができた。でも、夏はこうして座席が入っちゃうのよね。)

しばらく歩いて音楽祭の祝祭劇場前に出て…

右に曲がって宿の方へと戻った。これはザルツブルクの塩のお店。

ここ。
宿に戻ったのは12時半頃。それからお昼を食べてゆっくりとその日の演目の予習をしたようだ。そして18時過ぎにスマホで外を撮っている。いい天気になったんだな。

そして公演を見に行って…

この日はフェルゼンライトシューレでモーツァルトのレクイエム。その曲と公演のお話はザルツブルクでリアルタイムに書いたこちら。

21時過ぎに戻ってきて、夜の食事。↑上のリンク先を読んだところ、土砂降りにあって濡れて戻ってきたらしい。そんなこと、もうすっかり忘れてたな…

これで滞在4日目のお話はおしまい。
朝の山の上の散歩とノンベルク修道院でのひとときを終えて、長い坂道と階段を下界へ下る。
下のここにはいつもロマの人がいる。かつて「ジプシー」と呼ばれていた人たちだ。持っている紙には、自分は3人子供がいて2回も手術をして、薬を買うお金がない、というようなことが書かれている。ちょうどこの通りの建物からワンちゃん2匹を連れて出てきてめぎとすれ違った人が、その人にお金をあげるところを目撃。すかさず撮った。それがいいことかどうかわからないけど、いつもここを通るたびにここにいるんだよなぁ、その事を伝える写真を撮りたいなあと思っていたので。
他にもロマの人がいるポイントがいくつかあるのだが、まだうまく撮れたことがない。いっそのことお金を渡して撮らせてもらおうかと思ったりもするが、それもまだ実行したことがない。ただ、こうやって地元の人が散歩に行くときにあらかじめ用意してあげたりしているんだなということが初めて分かり、観光客目当てばかりではないのだと知った。そう言えばめぎのうちの近くのスーパーの前にもよくロマの男性がいて、2ユーロぐらいで情報誌のようなものを売っているのだが、うちのドイツ人はその情報誌を買わずにスーパーから出てきたところでお釣りの小銭(せいぜい1ユーロぐらいまで)をそのままその人たちにあげたり、ペットボトルや瓶のデポジットの紙(スーパーの入り口のところにペットボトルを入れるとその本数分のデポジットが印刷された紙が出てきて、それをレジで換金するシステムなのだ)をあげたりしている。それと似たような感じなのね。
話は逸れるが、最近はスーパーでもパン屋など小売店でも銀行カードで支払うことも多くなったのでお釣りをもらうことがなくなりつつあるが、そのうちに世の中が現金を使わなくなったら、こういう物乞いの人たちはどうなるのかな…まあきっと彼らもこうして物乞いをしていてもスマホは持っているんじゃないかなと思うのだが、世の中のインフラは今後どう変わっていくのかしらね。
これは、その通りのある建物の入り口の辺り。
めぎはその昔ここで外国人向けのドイツ語のサマースクールに参加したことがある。今はもうここにスクールは無いようだが、懐かしいな。
そして、上から見えていたこの看板のところまで戻ってきた。
場所はこちら。
ここは、音楽祭の演目がスクリーンで上演され、無料で見られるところ。看板にはその演目が書かれている。毎晩、その年の音楽祭のライブ上演だったり、昔の映像の再上演だったり。こうして見ると、めぎはこのほぼ全てを生で見たことがある。ずいぶん長年ここに通い続けているってことね…このお二人は何を見るのかな。
サマースクールに通った頃、休み時間によくここに座って持参したサンドイッチなどを食べた。懐かしいな。
そして、今はびっしりと野外劇用の座席が置かれている大聖堂前を通り…
そこに入ってきた観光客のグループと馬車をパチリと写し…
振り返って大聖堂も写し…(このときはフルサイズで24㎜からのズームレンズをつけていたので、大聖堂と広場をこうして移すことができた。でも、夏はこうして座席が入っちゃうのよね。)
しばらく歩いて音楽祭の祝祭劇場前に出て…
右に曲がって宿の方へと戻った。これはザルツブルクの塩のお店。
ここ。
宿に戻ったのは12時半頃。それからお昼を食べてゆっくりとその日の演目の予習をしたようだ。そして18時過ぎにスマホで外を撮っている。いい天気になったんだな。
そして公演を見に行って…
この日はフェルゼンライトシューレでモーツァルトのレクイエム。その曲と公演のお話はザルツブルクでリアルタイムに書いたこちら。
21時過ぎに戻ってきて、夜の食事。↑上のリンク先を読んだところ、土砂降りにあって濡れて戻ってきたらしい。そんなこと、もうすっかり忘れてたな…
これで滞在4日目のお話はおしまい。
7月25日と26日の始まり [2023年夏 ザルツブルク]
今日は今年(2023年)夏のザルツブルクでのお話を。
滞在5日目の7月25日にはほとんど写真を撮っていない。その日のことはこちらに書いてあるのだが、そこに載せてある写真以外に撮ったものがほとんど無いのだ。あるのは、18時過ぎに部屋から撮ったこんな空。

この夏は雨が多く、それも音楽祭に行く頃に土砂降りになることが多く、支度をしながら凄い雲だなあ…行く前に降るかなどうかな、と気になって撮ったのだと思う。

そんなわけで25日の話はこれで終わりで、26日に入る。おとさんのいらっしゃる前日のこと。その日の話はダイジェストでこちらに書いてあるが、他にもいろいろあったので書くことにする。

この日の朝は雨だった。しとしと降ったりちょっと上がったりの繰り返しでしかもかなり寒かったのだが、そんな日にはあまり人がいなくていいかな、とちょっと思って頑張ってカメラを持ち出した。外ではなにやら作業していた。建物の中が改装中で、ごみを滑車を使って外にバケツで運び出しているようだ。凄い気の長い作業だなぁ…

前日も写した場所でまたパチリ。

次にカフェ・トマセッリの前でパチリ。こんな格好で歩いていた…真夏なのに。

そこから大聖堂前へ行ってみた。と言っても大聖堂はこれしか写してなくて…

外に並んでいた看板を撮っている。毎日お昼に9ユーロでオルガンの音楽が聴けるようだ。

ガイドツアーは毎日14時で、9ユーロ。18歳以下は無料。

音声ガイドは18歳以下は3ユーロで、大人は5ユーロ+維持費。でも、維持費って…?好きな額を寄付するのかな…?

以前は朝6時ごろ来ると大聖堂に無料で入れたのだが、今はどうなのかな。朝6時にここに来たことがしばらくないのでわからない。
それからこのチェスのところを横切って…

墓地の方へ。入り口付近に作業の方がいた。

そしてあの有名な墓地へ。ここでしばらく雨に濡れた墓地を撮影した。その話は次回から。
滞在5日目の7月25日にはほとんど写真を撮っていない。その日のことはこちらに書いてあるのだが、そこに載せてある写真以外に撮ったものがほとんど無いのだ。あるのは、18時過ぎに部屋から撮ったこんな空。
この夏は雨が多く、それも音楽祭に行く頃に土砂降りになることが多く、支度をしながら凄い雲だなあ…行く前に降るかなどうかな、と気になって撮ったのだと思う。
そんなわけで25日の話はこれで終わりで、26日に入る。おとさんのいらっしゃる前日のこと。その日の話はダイジェストでこちらに書いてあるが、他にもいろいろあったので書くことにする。
この日の朝は雨だった。しとしと降ったりちょっと上がったりの繰り返しでしかもかなり寒かったのだが、そんな日にはあまり人がいなくていいかな、とちょっと思って頑張ってカメラを持ち出した。外ではなにやら作業していた。建物の中が改装中で、ごみを滑車を使って外にバケツで運び出しているようだ。凄い気の長い作業だなぁ…
前日も写した場所でまたパチリ。
次にカフェ・トマセッリの前でパチリ。こんな格好で歩いていた…真夏なのに。
そこから大聖堂前へ行ってみた。と言っても大聖堂はこれしか写してなくて…
外に並んでいた看板を撮っている。毎日お昼に9ユーロでオルガンの音楽が聴けるようだ。
ガイドツアーは毎日14時で、9ユーロ。18歳以下は無料。
音声ガイドは18歳以下は3ユーロで、大人は5ユーロ+維持費。でも、維持費って…?好きな額を寄付するのかな…?
以前は朝6時ごろ来ると大聖堂に無料で入れたのだが、今はどうなのかな。朝6時にここに来たことがしばらくないのでわからない。
それからこのチェスのところを横切って…
墓地の方へ。入り口付近に作業の方がいた。
そしてあの有名な墓地へ。ここでしばらく雨に濡れた墓地を撮影した。その話は次回から。