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ザルツブルク音楽祭100周年 [2020年夏 ザルツブルク]

今日から2020年ザルツブルクのお話を。

2020年8月22日は、ザルツブルク音楽祭の100周年目の日だった。この週末にぜひ行きたいところだったけど、仕事仕事仕事でとても無理。8月に夏休みじゃないのって、残念だよなあ…ところでザルツブルク音楽祭は、1920年8月22日に野外劇「イェーダーマン」で始まった。つまり、本当は音楽祭ではなく祝祭で、今も音楽だけでなく演劇が披露されている。
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↑これはその有名なイェーダーマンを使った風刺画だ。イェーダーマンというのは「誰でもみんな」とか「どこにでもいる人間」という意味で、劇では主役の男の名前(以前その劇を見たときのお話はこちら)。この野外劇イェーダーマンは1920年以来ずっと上演されていて、主役の男は何年も担当する(今までに17名+病欠時の代役1名が演じたようだ)。ここに描かれているイェーダーマンは2017年以来主役をやっているTobias Moretti という人。彼は今年で降板することが決まっている。この劇は金持ちでケチで華やかに日々を過ごすイェーダーマンがある日突然その日に死ぬことを神に定められ「死」に連れ去られて死ぬという話で、つまり誰でもみんな死ぬということなのだが、この骸骨みたいなのは登場人物「死」。イェ~~ダ~~~マァァァァァ~~~~~ンと実際の劇と同様に叫んでいるこの「死」がイェーダーマンのコロナ検査をしていて、左に出ているオーストリアの旗には「空室」と書かれている。

このコロナ騒ぎの2020年がたまたま100周年だったザルツブルク音楽祭は、4月早々に中止を決めたバイロイト音楽祭とは異なり、5月中旬だったか末だったかまでに結論を出す、というような路線をとった。そして、様々な厳しい衛生措置をとった上での開催が決定された。それはあっと驚く内容だった…赤字を覚悟で観客数をずっと制限し(チケット代はいつもと変わらない)、もともとのプログラムよりはずっと演目も会場数も減らしたとは言え、音楽祭は数日とかではなく1か月にもわたり、ウィーンフィルなどのコンサートはもちろん、オペラを2つも上演することとしたのだ。ああ、素晴らしい、行きたーい、見たーい…

そう、めぎは諦めきれなかったのだ。なにしろ、8月1日から始まる音楽祭の直前、7月30日になってもプルミエのチケットが売られていたし。ああ、行きたいな~この値段なら買えるよな~でもでも…とああだこうだ考えているめぎにうちのドイツ人が言った。行かないとたぶん一生後悔するよ。ザルツブルクに行かなくたって、明日スーパーで感染するかもしれないのだし、来週学校で感染するかもしれないのだし、そもそもなんで行かないの?オーストリアは今のところ危険地域に入ってないし、100周年なのにあれやこれや心配して自ら引き籠って行かないと、この夏休み不完全燃焼であとで絶対後悔するよ、と。

いや、でもでも、もし旅で感染したら、そして重症化しようものならそれこそ後悔するかも知れないわけで、または今症状がないけど実は感染してて旅先で症状が出るなんてこともありうるわけで、その決心は本当に難しい。たぶん、そこが誰にとっても難しいことであろうと思う。不要不急の外出とはこのことだ。しかしうちのドイツ人に言わせると、めぎにとって音楽祭を見に行くことは心の栄養をとることで、スーパーに食料品の買い物をしに行くのと同じく生きるのに必要なことだ、と。なるほどねえ…いつも泊まっているアパルトメントのオーナーも、問い合わせてみたら部屋もまだ一つ開いてるしぜひぜひいらっしゃいと言う。めちゃくちゃに迷った末、結局のところは100周年という記念の音楽祭がこのコロナの状況下でどうやって開かれるのかをこの目で見て体験したい、という気持ちの方が上回った。その当時めぎの健康状態はすこぶるよく、感染する確率がどの程度かを冷静に鑑みれば、答えは自ずと知れているのだ。で、7月31日の夕方5時ごろギリギリに決心をして夜8時に旅立ち、8月1日にはここにいた。
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そしてプルミエの「エレクトラ」を観た。
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次の日、プルミエのコジ・ファン・トゥッテも観た。
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その他、マチネのコンサートを1つと…
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イェーダーマンも見た。残念ながら当日雨になってしまって野外ではなく劇場での上演だったけど。
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そして8月5日の早朝にデュッセルドルフに戻ってきたのだった。それから14日以上経ち、めぎはコロナに感染せず元気にいる。ザルツブルク音楽祭自体も、今までのところ感染のニュースはなく(5月か6月ごろの準備中に一人スタッフが感染したという話があっただけ)、毎日無事に上演が続いている。そのためにオーストリアが定めた開催基準と衛生措置は素晴らしかった。これは非常に薄い氷の上で音楽祭のプレジデント(女性)と総監督がアイスダンスをしている風刺画だが、見方を変えればめぎの行動もそれに近いのかもしれない。しかし、めぎもその場にいた人たちも、コロナを無視したり軽視したりしていたのではない。音楽祭の人たちもめぎも他の観客たちも、本当に真摯にこの事態を無事に乗り切ろうと、そしてそれぞれの立場で音楽という文化の生きる道を探ろうと努力したのだ。
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今回の旅は、自分にとって何が大事なのか、自分はどうやって生きていきたいのか、何にお金をかけるべきなのか、何が可能で何が無理なのかといったことを考える良いきっかけになった。そうことやら、行き帰りをどうしたか、彼の地でどうやって過ごしたか、こんな時期にコンサートやオペラや演劇がどうやって開催できるのか、今のザルツブルクはどうだったかなどについて、明日からちょっとずつ書いて行こうと思う。旅の思い出というより特別な100周年の覚書として書き留めておきたい。一言にまとめると、行ってよかった。
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夜行列車個室で [2020年夏 ザルツブルク]

現在、2020年ザルツブルク音楽祭の話を連載中。

今年の音楽祭は8月1日から開催。そこで、7月31日の夜行列車の個室寝台で行くことにした。20時54分デュッセルドルフ始発の電車。発車自体はなぜか30分ぐらい遅れたけど。
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↑赤いコロ付きのには音楽祭で着るドレス2着とワンピース1着と靴2足とバックと着替えや洗面用具等が入っている。たった4公演を見るだけなのに、荷物多し。リュックの方にはカメラ2台とレンズ3つと充電器などとタブレットとカーディガンとかストールとか雨具とか。ザルツブルクは後半雨で気温が下がる予報だったので。防寒着は荷物がかさむわねえ。

寝台だからなのか、個室だからなのか分からないが、スパークリングワインが配られた。夕食は食べてきていたので、ワインだけ楽しむ。
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音楽祭には行きたいけど、行くのを躊躇した最も大きな理由は、デュッセルドルフからザルツブルクまでが遠いということだった。車で行ければ感染的には何の問題もないのだが、うちのドイツ人は仕事。飛行機で行けば1時間半だけど、密室の飛行機にはどうしても乗りたくない。ひょっとしたら乗客はめぎ一人かも知れないが、隣前後にびっしりの密密密の可能性もあるわけで、いくら換気していると航空会社が言い張ってもそんなリスクは負いたくない。電車で行くと8時間。そんな長い時間公共交通機関に乗るのもちょっと…

と諦めていたのだが、日本の知り合いが田舎の親を訪ねるのに横浜からその田舎まで夜行列車の個室を取ったという話を聞いた。その人は年老いた親を訪ねないわけにはいかず、個室なら車掌さんに数秒会うだけであとは誰にも会わないから、と。なるほど、そういう手があったか…と思って調べてみたら、夜行の個室、ある!でも、往路だけで250ユーロぐらいする…と一旦は諦めた。

しかし、うちのドイツ人が言ったのだ。確定申告の計算の仕方では車での移動費は1km30セントで計算するので、約800㎞離れているザルツブルクまでは240ユーロとなる。そう考えたら、その個室寝台料金は極めて妥当だ、と。そうか、なるほどね…以前往路100ユーロとかで買っていた電車の1等席や飛行機の値段の方がよく考えればどこかおかしいのかもしれない。めぎの知らないところで誰かにその安いチケットのつけを払わせているとか(ものすごく安い給料で誰かを働かせているとか)、そういうカラクリだったのかも。というわけで、めぎは往復500ユーロを払う決心をしたのだった。こんなところでケチって感染するのも嫌だしね。

さて、個室でのんびりスマホでネットニュースなど読んでいたらあっという間に時間は過ぎ、22時半ごろ車掌さんが来てバタンと一瞬でベッドにしてくれた。壁の中に寝具ごとベッドが隠れていたのだ。すごーい!では、おやすみなさい…寝心地はまあまあ。揺れるしね。それに、3時過ぎにニュルンベルクでしばらく停車し、ハンブルクからやってきた夜行列車と連結したのだが、その作業の音が、というか作業員の話声(怒鳴り声)がとてもうるさくて。でも、トイレもシャワーもついてて、本当に車掌さん以外誰にも会わずに済むわけで、しかも窓もちょこっと開けられるので車掌さんが来たあとはすぐに喚起できるし、車掌さんもしっかりマスクしてたし、夜行列車で移動案、最高である。
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ドイツとオーストリアの国境の町パッサウに着いたのは、ほぼ予定通りだった(予定は5時24分)。それから一時間足らずで乗換駅に到着するので、めぎは5時半には起きたのだ。しかし、それからしばらく全く動かなかった。これは6時48分の撮影である。本当はもうとっくに乗換駅について、そろそろザルツブルク行きに乗っているはずだったんだけど。
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なにやら警察の人が行ったり来たり。
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何があったか分からないが、そのうちに朝食も運ばれてきて(本来ならばめぎは早朝6時19分に乗換駅に到着予定だったので朝食はお持ち帰りになるはずだったのが、パッサウで長々停車していたので普通に運ばれてきて食事することができた)、のんびりとコーヒーにパンを楽しんだ。その写真はすっかり撮り忘れ。

そして、乗換のWels駅に着いたのは9時だった。
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それからザルツブルク行きの電車を待つ。何もないし、誰もいないホームでひたすら待つ。国境審査とかあったりするのかな、コロナチェックなどあったりするのかな、などと想像していたが、見事に何もなかった。本来ならばもう宿についていたはずの時間なので、オーナーに遅延の連絡などしたりして。
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1時間に1本程度のザルツブルク行きに乗ったのは9時43分頃。到着は10時42分と表示されている。
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ほとんど誰もいない車両でマスクをして座り、車窓の長閑なオーストリアの田舎の景色を楽しんだ。
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わたし、ホントにオーストリアにやってきたのね…と思いながら。長いことどこにも出かけていなかったので、なんだかとても不思議な気分だった。
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ザルツブルクに到着 [2020年夏 ザルツブルク]

現在、2020年ザルツブルク音楽祭の話を連載中。

無事にアパルトメントに到着。
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今回はいつも泊まっている部屋ではなく、一人旅には無駄に大きいスイートルーム。ダンスパーティーでもできちゃいそうに大きい。
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立派なキッチンもあるし…
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ベッドルームは廊下の反対側の部屋だし…
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その横にスケスケガラスのバスタブまでついていた。シェードを下げて見えないようにできるようだったけど。奥にはシャワー室があり、さらにお手洗いにはビデもあった。
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この部屋、普通に借りると一泊440ユーロするそうだったけど、めぎにはスペシャルプライスで、ここにはとても書けない破格で泊めてくれたのだった。いつも泊まっている部屋は去年の夏から予約していたのだけど、6月ごろにキャンセル。当時はドイツとオーストリアの国境が閉じていたし、国境が開いてもとても行けないと思っていたのだ。で、いつもの部屋はもう予約が入ってて、別のもっと小さな部屋もふさがっていたのだが、このスイートだけは空いていた。そこに3泊したのだが、めぎは4泊分即金で払い、最終日も夜行列車の時間まで部屋を使わせてもらった。本当に涙が出るほど破格で泊まれて、そんなことをしてもらえるのも、何年も毎年2~3週間宿泊しているからであろう。ちなみに来年の分もすでに予約してきたが(来年がどうなっているかは全くわかないけどとりあえず)、それは再びいつもの部屋の方にしてもらった。オーナーも奥さんも、そして下働きの馴染みの人たちも皆さん変わらず元気で、なにより。オーナーはロックダウン時のことやら今はどんな人が宿泊しに来ているのかなど話してくれたけど、アメリカやアジアからは入国禁止で誰も来られないので、泊まりに来るのはオランダ人やドイツ人ばかりだとか。みんな自分の車で来るという。やっぱりそうなのね。

ちょっと写真少ないけど今日はここまで。
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