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ドイツ(主に東部) 2017年夏 ブログトップ

2017年の話~イン河沿いのノイブルクというところ~ [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

突然だが、今日は2017年の夏の話を書く。というのは、2022年の春旅で、2017年に見つけたところを訪ねたからだ。

2017年の夏、ザルツブルクの滞在を終えためぎたちは、まっすぐ家には帰らず、しばらくドイツ東部の旅をした。その初日、ザルツブルクからアウトバーンではなく下道を走ってきて、国境を越えてドイツに入って、こんなところを走っていたら…
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あれ?これ、なに?と。
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で、ちょっと降りてみたのだった。
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古城みたい…
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あ、改装中。というか、荒れ果てていたのを直しているところって感じ。しかし途中で放置されている感じもするなぁ。
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それなりに由緒ありそうなところね。
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Wikipediaによると、ここには1050年から城があったが1319年にバイエルンとオーストリアの紛争で破壊され、その後ハプスブルク家によって再建されたようだ。それからノイブルク郡として独立し、1803年よりバイエルン州に入ったらしい。現在の地名はNeuburg am Innといい、訳すと「イン河沿いの新城」。かつて新しい城として建てられたということなのだろう。ちなみにノイブルクと言う地名はあちこちにあり、だからam Inn「イン河沿いの」と後ろに場所がくっついているのだ。同じバイエルン州にNeuburg an der Dodau(ドナウ河沿いのノイブルク)という街もある。ところで「沿い」と言う意味の前置詞anだが、イン河沿いがam(an demの省略形)となっていて、ドナウ河沿いがan derとなっているのは、インが男性名詞でドナウが女性名詞だから。demとderは英語で言えばtheの定冠詞で、名詞と格によって変化する…と書くと、大学時代のドイツ語を思い出す方も多いかしら。男性・女性・中性名詞まではまあいいとしても、前置詞のあと格によって変化するところで投げ出した方も多いかもしれないわね。

城壁の外には…
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眼下にイン河。この河の向こうはオーストリア。このときはザルツブルクからここまで帰ってきたところで、ああオーストリアさようなら…という気分だった。
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それにしてもこの古城、綺麗にして観光地にしようと思っているのかな。
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お洒落と言えばお洒落だが、たくさんの人が見に来るほどの古城でもないように思うけど…
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影が印象的だったので、今回モノクロにしてみた。なんだかパッとしないけど、でもその時そうしようと思って写したものだったことを思い出して。
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ここ、今後どうなるんだようね、いつかまたここに来てみようねって、このとき話していた。
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で、このとき偶然に写してあったここが、ホテルになっているのをその後知った。それで、2022年の春はウィーンに行く途中でここで一泊しようと決めたのだった。
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2017年にはその後ドイツの東部でとても印象深い旅をしているのだが、その話はまたいつか。そう言って保留になっている旅行記がギリシャとかポルトガルとかいっぱいあるけど、本当にいつか追々に。
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2017年夏のパッサウ [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

今日から2017年夏のドイツ国内旅行のお話を。

2017年の夏はいつものようにザルツブルク音楽祭に行き、その後ドイツ国内を数日間旅した。それはうちのドイツ人の父方のルーツを訪ねる旅で、いくつか非常に興味ある場所だったのでいつか書こうと思いつつ、もう6年近くも経ってしまった。しかもその興味ある話に入る前に通過点の町の話がかなり長々と続くのだが、それも楽しい思い出だし、有名な観光地もあればあまり知られていない町だけど音楽愛好家としては重要な場所もあるので、順々に書いて行こうと思う。

ザルツブルクを発ってしばらくオーストリア内の田舎道を北上し、国境を越えてInnという川沿いのNeuburg(ノイブルク)という古城のところで一休みした話は、しばらく前に書いた。今日の話は、そのすぐ近くのパッサウという町で一休みした時のこと。

パッサウは「地球の歩き方」にも載っていたそこそこの観光地。ここは車を停めたところ。
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場所はこちら。市役所前広場のすぐ近く。



ドナウ川沿いを先端まで行きたかったのだが、車はこれ以上乗り入れ禁止だったのでそこに置き、そこからドナウ川沿いを…
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しばらく歩いて行くと…
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イン川とドナウ川のぶつかる地点に出る。
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看板によると…
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場所はここ。
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地図ではここ。



それなりに人がいて…
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パッサウって観光地なんだなと思った。
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でも、溢れかえるほどではなく、のどかな雰囲気。
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ちょっと街を歩いてみた。
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パッサウ街歩き [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

今日は2017年のパッサウのお話を。

パッサウとはドイツとオーストリアの国境の街。この日は夏のザルツブルク音楽祭からの帰りで、ドイツに入ったところ。あ、ここは魚屋さんみたいね。
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ここは写真スタジオかしらね…
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昔のカメラだけど、オートマティックなんだ…それって、かつては画期的だったんだろうなあ。
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うねっている石畳。ヨーロッパの古い石畳はこれが普通なので、綺麗に揃った真っ平らな石畳を見ると、新しい街だとすぐにわかる。
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見上げるとこんな景色。
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あ、ギムナジウムだ…これ、運動するところではなく、ドイツ語で中高一貫校という意味。
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てくてく。
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てくてく。
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自転車も多かった。
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めぎたちもここで一休みした。何を飲んだかはもう覚えていない。
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パッサウの教会 [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

今日は2017年夏のパッサウのお話を。

ちらりと休憩に寄ったパッサウだが、とても綺麗でとても好印象。
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とても細い小路から見上げてパチリ。
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白くて眩しい。
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美しい細工ねえ。
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最後に中をちょっと覗いてみた。
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重厚ね…
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何枚か、雰囲気を。
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石畳も印象的な町だった。
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最後に、こんなに高いところまで洪水になったことがこんなに何度もあるのね。
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この後めぎたちは次の目的地へ向かった。
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ヴァルハラ神殿に寄る [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

今日は2017年のドイツ旅行のお話を。

2017年はザルツブルクからまっすぐ帰宅せずにドイツを少し旅しためぎ家。パッサウで一休みし、その後レーゲンスブルクを目指していたのだが、その近くにあるヴァルハラ神殿にちょっと寄り道。ヴァルハラ神殿というのは19世紀にバイエルン王国のルードヴィヒ1世が建てたこんな建物。
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当時流行の新古典主義で建てられたものなので、ギリシャ神殿みたいな造り。大きさが分かるように人を入れて撮った。レンズは20㎜単焦点。
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これも。持ってるけど使いこなせていないレンズ。
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見えるのはドナウ川。
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場所はこちら。ドナウ沿いにもうちょっと左へ行くとレーゲンスブルク。



階段を下りれば下まで行けそう。
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中にはまず、建てたルードヴィヒ1世。
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ゴージャスだけどシンプルな中。
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そして壁には称賛に価するということでここに祀られたドイツの偉人たち。
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ワーグナーやバッハがいた。
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意外と人がいた。
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妙に新しくて目立つ像が一つ。女の子である。ゾフィー・ショルという名で、反ナチ活動家。2003年にここに加えられたのだそう。
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解放感に溢れてて、印象に残る場所だった。
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この後はこの日の目的地のレーゲンスブルクへ向かった。
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レーゲンスブルクにやってきた [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

今日は2017年夏のドイツの旅のお話を。

この年、いつものようにザルツブルクで過ごしてから、数日ドイツを旅することにしていた。で、ドイツに戻ってノイブルクとかパッサウとかヴァルハラ神殿とか寄りながら移動してきて、初日に泊まったのはレーゲンスブルク。

ドナウの北限に位置する街。



話は逸れるが、めぎはドナウの源泉付近にも行ったことがあるし、ドナウデルタ(河口付近)にも行ったことがあるし、これで北限も制覇。と言ってもレーゲンスブルクには90年代にも来たことがあるのだが、その時の写真はない…当時写ルンですを持ち歩いていたのだが、レーゲンスブルクでは写していなかったのだ。

ドナウ河畔を歩き…
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まずはお昼。
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このソーセージ、噂には聞いていたが、本当に美味しかった。その下のザワークラウトも美味しかったな♪
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ここのドナウも氾濫したことがあるようだ。しかも、そんなに古い話じゃない…
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食べたお店はドイツ最古という触れ込みのとても有名なこんなところで…
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こんな風に焼いている。
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すぐ近くの有名な石橋は修復中だった。
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有名な街だけど、そんなに混んでもいなくていい雰囲気だった。
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レーゲンスブルクを散策 [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

今日は2017年夏のレーゲンスブルクでのお話を。そうそう、前回にレーゲンスブルクはドナウ川の北端で、以前ドナウ川の源泉を見に行ったという話を書いたが、源泉を見たとか見てみたいというコメントがあったので、それについて書いためぎの記事のリンクをのせておく。まず、一般的に有名な源泉がこちらで、あまり知られていないがもう一つのもっと源泉らしい源泉がこちら。ついでに、ドナウ川の河口の辺りについてはこちら、または、お時間がある方はこちらから順番にどうぞ(地図が見えなくなっちゃっているけれど、今それを直す時間がないのでそのまま)。

さて、2017年夏、ザルツブルクからドイツに戻ってきてちょっとドイツを旅行中のめぎ家。一日目はレーゲンスブルクに宿を取り、お昼過ぎに散策しているところ。ドナウ川から旧市街へ向かってくると、こんな塔が見える。
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場所はここ。



その下をくぐって旧市街へ。
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壁に立派な絵が描かれてた。ゴリアテハウスといい、ダビデが巨人ゴリアテに勝った話が描かれている。ゴリアテと聞くとめぎはラピュタを思い浮かべてしまうが、ヨーロッパ人はこっちの話の方を思い出すのだろう。
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場所はこちら。



それからちょっと行くと立派なホテルがあり…
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このアーチをくぐると…
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中庭が開けている。
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レストランのようだ。
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いいなあ、ここ。泊まってみたかったなぁ。
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食事している人たちもいた。
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食事しなくてもここに入っても良いわけは、この銅像があるから。
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ちょっと見、鳥と親しい人のようだけど…
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後ろを見ると…
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こわ…
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場所はこちら。

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レーゲンスブルクの大聖堂 [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

今日は2017年夏のレーゲンスブルクのお話を。

ザルツブルク音楽祭からの帰りにドイツをちょっと旅行しためぎたち。1日目はレーゲンスブルクに宿を取った。それは、大聖堂をもう一度キッチリ見てみたかったから。90年代に一度来たことがあるのだが、当時は写ルンですで建物の中では撮らなかったし、記憶が曖昧だったのだ。
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そう言いつつ、大聖堂を外からは撮っていない。いきなり中の写真。
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この大聖堂、聖ペーター・ドームという名前。
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めぎがよく行くザルツブルクの聖ペーター教会と全然違うな…
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ズームしても遠い…
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天井が高く、上へ吸い込まれて行きそう。
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地下もあった。
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ここの歴史を感じる場所だった。
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上に戻ると、なにやらライトアップしているところがあって…
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うちのドイツ人が蝋燭を一本買って…
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お供えしていた。
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この大聖堂を見に行った割にはそれ以外に覚えていることが無いのだが、しかも記事を書くにあたり何も調べていないのだが、この蝋燭の光だけはよく覚えている。
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レーゲンスブルクでの夕食 [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

今日は2017年夏のレーゲンスブルクでのお話を。

ザルツブルクからの帰りにドイツを数日間旅行。その一日目はレーゲンスブルクで、めぎたちは夕方の散歩中。喉が渇いたのでここに座って…
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夕方ビール♡ この辺りの地ビールの生を楽しんだと記憶している。
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ああ、旅っていいわねぇ。

それから散歩しながらパチリ。
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このときはD600というニコンのフルサイズ入門者向けカメラに20㎜F1.8単焦点をつけていた。
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まあ全然使いこなせてなかったが。
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でもこの頃って重いカメラ持って撮影して歩くのが楽しかったなぁ。
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この日の夕食は、こんなところで。
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どうしてここにしたのか全然思い出せないのだが、場所はここ。ホームページはこちら。たぶん、地ビールの醸造所のレストランへ行こうとしたのだろう。



ここでめぎはドゥンケルビール(色の濃いビール)にしてみた。もう味は覚えてなかったが、美味しく楽しんだと記憶している。
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ドイツはどこに行ってもその町や地方の地ビールがあり、しかも大きな町には複数あったりするので、いつも家でワインを飲んでいるめぎ家も、行先がワインの地方でなければ地ビールを楽しんでいる。その際、その店で生ビールが飲めることが前提絶対条件。瓶ビールを飲むならうちでも飲めるからだ。そして、生は瓶よりずっと美味しいので(缶ビールは論外)、うちではビールを飲まないし、外で飲むなら絶対に生、外で瓶しか無ければワインかビールのその時飲みたい方を、という順番。そんなわけでめぎは地ビールの生しか飲まないため、瓶で提供されるのが一般的なヴァイツェンビール(小麦のビール)には手が伸びず、めぎは未だ飲んだことがない。地ビールはオーソドックスな大麦&ホップ&水だけで作られたビールだが、どの町に行ってもその町の地ビールがあってそれぞれ独特だから、それを飲んで違いを楽しむだけで満足、おなかいっぱい。ヴァイツェンビールが地ビールで生で提供されるならそれを飲むだろうが、そういう場所に行ったことがない。バイエルンに行けばあるかな~と探すのだが、見つけたことがないままである。

たぶんツヴィーベルロストブラーテンというのを食べたのではと思う。ローストビーフの厚切りのような肉にカリカリに炒めた玉ねぎが乗っていて赤ワインソースで食べる料理。付け合わせはジャーマンポテトだった。
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この頃ってこれを完食できたんだなぁ…

キッチンがちょっと覗ける場所。と言っても作っているところは見えなかったけど。
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帰りにもちょっと散歩。食べ終わったのは8時頃だったようだ。
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市庁舎の地下のレストランもある。こちらにしなかった理由はもう分からない。
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これ以上写真を撮っていないので、これで宿に戻ったようだ。
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そして次の日の朝、この写真を撮ってレーゲンスブルクを後にした。
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ここからがこのときのめぎ家のドイツ旅行の本番。複数の目的があったのだ。その話はまたいずれ、順番に。
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95か条の論題から500周年だったとき [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

今日は2017年夏のドイツ旅行のお話を。

その夏、いつものようにザルツブルク音楽祭を見た後、数日ドイツを旅行した。一日目にレーゲンスブルクに泊まった話は前回までに書いた。今日から二日目の話に入る。

で、レーゲンスブルクを出発してちょうど4時間後、めぎはこの写真を撮った。
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1517年のルターの95か条の論題から500周年を祝っていた2017年のヴィッテンベルクである。
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これがそのルターが論題を門の扉に掲示したという城教会の塔。
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この頃、フルサイズのD600に70-300㎜の望遠レンズをつけていた。
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当時はあまりその写りに満足してなかったのだが、今見ると悪くないなぁ。
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さて、1517年当時の扉は消失してしまって今はない。これは1858年にプロイセン王のフリードリヒ・ヴィルヘルム4世からヴィッテンベルク市に寄贈されたブロンズ製の扉である。
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読んで、ほぉ~そうかそうだよね~と言っている人たちの像。
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300㎜、楽しかったんだな…
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ここにその論題が刻まれている。
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ルターの95か条の論題の内容についてはこちらをどうぞ。
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ものすごく簡単に言うと、カトリックの教皇の出していた免罪符などの制度に対し、それはちょっと違うんじゃない?本当の信仰というのはこうあるべきなんじゃ…と95もの議論を吹っ掛けたのがルターで、それやら何やらでヨーロッパには宗教改革が起こり、プロテスタントという宗派ができた。ドイツにはプロテスタントの多い州がいくつかあって、その州ではルターが95か条の論題を掲げた10月31日が祝日である。めぎの住むノルトライン・ヴェストファーレン州はカトリックとプロテスタントがちょうど半々ぐらい住む州なのだが、カトリックの諸聖人の日である11月1日の方が祝日で、ルターの10月31日は平日。あ、そうそう、この10月31日はハロウィーンとは全く関係がない。

音楽を奏でる像がその論題を飾っていた。
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扉の全体像。
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このとき、なぜか中には入っていない。時間がなかったのか、以前入ったことがあるからか、もう思い出せない。
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ここでの話はもう一回続く。
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宗教改革の本教会 [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

今日は2017年夏のドイツ・ヴィッテンベルクのお話を。

ザルツブルクからまっすぐ帰らずにドイツ東部を旅しためぎたちは、まず、当時ルターの宗教改革500周年だったヴィッテンベルクにやってきた。
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今日の話は、先日載せた宗教改革の発端となった95か条の論題が掲げられた場所の城教会に対し、ルターが定期的に説教を行って宗教改革の現場となったらしい市民のための教会のこと。↑上の写真の真ん中左に見えている二つの塔がそれ。世界遺産である。

その場所までやってきたら、外にたくさん観光客がいて、なにやら説明を聞いている。
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何の説明かなと思ったら、塔の下のあそこにある…
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これについてだった。
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↑これ、かつてユダヤ人迫害のためのシンボルとして作られた「ユダヤの雌豚」。反ユダヤ主義のキリスト教芸術に登場するモチーフで、嘲笑や侮辱の意味を持つ。これを今の世でここに設置しておくかどうかも裁判になり、その事実と文化の記念として保存することとなったそうだ。

外は落書きも多い。
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ここは中にも入ってみた。宗教改革祭壇と呼ばれるところも人がいっぱい。
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祭壇の真ん中部分をはじめ…
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色々目についたものを撮ってある。
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オルガンは新品。1811年のオルガンから引き継いだ部分もあるようだが、1983年製作とのこと。
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何を思ってこれを撮ったのかもう思い出せない。我々は生きるか死ぬか…というようなことが書かれているが、どこにこれがあったのかも思い出せない。
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外に出ると、日時計が12時を指していた。
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上を見上げると、1時。夏時間だったからね。冬時間のままなら12時なのだ。日時計は夏時間に合わせることができないのね。Exif情報によると13時2分に撮っていた。
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8月の光と影。
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めぎたちはこれでヴィッテンベルクを後にし、この日の目的地へ出発した。ヴィッテンベルクはかつて2008年に泊まりがけで訪ねていたので(その時の記事はこちら)、今回はちょうど500周年の町でちょっと休憩するだけのつもりだったのだ。車を停めていたのは町の裏。ちょっと街を外れると、雰囲気がガラリと違うわね。
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所縁の場所 [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

今日は2017年夏の東ドイツの旅のお話を。ザルツブルクから帰宅する前に、レーゲンスブルクを経て東ドイツを数日回ったお話の最初の部分。

先日書いた宗教改革500周年を祝っていたヴィッテンベルクを後にしてこの日の目的地に向かう途中、こんなところに寄り道していた。
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もうすっかり忘れていたのだが、わざわざ機関車を見に寄ったんだろうか…?
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そう思って撮ってあった案内板を見ると、この辺りに鉱山があったらしいことは分かるのだが、地名を頼りにググってもめぎにはどうもピンとこない。
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で、うちのドイツ人に聞いてみたら、この近くに用が合ってやってきて、ちらりと機関車が見えたから寄ったのだという。
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ふーん…
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ひょっとしたら、機関車が見えてめぎが写真撮りたいって言ったのかもしれないな。
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で、寄りたかったというところはこの辺。
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ツバメの巣がたくさんあった。
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そしてここにも公園。ツバメの巣がいっぱいあるところは一応お城らしい。
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ここ。
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場所はこちら。すぐ上に機関車の公園があったMöhlauがある。



映像の地図だと、その公園の迷宮庭園も写っている。



この町にかつてうちのドイツ人の父親が子どもの頃、祖父母(うちのドイツ人の曽祖父母)を訪ねて遊びに来たという写真がある。1937年の写真だ。うちのドイツ人の父親はもともとは東の出身で、16歳の時にその父親(うちのドイツ人の祖父)に一人連れられて他の家族(母親や弟妹)を置いて(!)西へ逃れたのだが、これはまだ東側に住んでいた時。この車はHanomag Kurier Typ 11というらしい。
006 - Wittenberg 1937 Ausflug zu den Großeltern nach Altjeßnitz - mit Hanomag Kurier Typ 11.jpg


ちなみに東に置いてきた家族は一生西へ来ることはなく、家族はバラバラになった。今も東側に住むうちのドイツ人の父親の弟を訪ねて行ったのはこの前年の2016年夏で、その話はこちらから記事3つ分。

で、うちのドイツ人としては、その写真の辺りを訪ねてみたかったのだという。いったいどこにその家があったのかもはや定かではないが、ひょっとしたらこの公園で遊んだかもしれないわね、この家だったりしてね、などと想像するとちょっとロマンを感じた。
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この時点で15時ちょっと前。この後本当にこの日の目的地へと向かった。
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ケーテンという町 [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

今日は2017年夏の東ドイツの旅のお話を。

東ドイツ、と書くと語弊がある。ドイツ東部、と書くべきなのかもしれない。でも、なんとなく、めぎは東ドイツと言う言葉の方がしっくりくる世代なのだ。長閑なこんな道を走るのだが、道路は綺麗に舗装されてて、西より整備されているような気がする。めぎの払った統一税がここに使われたような気がするのは、気の所為かなぁ…(2021年にこの統一税(連帯税という名)がやっとなくなったのだが、この当時は西側で働く人間はまだ払っていたのだ。)
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この前日にザルツブルクからレーゲンスブルクに移動し、この日そこからルターの宗教改革のヴィッテンベルクを経て移動してきて、15時半頃やっとこの日目指していた町ケーテン(Köthen)に到着。宿にチェックインし、すぐに散策に出かけた。
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この辺りが町の中心部。ドイツによくあることだが、戦争で爆撃を受けたので、再建された町自体はかなり新しい。
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その中に、ちょっと趣のあるこんなところを見つけた。ビール醸造所だ。
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入ってみると…
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なかなか雰囲気がいいのでちょっと座ることとした。
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ウエルカムドリンクとして地ビールを。これ、すっごくすっごく美味しかった。こんな名も知られていない町にこんなおいしい地ビールがあるなんて。
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お手洗いに行くついでに中も撮影。
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外も素敵。
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めぎたちはこの中庭に座っていたのだ。
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場所はこちら。



この町に来たのはビールを飲むためではなかったのだけど、本来の目的に加え、この美味しいビールの思い出がとても強く残っている。
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ケーテンでバッハゆかりの場所を訪ねる [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

今日は2017年夏のドイツ東部ケーテンという町でのお話を。

ザルツブルクからレーゲンスブルクを経てヴィッテンベルクにちらっと寄って、この日の宿泊先ケーテンに着いためぎたち。ケーテンという町に来たのは、バッハゆかりの地を訪ねるため。
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↑この銅像の辺りにバッハが住んでいた2つ目の家だという建物があるが、そこは現在老人ホームで公開されていない。1つ目の家は今はない。



バッハが通ったわけではないが、バッハの名前を冠した学校もあった。
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そして、目指すところにやってきた。
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美しい公園になっている城跡である。
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ここの宮廷学長だったバッハは、ここでブランデンブルク協奏曲を作曲したと言われている。めぎは子供のころヤマハで作曲を習っていた時、たしか小学校4年生ぐらいの頃なのだが(つまり夏に札幌で訪ねた小学校の先生が担任だった頃なのだが)、その時の作曲の先生にこのブランデンブルク協奏曲の5番を習い、グループレッスンでみんなで各パートを分担してエレクトーンで弾いたりして、非常に勉強になった。今でもそのスコアを大事に持っている。その思い出の曲の場所を見てみたかったのだ。
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ちなみにうちのドイツ人も高校生の頃ブランデンブルク協奏曲に嵌り、大学生になってから↑2つ上の写真の絵がジャケットになったレコードを買ってそれを何十回も聞いたそうで、その絵の中の城を訪ねてとても嬉しそうだった。

整備すれば観光地になるかな、とケーテン市もやっと気がついたのか…
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改修工事中だった。
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実はここ、もっと以前にも一度訪れている。当時のここは、あちこち壊れたまま忘れられた感じになっていた。その時は移動中でほんの1時間ほどの散策だったので、もう一度ゆっくり訪ねてみようとやってきたのだ。工事中だからか、夏の観光シーズンなのにほとんど誰もいなかった。
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今はここを舞台にバッハのコンサートなどが開かれ、それが時折日本のNHKプレミアムシアターの番組でも紹介されているようだから、工事は終わったのかも知れないわね。このときは中に入れなかったが、今はどうなのかな。人がよく来るようになったかしら。

誰もいないバッハゆかりの場所、このとき独り占めできてよかった…
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それから少し、思いを馳せながら公園を散策。
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バッハは1717年から1723年までこのケーテンで宮廷学長を務めたが、ケーテン候の妃が音楽嫌いで楽団が縮小されたため、ライプチヒに移った。そんなことがなければライプチヒはバッハで有名にはなれなかったし、このケーテンがバッハの町になっていたのだろうから、歴史って面白いわね。
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木漏れ日が美しかった。バッハのいた頃にもこういう日があったのだろうな。誰もいないので、時が止まったかのようだった。
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これでこの敷地を後にした。
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ケーテンの町をブラブラ [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

今日は2017年夏のドイツ東部のお話を。バッハがライプチヒに移る前に数年宮廷楽長を務めていたケーテンという小さな町を散策中。前回の話はこちら

前回の話の最初に出てくるこのバッハの像があるところからまっすぐ向こうに、町の中心部の教会が見えている。
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場所はこちら。



その近くに、ホメオパシーという一種の医療の創始者ハーネマンの住んでいたところがあった。この町、バッハだけじゃないのね。
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ハーネマンをトリミング。
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場所はこちら。



場所はあちこち飛ぶが、最初の場所から見えていた教会は、聖ヤコブ教会というようだ。中は見ていない。
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場所はこちら。



その影がこちらに。
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これは市の役場のようだ。
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場所はこちら。



ケーテンの街中。
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その他、もうどこだか分からないが、趣あるなあと思って撮った写真。
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綺麗なのに全然人気のない過疎化した感じの町の様子が印象的だった。
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ケーテンにて [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

9月に入り新年度も3週間が過ぎ、やっと普段のリズムがつかめてきたので、以前細々と書き続けていた旅行記を再開しようと思う。去年の11月まで、7つの旅の話(2022~23年末年始のボルネオの旅、2023年夏のザルツブルク、2023年春のザルツブルク、2016年春のポルトガル、2023年初夏の日本、2023年春先の南西ドイツ(ロットヴァイル)、2017年の東ドイツ)を日替わりで同時進行していた。が、12月が忙し過ぎて過去を振り返る余裕なく近況の話に留め、その後は義母の突然の死とうちのドイツ人の骨折でもう旅行記どころではなくなって、すっかり中断していた。まずは上に上げた旅の中のいくつか、気が向いたものの中から再開+今年のザルツブルクの話も忘れないうちに始めようかな。今日はまず、2017年の東ドイツの旅のお話を。

2017年の夏、ザルツブルク音楽祭を楽しんだ後にうちのドイツ人の親のルーツを辿る旅をした。義母も義父も元々は東の出身で、冷戦時代に西に逃れた人たち。だから、ルーツの大半は東側に残っている。でも、そのルーツの話に行きつく前に、ザルツブルクから出発して国境を越えたあたりのドイツ領のノイブルクやパッサウを経てレーゲンスブルクに一泊、、その次の日にヴィッテンベルクに寄り(それらの話はこちらから)、ケーテンという町で一泊。そのケーテンの話は今までに3記事書いていて、1つめはこちら。これを書いたの、もう1年近くも前だ…次にケーテンのバッハの話で、それはこちら。そしてケーテンについて最後に書いたのがこちら

で、今日はケーテンについて4回目の記事で、前回までの3記事の内容をサクッとまとめると、なぜめぎ家がケーテンに寄ったのかと言えば、バッハがブランデンブルク協奏曲を作曲した場所だからなのだが、そこで思いがけず凄く美味しい地ビールに出会った。それで、その日の夜は迷わず同じビアガーデンへ。
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場所はこちら。



地ビール、美味しかったなぁ…
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何のスープだったかもう思い出せないが…
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メインディッシュがものすごく美味しかったと記憶している。
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こんな小さな町でこんなに美味しいものに巡り合えて、真夏の夏休み中なのに観光客もほとんどいなくて勿体ないね~と話しながら、当時二人でこんなにいっぱい完食。
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2017年と2024年の7年の差は大きい。今はもう一皿を半分こしても食べきれないかも…
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ケーテンで泊まったところ [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

以前の旅行記の続きを書くのを再開しようと、2017年のドイツ東部のケーテンの記事を書いたのは9月10日のこと(こちら)。それからもう一か月が経とうとしている…なかなか旅行記を書こうというゆとりが持てなくて。

で、今日やっとケーテンの最終回を書くのだが、それは内容的にはかなりどうでもいい話。ケーテンについてはバッハと地ビールに尽きるので、それは上のリンク先から前の記事をぜひどうぞ。で、今日の話は、ケーテンで泊まった宿のこと。
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ペンション・レーマンという宿だ。
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凄く旧式なしつらえの宿。
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端っこにシングルベッドもある3人用の部屋だった。
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ネットでちょっと探して見たところ、その宿は今もある(こちら)。どうやらリノベしたようだ。めぎたちが泊まった部屋はUnsere Zimmer(私たちの部屋)のページの写真の家具の調度を見るとZimmer 3なのではないかなと思うが、そこは今は2人用。リノベは部屋によって2017~2018年と書かれている。他の部屋は随分今風に変えたようだが、めぎたちの部屋だけは古い家具をそのまま置いているようだ。多くが今もバスルーム共用。いくつかはキッチン付きのアパルトメント。

2017年当時はちょっと湿っているような感じで黴臭く、東にはまだこんなところがあるのねぇ…と東と西の違いを感じたところだった。今はどうかな。
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窓からの景色はこんな感じ。
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朝食の食器も、古きヨーロッパ。これはこれで味があったなぁ…内容は簡素だが、茹で卵付。
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めぎたちはこれでケーテンを後にし、次の目的地に向かった。そこからこのときの旅行のハイライトに入っていく。そんなに遠くないうちにその話に入りたいと思っている。
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地の果てのような場所に [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

今日は2017年のドイツ東部の旅行記を。

ザルツブルクから出発してレーゲンスブルクで一泊、ケーテンで一泊し、やっとドイツ東部での真の目的地の一つに到着。
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何にもないところに妙に道路が真新しい。それが東。
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なぜ道路が新しいのかというと、西側の人間が長いこと統一税を支払って東にお金をあげて綺麗にしたから。

目指すはこんな通りの…
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この建物だったと思う。
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部分的にとても古い煉瓦が印象的。
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この中で待っていたのは古い古い本。いや、本というより、ノートと言った方がいいのかもしれないが。
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ホント古い。
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中には1857という数字が見える。これ、教会の記録。
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うちのドイツ人はこの頃、祖先の跡を辿っていた。父方も母方も元は東の出身で、どちらも西側へ逃れてきたため、そして両親が子どもの頃に離婚し、東側の祖父母や親戚に会ったことがほとんどなかったため、当時50代後半になって自分のルーツを知りたいという気持ちが非常に大きくなっていた。で、あちこちに問い合わせをしてこのド田舎に父方の祖先の記録があるのを突き止め、あらかじめ予約して、実物を見せてもらいに来たのだった。

この頃の教会の記録は、手書きである。美しい文字とともに、線を引いて消したり、インクの染みがあったり、その頃の息遣いが蘇ってくる。今の電子化した記録では、200年後にこんな感動を遺すことはできないだろうな。
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場所はこの辺。うちのドイツ人はここを日本語で「地の果て」と呼んだ。その言葉を彼が覚えたのは20年ぐらい前、北海道の野付半島に行ったときである。こんなずっとずっと遠くの東の果てに自分のルーツがあったんだなあとしみじみしたようだった。地図を写真版で見ると、その田舎度合いがよく分かる。ここに祖先が住んでいたわけではないのだが、ここに教会の記録が保管されていたのだ。なんとまあ。



つづく。
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昔の記録と戯れながら [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

今日は2017年のドイツ東部の地の果てのようなところでのこと。場所はデッサウの近く。

うちのドイツ人の父方の祖先の記録が載っている書類。
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洗礼、結婚、埋葬の記録が載っている。長い人類の歴史から見るとほんのちょっと前のこと。でも、この頃のドイツや世界を思うと、果てしなく遠い昔。だってこの年代って、モーツァルトが生きていた頃なんだもの。
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手書きなので、担当者が変わると筆跡が全く異なる。長い間勤めて引退したのね、というのが分かって面白い。
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うちのドイツ人は用意されていたこんな手袋をはめて触らせてもらっていた。
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素敵な字…1729年に書かれたということなのかな。
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ここの担当者は緑のTシャツを着たおじさん。このとき、随分お年の方に見えたけど、今見ると今のドイツ人より若い。このときは、この人ってこんなド田舎でこういう教会の記録を問い合わせに応じて探して出したり仕舞ったりする仕事をしてるのね、でもそんなに問い合わせってあるのかな、と思いながら話していたのだが、今はもう引退したのだろうか。
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そしてその横にいた青年…まだ片言のドイツ語しかできなくてほぼ意思疎通できない状況だった彼は、この2年前からドイツに押し寄せた難民の一人なのだという。この仕事場で一人受け入れたのだとか。彼、祖国を離れ、友だちとも離れ、こんな田舎で一人ぼっちで、何を思っているのかな。胸に目立つ十字架が印象的。
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うちのドイツ人は今こうして旧東側に何の問題もなくやってきてこの資料を見ることができているけど、若い彼はいつか故郷で祖先の足跡に触れたりすることができるようになるのかな。
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古いエレクトーンのようなものがあった。
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必要な部分の複写をしてもらったりして用事を果たし、1時間ほどでここを後にした。
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風力発電の装置 [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

今日は2017年のドイツ東部でのお話を。

ここはドイツのCoswig(コスヴィッヒ)という町の近く。
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ここに来たのは、前回までに書いたように、うちのドイツ人の父方の祖先の教会の記録がここに保管されていたため。こんな部屋でこんな記録を見せていただいた。もうこの話は書いたので、パラパラでどうぞ。
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場所はこちら。



この辺り、本当に何もなかった。何もないところに(言い換えると広大な畑の中に)風力発電の装置がたくさん立っていた。
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車に乗ってちょっと移動。
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窓から景色を撮る。
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途中でちょうど風力発電の装置を建設中のところがあったので、車を停めて撮影。
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鳥がいる…
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トリミング。
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寄って撮影。
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風力発電って大きいのねぇ。
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ここまでどうやって運んだのかな。
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これを立てると景観が失われる。でも、インフラとして電気は必要なわけで、泥炭や石炭や原子力を使わないのなら何らかの装置をどこかに設置しなければならない。風力の代わりにトウモロコシなどを原料としたバイオ電力もあるが、それには広大な畑が必要で、それだって広大な自然を畑に変えるわけで、やっぱりもともとの何かを失う。人間の営みって、酷いわね。

そんなことを思いながら撮影。
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古い教会 [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

今日は2017年夏のドイツ東部でのお話を。

うちのドイツ人の父方の祖先の教会の記録を見た後、めぎたちはその近くのこんな教会のところにやってきた。
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場所はこちら。Altjeßnitz(アルティエスニッツ) という町の教会。写真バージョンにして少し拡大すると、近くに迷宮もある。そこは見てないけど。



中に入ってみる。
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お墓があった。
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教会は小さな礼拝堂という感じで…
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上には2001という文字が。随分新しいな…
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こちらには1707と言う文字が。上の屋根が新しいってことかな。
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下には、漂石(その昔に氷河に運ばれた石)を使って1300年ぐらいに建てられた文化財だと書かれてた。
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お洒落な取っ手。
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漂石、いっぱいあったんだなぁ…その昔の氷河時代、今のドイツからは想像できないわね。
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ここに祖先のお墓があるというわけではないのだが、うちのドイツ人がこの辺りを調べていた時にここに文化財があるというのを知って、せっかく近くに来たので寄ってみたのだった。
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ここでの話、もう一回続く。
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