ドブロジャ地方 [ルーマニア]
今日からルーマニアのお話を。
5月22日から24日までのほんの2泊3日、駆け足でルーマニアのドブロジャ地方へ。
↑これはルーマニアの首都、ブカレスト。何度か縮小していただけると、ルーマニアの形が見えてくる。今回めぎが向かったのは、ブカレストの東側、ドブロジャ地方。右側に黒海が見えました?
そもそもなぜルーマニアへ行くこととなったかというと、旅行の計画ではなく、学会のためだった。その学会は去年の秋の予定だったのだが、仕事の都合がつかず参加を見送ることとなり、既に取ってあった飛行機をキャンセルしようかとしたときに、うちのドイツ人が、せっかくだからルーマニアに行ってみようよ、と言いだしたのだ・・・彼はヨーロッパ各地ほとんどくまなく行ったことがあるのだけど、ルーマニアは未踏だったそうで、ぜひ、と。そのときに飛行機の予約を延期したのが上記の期間だったというわけである。
ルーマニアって聞いても、恥ずかしながらめぎはチャウシェスクとコマネチくらいしか思い浮かばなかったので、具体的に行きたい所などはなかった。何をしよう?何が見たい?と自問自答したときに、街には興味のわかなかっためぎはとりあえず黒海を目指すことにした。海の好きなうちのドイツ人にも異論はなく、それから黒海というキーワードでネット検索を続けているうちに、ドナウデルタの存在に気がついた。おおおお!ドナウデルタって、昔々地理で習ったような・・・と懐かしくなって調べたら、そこは鳥さんたちの夢の楽園だとか。それは行くっきゃないでしょ♪
と、すっかり楽しい休暇気分で現地入りしためぎ。首都ブカレストで飛行機を降りてレンタカーして走り出したときにまずめぎの目に飛び込んできたのは、幹線道路の真ん中に立って車を止めてサングラスを売ろうとしている少年の姿だった。ええっ!?ルーマニアって、こういうところだったの?だって、EUに入ったんでしょ?とどぎまぎしていると、程なく田舎に入ってから見えてきたのがこちら。
振り返ってびっくり、ロバに引かせた荷馬車。それから次々と、牛に鋤を引かせている様子などが目に入ってきた。そして、手作業で農業を営んでいる人々が・・・(ぶれてしまったのが多いけど、雰囲気をどうぞ)
こんな広いところで、炎天下で、気が遠くなりそう。
荷馬車を引くのはロバの場合と馬の場合があって、それも貧富の差なのかしら、と想像してみたり。
道具を持って歩いている人たちも。
こうして見ると長閑にも見えるんだけど。ぶれてしまったが、雰囲気をどうぞ。
真っ黒になって過酷な作業をしている人たちをあんまりカシャカシャ撮るのは気が引けて、遠くから望遠で。ホンの小さな子どもも大きな鎌を持って仕事をしていた光景が忘れられない。この牛飼いも、顔を見たら15歳くらいの少年だった。
休暇気分の吹っ飛んだめぎ。とは言えもちろんドナウデルタの美しい鳥の楽園の光景を満喫し、おいしい料理を非常にお安く賞味し、黒海のリゾートの雰囲気までしっかり味わってきたので、その様子も追い追いにお伝えするつもりだけど、まずはこのドブロジャ地方の暮らしの様子を整理してから。そのようなわけで、明日は彼らの住んでいる村の様子をお伝えする予定。
ドブロジャ地方2(村の様子) [ルーマニア]
本日は、ルーマニアのドブロジャ地方の村の様子をお見せしつつ、めぎのルーマニアに対する複雑な思いをつれづれに。いつもと違って重たいテーマなので、お疲れの方は写真だけをどうぞ。
ルーマニアについて書こうとすると、自分の文才の無さに愕然とする。どうしたらこの現状を正確にお伝えできるのか、全くもって分からない。語彙力も表現力も欠乏していて、それは自分自身が無知だったからだという現実にも愕然とする。
めぎは、ルーマニアをヨーロッパの一部、EUの仲間入りを果たした国、というふうにしか見ていなかった。旧共産国と言えば東ドイツも同じことで、旧東ドイツは未だ旧西ドイツ側と比べると復興が遅れているけれど、基本的な西側の、つまり先進国の生活水準は一応保たれている。ルーマニアへ行くにあたり、旧東ドイツよりちょっと復興や開発が遅れている程度、例を挙げればポーランド程度を想定していたのであって、発展途上国へ行くつもりでは全くなかった。
地理的にはルーマニアはトルコのすぐ近く、海を渡ればグルジア、つまりほとんどアジアのような、ヨーロッパの地の果てだと言うことはもちろん分かっている。その中でもドブロジャ地方は最も東で、もともとトルコ人やロシア人、さらにジプシー(この言葉はドイツでは差別用語なので使ってはいけないが、日本語では分かりやすいので使用する)が多い地域。もともと貧しかった上にチャウシェスク時代にもインフラ整備に取り残されたそうで、ドラキュラで有名なトランシルバニア地方のような美しい街並みが残っているわけではない。
しかし、ひたすら無知だっためぎは、EUの仲間の国と言えば、ドイツ国内旅行と大差ない気分だったのだ。スペインやオランダやチェコへ行く気分と同様だったと言えば多少想像していただけるだろうか。
もっとわかりやすく言うにはどうしたらよいだろう。ルーマニアはドイツの隣の隣の隣の国。国は違うけど同じEUの国。ということは、東京から福島、新潟、富山、岐阜、愛知辺りに旅行する気分と同じ。日本国内でも歴史も文化も違うし、東京のギガントな発展と他県の現状とは全く違っているから、ちょっと違うものに触れたいという旅情を求めて他県へ旅行に行く。でも、基本的な生活水準は日本国内ならそれほどの差はない。他県に行ったらほとんど車が無くて、あってもたいてい60年代のであちこち壊れてて、みなさんロバの引く荷車に乗ってました、なんてことは絶対にない。それと同じような気分だったと想像していただければ分かるかしら。
要するにめぎはけっして、発展途上国のまだ観光地化されてない奥地の村に行くようなつもりではなかったのだ。しかし、ルーマニアのドブロジャ地方は、それにほぼ近い暮らしである、と言えなくもないのが現実だった。それになんと言ってもここは、冬には雪が積もる寒い地域。この住まいで寒さをしのいでいるのかと思うと、なんと言って良いやら・・・
小さな村にも教会があって、それはとても立派。教会については改めて詳しく書くつもりだ。村には新しめの家が建っている場合もあるが、建築中の新しい家が途中で放置されたままになっている例も多く、経済がうまくいっていないことが伺えた。
この写真だけを見ていると、牧歌的な感じや古き良き時代の懐かしさが感じられる。それに、たしかにここに住む人たちにとってはこれが現実で、この生活にある程度満足している雰囲気もあった。悲壮感が漂っていたわけではない。ただ、忘れてならないのは、彼らは選んでこの生活をしているわけではないということだ。例えば、環境保護のために機械化導入を見送ったわけではない。民族の歴史的文化を守るためにこの住居を維持しているわけでもない。ただただお金の余裕が無くて、選択の余地無くこの厳しい生活を続けている、ということだけだ。
ルーマニアの、家族みんなで力を合わせる生活は非常に大変とはいえその流す汗は美しく、今日の写真から見える暮らしぶりも、世界中の生活が画一化して行っているこの世の中では非常に価値のある貴重なものだと言うことさえ、見方によってはできるだろう。これは、昔の生活を博物館で復元したものではなく、本当の現実なのだから。ドイツや日本の50~60年前、約2世代前の生活をしている人が、ヨーロッパ内に存在する・・・それが、現実なのだ。
しかし一方で、ルーマニアは国としてはEU入りを果たし、その結果EUは巨額投資をしてルーマニアに高速道路を造ったりなどの援助をしている。調印だけはなんとシェンゲン入りも果たしている。簡単に言えばシェンゲンというのは通貨をユーロで統一し、国境のパスポート検査も廃止して国内旅行扱いとし、したがってどこに行っても同じインフラと生活水準を約束する協定。だから、ルーマニアは目下通貨をユーロにするために全力で復興中というわけで、それはドイツやフランスが自分たちと同じ生活水準にするためにルーマニアに巨額な援助をこれからずっと続けていかなければならないと言うこと。
それは、ドイツに住む外国人のめぎにとっては、なんとも言えない、複雑な気分を生み出すのだ・・・そうでなくても経済危機でドイツ国内だってこれから色々大変なのに、めぎがなけなしの給料から払っている税金の多くがドイツ国内で使われずルーマニアへ流れるっていうこと。将来、めぎが老後を迎えた頃、ドイツはいったいどうなっているのだろう。外国への援助で財政赤字が雪だるま式に増えていても、今のように外国人にも寛大でいてくれるかしら。
それから、外国人労働者のめぎがドイツからぬくぬくとルーマニアへ休暇なんぞに出かけているのに対し、ヨーロッパの民族がこんなに汗水たらしてギリギリの生活をしているということ。
ドイツに住んで、ヨーロッパの仕組みの中に身を置いて、もうすぐ丸7年が経とうとしていて、ずいぶんヨーロッパに詳しくなったつもりでいたけれど、なんにも、ほんとに文字通り何も、全く、全然、これっぽっちも知らなかったんだなあ、と思い知っためぎ。ヨーロッパを遠く離れた日本で育ち、先進国でしか生きたことのないめぎには、経験上想像力が全く欠如しているのだろう。人の想像力というのは経験の範囲内しか及ばないということをつくづく感じる。
こういう村へやってくる日本人はまだ非常に少ないのだろう。めぎは一歩車を降りると非常に注目の的で、写真を撮るのは非常に難しかった。だから、走っている車からガラス越しに撮ったものが多く、変な光が入っていたりするが、どうぞご容赦を。
これからどんどん外国資本が入り、後日お伝えするつもりだが工場が危なっかしい設備のまま乱立し続け、EUに入ってから人の移動も簡単になって既に若い労働力が西側へ流れ始めているし、サテライトTVや携帯電話の普及もめざましく、これがどう変わっていくのだろう。ブカレストでは物乞いの少年がいたし、このままこの生活に甘んじ続けるとは到底思えない。いずれにしろ、ルーマニアはEUの水準に達することを国家を揚げて取り組んでいる真っ最中なのだから、この景色は30年後くらいには激変しているのかも知れない。
ルーマニアの現状に関しては、岡嵜八重子さんが2005年にこちらをお書きになってネット公開している。この中のドブロジャ地方に関する記述は、めぎが今回見たのと全く変わりがない。興味のある方はぜひどうぞ。
明日は集合住宅の建つ町の様子をお伝えする予定。その後、教会、車、工場、電車などが続く。鳥の楽園や黒海のリゾートの様子をお伝えできるのはもう少し先のことになりそう。
ドブロジャ地方3(町の様子) [ルーマニア]
今日はドブロジャの町の様子を。例によって車のガラス越しの撮影のものが多く写りがおかしいけれど、どうぞご容赦を。まずは、一日目に通ったBraila(ブライラ)という地方都市。
政党のプラカートが至るところにあって選挙戦中のように見えたが、選挙は去年の冬だったはずだし、うーん・・・いつもこうなのかしら。
町には車が結構いっぱい走っているし、トラムもある。町と村とでは相当な格差があるようだ。
教会はとても立派。
次に、一夜明けてドナウデルタ地帯の小さな町、Mahmudia(マハムディア)やMurighiol(ムリグヒオル)の辺り・・・町の読み方は想像なので、もしかしたら違うかも。ちょっとトルコ風の名前で、ここが微妙な地域であることが伺える。
このように、集合住宅にはサテライトTVが普及していることがよく分かる。このような暮らしをしつつ、アメリカ映画のルーマニア語吹き替えなどを見ているわけで、彼らが豊かな生活を求めて西側へ移動するのも時間の問題だろう。
めぎにとってサテライトTVや携帯電話は、その他の様々な都市生活のインフラ発展に伴って導入されてきたというイメージが強い。白黒テレビからカラーテレビになり、その後かなり経ってから衛星放送が導入されていったという歴史や、黒電話がプッシュホンになりFAXが導入され子機が出現しPHSやポケベルが流行始め・・・という歴史の延長線上に携帯電話がある。その歴史とともに、日本の町の景観もどんどん変化していった。それに対し、ここに写っているアパートや雑然とした整備されていない道路の様子(電信柱の上にはコウノトリの巣!)は、めぎが生まれた頃かもっと以前の日本の景観であって、携帯電話を初めて手にした頃の景色とは雲泥の差だ。しかし、ルーマニアでは町にはパラボナアンテナが至る所に取り付けられ、町の住民は皆、そう、みんな一人一人携帯を持っていた。最新技術がこのような所へポンといきなり入り込んでしまっているのが妙に落ち着かずミスマッチだと感じるのは、先進国の人間の勝手なイメージなのだろうけど、どうも不思議な感覚だった。
ルーマニアが今更黒電話や大きな子機から始める必要は全くないし、大掛かりな工事が無くてもこうして世界とつながることができるなんて、素晴らしい。ただ、なんというか、この様子を見るにつけ、日本の明治維新や戦後の状況・・・技術のみをどんどん取り入れ、その背景にある歴史や文化や思想やものの考え方などは後回しになったこと・・・を彷彿とさせるのだ。便利さだけを追求したり国力アップだけを目標にしたりしていては様々な問題があとから浮上してくるのは目に見えている。考え過ぎじゃなければいいけれど。
最後に黒海沿岸都市、Constanta(コンスタンツァ)。これは考古学博物館。
その近くにあるモスク。
この辺りはコンスタンツァの観光中心地。ブカレストの人たちが休暇を過ごしたりする場所のようだ。
ところが・・・
びっくりするほど瓦礫が多く、寂れている。
でも、西側文化はしっかりと入ってきている模様。
このすぐそばには黒海。
ルーマニアの貨物輸出入の半分はここで行われているとか。
ドアを開けたまま走るバス。ずいぶん綺麗な色だなあ。
これがドブロジャ地方最大の都市のど真ん中の現状。
明日は車の話を。
ダチアと自動車インフラのあれこれ [ルーマニア]
ルーマニアでは2日前にご紹介したように、小さな村の一般道をロバか馬に引かせた荷車に乗って人々が移動しているのだが、もちろん車も走っている。フロントグラス越しでひどい写りだけど、地方都市の道はこんな感じ。
非常に目についた車がこちら。
ルノー系のルーマニア車、ダチア。
この車の名前は、古代ローマ帝国時代のルーマニア、Daciaに由来する。ダキア、と言えば世界史で習った記憶が蘇る方も多いはず。
40年くらい前の車のようだが、穴ぼこぼこの道を元気に走っていた。
こうして見ると、道路の質の悪さが少しは伝わるかしら。これはかなり良い方。
舗装してあっても穴ぼこだらけの道が多く、穴に落ちるのを避けるためにハンドル操作やブレーキなどが頻繁で乗っていると助手席ではねるような感じ。うちのドイツ人は自分の車ではルーマニアで運転したくない、と言っていた。
ちなみに、めぎたちが借りたレンタカーはこちらの車。
3日間で100ユーロ=13000円くらい。冷房完備だし、見た目のこの新しさ。首都ブカレストでは大きな立派な車や新しい車も多数走っていて目立たなかったけど、古いダチアとロバと馬だらけのドブロジャ地方でめぎたちが如何に浮いていたか想像できます?
道路にはたまにバイクや自転車も走っていたが、スポーツやレジャーで乗っているような雰囲気はなく、後ろに乗っている子どもが手に鎌を握りしめていたりなど、畑に行く途中らしいのが多かった。6~10歳くらいの子どもが一人で歩いているのも目についた。ルーマニアでは、子どもはかなり小さいうちから一人の労働力として頼りにされ、精神的に自立しているのだろう。もちろん学校もあるが、放課後や週末は畑仕事や道端での物売りを担当しているようだった。赤ちゃんから3歳くらいの兄弟を負ぶったり面倒見たりしながら一人で果物を売っている子どももいて、何度も同じことを書くけれど、これがEUに所属する国であるということに愕然とした。
ドイツに戻ってきてから、日曜日の夕方に、同じ年頃の子どもの兄弟がヘルメットをして楽しそうにそれぞれ真新しい自転車に乗って遊んでいて、それを近くでお母さんがしっかり見守っていて、しっかり自転車専用道路が整っているのが目に入り、なんて恵まれた裕福な国なんだろう、と実感した。
ルーマニアの一般道には、自転車専用道路どころか歩道もほとんど無い。
村と村の間には時折警察の姿が目についた。
黒海沿岸最大の都市コンスタンツァの郊外では、中古の車や部品のフリーマーケットがあったようで、ものすごい人出だった。いつかはロバや馬の荷車も車に取って代わるのかしら。それとも、格差は開いていく一方なのかしら。
ルーマニアのガソリンはドイツと比べると非常に安い。1リットル当たり3.73レイ=90セント程度=120円程度。安いと言っても、それはドイツと比べてめぎがそう感じるのであって、このガソリン代を払える人はルーマニアではある程度裕福な層に入るのではないだろうか。ちなみにドイツのガソリンは2009年6月2日現在、1.3ユーロ程度=177円くらい。ドイツはガソリン税が非常に高いのだ。
バスも走っているが、たいていベンツ。ドイツの古いバスが今ルーマニアで使われているようだった。
さて、コンスタンツァからブカレストへ向かうと、まだ完全ではないがブカレストまで立派な高速道路がほぼ出来上がっている。EUの援助で作られたこの高速道路、走っているのはごくわずか。
160キロの道程中、車は数えるほどしか見かけなかった。一般幹線道路をたくさんトラックが走っていたのと対照的だ。高速道路は有料なので、みんな避けているのかも知れない。何台かダチアを見かけたが、性能上か古い所為かあまりスピードが出ないようで、高速を走る意味がないのかも知れない。こんな閑散とした高速道路にEUが投資して、一般道の穴ぼこは誰も埋めていないというのはなんともやるせない気分。
ブカレストからドブロジャ地方を観光しようとすると、恐らくこの高速を使ってコンスタンツァまで行き、そこから南下して黒海沿岸のリゾートに行くか、北上してドナウデルタに行くかのどちらかだろう。コンスタンツァを中心として南北に延びる幹線道路はそれほど状態が悪くない。日本からのツアーはたぶんそのルートを使っているのではないかと思われる。黒海沿岸はいかにもリゾートという感じだし、ドナウデルタの方は自然が非常に美しく、そこに至る道も完備、というわけで、旅行の仕方によっては全く違った印象を受けるのかも知れない。
工場とインフラ [ルーマニア]
ルーマニアには、かなり無造作に工場が建っている印象。
工場のある辺りは写真撮影禁止の看板が出ていることも多く、近くではなかなか写真が撮れなかった。
撮影禁止と言えば空港周辺も。ルーマニアでは飛行場や飛行機の発着陸などを撮影することは全くできない。
工場は、かなり設備が古そうに見えるものが多かった。撮影できなかったが、長い長い管が錆び付いていて、大丈夫なのかなあと感じたり。けっして環境保護などに感心があるようには見えない雰囲気。これから安い労働力を求める外国資本がどんどん入って、いったいどういう設備の工場をここに造るつもりやら。安いってことは、人だけでなく設備もお安く作るってことじゃないのかしら。ドイツや日本だったら環境保護規制でお金がかかるから、こういうところで適当に・・・なんてことのないように願う。
畑の向こうに大きな工場地帯。
ドナウ川の支流がたくさんあって、物資を運ぶのには便利なのだろう。
電信柱も非常に多かった。
あちこちにコウノトリの巣がある。見慣れてしまって感動しなくなったほど。その左には、建築途中で放棄された家。そういうゴーストハウスがたくさん。
↑ 車のガラスが反射しちゃって、まさにゴーストって感じ。
幹線道路沿いにはキオスクやファーストフードのような簡単なお店が並んでいる。
こんな大型車も通る(止まっている)幹線道路だが・・・
こんな方も通る。
最後に、ちょっとほのぼの、子育て中のコウノトリさん。
まだ自然がたくさん残っているルーマニア。ここはデルタ地帯のすぐそば。汚染物質がデルタに流れ込んで鳥たちが迷惑を被ったりしませんように。
明日は電車。
線路と電車 [ルーマニア]
とってもローカルな線路をたくさん渡ったが、なかなか電車が走っているところには遭遇しなかった。
ようやく巡り会ったと思ったら、あらら。
コンスタンツァでは貨物列車を。
フェテスティから高速に乗ったばかりの所に、こんな素晴らしい鉄橋が。
ここを電車で通ってみたいものですねえ。
高速からは何度か長い列車が見えた。
ドイツからルーマニアまで、鉄道で行くことだってできるんですよね・・・
明日は教会の話。
正教会 [ルーマニア]
ドブロジャ地方を旅していて非常に目についたのがルーマニア正教会のピカピカした建物。
崩れたような家の多い村には不似合いなほど綺麗で、妙に新しい。
どうもこの教会、今急ピッチであちこちで建てられているところのようだった。
その一方でこんな教会も。
ルーマニア正教会が相当な費用をかけて、小さな小さな崩れたような村の一つ一つに至るまで立派な教会を建てまくっている現状の背景には、いったい何があるのだろう。
さらに、ドブロジャ地方はロケットみたいな細長いモスクも結構目につき、複雑な民族構成が垣間見られた。
こちらは、どこの町だったか忘れたが、偶然遭遇した葬列。
葬られるのはこんな感じの所。
ここの人々は非常に敬虔だった。教会の前で通りすがりに立ち止まって何度も十字を切っている人たちを何度か見かけた。
次回からようやく本来の目的、観光編に入る予定。その前に明日は最近のデュッセルドルフの話題を。