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ウィーンとブルゲンラント 2017年秋 ブログトップ
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お土産の写真から [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

今日からぼちぼちと先日の秋の旅の話を始めようと思う。

まずは、買ってきたお土産の写真から。
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ワイン用のぶどうで作ったジャムはうちのドイツ人が料理に使うために購入。イチジクは泊まった宿の庭で採れたものだそうで、大量にあったのでおやつに少しもらってきたもの。小さな小皿に入れてあるのは同じ宿の手作り干しイチジク。小さく写っているワインの瓶の形の木のキーホルダーも、泊まった宿でスペアを売っていただいたもの。それ以外は・・・見事にワインばっかりね♪ 

なにしろウィーンに数日いたあとオーストリア東部のブルゲンラント州というワインの産地に行ったので、自然と買い集めてしまったのだ。もともと買おうと思っていたエスターハーズィ城のワインセラーのはもちろん、泊まった宿のブドウ園のとか、見学した修道院のとか、スーパーで見かけたのとか。この辺りはどこもワイン造りをしているし、どこで飲んでも美味しかったので、ついついと。車だったしね。
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ブルゲンラント州というのはハンガリー国境付近で、地理的にはその辺りからくプスタという大草原が始まるところ。ホント、まっ平ら。
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まっ平らなのはドイツ北部やオランダもそうだけど、ここからずーっとずーっとずーーーっと内陸に向かって、ものすごく大雑把に言えばひたすらモンゴルまでこの平原が続くというところがここの特徴。そういう意味で、非常にロマンを感じた。

ウィーンが好きで何度も訪ねたことのあるめぎだったけれど、ブルゲンラントに足を伸ばしたことはなかったし、ハンガリーとの国境にあるこのノイジートラー湖に関してはその存在すら知らなかった。ドイツ南西部のボーデン湖よりは小さく、ハンガリーで有名なバラトン湖よりずっと小さいが、36km×12kmとそこそこ大きな湖だ。地図で見ると南北に長いこの湖の周りをぐるりと回り、特に下の(南の)部分で何度も行ったり来たり。湖の南の部分がハンガリー領となるため、何度もハンガリーに入ったりオーストリアに戻ったりを繰り返したのだった。
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ハンガリーに入ると途端に道が悪くなるし、建物も小さめで質素というか、貧しそうな雰囲気になる。
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ほんの数kmしか離れていないのに、オーストリアとの違いは大きい。こちらはオーストリア領。
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そんな田舎の旅の話やら、今回の旅を「エスターハーズィの旅」と名付けてもいいほどエスターハーズィ縁の地を巡った話やら、うちのドイツ人の父方の祖父の二人目の奥さんの出身地での話やら、そして何と言ってもウィーンでののんびりまったり音楽三昧の話やらを、これからのんびりと書いていこうと思う。仕事のほうが繁忙期なので、記事の構成などあまり考えずに適当にのんびりと。

これは旅の始まり、ウィーンでの一コマで、有名なカフェの前を横切るフィアカー。いかにもウィーンという感じでしょ。
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そうそう、ポルトガルの話の続きもそのうちに。同じく中途半端のギリシャの話も、ボルネオの話も、ザルツブルクの話も、今夏のうちのドイツ人のルーツを辿る旅の話も、いつかは書こうという気持ちでカテゴリーのみ作ってあるが、記事はいずれ。

撮影: D600 + 58mm(F1.4)/ 20mm(F1.8)
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ウィーン初日の朝 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

めぎがウィーンにやってきたのは、その日の仕事を終えたあとの夜。飛行機(めぎは単身先にウィーン入り、後でうちのドイツ人が車でやってきた)とリムンジンバス(空港からは今回バスを利用、宿に近いため)を乗り継いで、宿に着いたのは夜10時頃。次の日の朝、朝8時過ぎから散歩へてくてく、まずはこちらへ。
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ウィーンのど真ん中、シュテファン寺院にちらりとご挨拶。
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この日はオーストリアのナショナルデーという祝日で、それは戦後10年の英米仏ソ4カ国による占領からやっと解放された日だということで、寺院は大きなミサがあるようで見学不可能だった。
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多くの観光客はこちら側から見る機会が多いのではと思う。
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ちなみに↑上のはフルサイズカメラに20mm単焦点で撮ったものだが、モブログで載せたスマホでの写真の下のは24mm画角。
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↑それにしてもこのスマホでの写真、こうしてブログに載せる分には下手するとフルサイズより綺麗に見えるわねえ。

似たような写真が続くが・・・ここは日中から夜にかけてものすごく人が多いのだけど、朝8時半頃はまだまだまばらだった。それでも既にこうやって人がいたけどね。
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この近くに、めぎがその昔よく食べたお店があって、ちょっと覗いてみた。Beislというのはウィーンの居酒屋のようなところ。懐かしいなあ・・・その隣に、今回めぎが入ろうと思っていたカフェHawelkaがあるのだが、そこにはその頃こんなに近くにいたのに一度も入ろうと思ったことがなかった。まあその当時は甘いものには全く興味なかったしな・・・
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そうそう、今回この黄色い自転車が目についた。貸自転車というか、カーシェアと似たようなシステムで、アプリをダウンロードしてコードをスキャンすると鍵が開いて借りられるシステム。今や自転車を借りるのもスマホがなければ難しい時代になってきたのね。
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さて、ウロウロしていたらお腹すいた・・・今回ウィーンではアパルトメントを宿とし、したがって宿に朝食がついていないのだ。で、パン屋さんの奥で座れるところを見つけ、そこで軽く朝食に。
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その窓からこんな景色が見えた。ここにレストランがあるみたいね・・・後でどんなところか見てみよう・・・
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つづく

撮影: D600 + 20mm(F1.8)
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エスターハーズィとの出会い [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末の秋旅の話を連載中。

朝食を食べているうちに空がすっかり青空に。
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パン屋さんから見えていたところへ行ってみる。そこは、エスターハーズィ・ケラーというワイン居酒屋だった。
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エスターハーズィというのはその昔のハンガリー貴族の名前で、歴代の中にはハイドンのパトロンだった人もいる。今回の旅ではもともとはハンガリー領だったオーストリアのブルゲンラント州に行くことにしていて、ハイドンが仕事していたというエスターハーズィ城を訪ねてみようとも思っていたのだが、ウィーンで既にエスターハーズィ・ケラーを見つけるなんて、なんという偶然♪ あとで調べてみたら結構有名なお店のようだが、めぎは全く知らなかったのだ。

飲み屋と言っても食事もあるようだ。黒板に色々なメニューが出てて、美味しそう。
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ここ、うちのドイツ人が来たら誘ってみよう♪

それからめぎはその辺をてくてく歩いてパシャパシャと。ここは有名なカフェ・ツェントラル。
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この日はナショナルデーという祝日で、街の広場という広場で軍隊のイベントが開かれていて、ちょっと独特の雰囲気だった。街のど真ん中に戦車とかが置かれ、銃を持った兵士が見張りをしつつ、強い国を守ろうというようなイベントをやっているという感じ。場所的には、日本で言えば渋谷のあの交差点とかハチ公前とか銀座ミキモト前とかに当たるところ。
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そのうち日本も建国記念日とかに街中で兵士がイベントを開いていっぱい見られるようになるのかな。今既にそうなのかな。

兵士がいっぱいのところからちょっと歩くと近くの道には人気がなく・・・
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更に歩くと通行止めしていたのだということがわかった。
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つづく

撮影: D600 + 20mm(F1.8)
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久々のウィーン国立オペラ座で [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、秋旅の話を連載中。

旅の一日目、午前中の散歩を終えて宿で一休みし、再び外に出たのは3時過ぎ。朝にはあまり人のいなかったシュテファン寺院の前は、今はこんなに人だかり。
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日が当たると印象がずいぶん違うなあ。
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この時持ち出していたのは1インチのニコワンV3と18.5mm(換算50mm)の単焦点のみ。あれれれ・・・午前中の20mmと比べてずいぶん望遠でどうも勝手がつかめない。このセットはいつも通勤に持ち歩いていてすっかり馴染みの画角のはずなのだが、ザルツブルクでもポルトでも感じたけれど、古都の街歩きには広角のほうがずっと写しやすい。もしくはもっと極端に望遠でズームアップできればそれも楽しいだろうな。いずれにしても、うまく撮れるかどうかは別の話だけどね。
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この軽いカメラしか持ち出していないのは、4時からのオペラを見に行くところだから。
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その昔めぎはウィーンに恋し、何度も訪れ、最長のときで一ヶ月ウィーンに滞在し、その間ほとんど毎晩立ち見でオペラを見ていた時期があった。まだ通貨がシリングだった頃のことだ。ほとんど毎晩通っていたのに、オペラ座の中ではほとんど写したことがない。その頃は写ルンですしか持ち歩いてなかったしね。
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でも、どこに何があるかはよく覚えている。やっぱりデジイチ持ってくればよかったなあと思ってしまう豪華な建物も、人々がかなり普通の恰好なのも、当時と同じ。
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中はどこかのお城みたい。オペラって貴族の社交場だったんだなあと感じるところ。
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正直なところ、かなり成金趣味的で悪趣味とも言えるかな。ゴージャスだけど素敵だという感じはしないなあ・・・
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この日に見た演目はロッシーニの「アルジェのイタリア女」。めぎ的にはテノールが失礼ながらちょっと耐えられない声だったけど、それ以外はなかなかいい声でオケの演奏も素晴らしく、無難な演出で単純に楽しめる感じ。言い換えると、音楽の演奏の質は本当に高いが目新しさなどはなく、オペラってこのままこの美術館みたいな建物の中の舞台で博物館化していってしまっていいのかとも思ってしまう感じ。オペラをこの古都で見ようと思う人の多くは当たり障りのない演出をこそ望んでいるのかもしれないし、前衛的な演出が必ずしもいいわけでもないけどね。でも、楽しいけどインパクトがなく、ちょっと退屈気味でもあるような、そんな印象が残った。かつてはただただ本場でオペラを見ることが幸せで幸せで仕方がなかったのだけどね。あの頃から本当にたくさんたくさん見て、めぎもようやく目が肥えたということかしらね。
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撮影: Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)
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夜のウィーン [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、秋旅の話を連載中。

祝日のこの日、オペラが終わったのは19時頃。普通はオペラは19時頃始まり22~23時頃まであるのだが、ナショナルデーのこの日は特別だったようだ。
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シュテファン寺院が綺麗にライトアップしていた。全体を入れると真っ暗な空の部分が多くなるので、部分の撮影。なんだかどこを撮ったかわからない感じになっちゃったけど。
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この時のカメラとレンズは昨日の記事と同じ、1インチのニコワンに18.5mm(換算50mm)単焦点。毎日使っている画角なのに、シュテファン寺院を前に手こずるめぎ。そう言えばこのセットで大きな教会や高い建物を撮ったりすることはなかったな・・・いつも通勤か買い物か夜に食事に出かけるときに持ち歩き、普段これしか持ち歩かないで毎日撮り続けてもう3年くらいになり、50mmという画角にすっかり慣れたつもりでいたけれど、全く慣れていない分野があったということだわね。

小腹の空いためぎは、宿に戻る前に何か食べることにした。以前よく入った手前のBeislとちょっと迷ったのだけど、この日はその隣、奥のカフェHawelkaの方へ。
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と言ってもカフェの中には入らず外のテラス席(通りに並んだ外の席)へ。10月末のこの日、ウィーンはとても暖かかった。妙に暖かく、外に座っても全く問題ないほどだったのだ。喉の渇いていためぎはここでワインの炭酸割りをオーダー。ウィーンはこのワイン炭酸割りがとてもメジャーで、安くごくごく飲めるのでめぎはとても気に入っている。同時にメランジェ(ウィーンの最もメジャーなコーヒー、カプチーノに似てるかな・・・日本のウィンナーコーヒーではない)も。飲み物をよく見ると、テーブルが傾いているの、分かるわね。
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それから、夕食代わりと言ってはものすごく変だけど、ここでアプフェルシュトゥルーデルを食べた。温かくて美味しい♪
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こんな簡単な食事にしたのは、今回の宿がアパルトメントで、宿に帰ればハムとチーズとパンをつまむことができるから。オペラ座でも休憩のときにオープンサンドを一つ食べたしね。

それからウィーンの街中をブラブラしながらブラブラしている人を撮ったり。
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暖かいから、外に座っている人がたくさん。
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ブランドのお店の光が綺麗だった。
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そこから少し歩くと一気に人がいなくなる。ここはユダヤ人広場で、何故かそこにレッシングの像がある。
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そこからさらにドナウ運河の方へ歩く。これは確か旧市庁舎。
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夜景を撮るならやっぱりフルサイズカメラを持ち出せばよかったかもね・・・でもこの1インチカメラと18.5mm(換算50mm)単焦点、暗いところで頑張っているでしょ。

撮影: Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)
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ウィーン2日目 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末の秋旅の話を連載中。

今日から話はウィーン2日目に入る。正確には到着して2泊したあとなので3日目だが、1日目は夜10時に到着して何もしていないので、ウィーンの散歩としては2日目。1日目に一週間を費やしたのだけど、この調子で行くとこの秋旅の話を終える頃にはクリスマスになっちゃうな。それまでに終えられるかな。

さてさて、2日目のこの日の朝は、適当に歩いて適当なカフェに入って朝食を取った。特に有名でもなく、伝統的でもなく、今時の雰囲気のところ。
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この朝食がしかしびっくりのお値段だった・・・黒パン2枚とゼンメル1つとジャムと蜂蜜とバター(真ん中手前に写っている細長いもの)とゆで卵とフレッシュオレンジジュースとメランジェというミルク泡立てコーヒーで17ユーロもしたのだ(約2250円)。まあ入る前に値段をチェックすればよかったのだけど、外は小雨だったしもう座っちゃったしで、めんどくさくてそのまま注文して食べたのだった。だけど、こんなに高いんだったらカフェ・ツェントラルにでも行って食べても良かったよな・・・卵が茹で方が絶妙で美味しかったし、ウィーンのアプリコットのジャムも美味しかったからまあいいけど。
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さて、その後雨が時折ポツポツしつつも大方やんでいるところを所用に出かけ、そろそろ一度戻って宿(アパルトメント)でお昼でも作って食べようかなと思ったところ、いきなり土砂降りの雨に。
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↑上のトリミングだけど、こんな雨でもこれに乗るって、凄いなあ。
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で、たまたま近くにあったこんな空間で雨宿り。
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しばらく待ってもやみそうにないのでここでお昼を取ることに。同じような写真をモブログにも載せたけどもう一度。このビストロはフランス料理やフランスワイン、フランスのお菓子などのお店で、めぎは熱々のオニオンスープにグラスワインを頼んでしまった♪
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ウィーンでどうしてフランス系の店に入っちゃったのかなあ・・・ちょっと行けばカフェ・ツェントラルだったのになあ・・・とも思いつつ、でもホント滝のような雨だったから、まあここで温まりましょ。ツェントラルには以前入ったことが何度もあるし、どうしても行かなきゃいけないというものでもない。オニオンスープは量が非常に多いので、スープと言ってもお腹いっぱいに。

これはスマホでとってもブログに載せた写真だが、すっかり寛いでデザートに小さなプラリーネとエスプレッソを。
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朝も17ユーロ使ったのにな~と思いつつまあ休暇中くらい楽しみましょ、と優雅に過ごしたのだが、ここのお支払はアルコールまで飲んで全部で14ユーロ(約1850円)だった。冷静に考えればこれも高いけど、朝のショックのせいか、ここでは大満足。

このパッサージュ、素敵なところ。
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こうして結構粘ったのだけど、結局雨が降り続いているところを外に出ることとなった。フード付きのコートを着ていたが傘は持っておらず、カメラはカバンにしまい込み、写真なし。

撮影: D600 + 58mm(F1.4)/ 20mm(F1.8), Xperia Z5
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うちのドイツ人の到着 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月の秋旅の話を連載中。

話は一気に2日目の夕方に。これはウィーンを流れるドナウ運河。
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晴れてよかったね~~
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・・・と言いながらここを歩いているのはめぎとうちのドイツ人。ウィーン2日目にして早くもうちのドイツ人がウィーンに到着。めぎが一人でウィーンにいたのは1日半だけ。めぎとしてもうちのドイツ人としてもあと2日くらいそれぞれフリーで過ごしても良かったのだけど、休みの関係でこういうことに。この日うちのドイツ人は車で朝5時半にデュッセルドルフを出発し、約950km離れたウィーンに夕方5時頃到着。お疲れ様~雨の中、事故に遭わず到着できて何より。十数年ぶりにウィーンに来て、一通の多いウィーンのリンク内で誘導してくれる人もなくナビも使わずドンピシャで宿にたどり着き、ちゃんとパーキングまで見つけるのって、凄いよなあ。散歩に出たのは5時40分頃。

宿のアパルトメントの近くを少し散策。これは古代ローマ時代の大浴場の跡から出てきたらしい石。1962年にこの辺りで見つかったらしい。
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これは1825年頃に建てられたという古いアパートの跡。
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少しずつ暗くなってくる時間帯は、少しずつ電気がつき始める時間帯でもある。おかげでちょっと温かい雰囲気に。
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でも実際は風が強く、かなり冷えてきていた。前日までの暖かさとは一変し、冬が始まった日という印象。

めぎたちはあのエスターハーズィ・ケラーに食事に行くことにした。
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撮影: D600 + 20mm(F1.8)
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エスターハーズィ・ケラーにて夕食 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末の秋旅の話を連載中。

うちのドイツ人が到着した日の夜は、事前にめぎが見つけたエスターハーズィ・ケラーへ。
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暗くなってから写した写真がないのだが、これがエスターハーズィ・ケラー。
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中はレンガ造りのまさにワイン・ケラー(ワイン・カーヴ)という感じで、地下一階のような場所にトンネルのような空間が奥へ奥へとつながっている。
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ウィーンから車で一時間くらいのところにあるエスターハーズィ城のワイン・ケラーで作られたワインが飲めるところ。ワインの瓶がずらりと飾ってあった。
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さて、スターターにうちのドイツ人は白ワインを、めぎは白い羽ちゃんを♪ ドイツではFederweißer(白い羽)という名のこのぶどうジュース発酵中の飲み物は、オーストリアではSturm(嵐)という。まさに嵐が吹き暴れているという感じの生き生きとした飲み口だった。
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料理に合わせて赤にしようかとも思っていたが、そのままメインに突入。めぎが食べたのは鹿肉のグーラシュ。付け合せについている赤いのはクランベリーソースで、甘酸っぱくて美味しい。
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うちのドイツ人はターフェルシュピッツ(牛の煮込み)。付け合せのマッシュポテトも絶品だったとか。
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ここの料理は手頃な値段(二人で食事と飲み物で40ユーロ=約5300円)でとても美味しかった。ウエイターさんも親切で、このワイン・ケラーの歴史をちょっと話してくれた・・・ここには15世紀の頃からエスターハーズィ城で作ったワインを保管するワイン・ケラーがあって、この煉瓦は当時のものなのだそうだが、1683年のオスマン・トルコによる第二次ウィーン包囲の際に、エスターハーズィ公爵がここに保管していたワインを兵士たちに振る舞い、それで兵士たちは勢いづいてトルコ軍に打ち勝つことができたのだとか。それ以来、このケラーは蔵というだけでなくワイン酒屋となったのだとか。

とっても素敵なところで料理もワインもとても美味しいのに、レストランはガラガラ。金曜日の夜なのにな・・・時折入ってくるお客さんも、あ、こっちじゃない、と言ってまた出ていってしまう。どうしてなのかな、と思ったら、このレストランの横にもう一つ入口があって、地下2階にもう一つ酒場があるらしい。そちらの方でも食事ができるのだとか。
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そうか、それじゃ、そっちも行ってみましょ。

撮影: D600 + 20mm(F1.8)
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もう一つのエスターハーズィ・ケラー [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末の秋旅の話を連載中。

昨日ご紹介した夕食を食べたレストラン、エスターハーズィ・ケラーのすぐ隣のもう一つのエスターハーズィ・ケラーへ行ってみる。ドアを開けると、地下2階くらいの深さまでの階段が。
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これは昼間に写した写真だが、左手前の赤い枠があるドアがめぎたちが夕食を食べたところで、坂を少し登った奥にもう一つドアがあるのが見える。そこから入っていく。
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下までたどり着くと、これも別の日の別のカメラとレンズ(V3 + 18.5mm)での撮影だが、左側には配膳場所のような従業員の準備する所があって、その従業員が「いらっしゃいませ」と応対するわけでもなく、入っていいのかな、とちょっと思うような雰囲気。よく見るとここはセルフサービスの区域と書いてあって、たぶん左側に入っていってもいいのだろうと思うけど。
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右側にはテーブルはあるもののそこは通路?と思うような空間があって、しかし立派な絵がかかっていた。この人が歴代のエスターハーズィ侯爵の一人らしい。
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そしてさらに奥へと通路がつながっていた。煉瓦の壁にはフランツ・ヨーゼフ一世の肖像画。
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余談だが、肖像画の下にチョークで書かれている20-C+M+B-15というのは、2015年の三賢者(CとMとBはこの三賢者、正確にはその三賢者が持ってきたキリストへの贈り物の黄金と没薬と乳香)の日に、この店を子どもたちが訪ねてきて歌を歌い、この店が寄付金をあげたという証拠である。

奥にずんずん入っていくと、ここもいかにもワイン・カーヴらしく小さな部屋がどこまでもどこまでも迷路のようにあった。
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少し大きめの部屋にはテーブルが複数置かれてて、席のすぐそばでバイオリンを弾いてくれる人がいるようだった。ここは人がいっぱいいて、新たに入ってくる人も次々といて、かなり繁盛していることが伺えた。隣の(上の)レストランはあんなに閑散としてたのになぁ・・・食事は美味しいのに、あっちの空間勿体無いなと思うほど。

小さな空間にも席があったりして面白い。
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狭い通路に大きな絵が貼ってあったり。この女性はリヒテンシュタインのプリンセスでエスターハーズィ侯爵の奥さん。
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ちょっと博物館のような美術館のような元ワインカーヴのここで、めぎたちは結局入口ドアのすぐ右側にあるテーブルに座り、めぎは焼きリンゴのリキュールを、うちのドイツ人はナシのブランデーを頂いた。
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お酒は美味しいし、ここのウエイターさんたちもとても親切だしで、めぎたちはすっかり気に入って、ウィーン滞在中ここに毎晩通いつめた。
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撮影: D600 + 20mm(F1.8)
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夜道再び [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末の秋旅の話を連載中。

エステルハーズィをハシゴして、いい気分で宿に戻るめぎたち。美味しかったね~楽しかったね~と上機嫌。ちょっと夜道をキョロキョロしながら宿へ歩く。これ、何の教会かな、と思って近寄ってみたら、なんと消防署だった。もともとはユダヤ人の肉屋さんで、中世から近世にかけては市民階級の武器や防具など倉庫だったみたい。
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こんなところを抜けて・・・
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またレッシング像のあるユダヤ人広場へ。
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ここには殺されたユダヤ人を弔う記念碑もある。
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これを撮ったのは夜の8時ちょっと過ぎで、ほんの近くのグラーベンとかにはわんさかと人がいるのにここは誰も居なくてシーンとしているので、今もユダヤ人が連れ去られて誰もいないかのような、そんなちょっと不気味な変な気分になる。

その一角でに、真っ赤なマントを羽織った人を中心に何かのイベントで集っているお店があった。外にはいないけど、ちゃんと人がいるのよね。覗いたところ、アーティストの集いみたいな独特の雰囲気だった。
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調べてみたけど、なぜレッシングがこの広場に設置されたかは結局不明。もともとは別のところにあったのを1981年にここへ移したらしい。
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普段夜に出歩くことが殆ど無いので、こうして夜道を撮ることができるのは貴重な経験。今のカメラって、手持ちでこんなにきれいに撮れるようになったのよね。

撮影: D600 + 20mm(F1.8)
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ウィーン3日目 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末の秋旅の話を連載中。

今日からウィーン3日目に。まずは宿の近くのパン屋さんで朝食を。
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それからグラーベンを通り、有名なペスト記念柱を記念撮影している中国人のグループを見かける。
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今やどこもかしこもだけど、本当に中国人観光客が多い。もともと中国の人口はものすごく多いわけで、みなさんお金持ちになって世界中を旅するようになって、もう彼らを見かけない場所はないという感じ。国の勢いというのはまさにこのこと。

このグラーベンとケルントナー通りのぶつかるところの住所はシュトック・イム・アイゼン広場という。そのシュトック・イム・アイゼン(鉄の中の切り株)が角に飾られている。トウヒの切り株に釘が打ち込まれたもので、中世の頃からあったらしい。病の治癒への感謝を込めた奉納だったとか、錠前屋や鍛冶屋が仕事を永遠化するために釘を打ったとか、盗みを働いた人が道に迷って罪を後悔して木に釘を打ったとか、悪魔との契約とか、いろんな謂れや伝説があるようだ。
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さて、めぎたちはそこから散歩を続けて、ミノリーテン教会というところへやってきた。ブルク劇場のすぐ裏にある教会だ。ここ、入ったことないね、入ってみようか・・・
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めぎはかつて何度もウィーンを訪れて全部で3ヶ月位滞在したことがあって、その頃にウィーンの有名観光地は全て制覇し、その幾つかは何度も足を運んだことがある。うちのドイツ人も若い頃訪れていて、主な観光は終わっている。今回の滞在では、久々にウィーンの空気を吸いに行こう、というスタンスで、オペラとコンサートを予約した以外は特に予定を立てていなかった。この日一応目的地を定め、二人共まだ見たことのないある場所へ向かっていたのだが、そこまではブラブラと散歩しながらふと目についたもののところで止まるという感じ。

中に入ると、特に素晴らしいとか素敵といった印象はない。
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ここで有名なのは、ダ・ヴィンチの「最期の晩餐」の複製モザイクがあること。
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このモザイクはナポレオンが発注したらしいが、出来上がったのはナポレオンが失脚した後で、オーストリア皇帝フランツ一世に買い取られてパリではなくウィーンにやってきたのだとか。

それにしてもこのキリストの最後の食事って、なんて貧しく不味そうなんでしょ・・・使徒たちもいかにも悪者って感じ。
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さて、この教会自体はずっとずっと古い。ミノリーテンというのはフランシスコ修道会から枝分かれした宗派で、アッシジのフランシスコ修道会の発足が1209年なのだが、ミノリーテンは1228年に既にウィーンにやってきている。ここに教会を建て始めたのは1275年とのこと。教会の中には聖フランシスコの古い肖像画が飾られていた。
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窓ガラスの映り込みと一緒にパチリ。望遠ズーム、楽しいな♪
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この旅行では望遠ズームを1インチカメラで済ましたのだが、あとで見ると望遠の写真が結構楽しくて、フルサイズ用のいい望遠ズームレンズがちょっと欲しくなっているところ。

撮影: D600 + 20mm(F1.8), Nikon 1 V3 + 30-110mm(F3.8-5.6)
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無名の教会で [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末の秋旅の話を連載中。

ここはウィーンに数ある教会の中で観光客的には無名のミノリーテン教会の中。場所はブルク劇場の裏辺り。
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この古い台が印象的であれこれ試行錯誤したのだが、なんだかイマイチ。後ろも変に切れてるし。教会って、他にも観光客がいるし、祈っている人もいるし、長居していっぱい撮るのも悪いような気がしてちょっと躊躇しちゃったりして、せっかく撮ったのに結局中途半端になりやすいのがめぎの目下の課題。
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うちのドイツ人は、もっと厚かましくなって撮っても問題ないっていうんだけどね・・・

次は、気軽にV3の望遠で撮ったあれこれ。
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V3はミラーレスで音も消せるから祈っている人の邪魔にもならない。
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人々の顔が随分リアルだなあ・・・本当にいた人たちなのかな。
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数は少ないがステンドグラスもあって、綺麗だった。
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↑上のステンドグラスはあの高いところ、パイプオルガンの後ろにある。この位置から望遠で上のような写真が撮れるというのは、単純に楽しいわね。
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最近ずっと広角や標準画角の単焦点一本で歩きまわっているので、久々に持ち出した望遠ズームが新鮮で楽しい。フルサイズカメラに望遠ズームをつけて撮ってみればよかったな。でも、散歩の途中でレンズ付け替えるのって、なかなかね・・・だから軽い1インチのセットを望遠専用サブ機として持ち歩いたのだ。それに、仮に70-300mmの望遠ズームをフルサイズカメラにつけて撮ったとして、上の望遠写真よりいいのが撮れたという保証はどこにもない。ブログ用にサイズ小さくして載せる分には1インチセットの画像でも何ら遜色ないしね。

外へ出ると、ちょうど観光馬車がたくさんやってきた。これは1インチカメラと望遠で。うーん、縦で撮ればよかったな・・・
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これはフルサイズカメラと広角で。
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なんかヘタッピーで、レンズについて悩んでいる場合か?と自己嫌悪する今日この頃。

撮影: D600 + 20mm(F1.8), Nikon 1 V3 + 30-110mm(F3.8-5.6)
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階段の秋 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末の秋旅の話を連載中。

ウィーンのリンク内をてくてく散歩して、リンク外までやってきた。ここはフロイト博物館の近く。シュテファン・ツヴァイクが学んだ学校だと表示が出ていて、思わずパチリ。
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その同じ建物にこんな表示も。週末や放課後に教室を借りて運営しているようだ。
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そこからさらに歩いて、たまたま見つけた趣ある門。
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そして、ようやくこの日の目的地に到着。Strudlhofstiege(シュトゥルードゥルホーフシュティーゲ)と言うところである。
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シュトゥルードゥルというのはこの丘の上に18世紀初頭に絵画学校を作った人の名前。ホーフというのは中庭とか中庭を持つ大きな館という意味で、つまりシュトゥルードゥルホーフは丘の上のその学校の建物の名前。最後のシュティーゲは階段。階段が作られたのは1910年で、手すりなどはユーゲントシュティール。つまりここは丘の上のその昔絵画学校だったところへ上る階段の名所なのだが、そう言えば階段の全体像を撮るのを忘れたわ・・・ここまで歩くので意外と疲れちゃって。階段がジグザグにシンメトリーになっている面白いところなのだけど。

この階段を見てみたいといい出したのはうちのドイツ人。Heimito von Doderer (ハイミート・フォン・ドーデラー)という作家の本に出てくるから。この泉の左に作家のこの階段に関する詩が掛かっている。
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詩は階段と秋を歌ったものなのだけど、ユーゲントシュティールの柵に秋が絡まっている様子は素敵だった。光がなくて残念な写真だけど。
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上から見た景色。
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上りきったところの空間。ピンぼけだけど。
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そんなに感動するような場所でもなかったが、ウィーンの見所をまた一つ制覇したという感じ。晴れていたらまた印象が違ったかしらね。

そこからまた歩いてリンク内に戻り、宿の近くのHoher Markt(ホーアー・マルクト)の屋台で軽くお昼。うちのドイツ人としてはこれがウィーン名物のソーセージで、ウィーンに来たら一度は絶対に食べないと、と。焼きソーセージはドイツやオーストリアにゴマンとあるけど、このタイプ・この焼き方・この出し方はザルツブルクでもお目にかかれず、いや、一応似たようなのはあるけどやっぱりちょっと違ってて、ウィーンならではのものらしい。めぎ的には特に美味しいものでもないが、うちのドイツ人は大満足。若い頃ウィーンで食べた思い出の味なのだろう。(追記)横に写っている黄色っぽい物は辛子。あまり辛くなく、ちょっと甘めで、大量につけていただく。
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撮影: D600 + 20mm(F1.8)
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マルタ騎士団教会 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

今日からまた10月末の秋旅のお話を。

ウィーン3日目、話は夕方に突入。
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暗くなっても賑わいの衰えないケルントナー通り。
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その一角に、見落としがちだけど教会がある。
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とても小さい教会だが、中はとても綺麗。
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教会の中で目につくこの赤い旗に雪の結晶のような星のような十字。
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これはマルタ騎士団の紋章なのだとか。マルタ騎士団というのは、もともとは聖ヨハネ騎士団と言い、12世紀の十字軍遠征の頃に発足。16世紀、ハプスブルグ帝国がオスマン・トルコの襲撃を受けていた頃、共に戦った聖ヨハネ騎士団に神聖ローマ帝国の皇帝(ハプスブルグ家)がマルタ島を与え、マルタ騎士団という名前になったらしい。レパントの海戦の様子を描いたのではないかと思うこんな彫り物があった。
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その後マルタ島はナポレオンが支配し、更にイギリスが支配し・・・という歴史を経て、今はマルタ共和国となっている。領土を失ったマルタ騎士団はローマに宮殿を持ち、そこは治外法権となっているそうだ。イタリアやスペインや東欧やロシアなどとは国としての外交関係もあるらしい。つまりオーストリアはこのマルタ騎士団を国家として認めているということである。領土はないのに人口は1万3千人ほど。不思議ね・・・。

何はともあれ、そんなこのマルタ騎士団教会には、ヨハネによってイエス・キリストが洗礼を受けている絵がかかっている。つまりこのヨハネというのは洗礼者ヨハネのことで、使徒ヨハネではない・・・うーん、ややこし・・・
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小さい教会だが可愛らしいオルガンも。
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結構多くの人が蝋燭を捧げていったようだ。
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こんなきれいな教会を見つけるなんて、やっぱりフルサイズカメラ持ってくるんだったな・・・と思いつつ撮影したが、1インチのV3、ホント健闘してるわよね。これだけ写るから安心して持ち歩けるし、楽しめる。

ここに来るまでマルタ騎士団の存在すら知らなかっためぎ。まだまだ知らないことがいっぱいあるな~と思いながら後にした。
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撮影: Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)
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再び国立オペラ座へ [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末の秋旅の話を連載中。

この日も再びオペラを見にやってきた。
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ゴージャスですわよね~
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ちょっと早めに着いたので・・・
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またもや建物の中を撮影。
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みなさんも記念撮影中。
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この日の席は一番上の一番後ろ。正確に言えばめぎたちの席の後ろに立ち見席があるので本当に一番後ろではないが、席としては一番天井に近いところ。ずいぶん高さがあるでしょ。そうそう、このモニターは字幕やオペラの解説などが表示される。ドイツ語や英語やフランス語などの他、日本語も。
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撮影: Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)
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ブフテルン [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末の秋旅の話を連載中。

ウィーン3日目の夜、オペラ鑑賞のあとは古いカフェへやってきた。
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内装もテーブルや椅子も古いまま。
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このカフェの名はハヴェルカ。ザッハーでもデーメルでもないからザッハートルテ戦争とは全く関係ないし、ツェントラルのような宮殿的な雰囲気でもないが、かつて作家やアーティストが集ったという伝説のカフェ。

カフェだけどめぎたちはここでワインの炭酸割りを。水のようになみなみと運ばれてきた。
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そして、このカフェの名物を注文し、焼き上がりを待つ。これはカウンターにあったグラス。
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今日のオペラについてあれこれ議論を交わしているうちに、お菓子の焼ける匂いが店内に広がってきた。かなりバター臭い。そして熱々の湯気のたった状態で運ばれてきたのがこの菓子パン。これが伝説のブフテルン。中にポーヴィーデル(オーストリアドイツ語でプルーンのジャムのこと、ドイツでこの言葉を言っても誰もわからない)が入っている。
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熱々のブフテルンはたしかに美味しかった。しかし、絶品というわけでもなかった。めぎはこのブフテルンをザルツブルクで初めて食べたのだが、そのザルツブルクのパン屋のブフテルンのほうが正直美味しいと感じたし、このあと旅の最後に寄ったリンツのカフェのブフテルンの方が上質だと感じた。しかし、この伝説のカフェ・ハヴェルカで伝説のブフテルンを食べることに意義があるし、それを実行してとても満足した。

この日はオペラの前に宿でパンとチーズとハムと果物で夕食としていたので、オペラのあとはこのブフテルンだけを賞味。日本のジャムパンのようなのが一人2個半あったわけで、お腹はいっぱい。周りを見ると、一つくらい持て余している人が結構多い。あ、あの人たちも。
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夜が更けてくると空席も目立つようになったが、このカフェは夜遅くまで人でいっぱいだった。世界各国の観光客ももちろん来るが、地元の人達が多かった(オーストリア訛りのドイツ語で分かる)。まあ地元の人と言っても、ウィーンの人なのか、オーストリア国内からの観光客なのかは、流石にめぎにはわからなかったけれど。
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その後、めぎたちはあのエスターハーズィ・ケラーへ移動して、この日最後の一杯を。めぎはアプリコットのブランデー、うちのドイツ人はクルミのシュナップス。
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二夜連続でやってきて、同じ席に座って似たようなものを頼んだめぎたちにあるウエイトレスさんがすぐに気が付き、あらまた来てくれたのね~と声をかけてきた。お店の人とちょっとお話できるのは、観光客としては数少ない現地の人とのふれあい。もちろん友だちに会ったりするのとは全く違うけど、ちょっと顔なじみになっておしゃべりするのは、初めてこの店に来たときとはちょっと違う。そんなふれあいが楽しかった。

撮影: Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)
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ウィーン4日目 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

今日からまた秋旅のお話を。

ウィーン4日目の朝は、1日目にめぎが一人で朝食を食べたパン屋さんにうちのドイツ人と。
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再びこの窓枠から外を見下ろして写していたら・・・
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卵料理が運ばれてきた。
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こうしてちょっと豪華な朝食(豪華と言ってもパン屋さんでの朝食なので一人あたり10ユーロで済んだけど)を楽しんでからちょっと散歩したのだけど、この時ものすごい風だった。突風で細い路地を歩くのは危険だと感じたほど(建物の上から看板や植木鉢などが飛んで来るので)。雲の動きも激しく、このあとものすごい土砂降りに。
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ちょうどその土砂降りの時間にめぎたちは地下鉄とバスで移動し、ウィーン郊外の山にやってきた。ここはカーレンベルクというところ。訳すと「禿山」という意味なのだが、たくさん木が生えていた。ここからウィーンが見下ろせるのだが・・・
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どんより曇りの景色をとってもつまらないので、そこにあった喫茶店(レストランかな)で一休み。
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これはスマホで。
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風が強いのでもしかしたら、と思っていたら、どんどん晴れてきた・・・
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うーん、あともうちょっと・・・かな・・・
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つづく

撮影: D600 + 20mm(F1.8), Xperia Z5
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嵐の跡 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末の秋旅の話を連載中。

辛抱強く待っていた甲斐あって、青空に!
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きゃあきゃあ♪
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しかし、こういう景色を印象的に撮るのってものすごく難しい。明け方とか日没後のブルーアワーとかだったら素敵なのかもしれないが、こうやって広角で青空入れて絞って太陽まで入れて明るく輝くウィーンと黄葉の景色をあれこれ撮ってみたけど、なんだかパっとしなくてねえ・・・ああ、めぎ、へたっぴだ~おんおん・・・と言うか、写真を撮りに来る時間帯が間違っているのだけどね。

同じ時にスマホで撮ったもののほうが意外といいような気さえするし。
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このとき、1インチのV3に30-100mmの望遠ズームをつけてサブとして持ってきていたので、それでウィーンの街をクローズアップ。手前に見える丸いのが付いている塔はフンデルトヴァッサーのゴミ焼却所で、その右奥にシュテファン大聖堂が見える。
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上の写真のずっと左の方にドナウ河。これは国連都市辺り。
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フルサイズ用の70-200mmF2.8を持っていたらどんなふうに写ったかな。300mm単焦点F4だったらどうかな・・・などと妄想が広がる。冷静に考えれば、既に持っている800g弱のフルサイズ用70-300mmF4.5-5.6さえ持ち出さずにこうして1インチで済ましているのだから、1.5kgのレンズなんて無理かもしれないんだけど。でも、写りが素晴らしいとわかったら、重くても持っていくかしら・・・うーんうーん・・・

さてさて、太陽の注ぐ景色も撮れたし、そろそろここをお暇しよう。
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↑この上の写真でちょっと気がついたかしら・・・昨日の記事にもちょっと書いたけど、この前日からこの日の午前中にかけて、ウィーンはかなりの突風が吹く嵐だった。その風で倒れたのか、突風に備えて予め寝かせたのか定かではないが、ここのこの鉢植えが全て倒れていた。まあみんな同じ方向に綺麗に倒れていて、どこも壊れていないので、予め倒しておいたのだろうと思う。でも、よく見るといくつかは立っているし、やっぱり倒れたのかな。
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この近くの場所では、めぎたちがここに到着した頃、おそらくその突風で折れて倒れてしまった大きな木がこんな状態に横たわっていたのだが・・・(これはスマホで撮影)
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引き上げるときには片付け隊が到着してすごい勢いで作業中だった。
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数年前のデュッセルドルフみたいに街中の木という木が倒れるような事態ではなかったのが幸いだけど、結構な突風だったのだ。宿の近くで路駐の車に枝やどこからか飛んできた看板や鉢植えが撃沈していたのも見かけたし、車を珍しく屋根付きパーキングに入れておいてホントよかった。

撮影: D600 + 20mm(F1.8), Nikon 1 V3 + 30-110mm(F3,8-5.6), Xperia Z5
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黄色とピンク [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末の秋旅の話を連載中。

カーレンベルクからはバスで移動。嵐の直後だった所為か、これから来る人はあれど帰る人はいなくて、貸切バス状態。黄色い手すりが印象的。
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外は綺麗な黄葉。
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途中のグリンツィングで降りると、あら、鮮やかな黄色いタクシーが。
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その向かいにあるこれまた鮮やかな黄色のお店でちょっとお昼休憩。
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ホイリゲ(今年の新ワイン)で有名なところだけど、お昼なのでまたゲシュプリツター(ワインの炭酸割り)を。これはスマホでの撮影。
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食べ終わって、そのすぐ近くからトラムに乗って街中へ戻ろうと思っていたのだけど、ちょうど行っちゃったので・・・
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再びバスでハイリゲンシュタット駅の方へ。
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そこにはピンクの大きな建物が。カール・マルクス・ホーフと言って、1929年に建てられた当時の労働者用の集合住宅。
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とても大きな敷地で、病院や託児所もあるのだとか。安心して働けそうだわね。
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撮影: D600 + 20mm(F1.8), Xperia Z5
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ドイツとオーストリア [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末の秋旅の話を連載中。

ウィーン市街に戻ってきて、ちょっと散歩。なにやらカフェ・グーテンベルクと書いてあったので行ってみると・・・
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広場にグーテンベルクさんがいた。グーテンベルクは活版印刷術を発明したドイツ人。
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ドイツのマインツのグーテンベルクさん、どうしてここにいるのかな・・・

それから、宿へ戻りつつ有名なアンカー時計のところを通る。
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泊まった宿にとても近いので何度も何度も通りがかっていたのだけど、綺麗に晴れたのでやっとシャッターチャンス。ここ、下の部分も凝ってるのね。
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時計そのものをズームアップ♪ この時午後2時半頃。
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上の部分の左右をよく見比べると、いろいろ考えてしまう・・・
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2時の担当はカール大帝(初代神聖ローマ帝国皇帝、7~8世紀頃)。時計板の装飾も色々と意味深。
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そして次の3時の担当者たちが見えてきていた・・・オーストリア公のレオポルト6世とその妻である。
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誰が何時に出てくるかが横に表示されている。12時はハイドンだって・・・ハイドンはオーストリア生まれだけど、同じくオーストリア生まれで言えば音楽家はモーツァルトもシューベルトもいないのに、どうしてハイドンが?と思ったら、国歌の作曲をしたんだったわね。
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ちなみにハイドンの作った国歌のメロディーはドイツ国歌にも使われている。歌詞は違うがオーストリアとドイツは同じメロディーの国歌なのだ。

有名なマリア・テレジアやカール大帝やマルクス・アウレリウスはともかく、あとは外国人にはあまり馴染みのない侯爵とか皇帝とかが多い。珍しいのは4時の担当者、詩人のヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデで、ドイツの詩人だしヴュルツブルクに埋葬されているのにどうして?と思ったら、十字軍絡みの詩を作ったからのようだ。
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オーストリアとドイツ、これだけ共通の歴史を持ち、これだけ文化を共有してて、実は根っこがくっつているというか、双子のような存在だというか、お互いにとても意識しあっていて忌み嫌いあってもいるけど、それは実は近すぎるからかもしれないわねぇ・・・

撮影: D600 + 20mm(F1.8), Nikon 1 V3 + 30-110mm(F3.8-5.6)
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アパルトメント [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末の秋旅の話を連載中。

ウィーン滞在中に泊まったところはこちら
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朝食をいつも外に食べに行ったのは、宿がアパルトメントで自炊だから。自炊と言っても、5泊したうち部屋で食事したのは昼2回夜2回程度だけど、コーヒーメーカーがあるので朝起きてすぐコーヒーを入れられるのは嬉しいし、湯沸かしポットがあってちょっとお茶を入れて一息できるのもありがたいし、ワイングラスや大小様々なお皿などが揃っているのもいい。
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リビングがあるので、部屋でゆっくりくつろいでテレビを見る、なんていう旅をするのにもいいかもね。まあ旅の間は普通テレビを見たりはしないのだろうけど、めぎは到着当日の夜、ここでデュッセルドルフ空港で買ってきたお寿司をつまみながらサッカーのドイツ・カップのライプツィヒvsバイエルン戦を愉しんだ。ここから2枚はスマホでの撮影。
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これがお寿司。デュッセルドルフ空港にはお寿司屋さんの支店があって、寿司職人さんがその場でにぎってくれたのをパックしてもらった。それなりのお値段もしたのだけど、秋休みに入った時のめぎの自分へのちょっとしたご褒美というか、一人で贅沢♪ うちのドイツ人にメールで送ったら、ものすごく羨ましがっていた・・・
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アパルトメントは長期滞在にはお薦めだ。長期と言っても今回はたったの5泊だけど、観光するというよりはのんびり骨休めに来たつもりだったので、午前中からお昼にかけて出かけ、その後夜のオペラやコンサートまでの数時間を実は部屋で過ごしている。写真撮ってないけど、例えば昼寝したあと、コーヒーを飲みながら買い置きのハムとチーズなどをちょっとつまみつつ、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートの準備ドキュメンタリー番組を見たりもして、オーストリアの放送局のものすごくオーストリア訛りのドイツ語を楽しく味わったり。うちのドイツ人はテレビ嫌いなので、彼が来てからはおしゃべりしていただけだけど。

上の写真のソファーの後ろにベッドルーム。これは5泊の間シーツの交換は無し。
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でも、バスルームのタオルはほとんど毎日交換してあった。交換が無かったのは祝日と日曜日だけかな。
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唯一残念だったのは、部屋が一番下の階(日本で言えば2階)で、さらに建物の裏側の部屋だったので、窓から何も見えなかったこと。窓を開けると向かいの建物の窓がすぐそこにあるので、結局窓を開けるということもほとんどしなかった。まあ嵐で風も強く、夏と違ってどうしても換気しなければならないほどではなかったからいいけどね。

上の階に行くエレベーターが旧式で素敵だった。たぶん上階に住んでいるのは月単位で借りている人たちなのだろう。
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通り側だったらうるさいかもしれないけど、街ゆく人達を眺められて楽しかっただろうな。
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旅行者にとってのこのアパルトメントの最大の利点は、空港からのリムジンバスの到着場所から歩いて1分位であること。下の写真の向こうに見える木のあたりからここまで歩くだけだ。石畳を長々とスーツケースを引っ張る必要もなく、荷物を担いで移動する距離が短くてとても便利。緑も美しく、オペラ座までも歩ける距離で、地下鉄駅もすぐ近くで、お薦め。
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撮影: D600 + 20mm(F1.8), Xperia Z5
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ウィーン最後の夜 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末の秋旅の話を連載中。

とうとうウィーン最後の夜が来た。その夜は念願のここへ。
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そう、あのウィーン・フィルの本拠地、楽友協会の黄金のホールである。ホント、金ピカ~~
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いつかはここへ、と思っていたが、機会のないまま時は過ぎ、やっと実現。うちのドイツ人も同様で、還暦を過ぎた今まで一度もここに入ったことがなかったのだとか。つまり二人共初めてで、クラシック音楽好きのめぎ家にしてはなんとも不思議なことだけど、ようやく楽友協会デビューとなったわけだ。

ここ、立ち見席もあったのね。後ろの下の奥、柱の後ろが立ち見。
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さて、めぎたちは音楽は好きだけどそんなにお金をかけていい席で見る趣味はないので、こんな席を購入。座っているとオーケストラが見えないところ。立てば見えるけどね。
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席の場所のせいかもしれないけれど、正直なところ、このホールは音響が全く良くないと思った。めぎたちが見たのはライプツィヒ交響楽団の演奏会で、つまりここが本拠地のオケではないから、このホールにあった演奏ができなかったのかもしれないが・・・ウィーン・フィルだったら、このホールの音響をよく知り尽くしていて、それにあったチューニングをしてそれにあった演奏をするのかもしれないわね。が、とにかくめぎたちが聞いた限りでは、どうも音が篭っているというか、せっかくのソロのバイオリンの美しい演奏がオーケストラの音でわんわんとかき消されてしまうような印象で、金箔を施した箱の中で篭って演奏しています、というもっさりした感じだった。いや、うちのドイツ人の言葉を借りると、金箔を施した靴箱の中みたいだ、と・・・うむむ。

スタンディングオベーションだったけどね。
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さて、ウィーン最後の夜は日曜日。コンサートが終わったのは10時ちょっと前で、そこから一目散に小走りであのエスターハーズィー・ケラーへ。
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というのは、日曜日のオーダーは10時までだと聞いていたからだ。到着したのは10時を少し過ぎていたのだけど、顔なじみになったウエイターさんは快くめぎたちの食べたい物の望みを叶えてくれた。前日に、遅くなるけど必ず来る、と言っておいたからかもしれない。

まずは、めぎは白い羽ちゃん、うちのドイツ人はゲシュプリツター(ワインの炭酸割り)で乾杯し・・・
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お願いして作ってもらったカイザーシュマレン(ちぎったような感じのパンケーキ)を二人で愉しんだ。数日前にご紹介したようにこの日お昼に黄色い壁のお店でとてもボリュームのある食事をしておいたのは、このように夜に食事ができない予定だったから。あの時の食事はめぎが鶏の半身で、うちのドイツ人がカスラーという豚の塩漬け肉のステーキ。ちなみにあのときの食事で炭水化物はジャガイモだけで、ライスやパンなどは食べていない。肉は大きいが、それ以外は野菜のみ。皆さんは普通ご飯を一緒に召し上がってておかずとしてお肉をご覧になるからすごい量だとお感じだろうが、ご飯が全く無い、お味噌汁もない、と思えば、ずいぶん感じ方が異なるのではないかしら。
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このとき食べたのは二人で一皿のこのパンケーキだけで、あとは写すのを忘れたけど、飲み物を最初と同じのをもう一杯ずつお代りし、さらにリキュールとブランデーを最後に頂いた。

今晩が最後なの?残念ね~あなたたち、とっても親しみの持てるお客さんでこちらも楽しかったわ、とこのお二人が言ってくれた。そちらこそ、とっても親しみの持てる素敵な方々だった。
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流暢なオーストリア訛りのドイツ語を話す二人だが、発音から想像すると、彼らはオーストリア人ではなくたぶん東欧系であろうと思う。ハッキリ言えば外国人の彼らがこういう仕事をしてオーストリアの観光業を支えているのだ。この居酒屋に限らず、レストランやカフェや居酒屋やホイリゲで働いているのはほとんどが生粋のオーストリア人ではなく、オーストリア人は恐らく経営側で、実際に給仕などをするのは出稼ぎの人たちか移民なのだ。そして彼らはみんな一生懸命で、親切だった。

これからのウィーンはどうなるのかな。そんなことを思いつつ、この店をあとにした。またいつか、きっと訪ねてみよう。
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これで秋旅のウィーンの話は終わるが、引き続きオーストリアとハンガリーの国境辺りを旅した話と帰りがけのリンツの話が残っている。数日後にその話を始めるか、一時お休みして別の旅の話の続きにするか、ちょっと思案中。

撮影: Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8), Xperia Z5
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ノイジートラー湖 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

今日から再び10月末から11月始めの秋旅のお話を。

なんだかもうクリスマスが近くなってきて秋という感じでもないのだが、ここで中断するとまた最後まで書かないうちにお蔵入りしそうだし、日本では(ドイツでも)殆ど知られていない地域の話でお蔵入りするには勿体無いので(そういう意味ではあまり読者の需要はないかもしれないけど)、頑張って続行。まあもうブログではクリスマスの話は10年以上書き続けているし、同じ話の繰り返しをするよりは旅行記のほうがいいかな、とも。

ウィーンを出て更に南東に進んだめぎ家。そこにブルゲンラント州という地域があるのだが、そこのノイジートラー湖が最初の目的地。
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この湖は320km²だとのことで、琵琶湖の半分くらいかな。結構大きな湖で、夏はウィーンからの避暑で賑わうようだ。でもこの時期は、遊覧船もちょうど冬季休業に入ってしまったところで、閑散としていた。
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太陽を入れて撮った写真はフィルターを使っていない。めぎはフィルターをそもそも持っていないので。20mm(F1.8)のレンズを絞ってF8で撮影。このレンズ、逆光にかなり強い。20mmはなかなか使いこなせていないけど、軽いし写りもいいしで旅行中のお気に入りのレンズ。夏のザルツブルクでも今回のウィーンでもその後の旅でもほぼこれだけで写して歩いた。
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ここに着いたのは10時40分頃。朝食を取らずにウィーンを出発したのでそろそろお腹が空いて、ここでブランチすることに。
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↑こういうときに、できるだけ人を入れて撮ろうと最近心がけているのだが・・・というのは、誰もいない喫茶店などを撮っても生きた風景という気がしないので・・・いい塩梅に人を入れるのは容易ではない。何枚もチャレンジして、まあまあなのはこれ一枚。よく、構図を決めてあとはシャッターチャンスを、つまりちょうど絵になる人がやってくるのを待つ、と聞くが、ホント忍耐力がいるわよねえ・・・
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ここはガラス張りで、外に湖を眺めながらの絶好の場所。それにしてもこの目玉焼き、3つも卵が使われてて凄いわねえ・・・うちのドイツ人はぺろりと平らげちゃったけど。
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食べ終わって外に出たときは、食べる前と同様こんなにいい天気に見えたのだが・・・
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駐車場に戻る途中でみるみる曇ってきて・・・
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遠くに虹まで見えて・・・
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あっという間に雨が降り出した。あ、怪しい!と思って車まで走ってぎりぎりセーフ。なんて変わりやすい天気なのかしら・・・

つづく

撮影: D600 + 20mm(F1.8), Nikon 1 V3 + 30-110mm(F3.8-5.6)
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ワイン畑 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末から11月始めにかけての秋旅の話を連載中。

オーストリアのハンガリーとの国境地帯には大平原が広がっていた。
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↑そうそう、これは踏切から撮ったもの。今日本では線路上での撮影などを何処かに載せるとものすごい議論になるようだから、念のため。

地理的にこの辺りからプスタと呼ばれる大平原が始まり、ものすごく大雑把に言うとそれがモンゴルまで続いている。プスタで有名なのはハンガリー東部だけど、オーストリア東部のこの地域からそれらしい風景が楽しめるというわけで、うちのドイツ人はこのプスタを見るのを今回の旅で一番楽しみにしていた。
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↑このタイヤのあとはここの農家の人達のもの。

プスタで有名なのはトカイワイン。トカイという町もハンガリー東部にあるのだけど、オーストリアのこの辺りでもワインを生産している。
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甘いワインになりそうね~
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ここでも太陽を入れて撮ってみた。ちょうど正午くらいの撮影なのだけど、太陽の位置はずいぶん低い。今はもっともっと低いのよね。
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V3と望遠ズームでも何枚か。
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撮影: D600 + 20mm(F1.8), Nikon 1 V3 + 30-110mm(F3.8-5.6)
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聖母教会という名の村のフランツィスカーナー修道院バジリカ [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末~11月初めの秋旅の話を連載中。

オーストリアのハンガリーとの国境近くに、フラウエンキルヒェンという村がある。訳すと聖母教会という意味で、その名の教会もドイツやオーストリアにはたくさんあるのだが、今回のフラウエンキルヒェンは村の名前である。人口が3千人にも満たないその村に行ってみたのは、うちのドイツ人が縁の地を訪ねてみたいと言い出したから。
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縁といってもうちのドイツ人と血のつながりがあるわけではないのだが、彼の父親の再婚相手の母親の生まれ故郷がこのオーストリアのフラウエンキルヒェンだったのだ。父親のもとで育った彼は、継母の親を祖父母として子供の頃によく訪ね、その義理のおばあさんの特徴あるオーストリア訛りのドイツ語をよく覚えているという。その人の故郷を訪ねてみようなどと思うようになったのは、一通り自分のルーツを訪ね終わり、身近にいた人のルーツにも目を向けるようになったからかもしれないし、歳を取ってきて、自分の幼いころの記憶があれこれ蘇るからなのかもしれない。
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訪ねてはみたものの、そのフラウエンキルヒェンという村自体には特に見るものもなく、そのおばあさんがその村のどこに住んでいたのかも知る由もない。そこには、村のサイズにしてはびっくりするほどものすごく立派な教会が立っていた。昨日ご紹介したのどかな畑の中に突然こんなのが立っているというイメージで、違和感を感じるほど立派なこの教会は、フランツィスカーナー修道院のバジリカである。
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14世紀には既に巡礼地として知られていたそうで、16~18世紀に何度かトルコ軍によって破壊されつつもその都度エスターハーズィ家によって立派に再建されたそうだ。
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この辺は今はオーストリア領だけど、ほんの100年ほど前まではハンガリー領だったのよね。歴史の成り行きによってはトルコの一部となり、イスラム化していたかもしれないのよね。そういう歴史を色々考えると、今の国境線ってホンの一時の線に過ぎないのだよなあとも感じる。
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うちのドイツ人の記憶の中の義理のおばあさんも、この教会を訪ねたことがあったのかな・・・
ものすごい田舎からドイツへ移り住んだおばあさんというイメージだったけど、たしかにここは田舎だけど、その昔はエスターハーズィの治めるところで、巡礼地として賑わっていたのだというのだから、おばあさんにしてみたらドイツに都落ちしたような気分だったかもしれないわよね・・・

内部をゆっくり見ているうちに、外は随分雲が増えてきていた。
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撮影: D600 + 20mm(F1.8)
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バジリカの細部 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末~11月初めの秋旅の話を連載中。

これは昨日もご紹介したバジリカ。場所はオーストリアのハンガリーとの国境近くのフラウエンキルヒェンという村にあるフランツィスカーナー修道院。
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↑上の写真の一部をV3と望遠ズームで切り取ったのがこちら。
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これはハンガリーの王様らしい。
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バジリカには特にこれがフランツィスカーナーだと分かるようなものはめぎには見つけられなかったが、隣の修道院にはフランツィスカーナー修道会の絵画などがあるようだ。フランツィスカーナーというのは中世のアッシジの聖フランチェスコが始めた修道会のことで、オーストリアにもドイツにもその修道会の修道院がある。ちなみにミュンヘンのヴァイツェンビールのフランツィスカーナーは、フランツィスカーナー修道院の向かいに建てられたビール醸造所が修道院にちなんでつけた名前らしい。その昔修道士たちは断食の時期にパンを食べる代わりにビールを飲んだそうだが、修道院内でビールを作っていたところもある。ワインを作っている修道院も多く、このバジリカでは修道院が作ったらしいワインやリキュールが売られていた。

バジリカの内装はとっても金ピカで、贅を尽くしたという感じ。バジリカとは、元々はローマ建築様式の一つで、その後教会の建築様式となったもの。形が長方形で、光を取り入れる高窓と、列柱のアーケードがあるのが特徴。たしかにそのとおり。
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望遠ズームで大写しすると、天使の彫刻の顔がかなりリアルでちょっと気味が悪い。
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四方八方から睨まれている感じがしたのだが・・・
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実際、監視カメラがいっぱい設置されていた。
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美しく立派だけれどなんとなく居心地悪く感じるところだった。
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撮影: D600 + 20mm(F1.8), Nikon 1 V3 + 30-110mm(F3.8-5.6)
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巡礼の丘 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末~11月初めの秋旅の話を連載中。

ここはオーストリアのハンガリーとの国境近くにあるフラウエンキルヒェンという村。昨日までご紹介していたフランツィスカーナー修道院のバジリカのすぐ近くに、こんな山が作られていた。
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これはゴルゴタの丘と言って、キリストが磔にされた場所を模して・・・否、想像して復元したもの。カトリック教徒には巡礼の地。
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上っていくと途中途中に聖書の話が描かれている。恐らく聖金曜日(イースター前の金曜日で、キリスト磔刑の日)にはここを上る人がいっぱいいるのだろう。日本で言えば富士山信仰の人たちの富士塚に似てるかな。
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こういうのや教会そのものの予算がどうなっているかと問われると・・・現代のことに限って言えば、オーストリアやドイツはキリスト教徒から公に教会税というのを徴収している(めぎは信仰していないのでその税金を払っていない・・・住民登録の際に信条も記入する欄があり、そこでカトリックまたはプロテスタントと登録すれば、教会税が天引きされることとなる)。第2次世界大戦で破壊された有名な教会の再興には、教会税のみならず国や州や市の予算も使われたのかもしれない。また、観光客から徴収する見学料もその予算の一部だろうし、見学料を取っていないところも教会内部ではがきやパンフレットや蝋燭を売ったり、寄付を募る箱が置かれていたり。ここは巡礼地だから、巡礼者からの寄付も多かったことだろうし、修道院だからバチカンからのバックアップも多かったことだろう。中世から近世にかけては、何と言っても皇帝や貴族が自らの権威を誇るために建設・改築・再興しており、それはもとを辿ればもちろん民衆からの税金というか搾取である。

この丘は自由に上れるようになっていた。上がっていくと、見晴らしがいい。と言っても、村の方を写すのをすっかり忘れてしまったけど。だって、住宅街が広がっているだけだったからね・・・
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↑天使のオシリがかわいくて、V3と望遠ズームで。あ、ハエさんが・・・
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上の方を望遠で撮ったり・・・
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広角で撮ってみたり。
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こういうときにレンズを付け替えるのは大変なので、フルサイズ用の望遠ズームを本当に使うなら、もう一台フルサイズ用カメラも要るということなのよね・・・夢は、Dfを手に入れて広角~標準の単焦点レンズ専用にし(ニコンのオールドレンズも使ってみたいし)、望遠ズームはD600につけるとか(D850はめぎにはオーバースペック)。でも、そんな2台体制の重みに耐えられるかはともかく、そんな財力は流石にないなあ。でも欲しいなあ。

この修道院の広い庭にはもう一つ、戦没者追悼の記念碑もあった。
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めぎたちはこれでフラウエンキルヒェンという村を後にした。そこからノイジードラー湖の東側を南下し、時々湿地帯で休憩&撮影などしつつ・・・
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広大な大平原プスタの景色を堪能しつつ、ハンガリーとの国境へ。
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つづく。

撮影: D600 + 20mm(F1.8), Nikon 1 V3 + 30-110mm(F3.8-5.6)
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ハンガリーのエスターハーズィ城 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末~11月初めの秋旅の話を連載中。

オーストリアの東の果てにあるノイジードラー湖の東側を南下すると、ハンガリーに入る。
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そこから程なく、フェルトゥードという人口3400人くらいの小さな村に出るのだが、そこに立派な宮殿が立っている。今回の旅のキーワードであるエスターハーズィ家の夏の離宮だ。
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残念ながら曇ってしまったのでイマイチだけど、あれこれ工夫して撮影。
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窓から中を覗き込んで見る・・・二重窓だったのでこちら側が映り込んでしまい、自分の影になるところしか向こうが見えない。
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V3と望遠ズームで、映り込みも活かして撮影。こういうのって、楽しいのだけど自己満足だわね。
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バルコニーの上に外から上ることができたので、そこからも覗き込み。宮殿の反対側の窓から裏の広大な庭園の向こうが見渡せた。これも自己満足だけど面白いわね。
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あ、少し晴れてきた!
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もしかして、青空が望めるかしら。
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おお~待った甲斐があったわ~~
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ほらほら!(雨露がレンズに付いていたらしく、変なぼんやりとした部分ができちゃった・・・)
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結構粘ってみたが、これ以上は晴れなかった。雲は飛ぶように流れているのだけど、風向きを見ても太陽のあるところには常に分厚い雲がかかる感じ。うーん、そろそろ行かないと明るいうちに今日の宿に間に合わない・・・と言っても宿を予約していたわけではないのでハンガリーのこの村で泊まってもいいのだけど、できれば泊まりたいと思っていたオーストリアの町までなんとかたどり着いて、明るいうちに宿探ししたい。というわけで、泣く泣くこれでここを去った。
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撮影: D600 + 20mm(F1.8), Nikon 1 V3 + 30-110mm(F3.8-5.6)
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ハンガリーの田舎道 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末~11月初めの秋旅の話を連載中。

昨日ご紹介したハンガリーの北西部のフェルトゥードという小さな村にあるエスターハーズィ家の夏の離宮から、ノイジードラー湖の足の部分というかお尻の部分というかとにかく南の部分をぐるりと湖の西側に回り、そこから北へ向かってオーストリアに戻るのだが、そのドライブの間に助手席から撮った景色をどうぞ。
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このように雨が降ったりやんだり、小さな村の中を走ったり広大なまっ平らな畑の中を走ったりを繰り返し、ちょっとした山のようなところに入った。
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突然の素晴らしい光と黄葉。
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あ、あっちがウィーンだって・・・その方向へ行けばオーストリア。
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そして再びオーストリアに戻ってきた。
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ぎりぎり明るいうちに目的地到着♪
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撮影: D600 + 20mm(F1.8)
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秋旅5日目の夕食 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、10月末~11月初めの秋旅の話を連載中。

旅の5日目、ノイジードラー湖の周りをほぼ一周して宿泊地に選んだのはアイゼンシュタットという町。
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ブルゲンラント州の州都であるのだが、人口1万4千人ちょっとの小さな町。ここは第1次世界大戦まではハンガリーだったところで、エスターハーズィ城がある。ちょうど夕方の最後の光が当たって美しかったが、めぎたちは宿探しに忙しくて車の中から撮影したこれのみ。
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昨日ご紹介したエスターハーズィ城は夏の離宮で、このアイゼンシュタットにある城の方が本拠地。そこは次の日にしっかり見学したのだが、その話はまたいずれ。

宿に落ち着いて、早速今日の夕食へ。まずは地ビールで乾杯♪
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↑このアイゼンシュタットはハイドンがエスターハーズィ家の宮廷音楽家として使えたところ。そんなわけでこのレストランはハイドンブロイというし、町のあちこちにハイドンの名前がついている。ハイドン博物館も次の日に訪ねたが、その話もまたいずれ。

めぎが食べたのは鹿フィレ肉ステーキ。周りにある俵型のはコロッケ。お皿の中にはクランベリーソース。
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この日は湖沿いでちょっと遅い朝食を取って以来何も食べてなく、お腹ペコペコだったとは言え、ステーキ3つはキツかった。でも、量はともかく、肉は柔らかく、塩味も濃すぎず、ここの料理は絶品だった。写していないけど料理に合わせて地元のハウスワインを飲んだのだが、聞いたことのない葡萄の品種ので(ブラウフレンキッシュとツヴァイゲルト)、どちらもとても美味しくてびっくり。オーストリアワイン、侮れないわ~このあとめぎたちはこの品種の地元ワインを毎晩飲んで、お土産に数本購入した。

うちのドイツ人はノロジカを。白いのはパンを潰して作ったクヌーデル。
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お腹がいっぱいになったが、これはここで試さないとね、とエスターハーズィトルテを二人で1つ。濃厚だった・・・
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↑ぼんやり写っている透明な液体は、〆に飲んだ杏のブランデーとプルーンのブランデー。お会計は全部で56ユーロ。これだけ飲んで食べてこれだけ美味しくてこの値段には大満足。田舎の旅っていいなあ。

ホテルに戻る前に、ライトアップしたエスターハーズィ城を。
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この時計を見て一瞬、いつの間に11時40分!?と勘違いしたほど町は閑散としていて、まるで真夜中のようだった。ここは街の大通り、目抜き通りなのだ・・・観光シーズンではないとは言え、寂しいわねえ。地元の人はレストランには集っていたけれど、外に出ると殆ど見当たらないのだった。
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これで秋旅の5日目が無事に終了。あと2泊3日分が残っているのだけど、たぶんその話は年明けになる予定。

撮影: Nikon 1 V3 + 30-110mm(F3.8-5.6)/ 18.5mm(F1.8)
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