バイロイトへ [2012年バイロイト音楽祭]
昨日の記事の続きとしては、あのあとグッビオに移動し、妹と会ったりまた散歩したり山に登ったり海まで出かけたりするわけだが、イタリア・ウンブリア州の旅行記はこれからしばらく中断する。というのは、今年の冬に記事にしたように、これからめぎ家は今年最大のハイライト、バイロイトへ出発するのだ。
(バイロイトに興味のない方は写真をどうぞ。これはイタリアから買ってきたデザートワイン♡)
思えば、めぎとうちのドイツ人を結びつけたきっかけの一つであるワーグナー。めぎは彼の蔵書のいくつかを見てこの人とは合うということを直感したのだが、その一つがワーグナーの研究書だった。また、うちのドイツ人も、めぎがオペラ好きでしかもワーグナーを理解するということで、いっぺんにめぎに惚れ込んだのだった。
(これも同じくイタリアから買ってきた生ハムやサラミ。ペコリーノチーズも買ってきたのだけど、それは写し忘れちゃった。)
ちなみにめぎとうちのドイツ人の初デートはヴェルディのマクベス鑑賞で、イタリア・オペラも機会あれば楽しんでいるのであり、ワーグナーのみが素晴らしいと思っているわけでは決してない。でも、あの頭韻をふむドイツ語の素晴らしい詩や、無限旋律の人を陶酔させる音楽性、そして心の深層をえぐるような神話のテーマには、他の何も寄せ付けない魔力があると感じる。バイロイト音楽祭に行くことが「ワーグナー詣で」と呼ばれるように、バイロイト劇場が「祝祭劇場」という名であるように、ワーグナーの楽劇は一種の宗教のようなものである。
(これはうちのドイツ人がジャガイモを茹でて潰して小麦粉とグリースという粉でつないで作ったニョッキ。)
どういう風に宗教的なのか。その音楽は無限旋律といって区切りや終わりが無くいつまでも続いて人を陶酔させるのだ。お経とか呪文とかマントラとかに似ていると言えばいいだろうか。そこでは個人というものが埋没し、人は自分を忘れ、その音楽の中に包まれ、取り込まれ、その音楽と一体化する。ある意味非常に恐ろしい効果だ。だからこそ、ナチズムと結びつくのだろう。どちらがどう相手を利用したかは私は専門家ではないので筆を控えるが、ナチズムが目指した全体主義は、この音楽のもたらす効果とぴったり重なるのだ。
(そして、イタリアから買ってきたベーコンの脂身のようなものをベースにドイツのトマトとハーブで作ってみたトマトソース。美味しかったけど、まだまだ試作中。)
ワーグナーの楽劇はこのようにただの音楽ではない。政治的なアプローチ、神話からのアプローチ、深層心理学的アプローチ等々、様々なアプローチの仕方があって、あまりにも果てしなく、あまりにも深すぎる。めぎに理解できていることなど、ほんの氷山の一角だろう。それでも、かつて学生時代にワーグナー概論という講義を受けてから今まで、私なりに生涯の趣味の一つとしてずっとワーグナーに取り組み続けてきた。取り組むと言っても別に研究しているわけじゃなく、歌っているわけでもなく、ワーグナー協会に属しているわけでもなく、趣味としてワーグナーの音楽に触れ続け、感じ続け、考え続けてきたというだけのことだけど。ワーグナー好きで、舞台で演じてもいたプロのオペラ歌手だった義父からも、ずいぶん色々な話を聞いた。そういう家族に出会ったのは、運命だったんだな、と思う。
(オリーブオイルはもっと大きな缶のを買えばよかったわねえ。)
あのドミンゴが初めてワーグナーを歌ったのは68年のハンブルクで、その頃既にうちのドイツ人と彼の父親はそこで働いていて(父親はハンブルク・オペラ座付きの歌手だったし、うちのドイツ人は子役だった)、彼らはドミンゴと一緒にいくつかのオペラで舞台に立っている。例えばうちのドイツ人はドミンゴがハンブルクでデビューした67年にラ・ボエームで共演していて、彼のすぐ隣で一緒に歌い、舞台裏で一緒にサッカーをしたのだとか。だから、彼の歌がどれほど素晴らしいかをよく聞かされた。一方で、うちのドイツ人と父親とその奥さんは口を揃えて、ドミンゴはイタリア・オペラに最適な声をしていてワーグナーには向かなかった、という。それでも素人のめぎは、彼がバイロイトに出ているうちに見に行くことができていたらよかったのになあ、と思うのが正直なところ。いや、もっともっと昔、バイロイトが華のように輝いていた頃に行けていたらなあ。うちには50年代のバイロイトの録音のCDがあったりして、それを聴くと、芸術って素晴らしいなと感じる。それがその場に行けば歌手も合唱もオーケストラも舞台装置も照明もなにもかもが一体となっていて、総合芸術たるものが実感できるんだろうな。
(今回のイタリアの旅では飛行機で荷物一人23キロまでOKだったので、結構たくさん液体を購入した。右と左のがその一部。)
そう、総合芸術・・・ワーグナーは、自分で音楽のみならず詩を書き、台本を書き、舞台装置や照明や衣装を考え、自分で自分の作品にあった劇場を建て、自分で指揮をして公演したのだ。何という才能。そして、普通のオペラ座が街中にあって、仕事を終えたあと気分転換にちょっとデートでオペラでも見に行きましょ、というノリで観劇されるようなのを否定し、そこに泊まり込んで、一日体調を整え、夕方から長時間缶詰状態で観劇し、陶酔する、しかも「ニーベルングの指輪」の場合4夜連続で陶酔する(今は休日が挟まってるけど)、つまり公演期間はその楽劇中心の生活を送ることを強いたのである。
(このリキュールワインも美味しかった♡)
ワーグナーの楽劇は上に書いたように無限旋律で区切れが無く、イタリア・オペラのようにアリアとかレチタティーヴォとか細かく分かれてもなく、従って普通イタリア・オペラがあちこちカットして短縮してハイライトのみを公演しているのに対し、どこもカットできず全作品を演奏しなければならないようになっている。だから、ものすごく長い。一公演4時間以上かかるものもある。それに向けて体調を整えないととても最後まで見切れない。本当に覚悟ある者しかその修行に耐えきれないという感じだろうか。バイロイト音楽祭に関しては、お洒落で豪華で美しくて楽しくて、というのとはほど遠く、苦行に近いものなのではないかと思う。しかし、それは何という贅沢だろう。
(美味しいものはあっという間に飲んでしまう・・・一緒に写したトマトピューレのパックは、coopにいっぱい売られていたので、もしかしてイタリアのは味が濃いかなと思って軽いパックのを買ってみたのだけど、これよりはドイツの真夏の生のトマトを使った方が美味しいと判明。)
さて、めぎにとって最も難関なのは、やはり言葉である。ネイティブだったらもっとあの詩の素晴らしさを体感できるんだろうと思うと、ちょっと悔しい。少しでもそれに近づきたいと思って、めぎたちが見る予定の3演目は予め読んでおくことにした。意味を知りたいのではなく(意味なら世の中に翻訳がいくらでもあって、めぎも日本語で読んだ方がよっぽど早い)、その詩を味わいたいと思ったから。
めぎはワーグナーの主な楽劇のテキストは学生時代に買ってあった。下の「パルジファル」の写真は左がうちのドイツ人ので、右がめぎの。うちのドイツ人のは亀の子文字。パルジファルは中世の叙事詩を読んだときから好きだった。だから、とっても楽しみ。
「トリスタンとイゾルデ」。この絵、すてきねえ。でもこの台本は台詞が長くて長くて正直閉口したが。もう分かったから次行こうよ、と思うところいっぱい。私、トリスタン伝説はあまり好きじゃなくてねえ・・・媚薬で恋に落ちて破滅する話は、あまりタイプじゃない。もっと意志が欲しいの。
この古い本は、うちのドイツ人が76年に古本で買ったものなのだが・・・
中に新聞の切り抜きが挟まっていた。
それを見ると、55年のもの。うちのドイツ人が生まれるよりも前の新聞記事だ。アントン・ヴェーベルンの死後10年目に向けての記事。それがワーグナーの楽劇の本に挟まっているなんて。この本を所有していた人が、この記事を切り抜いてこれに挟んで、それがそのまま古本として売られ、うちのドイツ人が買い、それをめぎが手にするなんて、なんて面白いこと・・・話は逸れるけど、紙の持つ力って、なんて素敵なのかしら。デジタルでは決して起こり得ないこの出来事に、もうきっと亡くなっているであろうこの本の見知らぬ元所有者に思いを馳せためぎ。
「タンホイザー」はうちのドイツ人が唯一嫌いな作品で、彼は本を持っていない。でも、めぎはこの話が好き。ヴェヌスとエリーザベトとの間で迷う男の姿にはすごく共感できるから。この本はめぎがかつて神保町の古書街で、元の持ち主の書き込みがあるのをただ同然で手に入れたもの。
Bühne(=舞台)とかも調べてある・・・この人、読むの、大変だったんだろうな。だって、このページにしか書き込みが無くて、そのあとはまっさらなんだもの。この人、今はどこで何をしているのかな。ドイツ語と関わって生きているのかな・・・とこれまた見知らぬ人に思いを馳せた。紙の媒体ってロマンがあっていいわねえ。かつて自分がドイツ語に取り組み始めた頃のことを懐かしく振り返るいい機会にもなった。誰しも、めぎも、こういう時代があって、今がある。
残念ながら今年は「指輪」の上演のない年だし、うちのドイツ人の好きな「マイスタージンガー」も今年はないし、直前に鉤十字問題のあった「さまよえるオランダ人」とめぎの大好きな「ローエングリン」はチケットが当たらなくて、以上の3公演のみを見に行ってくる。鉤十字問題やら非難囂々の演出やら、そういうどろどろを全て含めバイロイトだと思う。本番を映画上映する試みも始まったそうで、カタリーナ・ワーグナーが継いでから大きく転換中だ。でもめぎは今回、そこにゆっくり泊まって開演時間まで長丁場の楽劇に備えて体調を整え、真っ暗闇の閉じこめられた空間でその完璧に完成された音楽に陶酔するという、ワーグナーが考えた通りの楽劇の楽しみ方を実践してみるつもり。めぎたちのチケットは一枚35~40ユーロ程度の安い天井裏の桟敷席で、エアコンもない劇場でものすごく暑いとの噂。来週は暑くなるという天気予報だし、体調を崩さずに最後まで見続けられるかしら。
冬をうちのバルコニーで越した紫陽花から4つついた蕾のうち、2つめのが咲き始めた。初々しいこの色合いに心が洗われる気持ちがする。
と言ってもまずはまっすぐバイロイトじゃなくて友人の結婚式に出席したりするのだが、そのようなわけでまた数日間皆様のブログ訪問はお休み。よろしければ「めぎはいまここ」をどうぞ。
バイロイト音楽祭を経験して [2012年バイロイト音楽祭]
バイロイトをこの目で見て、その場を体験して、いったい何から書いてよいか分からない・・・書きたいことがいっぱいあるけれど、なんだか心の整理がつかなくて。まだ飲み込んだばかりで、全く消化していない感じ。でも、その時期だからこそ書ける勢いというのがあるのかも知れない。記憶を書き留めておきたいというレベルにしかならないけれど。
まず、劇場の中はこんな感じ。内部は撮影禁止だったので、今日のブログの写真は様々なネット記事からの引用。めぎたちが座ったのは天井近く、右上の四角い空間の端っこだ。この劇場には空調が無く、満席の人々の熱気で2幕3幕と進むうちに桟敷席はものすごく暑くなる。下の方の席も暑かったようで、男性たちはみんな上着を脱いでいたけれど。椅子は木製で、大学の講義室の椅子のようなイメージ。そして、中央に通路が無く、観客は左右の端から入っていくしかない。真ん中の方の人が席に着くまで、端の人は立って待っているという仕組み。つまり、極めて古く、居心地は抜群に悪い。照明が蝋燭やガスから電気に代わった以外はほぼワーグナーが建てた通りのままなのだ。(写真はこちらから)
よくそう聞いていたが、音は本当に素晴らしい。何と素晴らしいオーケストラの演奏。何と素晴らしい合唱。完璧だ。そして、劇場自体が楽器の一つのようにそのハーモニーを包み込み、響かせている。欲を言えば、席が桟敷席だった所為もあるのかも知れないが、小さな音から大きな音までの幅がどうもちょっと狭い気がする。もっと大きな音を期待したところで今一つだったし、もっと耳をすましたいところで結構大きく聞こえたり。
このオケも合唱も、この音楽祭の時期にだけここに集まっている人たちで、専属というわけではないのがすごい。オペラがオフシーズンの今、普段はどこかのオペラ座の専属か、まだ定職がないかの弾き手・吹き手・歌い手さんたちが夏休み中アルバイトのようにバイロイトで稼いでいるのだ。もちろん普通のアルバイトと違って、これに出られるのは晴れがましいことなのだろうけれど、うちのドイツ人や義父や奥さん(この3人はハンブルクの国立オペラ座に所属していた)によれば、老いも若きも関係なく同僚で独り身の人が夏に一人で休暇に行くよりはとバイロイトに働きに行っていたそうなのだ。家族ができたり恋人ができたりするとそれをやめてしまい、従ってバイロイト音楽祭のオケと合唱は毎年メンバーが入れ替わるというわけだ。なるほどねえ・・・一部のソリストを除けば、そういう人たちがこの質を支えているわけね。それは舞台の大道具や照明や衣装スタッフなども同じだそう。
そして、連日こんなにたくさんの人たちがここをこんな風に埋め尽くしているというわけだ。めぎたちが座ったのは、あの一番上のところ。天井に手が届きそうに感じるほど近かった。あそこには4列あって、2夜は最前列だけど端っこに(一枚40ユーロ)、1夜は割と真ん中だけど3列目に(一枚35ユーロ)。二人でチケット代は3夜合計230ユーロ(=約2万3千円)。ちなみに写真で下に座っている人たちの席は一枚185~280ユーロ。2階席は一枚155~250ユーロで、3階席は95~195ユーロ。3夜連続、または全公演5夜連続二人分となると、めぎ家にはとても払えない。社交界の場でもある世界に名だたる音楽祭でこういう破格の桟敷席を設けているところが、さすがドイツという気がする。暑いし、舞台がちょっと見えない部分があるし(でもほんのちょっとなのでほとんど気にならない)、エレベーターがないので階段をひたすら(休憩の度に降りるから全部で一日3回も)上がらなきゃならないが。もしかしたら音の質も多少違うのかも知れない。(写真はこちらから)
ここからの話はワーグナーの楽劇のあらすじの話を予め知っていないと何が何だか分からないと思う。でも、あらすじはネットを引けば出てくるし、世の中に翻訳やワーグナー専門書はごまんとあるし、当ブログはめぎの個人的体験を書くところだし、筋を説明していると長すぎるので、ここでは扱わない。あしからずご容赦を。
今回最も感動したのは、最後に見た「パルジファル」だった。これを見て、ここに来た価値があった、と強く感じた。ああ、オペラはまだ死んでいないんだな、とも思った。あまりにも面白くて、あまりにも引き込まれて、ものすごく長いのに時間を忘れたし、そこが祝祭劇場であることも、それがワーグナーの作品であることも、暑いことも帯がきついことも忘れた。最初の序曲の段階から、ト書きには全く無い斬新な解釈の演出・迫真の演技にすっかり引き込まれた。舞台はワーグナーのヴィラであるWahnfriedの建物で、パルジファルはワーグナー自身なのかという演出でもあった。(写真はこちらから)
Wahnfriedの建物はこちら。ね、同じでしょ。前の泉まで同じ。(写真はこちらから)
今回からパルジファルに限りバイロイト公演が映画館で同時上映された。それが次の日にドイツのテレビでも放送され、それがYou Tubeにも載っている。すごい世の中になったものだ。ドイツ語字幕つきなのが面白い。ドイツ人でもやっぱりオペラ歌手のドイツ語は聞き取りにくいのね。せっかくなので、ここにリンクを張ることにする。以下、(時間)はそのYou Tube上の時間。一幕目だけで1時間42分ほどあるが、お時間のある方は言葉が分からなくても是非。音楽がお好きな方は是非序曲だけでも。めぎの説明の箇所を見たければその時間の部分のみどうぞ。
まず、序曲での演出で度肝を抜かれた。ワーグナー自筆の台本にも、中世の聖杯伝説の叙事詩にも、パルジファルが母親のトラウマを抱えていたなどとは一言も書かれていない(最初から11分35秒くらいまで、1時間27分30秒から2分間くらい)。しかし、そう解釈すれば、なぜパルジファルが愚者で何も覚えていなかったのか、心理学的に説明がつく。この演出家、すごいなあ。母親とクンドリがあたかも同一人物であるかのようで、何と斬新なんだろう(57分17秒)。そして、聖杯城への道がパルジファルの生まれたシーンだったり(1時間5分から2分半くらい)、聖杯の儀式中に母親が生き返って近親相姦が行われたり(1時間26分くらいから)、聖餐が第一次世界大戦と結びつけられたり(1時間30分くらいから)、息をつく暇がない。イルージョンの連続で複雑に絡み合って折り重なって行くのだが、そうよね、そうかも知れないわよね、としっくり合点のいく演出で、脱帽だった。歌はないが子役の演技が素晴らしかったことも、引き込まれた大きな理由だ。特に、水浴のシーンではこの先どうなるのかしら、と目が離せなかった(26分30秒くらいから)。
二幕目もなかなか面白かった。まず、You Tubeの映像のリンク。
騎士たちが兵士で表現され、まやかしの慰めを受けるというのは現代らしさ。それにしても、オペラに行って、それもバイロイトへ行って、これほど何度もベッドシーンを見るとは。この子役の子どもは、演技とは言えこれほどリアルな大人の世界のシーンを目の当たりにして、いったいどんな風に育つのかな、とちょっと思ったり(9分くらいから2分間くらい)。時にどぎつくホラーのようでもあり、手品かマジックかと思うようなところもあり、何が今で何が幻覚で何が深層心理なのかわからなくなるほど複雑に絡み合っていた。(写真はこちらから)
花の少女たちがまるでコスプレのよう(16分くらいから8分間くらい)。(写真はこちらから)
そして話が進んでクリングゾールとのシーンでナチスが出てきたのは、ああやっぱり、と思ったが(1時間2分くらいから)、国を代表する文化遺産の場で、政治家や名だたる企業のお偉方も集う社交界の場で、負の遺産に正面から向かうドイツの姿勢はすごい。そこでふと、一幕目の「僕を脅したのは悪い奴らだったの?いい奴は誰?」というパルジファルの台詞を思い出しためぎだった。
一幕目のインテンシヴさと斬新さを思うと、三幕目はお決まりという感じでちょっとイマイチだったが、舞台の中に舞台があるという構造や(3分20秒くらいから約1分間)、外側の人々を中に引き込むという手法(40分40秒くらいから4分間くらい)、最初の荒廃した城のシーンが第二次世界大戦後のドイツのようだったり(4分40秒)、ドイツ議会が最後の聖杯の儀式の場になったり(52分15秒くらいから)、よく考えているなあという印象。パルジファルと母親との関係がその後どうなったのか、はっきりと示されなかったのが残念なところ。
以上、16時に始まって、2回の休憩を挟んで終演が22時10分。終わったあとは放心状態だった。その後数日も胃もたれ状態だった。ここまで書いた今、ようやく腸までやってきたという感じだろうか。全てが血や肉になるのはもう少し先のことだろう。ちなみにこのパルジファルはNHKのBSプレミアムで26日深夜(日付では27日)に放送されるそうだ。興味のある方は是非。
その前日のタンホイザーも斬新な演出で、めぎはとっても楽しめた。タンホイザー嫌いのうちのドイツ人もずいぶん楽しんだようだった。なにしろヴェヌスが四六時中出てきてエリーザベトの目の前で誘惑してるし、あの有名な「夕星の歌」もヴェヌスとダンスしながら歌うのだから、まあびっくり。欲を言えば、やっぱりパリ版のようにバレエがあったらなあと思うし、うちのドイツ人は女性たちのコスチュームがズボンだったのがすごく残念だったようだけど。(写真はこちらから)
そして、最初に見たトリスタンとイゾルデは、めぎ的には全然面白くなかった。もともとあまり動きが無くて登場人物もほんの数人に限られているのに長くて暗くて、演出も伏線で何か新しい解釈を重ねていくわけではなくただ奇抜な格好や場所にしているだけで、退屈だったのだ。めぎには内容から考えてどうしてイゾルデがこんな黄色の服装なのかどうしても理解できないし、このあと電気がちかちかするのだけど、それが何を表現しようとしているのかもよく分からなかった。3幕では病院のベッドが出てくるのだが、そのベッドが何のために必要なのかも全く理解できなかった。斬新にベッドを置けばいいというものじゃない。こんなにつまらないなら、元々の台本通りの舞台設定にしてよ、と思ったほどだった。ただ、音楽は素晴らしかった。ソリストたちはブランゲーネ役以外それほど素晴らしいと思わなかったが、全部で4時間以上ほぼ二人だけで歌い続けるトリスタン役とイゾルデ役の二人の体力と技術には拍手を送りたい。(写真はこちらから。)
そんな3夜連続の観劇。行く前は、カタリーナ・ワーグナーの代になったバイロイトにはもはや興味がないなどとうちのドイツ人が言い、今回行ってみてつまらなかったらこれで申し込みはやめよう、などと話していた。1日目はこんな長いのをこんな窮屈な格好で見続けるなんて・・・と2幕目ぐらいでブルーになって、3幕目には我慢大会みたいな気分だったのだけど、2日目が意外に面白く、3日目でこれほど感動できるとは。行ってみないと分からない、何事も経験無しに判断はできないものだなあ、とつくづく思った。特に、パルジファルでオペラに未来が開けたような気がして、またいつか新しい感動を期待できるかも、という気持ちが芽生え、これからもまた毎年バイロイト音楽祭のチケットを申し込み続けようと決めためぎ家であった。また当たったときにも桟敷席まで着物で階段を上れる体力を温存しておかなくちゃ。
明日は会場での食事のお話を。
まず、劇場の中はこんな感じ。内部は撮影禁止だったので、今日のブログの写真は様々なネット記事からの引用。めぎたちが座ったのは天井近く、右上の四角い空間の端っこだ。この劇場には空調が無く、満席の人々の熱気で2幕3幕と進むうちに桟敷席はものすごく暑くなる。下の方の席も暑かったようで、男性たちはみんな上着を脱いでいたけれど。椅子は木製で、大学の講義室の椅子のようなイメージ。そして、中央に通路が無く、観客は左右の端から入っていくしかない。真ん中の方の人が席に着くまで、端の人は立って待っているという仕組み。つまり、極めて古く、居心地は抜群に悪い。照明が蝋燭やガスから電気に代わった以外はほぼワーグナーが建てた通りのままなのだ。(写真はこちらから)
よくそう聞いていたが、音は本当に素晴らしい。何と素晴らしいオーケストラの演奏。何と素晴らしい合唱。完璧だ。そして、劇場自体が楽器の一つのようにそのハーモニーを包み込み、響かせている。欲を言えば、席が桟敷席だった所為もあるのかも知れないが、小さな音から大きな音までの幅がどうもちょっと狭い気がする。もっと大きな音を期待したところで今一つだったし、もっと耳をすましたいところで結構大きく聞こえたり。
このオケも合唱も、この音楽祭の時期にだけここに集まっている人たちで、専属というわけではないのがすごい。オペラがオフシーズンの今、普段はどこかのオペラ座の専属か、まだ定職がないかの弾き手・吹き手・歌い手さんたちが夏休み中アルバイトのようにバイロイトで稼いでいるのだ。もちろん普通のアルバイトと違って、これに出られるのは晴れがましいことなのだろうけれど、うちのドイツ人や義父や奥さん(この3人はハンブルクの国立オペラ座に所属していた)によれば、老いも若きも関係なく同僚で独り身の人が夏に一人で休暇に行くよりはとバイロイトに働きに行っていたそうなのだ。家族ができたり恋人ができたりするとそれをやめてしまい、従ってバイロイト音楽祭のオケと合唱は毎年メンバーが入れ替わるというわけだ。なるほどねえ・・・一部のソリストを除けば、そういう人たちがこの質を支えているわけね。それは舞台の大道具や照明や衣装スタッフなども同じだそう。
そして、連日こんなにたくさんの人たちがここをこんな風に埋め尽くしているというわけだ。めぎたちが座ったのは、あの一番上のところ。天井に手が届きそうに感じるほど近かった。あそこには4列あって、2夜は最前列だけど端っこに(一枚40ユーロ)、1夜は割と真ん中だけど3列目に(一枚35ユーロ)。二人でチケット代は3夜合計230ユーロ(=約2万3千円)。ちなみに写真で下に座っている人たちの席は一枚185~280ユーロ。2階席は一枚155~250ユーロで、3階席は95~195ユーロ。3夜連続、または全公演5夜連続二人分となると、めぎ家にはとても払えない。社交界の場でもある世界に名だたる音楽祭でこういう破格の桟敷席を設けているところが、さすがドイツという気がする。暑いし、舞台がちょっと見えない部分があるし(でもほんのちょっとなのでほとんど気にならない)、エレベーターがないので階段をひたすら(休憩の度に降りるから全部で一日3回も)上がらなきゃならないが。もしかしたら音の質も多少違うのかも知れない。(写真はこちらから)
ここからの話はワーグナーの楽劇のあらすじの話を予め知っていないと何が何だか分からないと思う。でも、あらすじはネットを引けば出てくるし、世の中に翻訳やワーグナー専門書はごまんとあるし、当ブログはめぎの個人的体験を書くところだし、筋を説明していると長すぎるので、ここでは扱わない。あしからずご容赦を。
今回最も感動したのは、最後に見た「パルジファル」だった。これを見て、ここに来た価値があった、と強く感じた。ああ、オペラはまだ死んでいないんだな、とも思った。あまりにも面白くて、あまりにも引き込まれて、ものすごく長いのに時間を忘れたし、そこが祝祭劇場であることも、それがワーグナーの作品であることも、暑いことも帯がきついことも忘れた。最初の序曲の段階から、ト書きには全く無い斬新な解釈の演出・迫真の演技にすっかり引き込まれた。舞台はワーグナーのヴィラであるWahnfriedの建物で、パルジファルはワーグナー自身なのかという演出でもあった。(写真はこちらから)
Wahnfriedの建物はこちら。ね、同じでしょ。前の泉まで同じ。(写真はこちらから)
今回からパルジファルに限りバイロイト公演が映画館で同時上映された。それが次の日にドイツのテレビでも放送され、それがYou Tubeにも載っている。すごい世の中になったものだ。ドイツ語字幕つきなのが面白い。ドイツ人でもやっぱりオペラ歌手のドイツ語は聞き取りにくいのね。せっかくなので、ここにリンクを張ることにする。以下、(時間)はそのYou Tube上の時間。一幕目だけで1時間42分ほどあるが、お時間のある方は言葉が分からなくても是非。音楽がお好きな方は是非序曲だけでも。めぎの説明の箇所を見たければその時間の部分のみどうぞ。
まず、序曲での演出で度肝を抜かれた。ワーグナー自筆の台本にも、中世の聖杯伝説の叙事詩にも、パルジファルが母親のトラウマを抱えていたなどとは一言も書かれていない(最初から11分35秒くらいまで、1時間27分30秒から2分間くらい)。しかし、そう解釈すれば、なぜパルジファルが愚者で何も覚えていなかったのか、心理学的に説明がつく。この演出家、すごいなあ。母親とクンドリがあたかも同一人物であるかのようで、何と斬新なんだろう(57分17秒)。そして、聖杯城への道がパルジファルの生まれたシーンだったり(1時間5分から2分半くらい)、聖杯の儀式中に母親が生き返って近親相姦が行われたり(1時間26分くらいから)、聖餐が第一次世界大戦と結びつけられたり(1時間30分くらいから)、息をつく暇がない。イルージョンの連続で複雑に絡み合って折り重なって行くのだが、そうよね、そうかも知れないわよね、としっくり合点のいく演出で、脱帽だった。歌はないが子役の演技が素晴らしかったことも、引き込まれた大きな理由だ。特に、水浴のシーンではこの先どうなるのかしら、と目が離せなかった(26分30秒くらいから)。
二幕目もなかなか面白かった。まず、You Tubeの映像のリンク。
騎士たちが兵士で表現され、まやかしの慰めを受けるというのは現代らしさ。それにしても、オペラに行って、それもバイロイトへ行って、これほど何度もベッドシーンを見るとは。この子役の子どもは、演技とは言えこれほどリアルな大人の世界のシーンを目の当たりにして、いったいどんな風に育つのかな、とちょっと思ったり(9分くらいから2分間くらい)。時にどぎつくホラーのようでもあり、手品かマジックかと思うようなところもあり、何が今で何が幻覚で何が深層心理なのかわからなくなるほど複雑に絡み合っていた。(写真はこちらから)
花の少女たちがまるでコスプレのよう(16分くらいから8分間くらい)。(写真はこちらから)
そして話が進んでクリングゾールとのシーンでナチスが出てきたのは、ああやっぱり、と思ったが(1時間2分くらいから)、国を代表する文化遺産の場で、政治家や名だたる企業のお偉方も集う社交界の場で、負の遺産に正面から向かうドイツの姿勢はすごい。そこでふと、一幕目の「僕を脅したのは悪い奴らだったの?いい奴は誰?」というパルジファルの台詞を思い出しためぎだった。
一幕目のインテンシヴさと斬新さを思うと、三幕目はお決まりという感じでちょっとイマイチだったが、舞台の中に舞台があるという構造や(3分20秒くらいから約1分間)、外側の人々を中に引き込むという手法(40分40秒くらいから4分間くらい)、最初の荒廃した城のシーンが第二次世界大戦後のドイツのようだったり(4分40秒)、ドイツ議会が最後の聖杯の儀式の場になったり(52分15秒くらいから)、よく考えているなあという印象。パルジファルと母親との関係がその後どうなったのか、はっきりと示されなかったのが残念なところ。
以上、16時に始まって、2回の休憩を挟んで終演が22時10分。終わったあとは放心状態だった。その後数日も胃もたれ状態だった。ここまで書いた今、ようやく腸までやってきたという感じだろうか。全てが血や肉になるのはもう少し先のことだろう。ちなみにこのパルジファルはNHKのBSプレミアムで26日深夜(日付では27日)に放送されるそうだ。興味のある方は是非。
その前日のタンホイザーも斬新な演出で、めぎはとっても楽しめた。タンホイザー嫌いのうちのドイツ人もずいぶん楽しんだようだった。なにしろヴェヌスが四六時中出てきてエリーザベトの目の前で誘惑してるし、あの有名な「夕星の歌」もヴェヌスとダンスしながら歌うのだから、まあびっくり。欲を言えば、やっぱりパリ版のようにバレエがあったらなあと思うし、うちのドイツ人は女性たちのコスチュームがズボンだったのがすごく残念だったようだけど。(写真はこちらから)
そして、最初に見たトリスタンとイゾルデは、めぎ的には全然面白くなかった。もともとあまり動きが無くて登場人物もほんの数人に限られているのに長くて暗くて、演出も伏線で何か新しい解釈を重ねていくわけではなくただ奇抜な格好や場所にしているだけで、退屈だったのだ。めぎには内容から考えてどうしてイゾルデがこんな黄色の服装なのかどうしても理解できないし、このあと電気がちかちかするのだけど、それが何を表現しようとしているのかもよく分からなかった。3幕では病院のベッドが出てくるのだが、そのベッドが何のために必要なのかも全く理解できなかった。斬新にベッドを置けばいいというものじゃない。こんなにつまらないなら、元々の台本通りの舞台設定にしてよ、と思ったほどだった。ただ、音楽は素晴らしかった。ソリストたちはブランゲーネ役以外それほど素晴らしいと思わなかったが、全部で4時間以上ほぼ二人だけで歌い続けるトリスタン役とイゾルデ役の二人の体力と技術には拍手を送りたい。(写真はこちらから。)
そんな3夜連続の観劇。行く前は、カタリーナ・ワーグナーの代になったバイロイトにはもはや興味がないなどとうちのドイツ人が言い、今回行ってみてつまらなかったらこれで申し込みはやめよう、などと話していた。1日目はこんな長いのをこんな窮屈な格好で見続けるなんて・・・と2幕目ぐらいでブルーになって、3幕目には我慢大会みたいな気分だったのだけど、2日目が意外に面白く、3日目でこれほど感動できるとは。行ってみないと分からない、何事も経験無しに判断はできないものだなあ、とつくづく思った。特に、パルジファルでオペラに未来が開けたような気がして、またいつか新しい感動を期待できるかも、という気持ちが芽生え、これからもまた毎年バイロイト音楽祭のチケットを申し込み続けようと決めためぎ家であった。また当たったときにも桟敷席まで着物で階段を上れる体力を温存しておかなくちゃ。
明日は会場での食事のお話を。
音楽祭の食事 [2012年バイロイト音楽祭]
ここはバイロイト祝祭劇場。
ワーグナーの楽劇は一公演平均4時間前後かかるのだが、祝祭劇場では幕間に1時間の休憩を取る。三幕ものだと休憩が2回、合計2時間あるということだ。休憩時間中にホールの中に残ることは禁じられていて、誰もが外に出なければならない。1時間もの休憩に何をするか。16時に始まって21~22時過ぎに終わるのだから喉も渇くしおなかも空くわけで、そこにはもちろん飲み物やスナックなどが売られている。それがこの建物だ。
平屋のように見えるが、坂に建てられていて実は2階建て。上階は立ち食いエリア。多少椅子のあるテーブルもあるようだったが、基本的にスタンドで飲み物や食べ物を買って、自分で運んでそこで食べるというシステム。それに対し、下の階は、レストラン。ドイツの老舗高級ホテルSteigenbergerのレストランである。
準備中のレストラン。めぎたちはバイロイトに到着した日の午後、公演中の祝祭劇場を訪ね、席の場所と食事の予約をしたのだ。予約自体は一ヶ月くらい前にしてあったのだけど、事前に訪ねて席の場所と食事を決めるようにとのお達し。それでこんな風にレストランをゆっくり撮影することもできた。
メニューはこちら。こんなふうにメニューの左横に×印と個数を記しておく。左側は一回目の休憩時、右側は二回目の休憩時。下の空欄には飲み物を記入。暑いので2回ともミネラルウオーターを、そして2回目の休憩の時にはこの地方のワインであるフランケンワインを。バイロイト音楽祭とSteigenbergerレストランとの2つのビッグネームで目の玉の飛び出るお値段だが、せっかくの機会なので優雅に楽しむことにした。
席は外のテラスを希望した。カサもあるから万一の雨でも大丈夫だし、中より気持ちよさそうだったので。でも、外の席は限られている上、希望者が多いそうで、相席になるとハッキリ言われた。そこで、うちのドイツ人が、もし相席になるなら日本人とがいいな、などと希望を述べた。日本人となら自分はあまり話さずに済むからだって!おいおい・・・
さて、当日。めぎたちは3公演あるうち2日目のタンホイザーの日にレストランを予約していた。その理由は、うちのドイツ人がタンホイザーが嫌いなので、幕間にお楽しみを用意することで多少我慢できるから、ということ。結果的にはタンホイザーもなかなか面白くて食事無しでも十分楽しめたのだが、この食事があったおかげでさらに楽しく感じたことも事実。また、3公演のうち最も短いタンホイザー(それでも3時間以上かかるのだが)は、ワインを飲んだあとでも幕が短いので集中力が保つ。
行ってみたら、相席になっていたのは日本人じゃなくて、ドイツ人の老夫婦だった。バイロイト音楽祭に来たのは初めてで、10年間申し込み続けてようやくチケットの割り当てが当たったとのこと。うちの9年間より長く時間かかった人がいたなんて。彼らはもともとはバイロイト近くの出身のようだけど、今はスイスに住んでいて、さらに一年の半分はシンガポールに住んでいるという。ご主人は定年して、自分の好きな程度にだけたまに仕事をしているとのこと。奥様は中国語を習っているとか。ああ、素敵ですねえ、我々も定年後は好きな程度に仕事をしつつ一年の半分はドイツで、あとの半分は日本で過ごすのが夢なんですよ~と話がどんどん弾んでいった。1回目の休憩の最初に食べたのはめぎは牛肉のカルパッチョ、うちのドイツ人はフォアグラ。ワインはぐっと我慢して、ミネラルウオーター。暑かったので、水がとても美味しい。
そして、なんとびっくりしたことに、ご主人はスキーが好きで、毎年2~3月頃にわざわざ日本へスキー旅行しているのだという。今まで行ったところはニセコに蔵王に・・・と。スイスにいるのにどうして日本へスキーに?と尋ねたら、日本の雪は量も質もスイスよりずっといいのだそうだ。そして、温泉に泊まるのがとても楽しいのだとか。日本語は「ありがとう」以外全くできないが、仕事上で知り合った日本人がいつも招いてくれて、それが毎年の楽しみらしい。へえええ。こんなバイロイトにまで来て北海道のニセコという言葉を聞くなんて。びっくり。これは、偶然?それとも、この老夫婦のご主人が、できれば日本人と座りたいとでも言ったのかしら(まさかね~)。そうだとしても、このレストランを予約したのはうちのドイツ人で、書類上日本人のめぎの名前はどこにもないのだが。ただ、席と食事の予約に行ったとき、めぎも同行してドイツ語を話していたこと、かつうちのドイツ人が「日本人と相席したい」などと言ったことからめぎが日本人であると推測できること等々、このレストランの人がこの日本好きの老夫婦と相席させた理由が考えられなくもない。もしそうだとしたら、ほんと、プロの仕事だなあ・・・などと考えがぐるぐると。少なくとも、この老夫婦もうちのドイツ人と同じようにこの席に座りたいと希望したということで、日本好みのドイツ人たちは嗜好が似ているのかも知れない。
このあとエスプレッソに、うちのドイツ人は黒い森のサクランボケーキを・・・
めぎはアプフェルシュトゥルデル(ドイツのアップルケーキの一種)を。外はパリパリ、中は熱々で美味しかった♪
45分くらいでゆっくり食べ終わり、また後ほど、と老夫婦と別れ、お手洗いに行ったり休憩の終わりを告げるブラスの演奏を見たりして、またホールの中へ。
そして、2幕目が終わって、2回目の休憩に。さっきの老夫婦となかなか面白い演出でしたねえ、などとお話ししながら、めぎはまずオマールエビの前菜を。うちのドイツ人は仔牛の出汁のスープだったかな。隣の老夫婦もフランケンワインを。
後ろの席、人が入れ替わってるところがある・・・そうよね、休憩1回目だけ、または2回目だけに食事を予約することもできるものね。写してないけど、実はめぎたちのテーブルの近くに日本人カップル(もしかしたら韓国人か中国人かも知れない)が座ってて、1回目の休憩の時には相席なしで二人っきり、2回目の時には相席だった。先日のコメントにあったように、たしかに全く相席の人と話しているようではなかった・・・言葉の問題もあるのだろうけど、たしかに残念なことね。食べ終わったその(推定)日本人のお二人は早々に会計を済ませてどこかへ行ってしまった。もしうちのドイツ人の願い通り彼らと相席になっていたら、どんな展開になっていたかしら。ちょっとお話ししてみたかったな・・・今回バイロイト音楽祭で何人か日本人と思われるカップルを見かけたけど、誰とも言葉を交わす機会がなかった。
相席の老夫婦と楽しく話しながら料理を味わっていると、お店の人がちゃんと頃合いに水やワインを注ぎに来てくれて、食べ終わるとすぐに下げて次のを持ってくる。その手際の良さはてきぱきと素晴らしく、何テーブルも担当してそれを全て同時にきっかり一時間で食事を終わらせなければならなくてとっても忙しいはずなのに決してせかせかしてなくて、愛想も素晴らしくよい。メインディッシュは、めぎはSeeteufel(海の悪魔)=アンコウをゴマの衣をつけて焼いたものにカルヴァドスのソース♪ 赤いのはお米。うちのドイツ人はSpanferkel=乳飲み子の子豚。この子豚さんが絶品だったとか。アンコウも美味しかったけど、量的にめぎは途中でギブアップ。もっと長い演目の日だったら完食できたと思うのだけど、さっきの1回目の休憩から一時間ではおなかもこなれず。相席のお二人はチーズを食べていた。
さて、お会計だが、それはドイツとは思えないほれぼれするほど要領の良さで、この食事の中で最も印象に残った。ここではこの時代に全く電子機器を使わず、全て手作業なのだ。テーブルには砂糖入れにボールペンもさしてあって、注文は全てメニューに書き込む。
そして、右側の欄をレストランの人が会計に利用し、合計金額も手作業で記入する。1回目の休憩が終わるまでに2回目の飲み物や追加の注文をしておくよう客に促し、2回目の休憩が始まるまでに計算が全て完了していた。もちろんさらに追加注文が入ることもあるだろうが、たいていはお客の側もそれに従っているという印象。メニューが水でくっついてしまい、剥がして汚くなってしまったが、会計のやり方はこの写真でお分かりいただけると思う。この食事が3公演二人分のチケット代より高かったことにも注目!
さらに、こういうところでは普通みんなクレジットカードを使用するが、これも今時普通の通信システムではなく、昔ながらのガッチャン方式なのだ。係の人によれば、1時間の休憩中に何百人分もの食事と会計を時間厳守で済ませるために、通信システムは使えないのだそう。手際よくガッチャン方式で次々とサインを済まし、あと10分ですよ、のブラスの演奏に即されて、20ユーロくらいのチップをテーブルに残してさくっと去っていく人々・・・たいていの席はここで席に向かわないと間に合わないのだが、これが決してバタバタという感じではなく、きちんと値段を確かめてしっかりサインし、相席の人にお別れの挨拶をする余裕もある。本当に素晴らしい要領の良さだった。
相席の老夫婦はチケットがこの日と次の日の2公演分割り当てられたのだけど、次の日のは娘夫婦に譲ったのだとか。明日もまたここのレストランに来ますか?と聞かれ、いえいえ、今日だけです(こんなの毎日続けたらめぎ家は破産しちゃうわ~)・・・そうですか、残念。娘たちも会えるかなと思ったけど、それじゃ仕方がない、あなた方とご一緒できてとても楽しかった、ありがとう、お元気で・・・こちらこそ・・・というお別れをして、うちのドイツ人が会計を済ませている間にテーブルにあったご主人の名前をふと見ると、教授という肩書きが(ドイツ語では博士や教授の場合名前の前に必ずその称号を書くのだ)。おおお、あの物腰、あの柔らかで控えめな話し方は、教授さんだったのね。ドイツの大学で定年してから、スイスとシンガポールで名誉教授職についているんだな、きっと。うちに帰ってネットで調べてみたら、測量法学の権威の方らしかった。へえええ。文化系じゃないんだ・・・ああ、でもたしかに、演出とかワーグナーについてとかタンホイザー伝説についてとか蘊蓄は何も語らず、ただ公演を楽しんでいるようだったものなあ。それにしても、教授という職にある方でも、その道の権威の方でも、チケット取得に10年もかかり、2公演しか割り当てられなかったりするのね(きっとめぎ家と違ってもっといい席を注文してて、だからこそ倍率も高いのだろうけど)。ドイツって、機会均等という意味でほんと平等な国だなあ。
・・・という音楽祭の食事の顛末。とっても心に残る経験になった。
明日は残りの2公演の休憩時のお話を。
幕間の風景 [2012年バイロイト音楽祭]
音楽祭の2回の休憩各1時間に何をするか。もちろん、まずは記念撮影。
すてきな人♪
日本人と思われる皆様は、お互いに撮影しあっていた。素敵なドレスねえ♪
そう、人々の格好を眺めるのも楽しい。あ、お着物の方がいるわ。
近くにいたご婦人方のおしゃべりによると、この二人のお嬢さん方はどなたか有名な方の韓国人の奥様とのお子様方。セレブなのね。
お母様はこちらに。ビビットですわね~
それから、散歩する方々。
劇場のまわりは広い公園で、緑がとても美しかった。
こちらは裏側。この大きな石のモニュメントは・・・
日本の方の寄贈だった。
ところで、16時から22時過ぎまでの公演だから、喉も渇くしおなかも空く・・・ということで、昨日紹介したようにレストランやスタンドがあるのだが、それはかなりお高い。そこで、これがいかにもドイツらしいと思うのだが、多くの方がお弁当を持参していた。しかも敷物まで用意していたり。(みなさん、足が痛いのね~)
写りがぶれちゃったが、こんなピクニックの籠まで持参している方々も。これを見てうちのドイツ人は、次回は母親からかつてプレゼントされたイギリスのピクニックセットを持ってこよう!と。そうね、それも楽しそう。
お弁当や敷物を入れてきた籠や鞄は公演中全てクロークに預けられるし、駐車場に置いている方もいるようだった。とにかく一時間もあるので、結構いろんなことができる。
めぎ家も午前中に町のお肉屋さんなどでドイツの美味しいハムを選んでドイツの小さな丸パンに挟んでもらったりそのままかじれるソーセージや鶏の脚のローストを買ったりしてお弁当を用意し、うちのドイツ人のリュックに例のクッションやミネラルウオーターなどと一緒に入れて持参、休憩の度にクロークへ取りにいっていた。クロークは広く人も十分にいて混み合うこともほとんど無く、快適だった。そして、こんなベンチに座って、1時間ゆっくりと過ごしたのだった。
こんな風に通っていく人や・・・
待っているタクシーなどを眺めながら。
めぎは着物姿なので、かなりの人がめぎを「キーモーノー!」とじろじろ眺めていったり写真を撮っていったりした。そんな目立つところで、ドイツのソーセージを丸かじりし、大きな丸パンにパクついていためぎ♪
ドイツの夏は日が長く、2回目の休憩の20時台でもこんなに明るかった。天気にも恵まれ、なんて気持ちよかったことだろう。
あ、休憩の終わりを告げるブラスの音色が。それを聞くとみんなどっと建物の方へ。
ここで過ごした2公演計4回4時間の休憩時間。楽しかった。
休憩の終わりを告げるブラスの演奏 [2012年バイロイト音楽祭]
現在、バイロイト音楽祭の体験談を連載中。
公演中の各休憩は一時間。その間は観客はホールに残ることが許されない。外で散歩したり食事したり飲んだりおしゃべりしたりしている人たちに休憩の終わりを告げるのはベルではなくて、開演15分前と10分前と5分前にここからこの人たちが演奏してくれる次の幕の音楽のワンフレーズ。
このブラスの演奏をここで待って見上げて聞いたり、写真を撮ったりする人も多い。
ビデオ撮影している人もいたので、めぎも撮ってみた。これはトリスタンの1幕目のあとの休憩中で、2幕目開演10分前。10分前には2回演奏される。
3幕目開演10分前のはこちら。音楽が違うでしょ。
めぎ家の桟敷席に行くには5分前のを聞いたあとでは階段を駆け上がらなければならないので、3回演奏される5分前のは撮影できなかった。それから、動画を聞くとちょっと聞こえるように、建物の中ではベルが鳴っている。でもそのベルは、観客のためというよりはドア係などの係の方々に知らせる意味合いが強いようだった。というのも、端の席に座っていたとき、ベルを聞いて係の人が一斉にドアを閉めたのだ。
次のはタンホイザーの日の1幕目開演10分前。
そして最後にパルジファルの1幕目開演15分前。15分前だから1回しか演奏されない。
バイロイトに到着した日、レストランの席と食事の事前予約に訪ねたときにちょうどその日の公演の休憩時間に遭遇し、ローエングリンの演奏を聴くことができた。このときはビデオ撮影できるカメラは持ってなかったが、一眼レフで撮影することができた。
5分前の最後の演奏を聴くことができる少数の方々。5分前でも間に合うこの方々の席は、とてもいいところなんだろうな。
そして人のいなくなった劇場の前。
すると、裏側では裏に建っている大道具の倉庫のような建物から大道具が出番に備えて移動していった。
↑ここ、ちなみに休憩時間中はこんな感じだったの。
ここでは毎年一ヶ月半、こんな風に毎日が過ぎていっているのね。
音楽祭のスナップ [2012年バイロイト音楽祭]
現在バイロイト音楽祭の体験談を連載中。
「めぎはいまここ」でも書いたが、休憩時間の終わりを告げるブラスの演奏があるこのバルコニーに、それ以外の時間には観客も上ることができる。
めぎたちももちろん上ってみた。
バイロイトの町自体はちょっと離れている。歩くと20分くらいだろうか。
プログラム売り場と観客たち。
ワインなど飲みながら開演を待つ人たち・・・そうそう、「めぎはいまここ」でも書いたように、木製のベンチに長時間座るのに備えてクッションというか座布団を持って行く人が多い。ほら、そこにもピンクのを持っている紳士が。
以前のコメントで質問などがあったこのクッションについて。まず、クッションはもちろん何かに入れて持ってきたのだろうが、その袋や鞄をみなさんクロークに預けているので、開演直前や休憩中のここではクッションをむき出しにして持っている。それから、キャンプ用などの空気で膨らますタイプや折りたためるクッションを持ってきていた人もいると思うが、それは折りたたんでいるからめぎたちの目に止まらなかったということだろう。クロークではクッションの貸し出しもしているようで、借りたり返したりしている人も見かけた。でも、その数は多くないようだったし、もしかしたら、このクッションを持ち込むということ自体もバイロイト音楽祭の習慣で、誰もがそれを楽しんでいるのかも知れない。それぞれが自分のお気に入りか快適に感じる厚さのクッションを持ち込んでいるということでもある。
この女性たちも自分で持ってきている。
めぎたちももちろん自分で持ち込んだ。クッションはうちにある小さめのものを持って行った。うちのドイツ人は、めぎの着物を着るときに使う腰紐で結んで持ち歩いていた。ここはあの2階のバルコニーの手前の部屋。向かって右にクッションと共に手にしている白いのはプログラム、左に持っているのは日本の扇子。
開演を知らせるブラスの演奏を聞いて、ゆったりとホールへ向かう人々。
民族衣装の形もちらほら。見えにくいけど、この男性は皮の短パン姿。スコットランドの衣装のスカートの男性もいた。
めぎ家の服装は、一日目はこんな感じ。暑いという噂だし、でも着物を着たいし、どうしようかと何人か人に相談して、浴衣を着物風に着てはどうかというアドヴァイスを受け、嘘つき長襦袢を着て、ちょっと小紋風の絞りの浴衣を組み合わせた。帯も半幅で。なにしろ桟敷席だし、そんなに正装である必要も無かろう、と。うちのドイツ人もこの日は普通のスーツ。
二日目はこんな感じ。この日はレストランで食事したので正装に近くと考え、うちのドイツ人は黒のスーツに蝶ネクタイ、めぎは夏の絽の着物を着た。めぎは絽の着物を持ってなかったので、インターネットで日本の古着の着物屋さんから取り寄せた。帯はいいのが見つからなかったので持っている半幅を組み合わせた。中は夏用の長襦袢。持っているのは風呂敷。オペラグラスとカメラを入れるには小さな着物用のバッグでは足りなかったため、風呂敷を使用。
三日目は写真を撮っていないが、絽の着物に別の半幅帯を組み合わせた。うちのドイツ人はまた普通のスーツに別のネクタイを。
着物を三日連続で一日あたり8~9時間(劇場での約6時間+行き帰りと公演後の夜の食事)着続けるというのはめぎも人生初の経験で、正直とても疲れた。ホテルも劇場もレストランもどこにもクーラーがないわけで、とにかく暑い。着付けをしているときから汗びっしょりだ。だから、下着を着ずに済むような二部式で袖と裾以外は木綿でできた長襦袢を使い、帯もささっと結べる半幅に。帯の部分はどうしても暑苦しかったが、お太鼓結びより半幅の方が少し涼しいのではないかと思う。着物に詳しい方ならきっと眉をしかめる行為だろうけれど、めぎは自分のできる範囲で着物(風)の格好で行くことを最優先にした。着物姿で最もよかったのは、足が痛くならないこと。足袋に草履はものすごく楽で(これは毎日夏は下駄で、それ以外は地下足袋で過ごしているから慣れもあるのだろう)、足だけは全く痛くならずに済んだ。ドレスを着てヒールの靴を履いたら、ほんの1時間で足が痛くなっていたことだろう。そして、歩き方がイマイチになって、格好悪いことこの上ない。そう考えると、何を着ても大変であることは変わらないわね。
こうしてめぎの音楽祭体験は終わっていった。
こんな風に、死後約130年経っても世界中から集客することに成功したワーグナー。運や権力やなにやらいっぱい絡んでのことだけど、そもそも作品がなければそれは成立しない。それだけの作品を遺したということよね。そういう人生もあるのだなあ。うーん、ほんと、我々は凡人だわ。
明日からはバイロイトの町の風景やホテルや音楽祭以外の食事のことなどを。
金鹿ホテル [2012年バイロイト音楽祭]
現在バイロイト音楽祭の体験談を連載中。と言っても音楽祭そのものについては昨日までで話は終わり、今日はそれ以外のお話を。
バイロイトのチケットが取れてから真っ先に取りかからなければならないこと・・・それは、ホテルの予約。当然のことながらこの時期はホテルの値段がとんでもなく跳ね上がる。音楽祭事務局が予算を聞いた上でホテルの斡旋もしてくれるが、めぎは自分でいくつかのホテルに問い合わせて直接予約した。ラッキーにも予約できたのが、劇場に歩いていけるこのホテル。
Hirschmann(鹿男)という名前の人がオーナーで、金鹿がシンボル。
ホテルのあちこちに金の鹿のモチーフがあった。
このホテルは駐車場付き。横のスロープをあがると・・・
そこが駐車場。あら、イタリアから来た車が駐まってるわ(ナンバーの一番左にIと書かれているので分かる)。
モナコから来た車も。音楽祭には世界中から来ているのね。ちなみにこのホテルは英語とフランス語とイタリア語も通じる。
そうそう、めぎ家も車でバイロイトへ行ったので、荷物はいくらでも持って行けた。だから着物2枚帯3本草履2足長襦袢3着+普段着も楽々。
携帯で撮ったので写りが悪いけど、これにはスイスのナンバーが写っている。向こうでトランクに荷物を積んでいる人は、やはり音楽祭滞在が終わった人で、衣装らしきものをたくさん積んでいた。でも、普段はこんな短パンなのね。
それから印象に残ったのがこの女性の滞在。この人はドイツの現職の連邦司法大臣、つまり日本でいえば法務大臣なのだが、彼女もこのホテルに泊まっていたのだ。朝食を食べに行ったらテーブルの一つに彼女が普通に一人で座ってて、そのあと自分でチェックアウトして出て行った。外には運転手つきの車が待っていて、その運転手から渡されたドイツの大衆紙ビルトを広げる彼女。自分で荷物の積み込みをしなくてもいい辺りは要人という感じだけど、大臣という政府の要人がこんな普通のホテルにプライベートで泊まるところ、そして誰も記者が外で待っていないところが、ドイツって自由でいいなあという気がした。
さて、めぎ家が泊まったのは緑色のホテル本館ではなく、別棟のこちらの2階。
オーバーブッキングになったのか、4泊もするからか、要人が泊まるから外国人のめぎを遠ざけたのか(=これはうちのドイツ人の意見!)、理由は全く定かじゃないが、通されたのはめぎが予約した普通のダブルルームではなく、アパルトメントだった。綺麗なお花やグラスも用意されている・・・と言っても別にウエルカムドリンクがあるわけじゃないのだが。
こんな広いリビングには窓が3つもあってとても明るい。ただ、暑い時期だったので日差しが入る時間はカーテンをしていたけれど。
ベッドルームには何十着も衣装を掛けられる壁一面のクローゼット。
バスルームとお手洗いも別で、バスルームにはシャワーブースもあり、さらに洗面台が2つあった。なんだかスイートルームって感じだけど、ここはホテルのサービスの無料のWi-Fiが遠すぎてつながらない。めぎはドイツ在住で国内フラットレート契約を自分で持っているからいいけど、外国からの宿泊客には不便かも。
でも、サービスは行き届いていて、買ってきた葡萄を洗って置いておいたらいつの間にかお皿に載ってたし、ワインを買って冷やしておいたらグラスがワイン用のに置き換えられていた。
バイロイトに関する資料も色々置かれていた。例えばこの本・・・
中には興味深い古い写真がいくつか。祝祭劇場の裏は昔は穀物畑だったのね。
↑ここ、今はあの人々がピクニックをしていた綺麗な芝生の散歩道。(写真は既にお見せしたもの)
建物自体は、昔は今のバルコニー部分がなかったのね。
↑ほら、丸い建物の前にバルコニー部分が継ぎ足されているのが分かるでしょ。
話はホテルに戻るが、劇場には歩いて15分くらいだし、朝食も美味しくて(オレンジジュースは生だし、ドイツのパンは美味しいし、茹で卵も熱々のが出て、フルーツも充実してて、ホームメイドのジャムも美味しくて、そして何と言っても(写ってないけど)ちゃんと脂肪分抜きでない本物のヨーグルトとフレッシュチーズがある・・・カロリーは高いが、美味しさは抜群)、非常に快適な滞在だった。
気になるお値段は一泊二人で185ユーロ(朝食・駐車場代込み)。一人あたり90ユーロちょっと(約9千円)。めぎ家にしてみたら一泊あたりのいつもの予算と比べて高めのお値段だが、そして通常時には一泊二人で110ユーロのはずだが、東京でちょっとしたビジネスホテルに泊まることを考えると破格のお値段でしょ。ちなみに日本からバイロイト音楽祭の200~250ユーロ相当の席のチケット一枚込みで宿泊・飛行機や送迎つきの8日間のツアーに参加すると、一人78万円ですって・・・追加で他の公演のチケットを頼むと、手配してくれるけど、さらに追加でチケット代の他に手数料等もかかるとか。すごいなあ、あそこで見かけた日本の方々はそんなにお金持ちなのね。
可愛いワンちゃんたちがいた・・・このホテル、ペット連れOKで、ペットは無料ですって。泊まってみたい方はこちらから。普通のダブル・ツイン・シングルルームなら、極めて普通のドイツのホテルが体験できるはずだ。
バイロイトの話はまだまだ続く。
ホテル付近のこと [2012年バイロイト音楽祭]
現在バイロイト音楽祭の話を連載中。
めぎ家が泊まったホテル(奥の緑色の建物)のすぐ近くに、もう一つホテルが建っていた。その一階はドイツ料理のレストラン。ちょうど鉢植えで生け垣みたいになっているところがそのテラス席。
正面から見た写真。これまたドイツって感じの建物ですわね。Weihenstephan(ヴァイエンシュテファン)というホテル・レストランなのだが、壁にÄlteste Brauerei der Weltと書かれてて、それは世界で一番古いビール醸造所という意味だ。Weihenstephanはバイエルンのフライジンクというところにある修道院の名前で、そこでビールを1040年から作っていたのだとか。ホームページはこちら。
めぎたちが泊まったホテルの一階にもレストランがあるのだけど、そこはイタリアンで、イタリアから戻ったばかりだっためぎ家としては食欲が湧かなかった。せっかくザ・ドイツであるバイロイト音楽祭に来ているのだから、こてこてのドイツ料理が食べたいね、ということで意見が一致し、バイロイト到着日の夜はここで夕食を試してみることにした。美味しかったら、次の日の観劇のあとの席を予約しましょ、ということで。まずはビール。PilsとHell(淡色)とDunkel(黒)があるという。Hellを試してみた。バイエルンのビール特有の味。苦みが少なく、飲みやすい。
ほら、1040年以来、と書かれてる。すごい歴史ね。
ここでレバー団子スープを前菜にしたが、意外に味が薄めでびっくり。以前バイロイトで食事したときあまりにも塩が利きすぎてて閉口したのだが、ここのはもう少し塩が入っていてもいいんじゃない?と思うほど薄め。食べやすかった。小食の方ならこれでおなかいっぱいになりそうな大きさ。実際めぎはお昼にここに来たときにはいつもこのレバー団子スープのみを頼んでいた。(写真は以前携帯からアップしたもの。)
でも、ドイツの食事ですっかり胃袋の大きくなっためぎは、夜にはもちろんメインも。これはKrustenbraten(クルステンブラーテン)という料理で、普通のドイツ語ならSchweinebraten(シュヴァイネブラーテン)、つまり焼き豚。うーん、美味しい♪ 付け合わせはニョッキみたいなジャガイモのお団子と別皿でザウアークラウト。このザウアークラウトはかなり甘めであまり酸っぱさを感じなかった。
うちのドイツ人のはSchäuferla(ショイフェルラ)と書かれていたのだが、南ドイツの方言で豚肉の肩肉のこと。ちょっともらったけど皮がカリカリで美味しかった。骨付きか否かという違いでめぎのとほぼ同じような感じではあるが、うちのドイツ人はこのカリカリパリパリを食べるのが好きで大喜び。美味しいけれど、切るのはかなり力仕事。
こういう料理、特にジャガイモ団子やザウアークラウトを付け合わせにする料理は基本的に冬の料理で、久々に食べたという感じ。しかし、結構暑かったにもかかわらずとても美味しく食べられた。そうそう、ずいぶん明るいが、夜7時過ぎの食事風景。食べ終わって帰りがけに写したこの写真は夜8時半近くの撮影。
ここ、美味しかったので、このあと足繁く通った。ホテルからすぐ近いので、とても便利。4時からの公演に向けていつも3時にホテルを出るようにしてて(着物で歩くと約20分かかり、到着してから写真撮ったりブラスの演奏を見たりするから結構余裕を持って出ていた)、それに間に合うように2時からシャワーを浴びて髪をセットして着付けをするという毎日だったのだが、その直前にさくっとお昼を食べに行ける。これはうちのドイツ人がある日のお昼に食べていたソーセージ。(めぎは上にも書いたようにレバー団子スープを注文。)
その後3夜あったうち、劇場のレストランで食べた日を除き、夕食は公演後2回ともここの席を予約した。そして、2回ともまずビールを飲み、それからフランケンワインを頼んでめぎは牛肉のカルパッチョを、うちのドイツ人はガチョウの胸肉のローストを食べた。
外のテラス席は満席だった。
食べ終わったらすぐにホテルに戻れるので、とても楽だった。このレストラン、味が薄めで日本人には絶対にお勧め。ビールも美味しいし。
さて、ホテルから劇場までは、さっきも書いたように歩いて20分くらいなのだが、こんな綺麗な道が続いている。
途中、線路を渡る橋があったので、向こうが見えるかと思って上ってみた。祝祭劇場はほとんど緑に隠れていたが。
あのワルキューレという建物は何に使われているのかな。
こんな通りを毎日着物で歩いたのは、ほんの2週間くらい前のことなのだけど、もはや別の世界のことのよう。
観光の方も通るところ。
ここで4泊5日間こんな毎日を送ったのだった。
ホテルから祝祭劇場までは、下の地図で矢印のホテルの場所からひたすら上へ上へスクロールしていくと緑の敷地が現れ、その上の方に丸い屋根のある大きな建物=祝祭劇場が見えてくる。結構遠いでしょ。
それにしてもこの町って、ニーベルンゲン通りとか、ワルキューレ通りとか、トリスタン通りとか、パルジファル通りとか、ほんとワーグナーと共に生きているという感じだわね。
ワーグナーの墓 [2012年バイロイト音楽祭]
現在バイロイト音楽祭の旅行記を連載中。
ここはHofgarten(ホーフガルテン=宮殿の庭園)の前。
ここのバス停にバイロイトの地図があったのでちょっと借用・・・今いるところは右下の大きな緑の公園の前、赤い大きな○印に白で矢印が書かれているところ。ワーグナーがかつて住んでいた屋敷がこの庭園の奥(右)にある・・・19番のところ。ちなみに祝祭劇場は地図の一番上16番に描かれているが、この地図を見るとずいぶん近そうだけど、そのすぐ下のところにzum Festspielhaus(祝祭劇場方面)と書かれているところがちょっとミソで、実はもっともっとずっと遠い。めぎたちが泊まっているホテルは、この地図上ではその祝祭劇場から南へ降りてきて2つめの角にある。その辺りからこの宮殿の庭園までの距離感は正しい。歩いて15分くらいだったかしら。祝祭劇場より近い。
昨日と同じ地図をもう一度。ホテルのある位置から上へスクロールして見えてくる緑の部分の一番上が祝祭劇場。逆に下へスクロールして右下に出てくる緑の部分の上部にあるMと書かれた建物マーク(ミュージアムマーク)がワーグナーの屋敷。ね、上の地図の上の部分がずいぶん端折られているのが分かるでしょ。
宮殿前広場はなかなか綺麗。
広場の石畳はずいぶん古そうね。
結構暑くて、水が気持ちよかった。
宮殿を通り抜けて庭園へ出ると・・・
中は市民の憩いの場。
左にリンゴ畑が。
右には宮殿の庭園らしい雰囲気。
ワンちゃんも散歩するこの公園を歩いて・・・
ワーグナーがかつて住んでいた屋敷までやってきた。残念ながら今工事中で入れないのだが。
ワーグナーの墓のところには行けるようになっていた。地面に埋めるのではなくこんな盛り土になってて、なんだか神様のようね。
足下には愛犬の墓も。
ここでめぎの最も印象に残ったこと・・・それは、ここに展示されていたこの写真。
このワーグナーの屋敷も第二次世界大戦中に爆撃されたのだ。なんでこんなものまで爆撃する必要があったのだろう?ナチス・ドイツのしたことはもちろんとんでもないけれど、教会や城やこういう歴史的な文化的な場所まで爆撃するのもとんでもないことじゃないかしら。
屋敷の前の方へも回ってみた。作業服を着ている方は女性。ええ、本当に女性。大きいわね・・・
Wahnfried(ヴァーンフリート)というのがこの屋敷の名前。これが今回めぎたちが見たパルジファルの舞台にも使われていたのは既に書いた通り。
この屋敷の前にはワーグナーの二人目の奥さんでリストの娘であるコジマ。コジマと聞くとちょっと日本の名字みたいだけど、ドイツの女性の名前の一つである。
すぐ近くにリストの博物館も。中には入らなかったけど。リストがそれほど好きじゃないということもあるけれど、めぎは有名な人の使っていたものとかを見るのにはあまり興味がないのだ。
明日はバイロイトの街歩きのお話を。
バイロイトの街歩き [2012年バイロイト音楽祭]
現在、バイロイト音楽祭の旅行記を連載中。
あの祝祭劇場のバルコニーからほんのちょこっと見えたバイロイトの町。
あそこから町まで歩くと30分はかかるだろうか。ここが旧市街の入り口。
辺境泊オペラハウスの建物。この中はシンプルな祝祭劇場と違って相当豪華のようだが、人がいっぱいだったので見学はしなかった。いつかオフシーズンにバイロイトへ行くことがあったら見に行ってみよう。
こちらは城の教会と・・・
お城。
ここも工事中。どうやらバイロイトは2013年のワーグナー生誕200周年に向けて準備中といった感じ。
記念すべき生誕200周年の年に音楽祭のチケットが取れたらいいなあ・・・と思うけど、それはまず無理だろうな。
ちょっと街歩き。ここは、左にバイエルンの民族衣装屋さん、右にはワインセラー。
まだ午前中なのにもうビールを飲んでいる人がいるわ。
あら、向こうに祝祭劇場が。
こちらには祝祭劇場から見えた教会の塔が。
細い小路を散歩中。
偶然にもちょうど通りかかったのだが、このレストランには昔からバイロイト音楽祭に出演中の音楽家たちが集うのだとか。めぎたちは入らなかったけど。
でも、めぎたちが毎晩食べていたところも、出演者やスタッフが集うらしく予約席にそういう表示を見かけた。オーケストラや合唱も入れると出演者数は千人くらいだし、きっとバイロイト中のレストランに音楽家たちが集っているのだろうな。
可愛い町並みにレストランや居酒屋がいっぱい。
ここ、面白い名前の通りねえ・・・と思ったら・・・(「悪質舗装通り」って書かれてる)
本当は・・・
Kämmereigasseという。Kämmereiって国庫という意味があるのだけど、このあたりに町の金庫か町の会計課があったのかしら。それをどうして悪質舗装通りなんて名をつけたのかしらね。
この建物はずいぶん古そうだなあ・・・と思って見上げたら、1686年って書かれてた。壁を塗り替えつつずっと使っているという感じ。
こうしてぐるっと回ってお城の方へ戻る。特に目的のない散歩、楽しかった。
バイロイト、さようなら [2012年バイロイト音楽祭]
バイロイトの旅行記は今日が最終回。
街歩きをしている間に見かけた車。バイロイトではクラシックカーをよく見かけた。
フランケンワインの瓶は可愛いわね。でも、イタリアなら5ユーロも出せばとっても美味しいワインが買えるけど、ドイツのワインで本当に美味しいのは30ユーロくらいからかしらねえ。やっぱり太陽の力の差は大きいな。
暑かったこの頃。噴水のところでは雀さんたちがかわりばんこに行水していた。
ある一角には行列ができていた。
何かな~と望遠レンズをいっぱい伸ばして撮ってみると、バイロイト音楽祭のソロ歌手のサイン会。ローエングリンの訳を歌ったフォークトですって。なるほど。
フォークトとはこの人。オペラ歌手としてはずいぶんかっこいいわよね。だから人気もあるんだろうな。(写真はこちらから)
フォークトの歌を聴きたい方のためにこちらのリンクもどうぞ。ローエングリンが正体を明かす、彼の最も聞かせどころの部分。
バイロイト音楽祭のローエングリン全幕はこちら。演出は今年もこれだったはず。これもまたずいぶん斬新ですわねえ。
話は戻るが、サイン会はこの本屋さんで行われていた。他の歌手のサイン会の予定も貼られていた。
その斜め向かいには、やはり音楽祭関係者が泊まるという高級ホテル。
なかなか可愛い衣装を着たウエイトレスさんも。
ここでちょっと一休み。
向こうのお二人は午前中からシャンパンかスパークリングワインを飲みながら、奥さんは葉書を次から次へと書き続け、ご主人はずっと本を読んでいた。
この空いた席には間もなくフランスの家族連れがやってきた。小さな子どもがフランス語を流暢に話すのが羨ましい・・・母国語だから当たり前だけど。
とてもゆっくりとした時間だった。
これからもバイロイト音楽祭に申し込み続けようと決めためぎ家。次に来ることができるのは何年後になるかしら。
充実した時間をありがとう。またいつかここに来る日まで、さようなら。
帰りのアウトバーンから見えた風景・・・暑かったけど、そろそろ秋ね。
こうしてめぎの夏休みは終わっていった。