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2012年バイロイト音楽祭 ブログトップ
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バイロイトへ [2012年バイロイト音楽祭]

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昨日の記事の続きとしては、あのあとグッビオに移動し、妹と会ったりまた散歩したり山に登ったり海まで出かけたりするわけだが、イタリア・ウンブリア州の旅行記はこれからしばらく中断する。というのは、今年の冬に記事にしたように、これからめぎ家は今年最大のハイライト、バイロイトへ出発するのだ。
(バイロイトに興味のない方は写真をどうぞ。これはイタリアから買ってきたデザートワイン♡)
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思えば、めぎとうちのドイツ人を結びつけたきっかけの一つであるワーグナー。めぎは彼の蔵書のいくつかを見てこの人とは合うということを直感したのだが、その一つがワーグナーの研究書だった。また、うちのドイツ人も、めぎがオペラ好きでしかもワーグナーを理解するということで、いっぺんにめぎに惚れ込んだのだった。
(これも同じくイタリアから買ってきた生ハムやサラミ。ペコリーノチーズも買ってきたのだけど、それは写し忘れちゃった。)
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ちなみにめぎとうちのドイツ人の初デートはヴェルディのマクベス鑑賞で、イタリア・オペラも機会あれば楽しんでいるのであり、ワーグナーのみが素晴らしいと思っているわけでは決してない。でも、あの頭韻をふむドイツ語の素晴らしい詩や、無限旋律の人を陶酔させる音楽性、そして心の深層をえぐるような神話のテーマには、他の何も寄せ付けない魔力があると感じる。バイロイト音楽祭に行くことが「ワーグナー詣で」と呼ばれるように、バイロイト劇場が「祝祭劇場」という名であるように、ワーグナーの楽劇は一種の宗教のようなものである。
(これはうちのドイツ人がジャガイモを茹でて潰して小麦粉とグリースという粉でつないで作ったニョッキ。)
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どういう風に宗教的なのか。その音楽は無限旋律といって区切りや終わりが無くいつまでも続いて人を陶酔させるのだ。お経とか呪文とかマントラとかに似ていると言えばいいだろうか。そこでは個人というものが埋没し、人は自分を忘れ、その音楽の中に包まれ、取り込まれ、その音楽と一体化する。ある意味非常に恐ろしい効果だ。だからこそ、ナチズムと結びつくのだろう。どちらがどう相手を利用したかは私は専門家ではないので筆を控えるが、ナチズムが目指した全体主義は、この音楽のもたらす効果とぴったり重なるのだ。
(そして、イタリアから買ってきたベーコンの脂身のようなものをベースにドイツのトマトとハーブで作ってみたトマトソース。美味しかったけど、まだまだ試作中。)
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ワーグナーの楽劇はこのようにただの音楽ではない。政治的なアプローチ、神話からのアプローチ、深層心理学的アプローチ等々、様々なアプローチの仕方があって、あまりにも果てしなく、あまりにも深すぎる。めぎに理解できていることなど、ほんの氷山の一角だろう。それでも、かつて学生時代にワーグナー概論という講義を受けてから今まで、私なりに生涯の趣味の一つとしてずっとワーグナーに取り組み続けてきた。取り組むと言っても別に研究しているわけじゃなく、歌っているわけでもなく、ワーグナー協会に属しているわけでもなく、趣味としてワーグナーの音楽に触れ続け、感じ続け、考え続けてきたというだけのことだけど。ワーグナー好きで、舞台で演じてもいたプロのオペラ歌手だった義父からも、ずいぶん色々な話を聞いた。そういう家族に出会ったのは、運命だったんだな、と思う。
(オリーブオイルはもっと大きな缶のを買えばよかったわねえ。)
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あのドミンゴが初めてワーグナーを歌ったのは68年のハンブルクで、その頃既にうちのドイツ人と彼の父親はそこで働いていて(父親はハンブルク・オペラ座付きの歌手だったし、うちのドイツ人は子役だった)、彼らはドミンゴと一緒にいくつかのオペラで舞台に立っている。例えばうちのドイツ人はドミンゴがハンブルクでデビューした67年にラ・ボエームで共演していて、彼のすぐ隣で一緒に歌い、舞台裏で一緒にサッカーをしたのだとか。だから、彼の歌がどれほど素晴らしいかをよく聞かされた。一方で、うちのドイツ人と父親とその奥さんは口を揃えて、ドミンゴはイタリア・オペラに最適な声をしていてワーグナーには向かなかった、という。それでも素人のめぎは、彼がバイロイトに出ているうちに見に行くことができていたらよかったのになあ、と思うのが正直なところ。いや、もっともっと昔、バイロイトが華のように輝いていた頃に行けていたらなあ。うちには50年代のバイロイトの録音のCDがあったりして、それを聴くと、芸術って素晴らしいなと感じる。それがその場に行けば歌手も合唱もオーケストラも舞台装置も照明もなにもかもが一体となっていて、総合芸術たるものが実感できるんだろうな。
(今回のイタリアの旅では飛行機で荷物一人23キロまでOKだったので、結構たくさん液体を購入した。右と左のがその一部。)
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そう、総合芸術・・・ワーグナーは、自分で音楽のみならず詩を書き、台本を書き、舞台装置や照明や衣装を考え、自分で自分の作品にあった劇場を建て、自分で指揮をして公演したのだ。何という才能。そして、普通のオペラ座が街中にあって、仕事を終えたあと気分転換にちょっとデートでオペラでも見に行きましょ、というノリで観劇されるようなのを否定し、そこに泊まり込んで、一日体調を整え、夕方から長時間缶詰状態で観劇し、陶酔する、しかも「ニーベルングの指輪」の場合4夜連続で陶酔する(今は休日が挟まってるけど)、つまり公演期間はその楽劇中心の生活を送ることを強いたのである。
(このリキュールワインも美味しかった♡)
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ワーグナーの楽劇は上に書いたように無限旋律で区切れが無く、イタリア・オペラのようにアリアとかレチタティーヴォとか細かく分かれてもなく、従って普通イタリア・オペラがあちこちカットして短縮してハイライトのみを公演しているのに対し、どこもカットできず全作品を演奏しなければならないようになっている。だから、ものすごく長い。一公演4時間以上かかるものもある。それに向けて体調を整えないととても最後まで見切れない。本当に覚悟ある者しかその修行に耐えきれないという感じだろうか。バイロイト音楽祭に関しては、お洒落で豪華で美しくて楽しくて、というのとはほど遠く、苦行に近いものなのではないかと思う。しかし、それは何という贅沢だろう。
(美味しいものはあっという間に飲んでしまう・・・一緒に写したトマトピューレのパックは、coopにいっぱい売られていたので、もしかしてイタリアのは味が濃いかなと思って軽いパックのを買ってみたのだけど、これよりはドイツの真夏の生のトマトを使った方が美味しいと判明。)
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さて、めぎにとって最も難関なのは、やはり言葉である。ネイティブだったらもっとあの詩の素晴らしさを体感できるんだろうと思うと、ちょっと悔しい。少しでもそれに近づきたいと思って、めぎたちが見る予定の3演目は予め読んでおくことにした。意味を知りたいのではなく(意味なら世の中に翻訳がいくらでもあって、めぎも日本語で読んだ方がよっぽど早い)、その詩を味わいたいと思ったから。
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めぎはワーグナーの主な楽劇のテキストは学生時代に買ってあった。下の「パルジファル」の写真は左がうちのドイツ人ので、右がめぎの。うちのドイツ人のは亀の子文字。パルジファルは中世の叙事詩を読んだときから好きだった。だから、とっても楽しみ。
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「トリスタンとイゾルデ」。この絵、すてきねえ。でもこの台本は台詞が長くて長くて正直閉口したが。もう分かったから次行こうよ、と思うところいっぱい。私、トリスタン伝説はあまり好きじゃなくてねえ・・・媚薬で恋に落ちて破滅する話は、あまりタイプじゃない。もっと意志が欲しいの。
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この古い本は、うちのドイツ人が76年に古本で買ったものなのだが・・・
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中に新聞の切り抜きが挟まっていた。
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それを見ると、55年のもの。うちのドイツ人が生まれるよりも前の新聞記事だ。アントン・ヴェーベルンの死後10年目に向けての記事。それがワーグナーの楽劇の本に挟まっているなんて。この本を所有していた人が、この記事を切り抜いてこれに挟んで、それがそのまま古本として売られ、うちのドイツ人が買い、それをめぎが手にするなんて、なんて面白いこと・・・話は逸れるけど、紙の持つ力って、なんて素敵なのかしら。デジタルでは決して起こり得ないこの出来事に、もうきっと亡くなっているであろうこの本の見知らぬ元所有者に思いを馳せためぎ。
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「タンホイザー」はうちのドイツ人が唯一嫌いな作品で、彼は本を持っていない。でも、めぎはこの話が好き。ヴェヌスとエリーザベトとの間で迷う男の姿にはすごく共感できるから。この本はめぎがかつて神保町の古書街で、元の持ち主の書き込みがあるのをただ同然で手に入れたもの。
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Bühne(=舞台)とかも調べてある・・・この人、読むの、大変だったんだろうな。だって、このページにしか書き込みが無くて、そのあとはまっさらなんだもの。この人、今はどこで何をしているのかな。ドイツ語と関わって生きているのかな・・・とこれまた見知らぬ人に思いを馳せた。紙の媒体ってロマンがあっていいわねえ。かつて自分がドイツ語に取り組み始めた頃のことを懐かしく振り返るいい機会にもなった。誰しも、めぎも、こういう時代があって、今がある。
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残念ながら今年は「指輪」の上演のない年だし、うちのドイツ人の好きな「マイスタージンガー」も今年はないし、直前に鉤十字問題のあった「さまよえるオランダ人」とめぎの大好きな「ローエングリン」はチケットが当たらなくて、以上の3公演のみを見に行ってくる。鉤十字問題やら非難囂々の演出やら、そういうどろどろを全て含めバイロイトだと思う。本番を映画上映する試みも始まったそうで、カタリーナ・ワーグナーが継いでから大きく転換中だ。でもめぎは今回、そこにゆっくり泊まって開演時間まで長丁場の楽劇に備えて体調を整え、真っ暗闇の閉じこめられた空間でその完璧に完成された音楽に陶酔するという、ワーグナーが考えた通りの楽劇の楽しみ方を実践してみるつもり。めぎたちのチケットは一枚35~40ユーロ程度の安い天井裏の桟敷席で、エアコンもない劇場でものすごく暑いとの噂。来週は暑くなるという天気予報だし、体調を崩さずに最後まで見続けられるかしら。
冬をうちのバルコニーで越した紫陽花から4つついた蕾のうち、2つめのが咲き始めた。初々しいこの色合いに心が洗われる気持ちがする。
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と言ってもまずはまっすぐバイロイトじゃなくて友人の結婚式に出席したりするのだが、そのようなわけでまた数日間皆様のブログ訪問はお休み。よろしければ「めぎはいまここ」をどうぞ。
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バイロイト音楽祭を経験して [2012年バイロイト音楽祭]

バイロイトをこの目で見て、その場を体験して、いったい何から書いてよいか分からない・・・書きたいことがいっぱいあるけれど、なんだか心の整理がつかなくて。まだ飲み込んだばかりで、全く消化していない感じ。でも、その時期だからこそ書ける勢いというのがあるのかも知れない。記憶を書き留めておきたいというレベルにしかならないけれど。
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まず、劇場の中はこんな感じ。内部は撮影禁止だったので、今日のブログの写真は様々なネット記事からの引用。めぎたちが座ったのは天井近く、右上の四角い空間の端っこだ。この劇場には空調が無く、満席の人々の熱気で2幕3幕と進むうちに桟敷席はものすごく暑くなる。下の方の席も暑かったようで、男性たちはみんな上着を脱いでいたけれど。椅子は木製で、大学の講義室の椅子のようなイメージ。そして、中央に通路が無く、観客は左右の端から入っていくしかない。真ん中の方の人が席に着くまで、端の人は立って待っているという仕組み。つまり、極めて古く、居心地は抜群に悪い。照明が蝋燭やガスから電気に代わった以外はほぼワーグナーが建てた通りのままなのだ。(写真はこちらから)
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よくそう聞いていたが、音は本当に素晴らしい。何と素晴らしいオーケストラの演奏。何と素晴らしい合唱。完璧だ。そして、劇場自体が楽器の一つのようにそのハーモニーを包み込み、響かせている。欲を言えば、席が桟敷席だった所為もあるのかも知れないが、小さな音から大きな音までの幅がどうもちょっと狭い気がする。もっと大きな音を期待したところで今一つだったし、もっと耳をすましたいところで結構大きく聞こえたり。

このオケも合唱も、この音楽祭の時期にだけここに集まっている人たちで、専属というわけではないのがすごい。オペラがオフシーズンの今、普段はどこかのオペラ座の専属か、まだ定職がないかの弾き手・吹き手・歌い手さんたちが夏休み中アルバイトのようにバイロイトで稼いでいるのだ。もちろん普通のアルバイトと違って、これに出られるのは晴れがましいことなのだろうけれど、うちのドイツ人や義父や奥さん(この3人はハンブルクの国立オペラ座に所属していた)によれば、老いも若きも関係なく同僚で独り身の人が夏に一人で休暇に行くよりはとバイロイトに働きに行っていたそうなのだ。家族ができたり恋人ができたりするとそれをやめてしまい、従ってバイロイト音楽祭のオケと合唱は毎年メンバーが入れ替わるというわけだ。なるほどねえ・・・一部のソリストを除けば、そういう人たちがこの質を支えているわけね。それは舞台の大道具や照明や衣装スタッフなども同じだそう。

そして、連日こんなにたくさんの人たちがここをこんな風に埋め尽くしているというわけだ。めぎたちが座ったのは、あの一番上のところ。天井に手が届きそうに感じるほど近かった。あそこには4列あって、2夜は最前列だけど端っこに(一枚40ユーロ)、1夜は割と真ん中だけど3列目に(一枚35ユーロ)。二人でチケット代は3夜合計230ユーロ(=約2万3千円)。ちなみに写真で下に座っている人たちの席は一枚185~280ユーロ。2階席は一枚155~250ユーロで、3階席は95~195ユーロ。3夜連続、または全公演5夜連続二人分となると、めぎ家にはとても払えない。社交界の場でもある世界に名だたる音楽祭でこういう破格の桟敷席を設けているところが、さすがドイツという気がする。暑いし、舞台がちょっと見えない部分があるし(でもほんのちょっとなのでほとんど気にならない)、エレベーターがないので階段をひたすら(休憩の度に降りるから全部で一日3回も)上がらなきゃならないが。もしかしたら音の質も多少違うのかも知れない。(写真はこちらから)
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ここからの話はワーグナーの楽劇のあらすじの話を予め知っていないと何が何だか分からないと思う。でも、あらすじはネットを引けば出てくるし、世の中に翻訳やワーグナー専門書はごまんとあるし、当ブログはめぎの個人的体験を書くところだし、筋を説明していると長すぎるので、ここでは扱わない。あしからずご容赦を。

今回最も感動したのは、最後に見た「パルジファル」だった。これを見て、ここに来た価値があった、と強く感じた。ああ、オペラはまだ死んでいないんだな、とも思った。あまりにも面白くて、あまりにも引き込まれて、ものすごく長いのに時間を忘れたし、そこが祝祭劇場であることも、それがワーグナーの作品であることも、暑いことも帯がきついことも忘れた。最初の序曲の段階から、ト書きには全く無い斬新な解釈の演出・迫真の演技にすっかり引き込まれた。舞台はワーグナーのヴィラであるWahnfriedの建物で、パルジファルはワーグナー自身なのかという演出でもあった。(写真はこちらから)
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Wahnfriedの建物はこちら。ね、同じでしょ。前の泉まで同じ。(写真はこちらから)
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今回からパルジファルに限りバイロイト公演が映画館で同時上映された。それが次の日にドイツのテレビでも放送され、それがYou Tubeにも載っている。すごい世の中になったものだ。ドイツ語字幕つきなのが面白い。ドイツ人でもやっぱりオペラ歌手のドイツ語は聞き取りにくいのね。せっかくなので、ここにリンクを張ることにする。以下、(時間)はそのYou Tube上の時間。一幕目だけで1時間42分ほどあるが、お時間のある方は言葉が分からなくても是非。音楽がお好きな方は是非序曲だけでも。めぎの説明の箇所を見たければその時間の部分のみどうぞ。



まず、序曲での演出で度肝を抜かれた。ワーグナー自筆の台本にも、中世の聖杯伝説の叙事詩にも、パルジファルが母親のトラウマを抱えていたなどとは一言も書かれていない(最初から11分35秒くらいまで、1時間27分30秒から2分間くらい)。しかし、そう解釈すれば、なぜパルジファルが愚者で何も覚えていなかったのか、心理学的に説明がつく。この演出家、すごいなあ。母親とクンドリがあたかも同一人物であるかのようで、何と斬新なんだろう(57分17秒)。そして、聖杯城への道がパルジファルの生まれたシーンだったり(1時間5分から2分半くらい)、聖杯の儀式中に母親が生き返って近親相姦が行われたり(1時間26分くらいから)、聖餐が第一次世界大戦と結びつけられたり(1時間30分くらいから)、息をつく暇がない。イルージョンの連続で複雑に絡み合って折り重なって行くのだが、そうよね、そうかも知れないわよね、としっくり合点のいく演出で、脱帽だった。歌はないが子役の演技が素晴らしかったことも、引き込まれた大きな理由だ。特に、水浴のシーンではこの先どうなるのかしら、と目が離せなかった(26分30秒くらいから)。

二幕目もなかなか面白かった。まず、You Tubeの映像のリンク。



騎士たちが兵士で表現され、まやかしの慰めを受けるというのは現代らしさ。それにしても、オペラに行って、それもバイロイトへ行って、これほど何度もベッドシーンを見るとは。この子役の子どもは、演技とは言えこれほどリアルな大人の世界のシーンを目の当たりにして、いったいどんな風に育つのかな、とちょっと思ったり(9分くらいから2分間くらい)。時にどぎつくホラーのようでもあり、手品かマジックかと思うようなところもあり、何が今で何が幻覚で何が深層心理なのかわからなくなるほど複雑に絡み合っていた。(写真はこちらから)
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花の少女たちがまるでコスプレのよう(16分くらいから8分間くらい)。(写真はこちらから)
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そして話が進んでクリングゾールとのシーンでナチスが出てきたのは、ああやっぱり、と思ったが(1時間2分くらいから)、国を代表する文化遺産の場で、政治家や名だたる企業のお偉方も集う社交界の場で、負の遺産に正面から向かうドイツの姿勢はすごい。そこでふと、一幕目の「僕を脅したのは悪い奴らだったの?いい奴は誰?」というパルジファルの台詞を思い出しためぎだった。

一幕目のインテンシヴさと斬新さを思うと、三幕目はお決まりという感じでちょっとイマイチだったが、舞台の中に舞台があるという構造や(3分20秒くらいから約1分間)、外側の人々を中に引き込むという手法(40分40秒くらいから4分間くらい)、最初の荒廃した城のシーンが第二次世界大戦後のドイツのようだったり(4分40秒)、ドイツ議会が最後の聖杯の儀式の場になったり(52分15秒くらいから)、よく考えているなあという印象。パルジファルと母親との関係がその後どうなったのか、はっきりと示されなかったのが残念なところ。



以上、16時に始まって、2回の休憩を挟んで終演が22時10分。終わったあとは放心状態だった。その後数日も胃もたれ状態だった。ここまで書いた今、ようやく腸までやってきたという感じだろうか。全てが血や肉になるのはもう少し先のことだろう。ちなみにこのパルジファルはNHKのBSプレミアムで26日深夜(日付では27日)に放送されるそうだ。興味のある方は是非。


その前日のタンホイザーも斬新な演出で、めぎはとっても楽しめた。タンホイザー嫌いのうちのドイツ人もずいぶん楽しんだようだった。なにしろヴェヌスが四六時中出てきてエリーザベトの目の前で誘惑してるし、あの有名な「夕星の歌」もヴェヌスとダンスしながら歌うのだから、まあびっくり。欲を言えば、やっぱりパリ版のようにバレエがあったらなあと思うし、うちのドイツ人は女性たちのコスチュームがズボンだったのがすごく残念だったようだけど。(写真はこちらから)
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そして、最初に見たトリスタンとイゾルデは、めぎ的には全然面白くなかった。もともとあまり動きが無くて登場人物もほんの数人に限られているのに長くて暗くて、演出も伏線で何か新しい解釈を重ねていくわけではなくただ奇抜な格好や場所にしているだけで、退屈だったのだ。めぎには内容から考えてどうしてイゾルデがこんな黄色の服装なのかどうしても理解できないし、このあと電気がちかちかするのだけど、それが何を表現しようとしているのかもよく分からなかった。3幕では病院のベッドが出てくるのだが、そのベッドが何のために必要なのかも全く理解できなかった。斬新にベッドを置けばいいというものじゃない。こんなにつまらないなら、元々の台本通りの舞台設定にしてよ、と思ったほどだった。ただ、音楽は素晴らしかった。ソリストたちはブランゲーネ役以外それほど素晴らしいと思わなかったが、全部で4時間以上ほぼ二人だけで歌い続けるトリスタン役とイゾルデ役の二人の体力と技術には拍手を送りたい。(写真はこちらから。)
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そんな3夜連続の観劇。行く前は、カタリーナ・ワーグナーの代になったバイロイトにはもはや興味がないなどとうちのドイツ人が言い、今回行ってみてつまらなかったらこれで申し込みはやめよう、などと話していた。1日目はこんな長いのをこんな窮屈な格好で見続けるなんて・・・と2幕目ぐらいでブルーになって、3幕目には我慢大会みたいな気分だったのだけど、2日目が意外に面白く、3日目でこれほど感動できるとは。行ってみないと分からない、何事も経験無しに判断はできないものだなあ、とつくづく思った。特に、パルジファルでオペラに未来が開けたような気がして、またいつか新しい感動を期待できるかも、という気持ちが芽生え、これからもまた毎年バイロイト音楽祭のチケットを申し込み続けようと決めためぎ家であった。また当たったときにも桟敷席まで着物で階段を上れる体力を温存しておかなくちゃ。

明日は会場での食事のお話を。
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音楽祭の食事 [2012年バイロイト音楽祭]

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ここはバイロイト祝祭劇場。
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ワーグナーの楽劇は一公演平均4時間前後かかるのだが、祝祭劇場では幕間に1時間の休憩を取る。三幕ものだと休憩が2回、合計2時間あるということだ。休憩時間中にホールの中に残ることは禁じられていて、誰もが外に出なければならない。1時間もの休憩に何をするか。16時に始まって21~22時過ぎに終わるのだから喉も渇くしおなかも空くわけで、そこにはもちろん飲み物やスナックなどが売られている。それがこの建物だ。
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平屋のように見えるが、坂に建てられていて実は2階建て。上階は立ち食いエリア。多少椅子のあるテーブルもあるようだったが、基本的にスタンドで飲み物や食べ物を買って、自分で運んでそこで食べるというシステム。それに対し、下の階は、レストラン。ドイツの老舗高級ホテルSteigenbergerのレストランである。
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準備中のレストラン。めぎたちはバイロイトに到着した日の午後、公演中の祝祭劇場を訪ね、席の場所と食事の予約をしたのだ。予約自体は一ヶ月くらい前にしてあったのだけど、事前に訪ねて席の場所と食事を決めるようにとのお達し。それでこんな風にレストランをゆっくり撮影することもできた。
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メニューはこちら。こんなふうにメニューの左横に×印と個数を記しておく。左側は一回目の休憩時、右側は二回目の休憩時。下の空欄には飲み物を記入。暑いので2回ともミネラルウオーターを、そして2回目の休憩の時にはこの地方のワインであるフランケンワインを。バイロイト音楽祭とSteigenbergerレストランとの2つのビッグネームで目の玉の飛び出るお値段だが、せっかくの機会なので優雅に楽しむことにした。
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席は外のテラスを希望した。カサもあるから万一の雨でも大丈夫だし、中より気持ちよさそうだったので。でも、外の席は限られている上、希望者が多いそうで、相席になるとハッキリ言われた。そこで、うちのドイツ人が、もし相席になるなら日本人とがいいな、などと希望を述べた。日本人となら自分はあまり話さずに済むからだって!おいおい・・・
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さて、当日。めぎたちは3公演あるうち2日目のタンホイザーの日にレストランを予約していた。その理由は、うちのドイツ人がタンホイザーが嫌いなので、幕間にお楽しみを用意することで多少我慢できるから、ということ。結果的にはタンホイザーもなかなか面白くて食事無しでも十分楽しめたのだが、この食事があったおかげでさらに楽しく感じたことも事実。また、3公演のうち最も短いタンホイザー(それでも3時間以上かかるのだが)は、ワインを飲んだあとでも幕が短いので集中力が保つ。
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行ってみたら、相席になっていたのは日本人じゃなくて、ドイツ人の老夫婦だった。バイロイト音楽祭に来たのは初めてで、10年間申し込み続けてようやくチケットの割り当てが当たったとのこと。うちの9年間より長く時間かかった人がいたなんて。彼らはもともとはバイロイト近くの出身のようだけど、今はスイスに住んでいて、さらに一年の半分はシンガポールに住んでいるという。ご主人は定年して、自分の好きな程度にだけたまに仕事をしているとのこと。奥様は中国語を習っているとか。ああ、素敵ですねえ、我々も定年後は好きな程度に仕事をしつつ一年の半分はドイツで、あとの半分は日本で過ごすのが夢なんですよ~と話がどんどん弾んでいった。1回目の休憩の最初に食べたのはめぎは牛肉のカルパッチョ、うちのドイツ人はフォアグラ。ワインはぐっと我慢して、ミネラルウオーター。暑かったので、水がとても美味しい。
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そして、なんとびっくりしたことに、ご主人はスキーが好きで、毎年2~3月頃にわざわざ日本へスキー旅行しているのだという。今まで行ったところはニセコに蔵王に・・・と。スイスにいるのにどうして日本へスキーに?と尋ねたら、日本の雪は量も質もスイスよりずっといいのだそうだ。そして、温泉に泊まるのがとても楽しいのだとか。日本語は「ありがとう」以外全くできないが、仕事上で知り合った日本人がいつも招いてくれて、それが毎年の楽しみらしい。へえええ。こんなバイロイトにまで来て北海道のニセコという言葉を聞くなんて。びっくり。これは、偶然?それとも、この老夫婦のご主人が、できれば日本人と座りたいとでも言ったのかしら(まさかね~)。そうだとしても、このレストランを予約したのはうちのドイツ人で、書類上日本人のめぎの名前はどこにもないのだが。ただ、席と食事の予約に行ったとき、めぎも同行してドイツ語を話していたこと、かつうちのドイツ人が「日本人と相席したい」などと言ったことからめぎが日本人であると推測できること等々、このレストランの人がこの日本好きの老夫婦と相席させた理由が考えられなくもない。もしそうだとしたら、ほんと、プロの仕事だなあ・・・などと考えがぐるぐると。少なくとも、この老夫婦もうちのドイツ人と同じようにこの席に座りたいと希望したということで、日本好みのドイツ人たちは嗜好が似ているのかも知れない。
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このあとエスプレッソに、うちのドイツ人は黒い森のサクランボケーキを・・・
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めぎはアプフェルシュトゥルデル(ドイツのアップルケーキの一種)を。外はパリパリ、中は熱々で美味しかった♪
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45分くらいでゆっくり食べ終わり、また後ほど、と老夫婦と別れ、お手洗いに行ったり休憩の終わりを告げるブラスの演奏を見たりして、またホールの中へ。
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そして、2幕目が終わって、2回目の休憩に。さっきの老夫婦となかなか面白い演出でしたねえ、などとお話ししながら、めぎはまずオマールエビの前菜を。うちのドイツ人は仔牛の出汁のスープだったかな。隣の老夫婦もフランケンワインを。
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後ろの席、人が入れ替わってるところがある・・・そうよね、休憩1回目だけ、または2回目だけに食事を予約することもできるものね。写してないけど、実はめぎたちのテーブルの近くに日本人カップル(もしかしたら韓国人か中国人かも知れない)が座ってて、1回目の休憩の時には相席なしで二人っきり、2回目の時には相席だった。先日のコメントにあったように、たしかに全く相席の人と話しているようではなかった・・・言葉の問題もあるのだろうけど、たしかに残念なことね。食べ終わったその(推定)日本人のお二人は早々に会計を済ませてどこかへ行ってしまった。もしうちのドイツ人の願い通り彼らと相席になっていたら、どんな展開になっていたかしら。ちょっとお話ししてみたかったな・・・今回バイロイト音楽祭で何人か日本人と思われるカップルを見かけたけど、誰とも言葉を交わす機会がなかった。
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相席の老夫婦と楽しく話しながら料理を味わっていると、お店の人がちゃんと頃合いに水やワインを注ぎに来てくれて、食べ終わるとすぐに下げて次のを持ってくる。その手際の良さはてきぱきと素晴らしく、何テーブルも担当してそれを全て同時にきっかり一時間で食事を終わらせなければならなくてとっても忙しいはずなのに決してせかせかしてなくて、愛想も素晴らしくよい。メインディッシュは、めぎはSeeteufel(海の悪魔)=アンコウをゴマの衣をつけて焼いたものにカルヴァドスのソース♪ 赤いのはお米。うちのドイツ人はSpanferkel=乳飲み子の子豚。この子豚さんが絶品だったとか。アンコウも美味しかったけど、量的にめぎは途中でギブアップ。もっと長い演目の日だったら完食できたと思うのだけど、さっきの1回目の休憩から一時間ではおなかもこなれず。相席のお二人はチーズを食べていた。
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さて、お会計だが、それはドイツとは思えないほれぼれするほど要領の良さで、この食事の中で最も印象に残った。ここではこの時代に全く電子機器を使わず、全て手作業なのだ。テーブルには砂糖入れにボールペンもさしてあって、注文は全てメニューに書き込む。
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そして、右側の欄をレストランの人が会計に利用し、合計金額も手作業で記入する。1回目の休憩が終わるまでに2回目の飲み物や追加の注文をしておくよう客に促し、2回目の休憩が始まるまでに計算が全て完了していた。もちろんさらに追加注文が入ることもあるだろうが、たいていはお客の側もそれに従っているという印象。メニューが水でくっついてしまい、剥がして汚くなってしまったが、会計のやり方はこの写真でお分かりいただけると思う。この食事が3公演二人分のチケット代より高かったことにも注目!
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さらに、こういうところでは普通みんなクレジットカードを使用するが、これも今時普通の通信システムではなく、昔ながらのガッチャン方式なのだ。係の人によれば、1時間の休憩中に何百人分もの食事と会計を時間厳守で済ませるために、通信システムは使えないのだそう。手際よくガッチャン方式で次々とサインを済まし、あと10分ですよ、のブラスの演奏に即されて、20ユーロくらいのチップをテーブルに残してさくっと去っていく人々・・・たいていの席はここで席に向かわないと間に合わないのだが、これが決してバタバタという感じではなく、きちんと値段を確かめてしっかりサインし、相席の人にお別れの挨拶をする余裕もある。本当に素晴らしい要領の良さだった。
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相席の老夫婦はチケットがこの日と次の日の2公演分割り当てられたのだけど、次の日のは娘夫婦に譲ったのだとか。明日もまたここのレストランに来ますか?と聞かれ、いえいえ、今日だけです(こんなの毎日続けたらめぎ家は破産しちゃうわ~)・・・そうですか、残念。娘たちも会えるかなと思ったけど、それじゃ仕方がない、あなた方とご一緒できてとても楽しかった、ありがとう、お元気で・・・こちらこそ・・・というお別れをして、うちのドイツ人が会計を済ませている間にテーブルにあったご主人の名前をふと見ると、教授という肩書きが(ドイツ語では博士や教授の場合名前の前に必ずその称号を書くのだ)。おおお、あの物腰、あの柔らかで控えめな話し方は、教授さんだったのね。ドイツの大学で定年してから、スイスとシンガポールで名誉教授職についているんだな、きっと。うちに帰ってネットで調べてみたら、測量法学の権威の方らしかった。へえええ。文化系じゃないんだ・・・ああ、でもたしかに、演出とかワーグナーについてとかタンホイザー伝説についてとか蘊蓄は何も語らず、ただ公演を楽しんでいるようだったものなあ。それにしても、教授という職にある方でも、その道の権威の方でも、チケット取得に10年もかかり、2公演しか割り当てられなかったりするのね(きっとめぎ家と違ってもっといい席を注文してて、だからこそ倍率も高いのだろうけど)。ドイツって、機会均等という意味でほんと平等な国だなあ。
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・・・という音楽祭の食事の顛末。とっても心に残る経験になった。
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明日は残りの2公演の休憩時のお話を。
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