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アッシジへ [イタリア・ウンブリア州]

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10日間くらいの間に東へ南へいったい何キロ移動したのだろう・・・ちょっと目がぐるぐる状態のめぎ。ドイツ東部の義母の家での話は後回しにして、先に真夏の暑さだったイタリアの話を書こうと思うのだけど、まずはめぎ家バルコニーのこの黄色いお花(トマトの花)から。トマト、なるかな。
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デュッセルドルフから飛行機でローマまで1時間半くらいだったかな・・・シェンゲン内だからパスポート検査もなく、東京から札幌へ飛ぶような感覚。写さなかったがドイツは緑いっぱいの景色で、険しく頂きに雪の残るアルプスを越えると、時々大きな湖もあるが、イタリアはなんだかずいぶん黄色っぽい。
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ちょうどめぎたちの目的地の辺りをの上空を飛んでいく。きっと相当乾いているのね・・・あの黒いぽつぽつは何かしら。
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そしてローマの空港でレンタカーして一路向かったのはウンブリア州。イタリア中部、有名なトスカーナの隣のマイナーな州。空から見たのと同じような景色が広がっているわね。
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ウンブリア州は最近アグリツーリズモとやらが日本で紹介されてちょっと注目されているという話も聞いたが、めぎたちの目的はそれではない。「めぎはいまここ」で書いたように、妹が参加している音楽祭の日程の終わり頃に合流し、数日間妹といっしょに休暇を楽しもうというのが目的。そんなことでもなければ真夏の灼熱のイタリアへ行こうなんて考えもしないし、ウンブリア州に行こうなどとはたぶん一生考えなかっただろう。
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イタリアの暑い地方ならではの景色・・・山の上に町がある。暑さとマラリアを避けただけでなく、敵が攻めにくく、城塞を兼ねていたからだ。
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結構気持ちのいいところね。
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途中渋滞と迂回も含め高速と一般道を走ること3時間半くらい。ようやく初日の目的地アッシジが見えてきた。
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わくわく♪
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きゃ~なんて素晴らしいの!
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一方通行の多い城壁の中もほとんど問題なく宿泊先のホテルResidenza D'Epoca San Crispinoにたどり着いた。14世紀の建物だという。
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こういうフレスコ画が建物の中にもあちこちにあるところ。
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ドアから中に入って階段を下りて振り返った写真。
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そこからまた下の写真の階段を上ってチェックイン。写ってないけど写真の右側にもう一つ階段があって、そこから下へ降りたところにめぎたちの部屋があった。
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部屋の鍵も素敵♡
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部屋はリビングとベッドルーム。
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こんな戸棚があって、開けてみるとキッチンだった。
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バスルームはかなり小さいが、昔のタイルが貼られてて、うちのドイツ人がコーフンして見入っていた。
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リビングからは外へ出られるようになっていて・・・
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出るとこんな風になっていて・・・
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そこにはプライベートガーデンが!
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ザクロの木と実。古の閉ざされた庭へ迷い込んだかのよう。
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これはなんていう花なのかしら。ドイツでは見たことがなかったな。
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庭からはこんな眺めが。
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あの黒いぽつぽつはオリーブの木だったのね。
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夕日の色が美しく、めぎたちは散歩に出かけることにした。
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つづく。
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アッシジの散歩 [イタリア・ウンブリア州]

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今日もまずはめぎ家の最新ショットから。うちのドイツ人が休暇から帰ってきて最初にしたことは、この新しい洗面台の下の部分を、新しく部品を買って綺麗にスッキリと修理し直すことだった。
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さてさて、今日もアッシジのお話を。めぎ家は特に観光したわけじゃなくてただ泊まって散歩しただけなのだけど、夕日の光に誘われて歩いた散歩の風景から。
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可愛い町だが、車が駐まっているのを見ると、ここが観光客に見せるための場所ではなく生活の場所なんだと感じる。車が興醒めだと感じるのも事実だが、めぎはこのような本当に生きている町を歩くのが好き。
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それにしても2千年以上の歴史の重みを感じるここかしこ。いたる所に教会と・・・
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こういう宗教画。
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ちょっと坂道を上がると、急に人が多くなって、こんな広場に出た。
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左側の白い深い帽子をかぶっている人は女性警察官。
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ユーロは、EUは、今後どうなるのだろう・・・と思うけど、イタリアのこの真夏の暑さを感じると、そんなことどうでもいいっていう気がしてくる。イタリア人ってそうなのかも。ドイツは涼しくて快適すぎてあれこれ考えちゃうんだろうな。めぎ自身、ドイツではずいぶんあれこれ考えているけれど、イタリアでは脳みそが溶ける気がしてどうでもよくなったもの。
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それにしても何という歴史の厚み・・・左の写真の神殿はローマ帝国時代のもの、その左隣の塔は1305年のもの。右の写真はその向かいに建つ市庁舎の一角だが、この天井画に関しては分からないけど、建物は1338年のもの。
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あ、あっちの方が光が綺麗。
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一瞬劇場かと思うような声が聞こえてきて振り向いたら、おじさんたちが話していた。イタリア人はまるで劇場の舞台上かのようにドラマチックに話す。
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この小さな通りに並んでいたお菓子屋さん。お菓子やデザートはイタリア語でドルチェと言うが・・・
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この大きさと甘ったるさとねっとり感と重さ。日本で音楽を習っていたとき、dolceって甘美にやさしく、などと習ったというか訳されていたけど、その日本語からこのねっとり感は全く想像できていなかった。めぎは全く誤って弾いていたというわけだ・・・
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さらに歩くと、石垣にこんな四角いところがあって・・・
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その向こうを覗くとこんな丸い空間。
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表と奥の何という違いだろう。表を見て想像するのとは全く異なる空間が奥に広がっている。どんどん入っていきたくなるわね。

それに、分岐の多いこと。
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蛇のようにくねくねとして、どこへどうつながるのか予測ができない。めぎは中世の町のそういうところが好き。
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・・・と、かなりいい加減に歩いてきたが、一応目的地があっためぎたち。町の端から端まで歩いて、ようやくそれが見えてきた。
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つづく。
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聖フランチェスコ聖堂 [イタリア・ウンブリア州]

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今日もまずはめぎ家のバルコニーから。「炎の豆」という名前の豆は本当に炎のような花を咲かせている。花のあと短く切り戻したバラからはまた新しい花芽が出てきた。
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メインの話は今日もアッシジ。アッシジといえば、この方の故郷であり、この方の聖堂のあるところ。
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その聖堂がこちら。おお、神々しいですわねえ。
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聖フランチェスコ聖堂は、彼の死後弟子たちによって建てられたもの。完成は1239年で、今もほぼそのままだという。そうかあ、鎌倉幕府の頃なのね・・・97年の地震でかなり崩壊したそうだが、それがすっかり立派に修復されていた。

これを撮影したのは午後8時頃。鐘ががらんがらんと鳴り響いていた。
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弟子たちもまあ何と素晴らしい場所に建設したこと・・・
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下界にも立派な教会が。
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聖堂前から町を振り返ると、あまりの美しさに言葉もない。
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ここでは夏中毎日この風景が繰り返されているのね。
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ほぼ満月の月が出ていた。
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中が見学できるのは18時くらいまでで(詳細は覚えていない)、次の日の朝にもう一度来ようと決めて、ここをあとにした。
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そして、散歩がてら今日の夕食探し。
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何度も振り返って写真をとりながら。
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そして、こんな景色を見下ろす素敵なところを見つけて・・・
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夕日を見ながら食事。この白い花が可愛くて試行錯誤。もっといい構図にしたかったけど、かなり無理な体勢で撮ってたのでこれが精一杯。
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日が沈んだのは8時半頃。デュッセルドルフより40~50分くらい早かった。ただ時間が早いだけじゃなくて、日が沈んでいく速度も速い。イタリアは南なんだなあと感じる。
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前菜は、めぎがメロンと生ハム。こんなにどっさりワイルドな盛りつけは予想していなかった・・・これで一皿9ユーロだったかな。隠れているメロンが甘いのにすごくさっぱりしていて、プロシュットとよくあう。連日の長距離移動とイタリアの暑さでちょっと疲れていたが、これを食べてスッキリ元気に。うちのドイツ人が食べたのはトリュフのブルスケッタ。トーストしたパンにニンニクをすり込んだものにトリュフのペーストが塗られているもの。4枚もあって、めぎが1枚手伝ったのだけど、最後にはちょっと飽きたと言っていた。右の写真は一つとばしてメイン。めぎは鶏のローストにパプリカの酢漬け。このパプリカが肉厚で甘くて美味しかった。うちのドイツ人はラム肉のローストだったと思う。どちらも美味しかったが、肉に関してはドイツでいつも食べているものもこれにひけは取らないな、という印象。
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食べていたらトカゲさん(?)が遊びに来てくれた。
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そして、話は前後するが、メインの前のパスタ。これがめぎの今回のイタリア旅行中のパスタの中で最も美味しかったもの。この焼きうどんみたいなのはすごくもちもちしてて、オリーブオイルの味がとてもさっぱりしてて、トマトとバジルとマッシュルームのソースも絶品。うちのドイツ人はトマトソースのニョッキ。彼は今回の旅の間中ずっとパスタはニョッキのみを食し、トマトソースとニョッキの研究をしていた。彼にとってもここのニョッキとトマトソースが今回の旅で一番美味しかったとか。
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ここでうちのドイツ人の思い出話・・・子どもの頃、彼は毎夏父親と継母と妹と4人でイタリアのトスカーナ地方の海辺に休暇に出かけていた。毎夏、そこで6週間過ごしたのだという。夏休みに6週間まるまるイタリアの海辺で休暇・・・日本の現実から考えると本当に夢のような別世界ですわね・・・子どもたちは宿題もないし、6週間本当に全く一度も勉強しない。それでもこれだけ教養のある人間に育つのだよなあ・・・それはさておき、いつも同じ農家の家に泊まったそうで、そこのおばあちゃんが作ってくれた手作りのニョッキが忘れられないのだとか。あれほど美味しいニョッキを食べたことはそれ以来一度もなく、いつからかそこには休暇に行かなくなって、その家族とも連絡が途絶えたが、その美味しい味と楽しかった海辺の思い出はうちのドイツ人と彼の妹の子ども時代最高の美しい記憶となっている。

ついでに言えば、うちのドイツ人の難しい議論は無理だけど十分用の足せるイタリア語は、毎夏現地の子どもたちと遊ぶ中で自然と覚えたものだ。彼はイタリア語を習ったことがない。それなのに、あれだけ話せるなんて、羨ましいの一言だ。育った環境の何という違い・・・そこで「セロリ」という歌が浮かんでくるめぎとの何という違い。

そんな全く異なる二人が今一緒に暮らし、こんな景色を見ながらニョッキのトマトソースの作り方についてあれこれ議論しているのって、ホント、人生って面白いわね。
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夜と朝の風景 [イタリア・ウンブリア州]

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今日もめぎ家の最新ショットから。これは、一昨日うちに遊びに来た友人のお土産。
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彼女は日本のマウスの大学の先生で、ブエノスアイレスで学会発表をしたあとローマ経由で帰国する途中、来年予定のドイツでの研究休暇に備えて受け入れ先の大学を訪ねるついでにデュッセルドルフに寄ってくれたのだ。うちのドイツ人が大いに喜んで、イタリアで買ってきた食材も使って張り切って色々料理したのだけど(ええ、もちろんニョッキを手作りし、トマトソースも試みてたわ!)、話が弾みすぎてめぎは写真を全く撮っていない・・・密度の濃いおしゃべり、楽しかった。

さて、今日はアッシジの話の最終回。昨日のレストランで食べ終わったらもう真っ暗。10時半頃の撮影。
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宿泊先は町の反対側で、ゆっくりと散歩しながら戻った。あら、こんなところに突然ドイツ語の表示が。ドイツの尼さんの修道院がここにあるみたい。調べてみたら、1723年にバイエルンから4人の尼さんがここへやってきて修道院を設立したのだとか(サイトはこちら)。今はそこに宿泊もできるそうで、朝食と夕食もついて一人44ユーロですって・・・そうかあ、そこに泊まってみるのもよかったかな・・・カトリックの修道院に泊まるのはうちのドイツ人がきっと難色を示すだろうけど。
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夜は灼熱の太陽がなくてずいぶん過ごしやすいけど、日中暖まった石からじりじりと熱が放たれていて、なんだか石焼きビビンバになった気分。
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ようやくこの広場まで戻ってきた・・・この日ライブがあって、ここだけ突然なかなかの賑わい。真夏のバカンスシーズンのアッシジは、びっくりするほど人がいなかった。こんな真夏にイタリアへ来る人はいないのか、ウンブリア州がまだまだ穴場なのか、外国人観光客も見かけない。ここにいたのも地元の人ばかりのようだった。
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またこの教会の横を通り過ぎ・・・
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こうして町の端から端まで歩いて宿泊先に戻ってきた。ライトアップされたフレスコ画。
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そして次の日の朝。イタリアの美味しいカプチーノとハッキリ言ってあまり美味しくない塩抜きのパンとハムやチーズとコンポートの果物の朝食を済ませ、また聖フランチェスコ聖堂へ。途中で見かけた面白い看板。
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ちょっと香港の竹の足場を思い出すわねえ。
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朝のまだ涼しいうちにと思っていたのだけど、9時過ぎにはもう暑かった・・・日差しがキツイ。
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子どもたちの夏休み中の宗教キャンプのようなものなのだろうか、このような軽装で聖書を暗唱したり教会を見学したりしているグループを何度も見かけた。
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聖堂内は撮影禁止だったので、ここからは引用写真。中は本当に素晴らしい。どれがジョットなのかなんなのかいちいちチェックしてないが、ルネサンス直前というか早期というかの素晴らしい宗教画が一面に。上部聖堂はゴシック様式。一面びっしり宗教画でゴージャスだが広々としている所為か美しく明るい。
(ここから3枚の写真はこちらからの引用)
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下部聖堂はロマネスク様式。素晴らしいが、あまりにも色彩豊かでいっぱいあって、頭の上から大音響でぎゅわ~~と押さえつけられているような気がしてくる。
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そして、聖フランチェスコのお墓。めぎたちがここを見たときは、ちょうどここで正餐の儀式が行われていた。
(写真はWikipediaから)
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見学したのは全部で30分間くらいだっただろうか。中は涼しくて気持ちよかったが、四方八方からの叫びの攻勢(念のため書くがミサの音以外すごく静かだったのだけど、まわり中の隙間のない装飾と宗教画の叫びが大音響にように轟いているように感じたのだ)でかなり疲れ、早々に退散した。圧巻な聖堂だった。

それからチェックアウトしにホテルに戻るとき、あちこちで修道士や修道女を見かけた。聖フランチェスコへの巡礼の地なのだろう。
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イタリアの細いくねくねの道で便利そうなこの細い車は今回の旅行中よく見かけた。右端のおじさんは何か一仕事終えたあとのようで、壁の泉のところで手や顔を洗って水を飲んでいた。その横を尼さんたちが通り過ぎていく。宗教と日常が一体化している町だなあと感じる一コマだった。
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そして最後に、ここのバス停を。バス停はイタリア語でフェルマータ。そう、音楽のあのフェルマータ。フェルマータと言えばただその音符や休符を2倍くらいに伸ばすというイメージだけど、元々の意味はストップする、ということ。そうかあ、あの音楽のフェルマータは、あそこで音楽がストップするということだったのね。伸ばすという意識とストップするという意識とでは、弾き方が全く違っただろうな。
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こういう小さなことで自分は何にも分かってなかったんだなと思い知らされることが、ヨーロッパ暮らしには多々ある。それは、例えばカントやハイデガーなどの哲学をドイツ語の原書で読むと小難しい日本語訳では全然理解できなかったことがスッキリ簡単に分かるのと同じような、憑き物が落ちるような感覚と似ている。長い間モヤモヤと私の中で何かしっくり理解できていなかったものが、その言語や暮らしに直接触れることで、ああそうなのね、と体感できる。それは幸せなことだけど、ときにものすごく辛い。だって、大半は「ああそうなのね」で済むけれど、ときには大袈裟だけど人生の半分以上がそれで覆されるんだもの。

これでアッシジの滞在はお仕舞い。聖フランチェスコ聖堂の見学とホテルと散歩と食事のみの滞在だが、大満足で好印象。別に見たいものはもう無いけれど、またいつか今回宿泊したホテルに2~3泊してゆっくり過ごしてみたいな、と思うところ。またいつか、そんな日が来ればいいな。
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ペルージャとウンブリアの風景 [イタリア・ウンブリア州]

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まだまだ冬の様相のデュッセルドルフで、もう雪も写したくないし、まだ花も咲かないし・・・ということで、思い切って昨年の真夏の思い出に逃避することにした。せっかく撮った写真を埋もれたままにするのも勿体ないし、しばらく旅をしていないのでちょっと気分転換にもなるし。それに、真夏の暑さが恋しいわ・・・

というわけで、今日からまたイタリア旅行記を再開。全部で4泊5日の旅で、1日目はアッシジに泊まり、その話は既にこちらにまとめてある。2日目は旅の目的地のグッビオに移動したのだが、その途中でちらっとペルージャに寄ってみた。今日の話はそのペルージャとグッビオまでの景色のこと。まず、ペルージャ。
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アッシジより階数の多いアパートみたいな建物が多くて、赤っぽい町ね。
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使われている石の色が全然違う・・・煉瓦も結構多いのね。
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こんなバールのあるところから見下ろしているのだが・・・
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町の反対側のようね。
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見下ろした景色を背に反対側へ出ると、そこはペルージャの中心部。写真の道路が見えなくなっているところからまるで崖のようなものすごい坂道になっていて、そこに車が縦列駐車。めぎたちもここに駐めた。
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このとき、真夏のイタリアはものすごく熱かった。真冬のような今のデュッセルドルフからはもう想像もできないが、何度あっづぅぅぅいと言ったことだろう。歩くのも面倒なほどだった。

だから、町をほとんどどこも見ていない。一番の見所のすぐ近くに車を駐めて、ほんの少しだけ歩いてこんな道に出ると・・・
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そこには外見は全然大聖堂って感じじゃないけど中は立派な大聖堂やら・・・
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中は見なかったけど壮大なプリオーリ宮が。
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グリフィンとライオンがあそこに。
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ところでめぎたちがペルージャに寄ったのは、観光のためじゃなくて、大きい町ならスーパーがあるんじゃないかと思って。ええ、見つけましたわ。こんな町のど真ん中に、小さいけどcoopを。中は色々な生ハムとサラミとたくさんのチーズ♪
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この地方のワインが並んでて、楽しく物色していたら、地元のおばあさんがさくっとcoopの紙パックワインを籠に入れていったのが印象的だった。
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ここでお昼ご飯を購入していざグッビオへ!こんな緑の風景の広がる一般道を走行。飛行機から見下ろしたときはずいぶん茶色で緑が少なく見えたけど、意外と綺麗だわね。ウンブリア州は「イタリアの緑の心臓」と呼ばれているそうで、イタリアの他の地域と比べると緑が多いのだろうな。
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途中、ちょっと素敵な見晴らしのいいところで休憩。
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ドイツの森とも日本の山とも全く違う、緑が綺麗だけどちょっとすかすかというか、まばらな風景。乾いているっていう感じ。
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このときは灼熱の暑さだったけど、冬は雪が積もって凍り付くんだって・・・今はどうなっているのかな。
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ここは聖フランチェスコがアッシジからグッビオまで旅をした道らしい。(追記:これをアップした直後に次期ローマ法皇が決まり、それもフランチェスコ1世と名乗るとは!もちろん新ローマ法王の名はこのアッシジの聖フランチェスコの名を継いだもの。聖フランチェスコ大聖堂を訪ねた話はこちらこちら。)
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その頃と風景はどんな風に変わっているのかな。全然変わってないのかな。
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ここ、何をしたわけでもなくてうちのドイツ人がタバコ休憩をしている間に数枚写真を撮っただけなんだけど、ウンブリア州独特の風景として非常に印象に残った。
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つづく。
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グッビオという町 [イタリア・ウンブリア州]

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現在昨年夏のイタリア旅行記に逃避中。

ようやく目的地グッビオにやってきた。
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山の下の方にあるのが町で、上には教会と展望台がある。
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町は坂ばかり。
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細い道ばかり。
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階段もいっぱい。
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この向こうに何があるのかな、と好奇心をかき立てられる。
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昔はここが閉ざされていたのかな。そして内と外と分けられていたのかな。
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ローマ帝国よりも前、エトルリア人の時代からの町。石は2千年以上前から繰り返し使われ、どこも築千年くらいの建物ばかり。これはたぶん12世紀頃の城壁だと思う。
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ダンテ通りにアベ・マリアの像。ああ、イタリアねえ、カトリックねえ。
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残念ながらもうほとんどどれがどこだか忘れてしまった。このお方は誰だったっけ・・・
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これは教会の一つの扉だったと思う。
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こうして見るとドイツの教会とは全然違ってただの石造りの建物のようだが、中はしっかり教会。どれも一つ一つが大きい。石造りだからどっしり。中の様子はまたそのうちに。
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庶民の暮らしも石造りの中に。
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中を見てみたいわねえ。
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煙突の分だけ暮らしがあるということよね。
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これはディズニーランドのような作り物でも張りぼてでも夢の国でもなく、本当に人が暮らしている町なのだ。
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世界にはこんな風に千年も前の建物を直し直し、ガスや電気や電話やネットなどの設備を付け足し付け足し生活している国があるのだ。ドイツにも100~300年くらい使い続けている建物があるけれど、イタリアのそれは桁が違う。
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ああ、これが歴史なんだな。その歴史の上にこの人たちは生きているんだな。なんて素敵な暮らしかしら。これがヨーロッパの文化の源なんだわ。
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目を引いたもの [イタリア・ウンブリア州]

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現在、昨年夏のイタリア旅行記を連載中。

今日のテーマはグッビオで見かけたなかなかお洒落な車ちゃんたち。ナンバーがローマっていうのがまたなんともいいわねえ。
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あら、ここにも色違いが。PGはペルージャ県。地元の人の車ね。
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イタリアはこういう小さい車がよく似合う。それに、小さい車の方がずっと便利だ。だって、とっても細い道ばかりなのだもの。
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あ、またまたあの車。ナンバーが違うので別の車だが、やはりPG。
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ここは大通り。そう、これでも大通り。
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車など全くなかった時代に作られた町だから、駐車場など無い。こういう風に駐まっている。
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これ、面白い車ねえ。TOはトリノ。
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前はなかなかカッコイイ。もしかして、トッポリーノ?
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グッビオという町は山の斜面に作られている。それは、戦への備えのためでもあるし、真夏の暑さを回避するためでもあるし、蚊を少しでも回避するためでもある。麓の平らなところには、大きなショッピングセンターがあった・・・あ、ここにもあの車!
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さて、車は以上だが、その他にちょっと気を引いたものといえば、まずはこてこてのお土産やさんや・・・
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地元の人向けのお店や・・・
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ミュージアムじゃなくて・・・
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このマーク。
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↑これ、たばこ屋さんなのだけど、Saliと書かれてる。Saliとは塩のことで、イタリアでは長いこと煙草と塩が国家の専売で、認可されたところでしか売られていなかったのだ。塩は貴重だったのね。古代ローマ軍は塩で給料を払ったというし(だから塩がサラリーの語源)、塩の税金が高くてなかなか庶民には買えず、だからイタリアのパンは塩味抜きなのだとか。今ではスーパーでも塩が売られているけど、今でもスーパーのが海水の塩であるのに対し専売のは岩塩とちょっと高級で、税金の分高いのだとか。ちなみに塩と煙草以外の文字は切手という意味。たばこ屋さんではこの他バスのチケットも売られている。

あ、もう一つ車の写真を発見♪ これも上の可愛い車ちゃんたちと同じメーカーのものね。
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ANはアンコーナ県だって・・・お隣、アドリア海に面した県ね。
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グッビオで泊まったホテル [イタリア・ウンブリア州]

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現在、昨年夏のイタリア旅行記を連載中。

グッビオでホテルを予約するとき、うちのドイツ人が「どこでもいいけど、できるだけ高台にした方が涼しいよ」と言ったのを参考にした。真夏のイタリアはとっても暑いし、ホテルにクーラーがない場合があるのだ。そうして選んだホテルがこちら。
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いや、正確にはホテルはこの裏にあるのだが、↑ここのカフェから中に入って上に上がって裏に出ることもできるのだ。いや、この建物自体にも部屋があるのかも知れない・・・石造りの建物が継ぎ足されたように上に向かって広がっていて、どこからどこまでが一つの建物なのかよく分からない。ホテルのサイトはこちら。建物の前にはこんな広々とした広場があり・・・
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下界に向かって右側にはこんな建物が建っていた。これは執政官宮殿というらしい。
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その向かいには市庁舎が建っていたが写真なし。↓下の写真の右側に半分だけ写っているのが市庁舎。

さて、ホテルの本当の入り口には、この左側の建物の一番右側の四角い入り口から入って石の階段を上がって行く。
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そう、この四角いところ。
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結構急な石段で、エスカレーターもないし、そんなわけだから、大きなスーツケースを持っていたら結構きつそう・・・カフェから入ってボーイさんにチップ渡して持って上がってもらうのがいいかもね。

とにかくその階段を上り、右側にもう少し道なりに上がっていくと、ホテルの入り口。インターホンを押して開けてもらう仕組み。
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中に入ると小さなお庭があって・・・
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その向こうにフロントがあった。
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その建物のすぐそばから見上げた景色。
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上にも庭があるみたい。
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ちなみに日傘の右側、一段上のバルコニーがあるところの下の小さい窓がある部分がめぎたちの部屋だった。
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ジュニアスイートの部屋には大小全部で4つの窓があったが、基本的にほとんど締め切ってカーテンをしたままで過ごした。
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それは、窓を開けると熱気が部屋に入ってきてしまうから。雨戸を閉め、カーテンをすることで、部屋の中の涼しさを保てるのだ。部屋にはクーラーもあったが、クーラーを効かせすぎずにそこそこ涼しく快適に過ごした。最も暑くなる11時頃から夕方4時頃まではお昼寝をするのが正しい。
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このホテルの朝食は、下に降りてあのカフェで。
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結構立派なバイキングだが・・・
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イタリアの朝食はこんな高級ホテルでもあまり美味しくはない。なにしろパンは塩抜きだし、ジュースは変な香料入りでフレッシュじゃないし、美味しいのはゆで卵と果物くらい。その果物も缶詰系が多かった。コーヒーだけは、お好みに入れてくれて、お代わりも作ってくれて、とっても美味しかった。
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部屋からの眺め [イタリア・ウンブリア州]

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現在、昨年夏のイタリア旅行記を連載中。

昨日の朝食の件、そう、イタリアは美食の国なのに、お昼や晩の食事はどこもとても美味しいのに、朝食だけはどうもイマイチなのだ・・・めぎが今までイタリアを旅したのはたったの3回で、それで言い切ることはできないが、安いホテルでも高級なホテルでも等しく朝食はまずかった。あんなに美味しい生ハムのある国なのに、朝食ではそれがバイキングに並ばないし、ホテルに朝食ルームがなくて近所のカフェで朝食をとる形のホテルが多いのだけど、パンとハムは全く美味しくない。ジュースも美味しくない。ローマの安ホテルに至っては、コーヒーさえまずかった。どうしてなのかしらね。

さて、ホテルの部屋からは、比較的過ごしやすい気温になる早朝と夕方のみ窓を開けて外を眺めることができた。これは朝。町の大半が山の陰になって、まだ日が当たっていない。町はうまく作られているなあ。
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麓に近い辺りはもう朝日が射している。
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高台のこの辺りはまだ陰に。これはめぎたちの部屋からすぐ近くのおうち。言葉を交わせるほどお近く。
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涼しい時間にお仕事中。
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屋根を見ていると面白くて何枚も撮影してしまった。
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そうこうしているうちにここにも日が射すようになっていた。
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ああ、今日も暑くなりそうね。
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それからめぎたちは散歩に出かけたのだが、お昼には暑くて部屋に引き上げ、買ってきたお総菜を部屋の中でつまみ、ワインも飲んで昼寝をし、夕方になってからもう一度出かけるという日々を過ごした。窓をちょっとだけ開けて光を入れて昼食中。
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ワイングラスじゃなくて雰囲気はないけど、このデザートワインはとても美味しかった。
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イタリアの果物も、太陽いっぱい浴びていて甘い。
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せっかくイタリアに来て買ってきたお総菜で食事したり昼寝したりなんて、勿体ないと思われるかも・・・これがやっぱりヨーロッパ暮らしの良さというか、またいつでも来られるという気安さというか、これが特別ではなくなった現実というか。食事に関しては、お金も湯水のようにある訳じゃないし、現地の食事はレストランだけじゃ味わえないし、という言い訳もあるが、昼寝に関しては、これはやっぱり旅行というより休暇なのだ、というしかないかな。

そしてまた夕方に。
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もうお仕事してないわ。
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太陽の光と石が素晴らしい色を演出。
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ふと下を見ると・・・
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猫ちゃんが2匹。
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あ、こっち向いてくれた♡
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向こうにはワンちゃんたちが登場。
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いったい何匹いるのかしら・・・大きなおうちなのね。
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ホテルの庭園 [イタリア・ウンブリア州]

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現在、昨年夏のイタリア旅行記を連載中。

めぎたちが泊まったホテルには、屋上のようなところに綺麗な庭園が造られてあった。
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ここには宿泊客なら自由に出入りできる。ここでのんびりお茶してもいいし、のんびりワインを飲んでもいい。お総菜をと飲み物を買ってきてここで晩餐をしてもいい。とっても便利なプライベート空間。
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見下ろすと、朝食のカフェのところのすぐそばに立っている執政官宮殿がずいぶん下に見える。
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ちなみに下の麓から見ると、この執政官宮殿はずいぶん上の方だ。
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つまり、結構な高台だということがお分かりいただけるだろう。麓とそのまた向こうの丘も見渡せる。
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綺麗なお花もあって・・・
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とっても素敵なんだけど、昼間は暑すぎて。
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見上げると後ろ側にもさらに高く建物が。これもさらにホテルなのかしらね。
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めぎたちは宿泊した最終日の夕方をここでゆっくりまったりと過ごした。
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印象がずいぶん違って見える。
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日陰になると外でも快適に過ごせる。乾燥しているからかしら。
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果物も数種類なっていて、ちょっと採って食べてみたかったな。
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刻一刻と変わっていく色に、めぎは撮影で忙しかったけれど、心はゆったりモードだった。
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めぎたちの部屋があったのはこの建物で・・・
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ちょうど上の部屋にこんな可愛いバルコニーが。いいなあ、あそこに泊まってみたかったなあ。
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でもまあ、この庭園からもこんな景色を静かに堪能できたのだから、よしとしよう。
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休暇を過ごすのにとてもいいホテルだった。
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グッビオの音楽祭 [イタリア・ウンブリア州]

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昨日niceが111111を超した・・・残念ながらその数字を見ることはできなかったが。皆様のご訪問とnice押しに心から感謝。

現在、昨年夏のイタリア旅行記を連載中。

イタリアワインは美味しい♡
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いつもは赤ワインを好むめぎ家だけど、真夏のイタリアは暑くて暑くて、冷えた白ワインがとても美味しかった。適当な街角のバールのようなレストランの食事も美味しかった。
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ところで、イタリアのマイナーなウンブリア州、その中でもさらにマイナーなグッビオという町になぜわざわざ行ったかと言えば、ここで音楽祭があって、それにめぎの妹が日本からやってきて参加したから。音楽祭といってもバイロイトやザルツブルクのような有名なものじゃなくて、ヨーロッパで夏中あちこちで開かれるアマチュア音楽祭。めぎのブログを訪ねてくださる方々の中にも、趣味でオーケストラをやっていらして、ヨーロッパの音楽祭に参加していらしたという体験記を書かれた方がここ数年に数名いらっしゃったが、各国から集まった愛好家たちと一緒に練習して一緒にコンサートをする体験って素敵だなあと思って拝読していた。だから、妹もそういう体験をするのだろうと思って、参加すると聞いたときはとっても嬉しかった。

音楽祭の期間中なので、街角のあちこちでコンサートの準備中。
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グッビオには大きなコンサートホールがある訳ではなく、多くは教会や街角でコンサートが行われていた。音楽祭にはバイオリンやフルートやトランペットやトロンボーンといった楽器ごとにコースがいくつもあって、それに参加した人たちが最後にコンサートを行っているのだろう。たいていのコースは3~5日間で、音楽祭参加登録料が100ユーロ程度(当時約1万円)、コース受講料が100~250ユーロ程度(当時約1万円~2万5千円)。その他にもちろん宿泊費や食費がかかる。音楽祭事務局が斡旋している宿はグッビオの旧市街ではなく麓の平野の部分に立っているホテルで、一泊2食付き一人部屋で一人45ユーロ(当時約4500円)程度。もっと安い相部屋もあったようだ。妹の話ではメインの食事だった昼食が毎日フルコースの素晴らしい美味しさだったらしいが、エアコンがなく、さらに立地が麓だから部屋が物凄く暑かったようだ。

こちらも街角のコンサート。老いも若きも愛好家たちがこうして音楽で集って練習してライブをやっているのって、素敵ね。
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この町のどこにこんなに人がいたのかしら・・・
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バレエも!
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バレエのコースなんてあったっけ・・・??地元のバレエ学校の生徒たちなのかな。
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終わったあとの踊り子たち。大きなカメラを持ったおじさんも♪
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なんて絵になるんでしょ・・・もっと撮影技術を磨きたいなあとこのとき思ったわ。
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この音楽祭の中で、妹が参加したコースはちょっと異色だ。日本から20名程度の団体さんでやってきて、彼らだけで集中合宿をしているという感じ。日本人の声楽の先生に師事している生徒さんたちで、日本でプロのオペラ歌手として歌っている方と、それを目指して修行中の方と、アマチュアで真剣に高いレベルを目指して習っている方が参加。コース受講料も他と比べてダントツに高く、1000ユーロ(当時約10万円)。オペラ歌手としてオペラに出たことがあるほんの一部の参加者を除き、日本で声楽を習っている場合、歌の発表会はあれどもオペラの中で振り付きで歌うという経験がない。また、本場のオペラ界で千円程度でいつでもオペラが見られる環境で育ったヨーロッパ人と、オペラと言えば構えてしまう日本文化で育った日本人とでは、歌い方も捉え方もまるで違う。さらに、オペラ界の決まり事・・・こういう台詞やこういう状況ではこういう振りをするといったこと・・・を、ヨーロッパ人なら小さい頃から自然と身についているのに、日本人は教えられないと知らないままだ。そういう日本人を対象に、イタリア人の指揮や振り付けをしている人が先生となって本場のオペラの伝統的な基礎を教える、という感じの趣旨のようだった。(これまた今時はどんどん前衛になってそんな伝統的な振り付けで公演するオペラは少なくなってきているのが現実だが、まずは基礎から、ということなのだろう。)

彼らのコンサートが行われた場所は、こんな感じの一角にある・・・
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古い修道院の・・・
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元食堂だった。
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コンサートはみんな必死という感じだったなあ・・・街角で見かけたような楽しさよりは、ここで何かを得て帰らなくちゃ、という必死さがめぎには伝わってきた。でも、コンサート自体はイタリアオペラらしい華やかで賑やかで感情的で楽しい演出だった。長らくオペラ座で仕事をしていたうちのドイツ人も、歌っているのは日本人だけどまさにザ・イタリアオペラっていう感じの演出だった、と言ったほど、よく訓練されていた。
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日本から来た参加者は真剣だ。目から鱗の新しい発見、これが本場のオペラのあり方なのだ、たった一週間では満足には学びきれない・・・という葛藤がよく見える。みなさん子どもの頃から真剣に歌に取り組み、それで身を立てたいと頑張ってきた方々で、いい大人になってから「本場はこうよ」と見せつけられるのはなかなかに辛いことだろう。いや、テクニック的には日本の方が優れているかも知れないのだが、音楽と共に生きるという感覚の方向がまるで違うのだ。せめて、日本人以外の参加者もいるようなコースだったら、いろんな国の音楽愛好家たちと直接触れあって彼らももっといろんな面に気づけただろうになあ・・・音楽なんだもの、言葉ができなくてもいろんな国の人と交流を図って、あの音楽祭のあのコースのあの先生がいいとかダメとか情報交換し合って、そこで恋が生まれたりデートしたりして、それこそオペラを育てた文化の本質を深く体験できるのに。
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そのようなわけで、アマチュア音楽祭を単純に楽しんで休暇を過ごすつもりだった(妹もそうだろうと勝手に想像していた)めぎ家と、物凄く真剣に参加して自分のレベルに悩みまくっていて終わったあともその世界に浸り込んでいた妹との間には全く相容れない意識の差がありすぎて、しかもその事実にお互い容易には気づけず、終わったあとの妹と一緒に食事したり散歩したりしていてもどうにもかみ合わないままだった。
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しかも、このレストランはグッビオでたぶん一番有名で、特にこの地方の特産のトリュフを使ったパスタが有名なところだったのだが、どの料理もハッキリ言ってイマイチだった。妹に美味しい物を御馳走したかったのに、残念。
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グッビオ観光の目玉 [イタリア・ウンブリア州]

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現在、昨年夏のイタリア旅行記を連載中。あと3回。

これがグッビオを麓から眺めた図だが・・・
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山の上の方に教会らしき建物と、なにやら骨組みみたいな物と、さらに展望台のような頂上が見える。
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コンサートを終えた妹と3人で、あの山の上へ登ってみることにした。上まではこんなリフトがつながっている。
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鳥かごのようなリフト♪
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ぶらぶらん♪
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スピードは結構早い。
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あっという間に上に到着。下界の眺めは素晴らし~い!
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古代ローマ帝国時代の劇場も。
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こんなところを通ってちょっと行くと・・・
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あの教会に出た。
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中は、非常に明るくて美しい。
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聖ウバルドという名だったわね・・・この町の守護聖人だが、12世紀に亡くなってからずっと今もこちらに。
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そして、これが守護聖人を祀るお祭りとしてグッビオで有名な蝋燭祭りとやらで使われる御輿。手前のカーテンの向こうは懺悔の場所。
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御輿の大きさはこの通り。
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教会というか聖堂を見学してから、めぎたちはさらに登ってみることにした。
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真夏が如何にからからに乾いているかが分かる植物たちですねえ。
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そして、この骨組みみたいなところまでやってきた。これはグッビオでたぶん蝋燭祭りと並んで有名な世界最大のクリスマスツリーのイルミネーションを行う仕掛けの部分。
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ツリーはこんな風。写真はこちらから。
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そこからもう少し登ると、こんなところに出た。
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長くなったので、明日へ続く。
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頂上からの眺めと妹の思い出の場所 [イタリア・ウンブリア州]

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現在、昨年夏のイタリア旅行記を連載中。あと2回。

昨日の石造りの入り口を入っていき・・・
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こんな螺旋階段を上ると・・・
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とうとう頂上に!
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あの骨組みもずいぶん下に見える。
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向こうの山々も素敵。
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下を見下ろせば、崖に造られた建物が。
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裏を振り向くと稜線が。
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いかにもウンブリア州という景色。登ってみてよかった。
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それからまた鳥かごで下界へ。
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この鳥かごリフトは定員2名。行きはめぎと妹が一緒に乗ったのだが、高所恐怖症のうちのドイツ人にはかなり過酷な旅だったらしい・・・それで、帰りはめぎとうちのドイツ人が二人乗り。
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妹は一人でも全然平気。いろんなポーズをとっていた。
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高いところから見ると町の作りがよく分かる。ここが旧市街との境界線なのだな。
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真ん中にあの執政官宮殿。めぎたちの泊まっているところが手前にあって、その左側にホテル前の広場が写っている。
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妹たちがコンサートをした修道院。
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下に降りてから、めぎたちは妹の案内で彼女が音楽祭で使用した場所を訪れた。ここはある教会の前。
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中はこんなに綺麗なの。
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ここで妹たちはレッスン受講中のある夜に小さなライブコンサートをしたのだとか。

でも、控え室として使った場所はすっかり片付けられていて、中でつながっている隣の建物ではバイオリンのコースがレッスン中だった。
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ここでコンサートやったのはホンの数日前のことなのになあ・・・と感傷的な妹に、うちのドイツ人がたぶん気分を切り替えさせようとしたのか、こんなバカなことをし、妹もそれに倣ってポーズ♪
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きみたちは・・・はあああ。罰が当たるわよ。いや、それを撮影するめぎもめぎだけど。

ちなみに隣の建物もこの教会の一部で、そこにこんな回転棚があった。うちのドイツ人の予想では、これはその昔貧しい人に食べ物を与えたところか、または、子供を産んだけど育てられない人が捨て子を置いたところではないかと・・・へえええ、そうなの!?
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それから、妹たちがレッスンを受けていた場所とやらも訪ねてみたが、こちらは完全に閉まっていて、既に入れないようになっていた。関係者しか分からない通用口もあったが、それも閉まっていた。それを見て、本当に終わってしまったんだなあ・・・となんとも言えない気分に浸る妹・・・そうね、何事も、時は無情にも過ぎていき、楽しみにしていたイベントは終わっていくのだ。たぶん彼女にとってイタリアまで歌を習いに来るというのは物凄く大きな出来事だったのだろう。そりゃそうよね、旦那の許しを得て、職場の許しも得て、休みを取ってお金をかけてここまではるばる来たのだから。お盆休みを早めにとる形で音楽祭参加に充てたため、お盆には旦那と一緒に帰省することができず、週末だけ旦那の実家に顔を出す予定だと言っていた。それって、日本で結婚している女性としては、結構大きな決断だわよね。
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それからめぎたちは一度それぞれホテルに戻り、めぎたちは部屋でまったり昼食とお昼寝をし、妹は参加者と一緒に昼食を取って何かしていたらしい。それからまた夕方に待ち合わせをして夕食を食べに行った。ここは待ち合わせをした場所の近くにあった教会。
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妹はこのとき非常にのんびりペースで、実はめぎ家は待ち合わせの度に30分から1時間待たされた。それも、めぎたちがもうホテルを出てから、いやそれどころかその待ち合わせの時間を過ぎてから連絡をしてくるのだった・・・そんなわけでこのときも45分ほど待たされ、待っている間にうちのドイツ人はバールでビールを飲み、めぎはこの教会をちらっと見学した。
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もう少し早めに連絡をくれればホテルでもっとゆっくりできたのに、と待たされるのが度重なるうちにうちのドイツ人がだんだん腹を立てた。めぎ自身も、妹といっしょにいられる極めて限られた時間を楽しみにしていたのに、いつも遅れて来られて正直腹が立った。たぶん妹はめぎたちと一緒にいるより自分の音楽祭の余韻に浸っていたかったのだろうな。そこにもっと早く気づいて別行動をすればよかったのだけど。きっと妹自身もそこにハッキリと気づかないまま無意識に遅れるという行動でそれを示していたのだろう。よく小さな子どもが学校へ行きたくなくて(もしくはうちにいたくて)朝の支度を殊更ゆっくりするみたいに。
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アドリア海へ [イタリア・ウンブリア州]

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現在、昨年夏のイタリア旅行記を連載中。本日めでたく最終回。

妹が参加した音楽祭の声楽コース受講者たちの日本からの団体さんは現地解散し、すぐに日本へ帰国した方やイタリア旅行に出た方など様々だったようだが、妹はもう一泊だけイタリアに残り、めぎたちと一日ドライブに出かけた。

これは途中で休憩したところ。
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グッビオからアドリア海までは一般道を走って1時間ちょっとだったかしら・・・あ、車はめぎ家がローマで空港からレンタカーしてきたもの。
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ポルコ・ロッソの世界ね・・・と言っても、飛行機は見あたらなかったけど。
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アドリア海の水と小石。
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波の音が嬉しい。ドイツの遠浅の北海ではこういう石も波もなくて。
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向こうにこんなのが見えた。
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妹はこの日も音楽祭の余韻に浸っていた。
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海辺をしばらく北へ走り、いかにも海水浴場という感じのところのレストランで食事。そうそう、久々のもーきちさん。このときお連れしていたの♪
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前菜にムール貝を食べ・・・
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それからうちのドイツ人はトマト味のニョッキを・・・
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めぎはこの小エビのパスタを・・・(もちもちっとしててちょっとうどんみたいで美味しかった)
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そして妹は魚を。
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食べてからちょっと撮影。ね、いかにもヨーロッパの海水浴場って感じでしょ。
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暑かったなあ・・・
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そしてまたグッビオへ。これは途中で休憩したところ。
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どこで飲んでもコーヒーが美味しいのが嬉しい。
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帰りにはグッビオの麓の大きなスーパーに寄って、お土産を買った。妹は日本の職場やら親戚やらへのお土産にあれこれと選び、2時間くらいスーパーにいたかしら・・・めぎたちもウンブリア州の地元のワインとか地元のソースとか、目についた物をいくつか購入。それにしてもワインの大きさ、すごいなあ。
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そしてその日の夕飯も購入。最終日は部屋で寛ぐことにしたのだった。
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本当は夕方のホテルの庭園でのひとときを妹といっしょに楽しみたいと思って妹の部屋も取ってめぎたちのホテルにお招きしたのだけど、妹は日没の時間を部屋に籠もって一人で音楽祭の余韻に浸っていた。

夕飯は生ハムや・・・
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ワインや・・・
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チーズや果物を堪能。
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次の日は車で一緒にローマの空港に向かった。妹の日本行きとめぎたちのデュッセルドルフ行きがほぼ同じ時刻の出発だったのだ。グッビオからローマまで一気に駆け抜け、お別れ。最後の最後まで妹とは時間感覚的にも精神的にもどうもリズムが合わず空回りで、めぎが長いことグッビオについてブログに書けなかったのはそのことをめぎなりに消化するのに時間がかかったからなのだが、あの音楽祭が妹にとってそれだけ非常に大きなイベントだったのだろうと今は思う。彼女にとって声楽は未だ趣味と割り切れず夢を追いかけ続けていて、音楽祭参加はその夢への第一歩のはずだったらしい。震災を経験し、好きなことを好きなようにやって生きようと意識変革したこともあったようだ。めぎとしては、その気持ちが旦那と一緒の人生設計と調和し、夢を追う少女から大人の女性として成長することを切に願う・・・しかし、夢と仕事と家庭との折り合いをつけていくのって、誰にとっても永遠のテーマですわね・・・みなさまはどのようにしていらっしゃる?
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