夜と朝の風景 [イタリア・ウンブリア州]

今日もめぎ家の最新ショットから。これは、一昨日うちに遊びに来た友人のお土産。

彼女は日本のマウスの大学の先生で、ブエノスアイレスで学会発表をしたあとローマ経由で帰国する途中、来年予定のドイツでの研究休暇に備えて受け入れ先の大学を訪ねるついでにデュッセルドルフに寄ってくれたのだ。うちのドイツ人が大いに喜んで、イタリアで買ってきた食材も使って張り切って色々料理したのだけど(ええ、もちろんニョッキを手作りし、トマトソースも試みてたわ!)、話が弾みすぎてめぎは写真を全く撮っていない・・・密度の濃いおしゃべり、楽しかった。
さて、今日はアッシジの話の最終回。昨日のレストランで食べ終わったらもう真っ暗。10時半頃の撮影。

宿泊先は町の反対側で、ゆっくりと散歩しながら戻った。あら、こんなところに突然ドイツ語の表示が。ドイツの尼さんの修道院がここにあるみたい。調べてみたら、1723年にバイエルンから4人の尼さんがここへやってきて修道院を設立したのだとか(サイトはこちら)。今はそこに宿泊もできるそうで、朝食と夕食もついて一人44ユーロですって・・・そうかあ、そこに泊まってみるのもよかったかな・・・カトリックの修道院に泊まるのはうちのドイツ人がきっと難色を示すだろうけど。

夜は灼熱の太陽がなくてずいぶん過ごしやすいけど、日中暖まった石からじりじりと熱が放たれていて、なんだか石焼きビビンバになった気分。

ようやくこの広場まで戻ってきた・・・この日ライブがあって、ここだけ突然なかなかの賑わい。真夏のバカンスシーズンのアッシジは、びっくりするほど人がいなかった。こんな真夏にイタリアへ来る人はいないのか、ウンブリア州がまだまだ穴場なのか、外国人観光客も見かけない。ここにいたのも地元の人ばかりのようだった。

またこの教会の横を通り過ぎ・・・

こうして町の端から端まで歩いて宿泊先に戻ってきた。ライトアップされたフレスコ画。

そして次の日の朝。イタリアの美味しいカプチーノとハッキリ言ってあまり美味しくない塩抜きのパンとハムやチーズとコンポートの果物の朝食を済ませ、また聖フランチェスコ聖堂へ。途中で見かけた面白い看板。

ちょっと香港の竹の足場を思い出すわねえ。


朝のまだ涼しいうちにと思っていたのだけど、9時過ぎにはもう暑かった・・・日差しがキツイ。

子どもたちの夏休み中の宗教キャンプのようなものなのだろうか、このような軽装で聖書を暗唱したり教会を見学したりしているグループを何度も見かけた。

聖堂内は撮影禁止だったので、ここからは引用写真。中は本当に素晴らしい。どれがジョットなのかなんなのかいちいちチェックしてないが、ルネサンス直前というか早期というかの素晴らしい宗教画が一面に。上部聖堂はゴシック様式。一面びっしり宗教画でゴージャスだが広々としている所為か美しく明るい。
(ここから3枚の写真はこちらからの引用)

下部聖堂はロマネスク様式。素晴らしいが、あまりにも色彩豊かでいっぱいあって、頭の上から大音響でぎゅわ~~と押さえつけられているような気がしてくる。


そして、聖フランチェスコのお墓。めぎたちがここを見たときは、ちょうどここで正餐の儀式が行われていた。
(写真はWikipediaから)
見学したのは全部で30分間くらいだっただろうか。中は涼しくて気持ちよかったが、四方八方からの叫びの攻勢(念のため書くがミサの音以外すごく静かだったのだけど、まわり中の隙間のない装飾と宗教画の叫びが大音響にように轟いているように感じたのだ)でかなり疲れ、早々に退散した。圧巻な聖堂だった。
それからチェックアウトしにホテルに戻るとき、あちこちで修道士や修道女を見かけた。聖フランチェスコへの巡礼の地なのだろう。


イタリアの細いくねくねの道で便利そうなこの細い車は今回の旅行中よく見かけた。右端のおじさんは何か一仕事終えたあとのようで、壁の泉のところで手や顔を洗って水を飲んでいた。その横を尼さんたちが通り過ぎていく。宗教と日常が一体化している町だなあと感じる一コマだった。

そして最後に、ここのバス停を。バス停はイタリア語でフェルマータ。そう、音楽のあのフェルマータ。フェルマータと言えばただその音符や休符を2倍くらいに伸ばすというイメージだけど、元々の意味はストップする、ということ。そうかあ、あの音楽のフェルマータは、あそこで音楽がストップするということだったのね。伸ばすという意識とストップするという意識とでは、弾き方が全く違っただろうな。

こういう小さなことで自分は何にも分かってなかったんだなと思い知らされることが、ヨーロッパ暮らしには多々ある。それは、例えばカントやハイデガーなどの哲学をドイツ語の原書で読むと小難しい日本語訳では全然理解できなかったことがスッキリ簡単に分かるのと同じような、憑き物が落ちるような感覚と似ている。長い間モヤモヤと私の中で何かしっくり理解できていなかったものが、その言語や暮らしに直接触れることで、ああそうなのね、と体感できる。それは幸せなことだけど、ときにものすごく辛い。だって、大半は「ああそうなのね」で済むけれど、ときには大袈裟だけど人生の半分以上がそれで覆されるんだもの。
これでアッシジの滞在はお仕舞い。聖フランチェスコ聖堂の見学とホテルと散歩と食事のみの滞在だが、大満足で好印象。別に見たいものはもう無いけれど、またいつか今回宿泊したホテルに2~3泊してゆっくり過ごしてみたいな、と思うところ。またいつか、そんな日が来ればいいな。

ペルージャとウンブリアの風景 [イタリア・ウンブリア州]

まだまだ冬の様相のデュッセルドルフで、もう雪も写したくないし、まだ花も咲かないし・・・ということで、思い切って昨年の真夏の思い出に逃避することにした。せっかく撮った写真を埋もれたままにするのも勿体ないし、しばらく旅をしていないのでちょっと気分転換にもなるし。それに、真夏の暑さが恋しいわ・・・
というわけで、今日からまたイタリア旅行記を再開。全部で4泊5日の旅で、1日目はアッシジに泊まり、その話は既にこちらにまとめてある。2日目は旅の目的地のグッビオに移動したのだが、その途中でちらっとペルージャに寄ってみた。今日の話はそのペルージャとグッビオまでの景色のこと。まず、ペルージャ。

アッシジより階数の多いアパートみたいな建物が多くて、赤っぽい町ね。

使われている石の色が全然違う・・・煉瓦も結構多いのね。


こんなバールのあるところから見下ろしているのだが・・・

町の反対側のようね。

見下ろした景色を背に反対側へ出ると、そこはペルージャの中心部。写真の道路が見えなくなっているところからまるで崖のようなものすごい坂道になっていて、そこに車が縦列駐車。めぎたちもここに駐めた。

このとき、真夏のイタリアはものすごく熱かった。真冬のような今のデュッセルドルフからはもう想像もできないが、何度あっづぅぅぅいと言ったことだろう。歩くのも面倒なほどだった。
だから、町をほとんどどこも見ていない。一番の見所のすぐ近くに車を駐めて、ほんの少しだけ歩いてこんな道に出ると・・・

そこには外見は全然大聖堂って感じじゃないけど中は立派な大聖堂やら・・・

中は見なかったけど壮大なプリオーリ宮が。

グリフィンとライオンがあそこに。

ところでめぎたちがペルージャに寄ったのは、観光のためじゃなくて、大きい町ならスーパーがあるんじゃないかと思って。ええ、見つけましたわ。こんな町のど真ん中に、小さいけどcoopを。中は色々な生ハムとサラミとたくさんのチーズ♪


この地方のワインが並んでて、楽しく物色していたら、地元のおばあさんがさくっとcoopの紙パックワインを籠に入れていったのが印象的だった。


ここでお昼ご飯を購入していざグッビオへ!こんな緑の風景の広がる一般道を走行。飛行機から見下ろしたときはずいぶん茶色で緑が少なく見えたけど、意外と綺麗だわね。ウンブリア州は「イタリアの緑の心臓」と呼ばれているそうで、イタリアの他の地域と比べると緑が多いのだろうな。

途中、ちょっと素敵な見晴らしのいいところで休憩。

ドイツの森とも日本の山とも全く違う、緑が綺麗だけどちょっとすかすかというか、まばらな風景。乾いているっていう感じ。

このときは灼熱の暑さだったけど、冬は雪が積もって凍り付くんだって・・・今はどうなっているのかな。

ここは聖フランチェスコがアッシジからグッビオまで旅をした道らしい。(追記:これをアップした直後に次期ローマ法皇が決まり、それもフランチェスコ1世と名乗るとは!もちろん新ローマ法王の名はこのアッシジの聖フランチェスコの名を継いだもの。聖フランチェスコ大聖堂を訪ねた話はこちらとこちら。)

その頃と風景はどんな風に変わっているのかな。全然変わってないのかな。

ここ、何をしたわけでもなくてうちのドイツ人がタバコ休憩をしている間に数枚写真を撮っただけなんだけど、ウンブリア州独特の風景として非常に印象に残った。

つづく。
グッビオという町 [イタリア・ウンブリア州]

現在昨年夏のイタリア旅行記に逃避中。
ようやく目的地グッビオにやってきた。

山の下の方にあるのが町で、上には教会と展望台がある。

町は坂ばかり。

細い道ばかり。

階段もいっぱい。



この向こうに何があるのかな、と好奇心をかき立てられる。

昔はここが閉ざされていたのかな。そして内と外と分けられていたのかな。

ローマ帝国よりも前、エトルリア人の時代からの町。石は2千年以上前から繰り返し使われ、どこも築千年くらいの建物ばかり。これはたぶん12世紀頃の城壁だと思う。

ダンテ通りにアベ・マリアの像。ああ、イタリアねえ、カトリックねえ。

残念ながらもうほとんどどれがどこだか忘れてしまった。このお方は誰だったっけ・・・

これは教会の一つの扉だったと思う。

こうして見るとドイツの教会とは全然違ってただの石造りの建物のようだが、中はしっかり教会。どれも一つ一つが大きい。石造りだからどっしり。中の様子はまたそのうちに。

庶民の暮らしも石造りの中に。

中を見てみたいわねえ。

煙突の分だけ暮らしがあるということよね。

これはディズニーランドのような作り物でも張りぼてでも夢の国でもなく、本当に人が暮らしている町なのだ。

世界にはこんな風に千年も前の建物を直し直し、ガスや電気や電話やネットなどの設備を付け足し付け足し生活している国があるのだ。ドイツにも100~300年くらい使い続けている建物があるけれど、イタリアのそれは桁が違う。

ああ、これが歴史なんだな。その歴史の上にこの人たちは生きているんだな。なんて素敵な暮らしかしら。これがヨーロッパの文化の源なんだわ。
