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まずはお土産を見ながら旅を振り返る [2022年春 ウィーン~シュプロン]

今日からイースター休暇中の今年の春旅のお話を。

まずはいつものめぎの恒例として、お土産の写真から。
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今回のめぎ家の旅は、この結果から言えばワイン購入の旅と言っても過言ではない。上の写真は種類を全部並べただけで、いくつかは数本買っているから持ち帰ったのは実はこの3倍ぐらい。

特にこの小さなワイン農家で3箱18本+1本を購入し、1本お土産にいただいた。全部でこの5種類。
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で、一番上の写真の左右に写っている6種類8本のワインも含め、全部で28本を購入して来たのだった。車の旅だからこそできること。それ以外にもうちにはフランスやイタリアから取り寄せたワインがまだ20本ぐらいあって、めぎ家はしばらくお酒を買わなくてよい状態に。写真をよく見れば分かるように、コルクのワインは1種類であって、そんなに高いものではない。しかしそんなに安いものでもない。スーパーやデパートに出回る大きな工場生産品でもない。何にお金をかけるなら、日々の普段飲みとしてちょっといいワインを楽しめるように、買った場所のことを思い出して懐かしく語らいながら飲めるように、名の知られていない小さなワイン農家を応援できるように、そんなつもりで。

それ以外のお土産と言えば、これら。
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↑右の2袋はハンガリーのスーパーで適当に選んで買ったスープ。緑色の袋はオーストリアのレバー団子スープ。左端の赤い袋はオーストリアのフリッターテンスープ(クレープのような薄いパンケーキを細かく切ったものを麺のように入れてあるスープ)用の乾燥フリッターテン。下の左はオーストリアのアプリコットジャム、その隣の白い瓶詰はオーストリア・ドイツ語でKrenといい、ドイツのドイツ語だとMeerrettichといい、摺り下ろした西洋ワサビ。最後に、太いソーセージのように見えるものは、グーラッシュザフトと呼ばれるもので、訳すとグーラッシュジュースなのだが、グーラッシュのスープだけが入っていて、ジャガイモ団子にかけて食べるらしい。

で、帰宅した次の日の夜は、簡単にジャガイモ団子グーラッシュジュースかけとなった。なかなかに美味しかった。
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また、こんなインスタントも見つけて買ってきて…
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うちのドイツ人に作ってもらった。
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これはカイザーシュマルンというオーストリアとドイツのバイエルン地方のデザートで、簡単に言えばパンケーキをこんな風にちぎったみたいに焼いて食べるもの。中にはうちのドイツ人がエキストラに入れてくれたレーズンとプルーン。インスタントにしては美味しかった♪
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さて、めぎ家は今回ハンガリーにまで足を延ばしたので、ほんのちょこっとハンガリーのコインも。
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ユーロじゃないところに行ったのは久しぶり。と言っても、国境の街だったからかどこでもユーロで支払えて、おつりがハンガリーのお金、という感じだった。だから両替もしなかったし、銀行でお金をおろしたりもしなかった。
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最後に、今回のメインのお土産。メインの旅行先はウィーン。何をしに行ったかと言えば、オペラとコンサートを見に。というか、本当のことを言えば、あるコンサートを見るためにウィーンに行くことにし(そのコンサートがパリやロンドンだったら行先は違っていたのだ)、その前後に見たい演目を探してオペラを見、それにくっつけてワイン農家を訪ね、ハンガリーにまで足を延ばした、というわけである。
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このコンサートがなければこの旅行はしなかっただろう。チケットを取ったときにはそんなつもりでは全くなかったが、戦争の影響をもろに受け、たぶん、一生に一度味わえるか否か、というような究極のコンサートだった。行って良かった。
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その話は追々に。めぎの心の整理がついてから。
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2022年春旅ダイジェスト① [2022年春 ウィーン~シュプロン]

今日からこの春の旅について書き始めようと思うが、まずは全体をダイジェストで。

旅はまず、驚きの冬景色から始まった。これは4月9日、ドイツのアウトバーンから見た景色。
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400㎞近く走って途中で寄った街も冬景色。
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こんなところでお昼を食べて…(ドイツは3月末ごろからコロナ対策の3Gという規則(3つの証明すなわちワクチン接種済み証明または感染治癒証明または検査陰性証明を提示して食事できる等々)が撤廃されたところで、レストランに誰でも入れるし、マスクも義務ではなくなった。しかし、多くがテーブルに座っているとき以外、例えばトイレに立つときなどマスクをしていた。)
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場所はこちら。



さらに300㎞ぐらい走ってこの日の宿泊地に到着。
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泊まったのはノイブルク・アム・インというオーストリアとの国境の街の古城。数年前にザルツブルクから帰るときにここを見つけ、いつか泊まってみたいと思っていたところ。古城といっても素泊まりで、朝食もないし支払いもチェックインも全てネットで済ませる仕組みで誰にも会っていない。
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場所はこちら。



それから次の日にまた300㎞ぐらい走ってウィーン入りし、3年ぐらい前に来た時と同じグラーベン(ウィーンの中心の大通)を見下ろすペンションに宿泊。宿はチェックインの際に3Gをチェックされ、廊下や朝食会場のバイキングを取るときなどはマスク義務だった。今回の旅の中でこのホテル内の規則とその徹底ぶりが一番厳しかった。初日は雨時々晴れ。ここには3泊。
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場所はこちら。



次の日には晴れていたが、寒かった…
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その後はずっと晴れて、徐々に暖かくなった。
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ウィーンで何をしたかと言えば、昨日も書いたように一日目はオペラを見に行って楽しみ(オペラ座の中は3G規則はなかったがFFP2マスク義務)…
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二日目はコンサートを見に行った(コンサートホールの中もFFP2マスク義務)。これは、戦争の影響を受けてとてもとてもとても切ないコンサートとなった。このことに関してはどう書いていいか分からないほど切ないのだが、昨日も書いたように、追々に。
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三日目はのんびりとカフェハウスに行ったりして過ごした。ウィーンでは、美術館の中はFFP2マスク義務だったが、カフェやレストランは3G証明が要求されたりしなかったりまちまちだった。なんでもオーストリアは3G規則もマスク着用義務も撤廃したのだが、ウィーンだけは独自に規則を継続していたらしい。でもそれも、ちょうどイースターの頃から撤廃することになっているらしかった(「らしい」とお茶を濁しているのは、そう聞いただけであって、実際どういう規則なのかめぎ自身では確認していないため)。
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ウィーンの街を歩いていると結構活気が戻ってきていて、団体旅行も見かけたし、レストランやカフェも時間帯によっては賑わっていたが、いないのはアジア人と、ムスリムの人と、ロシア人。アメリカ人もいなかったように思う(聞こえてきた英語はブリティッシュだったから)。コロナの影響か、めぎたちの行きたかった馴染みの店も一つ閉まっていた。

つづく。
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2022年春旅ダイジェスト② [2022年春 ウィーン~シュプロン]

今日は春旅の後半のダイジェストを。

旅の5日目は、ウィーンを出てブルゲンラントへ。ブルゲンラントとはオーストリアのウィーンより南東の地方の名前で、知られざるワインの名産地。
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80㎞ほど走ってあるワイン農家へ。数年前ブルゲンラントに来てワインがとても美味しかったので、今回はここで予め目星をつけておいたワイン農家を訪ねて3箱(1箱には6本)4種類購入。
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それからすぐにハンガリーに入り、これまた数年前に見たエスターハーズィの夏の離宮を訪ね…
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場所はこちら。



同じく数年前たまたま通りかかった村で11月1日の諸聖人の日のために豪華に飾り付けてられていたお墓を見たのだが、今回は春の花でいっぱいになっているのを再び撮影。
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そして、数年前のそのとき通り抜けて、ここ素敵~と思っていたシュプロンという街に2泊。ブルゲンラントのワイン農家からここまで50㎞ぐらいだった。
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場所はこちら。



つまりめぎたちは今回、数年前とほぼ同じことを繰り返しているのである。ウィーンにはめぎももう25年来何度も来ていて(数えてみたら今回9回目だった…意外と少ないわね…うちのドイツ人は半世紀来何度目かもう分からない)来る度オペラを何度も見ているが、前回ウィーンにオペラを見に来てグラーベンに泊まったのは2019年の春で(その話はこちらから)、ウィーンからブルゲンラントとエスターハーズィとノイジードラーゼー湖の辺りをウロウロしたのは2017年だった(その話はこちらから)。過去のブログを見ると、マスクなんてどこにもないしアジア人観光客もいっぱいで、別の世界の話みたい…とは言え、今回のオーストリアでもウィーン以外はマスク着用義務も3G規則も無かったし、ハンガリーに至ってはもうすべて撤廃されてコロナが存在しないかのようだった。

次の日も近くの湖を見たり…
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場所はこの辺。



その辺にいたコオノトリを写したり…
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ある歴史的な場所を訪ねたりした。ここは初めての場所。
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場所はこちら。



こうして6泊の旅を楽しんで、7日目は1000㎞を一気に帰宅。雨になったオーストリアを後にし…
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晴れのドイツへ。木々が春の色で美しかった。
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10時間かけて、デュッセルドルフに到着。
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行きにストップオーバーしたように、帰りも以前は1000㎞もあったら予め途中泊を計画してホテルを予約したりもしたのだが、帰りって600㎞ぐらい走ると、うちのドイツ人があと(たったの!)400㎞だからどうしてもうちまで帰りたいと言い出し、車の中からホテルをキャンセルするということをこれまで何度も繰り返したのだ。それで、数年前から途中泊を手配するのをやめてしまった。泊まりたくなったらその時点で宿を見つければいいのだ。で、今回も1000㎞走り抜いたというわけである。いつかはそれもできなくなるのではと思うが、できる間はね…つ・か・れ・た~無事に帰りついてホントなにより。
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ウィーンでのコンサートのこと [2022年春 ウィーン~シュプロン]

今日からめぎはまた仕事。2週間ってあっという間。

さて…やっぱりまず最初に今回の春旅で最も大きな出来事だったコンサートについて書いてしまおうと思う。どうもこれを書かなければ他の楽しかったことなど書く気にならなくて。

そのコンサートは19時30分からで、肉屋さんで買ったお惣菜で宿で簡単な夕食を済ませてから18時45分頃会場へ向けて出発。宿の近くのシュテファン大聖堂が夕陽を浴びて美しかった。
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めぎたちはゆっくり歩いて会場に向かった。そのコンサートホールはウィーンのリンク沿いにあるStadtpark(日本語で市立公園?市民公園?)の近くにある。
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Wiener Konzerthaus(ウィーン・コンサートハウス)という名の会場。めぎたちはここに行くのは初めて。
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その会場の前で…
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小規模だがデモが行われていた。
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そう、ウクライナの。
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この日のコンサートは、ギリシャ人だが1994年からロシアに住み、ロシアで指揮法を学び、ロシア籍も持つクルレンツィスの指揮で、彼が2004年にシベリアのノヴォシビルスクという街に設立して2011年からのペルミというウラル山脈西の街を経て2019年からサンクトペテルブルクに移ったムジカエテルナというオーケストラの演奏会。2月の戦争勃発以来、戦争反対の声明を出さなかったロシア人の音楽家たちがことごとく西側から追放されたのに対し、全く声明を出さなかったクルレンツィスと、EUの制裁リストに入っているロシア第2の規模の銀行をスポンサーに持つムジカエテルナの今回の演奏会開催は、ずっと批判を浴び続けたし、賛否両論で本当に開催されるのか最後の最後まで分からない状況だった。
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もともとは4月10日に別の曲(それが何だったかもう思い出せない)のコンサート、11日にベートーベンの第九、12日にムジカエテルナの合唱団のミノリーテン教会でのコンサート、という日程が組まれていた。まずは早々にベートーベンの第九のチケットを取り、10日はオペラの予定で、12日の教会の合唱はネットで見たことがあったので見に行くかどうしようか迷いつつ残券の様子見をしていた。それが、戦争勃発で状況が一転。ロシア発着の飛行機が飛ばなくなり、ロシア上空も飛べなくなり、第一番にめぎの頭に浮かんだのが、ムジカエテルナはヨーロッパに来られるの?そもそもこの先どうなるの?だったのだが(戦争で被害を受けているウクライナのことよりもロシアの楽団のことが気になるということの是非は申し開きようがないが…でも、戦争が起こった地域に全く関係がなければ倫理観や信条だけで客観的にものを言えるが、何らかの関心なり関わりがあったらそれがまず第一に懸念事項になるのだ…)、やはり色々問題だったようで、程なくコンサートの変更が発表された。まず、ムジカエテルナにウクライナの音楽家たちを迎えて合奏するという。へええ。この状況でもロシアの楽団と一緒に演奏しようというウクライナ人がいたのね…これこそ音楽に国境はないってやつだわね。そして、プログラムは別の曲も第九もやめて、2日間とも同じ演目となり、第2次世界大戦末期に絶望の元に作曲されたらしいドイツのリヒャルト・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」(変容)と、チャイコフスキーの死直前の大作「悲愴」を演奏するという。へええ。メタモルフォーゼンはともかく、アメリカや日本ではロシアの作曲家の演奏を軒並み中止しているらしいのに、チャイコフスキーをとは。
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そして、12日の合唱団のコンサートは中止となり…というのは、合唱団がロシアから来られないようなので…ああやっぱり、ロシアからのヨーロッパへの移動はかなり制限されているものね、でもオーケストラは来られるんだ、直行便のない今どうやって来るんだろう、楽器持っての移動は大変だろうな、等々めぎの頭の中はいろんなことが浮かんだ…代わりにピアニストのアレクサンドル・カントロフというフランス人(2019年のチャイコフスキー国際コンクールの優勝者…余談だが、この有名なコンクールもつい先日世界連盟から除名された…ロシア政府が資金提供・宣伝ツールとしているコンクールだからとのことで、でも同時に、ロシア人アーティストを個々に国籍を理由に差別し排除することに反対すると申し添えている)とウクライナ支援のチャリティーコンサートをするということだった。こうしてクルレンツィスとムジカエテルナは、一切声明を出さずに口を閉ざして「音楽に語らせる」として、行動で戦争反対を十分に唱えていたのである。ロシアに居を持つ音楽家として、精一杯のことだったのだろうと思う。また、コンサートをなんとか実現させようと関係者もどれほど努力したことか。
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そのチャリティーコンサートの収益は当初赤十字を通してウクライナや避難民への援助として使われる予定だった。それが、まず赤十字が「政治的と解釈されるような環境に入りたくない」ということで降りた。その後カリタス(カトリック系慈善団体)がパートナーとなり、チケットが売れて5万ユーロ集まっていたらしい。しかし、直前になって、直前も直前、そのコンサート前日の11日(めぎたちの行くコンサートの日)の昼過ぎになって、12日のチャリティーコンサート中止が発表された。まさにドタキャンだ。ええ!?と思って読んでみると、中止になったのは、在ウィーンのウクライナ大使が、ロシア人アーティストが関わっている寄付は断る、とコンサート自粛を申し入れてきたからなのだそうだ…そして、ムジカエテルナが制裁リストに入っている銀行をスポンサーにしている間は、来年度に予定されているウィーン・コンサートハウスでのコンサートのチケット販売も凍結、との発表。
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なんと...言葉がない。どう書いていいか、本当に難しい。ウクライナの言ってきたことはめぎにもとてもよくわかる。あんなひどい攻撃を受けている今、ロシア人からの慈善寄付など断固お断りだ、と思うのが確かに普通だ。そして、被害者にそういわれると、言い返しようがない。それが、いかに切ないことだとしてもだ…攻撃を受けてコンサート活動どころではなく楽器の代わりに銃を持って戦っているウクライナから見たら、ロシアの音楽家に被害を与えることこそ経済制裁の目的なのだろうが、結局苦しむのは国ではなくどちらも民衆なのだ。ロシアに居を構えている以上全く何の言葉も発せないロシア人の音楽家たちが、この戦争の中許可を取って西側を訪れ、音楽の力を信じ、ウクライナ人音楽家たちを迎えて一緒に合奏し、ウクライナ避難民に援助を、という行動を起こしているのがどれほど大変なことか…それを、ロシア人とひとくくりにし、音楽とは全く関係のない政治的一声で潰されるなんて。でも、オーストリア側としては、はいわかりました、やめますと言うしかない…これが戦争であり、どんなに切なくても敵か味方かどっちかに決めなければならないことになってしまうのね、と思い知らされる出来事だった。そのことはドイツ語だがこちらにも書かれている。ただただ悲しい。
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そんなわけで、これから行くコンサートがひょっとするとムジカエテルナとの長らくのお別れになるかもしれない最後のコンサートになったのだった。めぎたちの行く11日のコンサートも巻き添え中止にならずに済んで本当によかった…でも、こうしてウクライナの国旗を纏った人たちの抗議の目の前を通って会場入りをするのも、非常に気が咎めたわ…
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長くなったので、続きは明日。
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コンサートを見て [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在、2022年4月中旬の春旅の話を連載中。旅の前半にしてハイライトのコンサートのお話の続き。

イースターまであと一週間という頃。あのお月様が満月になった後の日曜日がイースター。
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めぎたちは19時半からのコンサートにやってきた。場所はウィーンの比較的新しいコンサートハウス。有名なウィーンフィルの本拠地Musikvereinのすぐ近く。1913年設立とのこと。
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ティンパニーが音の調整をしていた。弦楽器等にチェロ以外座る席はなく、いつものように立って演奏するようだ。
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ゴージャスなウィーンにしては割と質素なつくり。早めに来たので、まだあまり人が入っていない。
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コンサートの演目は昨日も書いたとおり、まずはリヒャルト・シュトラウスの81歳という晩年の作品「メタモルフォーゼン」。日本語にすると「変容」。作品について詳しくはこちらをどうぞ。簡単に言うと、第2次世界大戦の終わりごろ、リヒャルト・シュトラウスが長年自分の作品を初演してきたりした伝統あるドイツのオペラ座やコンサートホールが連合軍の襲撃に遭って瓦礫と化し、喪失の悲痛と破壊された祖国への惜別、反戦の思いを込めて作曲したものらしい。「23の独奏弦楽器のための習作」という副題がついていて、たしかに23人がそれぞれ別々に弾いていてそれが複雑に組み合わさって合奏になっているという感じだった。ムジカエテルナの弦楽器の人たち数名と、ウクライナの音楽家たちとの特別なアンサンブルで、いつもとちょっと違ってクルレンツィスが完璧に全てを統率しているという感じではなく、何か本当に苦しんでいるという感じだった。最後の部分は本当に辛く、印象に残った。その音源はないため、フルトヴェングラーのこちらを参考に張り付けておく。リヒャルト・シュトラウスがまだ生きていた時の演奏である。



休憩をはさみ、次はチャイコフスキーの「悲愴」。これは有名中の有名な曲で、知らないと思っても部分的には誰もが聞いたことのある曲だ。詳しくはこちら。これは特に戦争反対のために作られた作品ではないが、チャイコフスキーが自分の人生を込めて作曲したらしく、鬱病だったとも言われているし、叶わぬ恋(同性愛)の悲嘆が描かれているとも言われるが、とにかく憧れと悲哀に満ちていて物悲しく、狂ったように勝利を叫んだかのように一瞬感じるが最後は悲嘆に暮れて消えるように終わる独特なもの。これもひとまずフルトヴェングラーのを。



ムジカエテルナはこの作品を骨の髄まで理解しているという感じで、クルレンツィスもスコアなしで指揮をしていて、この作品が彼らの血や肉のような、彼らの魂そのもののような、そんな凄まじい演奏だった。チェロなどの座らないと弾けない楽器を除いて全員が最初から最後まで立ったまま演奏し、その集中力と迫力は座って演奏するのの比ではない。もっと上手い演奏はきっとあるのだろうと思うが、とは言えもちろん素晴らしい演奏だったのだが、そういうレベルの話ではなくて、いや、なんというか、約100人のオーケストラが100の音をそれぞれに立たせて弾いているのにもかかわらず100人で一つと言うか、一体感そのものと言うか、その響きは嗚咽と言うか叫びと言うか刹那というか、全身全霊とはこのことと言うか、神憑りにあったような、ちょっと今までこんな経験したことない!という感じのコンサートだった。特に3楽章のこれでもかこれでもかというド迫力な響きには、ひょえ~と思わず口に出したほどだった。
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そして、終わった後、誰も笑っていなかった。
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会場は総立ちのスタンディングオベーションだったのにもかかわらず。こんな凄い演奏を一団となって成し遂げたにもかかわらず。
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彼らはお別れの演奏をしたのだ。まさに惜別の演奏だった。全身全霊を込めて。実存をかけて。音楽の美しさと尊さと夢の破滅と哀しさと虚しさを込めて。
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去年の夏にザルツブルクであんなに楽しそうに、踊るように、まさに音を楽しんで音楽を奏でる姿を見せて演奏していたのに、一年も経たずにこんなことになるなんて。
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クルレンツィスはギリシャ人なのだし、さっさと反戦争を声明して西側に住めばいい、という声もある。それを待っていて、ぜひうちのオーケストラの主任指揮者へ、と受け入れたい人もいっぱいいるだろう。彼がそうしようと思えばそうできなくもない。かつて多くのユダヤ人音楽家がアメリカなどへ逃亡して大成功を収めたように。でも、それは、彼が30年近くもかけて築き上げた人生を捨てることなのだ。シベリアの田舎からずっと連れてきて今やオーケストラと合唱団の200人もの人生を肩に背負っていて、ムジカエテルナは彼の家族であり、彼の一部なのだ。それを置いてどこかへ移ったところで、片足を失い、片腕も失ってしまうようなものなのだろう。この一体感は唯一無二のもので、この日のクルレンツィスは3月末に見たSWR(南西ドイツ放送)オーケストラを指揮した時とは別人だった。ムジカエテルナあってこその彼なのだ、と思い知った。
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そして、アンコールもなく、マイクを取って何か語ることもやっぱりなく、去っていった。
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そして、ムジカエテルナも、それに従った。ロシア人の彼らは、ロシアに帰るしかない。いや、楽団員の全てがロシア人というわけではもちろんなくて、13か国からなっているそうで、このうちの何人がロシア人だったのかは正直よく分からないし、結成当初の2004年からのメンバーはインターネットで見る限りそんなにいない。つまりムジカエテルナというのは常に変容しているオーケストラで、去年の夏に演奏していたクラリネットとオーボエとフルートの奏者も見当たらなかったし、コンサートやCD録音をするのはその時のベストメンバーなのか、曲や開催地に合わせて得意な人や来られる人を選ぶのかなんともわからないのだが、とにかく2004年からいる今回のコンサートマスターのことに限って言えば、シベリアの彼方から、音楽で身を立てるという夢をもって音楽に人生をささげて打ち込み、以前見たドイツ語のドキュメンタリーによれば修道院で共同生活するように、例えば2011年にペルミに移ってからは2019年までそこにいたのにペルミの街を見たこともないほどただただリハーサル室とアパートを行き来するだけの生活を送って、ただただ音楽に身をささげて生きてきて、5年ほど前からザルツブルク音楽祭の常連になるというような成長発展を遂げたのに、さあこれからというときになってこんなことに。ザンクトペテルブルクに拠点を置く彼らに、スポンサーをロシアの銀行から別のものに変えろと言ったって、そんなことがすぐにできるはずもなく、たとえロシアの銀行と契約を切ることができたとしても、今この状況でロシアのオーケストラに資金援助をする西側のスポンサーが出てくるとも思えず、彼らだって生きていく以上は給料が必要なんだから。
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もちろんわかっている。ウクライナでは音楽家たちが演奏すらできずに攻撃されていることを。でも、戦争というものが、攻撃される側のみならず攻撃する側でもこうして一人一人の人生を壊してしまうのだということを、このときほど思い知ったことはなかった。なんて空しいことかしら。こんなに一生懸命努力して生きて来たのに、こんな歳になってから、あとは集大成までもう一息という段階になってそれまでの努力が全て無になるかもしれないなんて。晩年のシュトラウスの無念さが想像できるわ…

ああ、さようなら。ザルツブルクで会えるといいな…とわずかな望みを持ちつつも、絶望的な気分。5月にミュンヘンやパリで予定されていたコンサートやオペラはすべて中止になった。後はザルツブルク音楽祭の決定を待つのみ。
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実はこのあと、4月14日~16日にかけてドイツのハンブルクでも彼らのコンサートがあって、そちらは無事に3日間すべて開催。3月下旬には残券がそこそこあったのだが、ウィーンのチャリティーコンサート中止のニュースの後あっという間に完売となった。16日のなら日程的に行くことも可能だったのだが、チケットの方が全く手に入らなかった。ウィーン同様にすさまじい一体感ある演奏だったようだ。会場にはウクライナ人も聞きに来ていたらしい。それについては、NDR(北ドイツ放送)のこちらに非常によくまとめて書いてある。同じサイトのこちらの記事にも、彼らの状況が非常によくまとめられている。ドイツ語だが、もしよかったら翻訳ソフトでも使ってどうぞ。帰宅後彼らの2017年収録のCDを探し出したので、それを貼っておく。でも、この曲は残念ながらライブで聞かなければその良さが分からない作品だと思う。クラシック界のロックとでもいうべきか。だから、もし可能なら、大音響で。特に3楽章を大音響で。1楽章の4分40秒ぐらいからの部分が、たぶん最も有名なメロディだと思う。



そのようなわけで、とにかく切ない夜だった。こうして書いていても切ないし、書ききれなかったことも多々あるし、分からないこともまだ多々あるし、未だ心の整理がついていない。上のNDRの記事に書かれている次の言葉が、まさにその通り。そして、それをめぎはうまく翻訳できない。
"Das ist ein wahnsinniges Erlebnis." 「それは非常極まる・狂気の・常軌を逸した・猛烈な・凄まじい体験」だった。そして、昨日の記事のリンク先のWiener Zeitungの最後に書かれているこの言葉 "Es ist sehr traurig." の通り、あとにただただ哀しみが残った。
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4月9日 出発 [2022年春 ウィーン~シュプロン]

今日からまた4月中旬の春旅のお話を。

出発したのは4月9日朝8時半頃。この日の前日かなり冷えて、雪の注意報が出ていたのだが、まさか本当に雪を見るとは思っていなかった。
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デュッセルを出たときはただ曇っているだけだったのだが、ヴュルツブルクに近いこの辺りは山なのだ。
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ほんのちょこっとアウトバーンを降りてみた。すぐの道路がこんな状況。
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こっちは道路は解けてるけど。
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野原は真っ白。
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いやはや、昨日の写真と同じ4月とは思えないわね。でも、ほんの20日前のことなのだ。
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すぐにまたアウトバーンに戻る。少し晴れてきた。
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畑なのか野原なのか分からないが、まわりは真っ白。
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この辺りはこの日から晴れる予報なのだが、向かっているウィーンはこの日嵐の予報だった。まあウィーンにつくのはこの次の日だからいいけれど。
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3時間半ぐらい走って、お昼にストップオーバーするつもりの街に近づいてきた。ここはアウトバーンを降りて下道を走っているところ。11時50分ぐらい。
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こんな調子で書き始めると1週間の旅の話が永遠になっちゃうなぁ…
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4月9日 途中に見つけた町 [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在、4月中旬の春旅の話を連載中。

アウトバーンを降りて下道を走っていると、雪が綺麗に見えた。
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屋根の雪があんなに残っているということは、かなり断熱がよくできているってことだわね。
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めぎはこの日からイースター休暇が始まったところで、昨日まで働いていたのが今日から2週間休暇ということで、この別世界的雪に一気に休暇気分。そういう時はフロントガラス越しでもお構いなくいっぱい撮る。
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こうして仕事をどんどん忘れていくことができるのだ。
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それからしばらく走って…
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こんな城壁のようなところに出くわした。
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おおここはなんだ~と思ったらバス停があったので、記録のためにパチリ。
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場所はこちら。



素晴らしいわね~
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ということで、目的地はこの先なのだが、ここでちょっと車を降りて撮影。
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お花も雪にびっくりしているんだろうな。
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4月9日 マインベルンハイムという街の城壁 [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在、一日おきで4月中旬の春旅の話を連載中。

ここはバイエルン州のフランケン地方のマインベルンハイムという街。通りがかりで偶然興味深い城壁を見つけたところ。
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街の中はひっそりとしていた。
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雪が消えたらここに座る人もいるのだろうけど。
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城壁の外。
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車に乗って窓を開けてゆっくりと走りながら撮らせてもらう。
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というのは、真ん中ぐらいの場所にワイン畑があったから。この辺りはフランケンワインの産地なのだ。
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ここに住んでいる人たちはワイン生産者が多いのかしらね。
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あ、人。真冬の格好だわね。
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それからまたちょっと走って…
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この旅の最初の目的地にやってきた。
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4月9日 レストランで昼食 [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在、一日おきで4月中旬の春旅の話を連載中。

目指す街に到着。12時半頃。
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おなかすいたね~ということで、上の写真のピンクの建物に入る。うちのドイツ人がこの辺りの街のレストランをネットでいくつか見て、ここと決めてやってきたのだ。
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場所はこちら。



ここでちょっと豪華なランチの予定にしていた。
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あ、晴れて来たみたい。
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ここはIphofen(イプホーフェン)という街。ワインの名産地。
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大きな酒石が飾られてああった。
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ここでめぎだけワインを頂いた。きゃあきゃあ本当にイースター休みだわ~♪
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うちのドイツ人はまだ走るのでアルコール抜きでスグリジュースの炭酸割を飲んでいた。どうもありがとう…

で、まずはクマネギのスープ。これは二人で半分こ。
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メインはそれぞれ。うちのドイツ人はノロジカのラグーで…
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めぎはラム肉。
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デザートは食べなかったが、ゆっくりと一時間以上かけてお昼を楽しんだ。
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4月9日 イプホーフェンのマルクト広場 [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在、4月中旬の春旅の話を連載中。

旅の目的地へ向かう途中、フランケン地方の小さな町イプホーフェンでちょっとストップオーバーして昼食を味わって、また外に出てきたところ。食べたレストランの名前は「金の王冠」という意味。
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ほら、金の王冠。
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こんな綺麗なピンク色の建物で、レストラン付きのホテル。
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その前にはワイン樽。
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その横には市庁舎。
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そんな一等地に立つレストランだけど、そんなに堅苦しくなかったのはやっぱり田舎の小さな町だからかな。
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その前はマルクト広場という名の広場なのだが、マルクト(市場)は立っていなかった。なぜかマリリン・モンローがあって、お決まりの記念撮影をしているおじさんがいた。
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こんな聖像の後ろで…
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外でワインを片手に日向ぼっこしつつおしゃべりしている人たちがいた。
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さて、そろそろ行きましょうかね…
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…とその前に、めぎたちはその広場の反対側にあったワイン屋さんに寄って、フランケンワインを2本買ったのだった。一本はめぎがお昼にいただいたこの街産のSilvanerというブドウのワインを、もう一つはこの地域の別の街産のGrauburgunderというブドウのワインを。
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今はその2本はめぎ家のアパートの地下室に眠っている。地下室はかなり広く、ワイン以外にも使わない大工道具とか昔使っていた自転車とか使っていない家具とかタイヤとか色々置いてあるが、まだまだ余裕がある。でも、今回買いすぎてワインを入れる専用の棚がいっぱいになっちゃって、近々買い足そうと思っているところ。
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イン河沿いのノイブルクの部屋 [2022年春 ウィーン~シュプロン]

今日は2022年4月中旬の春旅のお話に戻る。一日目の宿泊地にやってきた。
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先日書いた通り、ここに泊まることにしたのだ。
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場所はドイツとオーストリアの国境イン河沿いのドイツ側にある古城。これは泊まった部屋の窓から見えた景色。めぎたちがいるところは塔をくぐって敷地内に入ったところにあるのだが、さらにこうして橋が向こうの建物に続いていて、城の敷地はそこそこ広い。
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城は崖の上に立っていて、見えないけど城壁の下はイン河。
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宿の入り口を入るとこんな通路があって…
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部屋の中は極めてシンプル。古城ホテルと言うのは、ゴージャスな滞在向けのと、結構機能的なシンプルなのとがあって、ここはシンプルなところ。
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ちょっと広め。
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バスルーム。とても清潔で機能的でお湯の出もよく気持ちいいが、シンプルなシャワーのみ。つまり、バスタブはない。
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よくコメントがあるので書いてしまうが、日本から来ると多くの場合バスタブが無いのって残念に思う(またはそういう安いランクの宿は敬遠する)のではないかと思うが、ドイツ生活も長くなると、バスタブがかえって要らなくなる。シャワーの方が楽なのだ、特に旅行先では。ちゃちゃっと洗って流して終わるのが快適で、バスタブに湯を張ってはねないように、また滑らないように気をつけたり、その中で体も髪も洗って泡が気になったりするより簡単。リゾート滞在で部屋でくつろぐことを目的とした旅なら、バスタブでゆっくりリラックスする時間も欲しいが、今回のようなストップオーバーではバスタブは全く必要ない。というか、宿を予約する際、めぎはバスタブの有無をチェックしてもいない。たまに偶然バスタブがあって、邪魔くさいなあって思ったりするほどだ。だって、バスタブがあってもシャワーしか使わないから。

既にタオルを一つ使った後だが、綺麗なうちにパチリ。
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さて、ここに泊まることにしためぎたちだが、実は残念ながらこの宿は現在素泊まり。2017年にここを見つけたときはまだ改装中で、その後完成して立派なレストランもできていたようだったのだが、コロナでレストランは閉鎖されてしまったらしい。それで、めぎたちは外へ食べに行かなければならないのだが、この辺鄙な田舎町にはたいしたレストランもなく、一番近いところがケバブ。ケバブは美味しくて大好きなのだが、旅行先ではそこならではのものが食べたいし、まともなレストランに行くには車でなければちょっと遠すぎで、でも夕食にはアルコール飲みたいし…
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というわけで、次回に続く。
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崖を降りる [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在、一日おきに2022年春旅の話を連載中。

ここはドイツのオーストリアとの国境に立つ「イン河沿いのノイブルク」城。
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崖の上に立っていて、すぐ下には川。その向こうはオーストリア。
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川の方へ降りてみることにした。まず城を出て…
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下へ向かう道を歩くと、いかにもバイエルンという感じの家が並んでいた。
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薪ストーブなのね。
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しばらく行くと…
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アルパカがいた!
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こっち見てる。
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途中から、道を反れて傾斜に作られた階段を降りることにした。
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結構急な階段。
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山道と石の階段が交互にある感じ。
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結構降りて来たな~
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そして、ゴールが見えてきた。
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降りて振り返る。これ、帰りに登るのはかなりきつそうだな…
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国境の居酒屋 [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在、一日おきで2022年の春旅の話を連載中。

崖を降りると、Marienstegという吊り橋がかかっていた。車の通れない橋である。
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イン河を見ながら渡ってみる。
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崖の上にはめぎたちの宿であるノイブルク城。
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その昔は渡し舟があったようだが、今は廃止されている。この橋が架かる前は、国境に架かる橋は8キロ先のパッサウか、反対側に8キロ先のシェアディンクという街かで、その間には無かったらしい。
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こうしてオーストリアに上陸。
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ここ、コロナで国境閉鎖していた間ってどうなっていたのかしらね。

さて、めぎたちはなぜここに来たかと言えば、橋を渡ればレストランがあったから。ここが宿から最も近いのだ。崖を降りて川を渡ってオーストリアに食べに行くのって面白いな~と。渡ったところに2軒ホテルと食事処が並んでいるのだが、めぎたちはちゃんとしたレストランのほうではなく、居酒屋の方へ。
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ここもコロナチェック無く入れたし、マスクもなし。
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早速地ビールを。
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賑やかですわ~みなさん地元の人たち。しかし、方言のリズムやメロディからこの辺の地元と分かるだけで、オーストリア人なのかバイエルン人なのかはめぎには聞き取れないけど。
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お昼に結構いいレストランでしっかり食べたので、夜は軽くにしよう、ということで…
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スープを注文。めぎはクレープみたいな薄いパンケーキを細かく切ったのが入っているフリタッテンズッペで…
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うちのドイツ人はこのオーナーさんお勧めのパンとチーズを丸めたものを揚げたのが入っているスープ。スープはどちらもとても美味しかった。
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スープだけにしようかと思っていたがもう少し食べられそうだったので、茹でたソーセージを追加。クレンという西洋ワサビを摺り下ろしたものがついている。パンもあったが、食べきれなかった。
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素朴だけど「らしい」食事を堪能し、大満足。ここではこうして日常が過ぎて言っているのだな、と感じながら、賑やかな人たちの方言のメロディを楽しんだ。
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食べたところはこちら。
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地図。

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まわり道で階段道を迂回する [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在、一日おきで2022年の春旅の話を連載中。

ここは、イン河沿いのオーストリア側のWernstein am Inn(イン河沿いのヴェルンシュタイン)と言う村の、めぎたちが晩御飯を食べたところ。
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この日の宿はこの川の向こうの…
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あの山の上の古城。あそこはドイツで、Neuburg am Inn(イン河沿いのノイブルク)というところ。
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再び吊り橋でイン河を渡る。
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渡り終えて、振り返る。おやすみなさい、オーストリア。また明日ね。
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さて、来る時に下った傾斜の激しい階段を昇るのは結構きつそうだなと思い…
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めぎたちはちょっと遠回りだけど回り道することにした。地図で言うと、左下のMarienstegと書かれている橋を渡り、そのまままっすぐ左へ森の中を伸びているギザギザの道が階段で、ぐるりと上の方へ行くLeithenからAm Burgbergへ回ってくる道を帰ったということである。泊まっているのはDie Neuburgというところ。



Leithenを歩き始めると…
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咲き始めのモクレンがあった。
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途中に置き忘れて放置されたかのような木があった。
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ぐるっと回るところに到達。
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可愛いお花。
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あっちはオーストリアなのよね~
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そしてここはドイツなのよね~ここに座って向こうを眺めながらみんな何を思うのかな。
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こんなお花も咲いていた。
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アルパカさんたちがうちのドイツ人に興味津々だった。
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このとき4月9日20時15分頃で、位置はドイツ南東の端。西側のデュッセルドルフならこの時刻にようやく日が沈むところだったが、ここは30分ほど日暮れが早い。
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この迂回道路、車が通れるのはここの住民のみ。川まで行くには途中までしか舗装されてなかったしね。
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夜景と朝食 [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在、一日おきで2022年春旅の話を連載中。

旅行一日目の夜、宿泊先の古城Neuburg am Innに戻ってきた。
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Neuburg am Innというのは「イン河沿いの新しい城」と言う意味なのだけど、古城。
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古城の敷地内をちょっと散歩。なかなか趣がある。
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イン河沿いは灯りがあるけど…
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反対側は真っ暗。ライトアップしてもこっち側は誰も見ないものね。
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イン河を見下ろす。あ、橋がライトアップされてる!
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さっきまであそこにいたのよね~
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下から見たら、お城が綺麗にライトアップされて見えてるってことね。
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そろそろ部屋に引き上げることにした。他に何もないし。
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ホテルになっている棟の中に、猫ちゃんが入り込んでめぎたちを待っていた。
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めぎたちが中に入ると、部屋の前までついてきてしまう。可愛いけど、部屋の中に入れたくはないので、ほら、こっちおいで、と何度も出口の方へ誘導し、やっと外へ追い出した。猫ちゃん、寒いかもしれないけど、ごめんね。

で、一夜明け、サクッと支度して出発。素泊まりなので、朝食は外へ。Dorfbäckerei Donaubauerという名前のパン屋さんの中。
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場所はここ。上の方に泊まっていたNeuburgがある。



このパン屋さん、この辺にまともなパン屋さんがここにしかないというのもあるが、かなり賑わっていた。めぎたちが来たときはパン屋さんに行列ができていて、中で食べるこの空間に入ったときはめぎたちだけだったのが、あっという間に満席に。
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そして、かなりのボリュームで非常に美味しかった。多すぎるので、めぎたちは半分ぐらい食べ、あとはサンドイッチにしてお弁当に持って行くことにした。
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外に出たら、警察の車が。あれれ、国境の見回り?駐車違反?と思ったら、警察官たちもパンを買いに来ていたのだった…ホント、ここしかないし、美味しいものね。
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めぎたちはこの後一路ウィーンに向かった。
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ウィーンへGO! [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在、一日おきで2022年春旅の話を連載中。

旅の2日目、4月10日土曜日。ドイツとオーストリアの国境にあるNeuburg am Innを後にして、一路ウィーンへ。これは途中に見えたメルク修道院。
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その近くにあった城のような建物。ちょっと探してみたが、なんだか分からないまま。
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そしてウィーンの市街に入った。国境の小さな村で朝食を食べて出発したのが9時半過ぎで、メルク修道院を見たのが11時半近くで、この写真は12時10分頃の撮影。
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この道をまっすぐ行くと…
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ウィーンを代表する観光スポットの前に出る。
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自転車置き場も完備されている。
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ここはシェーンブルン宮殿。おお、人いっぱいいる様子…
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場所はこちら。何度かマイナスを押していくと左にメルク、次にリンツが見えてきて、さらにもう一回ぐらいマイナスを押すとパッサウがある。そこがドイツとの国境で、めぎたちが前泊したNeuburg am Innはそのパッサウという街のすぐ近く。



めぎたちはその正面の辺りで左折し、また右折し、ウィーンのど真ん中を目指す。
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見えてきた…まもなくめぎたちは左折し…
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ウィーン市庁舎を左に見つつ走る。
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めぎたちは今、ウィーンのリングを走っているのだ。
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このブルク劇場の辺りでさらにリング内に右折。
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ここから先はうちのドイツ人がそこに止めると決めていた駐車場までめぎが道子さん(スマホのGoogle Mapsの道案内)を見ながら誘導していたので(誘導しなくてもうちのドイツ人は一人でなんとかたどり着くが、ウィーンは一通も多いので、せっかく持っているのだからとここは文明の利器を使う)、写真は無し。その駐車場は一泊40ユーロするが(めぎたちは3泊の予定だから駐車場代だけで120ユーロ)、郊外の無料のところに停めて荷物を持って移動するのも時間と労力の無駄だし、リングの外に停めて15ユーロぐらい浮かせたところでやっぱりお金かかる上に面倒なだけだし、どうせ停めるなら宿のすぐ近くにしようということで。こういうとき、コロナであまり出かけなかった間にたまったお金が大いに役に立つ。場所はこちら。ちょっとだけ左下へスクロールすると、グラーベンと言う通りが見えてくる。宿はそこにある。

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ウィーンの宿 [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在、一日おきに2022年春旅の話を連載中。

ウィーンの宿に到着!ど真ん中もど真ん中、グラーベンと言う通りを見下ろす部屋。真ん中右にはペスト記念柱、右上奥にはシュテファン大聖堂の尖塔、左上奥には聖ペーター教会の丸屋根。本当に、こんなところに泊まれるの?という立地である。
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その宿はこちら。この写真は到着当日ではなく別の日に撮ったものだけど。
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建物のEが地上階で、入り口。その後のHPはHochparterreの略で、「地上階(土間)より(階段の分)高い部分」と言う意味で、中二階のこと。MはMezzaninのことで、「間の階」と言う意味で、やはり中二階のこと。1900年頃ウィーンで床税(と言うのかな…床の数=階の数にかけられる税)があったため、階に数えない中二階がよく作られたようだ。上の写真の黒い部分までが地上階とHPで、Mはその上のピンクの壁の部分。それより上が1~3階でペンション。その上のバルコニーがあるらしい部分が4階の最上階。これはエレベーターの中の表示。
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この建物があった場所にはその昔モーツァルトも1781年9月5日から1782年7月23日まで住んでいて、ここでオペラ「後宮からの誘拐」を作曲したとのこと。と言っても、今の建物はその後1904年に建て替えられたもの。
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中はユーゲントシュティール様式。これは螺旋階段のところで、この金属の内側はエレベーター。
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ステンドグラスもある。
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レセプションや朝食会場は2階で、めぎたちの部屋は3階。
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中庭側の静かで安めの部屋もあるが、めぎたちはどうせウィーンのここに来るなら賑やか(つまり煩い)かも知れないけどグラーベンの見える部屋にしましょうよ、ということで、スイート。
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ベッドルームに洗面台もついているが…
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もちろんバスルームも完備。めぎの使わないバスタブ付きだが、上からシャワーを使っても引き戸がついていて水が外にはねたりするのを全く気にせずに済むのが良かった。
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バスローブもある。
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こんなテーブルも。
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ここは2019年3月に初めて泊まったのだが、そのときここの床を見てうちのドイツ人がこういう風にしようと決めたところ。
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天井。昔と今が混在しているって感じ。
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タンスはそんなに素敵ではないが、かなり大きく、旅行鞄もこの中に入れられてスッキリできる。そうは言いつつ、紙袋を冷蔵庫の横に置きっぱなしだけど。3泊したし、オペラやコンサートに行くための服も持ってきていたので、めぎたちは着替えをタンスに入れて、その他の必要な物も全てタンスの棚に並べ、暮らしているように使った。ホテルでいちいちスーツケースを開けたり閉めたりしないで済むようにできるのが、滞在型の旅の良さ。
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寝室の隅にはこんな鏡台があった。化粧はしないが、そこにハンドクリームと香水を置いて、ちょっと優雅な気分で使ってみた。
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場所はこちら。地図を少し右にスクロールすると、シュテファン大聖堂が見える。宿の場所(地図の赤い矢印の付いているところ)をもっと拡大すると、建物の中庭側が見える。宿のサイトはこちら。めぎたちは冬料金で割引もあって、スイートでも一泊159ユーロほどだったが、今は240ユーロするみたい。

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部屋で昼食・まったり [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在、一日おきで2022年春旅の話を連載中。

旅の2日目13時頃、チェックイン時間開始とともにウィーンの宿に到着し、荷物を置いてまずはちょっと外へ。ここはグラーベンというウィーンの目抜き通り。
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この日はまだ冬の寒さ。なにしろ前の日に雪が積もっているところを駆け抜けてきたのだ。ここでもみんなほぼ冬の格好だった。めぎもダウンコートを着て帽子を被っていた。
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このとき外に出たのはコーヒーを買うため。実はめぎたちの宿、部屋にコーヒーメーカーがない。冷蔵庫はあって、そこにワインもあって、グラスも完備されているのだが、コーヒーや紅茶を入れる設備は全くないのだ。それがあれば完璧なんだけどねぇ…でもまあ、ウィーンに来たからには外のカフェに行くべきなのだろう。めぎたちは、この日朝食を食べたところで美味しいサンドイッチを作ってきてあったので、そしてそれを途中で食べずにウィーンに到着してしまったので、まずはそれを宿で食べることにし、コーヒーがほしかったのだった。テイクアウトのところにイースターのお菓子もあったが、コーヒーのみ購入。
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で、宿でまったりと食事。包みを開けて写せばよかったわねぇ…
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その後めぎたちは、夜のオペラに備え宿でのんびりと。ウィーンはもう何度も来て知っているので、特に観光に出かける予定はなかった。オペラとコンサートを見に来たのだ。で、このときうちのドイツ人はちょこっと仕事。日曜日なんだけど…でも、その日にやってしまっておきたいことがあったらしい。
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めぎはここでスマホでオーストリアのニュースをネットサーフィンしてクルレンツィスについての記事を読んだり(戦争の影響で本当にコンサートができるのか最後の最後まで分からない事態だったことは先日書いた通り)…
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外を写したり。
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お昼を食べていた時に雨が降ったりしていたのだが、この頃からちょうど晴れてきて、ドラマチックな雲を楽しめた。
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ここ、ウィーンで言えば3階なのだけど、日本風に数えると6階で、かなり高い。
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みんなまだ寒そうな格好してる。
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ああ、再びウィーンに来たんだなあとしみじみ嬉しさに浸っていた。めぎにとって、ウィーンはザルツブルクに並ぶ子どもの頃からの憧れの場所で、何度も来ているからもう新鮮味はないのだが、それでも何度来てもワクワクするのだ。
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かつて留学先をウィーンにしていれば、今もウィーンに住んでいたのかもしれない。でもまあ、憧れの地をずっと憧れにしておくことができたというのも、良かったかも知れない。こうして割と簡単に来ることもできるわけだし。
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オペラ座へ [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在、一日おきに2022年春旅の話を連載中。

旅の2日目のお昼過ぎにウィーン入りしためぎたちは、18時からのオペラに備え、特にどこにも行かずに過ごした。つまり宿でまったりとし、17時ごろに持参して来たものの残りをつまんで軽く夕食とし、17時半頃出発。
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雨は上がり、日も差していたが、風が冷たかった。
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シュテファン大聖堂のところで右に曲がり、ケルントナー通りを行く。
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するとリングに突き当たるのだが、ここはその一歩手前。
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そこにウィーン国立オペラ座がある。好きな人にはお馴染みの場所。
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その前はカラヤン広場。奥に見えているのはホテル・ザッハー。あのザッハートルテのザッハーで、そこにカフェ・ザッハーもある。
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振り返ると遠くにシュテファン大聖堂が見える。
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オペラ座の向かいはホテル・ブリストル。
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ホント、どう撮ったらいいか分からないほどゴージャスな建物ばかり。
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この日、めぎはオペラにAPS-CのZ50に28㎜単焦点をつけて持参(35㎜換算42㎜)。スマホでも今時は結構綺麗に撮れるが、トリミング耐性となるとまだよくないし、カーテンコール時の強い光では白飛びし過ぎるので、思い切ってカメラにした。Z50と28㎜単焦点は小さくて、オペラにも持ち込みやすい。

さて、入りましょ…
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オペラ「薔薇の騎士」を見る [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在、一日おきに2022年春旅の話を連載中。旅の2日目、ウィーンにてオペラ座に来たところ。
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この日の席は真正面、ミッテルロージェという正面2階席の4列目。お値段は一人141ユーロだった。
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ミッテルロージェの場合、そこ専用のクロークがある。つまり、帰りにあまり混まずにコートを受け取ることができ、とても良かった。でも、ちょっと閉塞感があったな…4列目でも舞台はよく見えるが、左右に壁があるので篭った感じが否めず、最前列以外はあまりお勧めしないかも。 各席にモニターがついていて、ドイツ語の歌詞も見られるし、英訳も選べるようになっている。昔はそこに日本語訳もあったように記憶しているのだが、今回はドイツ語と英語しかなかった。コロナで日本人が来なくなったからか、スポンサーが降りたのか。
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↑めぎの隣には小さな子供連れの3人が座っていた。お父さんらしき人の咳がひどくて、この人コロナだったらどうしよう、とめぎはちょっと気になっちゃって。めぎもその人もFFP2マスクをしているとはいえ(このときマスク着用は義務だった)、すぐ隣だものね…さらに、子どもはオペラには小さすぎてすっかり飽きた様子で…それもこの日のオペラは魔笛とかの分かりやすいのでもイタリア物の短めのでもなく、大人でもなかなか内容をつかむのが難しいアイロニーたっぷりの長丁場ものである「薔薇の騎士」。3幕目には帰宅してしまい、めぎはやっと隣の咳を気にせずオペラに集中できた。

「薔薇の騎士」は、2019年にも見に来たオペラで、めぎ家の大好物。初演はドレスデンだし、作曲家はリヒャルト・シュトラウス、つまりドイツ人だが、ウィーンを舞台にしているしウィーンのオペラ座の演出は1968年のオットー・シェンクのが未だにそのまま再演されていてレジェンドのような存在だし、その演出が素敵なので、何度見ても楽しい。これは1979年の同じオットー・シェンクの演出でバイエルンで上演されたもの。めぎ一番のお勧めのオクタヴィアン。オーケストラの演奏も、このクライバーの指揮がダントツ。日本語字幕付き。



同じクライバーの指揮で、同じオットー・シェンクの演出で、ウィーン上演のこちらは、1994年のもので日本語字幕付き。めぎが見たのはこれとほぼ同じ。それにしても、クライバーの指揮の演奏、一度見てみたかったな…



めぎたちはほぼ毎週末、主にYouTubeでオペラやコンサートを見たり聞いたりしているのだが、その演目と言えば実は、モーツァルトの曲か「薔薇の騎士」かのほぼ2択である。その中にたまに別の曲…その場合はベートーベンかバッハかワーグナーが多い…が入る程度である。昔は色々聞いたけど、歳をとってきて好みがモーツァルトと「薔薇の騎士」に集約されたというか、モーツァルトはオペラはもちろん交響曲とか室内楽とかまだまだ知らない曲がいっぱいあって色々聞いてみたいという興味があるのだが、それ以外はこの「薔薇の騎士」を極めたいという欲求が強くて。歌詞(ドイツ語)はいくら読んでも読み足りないほど新たな発見のある劇作家ホーフマンスタールのだし、シュトラウスの作曲も、ものすごく複雑なのが一つにまとまっていていくら聞いても新たな発見が絶えず、最近の新しい演出にも興味あるし、昔の素晴らしい歌手のにも惹かれるし、普遍的でありつつ今でも斬新であり、アイロニーが哲学的だったり哲学的なのが皮肉だったり、いろんなことが2重にも3重にも錦絵のように組み合わさっていて、そのテーマが深くてめぎにはまだまだ追いきれないのだ…子どもの頃このオペラに子役で出演していて、大人になってからもアルバイトで歌のない役で出続け、つまり55年以上の付き合いであるうちのドイツ人も、未だ新たな発見があるという。

これはカラヤン指揮の1960年ザルツブルク音楽祭ので、キャストがそうそうたる顔ぶれで凄い。衣装も素晴らしい。これぞ薔薇の騎士、これぞ貴族の世界という感じ。これが上演されていたのはこの曲ができてから50年後のことで、その時こんなに素晴らしくて、それから今60年がたったのに、これ以上の出来のものが未だどこにも無いなんて、どういうことなの…とちょっと思う。



2008年のドレスデン歌劇場が日本で公演した時のこちらは、日本人ソプラノ歌手森麻季が出ているもの。この森さんの歌唱力、素晴らしい。うちのドイツ人も脱帽。なぜその後ヨーロッパで活躍しなかったのか、凄く残念。貼り付けられないようになっているようなので、リンクのみ。

バイエルンは2021年にオットー・シェンクの演出をやめて新しい演出を発表した。それは全曲のビデオがYouTubeにないのだが、結構面白かったし、マリアンデルがなかなかいいので貼っておく。でも、オックスがあまりにもバカ過ぎてちょっと残念。オックスはただのエロおやじではなく、彼にも彼の美学・哲学があるのだというところが重要だと思うので。



このゾフィーいいねえ、この元帥夫人いいねえ、このオックスいいねえ、この演出も悪くないねえ、と話したのがベルリンの新しいこちら。残念ながら全曲のビデオはYouTubeには無いのだが、雰囲気だけでも。



で、上の2つの新しいオックスが実は同じ歌手なのだが、その歌手が今回ウィーンでも歌うというので、とても楽しみにしていた。彼は本当に歌が上手い。身のこなしも上手い。オットー・シェンクの伝統的演出のオックスも巧みにこなしていた。雰囲気はこちらの写真をどうぞ。

見所や新たな発見のことなど書き始めたら365日分のブログが必要となるのでやめておく。一つだけ書くなら…と言ってもかなり長くマニアックな話になるのだが…めぎはいつも、一幕目に出てくる「イタリア人歌手」の歌をとても楽しみにしている。それは、イタリアオペラをものすごく皮肉った役回りなのだが、かつてはその役のためにパバロッティが起用されていたほどの難役で、つまり歌うのが非常に難しく、でもいかにもというイタリアオペラテノール歌手が必要で、そのほんの数分だけの出番のためにパバロッティを呼ぶほどの大事な役なのだ。そのメロディは名だたるイタリア人オペラ作曲家の素晴らしく有名なメロディ(蝶々夫人とかトゥーランドットとか)に負けないほど美しく、それをドイツ人作曲家が書いたというだけでイタリアオペラへの挑戦であると同時に大いなる皮肉であるのだが、そんなことはさておき、その歌がどう歌われるかはめぎにとってとても重要なチェックポイント。

しかしめぎは、長いことその「イタリア人歌手」の役は、他の物売りの役などと同様に元帥夫人にお金の普請に来た旅人歌手なのだろうと勝手に思い込んでいた。中世のミンネゼンガーのような人なんだろう、と想像していたのだ。が、なんとその歌手は、元帥夫人に恋したイタリア人貴族か将校かが愛の告白の歌を贈るためによこした歌手なのだということを割と最近になって知り(シルヴァ閣下から送られてきた歌手、という歌詞であることに気がつき、シルヴァって誰?と不思議に思ってうちのドイツ人に聞いてようやくわかったのだった)、あっそうなのか~!と。だから元帥夫人は恍惚とした表情をするのだ…イタリアオペラ風の調べに酔っているだけではなかったのだ!つまり、元帥夫人もオックスほどではないにしろそれなりに色恋沙汰の経験をしているということがそこでも表現されていたのだ(例えばオクタヴィアンに「いつかだって…」と昔の愛人との話をうっかりしそうになって慌てる場面以外にもという意味で)。

と言っても演出によっては、その歌の披露中に元帥夫人が帽子を選んだりペットの物売りから猫を飼っていたりするシーンがある。つまり歌はただの余興でその最中に元帥夫人が歌を聞いてはおらずにいろんなことをしているわけで、シルヴァ閣下が愛人とは限らないようだ。その場合の演出家の解釈は例えば、イタリア人と言うのは女性には愛の歌を贈ることしかしない、という皮肉で、その小貴族イタリア人はずっと高い位の元帥に取り入るために姑息に元帥夫人に歌を贈り、シルヴァってなかなかの文化人よと推薦してもらおうという魂胆だったのでは、というものらしい。どっちにしても全て茶番なのだ。ホーフマンスタールがどういう意図で台本を書いたかは知らないが、いろんな解釈が成り立つなんて、どこまで周到なの…ともかくその歌詞は愛に真剣であり、歌も真剣であり、本当にイタリアオペラ顔負けの美しく情熱的な調べで、思わずうっとり聞き入ってしまうのだ…そこだけ、4時間ほどのオペラの中で全く異色に輝いている。

参考に、ヨナス・カウフマンの「イタリア人歌手」を貼っておく。この演出、さらにイタリア人を茶化したものとなっているが、残念ながらカウフマンではイタリア人になり切れていない。彼の声はソフト過ぎて、ここで期待するイタリア人の声とは違うように思う。しかし、ものすごく上手いことは確かであるし、カウフマンをこの役に使うということの贅沢さがよく分かる。彼の1回目の歌はビデオの1分ぐらいから始まって2分58秒ぐらいで終わり、本当に歌を聞かせられるのはその2分間だけだ。2回目の歌は5分23秒ぐらいから始まるが、演出で邪魔が入ってまともに聞けないし、6分20秒でおしまいになる(それはホーフマンスタールとシュトラウスのオリジナルの演出)。カウフマンのファンとしては、この3時間半もかかるオペラの中でたった2分(プラス1分)しか聞けないということ。



パバロッティのも見つけたので貼っておく。残念ながら映像が悪いし音も小さいが。音量を上げれば一応聞ける。これが、本来求められている「イタリア人歌手」なのだ。素晴らしい。流石である。1回目は2分から3分56秒ぐらいまで、2回目は6分ぐらいから。しかし、この全部でたった3分足らずの出演料はいったいいくらなんだろう。



お時間と興味のある方は、「イタリア人歌手」聞き比べをどうぞ。79年のバイエルン・クライバーのは36分55秒ぐらいから、94年ウィーン・クライバーのは39分5秒ぐらいから、カラヤンの1960年ザルツブルクのは37分50秒ぐらいから、ドレスデン日本公演のは39分40秒ぐらいから、ベルリンのは0分36秒ぐらいから。新しいバイエルンのは残念ながら無い。ちなみに今回のウィーンでの「イタリア人歌手」は代役で、残念ながらちょっと…だった。

さて、これは1幕目のあとの幕間にオペラ座のテラスに出て撮影。19時20分頃。
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ちょっとアンバランスな格好のお二人…それよりなにより、その格好で外は寒すぎる…このとき3℃ぐらいだったと思う。
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夕陽の色が綺麗だった。明日は天気になるかな…
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ウィーン国立オペラ座の中 [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在、一日おきに2022年春旅の話を連載中。旅の2日目、4月10日(日)の夜のこと。

ここはウィーンの国立オペラ座の中。ゴージャスな建物だが、プルミエではないので人々の格好は割とカジュアル。
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めぎも普通のワンピース、うちのドイツ人も上着は来ているがタイ無しでスカーフをしたスタイルで行った。彼はネクタイが嫌いで、スカーフを愛用している。
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オペラ座は一応飲食もできるようになっていて、食べたい人はコロナチェック(ワクチン接種済みか検査陰性証明かなど)しているようだった。
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めぎたちはパス。
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色々撮ったけど…
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あまりうまく撮れなかったな…
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ま、ここには写真撮りに行ったわけじゃないからね。
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…と言い訳してみる。
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幕間休憩は薔薇の騎士の場合2回あるのだが、演出とか歌手のこととか話しているうちにあっという間に過ぎた。
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しかし、あとで見ると、やっぱりAPS-Cで撮っておいてよかった~と思うことがあった。カメラを持っていたことにそれなりに価値はあった。自己満足とは言え。
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さて、あともう一幕。
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終わってからのカーテンコール。
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よかったわ~オックス。
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よかったわ~元帥夫人。
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終わったのは22時過ぎで、日曜日のその時間には行きたいカフェやレストランは全て閉まっていて、開いているところにはあまり興味沸かなくて、宿に戻って買っておいたワインを飲んで前日からお弁当に持参してきたものの残りをちょっとつまんで就寝した。
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ウィーン2日目の朝 [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在、2日おきに2022年春のウィーンの話を連載中。今日から旅の3日目、ウィーンの2日目のお話を。

朝食は泊まっているペンションで。ここの朝食、生ハムが無いのがめぎ的に残念。でも、希望を聞いて一人一人に卵料理を作ってくれるし、野菜もトマト・キュウリ・パプリカと複数用意されている。パンを水平に横から切っているのはドイツやオーストリアの食べ方で、こうして半分に切った後ハムやチーズなどを載せて食べる。間に挟んでサンドイッチのようにもできるが、普通はオープンサンド風に半分ずつ食べる。
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さて、過去に何度もウィーンに来ているし今回オペラとコンサートが目的だっためぎたちは、特に観光する予定にはしていなかったが、この日は一日空いているので一つだけ見に行こうと出かけることにした。そこも何度も行ったことがあるのだが、久々に行きたいねと意見が一致して。

で、その場所までまずは散歩を楽しむ。ここは有名なデーメル。何作っているのかな~あ、マスクしてるわね。
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前日までの不順な天候が嘘のように、晴れ晴れとした気分になる青空が広がっていた。コールマルクトという通りを王宮の方へ向かう。
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手前には古代ローマ時代の遺跡が発掘された跡。兵士の家族の住居跡とのこと。と言っても当時ローマ兵は結婚が許されておらず、つまり内縁の奥さんとできちゃった子どもの暮らしていた場所とも言えるし、売春宿だったとも言えるし、もとはワインの店でもあったようだ。そんな歴史がこんなウィーンのど真ん中の王宮前にあろうとはね。
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その向こうには観光馬車が待機。
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キラキラピカピカと立派なところ。
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このとき結構寒かった。
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いい天気だけど、観光馬車に乗ろうと思う人はいるかしら。
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お仕事頑張ってね。
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そうそう、お馬さんの落し物は後ろからついて行く掃除屋さんに拾われていく。そのシーンは撮らなかったけど。

王宮は鳩除けがしっかり装備されていた。
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美術史美術館へ [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在、2日おきに2022年春のウィーンの話を連載中。

ここはウィーンの王宮前。
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面白い車があった。馬車の他にああいうのに乗って観光する方法もあるのね。
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ウィーンなどヨーロッパの古都で観光馬車が走れる理由は、旧市街が基本的に車の通行禁止となっているからである。中に入れるのは住民か早朝などの搬入の時間帯だけ。また、観光馬車が走る場所も決まっているから、そこを通ろうとする車はゆっくり走行を強いられることが明白だし、反対に別の通りは車の障害にはならない。

その空間を突っ切ってこの門を後にすると…
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リングという通りがあって…
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その向こうに目指す建物が見えてくる。美術史美術館である。
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その向かいには同じような建物の自然史博物館。
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どちらもめぎは複数回入ったことがあるし、うちのドイツ人も。ウィーンにはこのほかにも色々な美術館や博物館があるのだが、そのどこも何回か行ったことがある。さらに何百あるのかという数の教会やら複数の宮殿やら有名な図書館やらお墓やら公園やらモーツァルトの住まいやらベートーベンの住まいやらフロイト博物館やら…と見所は山のようにあるが、本当にどこもかしこも行ったことがある。で、この日、何をしようかと考えて、久々に絵が見たくなったのだった。ウィーンではクリムトの絵が有名だけど、そういう気分でもなく、この美術館に行こうということに。
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ここはめぎが初めてウィーンに来た時にもいち早く訪ねたところ。その時と内装は同じ。宮殿のよう。
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中は有名な絵がいっぱい。ルーブルほどではないが、見応えいっぱい。しかも、フラッシュをたかなければ撮影も自由。
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場所はこちら。

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今回注目した絵 [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在、2日おきに2022年4月のウィーンの話を連載中。

旅の3日目、ウィーン2日目、午前中に美術史美術館にやってきた。
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ここは何と言ってもバベルの塔をはじめとするブリューゲルの絵で有名な美術館で…
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他にもルーベンスやらレンブラントやら非常に有名な絵画が広々とした空間にいっぱい掲げられているのだが…
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今回かなりしげしげと見入ったものを2つご紹介。

1つは、この作品。Bernardo Bellottoという画家のDie Freyung in Wien, Ansicht von Südosten(ウィーンのフライウング、南東からの眺め)という絵。Freyungは、オーストリア訛りで書けばフレーウングの方が近いかも。
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どうしてこれかというと、泊まった宿の廊下に飾られていたし、宿の近くの広場の昔の様子を描いたものなので、ほ~昔はこうだったのね~と見入ったからだ。その場所はこちら。今のFrayungという広場にあるAustriabrunnen(アウストリアブルンネン…オーストリア噴水という意味)は絵には無い。ハプスブルク帝国がヨーロッパの中心に位置することを示しているというその噴水は、1846年に作られた比較的新しいもの。絵が描かれたのは1759~60年で、絵の向こうにある教会はショッテン教会。



ここ、今も市場がよく開かれているのだが、当時からそうだったのね。
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人の恰好や馬車なども興味深い。日本で言えば江戸時代のウィーン。
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当時からある建物と、今は見当たらない建物。そして、描かれていた人たちはもちろんもういない。今から300年もすれば、今写真に撮られている人や建物が、同じように後世の人たちに当時はこうだったのね~と見られるということ。空や雲も厳密に言えば当時と同じことは一切無いわけだが、でも、空と雲とこの光だけがこの絵の前から今までずっと変わらずに存在していて、あとはみんな以前には無く、かつ・またはもう消えていったもの。諸行無常という言葉がふと浮かぶ。
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それからもう1つは、この作品。Joachim von Sandrartという画家のGroßer Fischmarkt(大魚市場)という絵。
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ニュルンベルクやアムステルダムで活躍した画家の絵で、ウィーンを描いたものではないが、1654~56年ごろにヨーロッパでこんなに海の幸が売られていた、つまり食べる文化があった、ということが分かる。
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かなりグロテスク。
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大きいなあ。
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これはセイウチ?カワウソ?アシカ?そこにあった説明によると、これは食べたわけではなくて海産物の豊かさを表現したものとのこと。
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ワンちゃんもいた。
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他にもSnyders という画家の似たような絵があって、亀さんとかがいるのだが、キリがないのでこの亀さんのズームアップのみ挙げておく。
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あと、すっごく気になったもの。
1つは…
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痛そう…
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もう一つは…
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豚さんの目がちょっと怖い…
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美術館のカフェで一休み [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在、2日おきに2022年4月のウィーンの話を連載中。

美術史美術館で絵を堪能した後は、カフェで一休みすることにした。
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11時半頃で、まだ誰もいなかった。
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天井も豪華。
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床は大理石。この模様、面白いわね。
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そうそう、展示室の床は板張りで、めぎ家のより若干長めの板が同じように張られていた。うちのドイツ人の床の板張り、この出来に引けを取らないのが凄い…
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ウエイターさんたちはマスク着用。お客は席に座ったらマスクを取っていいというシステムだった。
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ここでめぎたちはウィーンのコーヒー、メランジェと…
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めぎはアプフェルシュトゥルーデルにバニラソースをかけたもの、うちのドイツ人はチョコレートケーキ。
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このカフェは、めぎがその昔学部を卒業するころ(修士課程に進む直前)ウィーンで一か月語学研修をしていたときに、何度となく通ったところ。学部時代にバベルの塔についてのゼミに参加していためぎは、その辛くて懐かしい思い出(そのゼミで読んでいたドイツ語文献は質・量ともに当時のめぎには非常に難しく、予習に8時間ぐらいかかり、毎週死にそうに辛かった)を胸にこの美術館のブリューゲルの絵の部屋に何度となく通い、その度にこのカフェで一休みしたのだった。当時、コーヒーやケーキよりも、軽く食事することの方が多かった。めぎがレバー団子スープに目覚めたのはここが最初である。その語学研修は冬の2月で、オペラ座にも毎日のように通って、立見席で色々と見た。若かりし頃のなんと懐かしい思い出…2月で曇りが多く緑も何もない色のない季節だったはずなのに、バラ色に輝いている…それはめぎにとって2度目の大学の卒業時で(めぎは大学を卒業して普通の会社に数年勤めた後再び大学に学部一年から入り直して一から勉強し直して修士・博士課程に進んだ)、若いと言っても同年代の人はもう子育てやマンション購入を始めていた頃で、自分はいい年をしてまだ将来どうなるか全くわからなくて不安を抱えつつも、とにかく全力投球で一生懸命だったな…あの時があって今があるのだ。あのバベルの塔のゼミに参加しなかったら今のめぎはないし、あのウィーンでの孤独と夢の一か月がなかったら、やっぱり今のめぎは無いのだ。

そんな昔話などしながらゆったりと過ごし、再び天井画を写してここを後にした。
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ブラブラと宿へ戻る [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在2日おきに、2022年春のウィーンの話を連載中。

ウィーン滞在2日目の12時過ぎ、美術史美術館を後にした。出口を出たところで、目の前のマリアテレジア像と自然史博物館をパチリ。
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自転車置き場にはこのオランダの自転車が。これ、デュッセルドルフでもよく見かけるのだが、ここでも流行っているのね。
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またリングを渡って…
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王宮を突っ切る。
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そのトンネルのような通りにもこんな彫刻があるのだが…
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誰も目に留めないわよね…鳩さん除けもあるしね。
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そして、またこのお馬さんたちの待機広場(コールマルクトの王宮突き当りのところ…旧ローマ時代の遺跡のあるところ)まで戻ってきた。あ、暖かくなったって感じね。
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可愛い女の子が乗っていると、絵になるわねえ。
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そこからめぎたちはスーパーへ向かった。宿に戻る前にその日の夕食を買っておくため。この日もコンサートの予定だったので、夕食をレストランへ食べに行くゆとりはないし、昼間はそのコンサートに向けて宿でのんびりする予定だった。

で、有名なカフェ・セントラルの前を素通りし…
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時折目についたものを撮影した。
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ここは、次の日の夜にでも行きたいねと話していた昔なじみの居酒屋&レストランなのだが、行きたかった居酒屋の方はコロナで閉まっていた。レストランの方はやっていたけど、行きたいのはそっちじゃないのよね…
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そして、宿のあるところ、コールマルクトとグラーベンという2つの目抜き通りのぶつかる角のところまで戻ってきた。そこには、めぎたちは今回行かなかったけど、有名なこのスーパーがある。化粧直しして、随分現代的になったようだ…で、めぎとしてはすっかり足が遠のいたのだった。
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場所はこちら。



宿に戻ってからは、以前にこちらに書いたように、コンサートの演目の予習をしたり、指揮者クルレンツィスについての記事を読むなどして過ごした。夕飯は写していないけど、肉屋さんで買った豚のロースト。普通のスーパーで買ったこのワインがとても美味しかった。
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以上でウィーン2日目の話はおしまい。
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ウィーン3日目 [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在、2022年春のウィーンの話を連載中。今日から旅の4日目、ウィーン滞在3日目のお話を。

朝はいつもの通り宿の朝食会場で。この日はちょっとゆっくり、9時過ぎに朝食。
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この宿の朝食は前にも書いたように生ハムが無いのが残念だけど、でもそれ以外は十分。
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卵料理も一人一人に希望を聞いて作ってくれるし。これ、オムレツなんだけど、盛り付け方が面白いわねえ。うちのドイツ人はスクランブルエッグ。
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最後にはヨーグルトにフルーツ。いろんなジャムがあったので、2種類トッピング。たしかイチジクのとアプリコットの。
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ゆっくり食べて10時に朝食を切り上げ、10時半ごろから散歩に出かけた。この日は何の予定もない。何か見に行く?ちょっと遠出してみる?と考えたけど、どうしても見たいものも行きたいところも特に無かった。たぶん、その前日のコンサートで気分的に疲れ果てていたのだろう。とは言え、せっかくいい天気なんだからちょっとブラブラしようかということで、まずはど真ん中の聖シュテファン大聖堂へ。
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ここには現代的な建物もあるのだが、ガラスに塔が写っててなかなか面白い感じ。
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ちなみにこの日はフルサイズのZ6に40㎜単焦点だけで散歩中。割り切りよく、見たものをそのままに。
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ちょっと大聖堂の中にも入って見たけど、ここ、ガイドツアーなしには入れなくなったのよね…昔は中に入って座って時間を忘れてぼんやり考え事したりすることもできたのに。
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手前の鉄柵のところから撮ってもみたが、なんだかパッとせず。
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中には入らず切り上げた。
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場所はこちら。



天気も素晴らしいし、大聖堂の塔を登ってみようかとも思ったが、それも以前2回ほどやったことがあるので、今回は見送った。
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で、もうちょっとブラブラしてみることにした。もう11時近かったけど、清掃車がお仕事中だった。
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カフェでのんびり [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在2日おきに、2022年春のウィーンの話を連載中。

ウィーン滞在3日目の10時半過ぎ、ブラブラとウィーンを歩く。ここ、いつか食べてみたいと思いつつ、まだ入ったことのないところ。煙突掃除夫さんのレストラン。
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目に入ったものを写しつつ歩いて…
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結局カフェの中に。
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ここではスマホでも写してあった。ここから友人に写メールをしたからだ(写メールと言う言葉はもう死語だわね)。
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このカフェはザッハーとかデーメルほど有名ではないが、その昔1788年11月にモーツァルトとベートーベンがここで室内楽を演奏したというそれなりに由緒あるところ。その後モーツァルトは1791年3月4日、ピアノ協奏曲KV595を演奏(ピアノのパートを自分で演奏)したのが最後らしい。ベートーベンは4月6日、「フォルテピアノと4本のホルンのための五重奏曲」を演奏したらしい。
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このカフェは、めぎもうちのドイツ人も以前は入ったことがなく、数年前に二人で散歩していた時にたまたま見つけて入ったのだった。入った時間帯によるのかもしれないが(以前は夜遅くで、今回は昼前)意外と空いていて、でもウィーン風の伝統的雰囲気が残っていて、とても気に入ったのだ。
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めぎたちはここでかなりのんびりとカフェに置いてあった新聞など読みふけって時間を過ごした。この前日とこの日あるはずだったけど戦争のためキャンセルされてしまったクルレンティスのコンサートについての新聞を読んだのはここ。
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12時過ぎに、カフェを後にした。
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ホームページはこちら。右上のENを押せば英語版になる。場所はこちら。



地図を見れば分かるように、すぐ左にケルントナー通り(ウィーンの国立オペラ座から聖シュテファン大聖堂までの歩行者天国の大通り)がある。そのケルントナー通りから振り返って写すと、こんな風に右奥に遠く小さく見えるので、ケルントナー通りを歩いていてちょっとカフェに入りたくなってパッと入る感じではなく、そこを目指して曲がっていく意思がなければ見つけにくい。ある意味穴場なのかもしれない。でも、めぎ的にはとってもお勧め。
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ケルントナー通りには既に人がいっぱい。マスクをして歩く人がいないのは、もともと外はマスク義務ではないから。この頃(4月)オーストリアでは店内のマスク着用義務も撤廃されていたが、ウィーンは独自にまだその規則を残していた。でも、外はその規則とは関係ないので、誰もしていないのだ。
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観光馬車の通るところ [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在2日おきに、2022年春のウィーンの話を連載中。

滞在3日目のお昼ごろ、一休みしたカフェから行きとは別の通りを歩いて宿の方向へ向かう。ここはNeuer Markt(新しい市場)と言う広場。
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特に有名でもない建物が本当にゴージャス。
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そからもうしばらく歩くと、こんな教会が見える小路に出る。
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そこは観光馬車が通るところ。
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こうしてここで曲がっていく。車も通るので、馬車のあと車が通り過ぎていった。
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それにしても観光馬車って、絵になるようでいて、撮るのが難しい被写体。
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動いている馬車の全体を入れつつ周りのお洒落な雰囲気が分かるように、そして乗っている人の楽しそうな様子も分かるように、御者の仕事ぶりも分かるように、同じところを通っていく人や車や自転車などを避けて、光が当たっている瞬間を…などと考えると、ほとんど至難の業。
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ところでこの綺麗なマリア・テレジア色の教会、実はプロテスタントの教会で、カトリックバリバリのウィーンでは全く注目されていない。中にも入れないし。
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オーストリアの旗が綺麗にはためいているのだけどね。
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馬車、盛況のよう。やっと観光客が戻ってきて、よかったわね。
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骨董品店 [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在2日おきに、2022年春のウィーンの話を連載中。

滞在3日目のお昼過ぎ、観光馬車が曲がっていくのを写真撮っていた角には…
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こんな建物が立っていた。
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その下には車がぎっしり。車のない時代に町ができたので、車はこうして路駐するしかないのだ。路駐は正式なパーキングで、みんなお金を払って止まっているが、この辺りに止めている人はこの辺りに勤めている人や住んでいる人で、駐車料金は年払いや月払いしている場合が多い。中には、買い物に来た人の車もあるようだったが。
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この辺りは骨董品店が多かった。
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その骨董品店にもいろいろランクがあるようで、失礼ながらガラクタのようなものが並んでいるところもあれば、いかにも貴族的なところもあった。
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うちのドイツ人の趣味には合わないので買わないけど、めぎはちょっと興味津々。
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これなんか、縫物もするうちのドイツ人にプレゼントしたいけど、こういうのは嫌いだからねぇ。
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でも、ウィンドーショッピングだけはうちのドイツ人も楽しんでいた。おお~キッチュだ~おお~ウィーンだ~!と。
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ま、こういうのが似合う家でもないしね…
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こういうのも全セット持ってないと意味ないしねぇ…
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