ドナウを渡る [ルーマニア・ドブロジャ地方・観光編]
ルーマニア旅行記はようやく観光編突入。首都ブカレストの飛行場でレンタカーして北東へ進み、ドブロジャ地方へ。目指すはドナウ・デルタ地帯。今日はBrailaという町の東側を流れるドナウ川を渡っていよいよドナウ・デルタ地帯に入るところを。
こちらが美しき青きドナウ♪(レンズ汚れてるけど・・・なんとかしなくちゃなあ)
ウィーンのドナウのイメージとは雰囲気がちょっと違うけど。
向こう岸へは渡し船で。
どういう構造か分かりにくいので、反対側に見える全貌をどうぞ。
この日は夏のように暑くなり、ドナウの上にいるとじりじりと暑かった。
釣りをしている人も、非常に軽装。
我々が近づいてくると、向こう岸の船も出発。渡し船上はぎっしり。
向こう岸へ着きまーす!
そこからはいよいよ湿原地帯へ。
この木々は水の中から生えている。
湿原の向こう側はモルドヴァとウクライナ。いつか行ってみたいなあ。
時々村を通りながらひたすら東へ。
村にはコウノトリさんたちがいっぱいいた。
いよいよ最初の目的地へ到着。続きは明日。
♪ おまけ ♪
ドナウ川の流れの全貌を見たい方はこちらをどうぞ。ドイツからウィーン、ブダペストを通って、それから南下してセルビアやブルガリア、モルドバ、ウクライナ、ルーマニアの国境の役割を果たして黒海に流れ込む様子が分かる。
Brailaという町は先日「ドブロジャ地方3(町の様子)」でご紹介したところ。
この河を左から右へ渡り、ほぼ河に沿って右へ走っていくのが今日のお話。河の向こう(上)はウクライナ。国の名前は知っていても、どこにあるかはよく知らなかっためぎにとっては全くの未知の世界。こうして普通にドライブできちゃうのは、まさにEUのおかげですねえ。
トゥルチャ [ルーマニア・ドブロジャ地方・観光編]
ようやく着いた今回の旅の目的地、トゥルチャ。
ここはドナウ・デルタ地帯への玄関口。かなり観光地化していて、ここから遊覧船やら黒海への定期便やらが出ている。いつかぜひぜひゆっくりと、一週間くらいデルタ地帯に住み込みたいところだが、今回は一泊のみの予定。ホテルは決めずに来たのでまずは探さなきゃ・・・でも、こんな普通のホテルは嫌だなあ・・・
と思ったら、船のホテルが!
泊めてもらえるかしら・・・と近寄っていくと、猫ちゃんがお出迎え♪
ルーマニア語しか話さず英語も通じないおばちゃんと、うちのドイツ人がフランス語とイタリア語とスペイン語とラテン語を駆使して意思疎通を図り(ヨーロッパ人の語学力にはいつも脱帽)、めぎもそのおばちゃんの身振り手振りと話す様子をたくましい想像力で理解に努め(言葉が分からない分聞き取ろうと努力しないため勘が働く)、数字は筆談。ここに至るまでの道程でルーマニアの相当貧乏な実態を目の当たりにしていためぎたちは、めぎより若そうなおばちゃんがめぎよりずっと歳とって見えることからきっと相当苦労してるんだろうということであまり値切らない方針とし、20ユーロで一泊(朝食付き)、50ユーロで貸し切りボートを出してもらうことに。ボートはかなりぼられた気がするけど、2時間近くゆっくり回れたしなかなか楽しかったからまあいいや。
そんなわけで、到着早々ボートに乗り込み、この船のホテルをあとにして・・・
いざ、ドナウへ出発!
こんな景色のところはモーターボートでぶっ飛ばし・・・
だんだんそれらしくなってきた。
細かい支流の中に入るとゆっくりと進んで、鳥さん捜し。
鳥さん、どこ~??
きゃー!いた、いた~!!
素敵なところだなあ・・・
あ、鳥さん♪
続きはまた明日。
♪ おまけ ♪
同じようなボート・ツアーをしている人たち。めぎたちもこんな感じのボートに乗っていた。
ドナウ・デルタは東京都の約2倍の広さ。ボートで2時間でまわれるところはそのホンの一部。その間に出会ったのはこの一艘のみ。こんな景勝地を独り占めしているようで、本当に気持ちよかった。
鳥の楽園 [ルーマニア・ドブロジャ地方・観光編]
ここはドナウ・デルタ地帯。
水辺の植物がいっぱい。
あ、鳥さんが!
こんな景色がずっとずっと、東京都の2倍もの広さがあるなんて。
ボートを止めて静かにしていると・・・
もっといい望遠が欲しくなる・・・
ドナウ・デルタの話はさらに続く。
ドナウ・デルタの夕方 [ルーマニア・ドブロジャ地方・観光編]
水の中で少しずつ朽ちていく木。
生命の美しさを感じる。
ここにはこんな鳥さんたちと・・・
こんな鳥さんたちがいっぱい。
競争しているみたい。
止まっているとは言え揺れる船からカメラを手で持って飛ぶ鳥を撮影するのは、本当に難しい。
白鳥さんが霞んで見えるほど色々な鳥たちがいた。
そうこうしているうちにだんだん夕方になってきた・・・
そろそろこの静かな鳥の楽園とのお別れの時間。
夕方の色はまた格別。
こんなに間近で見られて、幸せだった。
つづく。
トゥルチャの夕暮れ [ルーマニア・ドブロジャ地方・観光編]
現在、ドナウ・デルタ地帯のクルージングからトゥルチャの町へ戻るところ。次回はキャンプもいいなあ。
船のホテルに戻り、そろそろ晩御飯にいたしましょ♪
猫ちゃん、ただいま~♪
船のホテルだから部屋は船室って感じ。バス・トイレ付きで、清潔で、充分快適だった。船は岸に繋がれたままで移動中ではないけれど、一晩中ゆらゆらしてて、水がぽちゃっと船にかかる音が聞こえたりしてなかなか楽しい。
地元の白ワインをいただきながら、船のホテルで用意してくれた地元の料理を。まず、ドブロジャ地方ならではの魚のムニエルにトウモロコシを牛乳とバターで煮て固めたママリガというもの。
これだけでもおなかいっぱいなのだけど、次に肉料理が。その合間にちょっとデッキから日没を眺めて休憩。
肉料理は、サルマーレ。お米と肉をブドウの葉で巻いたロールキャベツのようなもの。サワークリームがかかっている。
ああ、おなかいっぱい、くるし・・・
しかしさらにデザートが。ドーナツのような感じ。たぶん、パパナッシュというのではないかな。
↑四角いグラスに少しだけ入った白いお酒はツイカという50%くらいのプラムの蒸留酒。
この他に最後にコーヒーを。これだけ食べて飲んだのを全部含めて二人で25ユーロ。素朴なルーマニア料理は全てここのホテルのおばちゃんの手作りで、非常に美味しかった。
食堂には大きなテレビが置かれていた。ルーマニアの黒海沿岸は、この頃そこそこの暑さだった。
こうして一日目が暮れていった。
聖ゲオルゲ川沿岸の景色 [ルーマニア・ドブロジャ地方・観光編]
5月22~24日のルーマニア・ドブロジャ地方の旅行記は、まだまだ続く。本日よりようやく2日目。ゆっくりおつきあいくださいませ。
2日目、まずは一泊したトゥルチャを後にし、ドナウ河がデルタ地帯で3つに別れた川の一つ、最も南の聖ゲオルゲ川沿岸を東へドライブ。
今、トゥルチャから14キロ来たところ。
たぶん、この辺だと思う・・・
新しい建物と古い建物と。
どうもサマーハウスを造っているみたい。そのうちこの辺りも観光客だらけになるのかな。
こんなアンテナも。
ちょっとカメラ遊び。
ここはヒナゲシの花が群生。
ちょっと曇りのスタートだけど、ああ、気持ちいい~♪
ドライブはまだまだ続く。
マハムディア [ルーマニア・ドブロジャ地方・観光編]
聖ゲオルゲ川の河畔に沿った道を東へ東へ辿ってきたが、マハムディアという町で行き止まり。この町の名前から、ここの文化の複雑さが垣間見られる。
↑この人々は観光客。これからボートくだりを楽しむのだろう。
Google Map上でも位置がどうもハッキリしないほど小さいこの町にはホテルもあって、こんな遊歩道もある。
でも、町自体はこんなところ。質素で半分崩れたような家が非常に多かった。
野良さんも。
ドブロジャ地方は野良犬が非常に多かった。
ここから黒海までは船でしか行けない。いつか行ってみたいなあ。
足元にはカモミール。
対岸には・・・あれは何かしら。
鳥さんたちがにぎやかだった。
これでドナウ・デルタとはお別れ。いつかまたゆっくり来られますように。
そしてめぎたちは南下。
つづく。
ラズィン湖の近く [ルーマニア・ドブロジャ地方・観光編]
ドナウ・デルタ地帯を後に南下し始めためぎたち。牧草地や畑が多くなった。
馬で干し草を運ぶ人がいたり。
牧歌的な風景が広がってきたり。
黒海か?と思ったけど、それはまだ。これは黒海沿岸のラズィン湖。
湖の近くには小麦(?)畑。
その傍らのこの紫の花、綺麗♪
小麦も美しいなあ。
その他、道端の花。
この辺り、ロシア語でも地名が書かれていた。ロシア系の民族が多い地域なのだろう。
ヒストリア [ルーマニア・ドブロジャ地方・観光編]
この地図は、ルーマニアの黒海沿岸、ドブロジャ地方。
ドナウ河が大きく二つの分かれるところが、左上のトゥルチャ。めぎが船のホテルに泊まったところだ。そこから分かれた川のうち、下の川が聖ゲオルゲ河。その上は、中央横に走っているスリナ河を含め広大なドナウ・デルタ地帯。何度も同じことを書くけど、東京都の2倍もの広さがあるのだが、そこは湿原だから町が建設されず、自然がそのまま残ってきた。先日までめぎがドライブしていたのは、下の川のくるっとカーブしている辺りまで。2つの河の最終地点は右側の黒海。
その後南下し、大きな潟の下の方に位置するヒストリアというところへ。
そこには、こんな観光地化したスポットが。
ヒストリアは紀元前7世紀から紀元後7世紀までギリシアそしてローマの支配下で栄えた町なのだとか。その遺跡がこちら。
ここはテルメの跡。
このドアの奥にはどんな人が住んでいたのかしら。
かつては栄えた町も、今は野草でいっぱい。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ・・・
この平家物語の冒頭は、めぎがうちのドイツ人と共有できないものの一つ。彼は彼で、ラテン語の一節などはめぎとは共有できない。お互いその内容を説明はできるのだけど、この言葉の美しさやその言葉から沸き上がる感情まではけっして共有できない。自分の中の似たようなものに結びつけて想像するだけだ。
共有できるのは、こういうものを見つけた喜びと・・・
花の美しさや儚さなど。
そんなことを思いながら古の人々に思いを馳せていたら、古代人が蘇ってきた!?
・・・なんてことはもちろんないが、彼らはどこから何を運んできたのかしら・・・
行ってみましょ。続きは明日。
♪ おまけ ♪
ここにいたコウノトリさんたち。
黒海沿岸の潟 [ルーマニア・ドブロジャ地方・観光編]
昨日ご紹介した人たちがやってきた方へ行ってみると・・・
水辺の植物がいっぱいあって・・・
そして、海が!
あの人達は、海から何かとってきたのかしら。でも、船はないし、いったい何を??それはナゾのまま。
わーい、黒海だ~♪
と言っても、正確にはここは黒海ではなく沿岸の潟。北海道のサロマ湖みたいな湖で、海とつながっている塩湖。名前はLacul Sinoie(シノワエ湖と読むのかしら?)というらしい。
ところで潟はドイツ語でHaff(ハフ)というのだとか。めぎはドイツ語を習い始めて今年で14年目、ドイツ語を専門としてから13年目、24時間ドイツ語の生活になってからまもなく8年目に入るのだが、未だ知らない単語がたくさんあって、毎日なにかしら新しい単語を聞く。こうして休暇中も常にお勉強。きっと一生ドイツ語の修行が続くんだろうな。
それはさておき、潟と言えどもほとんど黒海のようなものよね~と手を触れて喜んだめぎ。ずっとずっと昔、黒海という言葉を初めて聞いた頃、まさか自分がいつか黒海へ来るとは想像だにできなかった。人生とは全く分からない。
黒海の水中の赤い石は、古代ローマの遺跡に使われた煉瓦の破片だろう。きゃあ♡ロマンだわ~とお土産にいくつか拾ったのだが、残念ながらレンタカーの床に置いたまま忘れてきてしまった・・・あああああ。
またいつか、ここへ来たいなあ、と思いつつ・・・
こんな道をコウノトリさんの方へ戻ると・・・
こんなお方もおられました♪
遺跡の入り口近くには、白い藤のような花が。
これから遺跡見学に行こうとしていたこのグループは、彼らの話していたドイツ語方言から、スイス人御一行様と判明。いってらっしゃいませ~
駐車場には小さなカフェがあって、見学旅行中らしい子ども達も。
入り口は暑いので開け放たれ、蚊よけのすだれが。
中から見るとなかなか風流。
アジア的な雰囲気ですねえ。
ここで、コーヒーの他にコーラ、ポテトチップス、ひまわりの種などをお昼代わりに。
そして、めぎたちは二日目の宿を探してさらに南下、黒海沿岸へ向かった。
宿探し [ルーマニア・ドブロジャ地方・観光編]
現在、ドナウ・デルタ地帯から南下して、宿探し中。まずはママイアというリゾート地を通過。
↑この地図を見ると、ママイアというリゾートビーチが潟湖と外海とを隔てる砂州であることが分かる。砂州はドイツ語でNehrung(ネールンク)というのだとか。
砂州をまっすぐ突っ切るこの大きな幹線道路に沿って大型ホテルが建ち並び、その向こうにビーチがあるはず。
こんなゴンドラが町の南から町の中心部へ。
そしてこんな人たちが歩いていた。
さっきまでの貧しい村の風景とのなんという違いかしら。
そこからほんの5キロ南下すると、ドブロジャ地方最大の町、コンスタンツァ。
↑前の車はダチア。こんな新しいのもあるのね。ルーマニア車、ダチアについてはこちらをどうぞ。
コンスタンツァは以前にご紹介したので、詳しくはこちらをどうぞ。港町として今もバリバリに現役機能しているが、非常に寂れた印象だった。
ここからはもう、イスタンブールが近いのですねえ。
さて、めぎたちは居心地の良い小さなホテルを探してさらに南下。エフォリエ・スードというところで探したのだが・・・
たいていのホテルが6月中旬のオープンだとか。5月はまだシーズン・オフでお休み中または改装中だった。
こぢんまりとした雰囲気が気に入ったのに、がっかり~
で、これ以上南下すると次の日のブカレスト発の飛行機の時間が気になるめぎたちは南下を断念、ちょっと北へ戻って、エフォリエ・ノルドというリゾートへ。そこは上記のママイアに次ぐ大きなリゾートということであまり気乗りがしなかったのだけど、ドライブも疲れたし、おなかすいたし・・・
ということで、エフォリエ・ノルドに入って最初に見つけたこのホテルへ直行。運良く英語が話せる人が一人だけいた。やった~ようやく話が通じるわ。
一泊一室45ユーロ。
バスタブ付き♪
窓からはビーチが見えるし、さくっと決定。
いよいよ念願の黒海へ♪
黒海のリゾート [ルーマニア・ドブロジャ地方・観光編]
ここは、黒海のリゾート、エフォリエ・ノルドの海岸。
あかちゃんのむちむちしたおしりはホントに可愛い♪
海水浴を楽しんでいた姉妹。
こういうところで休暇を過ごしているのは、ブカレスト市民が多いのだとか。ルーマニアの人々の暮らしには相当な格差がありそう。
おなかの空いていためぎたちは、ちょっとだけ海で遊んで、すぐに夕飯へ。なにしろお昼はコーラとポテトチップスとひまわりの種だけだったから。ホテル前の簡単なセルフサービスの店で、まずは乾杯♪
揚げたてで美味しい♪
これは二人分。
ルーマニアの食事の味付けはなかなかに優しく、美味しかった。
食べたのはここの一階。
さて、夕暮れの海を見に行きましょ。
ずっと向こうに見えるのはコンスタンツァの港。
暗くなったら野良さんがやってきた。
一日曇り空だったが、ここで綺麗な夕焼けを見ることができて満足。
そろそろ明日に備えて休みましょ。
♪ おまけ ♪
これはルーマニアの通貨、レイ。
50レイは12ユーロくらい。日本円では1600円くらい。これがいつかはユーロに統一されるのだろう。
黒海の朝 [ルーマニア・ドブロジャ地方・観光編]
Lieber Cornelis, herzlichen Glückwunsch zum Geburtstag!
(コルネリスさん、誕生日おめでとう・・・今日はめぎとうちのドイツ人の友人で、タイ在住のオランダ人の72回目の誕生日。彼は、以前にも書いたが、日本語が分からないのにめぎのブログを毎日見てヨーロッパを懐かしんでいるのだとか。)
黒海のリゾートで一夜明け、翌朝は素晴らしい天気だった。
お風呂場から見えるこの雑然とした景色も、朝の光を浴びるとすごく綺麗。
あ、もう散歩している人が。めぎも行こうっと♪
野良さん、おはよ♪
鳥さん、おはよ♪
鳥さんたち、もうこんなに散歩したのね。
くらげさん、おはよ♪
気持ちいい~~~~♪
ああ、海っていいなあ。
振り返るとこんな感じ。
あら、ちょっと雲が。
今日は結構な波ですねえ。
波って、いくら見ていても飽きない・・・
そろそろブカレストへ戻らなきゃ。黒海、さようなら。
ブカレストへ [ルーマニア・ドブロジャ地方・観光編]
長閑なドブロジャ地方に別れを告げて・・・
ひたすら西へ進むと・・・
ルーマニアの首都・ブカレスト。目指す建物が見えてきた。
そう、国民の館。
これは、故チャウシェスク大統領が建てた巨大な宮殿。世界中の官庁や宮殿などの建物の中で、アメリカ国防省ペンタゴンに次ぐ大きさだとか。部屋数は3107、約1500億円かかったらしい。ルーマニアの端っこではあんなに貧しい人たちがいるのに。現在は、各政党のオフィスや国際会議、コンサートなどに使われているそうだ。
駐車場らしきこの広場の広さから、この大きさが少しは伝わるかしら。
ここへ延びる大通りは4㎞も。
旧市街の史跡を取り壊してシャンゼリゼを模倣して作られたというこの大通りは、見かけが非常に豪華。
こんなおねえさんたちが歩いていたり。(頭切れちゃったけど)
これだけ見ると、ベルリンと大差ない感じ。でも、現実は、日曜日だというのに人通りが非常に少なく、閑散としていてゴーストタウンのようだった。
それにしても新しい綺麗な車は多いし、建物もそこそこ綺麗な中心部。首都だけ見てルーマニアの現状を推し量ることは全くできないなあ、とつくづく。
ルーマニアのお話は、次回が最終回。
ブカレストで旅の最後に見たもの [ルーマニア・ドブロジャ地方・観光編]
国民の館以外に観光の目的がなかっためぎたちは、飛行機の時間までブカレストをちょっとドライブ。
こういうおうちに住んでいるのね。
5月でも30℃以上だったこの日、人々は軽装だった。
ブカレストは電線がいっぱい。
主な企業も進出済み。(フロントガラス越しなのでゴースト付き)
タクシーは鮮やかな黄色。
最後に、街角の適当なカフェでお昼を。
食べたのはオムレツ。上にかかっている白いのはヒツジのチーズ。赤いのはパプリカ。
ルーマニアのオレンジジュースは常に生ジュースでとても美味しかった。
食べているときに、物乞いの少年がやってきた。めぎたちは、一瞬迷ったけれど、スリかも知れないと思って何もあげなかった。でも、その少年の、飢えたように羨ましそうにオムレツを見た目を、うちのドイツ人は忘れられないという。
めぎたちにとっては難なく払える値段のこの食事。大きくて食べきれないほどだったこのオムレツは中にキノコやベーコンなどの具も入っていて12レイ(=約4ユーロ=約540円)くらいだったと記憶している。あの少年は、12レイで3日間くらい食べられたのかも知れない。ほんのちょっとでもお金をあげるべきだったのか否か。
お金をあげても根本的にはなんの解決にもならない。本当にその少年を助けたかったら、究極を言えばドイツに連れ帰って育てるしかない。それができない以上は、何もせず、自力で奮起するのを促した方がいいのでは。ほんの少しの施しで満足するのは先進国の人間の驕りではないだろうか。
でも、たいした金持ちじゃなくても今日のパンの分くらいは援助できるのが先進国側の人間。それもしないであの少年が飢えている横で食べきれなくて残してしまうなんて・・・自力で奮起せよなどと言うのも先進国側の驕りかも。
人として、どちらが倫理的に正しいのだろう。あれから何度も繰り返しめぎとうちのドイツ人との間で議論したこの問題、我々にも答えは出ないのだが、みなさんはどうお考えになります?
そんな宿題を背負って、ブカレストを後にした。またそのうちに、きっとルーマニアに来よう。
これで5月22~24日のルーマニア・ドブロジャ地方の旅行記がお仕舞い。皆様の長いおつきあいに感謝。
♪ おまけ ♪
飛行機から見えたルーマニアのカルパチア山脈。いつか山の方にも行ってみたいなあ。