スロヴェニアへGO! [2022夏 スロヴェニア・ コニシツァ]
今日から、ザルツブルクの話と平行して、ザルツブルク滞在後に訪ねたスロヴェニア~クロアチアの話を始めようと思う。
スロヴェニアまでアウトバーンで行けるのだが、道子さん(Google Mapの日本語版のこと)が途中で下道に降りた方が早いと言うので(どうやら国境がアウトバーンの料金支払いなどで渋滞しているらしかった)、下道へ。

↑左下に見えるのは羊さん。
山がいっぱいのところ。

オーストリアのガソリン代。レギュラーに当たるのが上から2つ目のSuperで、1リットル1.949ユーロ=約269円(1ユーロ138円で換算)。

めぎたちは左のスロヴェニアへ向かう峠道へ。まっすぐ行くとイタリアへ通じているようだ。

さあ、曲がりますよ~

綺麗な山が見える。

峠道と言ってもとても整備されてて綺麗。

どんどん進む。

おお、人が歩いてる…

ここはバイクが多かった。

自転車も結構いた。すごいな~こんなところを登ってくるなんて。

登りもかなりの勾配だったのだが、今めぎたちは降りていくところ。ものすごくジグザグになって降りていく。

ドロミティかな、美しい高い山並みが見えた。

峠道の国境はここ。アウトバーンA11は右側にしばらくスクロールすると見えてくる。
スロヴェニアまでアウトバーンで行けるのだが、道子さん(Google Mapの日本語版のこと)が途中で下道に降りた方が早いと言うので(どうやら国境がアウトバーンの料金支払いなどで渋滞しているらしかった)、下道へ。
↑左下に見えるのは羊さん。
山がいっぱいのところ。
オーストリアのガソリン代。レギュラーに当たるのが上から2つ目のSuperで、1リットル1.949ユーロ=約269円(1ユーロ138円で換算)。
めぎたちは左のスロヴェニアへ向かう峠道へ。まっすぐ行くとイタリアへ通じているようだ。
さあ、曲がりますよ~
綺麗な山が見える。
峠道と言ってもとても整備されてて綺麗。
どんどん進む。
おお、人が歩いてる…
ここはバイクが多かった。
自転車も結構いた。すごいな~こんなところを登ってくるなんて。
登りもかなりの勾配だったのだが、今めぎたちは降りていくところ。ものすごくジグザグになって降りていく。
ドロミティかな、美しい高い山並みが見えた。
峠道の国境はここ。アウトバーンA11は右側にしばらくスクロールすると見えてくる。
スロヴェニアを走る [2022夏 スロヴェニア・ コニシツァ]
現在数日おきに、スロヴェニアのコニシツァを訪ねた話を連載中。
スロヴェニアに入り、サヴァ川を渡る。

こんなところを走った。

右下に写っているものは何だろう、雪除け?などと思っていたら、干し草を干すものだった。

しばらく走り、アウトバーンに戻る。リブリャナ方面へ。

スロヴェニアは小さく、オーストリアとの国境付近から国の中央にある首都リュブリャナまで59キロほど。

リュブリャナの手前でアウトバーンを降り…

108号線で東へ向かう。

ずっとサヴァ川と平行して走っていく。

あ、電車もある!

そして、やっと目的地の隣町まで来た。ここでサヴァ川を渡った。

↑上の場所はこの町。108号線が川を渡っているところ。めぎたちは地図で言えば上から下へ渡っている。数回マイナスをクリックすると左にリュブリャナが見え、そこから左上へスクロールすると、めぎたちが通ってきた山やサヴァ川の上流やアウトバーンE61やオーストリアとの国境がある。今日の記事の一枚目の写真を撮ったのが11時ちょっと前で、最後の写真は12時40分頃。距離としてはそんなに遠くないのだが、峠道や下道は時間がかかるわね。
スロヴェニアに入り、サヴァ川を渡る。
こんなところを走った。
右下に写っているものは何だろう、雪除け?などと思っていたら、干し草を干すものだった。
しばらく走り、アウトバーンに戻る。リブリャナ方面へ。
スロヴェニアは小さく、オーストリアとの国境付近から国の中央にある首都リュブリャナまで59キロほど。
リュブリャナの手前でアウトバーンを降り…
108号線で東へ向かう。
ずっとサヴァ川と平行して走っていく。
あ、電車もある!
そして、やっと目的地の隣町まで来た。ここでサヴァ川を渡った。
↑上の場所はこの町。108号線が川を渡っているところ。めぎたちは地図で言えば上から下へ渡っている。数回マイナスをクリックすると左にリュブリャナが見え、そこから左上へスクロールすると、めぎたちが通ってきた山やサヴァ川の上流やアウトバーンE61やオーストリアとの国境がある。今日の記事の一枚目の写真を撮ったのが11時ちょっと前で、最後の写真は12時40分頃。距離としてはそんなに遠くないのだが、峠道や下道は時間がかかるわね。
最後の15㎞ほど [2022夏 スロヴェニア・ コニシツァ]
現在数日おきに、スロヴェニアのコニシツァの話を連載中。
先日の場所Litijaというところから目的地のKonjšica(コニシツァ)まで、あと15キロほど。まず108号線はこんな山道になる。

やっと108号線を降りるところまで来た。曲がるとこんなのが見えて…

小さな教会があった。

場所はここ。
それから干し草の倉庫の前を通り…

しばらくRenkeという山道を走る。



ノロノロ運転を続け、やっとこの表示が!

はい、こっちですよ~

お邪魔します~~

車にも人にも出会わなかったが、この村は2021年時点で人口113人とのこと。

今日の一枚目の写真の撮影が12時40分頃で、そこから約15㎞走って、最後の写真は13時。車で隣町まで20分かかるってことね。ザルツブルクから約350㎞、8時過ぎに出発して約5時間。
きましたよ~~
先日の場所Litijaというところから目的地のKonjšica(コニシツァ)まで、あと15キロほど。まず108号線はこんな山道になる。
やっと108号線を降りるところまで来た。曲がるとこんなのが見えて…
小さな教会があった。
場所はここ。
それから干し草の倉庫の前を通り…
しばらくRenkeという山道を走る。
ノロノロ運転を続け、やっとこの表示が!
はい、こっちですよ~
お邪魔します~~
車にも人にも出会わなかったが、この村は2021年時点で人口113人とのこと。
今日の一枚目の写真の撮影が12時40分頃で、そこから約15㎞走って、最後の写真は13時。車で隣町まで20分かかるってことね。ザルツブルクから約350㎞、8時過ぎに出発して約5時間。
きましたよ~~
カルロス・クライバーのお墓を訪ねて [2022夏 スロヴェニア・ コニシツァ]
現在数日おきに、スロヴェニアのコニシツァの話を連載中。
長々と走ってやってきた目的地はここ。

クライバー夫妻のお墓だが、先に亡くなったのは7年も若い奥さんの方で、その下に奥さんの死後約半年後に亡くなったカルロスの文字が刻まれている。その下は空白になっているから、いつか子孫の方の文字が刻まれるのかもしれない。

カルロス・クライバーという指揮者を知っている人は、もう今は少し年上のクラシックファンに限られる。カラヤンと比べて…というか、比べられるものでもないけど、クライバー自身がカラヤンを崇拝していたようなので…音楽も追及したのだろうけど名声と自分の見た目もかなり大切にしたカラヤンと違って、天から遣わされたかのような無邪気な魂でただただ音楽そのものに寄り添っていて、拘ったらしい指揮の際の動きなどの見た目は自分をカッコよく見せるためではなく音楽のニュアンスを伝えるための表現手段として大切にし、理想とする音楽を奏でられる体力または精神力をもはや持っていないと悟ればもう人前にも出なくなり、とにかく音楽そのものと戯れていたような人。でも、なかなか指揮の仕事を引き受けなかった人で、残っている録画や録音も少ないし、かなりコアなファンを持ちつつも、今はもう忘れられつつある人である。生前は日本でもコンサートを実現し、熱狂的に迎えられたらしい。残念ながらめぎはそのライブは全く見ていない。
カルロス・クライバーをめぎがおおこれは!とはっきり意識したのは、残念ながらつい最近のことである(めぎは自分の人生に何の悔いも未練もないが、クライバーが生前のうちに彼のコンサートなりオペラなりを見ていなかったのは本当に残念に思う。でも、見ていたとしてもその当時はその価値が分からなかったはずで、理解できるようになった今だからこそクライバーに巡り合えたのだと思っている)。コロナ1年目の2020年の夏、どこにも行けずリビングの床の改装をしていた夏に、うちのドイツ人とシューベルトのシンフォニーをYouTubeでたくさん聞いた。その中にカルロス・クライバー指揮のがあって、ダントツに素晴らしかったのだ。シューベルトってこんなに素晴らしかったのね、と目から鱗が落ちる演奏で、それを実現した指揮者に興味を持って調べていき、大好きなオペラ「薔薇の騎士」の指揮が映像に残っていたということもあり、ありとあらゆる映像を見た。と言っても数は限られているのだ…上にも書いたように、彼はなかなか指揮を引き受けなかったし、録音や録画も嫌がったらしいから。で、いろんな伝説がある中で、このドキュメンタリーを見つけ、クライバーが晩年を過ごしたという奥さんの所縁の地を知り、あ、ここに行きたい!とコニシツァ行きを決めたのだった。クライバーがどんな思いでミュンヘンからコニシツァまで車を走らせたのか、ミュンヘンからではないがそのすぐそばのザルツブルクからその道を辿って、追体験してみたかった。今回、例えばドキュメンタリーの5分35秒のところから6分50秒ぐらいまでの道路から遠くに山の風景が見えるところで、同じ道を車を走らせながらクライバーの心中を色々と想像したし、1時間4分18秒ぐらいから1時間6分ぐらいまでの村の風景も、同じものを目にして本当に感動した。このドキュメンタリーはブログに埋め込んでもそこでは再生できずYouTubeの画面でのみ開けるようになっているのでリンクしかつけないが、英語字幕を日本語字幕に替えられるので、(訳にはかなり間違いもあるが…これじゃ何の話か分からなくなるよなあと思うものも多いが…例えば指揮台を表彰台と訳してたりするが、それでも)よかったらぜひどうぞ。ドイツ語の分かる方はぜひそのままどうぞ。
ビデオを見てから2年経って、やっと実現したコニシツァ行き。先に見つけたのは、奥さんの実家の人たちのお墓。

クライバーのお墓は、教会の裏側で、使われなくなった倉庫のような建物の屋根が視界を遮っててお世辞にも見晴らしもよくない場所に立っていた。

世界的に有名な伝説の指揮者のお墓がこんなところにあるなんてね。

とっても小さな村の、とっても小さな教会の周りにあるとっても小さな墓地の中に、他と比べて割と小さめな墓石で立っているのだ。

ね、他の墓石の方が立派でしょ。

クライバーの奥さんはこの辺りの出身らしいが、彼女がクライバーと出会ったのはデュッセルドルフで、クライバーがデュッセルドルフのオペラ座で仕事をしていた頃。彼女はダンサーとしてオペラ座にいたらしい。その同じ時期、実は、うちのドイツ人の父親も同じデュッセルドルフのオペラ座で歌手として仕事していた。めぎたちがそのことを知った時にはもう父親は亡くなっていたので、うちのドイツ人としては、もし生きていたらクライバーがどんな人だったか、どんな仕事ぶりだったか、どんな交流をしたか、奥さんはどんな風に踊ったか等々聞けたのにと、とっても残念がっている。めぎとしてもとても残念だけど、クライバーがその昔数年デュッセルドルフに住んでいたなんて、それはなんだかちょっと嬉しい…
さて、ここに来たらコニシツァの村も散策してみようかと思っていたが、このお墓を見ただけで感無量で、あとはどうでもよくなってしまった。

だから、お墓以外にほとんど何も撮っていない。お墓でしばらく過ごして、クライバーのここでの生活に思いを馳せた。彼は世界を知っていながら…日本はもちろん、アルゼンチンにもいたのに、オーストリア国籍も持っていたのに、愛した場所と言うか、終の棲家として籠ったのがスロヴェニアのこんな田舎だとは…最後に仕事をしていたミュンヘンとかウィーンには割と近いとはいえ、オペラやコンサートを引き受けてここから出ていく時、どんな思いを抱いていたのだろう。自給自足かと思うような場所から、文化の結晶のようなオペラやコンサートの場へ、熱狂的ファンの拍手喝采のスポットライトの中心へ。娑婆に出ていくというか、別世界に行くというか、なんと形容してよいか思いつかない。でも、彼の中の音楽を実現できるところは、オーケストラのあるオペラ座やコンサートホール以外になかったのだ。その一方で、どこの音楽祭で何の指揮をしたというような名声は彼にはどうでもよく、一度しっかりお金を稼げば(そのお金稼ぎの場として上のリンクのビデオでは日本公演が言及されている)、そのお金で何年も田舎に篭って生きていたらしい。だから、お金がなくなったら指揮を引き受ける人、とも揶揄されたりしているが、真相はともかく、彼は田舎に籠って慎ましく暮らせる人で、次から次へと仕事を引き受けてどんどん儲けるタイプではなかったことは事実である。
そして、死んでしまっては、誰も同じ。カルロス・クライバーも、その他の名もない人々もみな同じ。死後20年近くもなれば誰が訪ねてくるわけでもなく、こんな田舎にあるとなっては場所すら忘れられていきそうだ。お墓の世話は恐らく所縁の人たちがまだお金を払ってやってもらっているのだろうが、ここに来る道路だってたいして整備されている様子もなかったし、今頃訪ねてくる人なんて年にそうもいないのだろうな。それに、そもそもこの村の人たちやクライバーゆかりの人たちは、クライバーを使って村おこし、というようなつもりもないのだろう。

近くに記念館があるらしいが、オフィシャルホームページもなく英語の案内があるわけでもなく、事前に連絡を取らなければ入れないそうだし、今も開いているのかどうかもわからず、今回はこの場所に行ければいいと思って連絡を取らなかった。

クライバーに興味のある方は、下のリンクをどうぞ。短いものがよろしければこちら、日本でのコンサートのアンコール。
最も面白いのは彼のリハーサル。日本語字幕付き。
彼がおそらく最も愛し、最もたくさん公演をしたオペラ「薔薇の騎士」。日本語字幕付き。同じ演出家によるほぼ同じ演出のウィーン版(94年)もあるが、めぎは古い方のこのミュンヘン版(79年)の方がエネルギッシュで配役も素晴らしくて好き。
その他、オペラではなく交響曲を聞きたい方は、例えばこちら。日本公演のもの。
めぎがクライバーに開眼したシューベルト「未完成」。これは映像は無く、音声のみ。
最後に、コアなファンはこういうのを見るというものを。バイロイトでトリスタンを指揮しているクライバーの、舞台上の歌手とスタッフ向けのモニターの録画。
長々と走ってやってきた目的地はここ。
クライバー夫妻のお墓だが、先に亡くなったのは7年も若い奥さんの方で、その下に奥さんの死後約半年後に亡くなったカルロスの文字が刻まれている。その下は空白になっているから、いつか子孫の方の文字が刻まれるのかもしれない。
カルロス・クライバーという指揮者を知っている人は、もう今は少し年上のクラシックファンに限られる。カラヤンと比べて…というか、比べられるものでもないけど、クライバー自身がカラヤンを崇拝していたようなので…音楽も追及したのだろうけど名声と自分の見た目もかなり大切にしたカラヤンと違って、天から遣わされたかのような無邪気な魂でただただ音楽そのものに寄り添っていて、拘ったらしい指揮の際の動きなどの見た目は自分をカッコよく見せるためではなく音楽のニュアンスを伝えるための表現手段として大切にし、理想とする音楽を奏でられる体力または精神力をもはや持っていないと悟ればもう人前にも出なくなり、とにかく音楽そのものと戯れていたような人。でも、なかなか指揮の仕事を引き受けなかった人で、残っている録画や録音も少ないし、かなりコアなファンを持ちつつも、今はもう忘れられつつある人である。生前は日本でもコンサートを実現し、熱狂的に迎えられたらしい。残念ながらめぎはそのライブは全く見ていない。
カルロス・クライバーをめぎがおおこれは!とはっきり意識したのは、残念ながらつい最近のことである(めぎは自分の人生に何の悔いも未練もないが、クライバーが生前のうちに彼のコンサートなりオペラなりを見ていなかったのは本当に残念に思う。でも、見ていたとしてもその当時はその価値が分からなかったはずで、理解できるようになった今だからこそクライバーに巡り合えたのだと思っている)。コロナ1年目の2020年の夏、どこにも行けずリビングの床の改装をしていた夏に、うちのドイツ人とシューベルトのシンフォニーをYouTubeでたくさん聞いた。その中にカルロス・クライバー指揮のがあって、ダントツに素晴らしかったのだ。シューベルトってこんなに素晴らしかったのね、と目から鱗が落ちる演奏で、それを実現した指揮者に興味を持って調べていき、大好きなオペラ「薔薇の騎士」の指揮が映像に残っていたということもあり、ありとあらゆる映像を見た。と言っても数は限られているのだ…上にも書いたように、彼はなかなか指揮を引き受けなかったし、録音や録画も嫌がったらしいから。で、いろんな伝説がある中で、このドキュメンタリーを見つけ、クライバーが晩年を過ごしたという奥さんの所縁の地を知り、あ、ここに行きたい!とコニシツァ行きを決めたのだった。クライバーがどんな思いでミュンヘンからコニシツァまで車を走らせたのか、ミュンヘンからではないがそのすぐそばのザルツブルクからその道を辿って、追体験してみたかった。今回、例えばドキュメンタリーの5分35秒のところから6分50秒ぐらいまでの道路から遠くに山の風景が見えるところで、同じ道を車を走らせながらクライバーの心中を色々と想像したし、1時間4分18秒ぐらいから1時間6分ぐらいまでの村の風景も、同じものを目にして本当に感動した。このドキュメンタリーはブログに埋め込んでもそこでは再生できずYouTubeの画面でのみ開けるようになっているのでリンクしかつけないが、英語字幕を日本語字幕に替えられるので、(訳にはかなり間違いもあるが…これじゃ何の話か分からなくなるよなあと思うものも多いが…例えば指揮台を表彰台と訳してたりするが、それでも)よかったらぜひどうぞ。ドイツ語の分かる方はぜひそのままどうぞ。
ビデオを見てから2年経って、やっと実現したコニシツァ行き。先に見つけたのは、奥さんの実家の人たちのお墓。
クライバーのお墓は、教会の裏側で、使われなくなった倉庫のような建物の屋根が視界を遮っててお世辞にも見晴らしもよくない場所に立っていた。
世界的に有名な伝説の指揮者のお墓がこんなところにあるなんてね。
とっても小さな村の、とっても小さな教会の周りにあるとっても小さな墓地の中に、他と比べて割と小さめな墓石で立っているのだ。
ね、他の墓石の方が立派でしょ。
クライバーの奥さんはこの辺りの出身らしいが、彼女がクライバーと出会ったのはデュッセルドルフで、クライバーがデュッセルドルフのオペラ座で仕事をしていた頃。彼女はダンサーとしてオペラ座にいたらしい。その同じ時期、実は、うちのドイツ人の父親も同じデュッセルドルフのオペラ座で歌手として仕事していた。めぎたちがそのことを知った時にはもう父親は亡くなっていたので、うちのドイツ人としては、もし生きていたらクライバーがどんな人だったか、どんな仕事ぶりだったか、どんな交流をしたか、奥さんはどんな風に踊ったか等々聞けたのにと、とっても残念がっている。めぎとしてもとても残念だけど、クライバーがその昔数年デュッセルドルフに住んでいたなんて、それはなんだかちょっと嬉しい…
さて、ここに来たらコニシツァの村も散策してみようかと思っていたが、このお墓を見ただけで感無量で、あとはどうでもよくなってしまった。
だから、お墓以外にほとんど何も撮っていない。お墓でしばらく過ごして、クライバーのここでの生活に思いを馳せた。彼は世界を知っていながら…日本はもちろん、アルゼンチンにもいたのに、オーストリア国籍も持っていたのに、愛した場所と言うか、終の棲家として籠ったのがスロヴェニアのこんな田舎だとは…最後に仕事をしていたミュンヘンとかウィーンには割と近いとはいえ、オペラやコンサートを引き受けてここから出ていく時、どんな思いを抱いていたのだろう。自給自足かと思うような場所から、文化の結晶のようなオペラやコンサートの場へ、熱狂的ファンの拍手喝采のスポットライトの中心へ。娑婆に出ていくというか、別世界に行くというか、なんと形容してよいか思いつかない。でも、彼の中の音楽を実現できるところは、オーケストラのあるオペラ座やコンサートホール以外になかったのだ。その一方で、どこの音楽祭で何の指揮をしたというような名声は彼にはどうでもよく、一度しっかりお金を稼げば(そのお金稼ぎの場として上のリンクのビデオでは日本公演が言及されている)、そのお金で何年も田舎に篭って生きていたらしい。だから、お金がなくなったら指揮を引き受ける人、とも揶揄されたりしているが、真相はともかく、彼は田舎に籠って慎ましく暮らせる人で、次から次へと仕事を引き受けてどんどん儲けるタイプではなかったことは事実である。
そして、死んでしまっては、誰も同じ。カルロス・クライバーも、その他の名もない人々もみな同じ。死後20年近くもなれば誰が訪ねてくるわけでもなく、こんな田舎にあるとなっては場所すら忘れられていきそうだ。お墓の世話は恐らく所縁の人たちがまだお金を払ってやってもらっているのだろうが、ここに来る道路だってたいして整備されている様子もなかったし、今頃訪ねてくる人なんて年にそうもいないのだろうな。それに、そもそもこの村の人たちやクライバーゆかりの人たちは、クライバーを使って村おこし、というようなつもりもないのだろう。
近くに記念館があるらしいが、オフィシャルホームページもなく英語の案内があるわけでもなく、事前に連絡を取らなければ入れないそうだし、今も開いているのかどうかもわからず、今回はこの場所に行ければいいと思って連絡を取らなかった。
クライバーに興味のある方は、下のリンクをどうぞ。短いものがよろしければこちら、日本でのコンサートのアンコール。
最も面白いのは彼のリハーサル。日本語字幕付き。
彼がおそらく最も愛し、最もたくさん公演をしたオペラ「薔薇の騎士」。日本語字幕付き。同じ演出家によるほぼ同じ演出のウィーン版(94年)もあるが、めぎは古い方のこのミュンヘン版(79年)の方がエネルギッシュで配役も素晴らしくて好き。
その他、オペラではなく交響曲を聞きたい方は、例えばこちら。日本公演のもの。
めぎがクライバーに開眼したシューベルト「未完成」。これは映像は無く、音声のみ。
最後に、コアなファンはこういうのを見るというものを。バイロイトでトリスタンを指揮しているクライバーの、舞台上の歌手とスタッフ向けのモニターの録画。
コニシツァに別れを告げる [2022夏 スロヴェニア・ コニシツァ]
現在数日おきに、2022年夏にスロヴェニアのコニシツァを訪ねた話を連載中。
なぜコニシツァを訪ねたかと言えば、そこにあるカルロス・クライバーという指揮者のお墓があるから…という話は既に前回いっぱい書いた。

ほぼお墓しか撮っていないのだけど、そのお墓も本当に小さな墓地の中にあるので、似たような写真しかない。

墓地の外に出て、カルロス・クライバーのお墓が見える場所からもう一枚。

前回とほとんど同じ写真を再び載せて記事を書くことに何の意味があるのかと言えば、それはめぎの心の整理をつけるのに、どうにももう一回必要だから、というしかない。書くことはもう無いのだけど、ここにもう少し留まりたいのだ。
お墓のすぐ前には学校と思われる建物があった。バスケとサッカーができるところが併設されていた。荒れていないので現在も使われているようだ。一応この村、子どもがいるのね…

教会は閉まっていたので、中は残念ながらみられなかった。

これでめぎたちはここを後にした。

先日リンクを貼ったドキュメンタリーの1時間6分ぐらいのところからこの景色が見える。カルロス・クライバーはミュンヘンから6時間ぐらいかけてここまで戻ってきて、何を思っていたのだろう。

上のリンク先で字幕を日本語にするには、皆様のブラウザでどういう表記なのか分からないので言葉が違うかもしれないが、右から4つ目の「設定」マークをクリックし、次に上から3つめの「字幕」(もしドイツ語表記ならUntertitel)をクリックし、次に「英語」(Englisch)の下の「自動翻訳する」(Automatisch übersetzen)をクリックすると、たくさんの言語の中から日本語を選択できる。
なぜコニシツァを訪ねたかと言えば、そこにあるカルロス・クライバーという指揮者のお墓があるから…という話は既に前回いっぱい書いた。
ほぼお墓しか撮っていないのだけど、そのお墓も本当に小さな墓地の中にあるので、似たような写真しかない。
墓地の外に出て、カルロス・クライバーのお墓が見える場所からもう一枚。
前回とほとんど同じ写真を再び載せて記事を書くことに何の意味があるのかと言えば、それはめぎの心の整理をつけるのに、どうにももう一回必要だから、というしかない。書くことはもう無いのだけど、ここにもう少し留まりたいのだ。
お墓のすぐ前には学校と思われる建物があった。バスケとサッカーができるところが併設されていた。荒れていないので現在も使われているようだ。一応この村、子どもがいるのね…
教会は閉まっていたので、中は残念ながらみられなかった。
これでめぎたちはここを後にした。
先日リンクを貼ったドキュメンタリーの1時間6分ぐらいのところからこの景色が見える。カルロス・クライバーはミュンヘンから6時間ぐらいかけてここまで戻ってきて、何を思っていたのだろう。
上のリンク先で字幕を日本語にするには、皆様のブラウザでどういう表記なのか分からないので言葉が違うかもしれないが、右から4つ目の「設定」マークをクリックし、次に上から3つめの「字幕」(もしドイツ語表記ならUntertitel)をクリックし、次に「英語」(Englisch)の下の「自動翻訳する」(Automatisch übersetzen)をクリックすると、たくさんの言語の中から日本語を選択できる。
スロヴェニアを去る [2022夏 スロヴェニア・ コニシツァ]
現在数日おきに、2022年夏のスロヴェニアの話を連載中。
スロヴェニアのコニシツァにカルロス・クライバーのお墓を訪ねためぎたちは、また元来た道を戻り始めた。まず、一番近いRenkeという集落のところまで戻り…

行きに気になっていたこの干し草倉庫を車を降りて見学。

ほう~

結構大きい。

干し草いっぱい詰まってるようだった。

そのすぐ近くに、綺麗な川とこんなのがあった。水がとても冷たくて気持ちよかった。ちょっと宗教的な言い方をするとお墓参りの汚れを落とすような、そんな感じだった。

場所はこちら。主要道路に戻る地点で、コニシツァというバス停もここにあるようだ。ということは、コニシツァに公共交通機関で行きたい人は、ここで降りて後はあの山道を歩くしかないってことかな…?
その後ちょこっと走って、もう一か所ちょっと気になっていた場所で小休止。

川の名前はSavaという。

ここで小休止したのは、この橋が素敵だったから。ここもひんやりとした風が吹いて気持ちがよく、お墓参りの気分から次の目的地への頭の切り替えができた。

場所はこちら。
橋の向こうに村があり、住民は車でこの橋を渡っていいようだったが、めぎたちはダメ。村にはちょうど駅もあるようで、電車の音も聞こえた。

それから近くのちょっと大きめの街でガソリンを入れた。

スロヴェニアのレギュラーのお値段は、1リットル1.62ユーロ(約219円)。日本と比べたらかなり高いのだろうが、ドイツやオーストリアと比べるとかなりお安い。

そうそう、めぎの感覚では、1ユーロは135~145円ぐらいが妥当と思う。100円という感じはしない。と言っても、もう長いこと…20年も日本に住んでいないし、そもそも長いこと…もう6年近く日本に行ってないので、日本の100円の価値がどの程度なのか感覚としてもうよく分からないのだが、1ユーロってめぎの思う100円より結構重みがあるというのが、めぎの実感。今、100円で何が買えるのかな。めぎがよく買うものとしては、現在パン屋さんのフランスパン(二人で朝と昼に食べる感じで1.5~2日分ぐらいの大きさ)が1.35ユーロ。それ、コロナ前は1.05ユーロだったんだけど。
それからめぎたちはクロアチアへ向かった。HR(標識、見えるかな)というのがクロアチアのこと。

だから、この夏のスロヴェニアの話はこれにて終了。
スロヴェニアのコニシツァにカルロス・クライバーのお墓を訪ねためぎたちは、また元来た道を戻り始めた。まず、一番近いRenkeという集落のところまで戻り…
行きに気になっていたこの干し草倉庫を車を降りて見学。
ほう~
結構大きい。
干し草いっぱい詰まってるようだった。
そのすぐ近くに、綺麗な川とこんなのがあった。水がとても冷たくて気持ちよかった。ちょっと宗教的な言い方をするとお墓参りの汚れを落とすような、そんな感じだった。
場所はこちら。主要道路に戻る地点で、コニシツァというバス停もここにあるようだ。ということは、コニシツァに公共交通機関で行きたい人は、ここで降りて後はあの山道を歩くしかないってことかな…?
その後ちょこっと走って、もう一か所ちょっと気になっていた場所で小休止。
川の名前はSavaという。
ここで小休止したのは、この橋が素敵だったから。ここもひんやりとした風が吹いて気持ちがよく、お墓参りの気分から次の目的地への頭の切り替えができた。
場所はこちら。
橋の向こうに村があり、住民は車でこの橋を渡っていいようだったが、めぎたちはダメ。村にはちょうど駅もあるようで、電車の音も聞こえた。
それから近くのちょっと大きめの街でガソリンを入れた。
スロヴェニアのレギュラーのお値段は、1リットル1.62ユーロ(約219円)。日本と比べたらかなり高いのだろうが、ドイツやオーストリアと比べるとかなりお安い。
そうそう、めぎの感覚では、1ユーロは135~145円ぐらいが妥当と思う。100円という感じはしない。と言っても、もう長いこと…20年も日本に住んでいないし、そもそも長いこと…もう6年近く日本に行ってないので、日本の100円の価値がどの程度なのか感覚としてもうよく分からないのだが、1ユーロってめぎの思う100円より結構重みがあるというのが、めぎの実感。今、100円で何が買えるのかな。めぎがよく買うものとしては、現在パン屋さんのフランスパン(二人で朝と昼に食べる感じで1.5~2日分ぐらいの大きさ)が1.35ユーロ。それ、コロナ前は1.05ユーロだったんだけど。
それからめぎたちはクロアチアへ向かった。HR(標識、見えるかな)というのがクロアチアのこと。
だから、この夏のスロヴェニアの話はこれにて終了。