フライブルクのミュンスター [シュヴァルツヴァルト]
ポーランド・チェコの旅行から無事に戻ってきました!ただいま~♪
・・・今日から仕事・・・早く寝なきゃ・・・
暑くて暑くて、でもクーラーが無くて、あっさりとしたものを食べたいけどどこに行ってもこってり料理ばかりで、最後には唯一美味しく感じられるのはザウアークラウトだけだった・・・帰ってきてから、とっておきの豆腐にこれまたとっておきのポン酢をかけて食べためぎでした。
さて、今回の休暇の旅行記はちょっとお待ちを。
とりあえずアルザスに続くドイツ・シュヴァルツヴァルト旅行記を続けます。
話は7月5日、アルザスでの一週間泊まり込みの仕事を終え、迎えにきたうちのドイツ人と週末旅行中。
この日は、アルザスから日帰りでドイツへ。ストラスブール近郊からフライブルクまで、車で1時間くらいだっただろうか。
ここは、フライブルクのマルティン塔へ続く通り。
そこから大聖堂ミュンスターまではすぐ。
ミュンスター前のカフェでクロワッサンとミルクコーヒーの朝食。そこからミュンスター前の市場の様子が見渡せる。民族衣装を着た女性も見えた。
ちょっとアルザスに似ているようで、ちょっと違う。
なにやら脚にまとわりついているドラゴン、なかなか愛嬌のある顔・・・
これをマルクト側から見ると、カフェの名前が見える。見えているところは2階。
マルクト(市場)はとてもにぎわっていた。
こういうの、なんかとっても魅力的。
おやつにサクランボを購入♪
さて、ミュンスターへ入りましょ。これが入り口。
お邪魔いたしますね。
中は、もうすぐミサの時間だったので、人がかなり集まってきていた。
こういうものがとても美しい。
蝋燭を灯して黙祷するうちのドイツ人。
彼は、どこの教会でも黙祷するわけではない。何か祈りたいことがあるときか、そこの教会に挨拶をしたいときだけ。
めぎが神社でお賽銭入れてお祈りするのと似ている・・・といつも思う。
ステンドグラスも綺麗だし、柱の彫刻も、いっぱいすぎないところが素敵。
オルガンも複数あって、豪華。
祭壇も立派。ここはかつてハプスブルク家の支配下にあった町。マリー・アントワネットがフランスへ入る直前、最後に立ち寄ったドイツ語圏の町だ。そんな品格が、大聖堂にも現れているように思う。
明日は大聖堂の塔の上へ。
・・・今日から仕事・・・早く寝なきゃ・・・
暑くて暑くて、でもクーラーが無くて、あっさりとしたものを食べたいけどどこに行ってもこってり料理ばかりで、最後には唯一美味しく感じられるのはザウアークラウトだけだった・・・帰ってきてから、とっておきの豆腐にこれまたとっておきのポン酢をかけて食べためぎでした。
さて、今回の休暇の旅行記はちょっとお待ちを。
とりあえずアルザスに続くドイツ・シュヴァルツヴァルト旅行記を続けます。
話は7月5日、アルザスでの一週間泊まり込みの仕事を終え、迎えにきたうちのドイツ人と週末旅行中。
この日は、アルザスから日帰りでドイツへ。ストラスブール近郊からフライブルクまで、車で1時間くらいだっただろうか。
ここは、フライブルクのマルティン塔へ続く通り。
そこから大聖堂ミュンスターまではすぐ。
ミュンスター前のカフェでクロワッサンとミルクコーヒーの朝食。そこからミュンスター前の市場の様子が見渡せる。民族衣装を着た女性も見えた。
ちょっとアルザスに似ているようで、ちょっと違う。
なにやら脚にまとわりついているドラゴン、なかなか愛嬌のある顔・・・
これをマルクト側から見ると、カフェの名前が見える。見えているところは2階。
マルクト(市場)はとてもにぎわっていた。
こういうの、なんかとっても魅力的。
おやつにサクランボを購入♪
さて、ミュンスターへ入りましょ。これが入り口。
お邪魔いたしますね。
中は、もうすぐミサの時間だったので、人がかなり集まってきていた。
こういうものがとても美しい。
蝋燭を灯して黙祷するうちのドイツ人。
彼は、どこの教会でも黙祷するわけではない。何か祈りたいことがあるときか、そこの教会に挨拶をしたいときだけ。
めぎが神社でお賽銭入れてお祈りするのと似ている・・・といつも思う。
ステンドグラスも綺麗だし、柱の彫刻も、いっぱいすぎないところが素敵。
オルガンも複数あって、豪華。
祭壇も立派。ここはかつてハプスブルク家の支配下にあった町。マリー・アントワネットがフランスへ入る直前、最後に立ち寄ったドイツ語圏の町だ。そんな品格が、大聖堂にも現れているように思う。
明日は大聖堂の塔の上へ。
フライブルクの街並み [シュヴァルツヴァルト]
今、ポーランドを見てきてからアルザスやシュヴァルツヴァルトを見てみると、ここはなんて裕福なんだろう、と感じる。
豊かさというのは、やはり平和やゆとりや自由から生まれてくるものなんだろうな。
本日の記事の場所は、昨日に続き、フライブルク。7月5日の出来事。
大聖堂の端っこの高い塔の上から大聖堂の建物のもう片方の端っこの低い塔二つを眺める・・・
塔の上の風見鶏。
その向こうには黒い森。
下を見るとマルクトの人混みが。かなりズームアップして大写ししてみたが、実際は豆粒。
さっきお茶したカフェ。
こちらがマルティン塔で・・・
こちらがシュヴァーベン門。
そして、ずっと向こうにうっすらと見えるのがアルザス。
さて、景色も堪能したし、そろそろ降りましょ。
上りはものすごくしんどくて写真どころじゃなかったが、下りは余裕♪ ここはこんなに狭いが・・・
下に落ちそう~
途中階に、鐘の音をならすための時計の歯車が。
そんなミュンスターをあとにして歩いていたら・・・
きゃー♪もんちゃん♪
その近くには、カエルさんが泳げるように(?)運河も。
ランプが売られている店や・・・
中国っぽい日本ショップなども。
フライブルクではコーヒー飲んで大聖堂しか見てないが、お昼前にはここを発ち、うちのドイツ人がめぎをぜひ案内したいというところへ急いだのだった。
豊かさというのは、やはり平和やゆとりや自由から生まれてくるものなんだろうな。
本日の記事の場所は、昨日に続き、フライブルク。7月5日の出来事。
大聖堂の端っこの高い塔の上から大聖堂の建物のもう片方の端っこの低い塔二つを眺める・・・
塔の上の風見鶏。
その向こうには黒い森。
下を見るとマルクトの人混みが。かなりズームアップして大写ししてみたが、実際は豆粒。
さっきお茶したカフェ。
こちらがマルティン塔で・・・
こちらがシュヴァーベン門。
そして、ずっと向こうにうっすらと見えるのがアルザス。
さて、景色も堪能したし、そろそろ降りましょ。
上りはものすごくしんどくて写真どころじゃなかったが、下りは余裕♪ ここはこんなに狭いが・・・
下に落ちそう~
途中階に、鐘の音をならすための時計の歯車が。
そんなミュンスターをあとにして歩いていたら・・・
きゃー♪もんちゃん♪
その近くには、カエルさんが泳げるように(?)運河も。
ランプが売られている店や・・・
中国っぽい日本ショップなども。
フライブルクではコーヒー飲んで大聖堂しか見てないが、お昼前にはここを発ち、うちのドイツ人がめぎをぜひ案内したいというところへ急いだのだった。
ティティ湖 [シュヴァルツヴァルト]
ああ、ようやく週末・・・って、今週は二日間しか働いてないけど、やっぱり休暇ボケしててなかなかしんどかった。
東欧の話は数日後に。
今日も7月5日のお話。
フライブルクをあとにしためぎたちは、いよいよ黒い森へ。
岩の頂に十字架や・・・
大鹿がいたり・・・(これは作りモノ♪)
綺麗なせせらぎがあったり・・・
ジャンプ台があったり!
ティティ湖は、観光地♪
ボートに乗っている人もたくさん。
ぼくたちも。
シュヴァルツヴァルトの特徴的なおうちのからくり時計。
ティティ湖は本来、保養地。文字通りの意味の、本格的な保養地。だから、Kurhaus(クアハウス)がある。
このクアハウスにはお風呂があるわけではなく、ここにKur(クア)に来る人たちが退屈しないよう、バレエや演劇などを上演している。クアは、お風呂に入るクアではなく、森林浴や日光浴、夏ならティティ湖での水浴など。医者がティティ湖でクアをするように、という診断書を書くと、ここで数週間クアをするという仕組み。
さて、このティティ湖から車で10分程度のところに、Neustadt(ノイシュタット=新しい町)という町がある。
そこで、うちのドイツ人は30代後半を過ごした。あ、クアじゃないですよ~仕事で。今タイにいる友人も、ここにいた時代に出会った人なんだとか。
Lieber Cornelis, erinnerst du dich?
うちのドイツ人は、港町でプロテスタントで開放的な大都会のハンブルク育ち。そこから、カトリックで保守的で森に閉ざされた小さな保養地へ。カルチャーショックは相当大きかったらしい。仕事でも結構海外に行っていたようだけど、小さな町の暮らしは若かりし彼には退屈で、休暇を取ってはパリやら日本やらタイやら旅をしたそうだ。
ここへ来るのは彼も十数年ぶり。若き時代は過ぎ去ってしまったが、この町は今もその当時と変わらずにある。
東欧の話は数日後に。
今日も7月5日のお話。
フライブルクをあとにしためぎたちは、いよいよ黒い森へ。
岩の頂に十字架や・・・
大鹿がいたり・・・(これは作りモノ♪)
綺麗なせせらぎがあったり・・・
ジャンプ台があったり!
ティティ湖は、観光地♪
ボートに乗っている人もたくさん。
ぼくたちも。
シュヴァルツヴァルトの特徴的なおうちのからくり時計。
ティティ湖は本来、保養地。文字通りの意味の、本格的な保養地。だから、Kurhaus(クアハウス)がある。
このクアハウスにはお風呂があるわけではなく、ここにKur(クア)に来る人たちが退屈しないよう、バレエや演劇などを上演している。クアは、お風呂に入るクアではなく、森林浴や日光浴、夏ならティティ湖での水浴など。医者がティティ湖でクアをするように、という診断書を書くと、ここで数週間クアをするという仕組み。
さて、このティティ湖から車で10分程度のところに、Neustadt(ノイシュタット=新しい町)という町がある。
そこで、うちのドイツ人は30代後半を過ごした。あ、クアじゃないですよ~仕事で。今タイにいる友人も、ここにいた時代に出会った人なんだとか。
Lieber Cornelis, erinnerst du dich?
うちのドイツ人は、港町でプロテスタントで開放的な大都会のハンブルク育ち。そこから、カトリックで保守的で森に閉ざされた小さな保養地へ。カルチャーショックは相当大きかったらしい。仕事でも結構海外に行っていたようだけど、小さな町の暮らしは若かりし彼には退屈で、休暇を取ってはパリやら日本やらタイやら旅をしたそうだ。
ここへ来るのは彼も十数年ぶり。若き時代は過ぎ去ってしまったが、この町は今もその当時と変わらずにある。
シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ [シュヴァルツヴァルト]
今日の話も7月5日の出来事。
ティティ湖とうちのドイツ人の思い出の地を見たあと、そのあたりをドライブ。
昨日のからくり時計みたいなおうちがたくさん。
教会もそっくり。
カトリックですねえ。
ちょっと高台のいい景色が見渡せるところに、カフェが。
テラスからは綺麗な景色。
ここのお勧めは、Kirschwasser(キルシュヴァッサー)を使ったSchwarzwälder Kirschtorte(シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ)。絶品。
キルシュヴァッサーというのはサクランボの蒸留酒。40度とキツイ。シュヴァルツヴァルト名産のお酒だ。そのお酒をふんだんに使ったサクランボのケーキ。お酒風味、否、お酒プンプンなので、甘いモノ苦手のめぎでもぺろり。事前に「この日は絶対にケーキを食べる」「そこのケーキはものすごく美味しい」と何度も繰り返し言って洗脳し、朝クロワッサンを食べただけでここへ直行、お昼を兼ねる、そしてお酒風味・・・と、甘いものが苦手なめぎにケーキにつきあわせるうちのドイツ人の素晴らしい技・・・こうしてめぎは、彼に出会ってから5キロ太ったのであった・・・その後必死にそれを維持しているけど・・・パンにバターを塗らないなどの工夫をして。
そのテラス席から見えたこの車・・・なんかステキ♪
ティティ湖とうちのドイツ人の思い出の地を見たあと、そのあたりをドライブ。
昨日のからくり時計みたいなおうちがたくさん。
教会もそっくり。
カトリックですねえ。
ちょっと高台のいい景色が見渡せるところに、カフェが。
テラスからは綺麗な景色。
ここのお勧めは、Kirschwasser(キルシュヴァッサー)を使ったSchwarzwälder Kirschtorte(シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ)。絶品。
キルシュヴァッサーというのはサクランボの蒸留酒。40度とキツイ。シュヴァルツヴァルト名産のお酒だ。そのお酒をふんだんに使ったサクランボのケーキ。お酒風味、否、お酒プンプンなので、甘いモノ苦手のめぎでもぺろり。事前に「この日は絶対にケーキを食べる」「そこのケーキはものすごく美味しい」と何度も繰り返し言って洗脳し、朝クロワッサンを食べただけでここへ直行、お昼を兼ねる、そしてお酒風味・・・と、甘いものが苦手なめぎにケーキにつきあわせるうちのドイツ人の素晴らしい技・・・こうしてめぎは、彼に出会ってから5キロ太ったのであった・・・その後必死にそれを維持しているけど・・・パンにバターを塗らないなどの工夫をして。
そのテラス席から見えたこの車・・・なんかステキ♪
シュヴァルツヴァルトの景色1 [シュヴァルツヴァルト]
こちら、今日から新学期・・・ううううう。
大学は10月まで休みなのだが、それ以外の学校が始まるのだ。
お盆に学校って・・・未だどうも慣れない。ドイツの人たちには、夏に死者の供養って不思議!とよく言われるのだけど。普通の感覚では、光が無くなっていく11月や12月にあるべきものでは、と。
今日もまだ7月5日の話。あともうちょっと。
シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテを堪能しためぎたちは、ドライブを続行。
シュヴァルツヴァルトの中のステキなうねうね。
冬にはスキーもできるようだ。
もーもーさんたちも。
ここがうちのドイツ人が私に一番見せたかった場所。
この辺りに住んでいた頃、自転車でツーリングをしたりハイキングしたりして、ここを見つけたのだとか。
ティティ湖まで、写真ではちょっと分かりにくいけど、ずーっと見渡せる。飛んでいけそうな気分になる。
大学は10月まで休みなのだが、それ以外の学校が始まるのだ。
お盆に学校って・・・未だどうも慣れない。ドイツの人たちには、夏に死者の供養って不思議!とよく言われるのだけど。普通の感覚では、光が無くなっていく11月や12月にあるべきものでは、と。
今日もまだ7月5日の話。あともうちょっと。
シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテを堪能しためぎたちは、ドライブを続行。
シュヴァルツヴァルトの中のステキなうねうね。
冬にはスキーもできるようだ。
もーもーさんたちも。
ここがうちのドイツ人が私に一番見せたかった場所。
この辺りに住んでいた頃、自転車でツーリングをしたりハイキングしたりして、ここを見つけたのだとか。
ティティ湖まで、写真ではちょっと分かりにくいけど、ずーっと見渡せる。飛んでいけそうな気分になる。
シュヴァルツヴァルトの景色2 [シュヴァルツヴァルト]
新学期の授業初め、あーきつかったー・・・ドイツは始業式後すぐ授業が始まり、初日から絶好調に普段通り。
さて、今日で7月5日のお話はお仕舞い。
もう少し森の中へ入ってみると・・・
木がいっぱい!
なんか、芸術ですねえ。
この辺りで仕事をしているらしい。
ドライブ中も、あちこちで見かけた。
さて、、黒い森の上の方へのぼっていって見ると・・・
こんなのが立っていて・・・
その中が上れるようになっている。
上から見たノイシュタット。
上から見たティティ湖。
こうやって飛んでみたいですねえ。
シュヴァルツヴァルト・・・黒い森。さようなら。
ようやくアルザス~シュヴァルツヴァルトの話がこれにて終了。みなさまのおつきあいに感謝。
さて、今日で7月5日のお話はお仕舞い。
もう少し森の中へ入ってみると・・・
木がいっぱい!
なんか、芸術ですねえ。
この辺りで仕事をしているらしい。
ドライブ中も、あちこちで見かけた。
さて、、黒い森の上の方へのぼっていって見ると・・・
こんなのが立っていて・・・
その中が上れるようになっている。
上から見たノイシュタット。
上から見たティティ湖。
こうやって飛んでみたいですねえ。
シュヴァルツヴァルト・・・黒い森。さようなら。
ようやくアルザス~シュヴァルツヴァルトの話がこれにて終了。みなさまのおつきあいに感謝。
フライブルクのユースホステル [シュヴァルツヴァルト]
無事に出張から戻ってきました・・・温泉の話は写真の整理がついてから追い追いに。今日は出張先で撮ったユースホステルの写真を手短にご紹介。
このユースホステルの写真を見ただけでどこだか分かる方っていらっしゃるかしら・・・
ユースに泊まったことって、めぎのブログの読者の多くの方々にとっては一度も無いか、あってももう云十年前だったりするんじゃないかしら・・・ちなみにめぎがユースに泊まったのは、かなりいい歳になってからの2005年夏のイギリスのコーンウォールが初で(宿泊が当時のレートでは余りに高すぎて一週間泊まるにはユースが精一杯だった・・・いや、正確にはユースじゃなくてYMCAだったような記憶。その後海を渡ってフランスのブルターニュでは、同じ値段でホテルに泊まれたのが印象的だった)、その次が2006年夏のスイスの山。どちらも4~6人部屋をうちのドイツ人と二人使いした。今回のめぎにとって人生3回目のユースは、初のドイツ。場所はフライブルク。
フライブルクと言えば2008年夏に来たことがあって、そのときにこんな立派な大聖堂とこんな可愛い町並みを堪能したのだが、このユースはかなり町外れにあって、旧市街へ行くには車でも10分くらい。とても仕事の途中で散歩がてらに歩いては行けないところ。周りはこんな緑が広がる。
目の前にあるこの小川がいったい何というのかも確かめてこなかったが、この近くにはライン川が流れているので、たぶんこの川もラインへつながっているのだろう・・・そう思うと、ここをずっとずっと下っていくとデュッセルドルフに帰れるってことよね。
こんな堰(?)の横に・・・
ちゃんと魚が上れるような仕組みが作られていた。これ、ドイツ語でFischtreppe(=魚の階段)というんですって。魚が上っているのは見かけなかったが、カモが上っているのは見かけた。カモ、ここを飛ばずによっこいしょと泳いでのぼっていくの。写真を撮れなかったのが残念。
お父さんと子供たち・・・離婚家庭の週末の典型的パターンか、夏休みにお父さんと一週間、というのかな・・・とすぐに想像してしまうめぎ。
お母さんの自転車も見当たらないしね。
あ、あちらは夫婦と子供。夏の休暇かな。
こんな風にすぐに想像しちゃうのは、めぎの職業病なんだろうな・・・
川岸に可愛い花が色々咲いていた。
さて、ユースの中は、玄関を入るとこんな空間。ここは玄関ホールだけど、食事時には奥の台の上にサラダや果物やパンなどが並び、この右側にメインディッシュを配膳するコーナーがあり、左側には食堂がある。
外のテラスでも食べられるようになっている。めぎも外で食べたかったな・・・残念ながら同僚たちと食堂で歓談しながらの食事だったけど。
残念ながら食事の写真は一枚も撮影していないのだが、かなりびっくりの美味しさ。ユースだからと全然期待していなかった所為もあるけど、お魚が出たり美味しいお肉だったり、塩加減もなかなか良くて、下手なレストランよりも意外と美味しかったりして、と思うほど。
玄関ホールの奥から振り返るとこんな感じ。真ん中にエレベーター、その右に階段、左に玄関、そのまた左に受け付け。
階段も結構お洒落でしょ。
ユースって今時はこんなに綺麗なのね・・・
この写真は数日前にご紹介したのと同じ。部屋は今回二人部屋を一人使い。繰り返しになるけど、ユースの部屋にシャワーとトイレがついているなんて、もはやユースじゃないみたい・・・ユースらしいのはシーツと布団カバーを自分ですることと(貸し出しは無料)、タオルを有料で借りることくらいかしら。
部屋からの眺めは前回ご紹介した着いてすぐの撮影と違って、朝起きて撮影したもの。
こんな緑いっぱいのところで缶詰でお仕事・・・集中できるという意味で非常に良い環境だと言えるわね。フライブルクのお話はこれだけ。仕事後うちのドイツ人と合流して、帰りに温泉地に寄ったのだけど、そのお話は後日改めて。明日からは溜まっている写真の中から順番に。
ナーゴルトという町 [シュヴァルツヴァルト]
突っ走り続けた怒濤の日々を終え・・・
めぎはようやく夏休みに!踊りまくりたい気分♪
いや、その前にゆっくり寝たいけど。思いっきり寝坊したいわ。そして、どうでもいいDVDとか見て、時間をダラダラ過ごしたい。
今日から7月16~17日の二日間で訪れたシュヴァルツヴァルト(黒い森)地方の田舎のお話を。デュッセルドルフから片道480キロくらい。土日で往復するにはちょっと遠いが、学校の夏休みの時期はずらせないし、叔父の誕生日もずらせない。もう一週間後だったら夏休みでゆっくり旅ができたのになあ・・・
とにもかくにもその土日で訪れた場所はNagold(ナーゴルト)。人口2万2千人程度、シュヴァルツヴァルト北部、シュトゥットガルトの南西約4~50キロ、チュービンゲンの西約20キロ、ヘルマン・ヘッセの生まれた町カルフの近くに位置する小さな町。
場所はこちら。
中世の町並みが残る中心部。
木組みも美しいし・・・
看板も素敵。
何を売っているかよく分かるわね♪
土曜日の朝7時半に出発し、2度の休憩を挟んで到着したのが12時半頃。旧市街では土曜日の市がそろそろ店じまいを始めようとしているところだった。
まだ買い物中の人も結構いたけど。
お祭りかライブか何かあったようで、民族衣装を着た音楽隊がみんなでビールを飲んでいた。
建物が可愛いな~
お花も綺麗に飾ってあるし。
向こうに見える教会の塔みたいなのは、塔しか残っていない。
丘の上には古城跡が見える。
そんなナーゴルトに来たのは、ヘッセゆかりの地を訪ねるといった観光ではなく、既に書いたように叔父の70歳の誕生日に招かれたから。ドイツではこういう端数のない歳の誕生日にはちょっと大きなお祝いをするのが習慣なのだ。その叔父はうちのドイツ人の母親の弟で、ドイツが東西に分断された頃にザクセンからここへ移り住んだのだとか。つまり、うちのドイツ人の母方の家族の一部はシュヴァルツヴァルトに移り住み、今も妹(叔母)と弟(叔父)がここにいるのだ。どちらも連れ合いを既に亡くし、叔父はホームに、叔母はアパートに一人暮らし。ホームは見なかったけど、アパートの方は泊まらせてもらったのでそのうちにご紹介する予定。アパートと言ってもワンフロア全部が彼女の部屋で、リビングにダイニングにキッチン、寝室が二つ、バスルームとトイレが別々というずいぶん広い立派なところだったけど。ドイツでは親戚や友人の家に泊まらせてもらうのは非常によくあることだが、それはやはり広い住宅事情のおかげ。
その叔母の家からは旧市街が一望できる。
あの古城跡が目の前に。
ちょうど叔母の住むアパートは改装・外壁工事中で、せっかくの絶景に邪魔が入っているんだけど、全景はこんな感じなの。
シュヴァルツヴァルト(黒い森)地方ってなだらかな丘陵がうねうねと続いている。北ドイツの真っ平らな景色とはずいぶん違うでしょ。
明日はうちのドイツ人の思い出の場所をご紹介。
うちのドイツ人の思い出の地1 [シュヴァルツヴァルト]
夏休み初日のこの土曜日は、それほど寝坊をせず(8時半頃起床)、10時頃にうちのドイツ人につきあってホームセンターへ。彼は現在仕事部屋の洗面所のタイル張り替え中。その様子も一部写したのでリクエストにお応えしてそのうちにご紹介の予定。あ、でも、先週からその作業に取りかかっていたのだけど、めぎは出勤中だったから最初の部分は写してない。うちのドイツ人のDIYを早くご覧になりたい方は、左のカテゴリーの「めぎ家改装中」をどうぞ。
昨日から7月中旬のシュヴァルツヴァルトの話を連載中。今日はうちのドイツ人の思い出の地をどうぞ。
ここはナーゴルト川。
川岸を工事中だった。どうやら魚の階段を作っているみたい。
素敵なお家の後ろの山を登ると古城跡。でも、向かったのはそこじゃない。
向かったのは、この河畔にある小学校。
なんとここ、うちのドイツ人が小学校一年生に入学したところなのだとか。ここにいたのは半年だけで、その後ずっとハンブルクだったそうだけど、彼の入学式はこのナーゴルトだったのだ。校舎は綺麗に改装されていてあまり覚えがないそうだけど、辛うじて↑この煉瓦でできた段差の雰囲気をおぼろげに思い出したとか。
そして、さらにおぼろげな記憶・・・それは、その当時ナーゴルトを見渡せる高台に住んでいて、小学校まで一時間くらい坂を下りる形で歩いて通ったということ。その住んでいた場所へ記憶を頼りに行ってみた。
ずいぶんのぼったでしょ。
ほら、下の家がこんなに小さい。
こんな階段がずっと下から天まで続く気がした。子供の足で通学するのも大変だし、ここに住んでいる人は日々の生活で相当足が鍛えられるわね。
なかなかに素敵なお家が並ぶところ。
と言っても、結構新しめの家が多い。中世の町並みの残るナーゴルトの旧市街とは違って、ちょうどうちのドイツ人がここにいた頃、つまり50年ほど前に新興住宅街として開発された辺りなのだとか。
彼らが住んだのは集合住宅だったはず。たぶんここじゃないかな、と思われる家をようやく発見。
なんでも、この裏口と階段と・・・
このテラスの感じが記憶と一致するのだとか。
でも、この当時はここにほとんど家もなく、木々もまだ小さくて、下がずーーーっと見渡せたんですって。
集合住宅だけど、花がとても綺麗。
庭にも花がいっぱい。
彼らはここに半年住んだ後ハンブルクへ。それから早50年ほど。今は下まで一時間も降りなくても、この高台に小学校があるらしい。年月が過ぎて、遠い東洋からきた奥さんを連れて再びここを訪れるような日が来るとはね。人生とはかくもあっという間のこと。
明日はもう一つ思い出の場所をご紹介。
うちのドイツ人の思い出の地2 [シュヴァルツヴァルト]
夏休み二日目は寒くて寒くて暖房つけようかと思うほど。セーター着てフリース羽織って首にストールぐるぐる巻いて温かいお茶を用意してブログを書いているめぎ。鍋とか熱燗とかが恋しく感じるほど。
現在7月中旬のシュヴァルツヴァルトの話を連載中。うちのドイツ人の思い出の地を訪ねているところ。ナーゴルトに半年住んでいたところを訪ねた後、車で20~30分ほど走って(途中で寄り道したので正確な時間は分からず)、昔母方の祖母が住んでいた家を訪ねてみた。
うちのドイツ人は、ここに3歳くらいから6歳くらいまでの間何度か来たことがあるという。母方の祖母のうちだから来たことがあるのは当然だが、事情はちょっと複雑だ。6歳でハンブルクに引っ越した後、両親が離婚して彼は父親に引き取られ、母親はイギリスに渡ってそこで再婚してしまったため母方の親戚とはその後長いこと全く縁が切れてしまったのだ。さらに、ここは母方の祖母の家と言っても、その祖母は再婚してここに住んでいたため、最初の夫の娘であるうちのドイツ人の母親にとっては継父の家であって、うちのドイツ人にとっては全くもって接触しやすい環境ではなかったものと思われる。ちなみに祖母の一人目の夫(この人がザクセン出身の貴族なのだが・・・ああややこし)、つまりうちのドイツ人の母方の祖父は、ドイツの東西分裂時に北ドイツに移り住んだそうだ。
そんなわけで、うちのドイツ人がここに住んでいた祖母に最後に会ったのは6歳の時。その当時のおぼろげな記憶では、ここに以前はテラスへの階段があったという。
テラスの壁のこの馬車の絵には見覚えがあるんですって。
今は全く見ず知らずの人がここに住んでいる。ここに50年前には、戦争と東西分裂の様々な混乱の中で離婚し再婚し、ザクセンつまり東から西へ逃れ、ここにようやく落ち着いて暮らした人がいたんだな、と思うとなんだか不思議だ。人の人生とは、その人自身にとっては波瀾万丈で劇的で何物にも代え難いのに、今やその人のことはすっかり忘れ去られて全く違う人が全く別の人生をここに刻んでいて、それもいつかはまた忘れ去られていくと思うと、なんと儚いものだろう。そして、かつても今も壁に残る馬車の絵と、無造作に生える植物たち。
この家がいつ建てられたのかは分からないけれど、石造りの家は100年も200年も300年も改装しつつ使われる。今までにどれだけの人生がここで営まれたのかしら。
たぶんそれほど古くはないと思うけど、50年以上経っていることは確かなのよね。
7月中旬だというのに、もう秋の色。うちのドイツ人にはこの木の記憶はなかった。
祖父母が住んでいた町はNeubulach(ノイブーラハ)という人口5500人程度の小さな町。ここが旧市街の入り口。
場所はこちら。
ああ、この市門だ~!
・・・と喜ぶうちのドイツ人。彼のおぼろげな記憶の中で、幼い頃この市門を通って街中へパンを買いに行ったことがあるという。でも、それがナーゴルトだったのか、別の町だったのか、どこだったのか、全く記憶がなかった。今回叔母に、それが祖母の家の町にあって、その町がノイブーラハというのだと教えてもらい、ようやく訪ねることができた。この叔母は祖母の再婚相手の娘だから、そういう事情を訊きやすかったのである。
ノイブーラハは古くは銀鉱の町。だから、こんなに小さい町なのになかなかに豪華。
ちゃんと立派な城壁まであったのね。
古い記憶の糸がようやくつながって感慨深そうだったうちのドイツ人。叔母と叔父が元気なうちに訪ねることができて良かったね。長い時を経て、母親と半分しか血がつながっていない妹弟に招かれてそこへ行くことができるなんて、とってもとっても幸せなこと。
明日は旧市街に入ってみましょ。
ノイブーラハの旧市街 [シュヴァルツヴァルト]
現在7月中旬のシュヴァルツヴァルトの話を連載中。昨日のご質問のあの雨戸みたいなのはFensterladenという。ドイツでは黄色と黒の色に危険というイメージは全く無い。工事現場でも黄色と黒でマーキングしていることは全く無い。ドイツの危険マークは紅白。あの黄色と黒の鎧戸は、この町の紋章の色を取ったものと思われる。町の建物の鎧戸にはどこの町でもたいてい紋章の色が使われている。
さて、今日はノイブーラハという人口5500人程度の小さな村のような町の旧市街に入りましょ。上の市門をくぐるとこんな建物が。これはGasthof(ガストホーフ)といい、レストラン付きのホテル。
外にも席が設けられている。気持ちよさそう。
可愛い看板ね。
道路を挟んでこんな建物が。これは旅行代理店。こんな感じで可愛い小さい建物のドラッグストアもあったり。一応町なのね。
もう少し進むとそこには鉱山監督局の跡が。15世紀に立てられたのが16世紀初頭に焼け落ち、その後個人所有になったり学校になったり色々と経て、1976年にこうして元の形に改装されて今は博物館になっているみたい。
その横が大きな広場になっていて、なにやらお祭りのようだった。右側の水色の木組みの建物は銀行。
ビール、美味しそうねえ♪
ビール一杯飲みたかったけど、うちのドイツ人は運転中だし、叔母の家に戻らなきゃならなかったので残念だけどパス。
民族衣装を着た音楽隊の人たちも。
めぎが珍しそうにじろじろと見られたのはこの町。この町にカメラを抱えたアジア系の外国人が来ることなんて、滅多にないんだろう。そもそも外国人の出稼ぎ労働者や移民を受け入れるような仕事もこの町にはないだろうし、町のお祭りも日本で言えば町内会のお祭りのようなもので、観光客のためじゃないし。
裏側に回ると、仮設トイレがあった。使ってみたけど、とても綺麗だった。
さて、この町は中世の面影をいっぱい残している。上の木組みの部分は焼け落ちたのを復元したものも多いだろうが、城壁や家の土台などはオリジナルがかなり残っている。
また、煉瓦はともかく、石の色が赤っぽい。うちのドイツ人に依れば、この辺りは大昔は海で、この石は貝とか海草とかでできているのだとか。
こちらは城跡。
このアーチがオリジナルの跡なのね。
お城の前にしてはずいぶん無造作な庭だけど。
こちらの塔は、牢屋。
今はハトさんの住処みたいだけど。
とんがり屋根の上にキラキラと。
牢屋は町の城壁を兼ねていて、ここから旧市街の外へ出られるようになっている。こぢんまりとした中世の町。端から端まで歩いても5分とかからない。
うちのドイツ人はおぼろげな記憶を辿ってパン屋を探したけれど、記憶の場所にはなかった。記憶違いなのか、移転したのか、分からず仕舞い。ノイブーラハの散歩はもう一回続く。
ノイブーラハの一コマ [シュヴァルツヴァルト]
現在7月中旬のシュヴァルツヴァルトの話を連載中。昨日引き続き、小さな田舎町ノイブーラハの様子をどうぞ。
昨日はこのお祭り会場から左へ行ったのだが、今度は右へ行くと・・・
小さな教会と素敵な木組みのお家が。
教会の上、可愛いな。
そのずっと向こうには・・・
Schwäbische Alb(シュヴェービッシェ・アルプ)という山脈が見える。
ここはシュヴァルツヴァルトとシュヴェービッシェ・アルプに挟まれた谷間なのね。
まっすぐ行ってみたかったけど、時間があまりないので裏通りを引き返すことに。
こういうところで生活するのって、どんな暮らしなのかな。
あの市門が見えてきた。
大人はみんな、ビール飲みに行くのかな。
駐車場にはこんな車も止まってた。
市門の外にはすぐに畑が広がる。
改装したばかりの新しい家もあれば・・・
これは結構古そうね。
何やら臭いがすると思ったら・・・ブタさん!
こちらはウサギさんかな?
この辺りの暮らしぶりが伺えますねえ。
家と家の間に残る中世の城壁。こういう静かな暮らしをドイツという世界屈指の先進国が続けているということが、いつもとても不思議な気がする。
ナーゴルトの叔母の家 [シュヴァルツヴァルト]
現在7月中旬のシュヴァルツヴァルトの話を連載中。立ち寄った町はもう一ヵ所あるのだけど、それは後回しにして今日は泊まった叔母の家のお話を。
うちのドイツ人の母親の異父妹である叔母は、現在70代。10年くらい前に夫を亡くし、その家は夫の連れ子(息子)が継いだため、叔母はここに移って一人で生活している。
夫と住んでいた家には10部屋くらいあったというから、それと比べると相当小さいけれど、一人でこんなに大きく立派なリビングをもっている老後って、いいわねえ・・・
テレビはかなり旧式ね。
先日もちらっと書いたように、叔母の家は一階に住む大家が現在改装中。その改装に伴って新しく作ってもらっているというのがこのガラスルーム。
ガラスルームには暖房も取り付けられ、夏はガラス戸を開け放してバルコニーとして、冬はサンルームとして日向ぼっこできるという仕組み。春には萌え出づる緑を、夏にはこんな綺麗な緑を、秋には紅葉を、冬には雪景色を見下ろしながらここでゆったり過ごすのって、素敵ねえ。
これで海も見えたら申し分ないのだけど。シュヴァルツヴァルトの景色はとても美しいが、谷間で息が詰まる気がするめぎとうちのドイツ人。この辺りはアルザスも近くて美味しいワインやフランスの美味しいお総菜も比較的簡単に手に入るけど、あまりにも海が遠すぎて、めぎ家が老後に住む場所としての選択肢には入らない。
部屋の中には可愛い飾り。
リビングからまっすぐ廊下が延びていて、突き当たりが玄関。左にキッチンとバスルームとトイレ、右に寝室が二つ。実はさらに屋根裏部屋もあって、絵を描くのが趣味の叔母のアトリエとして使われている。ドイツの住宅事情って、もちろん田舎ってこともあるしそこそこのお金持ちってこともあるけれど、ずいぶん広々としている。だからこそこうしてお客を泊めるのも簡単にできるのだ。
一番玄関に近い寝室を使わせてもらった。
そして、リビングの隣にはダイニング。
これは夕食のセッティング。
夕食はドイツの伝統的なAbendbrot(直訳すると「夜のパン」という意味で、Abendessenと同じく「夕食」という意味)。チーズやハムなどと共にパンを食べるのがドイツ本来の夕食。ドイツでは伝統的には夕食にあたたかい調理したものを食べない。ワインやビールを飲みながらチーズとハムとパンですませるのだ。ドイツでお客を割と簡単に泊められるのは、食事にそれほどこだわらず、こんな風に買ったチーズを並べるだけで済むという事情もある。
ちなみに、ドイツの伝統では、一日のメインの食事は昼食。だから、1時頃到着しためぎたちには温かい食事が待っていた。サラダとウィンナーとドイツのハンバーグと、写ってないけど茹でたジャガイモ。これまたずいぶん素朴でしょ。
余談だが、ドイツでは小学校から高校までお昼で終わるのが伝統的だ。お昼といっても1時か2時までなのだけど、それで学校は終わって家に帰り、一日のメインの温かい食事をうちで家族と共にいただく(さすがにおなかが空くので休み時間にパンや果物などを食べることが許されている)。外で働く父親も、職場が近いのでお昼に家に帰るという例も少なくない。ただ、最近はお昼は適当にすませ、夕飯をメインにするめぎ家のような家が増えてきているし、食堂を作って夕方まで授業を行う学校も少しずつ増えてきているが、1時や2時を過ぎると生徒たちが疲れてきて集中力に欠ける、という点も指摘されている。
さてさて、話は戻って、叔母の家。ダイニングからこんな景色を見ながらの食事。
ナーゴルトが一望できる。
これはプレゼントにいただいたシュヴァルツヴァルトのサクランボ蒸留酒。これはこの地方名産のサクランボケーキに使われる。今回あの美味しいケーキを食べるチャンスが残念ながら無かったので、そのうちにこの蒸留酒を使ってうちのドイツ人に作ってもらおう♪
美味しいパンとチーズにワインを楽しんでいるうちに夕暮れに。
このワインを飲み干したらポートワインが待っている♡
ポートワインも炭酸入りのお水も美味しかった♪
蝋燭の明かりで楽しむ夜のおしゃべり。そろそろおやすみなさい。
次の日の朝ご飯にはマイセンの食器が並んでいたのだけど、撮影し忘れちゃったの。あとで片付けを手伝っていて気づいためぎ。マイセンを客とは言え普通に朝食にお出しできる暮らしって、いいわねえ。
叔父の誕生日 [シュヴァルツヴァルト]
現在7月中旬のシュヴァルツヴァルトの話を連載中。今日はここへ向かった目的、叔父の70歳誕生日パーティーのお話を。
注:日本だったら大人になると喜寿や米寿を祝うことはあっても誕生日を祝うことってほとんど無い。あっても、内々の家族でだけで、姪や甥を招くことなんてほとんど無いだろう。ドイツの習慣では、いくつになっても誕生祝いをするし、端数のない年齢になったときには大きなパーティーを開いて親戚や友人たちを招いてお祝いする。あくまでも誕生日の本人がパーティーを開いて他の人たちをお招きするのであって、つまりパーティーの費用(場所代や飲食費)は本人が負担する。その辺りも、日本とはまるで逆だ。
誕生日パーティーをしたのはこちらのレストラン。Adler(アードラー)といい、鷲という意味。
上の写真を前日に写しておいて良かった・・・というのも、誕生日当日は雨で、カメラを構えるという雰囲気ではなかったのだ。これは店の中から写したのでガラスに照明が反射しているけれど、建物の外観。
中はこんな感じ。これもガラス越しの撮影。
このレストランはかなり奥行きがあって、どんどん進むとまた違う空間が広がる。ここからは室内の撮影。
お昼にはここが満席状態だった。この田舎のどこからこんなにたくさんの人がここへお昼を食べに来るのだろう?と思うほど。
さて、誕生日パーティーといっても、未婚で家族がいなくて、パートナーも20年くらい前に亡くなって、今は病気でホーム暮らしの70歳男性の誕生会だから、実はお客がほとんどいないし、自分で招いたり主催したりもできない。それで、めぎたちが泊めてもらった叔母、つまり叔父の姉が、今回誕生会を世話していた。しかし主な血縁関係の人はほとんど亡くなっていて、叔母の娘家族は子供の学校の都合がつかなくて来られず、異父姉のうちのドイツ人の母親は彼女の現在の連れあいが病気で来られず、うちのドイツ人の妹は犬が病気で来られず、結局叔父と血のつながりのある人は叔母とうちのドイツ人の二人のみ。あとは、遠縁の現在90歳のおばあさんと、遠い従兄弟の夫婦の3人で、総勢7人の誕生日パーティー。去年の暮れにうちのドイツ人の父親が80歳のお祝いを家族や友人たちとずいぶん豪華に祝ったことを思うと、とても寂しい誕生日。だから、うちのドイツ人がほぼ半世紀ぶりにこの叔父に会ってみようと思い立って参加したのは、非常に喜ばれた。
料理はアラカルトで。好みも分からないし老人ばかりで食事制限などもあったりするから、各自好きなものを食べてもらおうと予め用意させなかったそうだ。何を食べるか話し合う姉弟。
叔父の手には三つの指輪。一つは母親の遺品、一つは若かりし頃自分で買ったもの、そしてもう一つは亡くなったパートナーの遺品だとか。パートナーが亡くなったのはもう20年以上前のことらしいが、「つい最近亡くなった連れ合いの・・・」と叔父は言う。この時間感覚がなくなってしまったところが叔父がホームに入っている理由である。彼は若い頃フランスで暮らしていたのだが、その20歳前後の頃の話も「つい先日」である。
めぎは呆けたらドイツ暮らしのことを忘れるかしら。それともつい昨日のこととして話すのかしら。なんの話を繰り返し、なんのことを忘れるのかしら。
民族衣装を着たウエイトレスさんにそれぞれ注文。
スパークリングワインで乾杯し、ワインもいただいた。
そうそう、ここは結構立派な伝統あるレストランだけど、フォークとナイフはテーブルクロスの上に直に置かれ、箸置きのようなものはない。でも、伝統的には実はフォークとナイフには箸置きみたいな台があって、マイセンなどでは今もそれが売られている。昨日の叔母の家のテーブルセッティングに写っていたのは、フォークなどとセットの銀製のもの。レストランでそういう台を見かけないのは、伝統が失われていっているからか、もともとそういう伝統は上流社会だけのものだったからか、めぎにはよく分からない。
スープはうちのドイツ人はレバー団子スープ。
めぎはシュヴァルツヴァルトの鱒のクリームスープ。
海の遠いこの辺の魚は川で捕れる鱒くらい。
メインディッシュは、めぎはシュヴァーベン風あぶり焼き。
その他の皆さんの様子。90歳の女性は料理を半分の量にしてもらっていたし、誕生日の伯父は温野菜のみ。その他の人たちはいかにもドイツというこってりどっさりの食事。
たぶんめぎたちがこの叔父に会うのはこれが最後になるだろう。次の日の朝早くから仕事だったのでこの食事が済んだところですぐにお暇せざるを得なかったし、往復1000キロ近いの道程を土日で行き帰りするのはとても大変だったけど、行ってよかった。人生は素敵なことばかりじゃない。でも、生ききらなければならない。そんなことを学んだめぎだった。
前日の夜 [シュヴァルツヴァルト]
今日からサクッと一週間前のシュヴァルツヴァルトに住む叔母の80歳の誕生日訪問のお話を始めようと思う。後回しにすると多分書くタイミングを永遠に逸してしまうネタだと思うから。
ここはシュヴァルヴァルトのナーゴルトという町。人口2万人くらいの田舎町。これは旧市街を背にして立つホテルの上階から叔母の家の方向を撮ったものなので、ただの住宅街しか写っていないけど。叔母の家は向こうの山の上の方にある。
叔母の家に到着したのは2月10日の土曜日の午後6時近く。これはうちのドイツ人の従妹(叔母の娘)が持ってきたお土産の花束。
叔母は色々なワインを用意して待っていた。シャンパンも地下室にあるというメモ書きがあったけど(叔母は歳を取ってきてから思いついたことを忘れないようにすぐに付箋にメモ書きするようにしているそう)・・・
うちのドイツ人がそこにあったワインから選んで赤ワインでスタート。
叔母が夕食の仕上げをしているときにめぎたちはこっそりメインの誕生日プレゼントの仕上げ。初夏の旅への招待状にみんなでサイン。うちのドイツ人の従妹がこんな立派な招待状を作ってきてくれた。
この日叔母が用意してくれたのはシュヴァルツヴァルト風のポテトサラダ。これは北ドイツ風のうちのドイツ人の作るポテトサラダとは全く味付けが違うし、ウィーン風ともバイエルン風とも若干違う。そして、同じレシピで作っても誰も叔母のように美味しくは作れない魔法のポテトサラダ。見た目は全然美味しそうに見えないのに、何度もおかわりしたくなる味。その横にぼんやり写っているのは茹でエビのむき身で・・・
お好みで従妹が作ってきたポテトスープに入れて食べる。切ったソーセージも同様。
デザートはうちのドイツ人が作ってきたティラミス。この家族はうちのドイツ人の作るティラミスが大好物で、集まるときにはいつも作る。
このように、80歳の誕生日を前にあれこれ気を使って忙しい叔母のために、娘と甥が前日の夕食の一部を請け負って運んできたのだった。ドイツでは誕生日は本人がパーティーを主催してみんなを招待するのだが(叔母は自分でレストランを予約し、親類や友人知人計25名ほどに招待状を書いて送付した)、80歳のパーティーともなると本人にとって結構な負担なので、家族の方でできることは手伝おうと。家族が数年ぶりに集まる機会だけど、こんな風に意外と質素に素朴に食事を済ますのが極めてドイツ風。豪華ではないけど、満ち足りた時間。
ちなみに娘も孫もデュッセルドルフに住んでいるので、めぎたちは孫(うちのドイツ人の従妹の息子)の運転する車に同乗して4人でやってきた。自分の車で来る自由性を取るか、出発の時間帯など勝手に決められないけど4人であれこれおしゃべりできる楽しみとガソリン代の節約と環境保護への寄与という利便性を取るか、事前にあれこれ議論があったのだけど、この若い21歳の男の子の運転はとても上手でおしゃべりも楽しく、2005年製のアウディのワゴンは中古ながら乗り心地も良く、結果的に非常に快適に480キロを快走することができた。ついでに言うと、この若者は以前紹介した自動車セールスの2年間の職業教育を受けている訓練生で、セールスの資格を取るまであと半年というところ。以前からそうだったけど、若者らしい友達付き合いから政治や経済の話までしっかりこなせる好青年。よく勉強し、よく働き、まだ職業訓練生だけど、つまり給料は雀の涙なのだけどこうして中古の車も購入することができているわけで、地道に努力して自ら少しずつ世界を広げていっている若者の姿が頼もしかった。うちのドイツ人のブラックユーモアまみれの話に軽快に議論できる頭の回転はお見事。うちのドイツ人、こんな風に自分の息子とあれこれ話したかったんだろうなあ・・・
食後はこの洋梨のブランデーを。これがとても美味しくて、帰りに購入。
リビングには誕生日を前に家族からのプレゼントが飾られていた。誕生日当日まで決してプレゼントを開けずお祝いも言わないのがドイツ風。事前にお祝いをすると幸運が逃げると言われているから。
つづく
撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)G
ここはシュヴァルヴァルトのナーゴルトという町。人口2万人くらいの田舎町。これは旧市街を背にして立つホテルの上階から叔母の家の方向を撮ったものなので、ただの住宅街しか写っていないけど。叔母の家は向こうの山の上の方にある。
叔母の家に到着したのは2月10日の土曜日の午後6時近く。これはうちのドイツ人の従妹(叔母の娘)が持ってきたお土産の花束。
叔母は色々なワインを用意して待っていた。シャンパンも地下室にあるというメモ書きがあったけど(叔母は歳を取ってきてから思いついたことを忘れないようにすぐに付箋にメモ書きするようにしているそう)・・・
うちのドイツ人がそこにあったワインから選んで赤ワインでスタート。
叔母が夕食の仕上げをしているときにめぎたちはこっそりメインの誕生日プレゼントの仕上げ。初夏の旅への招待状にみんなでサイン。うちのドイツ人の従妹がこんな立派な招待状を作ってきてくれた。
この日叔母が用意してくれたのはシュヴァルツヴァルト風のポテトサラダ。これは北ドイツ風のうちのドイツ人の作るポテトサラダとは全く味付けが違うし、ウィーン風ともバイエルン風とも若干違う。そして、同じレシピで作っても誰も叔母のように美味しくは作れない魔法のポテトサラダ。見た目は全然美味しそうに見えないのに、何度もおかわりしたくなる味。その横にぼんやり写っているのは茹でエビのむき身で・・・
お好みで従妹が作ってきたポテトスープに入れて食べる。切ったソーセージも同様。
デザートはうちのドイツ人が作ってきたティラミス。この家族はうちのドイツ人の作るティラミスが大好物で、集まるときにはいつも作る。
このように、80歳の誕生日を前にあれこれ気を使って忙しい叔母のために、娘と甥が前日の夕食の一部を請け負って運んできたのだった。ドイツでは誕生日は本人がパーティーを主催してみんなを招待するのだが(叔母は自分でレストランを予約し、親類や友人知人計25名ほどに招待状を書いて送付した)、80歳のパーティーともなると本人にとって結構な負担なので、家族の方でできることは手伝おうと。家族が数年ぶりに集まる機会だけど、こんな風に意外と質素に素朴に食事を済ますのが極めてドイツ風。豪華ではないけど、満ち足りた時間。
ちなみに娘も孫もデュッセルドルフに住んでいるので、めぎたちは孫(うちのドイツ人の従妹の息子)の運転する車に同乗して4人でやってきた。自分の車で来る自由性を取るか、出発の時間帯など勝手に決められないけど4人であれこれおしゃべりできる楽しみとガソリン代の節約と環境保護への寄与という利便性を取るか、事前にあれこれ議論があったのだけど、この若い21歳の男の子の運転はとても上手でおしゃべりも楽しく、2005年製のアウディのワゴンは中古ながら乗り心地も良く、結果的に非常に快適に480キロを快走することができた。ついでに言うと、この若者は以前紹介した自動車セールスの2年間の職業教育を受けている訓練生で、セールスの資格を取るまであと半年というところ。以前からそうだったけど、若者らしい友達付き合いから政治や経済の話までしっかりこなせる好青年。よく勉強し、よく働き、まだ職業訓練生だけど、つまり給料は雀の涙なのだけどこうして中古の車も購入することができているわけで、地道に努力して自ら少しずつ世界を広げていっている若者の姿が頼もしかった。うちのドイツ人のブラックユーモアまみれの話に軽快に議論できる頭の回転はお見事。うちのドイツ人、こんな風に自分の息子とあれこれ話したかったんだろうなあ・・・
食後はこの洋梨のブランデーを。これがとても美味しくて、帰りに購入。
リビングには誕生日を前に家族からのプレゼントが飾られていた。誕生日当日まで決してプレゼントを開けずお祝いも言わないのがドイツ風。事前にお祝いをすると幸運が逃げると言われているから。
つづく
撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)G
家族の話題 [シュヴァルツヴァルト]
現在、10日ほど前のシュヴァルツヴァルトのナーゴルトという町に住む叔母の家の話を連載中。
こちらが若かりし時の叔母。
叔母は最近少しずつ少しずつだけど身辺整理をしていて、新たに見つかった写真をうちのドイツ人に見せるために用意していた。うちのドイツ人がルーツを探っていることを知っているからだ。
叔母の記録のおかげで手がかりが見つかったことも多い。
と言うのは、叔母は裏にこんな風に色々と記録していたからだ。
この写真の右端と左端に写っているのが・・・
この二人である。左の女性がうちのドイツ人の叔母、男性は叔父。
6年半前、めぎ家はこの叔父の70歳の誕生日パーティーのためナーゴルトを訪れた。めぎがナーゴルトを訪問したのはその時が初めてだった。その時の記事はこちらから。あのとき、この叔父に会うことはもうないかな、と思っていたけれど、こうして再会できて良かった。
叔父は夕食後すぐに部屋へ引き上げていき、それから家族は長いことあれこれ昔話を続けていた。
叔母の80歳の誕生日は次の日で、蝋燭が8本用意されていた。右端の1本が写っていないけど、元々の蝋燭がどんなだったかわかるのがこの写真だけなので。
お開きにしたのは11時頃だったかな。
それからめぎたち4人(おばの娘と孫、うちのドイツ人とめぎ)はホテルへ。一人暮らしの叔母の家には流石に6人も泊まれないので、年取った叔母の姉(うちのドイツ人の母親)と弟(叔父)に泊まってもらって、若い我々は歩いて10分くらいのホテルに宿泊することにしたのだった。右に見えている2つの教会の塔の足元の間に見える緑色の2つの光のところがホテル。
つづく
撮影: D600 + 28-70mm(F2.8)G
こちらが若かりし時の叔母。
叔母は最近少しずつ少しずつだけど身辺整理をしていて、新たに見つかった写真をうちのドイツ人に見せるために用意していた。うちのドイツ人がルーツを探っていることを知っているからだ。
叔母の記録のおかげで手がかりが見つかったことも多い。
と言うのは、叔母は裏にこんな風に色々と記録していたからだ。
この写真の右端と左端に写っているのが・・・
この二人である。左の女性がうちのドイツ人の叔母、男性は叔父。
6年半前、めぎ家はこの叔父の70歳の誕生日パーティーのためナーゴルトを訪れた。めぎがナーゴルトを訪問したのはその時が初めてだった。その時の記事はこちらから。あのとき、この叔父に会うことはもうないかな、と思っていたけれど、こうして再会できて良かった。
叔父は夕食後すぐに部屋へ引き上げていき、それから家族は長いことあれこれ昔話を続けていた。
叔母の80歳の誕生日は次の日で、蝋燭が8本用意されていた。右端の1本が写っていないけど、元々の蝋燭がどんなだったかわかるのがこの写真だけなので。
お開きにしたのは11時頃だったかな。
それからめぎたち4人(おばの娘と孫、うちのドイツ人とめぎ)はホテルへ。一人暮らしの叔母の家には流石に6人も泊まれないので、年取った叔母の姉(うちのドイツ人の母親)と弟(叔父)に泊まってもらって、若い我々は歩いて10分くらいのホテルに宿泊することにしたのだった。右に見えている2つの教会の塔の足元の間に見える緑色の2つの光のところがホテル。
つづく
撮影: D600 + 28-70mm(F2.8)G
叔母の80歳誕生日祝賀会 [シュヴァルツヴァルト]
現在、2月中旬の叔母の80歳の誕生日の話を連載中。
ここはドイツ・シュヴァルツヴァルトのナーゴルト。叔母が誕生日パーティーに予約したのはこのレストラン。
招待客の高齢者と幼児に考慮してパーティーは昼間に設定。12時少し前に到着して、会場にネームカードを置く叔母とその娘(うちのドイツ人の従妹)。
程なく全員が集まり、パーティーが始まった。最初に挨拶する叔母。
引き続き、乾杯の音頭を取る姉(うちのドイツ人の母)。
なんだか二人の格好や様子を見ると、誕生日なのは義母なのか?と思うような雰囲気なのだが、それがこの姉妹の関係。義母はお貴族様で、叔母は庶民(二人は異父姉妹)。仲良く一緒に育ったが、義母は貴族の誇り(ホコリ)を崩さない。
まあそんなことはさておき、パーティーの御馳走が運ばれ始めた。サラダはめぎ的にはフレッシュでさっぱりしていて美味しかったが、ドイツ人たちには不評。冬だから野菜がプラスチックのような紙のような味しかしない、こんなものからビタミンが取れるような気がしない、と言う。冬の温室育ちの野菜と夏の太陽を浴びて育った野菜のビタミン含有量の差についてはめぎにはなんとも言えないが、味覚はひょっとするとドイツ人のほうが敏感なのかしら・・・
メインディッシュはこちら。牛肉の煮込みとコロッケ。この牛肉は柔らかくて味がぎゅぎゅっと詰まってて美味しかった。そして、うっかり写し忘れてしまったのだが、付け合せに大盛りに盛られて出てきたシュペッツレというこの地方の手作り麺がものすごく美味しかった。牛のソースに絡めて食べるのだが、それだけであとはいらないと思うほど。
さて、会場のテーブルは大きく2つに別れてて、めぎが座っていたのは叔母の近親者&親友側。めぎの隣にはうちのドイツ人、その隣に親友たちが並び、めぎの前には叔父、その横に義母、その横に従妹、その横に甥が並ぶ。向こう側の大きなテーブルをぐるりと囲っているのは、実は叔母とは全く血のつながりのない家族たち。叔母の亡くなった夫の前妻の子どもたちとその家族(孫と曾孫)。夫も前妻ももう亡くなっていて、今や叔母が彼らのおばあちゃんであり曾おばあちゃんなのだ。彼らはナーゴルトやその近辺に住んでいて、今も頻繁に行き来しているらしい。
その一人、叔母の亡き夫の前妻の息子の奥さん。それだけ聞くと、はっきり言って無関係の人という感じだわよね。うちのドイツ人が死んだ後、前妻さんの息子の奥さんとめぎの80歳の誕生日を祝うようになるとは・・・全く思えない。
食後はプレゼントの贈呈(プレゼントする人の詩の暗唱やらスピーチやらも)などが続き、デザートにはサバイヨン(ザバイオーネ)。これは・・・お酒の味が美味しいけれど、甘かった~~~長いドイツ生活でもう甘いものに相当鍛えられためぎだけど、これは半分でギブアップした。量も半端じゃなかったし。
さて、パーティーはこれで終わらない。でも、お腹いっぱいなので1時間ほど散歩に出かけることに。それもパーティーのスケジュール。散歩の後お茶タイムに入るそうなのだが、いや、でも、1時間じゃお腹空かないよ・・・
つづく
撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)G
ここはドイツ・シュヴァルツヴァルトのナーゴルト。叔母が誕生日パーティーに予約したのはこのレストラン。
招待客の高齢者と幼児に考慮してパーティーは昼間に設定。12時少し前に到着して、会場にネームカードを置く叔母とその娘(うちのドイツ人の従妹)。
程なく全員が集まり、パーティーが始まった。最初に挨拶する叔母。
引き続き、乾杯の音頭を取る姉(うちのドイツ人の母)。
なんだか二人の格好や様子を見ると、誕生日なのは義母なのか?と思うような雰囲気なのだが、それがこの姉妹の関係。義母はお貴族様で、叔母は庶民(二人は異父姉妹)。仲良く一緒に育ったが、義母は貴族の誇り(ホコリ)を崩さない。
まあそんなことはさておき、パーティーの御馳走が運ばれ始めた。サラダはめぎ的にはフレッシュでさっぱりしていて美味しかったが、ドイツ人たちには不評。冬だから野菜がプラスチックのような紙のような味しかしない、こんなものからビタミンが取れるような気がしない、と言う。冬の温室育ちの野菜と夏の太陽を浴びて育った野菜のビタミン含有量の差についてはめぎにはなんとも言えないが、味覚はひょっとするとドイツ人のほうが敏感なのかしら・・・
メインディッシュはこちら。牛肉の煮込みとコロッケ。この牛肉は柔らかくて味がぎゅぎゅっと詰まってて美味しかった。そして、うっかり写し忘れてしまったのだが、付け合せに大盛りに盛られて出てきたシュペッツレというこの地方の手作り麺がものすごく美味しかった。牛のソースに絡めて食べるのだが、それだけであとはいらないと思うほど。
さて、会場のテーブルは大きく2つに別れてて、めぎが座っていたのは叔母の近親者&親友側。めぎの隣にはうちのドイツ人、その隣に親友たちが並び、めぎの前には叔父、その横に義母、その横に従妹、その横に甥が並ぶ。向こう側の大きなテーブルをぐるりと囲っているのは、実は叔母とは全く血のつながりのない家族たち。叔母の亡くなった夫の前妻の子どもたちとその家族(孫と曾孫)。夫も前妻ももう亡くなっていて、今や叔母が彼らのおばあちゃんであり曾おばあちゃんなのだ。彼らはナーゴルトやその近辺に住んでいて、今も頻繁に行き来しているらしい。
その一人、叔母の亡き夫の前妻の息子の奥さん。それだけ聞くと、はっきり言って無関係の人という感じだわよね。うちのドイツ人が死んだ後、前妻さんの息子の奥さんとめぎの80歳の誕生日を祝うようになるとは・・・全く思えない。
食後はプレゼントの贈呈(プレゼントする人の詩の暗唱やらスピーチやらも)などが続き、デザートにはサバイヨン(ザバイオーネ)。これは・・・お酒の味が美味しいけれど、甘かった~~~長いドイツ生活でもう甘いものに相当鍛えられためぎだけど、これは半分でギブアップした。量も半端じゃなかったし。
さて、パーティーはこれで終わらない。でも、お腹いっぱいなので1時間ほど散歩に出かけることに。それもパーティーのスケジュール。散歩の後お茶タイムに入るそうなのだが、いや、でも、1時間じゃお腹空かないよ・・・
つづく
撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)G
80歳誕生日会第2部 [シュヴァルツヴァルト]
現在、2月11日の叔母の80歳の誕生日の話を連載中。
昼食後1時間ほど散歩の時間が設けられていた叔母の誕生日会。シュヴァルツヴァルトのナーゴルトの町をちょっと歩く。
木組みの古い家が可愛らしい。
警察署も可愛い。
晴れていればよかったんだけどねえ。この日はかなり冷え込んでいて、散歩もあまり楽しくなかった。
この斜めのところは地下室への入り口。
こんな感じにちょっと歩いたのだけど、それであの膨大な量のお昼が消化されるはずもなく、満腹感を抱えたまま3時半からのお茶会に。そこには大きなケーキが待っていた・・・実はこんな大きさのが3種類もあったのだが、めぎはこの地方のシュヴァルツヴェルダーキルシュトルテ(シュヴァルツヴァルトのチェリーケーキ)を。
↑このケーキ、キルシュヴァッサーという強い蒸留酒をたっぷり入れて作るのだが、ここのはお酒の味があまりせず、ちょっと残念だったな・・・昼食のデザートのサバイヨンはものすごくお酒が濃かったのになあ。
その後、はっきり言ってめぎもうちのドイツ人ももう飽きてしまって時間が苦痛だったのだが、パーティーは5時頃まで続いた。ドイツではパーティーは主催者側がお開きにすることはできず、客が自ら席を立つまで続けなければならないのだ。まあ今回はお茶会までということだから(ケーキとコーヒーまでしか招かれないのであって晩御飯はつかず)自ずと時間の限界があるけれど、誰かが6時までいれば6時まで、7時までいれば7時までかかったということである。
めぎは主催者側の人間なので途中で切り上げるわけにも行かず、店の中をあれこれと。
これは遠い親戚や友人たちからの叔母へのプレゼント。中身はお花やチョコレートやカードなど。
こんな大掛かりなパーティーはもちろんドイツ人の誰もがが開けるわけではない。昨年末のハンブルクの友人は夫婦ともに開業医だし、叔母はナーゴルトのお偉いさんに嫁いで遺族年金も相当なもののようだ。だからこんなふうにレストランで盛大なパーティーができるのだが、そこまででなくとも、今までのめぎの経験ではやっぱり40歳、50歳、60歳、70歳・・・と、みんな結構大きなパーティーをする。友達みんなを招いてライン河畔でバーベキューパーティーとか、サイクリングパーティーとか、自宅に30人位招いてバイキングパーティーとか料理持ち寄りパーティーとか・・・まあ自宅に30人なんて、庶民でも部屋が広いドイツだからできることでもあるかな。キリの良い歳で大きなお祝いをするのは、ドイツの人が誕生日を非常に大切にしているから。自分が生まれ、この年まで生きてきたのは皆さんのおかげです、とお礼の意味で招くのだ。招くと言ってもすごい料理が必要ではなく、パンとハムとチーズとワインとビールだけでもOKというのも、パーティーが気軽な理由かも。さらに、ドイツには誕生日とクリスマス以外に贈り物の習慣がなく・・・つまり盆暮れのご挨拶だとか正月の挨拶だとか手土産とか旅行土産とか母の日だの敬老の日だのと言ったことがなく、誕生日にしかプレゼントをしないから、だからできるのだとも思う。日本って、ちょっと出かけたり出張しただけでお土産が必要な国だけど、それが一切ないのだ。そして、招かれても持っていくのはせいぜい千円程度のワインかお花だし。ワインやお花がそれだけ安いということもあるかな・・・
最後には、残ったケーキがお持ち帰り用に包まれていた。
やっと終わってホテルに戻ったのは5時半頃。それからめぎとうちのドイツ人はホテルでサウナを愉しみ、ちょっとリフレッシュして夜7時過ぎに叔母の家へ向かった。
つづく
撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)G
昼食後1時間ほど散歩の時間が設けられていた叔母の誕生日会。シュヴァルツヴァルトのナーゴルトの町をちょっと歩く。
木組みの古い家が可愛らしい。
警察署も可愛い。
晴れていればよかったんだけどねえ。この日はかなり冷え込んでいて、散歩もあまり楽しくなかった。
この斜めのところは地下室への入り口。
こんな感じにちょっと歩いたのだけど、それであの膨大な量のお昼が消化されるはずもなく、満腹感を抱えたまま3時半からのお茶会に。そこには大きなケーキが待っていた・・・実はこんな大きさのが3種類もあったのだが、めぎはこの地方のシュヴァルツヴェルダーキルシュトルテ(シュヴァルツヴァルトのチェリーケーキ)を。
↑このケーキ、キルシュヴァッサーという強い蒸留酒をたっぷり入れて作るのだが、ここのはお酒の味があまりせず、ちょっと残念だったな・・・昼食のデザートのサバイヨンはものすごくお酒が濃かったのになあ。
その後、はっきり言ってめぎもうちのドイツ人ももう飽きてしまって時間が苦痛だったのだが、パーティーは5時頃まで続いた。ドイツではパーティーは主催者側がお開きにすることはできず、客が自ら席を立つまで続けなければならないのだ。まあ今回はお茶会までということだから(ケーキとコーヒーまでしか招かれないのであって晩御飯はつかず)自ずと時間の限界があるけれど、誰かが6時までいれば6時まで、7時までいれば7時までかかったということである。
めぎは主催者側の人間なので途中で切り上げるわけにも行かず、店の中をあれこれと。
これは遠い親戚や友人たちからの叔母へのプレゼント。中身はお花やチョコレートやカードなど。
こんな大掛かりなパーティーはもちろんドイツ人の誰もがが開けるわけではない。昨年末のハンブルクの友人は夫婦ともに開業医だし、叔母はナーゴルトのお偉いさんに嫁いで遺族年金も相当なもののようだ。だからこんなふうにレストランで盛大なパーティーができるのだが、そこまででなくとも、今までのめぎの経験ではやっぱり40歳、50歳、60歳、70歳・・・と、みんな結構大きなパーティーをする。友達みんなを招いてライン河畔でバーベキューパーティーとか、サイクリングパーティーとか、自宅に30人位招いてバイキングパーティーとか料理持ち寄りパーティーとか・・・まあ自宅に30人なんて、庶民でも部屋が広いドイツだからできることでもあるかな。キリの良い歳で大きなお祝いをするのは、ドイツの人が誕生日を非常に大切にしているから。自分が生まれ、この年まで生きてきたのは皆さんのおかげです、とお礼の意味で招くのだ。招くと言ってもすごい料理が必要ではなく、パンとハムとチーズとワインとビールだけでもOKというのも、パーティーが気軽な理由かも。さらに、ドイツには誕生日とクリスマス以外に贈り物の習慣がなく・・・つまり盆暮れのご挨拶だとか正月の挨拶だとか手土産とか旅行土産とか母の日だの敬老の日だのと言ったことがなく、誕生日にしかプレゼントをしないから、だからできるのだとも思う。日本って、ちょっと出かけたり出張しただけでお土産が必要な国だけど、それが一切ないのだ。そして、招かれても持っていくのはせいぜい千円程度のワインかお花だし。ワインやお花がそれだけ安いということもあるかな・・・
最後には、残ったケーキがお持ち帰り用に包まれていた。
やっと終わってホテルに戻ったのは5時半頃。それからめぎとうちのドイツ人はホテルでサウナを愉しみ、ちょっとリフレッシュして夜7時過ぎに叔母の家へ向かった。
つづく
撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)G
夜の部 [シュヴァルツヴァルト]
現在、2月11日の叔母の80歳誕生日会の話を連載中。
夜になり、やっと叔母の家で近親者だけでくつろげる時間になった。
そして、やっとやっと家族からのプレゼントを開封する時間になった。これは娘(うちのドイツ人の従妹)からの飛び出す式カード。
こんな感じでみんな順番を待っている。
叔母の姉(うちのドイツ人の母)からは、画集。↑叔母の家には所狭しと絵がかかっているが、それはみな叔母が描いた絵。そんな叔母の参考に、と。
そしてうちのドイツ人から。先日も書いたが、曽祖父の時代からの公文書(洗礼の記録や仕事の契約書など)やら直筆の文書(公文書の中に履歴書が見つかったのも!)やら昔の写真やらを集めに集めまくったのをまとめた写真集。
叔母が誕生してからの部分は後半で、前半が結構長い。読んでいると進まないので、今はパラパラめくるだけにしてね~と言うのだが、思わず読み入ってしまって進まない進まない・・・
この写真集、ドイツの有名なドラッグストアのDMというお店のサイトに有る写真の印刷やアルバムなどを作れるサイトで発注し、下の写真の左側のような状態にまで製本されて届いたのにうちのドイツ人が例によって自分で革表紙を貼り付けたもの。中の写真アルバムには年月日や場所などの記載もあり、その字体を叔母が昔使っていたタイプライターの丸文字体のアルファベット(普通にワードに入ってはいない字体でうちのドイツ人はネットで探してダウンロード)にしてみたりと相当に凝っている。写真の大きさやら配置やら紙の模様やら凝りに凝り、ただ写真を選んで印刷したのではなく、相当な時間をかけている。それに、叔母はうちのドイツ人の母親の異父妹なので、つまり叔母の父親はうちのドイツ人とは血のつながりがなく、そちらの方の家系を遡るのはそれなりに大変だった。叔母への愛情なしにはできない作業で、その愛情がよく分かる出来上がりで、それはそれは感動された。うちのドイツ人は小さい頃母親にほったらかしにされ、叔母に世話してもらった思い出がたくさんあって、感謝の気持ちも愛情も一入なのだ。そんな風にして出来上がった真心篭った写真集には、叔母の孫(うちのドイツ人の甥)も大いに関心を持ち・・・と言うのはつまり彼のご先祖様の写真集なので・・・あとで手にとって読み入っていた。それもなんだか嬉しかった。
そうして、ようやくメインプレゼントのお時間に。
家族全員からのプレゼントは、先日も書いたがみんなで初夏に旅をすること。その招待状をもらってジーンと見入っている叔母。よかったわねえ。
ここで、本当はね、と言うお話に。そう、このプレゼントについては家族の中で随分長いこと色々と議論したのだ。本当は、うちのドイツ人は叔母をイタリアへ連れて行きたかった。その昔叔母はイタリアのどこだかでとても楽しく青春時代を過ごしたそうで、そのときにイタリアで覚えた歌をうちのドイツ人に教えてくれて、その歌をうちのドイツ人は未だに覚えているのだ。うちのドイツ人は、分かりし頃の叔母の楽しそうな歌声を思い出し、叔母にとってそのイタリア滞在は人生の中でもとっても輝く思い出に違いないからそこへみんなで行きたい、と主張した。しかし、肝心の娘(うちのドイツ人の従妹)がそれに難色を示したのである。イタリアまでとなると費用もかなり掛かるし、2~3日で行けるものではないし、するとまだ研修生の孫は休みを取れないかもしれないし・・・等々と。で、娘はデュッセルドルフから近いライン河下りでもしよう、と言い出したのだが、たしかにそれだと費用の点でも日程の点でも助かるけれど、叔母にとってライン河周辺は、ただ娘が住んでいる場所というだけで叔母自身の人生とは何の接点もない場所なのだ。で、ああだこうだと議論した結果全く別の場所に決まったのだけど、それはイタリアではない。
で、叔母に、本当はイタリアのあの町へ行こうという案もあったんだよ、とうちのドイツ人が言ったのだが、その言葉に叔母が一瞬ものすごく目を輝かせて反応したのだった。ああ、あそこ!それは素敵ねえ・・・と一瞬うっとりし、でももうあの時のあの人は亡くなってしまったし、行ってももう町も変わってしまっただろうし、とその町への憧れを打ち消すような言葉を自ら口にしたのだった。それを聞きながら、めぎはちょっと心痛かった。ああ、やっぱり、どんなに無理してでもイタリアへ行かせてあげたかったなあ。もう行けることは一生ないんだろうから。子どもって、世界中で最も親のことがわかっているようなつもりだけど、でも実はわかっていないことがいっぱいあるのよね。親には親の、子どもには全く分かり得ない、子供とは全く関係のない人生があったのだもの。ついでに言うと、うちのドイツ人もどうしてそんな廃案になったイタリアの話を口にしちゃうかなあ・・・まあ彼は残念で仕方がなかったのだろうけど、みんなで決定したことに水をささなくてもいいのになあ・・・ま、誰も気にしていなかったからいいけど。
こうしてようやく誕生日のメインイベントが終了し、パンとハムとチーズとワインの簡単な、でもとっても美味しい満ち足りた食事が始まった。やっと誕生日のあれこれから解き放たれた叔母はとても嬉しそうだった。
つづく
撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)G
夜になり、やっと叔母の家で近親者だけでくつろげる時間になった。
そして、やっとやっと家族からのプレゼントを開封する時間になった。これは娘(うちのドイツ人の従妹)からの飛び出す式カード。
こんな感じでみんな順番を待っている。
叔母の姉(うちのドイツ人の母)からは、画集。↑叔母の家には所狭しと絵がかかっているが、それはみな叔母が描いた絵。そんな叔母の参考に、と。
そしてうちのドイツ人から。先日も書いたが、曽祖父の時代からの公文書(洗礼の記録や仕事の契約書など)やら直筆の文書(公文書の中に履歴書が見つかったのも!)やら昔の写真やらを集めに集めまくったのをまとめた写真集。
叔母が誕生してからの部分は後半で、前半が結構長い。読んでいると進まないので、今はパラパラめくるだけにしてね~と言うのだが、思わず読み入ってしまって進まない進まない・・・
この写真集、ドイツの有名なドラッグストアのDMというお店のサイトに有る写真の印刷やアルバムなどを作れるサイトで発注し、下の写真の左側のような状態にまで製本されて届いたのにうちのドイツ人が例によって自分で革表紙を貼り付けたもの。中の写真アルバムには年月日や場所などの記載もあり、その字体を叔母が昔使っていたタイプライターの丸文字体のアルファベット(普通にワードに入ってはいない字体でうちのドイツ人はネットで探してダウンロード)にしてみたりと相当に凝っている。写真の大きさやら配置やら紙の模様やら凝りに凝り、ただ写真を選んで印刷したのではなく、相当な時間をかけている。それに、叔母はうちのドイツ人の母親の異父妹なので、つまり叔母の父親はうちのドイツ人とは血のつながりがなく、そちらの方の家系を遡るのはそれなりに大変だった。叔母への愛情なしにはできない作業で、その愛情がよく分かる出来上がりで、それはそれは感動された。うちのドイツ人は小さい頃母親にほったらかしにされ、叔母に世話してもらった思い出がたくさんあって、感謝の気持ちも愛情も一入なのだ。そんな風にして出来上がった真心篭った写真集には、叔母の孫(うちのドイツ人の甥)も大いに関心を持ち・・・と言うのはつまり彼のご先祖様の写真集なので・・・あとで手にとって読み入っていた。それもなんだか嬉しかった。
そうして、ようやくメインプレゼントのお時間に。
家族全員からのプレゼントは、先日も書いたがみんなで初夏に旅をすること。その招待状をもらってジーンと見入っている叔母。よかったわねえ。
ここで、本当はね、と言うお話に。そう、このプレゼントについては家族の中で随分長いこと色々と議論したのだ。本当は、うちのドイツ人は叔母をイタリアへ連れて行きたかった。その昔叔母はイタリアのどこだかでとても楽しく青春時代を過ごしたそうで、そのときにイタリアで覚えた歌をうちのドイツ人に教えてくれて、その歌をうちのドイツ人は未だに覚えているのだ。うちのドイツ人は、分かりし頃の叔母の楽しそうな歌声を思い出し、叔母にとってそのイタリア滞在は人生の中でもとっても輝く思い出に違いないからそこへみんなで行きたい、と主張した。しかし、肝心の娘(うちのドイツ人の従妹)がそれに難色を示したのである。イタリアまでとなると費用もかなり掛かるし、2~3日で行けるものではないし、するとまだ研修生の孫は休みを取れないかもしれないし・・・等々と。で、娘はデュッセルドルフから近いライン河下りでもしよう、と言い出したのだが、たしかにそれだと費用の点でも日程の点でも助かるけれど、叔母にとってライン河周辺は、ただ娘が住んでいる場所というだけで叔母自身の人生とは何の接点もない場所なのだ。で、ああだこうだと議論した結果全く別の場所に決まったのだけど、それはイタリアではない。
で、叔母に、本当はイタリアのあの町へ行こうという案もあったんだよ、とうちのドイツ人が言ったのだが、その言葉に叔母が一瞬ものすごく目を輝かせて反応したのだった。ああ、あそこ!それは素敵ねえ・・・と一瞬うっとりし、でももうあの時のあの人は亡くなってしまったし、行ってももう町も変わってしまっただろうし、とその町への憧れを打ち消すような言葉を自ら口にしたのだった。それを聞きながら、めぎはちょっと心痛かった。ああ、やっぱり、どんなに無理してでもイタリアへ行かせてあげたかったなあ。もう行けることは一生ないんだろうから。子どもって、世界中で最も親のことがわかっているようなつもりだけど、でも実はわかっていないことがいっぱいあるのよね。親には親の、子どもには全く分かり得ない、子供とは全く関係のない人生があったのだもの。ついでに言うと、うちのドイツ人もどうしてそんな廃案になったイタリアの話を口にしちゃうかなあ・・・まあ彼は残念で仕方がなかったのだろうけど、みんなで決定したことに水をささなくてもいいのになあ・・・ま、誰も気にしていなかったからいいけど。
こうしてようやく誕生日のメインイベントが終了し、パンとハムとチーズとワインの簡単な、でもとっても美味しい満ち足りた食事が始まった。やっと誕生日のあれこれから解き放たれた叔母はとても嬉しそうだった。
つづく
撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)G
ナーゴルトの旧市街 [シュヴァルツヴァルト]
現在、2月中旬のシュヴァルツヴァルトのナーゴルトの話を連載中。
叔母の80歳の誕生日パーティーの次の日、帰宅前にナーゴルトの旧市街を撮影に。やっと青空が覗いてくれたので。
でもねえ、光がないんだよな・・・
この古い建物はその昔は郵便馬車のお休み処(つまり宿)だったのだが、今はレストランのみ開業しているのだそう。そのレストランも斜陽なのだとか。
まあこんな小さな町に泊まりに来る人も少ないだろうし、食べに来る人も少ないだろうしね・・・
ナーゴルトは有名なローテンブルクにも劣らない木組みの建物の可愛い町で、しかも山の上には古城だってあるのに、上手く観光地化するのに失敗したんだろうな。古い街並みを活かしていくか、思い切って近代化するか、どちらにも決めかねてどっちつかずで方針が定まっていないような印象を受けた。
こちらのホテル・アートラーはホテルとレストランの両方を営業している。6年半前に叔父の70歳の誕生日パーティーをしたのはここだった。
今回ここに宿泊することも検討したのだけど、ちょっとお高めなので別のところ(ibisというチェーンホテル)にしたのだった。チェーンなんてめぎたちが泊まらなくたってびくともしないし、本当は地元の古い建物のホテルを応援したい気持ちがめぎにはあるのだけど、みんなの予算があるし、叔母の家に少しでも近いところの方がいいし、ということで。
そうそう、あの美味しかった洋梨のブランデーを購入。あれもこれも欲しくなるお店だった。
散歩の時間が終わる頃、日が差してきた・・・うまくいかないものだわねえ。
撮影: D600 + 70-200mm(F4)
叔母の80歳の誕生日パーティーの次の日、帰宅前にナーゴルトの旧市街を撮影に。やっと青空が覗いてくれたので。
でもねえ、光がないんだよな・・・
この古い建物はその昔は郵便馬車のお休み処(つまり宿)だったのだが、今はレストランのみ開業しているのだそう。そのレストランも斜陽なのだとか。
まあこんな小さな町に泊まりに来る人も少ないだろうし、食べに来る人も少ないだろうしね・・・
ナーゴルトは有名なローテンブルクにも劣らない木組みの建物の可愛い町で、しかも山の上には古城だってあるのに、上手く観光地化するのに失敗したんだろうな。古い街並みを活かしていくか、思い切って近代化するか、どちらにも決めかねてどっちつかずで方針が定まっていないような印象を受けた。
こちらのホテル・アートラーはホテルとレストランの両方を営業している。6年半前に叔父の70歳の誕生日パーティーをしたのはここだった。
今回ここに宿泊することも検討したのだけど、ちょっとお高めなので別のところ(ibisというチェーンホテル)にしたのだった。チェーンなんてめぎたちが泊まらなくたってびくともしないし、本当は地元の古い建物のホテルを応援したい気持ちがめぎにはあるのだけど、みんなの予算があるし、叔母の家に少しでも近いところの方がいいし、ということで。
そうそう、あの美味しかった洋梨のブランデーを購入。あれもこれも欲しくなるお店だった。
散歩の時間が終わる頃、日が差してきた・・・うまくいかないものだわねえ。
撮影: D600 + 70-200mm(F4)
田舎の一人暮らし [シュヴァルツヴァルト]
80歳の叔母の誕生日の旅の話は本日最終回。
光が射してきたナーゴルトの旧市街に別れを告げ・・・
ホテルをチェックアウトして叔母の家にお別れに。
先日も書いたが、今回の旅では叔母の姉と弟(うちのドイツ人の母親と叔父)を叔母の家に泊まらせるため、おばの娘と孫、そして甥のうちのドイツ人とめぎは近くのホテルに泊まった。お金かかるけど程よい距離感があってよかった。
デュッセルドルフから運んできたポテトスープやらティラミスやらの鍋などをうちのドイツ人が引き取っている間に、めぎはちょっと家の中をあれこれと。壁中が美術館のように絵画で埋め尽くされているのだが、それはみんな叔母が自分で描いた絵。
戸棚に見えたこのセットは、娘(うちのドイツ人の従妹)がキリスト教のプロテスタントの堅信礼を迎えた時のお祝いの席で使うために揃えたものだと言う。
叔母は謂わば未婚の母で、それも従妹は叔母の母親(うちのドイツ人の祖母)の再再婚相手に強姦されてできた子どもで、従妹は父親なしに育てられた。従妹が名目上は血のつながりのないはずの義理の祖父である実の父親と遊んでいる写真が残っていて、おとなになってからきちんと認知もされて最後は遺産相続もしたそうだが、当時凄まじい家族内の葛藤があったことが容易に想像できる。そんな中で女一人子育てをしつつ堅信礼のお祝いを整えるというのはどれほどの苦労があったことだろうか。
娘が高校生くらいのときに叔母はナーゴルトのある名士と結婚した。相手は離婚した前の奥さんとの間に二人子どもがいる人で、叔母はその夫が亡くなった後自宅をその前妻の息子に譲り、このアパートに引越して一人暮らしを始めたのだとか。だから手狭なのだと言うが、日本的には豪邸のように広い。なにしろ、上に載せた広いリビングの他にも部屋が沢山。こんな大きなダブルベッドをおいても尚スペースに余裕のある広い寝室に・・・
こんな書斎兼客間もあり・・・
こんなサンルームもあり・・・(左手前に写っているのはテレビ!昔懐かしのブラウン管が木の箱に入っているタイプ。ちなみにビデオやDVDプレーヤーなどはない。)
キッチン(その写真はなし)とこんなダイニングエリアもあり・・・
写真はないが、バスルームにドイツでは珍しく独立したトイレまでついているのだもの。田舎だとは言え、スペース的にホント恵まれているわねえ。多分めぎ家よりお金持ちであると思うのだけど、古いテレビでわかるように家電や通信に余計なお金を使ってなく、旅もデュッセルドルフの娘を年に2回ほど訪ねる以外にほとんどせず、生活はとても慎ましい。旅やカメラにつぎ込む自分の生活をちょっと反省しちゃうなあ。
叔母はコンピューターもできないし(やる気もないし)、携帯は使っているけどスマホは使う気もなく持っていないし、紙媒体で生きている人。事典のアップデートはたくさんの雑誌の切り抜き。
普段の生活は、この山の上から右下に見えている旧市街の方まで買い物や散歩で一日2回昇り降りしているのだとか。80歳でも元気いっぱいなのはそのおかげなのね。
これで80歳の誕生日祝にナーゴルトへ行ったお話はめでたく終了。次は初夏の旅で、とお別れし、約500kmを駆け抜けて帰宅。90歳を祝うことができるかな・・・できるといいね。
撮影: Nikon1 V3 + 10mm(F2.8)
光が射してきたナーゴルトの旧市街に別れを告げ・・・
ホテルをチェックアウトして叔母の家にお別れに。
先日も書いたが、今回の旅では叔母の姉と弟(うちのドイツ人の母親と叔父)を叔母の家に泊まらせるため、おばの娘と孫、そして甥のうちのドイツ人とめぎは近くのホテルに泊まった。お金かかるけど程よい距離感があってよかった。
デュッセルドルフから運んできたポテトスープやらティラミスやらの鍋などをうちのドイツ人が引き取っている間に、めぎはちょっと家の中をあれこれと。壁中が美術館のように絵画で埋め尽くされているのだが、それはみんな叔母が自分で描いた絵。
戸棚に見えたこのセットは、娘(うちのドイツ人の従妹)がキリスト教のプロテスタントの堅信礼を迎えた時のお祝いの席で使うために揃えたものだと言う。
叔母は謂わば未婚の母で、それも従妹は叔母の母親(うちのドイツ人の祖母)の再再婚相手に強姦されてできた子どもで、従妹は父親なしに育てられた。従妹が名目上は血のつながりのないはずの義理の祖父である実の父親と遊んでいる写真が残っていて、おとなになってからきちんと認知もされて最後は遺産相続もしたそうだが、当時凄まじい家族内の葛藤があったことが容易に想像できる。そんな中で女一人子育てをしつつ堅信礼のお祝いを整えるというのはどれほどの苦労があったことだろうか。
娘が高校生くらいのときに叔母はナーゴルトのある名士と結婚した。相手は離婚した前の奥さんとの間に二人子どもがいる人で、叔母はその夫が亡くなった後自宅をその前妻の息子に譲り、このアパートに引越して一人暮らしを始めたのだとか。だから手狭なのだと言うが、日本的には豪邸のように広い。なにしろ、上に載せた広いリビングの他にも部屋が沢山。こんな大きなダブルベッドをおいても尚スペースに余裕のある広い寝室に・・・
こんな書斎兼客間もあり・・・
こんなサンルームもあり・・・(左手前に写っているのはテレビ!昔懐かしのブラウン管が木の箱に入っているタイプ。ちなみにビデオやDVDプレーヤーなどはない。)
キッチン(その写真はなし)とこんなダイニングエリアもあり・・・
写真はないが、バスルームにドイツでは珍しく独立したトイレまでついているのだもの。田舎だとは言え、スペース的にホント恵まれているわねえ。多分めぎ家よりお金持ちであると思うのだけど、古いテレビでわかるように家電や通信に余計なお金を使ってなく、旅もデュッセルドルフの娘を年に2回ほど訪ねる以外にほとんどせず、生活はとても慎ましい。旅やカメラにつぎ込む自分の生活をちょっと反省しちゃうなあ。
叔母はコンピューターもできないし(やる気もないし)、携帯は使っているけどスマホは使う気もなく持っていないし、紙媒体で生きている人。事典のアップデートはたくさんの雑誌の切り抜き。
普段の生活は、この山の上から右下に見えている旧市街の方まで買い物や散歩で一日2回昇り降りしているのだとか。80歳でも元気いっぱいなのはそのおかげなのね。
これで80歳の誕生日祝にナーゴルトへ行ったお話はめでたく終了。次は初夏の旅で、とお別れし、約500kmを駆け抜けて帰宅。90歳を祝うことができるかな・・・できるといいね。
撮影: Nikon1 V3 + 10mm(F2.8)
ナーゴルトその他のダイジェスト [シュヴァルツヴァルト]
先日来ちらちらと書いたように、この週末うちのドイツ人の叔母の家へ行ってきた。土曜日の朝6時に出発し12時ごろ到着したのは、ドイツ南西部のシュヴァルツヴァルト(黒い森)地方のナーゴルトという小さな田舎の町。これは旧市街。
場所はこちら。
ナーゴルトにはめぎは少なくとも3回来たことがある。1回目はうちのドイツ人の叔父の70歳の誕生日祝いに。2回目は叔母の記憶を頼ってうちのドイツ人の子供の頃の思い出の地を訪ねるために。3回目は叔母の80歳の誕生日祝いに。もう1回ぐらいあるような気もするが、今ちょっと思い出せない。…と思ったら、今ブログを読み返したところ、実はこの1回目と2回目は同じ時で、3回目が2回目だったようで、あれれ…?めぎの記憶も随分怪しいなあ。ブログを書いておいてよかったわ。
今回は観光に行ったわけではなく、叔母の家の荷物の整理のお手伝いに。85歳の叔母はまだ普通に歩けるし頭もしっかりしてるし特に病気も無いのだが、何かが起こってからでは遠く450㎞離れたデュッセルドルフに住む娘(めぎ家がよく一緒に食事をしているうちのドイツ人の従妹)の負担が大きいと考え、デュッセルドルフ近くの老人ホームに移る決心をしたのだ。引っ越しは6月6日。で、片付けに入るにあたりいの一番に娘と孫息子と甥であるうちのドイツ人を呼んで、欲しいものを持って行ってと言われたのだった。これは、孫息子がもらった食器などを詰めている段ボール。孫息子は今26歳で、これまで友人とルームシェアして住んでいたのがちょうどこの1月からそこそこ大きなアパートに移って独り暮らしを始めたところで、きちんとした食器を揃える良い機会になったようだったが、物心ついた時から定期的に遊びに来ていたおばあちゃんの家がこれで無くなり、最愛のおばあちゃんが終の棲家として老人ホームに入るという現実がかなり辛いようだった。
老人ホームのワンルームに入るだけの私物は既に選んである。ベッドは介護用のを新たに(中古で)買わなければならない決まりだそうだが、それ以外は服や日常の食器のほか、今のところ本棚または戸棚、食卓テーブル、書斎机、テレビ台とテレビ、小さな丸いサイドテーブル、価値ある古い本、親から譲り受けたマイセンなどの食器等を持ち込む予定だという。が、さて…そんなに入るのか?それはさておき、その最低限の荷物に到達するにもほぼ全てを処分しなければならないわけで、気が遠くなる。で、まず一人娘(その父親は50年ぐらい前に亡くなっている)とその一人息子(孫息子)と甥(うちのドイツ人)に好きなものを選ばせてくれて、この後は30年ぐらい前に亡くなったご主人の家族や親戚(みんなナーゴルトやその周辺に住んでいる)や古い友人たちに順番が回り、あとはすべて処分することとなる。
叔母は絵を描く人なので、作品が山のようにある。小さなものまで数えると何百枚とある。今回は特に絵を選んでいただいてきた。孫息子も5枚ぐらい選んでたし、めぎ家も3枚選んだけど、あとは数点叔母が自分で持参し、残りは残念ながらほとんどを捨てることになるのだろう。悲しいことね。時間があれば一枚一枚写真を撮ってネットで販売などもできるんだろうけどね…誰にもそんな時間はなく、叔母はコンピューターは全くできないし、カメラも未だアナログだし。
実はめぎ家には既に以前いただいたのがあって、リビングに飾ってある。いろんな様式の絵を描いている叔母だが、うちのドイツ人のお気に入りはこれ。
それから家族の歴史の詰まった古い写真アルバムを確認。叔母やうちのドイツ人の母親が子どもの頃のや、その前の祖父母が子どもの頃のもある。アルバムの山はうちのドイツ人がほとんど持ち帰り、スキャンしてデータ化して孫息子にお渡しすることとなった。アルバム自体は叔母の元に戻すこととなっている。
今回の集いは、叔母の持ち物から我々が欲しいものを頂くというのが表向きの目的で、その裏には別のもっと大事な目的がある。溢れる想い出のものにアップアップして作業が全く捗らない叔母とお話しながら、何を持って行けるか、何を持ち続けなければならないか、何が要らないか、叔母が判断できるようにその基準を提供するというか、娘や甥と話すことで叔母の考えが整理できるのだ。現実にいくつかのものが、皆がこれもらってもいい?と聞くことで、いやそれは私が持ち続けたい、それはもう要らないからどうぞ、これもらってほしいけど誰も欲しくない、とふるいにかけられていったのだ。そして、まだまだ大量のものが残っているとはいえ、いくつかの大切な物が家から去って行ったのだ。これで叔母も、さあ本当に荷造りしなきゃ、次の順番の人たちにも選んで持って行ってもらわなきゃ、と前進することができたようである。
戸棚の奥から古いポートワインを見つけ、この機会にこのメンバーで飲まずしてどうする!?とばかりに5人で乾杯。この他にも地下室であれこれ古いワインを見つけ、夜にみんなで味わった。
娘と孫の家の近くに来るのは心強いかもしれないが、70年ぐらい住んでいる馴染みの地域を出て、知人も友人も全くいないデュッセルドルフに移り住むというのは、85歳の叔母にはリスクもかなり大きいはずだ。しかし、それは叔母と従妹が長い時間をかけて出した結論なので、めぎやうちのドイツ人の口をはさむところではない。近くに来るので、もう少し頻繁に会って食事はもちろん一緒に観劇するとか何か機会を作ろうとは思うものの、本人が慣れた場所で一人暮らしして古い友人にすぐに会ったりできた環境とは全く異なるわけで…シュヴァルツヴァルト地方とデュッセルドルフの辺りとではドイツ人の気質もかなり違ってるし、あの方言とあの気質、老人ホームでまわりの人たちにどう受け入れられるかな…
今年は春が遅く、家の目の前にある桜がまだ咲いていなかった。うーん、残念…
ドイツが最も美しい6月という季節に新天地へ引っ越しをする叔母が、ナーゴルトの最後の春を心ゆくまで愛でられますように。
さて、土曜日の午後と日曜日の午前中に叔母の家でみんなで話し合いながら天井裏やら地下室やら各部屋やらでたくさん作業した後は、娘(うちのドイツ人の従妹)と孫(その息子)は月曜日からまた仕事だということでデュッセルドルフへ戻って行った。めぎとうちのドイツ人は、めぎがイースター休みに入ったのでせっかくだからとその近くのちょっと興味あった町にもう1泊。ナーゴルトから65キロぐらい南のロットヴァイルというところ。残念ながらずっと雨時々曇りという悪天候だったけど。
場所はこちら。
そしてやっと晴れた月曜日、帰りがけに130㎞ぐらい北に戻ったところにあるシュヴェッツィンゲンという町の城に寄った。城自体が目的ではなくうちのドイツ人がその昔オペラ座で仕事をしていた頃に客員公演で出たことのあるという劇場と…
その前にある庭園を見ることが目的。アウトバーンが混まないうちに出発しようということで時間があまりなく、城の中は見ていない。
場所はこちら。
それから300㎞ぐらいぶっとばして、月曜日16時に帰宅。たったの2泊3日の駆け足だったけど、仕事をバーンと忘れ、大いに気分転換になった。この旅の話は数日後から。明日からは通常のブログのローテーションに戻る予定。しかし、ええと、次はどの話の順番だったっけ…
場所はこちら。
ナーゴルトにはめぎは少なくとも3回来たことがある。1回目はうちのドイツ人の叔父の70歳の誕生日祝いに。2回目は叔母の記憶を頼ってうちのドイツ人の子供の頃の思い出の地を訪ねるために。3回目は叔母の80歳の誕生日祝いに。もう1回ぐらいあるような気もするが、今ちょっと思い出せない。…と思ったら、今ブログを読み返したところ、実はこの1回目と2回目は同じ時で、3回目が2回目だったようで、あれれ…?めぎの記憶も随分怪しいなあ。ブログを書いておいてよかったわ。
今回は観光に行ったわけではなく、叔母の家の荷物の整理のお手伝いに。85歳の叔母はまだ普通に歩けるし頭もしっかりしてるし特に病気も無いのだが、何かが起こってからでは遠く450㎞離れたデュッセルドルフに住む娘(めぎ家がよく一緒に食事をしているうちのドイツ人の従妹)の負担が大きいと考え、デュッセルドルフ近くの老人ホームに移る決心をしたのだ。引っ越しは6月6日。で、片付けに入るにあたりいの一番に娘と孫息子と甥であるうちのドイツ人を呼んで、欲しいものを持って行ってと言われたのだった。これは、孫息子がもらった食器などを詰めている段ボール。孫息子は今26歳で、これまで友人とルームシェアして住んでいたのがちょうどこの1月からそこそこ大きなアパートに移って独り暮らしを始めたところで、きちんとした食器を揃える良い機会になったようだったが、物心ついた時から定期的に遊びに来ていたおばあちゃんの家がこれで無くなり、最愛のおばあちゃんが終の棲家として老人ホームに入るという現実がかなり辛いようだった。
老人ホームのワンルームに入るだけの私物は既に選んである。ベッドは介護用のを新たに(中古で)買わなければならない決まりだそうだが、それ以外は服や日常の食器のほか、今のところ本棚または戸棚、食卓テーブル、書斎机、テレビ台とテレビ、小さな丸いサイドテーブル、価値ある古い本、親から譲り受けたマイセンなどの食器等を持ち込む予定だという。が、さて…そんなに入るのか?それはさておき、その最低限の荷物に到達するにもほぼ全てを処分しなければならないわけで、気が遠くなる。で、まず一人娘(その父親は50年ぐらい前に亡くなっている)とその一人息子(孫息子)と甥(うちのドイツ人)に好きなものを選ばせてくれて、この後は30年ぐらい前に亡くなったご主人の家族や親戚(みんなナーゴルトやその周辺に住んでいる)や古い友人たちに順番が回り、あとはすべて処分することとなる。
叔母は絵を描く人なので、作品が山のようにある。小さなものまで数えると何百枚とある。今回は特に絵を選んでいただいてきた。孫息子も5枚ぐらい選んでたし、めぎ家も3枚選んだけど、あとは数点叔母が自分で持参し、残りは残念ながらほとんどを捨てることになるのだろう。悲しいことね。時間があれば一枚一枚写真を撮ってネットで販売などもできるんだろうけどね…誰にもそんな時間はなく、叔母はコンピューターは全くできないし、カメラも未だアナログだし。
実はめぎ家には既に以前いただいたのがあって、リビングに飾ってある。いろんな様式の絵を描いている叔母だが、うちのドイツ人のお気に入りはこれ。
それから家族の歴史の詰まった古い写真アルバムを確認。叔母やうちのドイツ人の母親が子どもの頃のや、その前の祖父母が子どもの頃のもある。アルバムの山はうちのドイツ人がほとんど持ち帰り、スキャンしてデータ化して孫息子にお渡しすることとなった。アルバム自体は叔母の元に戻すこととなっている。
今回の集いは、叔母の持ち物から我々が欲しいものを頂くというのが表向きの目的で、その裏には別のもっと大事な目的がある。溢れる想い出のものにアップアップして作業が全く捗らない叔母とお話しながら、何を持って行けるか、何を持ち続けなければならないか、何が要らないか、叔母が判断できるようにその基準を提供するというか、娘や甥と話すことで叔母の考えが整理できるのだ。現実にいくつかのものが、皆がこれもらってもいい?と聞くことで、いやそれは私が持ち続けたい、それはもう要らないからどうぞ、これもらってほしいけど誰も欲しくない、とふるいにかけられていったのだ。そして、まだまだ大量のものが残っているとはいえ、いくつかの大切な物が家から去って行ったのだ。これで叔母も、さあ本当に荷造りしなきゃ、次の順番の人たちにも選んで持って行ってもらわなきゃ、と前進することができたようである。
戸棚の奥から古いポートワインを見つけ、この機会にこのメンバーで飲まずしてどうする!?とばかりに5人で乾杯。この他にも地下室であれこれ古いワインを見つけ、夜にみんなで味わった。
娘と孫の家の近くに来るのは心強いかもしれないが、70年ぐらい住んでいる馴染みの地域を出て、知人も友人も全くいないデュッセルドルフに移り住むというのは、85歳の叔母にはリスクもかなり大きいはずだ。しかし、それは叔母と従妹が長い時間をかけて出した結論なので、めぎやうちのドイツ人の口をはさむところではない。近くに来るので、もう少し頻繁に会って食事はもちろん一緒に観劇するとか何か機会を作ろうとは思うものの、本人が慣れた場所で一人暮らしして古い友人にすぐに会ったりできた環境とは全く異なるわけで…シュヴァルツヴァルト地方とデュッセルドルフの辺りとではドイツ人の気質もかなり違ってるし、あの方言とあの気質、老人ホームでまわりの人たちにどう受け入れられるかな…
今年は春が遅く、家の目の前にある桜がまだ咲いていなかった。うーん、残念…
ドイツが最も美しい6月という季節に新天地へ引っ越しをする叔母が、ナーゴルトの最後の春を心ゆくまで愛でられますように。
さて、土曜日の午後と日曜日の午前中に叔母の家でみんなで話し合いながら天井裏やら地下室やら各部屋やらでたくさん作業した後は、娘(うちのドイツ人の従妹)と孫(その息子)は月曜日からまた仕事だということでデュッセルドルフへ戻って行った。めぎとうちのドイツ人は、めぎがイースター休みに入ったのでせっかくだからとその近くのちょっと興味あった町にもう1泊。ナーゴルトから65キロぐらい南のロットヴァイルというところ。残念ながらずっと雨時々曇りという悪天候だったけど。
場所はこちら。
そしてやっと晴れた月曜日、帰りがけに130㎞ぐらい北に戻ったところにあるシュヴェッツィンゲンという町の城に寄った。城自体が目的ではなくうちのドイツ人がその昔オペラ座で仕事をしていた頃に客員公演で出たことのあるという劇場と…
その前にある庭園を見ることが目的。アウトバーンが混まないうちに出発しようということで時間があまりなく、城の中は見ていない。
場所はこちら。
それから300㎞ぐらいぶっとばして、月曜日16時に帰宅。たったの2泊3日の駆け足だったけど、仕事をバーンと忘れ、大いに気分転換になった。この旅の話は数日後から。明日からは通常のブログのローテーションに戻る予定。しかし、ええと、次はどの話の順番だったっけ…