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南西ドイツ 2017年6月 ブログトップ
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花の絨毯 [南西ドイツ 2017年6月]

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今日からぼちぼちと6月中旬の旅のお話を。

Hüfingen(ヒュフィンゲン)という人口7500人の小さな無名の街に行こうなどと言い出したのは、うちのドイツ人だった。なんでも彼は若い頃、知り合いに誘われてその街へある行事を見に行ったことがあるのだという。その行事とはキリスト教のカトリックの聖体のお祭りで、プロテスタントの彼には全く馴染みのない行事なのだが、そのパレードは一見の価値があったのだとか。その話をこれまでに何度か聞かされていたのだが、しかし彼は肝心の街の名前を忘れてしまってて、しかもその街はデュッセルドルフからは結構遠いところなので泊りがけになるし、それほどどうしてもというわけでもなく、街の名前を調べることもなく何年も過ぎていた。

ようやく名前を調べ出し、フライブルク近くのその街へ本当に行くことにした頃、たまたまハンブルクの友人夫婦とオランダに小旅行(あの牡蠣を食べに行った旅)。そこでめぎ家の計画を聞いた彼らは一緒に行きたいと言い出し、今回の旅になったのだった。ハンブルク生まれ育ちで今もなおハンブルクに住み続けている彼らも、カトリックの行事には全く疎い。キリスト教とひとくくりに言っても、カトリックとプロテスタントは実は全く異なるのだ。同じドイツでもプロテスタント圏は聖体の日が祝日ではなく、したがってハンブルクは平日なのである。めぎの住むデュッセルドルフは祝日だが、プロテスタントの多いデュッセルドルフでは特に目立った行事もなく、カトリックの多いお隣ケルンではたぶん何らかの行事があるのだろうと思う。ちなみに聖体の日というのはキリストの聖なる体と血を崇める日で、その行事はたいてい、花を道路に撒きながら練り歩くパレードである。

さてさて・・・その聖体の日、めぎは朝6時から撮影開始。
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というのは、前日に宿に到着したとき、めぎのカメラを見た宿の人が「撮影するなら朝早く行った方がいいよ」と薦めてくれたから。パレードそのものは朝8時半から始まるのだが、準備を見ると面白いだろうと言う。7時頃に行けばいいというのだが、パレードでいい場所をとるには8時に行かなければと仮定して、朝食は7時、すると準備はその前に見るしかない。ハンブルクの友人たちは朝食に間に合うようにゆっくり起きると言うので、めぎ家だけ朝の散歩に。

朝6時には既にもうほとんど準備が終わっていた。
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準備と言うのは、この花の絨毯を作るところ。
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教会から伸びるこの街の目抜き通りに往復500mくらいの花の絨毯を敷き詰めるのだ。5~10mずつ担当グループが分かれているようで、モチーフが異なる。幾何学的な模様のところもあれば、宗教的なのもある。
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作業は非常に細かい。小さな花をそっとそっと綺麗に置いていく。人々は物凄く真剣で、近くで撮っていても脇目も振らない。その様子は、宗教的というよりも、その街の伝統的なハレの日を大事に思い、みんなで力を合わせてしっかり準備をしている、という感じだった。
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この時点で見に来ている人たちはほとんど地元の人で、準備を終えて出来上がりを見て回っていた。
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ところどころに力作が。
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これ、全て生花&生の枝葉で出来ているのだ。
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このためにどれほどの花が前日の夜に(もしかしてこの日の朝?)に摘み取られたことかしら。もちろんそのための畑があるのだろうけれど。
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つづく

撮影: D600 + 70-300mm(F4.5-5.6)
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射撃協会の人たち [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の旅の話を連載中。

ここは南西ドイツの小さな村ヒュフィンゲン。聖体の祝日のお祭りにて。
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花の絨毯の準備はすっかり整い、めぎも朝食を終えて再びここにやってきた。8時ちょっと前。見に来た人にはお年寄りが多い・・・参加する人はともかく、こういうのに興味をもって早起きしてやってくるのは、やっぱりある程度の年齢層という感じかしら。そう書いているめぎたちだって、4人のうち2人は60を超し、もう1人も今年60を迎えるところ。めぎだけ中途半端な中年後期でなんだかなぁ・・・
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子供たちが正装してここへ向かう。どのように参加するかで正装の仕方もずいぶん違うようだが、それぞれお召かししてやってきていた。
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こちらの家族はご主人のみ正装。これは射撃協会の制服。
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市庁舎前の広場には射撃協会の人たちが続々と集まって来ていた。
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お偉いさんはカメラマンと打ち合わせ。
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射撃協会というのは、物凄く簡単に言えば、ドイツがナポレオンのフランスに統治された頃にドイツを守ろうと各地の各村各町に組織された自衛団体が元となっていて、今はその地域の行事・・・カーニバルなどこういうキリスト教のお祭り・・・の運営を担っている。たぶん趣味としての射撃の練習もしていて、そこからオリンピックの射撃の選手などが育っているのだろうと思うが、めぎは詳しいことは分からない。とにかく射撃団体はドイツ中いたるところにたくさんあって、デュッセルドルフにも複数の射撃協会の団体があって、カーニバルのパレードをしたり、5~6月ごろにもパレードをしたりしているのだが、基本的には定期的に集まってビールを飲んでソーセージを食べて盛り上がっている典型的なドイツ人たちというイメージ。

この人たちも射撃の練習をしつつビールを飲んでわいわい楽しんで、年に数回町の行事を取り仕切っているのだろう。宗教行事なのに射撃協会が取り仕切るというのもなんだかドイツらしい。さて、記念撮影のお時間に。はい、こうやって並んで・・・と指示を出すおじ(い)さん。
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しかし、なかなか揃わない・・・ドイツ人たちって、個人主義というか、ホント自由だなあ。さくっと並んでさくっと言われたとおりに見るべきところを見て笑うべき瞬間に笑えばさくっと終わるのに、みんなよそ見したり鼻をかいたり帽子かぶりなおしたり冗談言って大笑いしたりしかめっ面をしたりで、いつまで経っても撮影にこぎつけない。
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カメラマンさんは大変。
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しかしこの自由さのおかげでめぎはカメラマンさんの脚立のすぐ横にもぐりこんでこんな風に撮影することができた。このおじさん、一番偉いはずの隣の人よりずっと目立ってたな~
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つづく

撮影: D600 + 70-300mm(F4.5-5.6)
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通り沿いの祭壇 [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の旅の話を連載中。南西ドイツの小さな町ヒュフィンゲンにカトリックの聖体のお祭りを見に来ているところ。

ちょっと話が前後するが、花の絨毯を準備する傍ら、祭壇を準備している人たちもいた。
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出来上がった祭壇。
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祭壇の前にはひときわ凝った模様の絨毯が。
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祭壇は一つではない。100メートルくらい先にまた一つ。そうそう、この絨毯、緑の葉っぱのところは踏んでもいいことになっている。作業でどうしても踏み込む必要のある場合はもちろん、絨毯の向こうに行きたい場合も、写真を絨毯の真上から写したい場合も、緑の部分(特に一区画ごとに枠のように敷き詰められているところ)に足を踏み込めばいいことになっていた。
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こちらの前の絨毯はこのときまだ準備中。
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そこからまた100メートルくらい離れたところにも。
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向こうに見える教会からこちらへ伸びるこの通りの右側と左側にそれぞれ花の絨毯があって、その2本の絨毯はこの写真の手前でコの字に曲がってつながっている。絨毯に沿って祭壇が全部で4箇所あって、教会から始まるパレードは絨毯に沿って進み、それぞれの祭壇で祈りをささげたりするものと思われた。
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射撃協会の人たちが準備を取り仕切って儀式にも参加するようだけど、お祭りそのものは非常に宗教的のようね。
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さて、そろそろ始まりそう。
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つづく

撮影: D600 + 20mm(F1.8)/ 70-300mm(F4.5-5.6)
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行進の始まり [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の旅の話を連載中。南西ドイツのヒュフィンゲンという町での聖体のお祭りの日のこと。

そろそろ行列が始まるようで、参加する人たちが花の絨毯に沿って並び出した。
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あの射撃協会の人たちも。
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花の絨毯を横切るときには緑の葉っぱで作った枠の部分に足を踏み入れる。それは横切るときだけでなく、そこに足を踏み入れて写真を撮ってもいいわけで・・・
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カメラマンさんたちは葉っぱの枠のところにスタンバイ。
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音楽が鳴り始め、行進が始まった。めぎも枠の緑に足を踏み入れて撮影。でも、どんどん進んでくるし、なんだか緑の上と言えども立つのは気が引けて、上手く撮れなかった。
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そしてこちら側へ。
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こちら側にはほとんど人がいなくて、すぐそばを通っていく行列を間近で撮影。
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そしてメインがやってきた・・・
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司教である。
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つづく

撮影: D600 + 70-300mm(F4.5-5.6)
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祭壇での儀式 [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の旅の話を連載中。南西ドイツのヒュフィンゲンという町での聖体のお祭りの日のこと。

行列の中ほどに、司教さんがやってきた。
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若~い!
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もっとお年寄りを想像していためぎはこの若い司教さんにビックリ。
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めぎの想像通り、一つ目の祭壇のところで行列は止まり、司教さんが祭壇へ。
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司教さんが持っているのはMonstranzといい、語源は「見せる」という意味のラテン語のmonstrare。日本語訳は聖体顕示台。日本語にすると一気に難しく恭しくなるけど、確かに凄い顕示力だわね。でも、日本にだって小さな町の神社に立派な金ぴかのお神輿があったりするわけで、どこも同じだなあと思ったり。

これはガラス越しに撮ったもの。
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ちょうどこの祭壇の近くにバス停があって、雨よけのガラス越しの位置から祭壇が良く見えたのだけど、映り込みがひどい。ふと見るとうちのドイツ人が祭壇の横の植物の陰に陣取ってて、めぎを手招きした。おお~ここからだと、植物がちょっと邪魔だけど、よく見えるわね・・・ピントが上手く合わせられなかったけど。
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豪華なマントを脱いだ司教さんは厳かに儀式を進行。こんな若いのに、カトリックの司教さんということは女人禁制で、雑念とか欲求とかどうしているのかしら・・・などとめぎは余計なお世話なことを考えてしまった。
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賛美歌を歌ったりお説教があったり聖句をみんなで読み上げたり参列者のスピーチがあったり。式次第(時折写りこんでいる人々の手にしているオレンジ色の紙)は教会で配布していて、それには賛美歌の歌詞や楽譜も書かれていた。
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付き従っていた子供たちが印象的だった。
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つづく

撮影: D600 + 70-300mm(F4.5-5.6)

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教会のお祭りに思うこと [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の旅の話を連載中。南西ドイツのヒュフィンゲンにて、聖体のお祭りを見学しているところ。

儀式を終えた司教はまた聖体顕示台を掲げて・・・
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行列の中へ戻っていった。
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そしてまた行列は次の祭壇の場所へ向けて花の絨毯に沿って進んでいった・・・
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・・・と、みなさま、司教の足元にお気づきになったかしら。そう、司教だけは、この花の絨毯の上を歩いていくのだ。というか、司教のために、いや、司教の持つ聖体顕示台のためにこの花の絨毯が敷かれたのだ。早朝からの準備やその前のデザインなど、そして夥しい数の花がこのために育てられ、そしてやっと咲いたと思ったら摘まれてしまっていることなど、全てこの聖体のため、いや、キリストのためなのだ・・・
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そして、絨毯に沿ってたくさんの人たちがぞろぞろと続く。車椅子の人たちもたくさん。
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司教は向こうの祭壇に到着し、また次の礼拝儀式が始まった。
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そしてまた聖書を唱えたり賛美歌を歌ったり説教があったりスピーチがあったりして、儀式を終えると次の祭壇へ進む。次はあそこ。
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あの射撃協会の人も炎天下でも文句言わず付き従っている。さっきの写真撮影の時には全く統制の取れていなかった射撃団体の人たちだが、行進の間はお喋りすることもなく、静かに真剣に付き従い、プログラムに沿って歌ったり成句を唱えたりお説教に聞き入ったりしてて、失礼ながらドイツ人もこんなに集団行動できるのね!とビックリするほど。宗教の力って凄い・・・
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行進にはブラスバンドの生演奏。みんな暑そう・・・ドイツ人って、暑いからって学校も休みにしたり仕事も休んだりするのに、宗教行事は投げ出さないのね。
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こうして3つ目の祭壇に司教が到着する頃、一緒に来たハンブルクの友人のご主人の方が「もう十分、そろそろ行こうよ」と言い出した。彼にはもうカトリックの儀式はたくさんで、これ以上は見たくない、どこか観光に行こうよ、というわけである。この近くにはドナウ河の源泉があり、彼はそれを見に行くのも楽しみにしてやってきたのだ。キリスト教徒ではないめぎは儀式を単純に物珍しく興味を持って見ることが出来たし、正直最後まで見ていたかったのだけど、めぎ以外の3人のドイツ人はプロテスタントで、ここへめぎを誘ったうちのドイツ人はともかく、友人夫婦は奥さんもカトリックの儀式にはもううんざりという表情。ホント、カトリックとプロテスタントの断絶って深い。まあこの展開は事前にちょっと予想してて、それでもこの友人夫婦の同行に同意したのはめぎだったのだし、一緒に行くつもりのドナウ源泉はちょっと遠くて車での移動なので2人で先に行っててと言うわけにもいかず、残念だけど儀式を見るのはこれで打ち切ることにした。ここまで早朝からしっかり堪能したし、ここはドイツだからまた見たければまた来れば良いのだし。

ホテルに戻る途中で、教会に寄ってみた。行列はここから出発し、4つある外の祭壇を一回りしてここに戻ってきてミサがある予定なのだ。めぎとしてはミサも見てみたかったなあ・・・中ではあと30分くらいに迫ったミサの最後のリハーサルが行われていた。行列を見ずに既に席を取っている人たちがいる中、後ろの2階で・・・そこはよく教会でパイプオルガンが据えてあるあの上の場所なのだが、そこに小さなオーケストラとコーラス隊がいるようで、モーツァルトのミサ曲を奏でていたのだ。振り返ると指揮棒がちらりと見えた。その綺麗な音色と歌声と言ったら!こんな名もない村の小さな教会のお祭りのミサで、名もないアマチュアの楽団とコーラス隊からこんなにレベルの高い音楽が聴けるなんて。ヨーロッパのクラシック界の底力というか、裾野の広さと根の深さを思い知らされた。これもまた宗教の力だと言えばそれもその通りで、ミサのために楽団やコーラス隊が組織され予算も出てしっかり練習するわけだし、モーツァルトだってミサのために美しい作品を遺したのだ。そして、ミサだからこそこんな素晴らしい音楽が無料で聴けるのだ・・・ミサではオルガンも使うようだったし、聴いてみたかったなあ・・・音楽を楽しむために儀式を見学するなんて、まあ敬虔な信者には失礼だけど。
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つづく

撮影: D600 + 70-300mm(F4.5-5.6)
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祭りの終わり [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の旅の話を連載中。

南西ドイツのヒュフィンゲンの聖体のお祭りを見学し、その後一日近郊を観光してまたヒュフィンゲンに戻ってきたのは夕方6時近く。お祭りは終了し、片付けに入っていた。
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この通りの通行止めは7時まで。あと1時間くらいで片付けられてしまう花の絨毯だが・・・
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お花はこの炎天下の一日ですっかり変わり果てた姿になっていた。
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全く同じ場所やアングルではないが、似たようなところを比較してみる。

朝6時頃 → 夕方6時頃
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こうしてブログにまとめる段になってから、同じところで定点撮影すればよかったなと気づく。写真一枚でこの祭りを語れるような作品はもちろん撮れず、ブログにまとめるにも必要な撮影はしてなくて、なんだか私の写真っていったい・・・などとちょっと自己嫌悪してしまう。

朝6時頃
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夕方6時頃
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朝6時頃
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夕方6時頃
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炎天下で干からびた花がなんとも可哀想・・・雨や風でもせっかくの準備があっという間に水の泡になるのだろうし、この花の絨毯を美しい状態で見ることが出来ためぎは運がよかったといえるんだろうな。たぶんこの後この絨毯を片付けたのだろうが、めぎたちはこの後この通りの裏側へ散歩に出かけ、そのままホテルに戻って夕食の時間となったので、片付けそのものの写真もなし。もしいつかまたここへ来る機会を作るなら、そのときは聖体の日は一日ずっとここにいることにしようと思う。しかし、本当にまた行くかどうか、なんとも言えない・・・この行事は見世物というよりは非常に粛々とした儀式で、ハッキリ言えば観光客を歓迎するムードはなく部外者を寄せ付けない雰囲気があった。この信仰に賛同できなければ、見ても表面的な綺麗さや面白さだけで彼らの意図するところは何も感じ得ない。それに、めぎのように完璧にこの信仰と隔てがあって興味だけで見ていられるようでなければ、友人の言葉を借りれば「吐きそうになるほど偽善が臭う」のである。めぎだって、この美しい花の絨毯をキリストの代わりに司教が踏みつけていくのを見るのはどうも納得がいかなかったのだ・・・

ヒュフィンゲンは食事や散歩の話などまだ残っているが、聖体の祭りの話はこれでお仕舞い。
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撮影: D600 + 35mm(F1.8)/ 70-300mm(F4.5-5.6)
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ヒュフィンゲンの街歩き [南西ドイツ 2017年6月]

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ここは先日聖体の祭りの花の絨毯をご紹介したヒュフィンゲン。
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人口7500人ほどの小さな村である。めぎの印象では2千人くらいかな、なんて思っていたが、7500人もいるのね。
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ヒュフィンゲンはHüfingenと書く。実は日本人には発音がとても難しい。カタカナを読むのだって下を噛みそうだが、「ヒュ」は口笛を吹く感じで口を尖らせずに発音するという感じかな。「フィ」は上の歯でした唇に触れて発音する。それを続けてやるのって結構難しい。
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南西ドイツのフライブルクに近い辺りにあるのだが、観光地ではないし、ガイドブックにも載ってないし、ドイツ人にも全く知られていない。よほどのカトリック信者でない限り、この街の聖体のお祭りの花の絨毯のことも知られていないだろう。いや、カトリック圏では聖体の日に花を撒きながら行列行進する儀式があって、ヒュフィンゲンほどの規模ではないが小さな花の絨毯を作る習慣もあちこちにある。もともとはイタリアから伝わった儀礼だし、ドイツの聖体の日の儀式をわざわざ見物に来る人などいないのだろう。先日も書いたが、これは見世物ではなく儀式なのだし。

それはともかく、この町の人にとってはこの日は非常に大事な宗教行事の日で、一つのハレの日であることは確か。街を上げてきれいに飾り、キリストの聖体を拝んでいるようだった。
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ここは18世紀からある宿。めぎたちが泊まったのはここではないけど。
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街は古いがとても綺麗。絵に描いたような昔の街並みの中に現代アートがあったりも。
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家々の庭には綺麗な花が咲いていた。
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運河に水車があったり。
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観光地のような飾り立てた雰囲気はなく、ここに生活があるのだ。
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駅もあって、単線だが電車が一時間に数本やってくる。これは夜10時過ぎの撮影で・・・
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これは朝7時前の撮影。
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そして教会。
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小さな町の小さな教会だが、その教えは人の心の奥深くまで滲み込み、しきたりも習慣も人々の行動や考え方の隅々にまで根付いているように感じた。
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これがドイツなんだなあ・・・東京や京都を見ただけで日本を語れないのと同じく、ドイツもデュッセルドルフやハンブルクやベルリンやミュンヘンを知っているだけでは決して語れないわね。

撮影: D600 + 70-300mm(F4.5-5.6)/ 35mm(F1.8)/ 58mm(F1.4)
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一日目の食事 [南西ドイツ 2017年6月]

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今日も6月半ばの旅のお話を。

ヒュフィンゲンで泊まったのは街の中心部から歩いて2分位のところで、ビアガーデンも併設。
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仕事を終えてから移動しためぎたちは、夜7時頃到着。それでもまだこんなに明るいのだが、ビアガーデンは既に人でいっぱい。でも、先にお昼過ぎにハンブルクから到着していた友人夫婦が席を取っていてくれた。
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もうここまで飲んでから写したのだけど、まずはビールで乾杯し・・・
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その後この辺り(バーデン地方)のロゼワインを。
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ここに向かってくるときにはアウトバーンからワイン畑をたくさん見かけたが、このすぐ近くでは見当たらず、どちらかと言うと牛や羊を多く見かけた。牧場や畑が広がる景色の中に小さな村が点在していて、たぶん多くの人は農業をしているのではないかと思う。ドイツにはあまり過疎化の問題はなく、どの町もまあまあ現状維持しているみたい。街より郊外の田舎に住みたがるドイツ人も多く、郊外に住んで車通勤も多く、若い人でも田舎に住んでいたりする。

このとき、白アスパラがあと一週間くらいでシーズン終わりという頃だったので、めぎは白アスパラ料理にした。シュヴァルツヴァルト風などと書かれていて、どんなのか興味あったし。こうやってパン粉をつけて焼いた(揚げたというよりは焼いた感じ)のがシュヴァルツヴァルト風なのか、シュヴァルツヴァルト産の生ハムが添えられているからそう名付けられたのかは不明。
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メニューには季節の白アスパラ料理が並んでいたのだけど、ハンブルクの友人夫婦は白アスパラには全く興味を示さなかった。うちで食べているものだから・・・とのこと。それに、自分たちの食べ方があって、それが一番美味しくて、外で食べてみようとは思わないものなのだとか。ドイツ人たちの白アスパラへの拘りが伺えて面白い・・・まあこうしてレストランのメニューにもあるのだから、外で食べる人もいるのだろうけど。もしや、料理しない人のためだったりして。

うちのドイツ人が頼んだのは、シニア向けのコース。シニア向けって何歳から?と聞いたら、何歳からでも頼んで良くて、単純に量が少なめという意味だったみたいだけど。そのコースのメインは野獣肉のラグー。なんの獣なのかは謎。なかなかハードなメインだし、量もたっぷり。
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お腹いっぱいだけどデザートを(うちのドイツ人と二人で一つだけどね)。これは友人夫婦の頼んだ三色シャーベット。めぎは本当はグリーンアスパラのシャーベットというのが食べてみたかったのだけど、それは残念ながら売り切れで、イチゴのにしたのだった。
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そして最後に枇杷の蒸留酒。
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食べ終わってからも、特に何を頼むわけでもなくそのままずっとおしゃべり。ドイツのいいところは、居酒屋やレストランに2時間までとか3時間までといった時間制限がないことと、食べ終わってからそのまま何時間座っていても文句言われず、特に誰も気にしない事かな。はっきり言えばビール一杯だけで何時間座っていても問題ないのだ。

移動で疲れてるし次の日も早いしということで解散したのは夜11時過ぎ。9時半頃に日が沈み、すっかり日が暮れるまでそのままビアガーデンに座っておしゃべりしていたということだ。これはフロントの飾り。
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次の日の朝、ビアガーデンをよく見たらきれいなバラが咲いていた。
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ホテルの食事の話はもう一回続く。

撮影: D600 + 58mm(F1.4)/ 70-300mm(F4.5-5.6), Xperia Z1
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2日目の食事と朝食 [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の旅の話を連載中。

ヒュフィンゲンには2泊したのだが、2日目の夜も同じホテルのビアガーデンでゆっくりすることにした。ちょっと雲行きも怪しかったし。
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この日もビールでスタート。前菜の中身はよく覚えていないが、キュウリに生チーズが乗っているような感じだったと思う。このフォークはめぎがこうしたわけではなく、このようにセッティングして運ばれてきた。
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この日食べたのは肉の串焼き。肉も種類色々。
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この日は白ワインで食後もゆっくりとおしゃべり。
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・・と、やっぱり雲行きがどんどんおかしくなってきて雷が鳴り出して・・・
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とうとうザーッと来たので中へ。中にもお客さんがいたのだけど運良くすぐに座ることもでき、前日の枇杷の蒸留酒に続き、お店の人がサービスしてくれた別の蒸留酒も賞味。
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このホテルは電話でしか予約を受け付けない(ホームページはあるがネットでは予約できない)昔ながらの宿なのだが、予約時に携帯電話番号を聞かれたうちのドイツ人が「携帯は使ってない」と言うと(それはホントの話)、それは素敵な暮らしね、と笑ってそのまま連絡先無しで承諾してくれたのだとか。その電話応対をした女将さんが2つ目の蒸留酒をサービスしてくれたのだった。うちのドイツ人はめぎのお古の窓七電話を持っているのだけど、それはマレーシアのような遠くで長期の外国旅行のときにホテルのWi-Fiで自分のメールチェックと送信をするためにだけ使っていて、普段は電源も入れていないし持ち歩いてもいないのだ。自営業で自宅に仕事用の回線があって、それで用は足りるらしい。数日の休暇ではメールチェックもいらないようだ。SNSもやってないし、出かけた先で電話に出る趣味もないし、スマホや携帯を持つ意味が無いのだろう。

この日もゆっくりのんびり楽しんで、そろそろ寝ようかとなったときはまた日が暮れていた。いつの間にか雨も上がっていた。
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こういうときにもっとあれこれキチンと撮ればいいのだけど、酔ってるし、疲れていたしで適当にパシャッと撮っただけでおしまい。
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これは次の日の朝。夜に雨から避難して座ったところと同じ場所で。
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朝食は至って普通のドイツの朝食。ゆで卵が茹で過ぎで硬かったのがドイツ人たちには気に入らなかったみたい。めぎは生ハムがないのが残念だった。
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以上でヒュフィンゲンの話はお仕舞い。しかしこの他、1日目の昼間とこの2日目に友人たちと訪ねたところ、更に友人夫婦と別れてからの3日目と4日目もある。夏休みまでに終わるかしら・・・まあできるところまで。

撮影: D600 + 35mm(F1.8), Nikon1 V3 + 18.5mm(F1.8)
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ドナウエッシンゲンの泉 [南西ドイツ 2017年6月]

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今日からまた6月中旬の初夏の旅のお話を。

カトリックの聖体の祭りを南西ドイツのヒュフィンゲンに見に行って、その近くの散策にGO!と車で10分位の隣町にやってきた。そこは小さいながらも日本のガイドブックにも載っているそこそこ有名な町。ほら、観光客がいっぱい。
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ガイドさんの話を聞きながら・・・あれ?ちゃんと聞いてるのかな?
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写真撮っている人もいっぱい。
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こちらは個人旅行の家族。
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ここは「ドナウの泉」というところで、ここから湧き出た水がオーストリアやハンガリーを通って延々と2840kmも旅をしてあのルーマニアのドナウデルタにつながり、黒海に注ぐのだ・・・ずーっとずーっと前にドナウデルタに行ったことがあったわねえ。これがあそこにねえ・・・と感慨深い。
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泉を覗き込むと・・・
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あちこちからぷくぷくと湧き上がってくるのが見えた。
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ドナウが息をしているみたい。水面のゆらぎが面白いな。
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そこには立派な教会や城が立っていて、かつての侯爵の勢いが伺えた。
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とってもきれいな泉だったけれど、ドイツ人たちはこれでは満足しなかった。というのも、ドナウ河上流にはブリガッハ川とブレーク川があって、それが合流したところからドナウ河となるわけだが、ここはそのうちのブリガッハ川の方の泉。でも実はもう片方のブレーク川の方が長いようで・・と言ってもこの泉から40kmほどとさほど離れてもいないので車で行ける範囲だし・・・ということで、ドナウエッシンゲンはこの泉を見ただけで切り上げて、ブレーク川の方の泉を見に行くことにした。

ドナウエッシンゲン、綺麗な街だったんだけどね・・・さようなら。
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撮影: D600 + 70-300mm(F4.5-5.6)
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ドナウの源泉 [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の初夏の旅の話を連載中。

昨日ご紹介したドナウエッシンゲンから40kmくらい離れたフルトヴァンゲンという町へ移動し、ちょっと山の中に入っていくと、ドナウ源泉という表示があった。
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そこから谷の底へ(と言ってもそんなに距離はないが)階段を降りていくと、源泉が。
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ドナウの上流のブレーク川の源泉である。
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ここから黒海まで、2888km。昨日のドナウエッシンゲンの泉からは2840kmなので、こちらの方が48km長い。
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うちのドイツ人と友人夫婦の奥さんの方がここに足をつけてみた。この日は暑かったので、ひんやり気持ちよかったらしい。君たちの足の汚れがここから黒海まで流れていくのね~などとめぎは思う。
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流れはすぐにこんな小川に続いていた。
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美しい源泉だった。
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撮影: D600 + 70-300mm(F4.5-5.6)


Furtwangenのドナウ源泉はこちら。

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マルティン礼拝堂 [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の南西ドイツの旅の話を連載中。

ここは昨日ご紹介したフルトヴァンゲンのドナウ源泉(正確に言えばドナウに注ぐブレーク川の源泉)の上の道。この右側を下に降りると源泉がある。
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そこに礼拝堂があったので入ってみることに。
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↑上の小道の右側には石がたくさん置いてあった。どうして一つですまないのかしら、などと思ったが、思えば日本の神社にもいくつも鳥居があったり狛犬があったりするわけで、寄進した人が違ったり伝えたいと思うことが違ったりするのだろう。
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2000年も前に既に古代ローマ帝国の皇帝ティベリウスがドナウの源泉を調べていたのだとか。
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教会の中は小さくてシンプルだが、カトリックらしく偶像がたくさんかかっていた。
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柵の中にレンズを覗き入れて撮影。
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白壁が素朴で、窓がとても美しかった。
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撮影: D600 + 70-300mm(F4.5-5.6)
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分水界のことなど [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の南西ドイツの旅の話を連載中。

ドナウ源泉の近くには、もう一つ重要な地点がある。ドナウ河とライン河の分水界。
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Wasserscheide(水の分離)って?とその場で教えてもらったことによると、この地点で川の水系がドナウとラインに別れてて、それはすなわちヨーロッパの黒海の水系と北海水系の分かれ目、境界になるということらしい。日本語で分水界とか分水嶺というようだ。ちなみにライン河の源泉はスイスのトーマ湖だけど、それがドイツのボーデン湖に流れ込み、そこにドナウと同じ源泉から来た河も流れ込むので、ラインにはドナウの水も入るということらしい。それはともかくこの分水界の地点に立ったドイツ人たちは殊の外感動していた。彼らにとっては源泉を見たことより分水界の地点に立ったことのほうが感動的だったようだ。その感動の様子は、喩えて言えば、日本人がEU内で国境線上に立って感動するのと似てるかな・・・大陸が黒海側と北海側に分かれている地点というのは国境を超える話で、スケールが大きいわね。

さて、この近くにはレストランがあって、ちょうどお昼時になったので・・・
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ここでランチ。
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↑運転手の友人のご主人の方はお水(ガス入りミネラルウォーター)で、うちのドイツ人はリンゴジュースのガス入りミネラルウォーター割(アップルソーダというのかしら)。女性陣のみビール♪

お昼にはこの辺り(シュヴァルツヴァルト)の料理であるマウルタッシェンというのを。中に肉とほうれん草の入ったカネロニというか大きな餃子のようなもので、コンソメスープ味。
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ここは宿泊もできるようだ。
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こんなところに泊まって、ドナウの源泉と分水界を見る以外に何をするかと言えば、ハイキングとか・・・
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リュージュとか・・・(夏もできるのかは不明)
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サイクリングとか。この辺りは車もバイクも禁止で、更に馬車も禁止だって!
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乗馬ならいいんだろうか・・・などといろいろ考えてしまった。残念ながら見かけなかったけど。

自転車とハイキングの人が結構行き来していた。
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そんな休暇の過ごし方もあるのよね。
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めぎの仕事は、高校がこの金曜日に無事年度末を迎え、この週末から夏休み突入!でも、大学がまだあと2週間あるので、休暇はまだ。だから仕事のあるこの2週間のうちにうず高く積み上げた状態のプリントの整理などしてしまおうと思うのだけど、なんだかやる気わかないわ・・・

撮影: D600 + 70-300mm(F4.5-5.6)


Furtwangenのドナウ源泉はこちら。

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シュヴァルツヴァルトの風景 [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の初夏の旅の話を連載中。尚、昨日のmimimomoさんのコメントを読んで、前記事にドナウ源泉の場所の地図を載せたので、興味のある方はどうぞ。

今回旅したのはドイツ南西部、シュヴァルツヴァルトの地域。シュヴァルツヴァルトというのは訳すと黒い森という意味で、木がいっぱい緑もいっぱいなところ。
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あちこちに切り倒した木が積まれてて・・・
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薪も積まれていた。
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実は、以前にもご紹介したことがあるが、うちのドイツ人は30代の頃数年間、仕事でシュヴァルツヴァルトに住んだことがある。この手前の建物がその時に住んでいたアパート。アパートと言ってもずいぶんお洒落ね~
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その時の仕事は国内・海外出張が多く、ここにいることは少なかったようだけど。それに、都会でオープンでプロテスタントのハンブルクから来た彼は、(彼によると)田舎で閉鎖的でカトリックのシュヴァルツヴァルトには馴染めず、あまりいい思い出はないみたい。
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その後転職し、デュッセルドルフに移り住んだうちのドイツ人。ウィーンに行く選択肢もあったそうだけど、もっとカトリックでもっとなまりが強くもっと排他的だからとやめたのだとか。めぎだったらウィーンを選ぶだろうなあ・・・でもそれは、めぎがやっぱり外国人で、ドイツ語圏ならどこにいても同じだからかも。
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懐かしの家を見たあとまた車で移動して・・・
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うちのドイツ人お薦めの場所へやってきた。
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それはカフェ。
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ここのシュヴァルツヴェルダーキルシュトルテが一番美味しいのだとか。シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテとは、シュヴァルツヴァルト風チェリートルテという意味で、シュヴァルツヴァルト特産のお酒キルシュヴァッサー(チェリーの蒸留酒)が入っている。実はめぎは以前にも連れてこられたことがあるのだけど、その時びっくりの絶品で、今回は是非友人夫婦にも食べてほしかったのだ。これ、日本的に見るとずいぶん大きな切身だけど、以前と比べてちょっと一人あたりの量が減ったような・・・お酒の味が強いので、こんなに大きくてもぺろりと食べられる。フォークが刺さったこの状態で運ばれてきたのだが、それはドイツ共通。
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このあたりでは有名なカフェのようで、田舎で何もないところにぽつんとあるのに、人がたくさん。周りからはシュヴァルツヴァルト訛りのドイツ語しか聞こえてこないので、地元で愛されているカフェなのだろう。
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場所はこちら。



このカフェのこととか、以前住んでいた家を訪ねたときのこととか、更にその昔うちのドイツ人が子供の頃にこの近くに住んでいたところを訪ねたこととか、左の「シュヴァルツヴァルト」というカテゴリーにまとめてある。カフェや30代のときに住んでいた家を訪ねたのは2008年で、子供の頃に住んでいたところを訪ねたのは2011年。どちらもD40xの撮影だが、今見ても写り悪くないな~

それから車でヒュフィンゲンへ戻り、郊外に残る古代ローマ遺跡の大浴場とやらに行ってみた。
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中に入れなかったので、ガラス越しにパチリ。
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撮影: D600 + 70-300mm(F4.5-5.6)/ 35mm(F1.8)
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別の町の聖体の祭り [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の初夏の旅の話を連載中。

ちょっと話は戻るのだが、ヒュフィンゲンで聖体の祭りを見たあとドナウエッシンゲンへドナウの泉という観光地を見に行って、その後フルトヴァンゲンという小さな町へドナウの源泉(ブレーク川の源泉)を見に行こうと移動中、通行止めにあった。そこにいた警察官によると、今聖体の祭りの行列中だから、と。この辺りでは同じ時間にいたるところで聖体の祭りをやっているということね。

そんなわけで、通行止めが解除されるまでまたもや聖体の祭りの行列を見ることができた。
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↑これ、靴が衣装と合ってないわよね~

その後ろから楽隊が。疲れているみたい・・・この日は暑かったものなあ・・・
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ちょうどここは曲がり角。
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後ろからドレスアップした人やら普段着の人やらがぞろぞろと続く。
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可愛い衣装ね~
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ヒュフィンゲンの女の子たちも白い衣装だったが、彼女らは中世のような格好をしてたけど、ここのはウェディングドレスみたいね。

その後ろから聖体顕示台を掲げた司教がやってきた。
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ヒュフィンゲンの方が素敵な人だったな・・・
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行列なのに観光客はいなくて、みんな真面目な顔で歩いていった。そういうところはヒュフィンゲンと同じで、宗教儀式なのだと再び思い知る。ヒュフィンゲンと違って花の絨毯は作っていないけれど、最後尾の人たちがお花を撒きながら歩いていった。

とっても小さな田舎町。あの人達はここに住んでいるのね。どんな暮らしなのかな。
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町の名前は絶対に忘れるだろうと思って、後ろについていく消防の車を撮っておいた。Vöhrenbachは人口3800人ほど。
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場所はこちら。




そうそう、ヒュフィンゲンはHüfingenで、テュービンゲンはTübingenで、別の町。テュービンゲンはガイドブックにも載っている有名な観光地で、人口7万2千で比較的大きめ。ヒュフィンゲンはテュービンゲンの70kmくらい南西にあるという感じかな。この辺りはTuttlingenという町もあるしHechingenという町もあるし、みんな似たような名前でナントカingenというのが多くて、紛らわしいわねぇ。

撮影: D600 + 70-300mm(F4.5-5.6)
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ドナウが沈むところ [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の初夏の旅の話を連載中。

話は今日から旅の第3日目に突入。ここまで2日目の話をしてきたのだけど(1日目は移動してきて夕食を食べただけ)、その2日目だけで16記事になった。少し端折りながら書こうかしらね・・・そうじゃないと夏旅までに3日目が終われないもの。その後4日目と5日目もあるのだけど(5日目は朝食後帰るだけ)、その4日目も結構いろいろあって、それは夏の休暇後になりそう・・・いや、きっと夏の休暇後はその休暇の話を書きたくなるだろうなあ・・・去年の夏の休暇の話もお正月の旅の話も終わってないし、順々に書いていくとなると、めぎのブログはすっかり旅ブログになってしまいそうだわね。

3日目は2泊したヒュフィンゲンをチェックアウトし、観光しながら次の宿の場所へ移動。まず最初に向かったのは、Donauversinkungという現象が起きるところ。訳すと「ドナウ埋没」。
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つまり、ドナウ河というのは源泉の割と近くで姿を消すのだ。伏流水になる仕組が説明されている。
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↑上の説明によると、めぎの今いるImmendingenという町のところでドナウ河の水が沈み、それが12km南東のAachtopfというところでまた地上に顔を出す。そのAachtopfの水はボーデン湖に流れ、水はそこからライン河に流れるので、ドナウの水はラインにも流れているということになる。

で、肝心のドナウ自体はこのImmendingenからそのまま北東へ繋がっていて、水が全部沈まず流れている日もあるらしい。年間に平均155日くらい水がないということなので、それ以外の約210日は流れているということなのだろう。Fridingenというところから東は常に水があるようだ。逆に言えばそこまでの区間はいくつか沈む場所があるらしい。そして水はFridingenで再び湧き出るのではなく、別の川が合流することでドナウは川で有り続けるようである。言い換えると、沈んで消えた水はすべてAachtopfへ行ってしまうようだ。あ、アリさんたちもドナウの不思議に興味津々みたいね~♪ついでだけど、ここもナントカingenという町の名前が並んでいるが、・・・ingenや・・・ungenというのは「~に属する土地・人々」というような意味で、それで町の名前になっていることが多い。
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どうして水が沈んでしまうのかと言えば、それはこのあたりがジュラ紀にできた石灰質の土壌だからである。ジュラ紀というのはフランスとスイスのジュラ山脈から名を取ったものだが(ジュラはケルト人の使ったガリア語由来)、そのジュラ山脈というのはその昔浅い海だったところが今は山になっているところで、地層にアンモナイトなどの化石があるところ。その地質時代をジュラ紀と言って、約1億9960万年前から約1億4550万年前までの時期だが、それは恐竜の時代でもあって、ジュラシックパークという映画でよく知られている。とにかくそのジュラ紀の土壌は石灰質なので、水がしみ込みやすいのだ。地上によく穴も空いてて、地底から冷たい風がスースーと出てくる。その不気味さが写真ではお伝えできないのが残念。
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さて、めぎたちはそのドナウの水が沈むところが見たくてここへやってきた。このあたりまで見かけたドナウの小川は綺麗な水がさらさらと普通に流れていたのだが(そう言えばその写真を撮るのを忘れた)、この辺りでは川の流れが非常にゆっくりとなり、泡が浮かんでいた。
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川に沿ってしばらくこんなところを歩いていくと・・・
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川の流れがピタリと止まった。
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そしてもうちょっと歩くと、ここで沈むと書かれている看板が。
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そのあたりの川は、おお!
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ホント、沈んでいく・・・
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振り返ると流れの止まった川に水がいっぱい。これで川が干上がったわけではなく沈んでいるということがわかる。
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年間155日は川に全く水がなくなって川の上を歩ける状態になるという。めぎたちが来た日は、前日夜に大雨が降ったので水が多かったのかも知れない。しかしおかげで水が沈んでいる様子が見られたので、かえってよかったかな。

とても不思議なところだった。
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撮影: D600 + 58mm(F1.4)
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ボタンつくりの岩 [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の初夏の旅の話を連載中。

昨日ご紹介したドナウの沈むImmendingenというところから、ドナウが復活するFridingenというところの方へ移動中。
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復活すると言ってもまた水が吹き出るわけではなく、一年のうち210日くらい沈まず細々と流れていくドナウ河に他の川が合流して、水が沈んでなくなることのないドナウ河になるという意味。

そして着いたところはFridingenとその先のBeuronという町の間くらい。位置関係は、昨日ご紹介したこちらをどうぞ。
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そこにドナウ河が作ったという谷があるのだ。
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この辺りはシュヴェービッシェ・アルプという山脈地帯。昨日説明したフランスとスイスのジュラ山脈から東へ伸びている感じの位置にシュヴァルツヴァエルトと並んでシュヴェービッシェ・アルプがある。シュヴァルツヴァルトのように有名ではないが、同じくらいの広さで同じくらいの高さ。そして同じように石灰岩。ドナウ河はこの石灰岩の山脈を長い年月をかけて真っ二つに割り、こんな谷を作ったというわけである。
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自然の力って凄いわねえ。
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石灰岩のこの大岩の名前はKnopfmacherfelsen、訳すと「ボタンつくりの岩」。どうしてこんなところでボタン作りなのかねえ、と話していたら、そこに表示があった。なんでも1823年4月4日にボタンつくりのFidelis Martinという人がこの岩から落ちて死んだらしいのだ。
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岩の上にはそんな話とは似合わない散歩道ができていた。
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展望台には柵があった。誰かが落ちたら岩の名前を変えなきゃならないものね。
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↑こんなところにもこの鍵が。ここで愛を誓うというのもなんだかなあ。

緑のとても美しいところだったけど、めぎたちは次の目的地へ移動しなければならなかったのでここではハイキングをしていない。
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葉っぱに若干夏の始まりが感じられた。もう若葉ではなく、傷んできたところもある夏。季節は飛ぶように過ぎていくわね。
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撮影: D600 + 58mm(F1.4)
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化石採掘場 [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の初夏の旅の話を連載中。

昨日ご紹介したボタンつくりの岩のあるFridingenの辺りから10kmほど北へ行くと、Nusplingenという町がある。
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これも無名の小さな町。人口は1700人ほど。
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そこに何の用事があってきたかと言えば、ジュラ紀の化石のため。
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そこへ向かう。それは森の中。
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こんなところを通っていく。前の車は友人夫婦の車。この日は宿を変えるので、それぞれの車で移動。
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薪づくりをしているようだった。
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そして到着!
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ここはその昔は浅めの海だったところで、エビやらアンモナイトやら巨大トンボやら魚やらの化石が見つかったらしい。
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で、この一帯で化石を見つけても持ち帰ってはいけない決まりなのだが、この採掘場だけは例外で、化石掘りをしていいし、持ち帰っても良いのだと言う。重機の持ち込みは禁止で、こんなのなら良いらしい。それでめぎたちは用意して掘りに来たのだった。
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コンコンコンと石を割っていく作業はワクワクした。だってねぇ、もしかしたら化石のエビさんや魚さんが出てくるかもしれないんだもの♪
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ここでの作業は自己責任で、と書かれている。足元が非常に悪いし、崩れそうだし、怪我しかねない。そういう状態でオープンになっているところがいかにもドイツらしくてめぎはとても好き。
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さて、めぎもうちのドイツ人も友人のご主人の方もすっかりコンコンコンと夢中になったのだが、友人の奥さんだけは別だった。彼女はハイキングは好きだけど、一箇所でただ宛もなく続けるこういう根気のいる作業は好きじゃないのだ。もちろんコンコンコンとやろうともしなかったし、待っているのもつまらなく、30分ほど経ったところでご主人に「あなた、私もう車へ行ってるわ」と告げた。それは「もういい加減にやめてよね」という意味なのだ。そういうシグナルをよく知っている我々なので、残念だけど30分で打ち切りとなった。これは名残惜しそうにもう少し続けていたご主人。
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結局誰もエビや魚や昆虫など見つけられず、海藻の化石ばかり。でも、1億5千年くらい前の海藻の化石よ~♪ 現在、めぎ家のテーブルの上に置かれている。
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ここまでが3日目の午前中。お昼は朝食時に作って持ってきたハムとチーズを挟んだパンで、それを車で移動中につまみ、次の目的地へ。

撮影: D600 + 58mm(F1.4)
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シュヴェービッシェ・アルプのハイキング [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の初夏の旅の話を連載中。今日から3日目の午後に突入。

昨日の化石採掘場からまた8kmくらい北へ移動すると、Lochenstein(ロッヘンシュタイン)という山がある。化石採掘場もLochensteinもシュヴェービッシェ・アルプという山脈の中に位置するのだが、シュヴェービッシェ・アルプがフランスとスイスのジュラ山脈から繋がるジュラ紀の石灰岩でできた山脈であることは既に書いたとおり。今回の旅ではドナウ河源泉に並んでこのシュヴェービッシェ・アルプを訪ねてみようというのが目的で、化石採掘場からまっすぐそこへやってきた。シュヴァルツヴァルトと同様、緑のきれいなところである。
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ハイキング案内板によると、近いところにいくつも頂上や見晴らしの良いスポットが有るようで、数時間の本格的な山歩きから1~2時間の小さなハイキングまで色々できるところのようである。めぎたちは手っ取り早くシュヴェービッシェ・アルプの山の頂上に立って景色を眺めようと、現在地から最も近いLochensteinに登ってみることにした。
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少し歩くと分かれ道。Lochensteinは右側で、ここから0.4km。400mで着くのね。
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道はこんな感じ。
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そしてすぐに険しい上り道になった。
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此処から先の400mは全く撮影していない。想像以上に急斜面で、それどころではなかったのだ。カメラはたすきがけにし、後ろに回して手をついてもカメラが岩にぶつからないようにした。採掘場に行くことにしていたから靴は一応持ってきていたけれど、ストックなどはなく、身軽にするためカバンを持たなかったためカメラもむき出しのまま。

突然視界が開け、やっと上についた~頂上は左に見える十字架のところらしい。
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石灰岩がむき出しになっていた。
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頂上からの眺め。気持ちいい~~♪
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↑ここからホーエンツォレルン城が見える。単焦点レンズ一本で登ったので、これはトリミング。ピントあってないわ・・・
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頂上にはこんなゴツゴツとした石灰岩があって、その先は崖。危なくてあまり端には行けない。柵などもなく、ここも自己責任。
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降りる前に、頂上で花の撮影。
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降りるときに気がついた・・・ここは登山に慣れた人向きの道だと書かれてる!あちゃちゃ、めぎったらなんて無謀なことを・・・でも、ここを降りないと帰れない。足を挫かないよう、ゆっくりと小股でそろそろと。時間はかかったけど400m降りきった。
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あとで別のところからこの登ったLochensteinが見えた。すごーい!あんなところにいたのね~~
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ハイキングの話はもう一回続く。

撮影: D600 + 58mm(F1.4)

場所はこちら。



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ハイキング その2 [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の初夏の旅の話を連載中。

昨日ご紹介したLochensteinに続き、もう一つ別の見晴らし台を目指してみることにしためぎたち。そこまでは1kmくらい。
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分かれ道で上の方へ登る。下にこんな景色を見ながらえっちらおっちらと。
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Lochensteinの400mほどではないがそこそこの斜面。横の芝生もこんなに斜め。
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何故かこんなところにこれが・・・この籐でできた椅子のようなものはStrandkorbと言って、訳すと「浜の籠」。
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浜の籠が気になりつつもまずは頂上を目指す。
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化石採掘場では退屈しきっていた友人の奥さんの方はハイキングになるとイキイキとしてどんどん行ってしまった。めぎは体力がないのか、ゆっくりとえっちらおっちら亀の歩み。

そしてこんなところに到着。
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ここが目的地らしいのだが、眺めは・・・うーん、さっきのLochensteinの方が良いわねえ・・・いや、見える景色はいいのだけど、木があって見えにくい。視界の開けるところまで行くと崖から落ちそうだし。
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ここはGespalter Felsというところで、訳すと「割れた岩」。それって、これかしら・・・
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なんだか頑張って暑い中歩いた割にはイマイチだったが、あと500m先の目的地でもたぶん見える角度は同じようだし、さらにその次の目的地は3.5kmくらい先だし、これで打ち止めとして戻ることにした。

戻る途中で、行きに気になっていた浜の籠のところに寄ってみた。
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この額は何のためにあるのかしらね~せっかくなのでホーエンツォレルン城を入れて撮ったのをトリミング。帽子はうちのドイツ人の。
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浜の籠は、辞書には「屋根付きビーチチェア」と書かれている。リクライニングになっていて、横になることもできる優れもの。ドイツの北海やバルト海沿岸には今の時期にゴロゴロと並んでいて、こちらの海水浴場では浜辺にゴロリではなくこの椅子を借りて過ごす。鍵付きの物入れもついていて、誰かが貴重品の番をする必要もない。見てみたい方は、古いけど「ベニスに死す」という映画をご覧になって。
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さて、下まで降りたところで羊さんたちを観察。
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囲いがあって、電気が通っているようだった。
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これは残念ながら飲み水ではなかったのだけど、暑かったので手や顔を洗って気持ちよかった。
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空にはこんな飛行機が飛んでいた。シュヴェービッシェ・アルプのあたりはいい風が吹くらしい。
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3日目はここまでで14時半。お昼にパンを食べたとは言えそろそろちょっと小腹も空いたので、そろそろこの日の宿の町まで移動してカフェにでも行こうということに。そこからのお話はまたいずれ。明日からは最近のデュッセルドルフの話の予定。


撮影: D600 + 58mm(F1.4)
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テュービンゲンにて [南西ドイツ 2017年6月]

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今日から6月中旬の南西ドイツのお話を再開。

話をざっくり振り返ると、うちのドイツ人とハンブルクの友人夫婦と4人で南西ドイツへ旅をし、ヒュフィンゲンという小さな町で2泊してカトリックの聖体の日の伝統行事を見学し、ドナウの源泉巡りをし、さらにジュラ紀の石灰岩の岩山の辺りをハイキングしたところまでご紹介済み。今日は、ハイキングの後で3泊目の宿の街に向かうところから。その途中に見えたのは、かつてのプロイセン王家のホーエンツォレルン家の名城、ホーエンツォレルン城。
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アウトバーンだったか高速幹線道路だったかをぶっ飛ばしながらの撮影。ホーエンツォレルン家がここに城を築いたのは11世紀の事だが、それは全壊し、この城は1867年に新たに建設されたものである。ノイシュヴァンシュタイン城と同様、中世風に作られた「フェイク」だとドイツでは揶揄されていて、連れのドイツ人たちはここに寄ろうなどという気はさらさらなく、通り過ぎただけ。
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これはトリミング。絵に描いたようなドイツの城なのだが、たしかに新しい。新しいと言っても明治維新頃のものなのだけど、ドイツで古城というと12~15世紀のものを指す。19世紀の回顧調建築はドイツ人的には「フェイク」なのだ。それでもノイシュヴァンシュタイン城よりはホーエンツォレルン城の方に価値を感じているようだけど。
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そして到着したのはテュービンゲン。これは市庁舎。
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この日はいっぱい歩いて疲れちゃってて、軽い58mmの単焦点レンズ一本で散歩。しかしそれはレンズ選択ミスだったように思う・・・どうも広角的にも望遠的にもどっち付かずな、寄りきれず距離感もつかめず、作品になるようなものには程遠いのはもちろん、スナップなのか観光記録写真なのか何なのかわからない写真ばかりが残った。
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そもそもうちのドイツ人のみならず友人夫婦とも一緒の旅なので、おしゃべりもしながらで撮影だけに集中はできないし、同じ場所でタイミングを待って気の済むまで撮るというわけにもいかず、でもあれこれ被写体が目に入り、適当にパシャパシャ。追い込んでいないので何を撮りたかったのかさっぱり伝わらないものばかり。旅の記録としてならもっと街並みが分かるように撮るべきだったと思うし、せっかくの高価な58mmレンズが勿体無いことだわねぇ・・・
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アイス屋さんでアイスを買ってもらっている小さな子どもたちが可愛かった。
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3人の小さな子連れの若いお母さん、大変だろうな。
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めぎたちも小腹がすいたので、上の写真のカフェではないが別のところでちょっと座ってケーキを食べることにした。このときは金曜日の午後4時過ぎで、仕事を3時頃終えたドイツ人サラリーマンたちが週末の始まりを謳歌する時間帯で(ドイツでは普通は定時5時ぐらいだが、金曜日は3時頃に仕事を終える人が圧倒的に多い)、しかもめぎたちのように祝日の木曜日と週末の合間の金曜日に休みを取っている人も多く、どこも外のテラス席(テラスというより道端や広場にテーブルを置いているというような感じの席)は満席状態。

でも、やはり外のテラス席は満席だったあるカフェで、外とのガラスの仕切りが全て取っ払われてて中に座ってもそこそこ外っぽいところがあって、そこはガラ空きだったのでやっと座れて落ち着き、やれやれと注文したのだが、その矢先友人夫婦のご主人のほうがサクッと席を立って外のテラス席をゲット!お見せできないけど、ここでめぎはとっても満足そうなにこにこ顔のご主人を撮影したのだった。
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そんなわけでめぎたちも外の席に座ったのだが、そこまで外に座りたいですかドイツ人!という感じ。だって、外はこの頃からちょっと風が強くなってきててナプキンとか砂糖の袋とかが飛びそうであまり落ち着けなかったし、友人の奥さんの方は首周りが寒いとまで言い出していたのだ。中だったら風も防げて、でも風通し良く空気が篭ってなくて十分外みたいに開放感があって涼しくて暑くもなく快適だったのになあ・・・まあドイツ人のテラス席好きは重々知っているのだが、でもでも。冬でもオーバー着込んで外に座りたがるドイツ人たちなのだが、でもでも。

そうそう、食べたのはめぎはりんごのケーキとカシスジュースの炭酸割り。うちのドイツ人はルバーブのケーキに、あれ?もうワインだったっけ・・・?

テュービンゲンの夕方の散歩は更に続く。
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撮影: D600 + 58mm(F1.4)
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塔からの眺め [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の南西ドイツの話を連載中。

これはテュービンゲンのシュティフト教会。
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シュティフトとは修道院という意味だが、ここの場合はまず12世紀に礼拝堂だったのが教会に、そして13世紀に修道院となり、15世紀以降徐々に現在の建物の形になっていったようである。

めぎたちはこの教会の塔に昇ってみることにした。途中で教会の鐘の仕掛けが見えたり・・・
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鐘も目の前で見ることができたりする。ここ、実際はとても暗く、ピントをあわせるのに苦労した。でも、合えばF1.4の明るい単焦点は楽々こんなに明るく写せる。
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大きな鐘が複数吊り下がっていて、鐘が鳴ると大音響なので注意、というような掲示があった。
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降りてくるときにちょうど5時半を過ぎ、15分毎に鳴る鐘の音を間近で体験したのだが、たしかに凄い響きだった。

塔から見下ろすと、真下にネッカー川。町のすぐ裏に緑が広がり、ここがものすごく小さな田舎町であることがよく分かる。
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反対側には城が見えた。城の裏側も緑いっぱい。
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そして狭い空間にギッシリと並ぶ旧市街の建物。
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日本の家はウサギ小屋なんて言う表現があるけれど、たしかに一つ一つの家は日本より大きいが、隙間なく立つという意味ではここは日本に全く負けてない。

ザルツブルクをたっぷり見ていっぱい撮影してきた今のめぎの目には、ドイツの街並みって屋根がザルツブルクよりずっとずっとずっと美しくて、これまた全然負けてないなあと感じる。
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塔の柵の隙間からほぼ真下を写してみる。ちょっとジオラマ風に見えて面白い。でもこれ、普通に撮った写真で、効果処理をしたものではない。
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テュービンゲン、きれいな街ね。
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散歩はまだ続く。

撮影: D600 + 58mm(F1.4)
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町で見つけたもの [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の南西ドイツの話を連載中。

ここはテュービンゲン。可愛い木組みの建物が並ぶ旧市街。
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教会の塔から見えたネッカー川へ降りてみた。みなさん、結構怖いところに座っているわね~
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黄色の塔はヘルダーリンの塔というらしい。ドイツの有名な(そしてめぎ的には難解な)詩人であるヘルダーリンが1807年から1843年までここに住んでいたのだとか。
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川沿いにはきれいな散歩道ができていた。
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ハトさんのマンションも。
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川には観光客用のボートがいっぱい。背もたれ付きで面白いわね。
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それからめぎたちは適当にブラブラしながら宿の方へ戻った。
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↑ここにこんな落書きがあった。「ハムスターの回し車は中から見るとキャリアの梯子のように見える」。
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めぎにも、キャリアを積んで上に昇りたいと思っていた時期があったな・・・

また、別のところには、こんな表示が出ている窓があった。
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「ここでゲーテが吐いた」・・・そ、そうなの・・・?

思えばテュービンゲンはドイツ文学愛好者の中ではヘルマン・ヘッセがいた町として有名なのだけど、めぎはヘッセにはあまり興味なく、ヘッセが働いていた書店とやらを見に行くことすら忘れてしまった。

その他、ヘーゲルやらケプラーやらもいたという大学町のテュービンゲン。町の至る所に大学の建物があった。これもそう。昔の講堂で、今は教育学の建物なのだとか。立派な装飾ね~
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泉もなかなか凝っていた。小さな町の至る所に見どころがあるという感じ。でも、可愛くてキョロキョロしてしまい、ホンの2時間程度でなんだか飽和状態に。
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やっぱり疲れていたのかな~だってこの日、ドナウが沈むところを見に行ってその後崖の上からの眺めを見に行ってそれから化石掘ってその後山登りハイキングしてきたのだものね。日本からの観光ツアー顔負けの詰め込みスケジュール。この旅ではドイツ人たち3人とも、何時になくとっても精力的だった。あ、でも、彼らは日本でも精力的だったな~その時の話もそう言えば全部書ききっていないのよね・・・たしかKrauseさんの田んぼや富士山登山や会津に行った話は書いたのだけど、実は小さな民宿を泊まり歩いて青森をぐるりと回ってきて、それはもうとっても面白い旅だったのだ。だけど、それは2010年のことで、そのうち書こうと思っていたら大震災が起こり、お蔵入りしてしまったのだった。

撮影: D600 + 58mm(F1.4)
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テュービンゲンの宿 [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の南西ドイツの話を連載中。

めぎたちの宿は、向こうに教会が見える丘の上にある。
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Hotel Am Schlossというのは城のそばのホテルというような意味で、教会の塔の上から見えた城の門のすぐ脇にあるホテルである。
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以前お見せした写真のトリミングだが、真ん中の右に写っている黄色い建物がそれ。すぐ脇と言っても城の塀からもう1~2軒隔てて建ってたけれど。
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なかなか可愛いところね。
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ホテルの前にはベンチがあってちょっと座ったりできるのだが、吸殻入れもあるので喫煙コーナーのようになっていた。見ているとホテルやレストランの従業員が休憩しながら吸っている。もちろん宿泊客も吸っている。ここに参加しないで済むようになったうちのドイツ人。友人夫婦にいっぱい褒められていた。
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部屋の中は割とシンプル。
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冷蔵庫などもなく、無料のミネラルウォーターもなく、室料100ユーロを超えるお値段の割には設備とサービスがイマイチかな。あ、室料というのは二人で一室100ユーロ(約1万3千円)ということ。
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ここにしたのは、レストラン併設で、眺めが良かったから。ここからはスマホの撮影。
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まずは地ビールで乾杯し・・・
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美味しいパンをいただき・・・(だんだん寒くなってきて、しっかりセーターやらコートやら着て外で食事・・・これがドイツ。)
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この地方の名物料理であるマウルタッシェンをいただく。ここはマウルタッシェンで有名なレストランなのだ。マウルタッシェンというのは、日本風に言えば餃子みたいなもの。めぎはスープに入ったマウルタッシェンで、つまり水餃子みたい。
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うちのドイツ人はメインにマウルタッシェンの色々な料理を少しずつ集めたのを。
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めぎはタルタルステーキにしたのだが、ちょっとスパイスが効きすぎててまあまあという感じだった。
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お腹いっぱいでめぎはやめたのだが、友人の奥さんの方はデザートも。
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この後宿の近くのバーに移動してちょっと蒸留酒など頂いたのだが、その写真は無し。こうしてこの日は暮れていった。

撮影: D600 + 58mm(F1.4), Xperia Z5
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テュービンゲンとネッカー川 [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の南西ドイツの話を連載中。テュービンゲンに滞在しているところ。

これは夕食前に写したホーエンテュービンゲン城。
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中は現在大学の施設となっていて、一部博物館として入れるようだったが、ここを訪れたときはもう6時頃で閉まっていた。

次の日の朝、再びお城へ朝食前の散歩に出かけた。
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・・・今日はちょっと曇りだわね。
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お城の塀やら門やら色々撮ったけど、イマイチ納得行かずここでは割愛。

そしてホテルに戻り・・・
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7時半頃に朝食。この時まだ外の準備ができていないと言われ、珍しく建物の中で食事。
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おしゃべりしながらゆったりと食事し、食べ終わったのは9時頃。その頃には嬉しいことに晴れ間が!
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そして、外で食べている人がいた。
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そうそう、この前日か前々日にコール元首相が亡くなり、メディアはそれ一色だった。
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さて、朝食後、めぎたちはハンブルクの友人夫婦とお別れ。この日は土曜日で、彼らは少しショッピングしてからハンブルクへ帰宅する予定。めぎたちはこの日、うちのドイツ人縁の町を訪ね歩き、最後に叔母の家へ向かう予定。出発は9時半近く。それじゃまた次の機会にね~とお別れして、出発。
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本当はすぐに次の目的地に向かうつもりだったのだけど、あまりにも綺麗に晴れているのでネッカー川に寄ってもらった。だって、ほら!
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ほら!!
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レンズを付け替えて、もう一度!
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ありがとうテュービンゲン。さようなら。
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旅は続く。

撮影: D600 + 58mm(F1.4)/ 20mm(F1.8)
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昔の思い出をたどる [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の南西ドイツの話を連載中。旅の4日目、テュービンゲンを後にしたところ。

この日まず向かったのは、エスリンゲンという町。街の大通りは石畳の歩行者天国で、端には塔があり・・・
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もう片方の端にはちょっと見えにくいけど城がある。
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今日ご紹介するのは全部縦方向の写真。この町では縦写真が意外に多かったので。

こんな趣ある家が立つ旧市街を歩く。
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大通りの真ん中辺りに小さな礼拝堂があった。
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中には入れなかったのでドアのガラス越しに撮影。上まで入り切らなくて。
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この町にもネッカー川が流れている。と言ってもこれはネッカー川から引いた運河だけど。
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この街に来たのは、うちのドイツ人が小さい頃に祖母とその再婚相手とともにこの運河沿いで撮った写真が見つかったから。その場所を特定したくて運河沿いを一生懸命見たのだけど、手すりとか橋とか段差とかの決定力に欠けてイマイチ分からなかった。

でも、うちのドイツ人には若干記憶が蘇ったみたい。ここにいたときは親が離婚してどちらの親も仕事で子育てする暇がなく父方母方の祖父母や親戚の家に預けられてたらい回しにされた時期で、あまり楽しい記憶ではないようだったけど。
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きれいな街なんだけどねぇ・・・
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さて、最初にご紹介した塔の辺りには実は橋がかかっていて、その下は線路。
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ちょっと撮り鉄も。
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このあと、うちのドイツ人が住んでいた家などを見て、次の目的地に向かった。

撮影: D600 + 58mm(F1.4)
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ドイツの小さな町に住む人の生業 [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の南西ドイツの話を連載中。今日も昨日に引き続きエスリンゲンのお話を。

この可愛らしい小さな町エスリンゲンの人口は約9万人。
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村と呼ぶには結構人口が多いわね。
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でも、ここまでお見せしてきた可愛い旧市街は町のごく小さな中心部。調べてみたところ、中心部の人口は1万7千人ほど。あとはみんな郊外だ。
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実は、この古い塔から伸びる・・・
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この長い長い橋を行けば・・・
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昨日ご紹介したように下には線路があり・・・
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さらにアウトバーンもあり・・・
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そして橋の反対側にも町が広がっているのだ。うちのドイツ人の祖母が再婚相手と住んでいたのも、橋の反対側である。
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このエスリンゲンは観光地ではない。エスリンゲンのような可愛い木組みの家の建つ小さな町はドイツにはゴマンとあり、その多くは観光地ではなくただの普通の田舎町である。しかし過疎化の問題は特に聞いたことが無い。そんな小さな地方の町に住む人達がどんな仕事をしているかと問われると、まずはブドウ農家。ワイン用のぶどう畑が町のすぐ後ろに。
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橋からはネッカー川に沿ってぶどう畑が広がっているのがよく見えた。
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しかし、多くの人はぶどう畑ではなく工場で働いている。このあたりには例えばダイムラーの工場があり、エスリンゲンは自称エンジニアの街なのだ。そう言えば、うちのドイツ人の祖母の再婚相手もエンジニアだったと聞いている。自動車以外にも電子機器や機械工業の工場があるようだ。さらに出版社もあり、仕事には困っていない模様。

エスリンゲンに限らずドイツの小さな町の人たちは郊外の様々な工場で働いているのではと思う。どこに住んでいても、車で15分~30分も走れば工場につく環境だ。そしてドイツはなんといってもヨーロッパ一の工業国。仕事の後は可愛い町の自分の家に戻ってゆっくり寛いでアフター5と週末を過ごすので、ドイツ人たちは田舎に住むのを好み、都市に移り住もうとはしない。都市の企業の管理部門や銀行・商社などに勤める人も、近郊の小さな町に住んで車で通勤する人が意外と多い。だからドイツでは大都市が育たず、人口100万以上の都市もベルリン・ハンブルク・ミュンヘンの3つしか無い。

橋の向こう側の信号が可愛かった。
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トリミング。
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そして、こんな集合住宅もあった。
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余談だが、その昔、うちのドイツ人の祖母が子どもたちを連れて東ドイツから西側へ逃亡し、落ち着いたのはこんな感じの集合住宅。大きなお屋敷から一転こんなアパート暮らしをせざるを得なかった彼女ら、特に貴族の父親を持つうちのドイツ人の母親が感じたであろう没落と言ってもいいような大きなショックは計り知れない。年取った義母が現実離れしているのはこのトラウマが大きいからではないかしら。

更に余談だが、今ここに住んでいるのは、見たところ古くから住むお年寄り以外みんな外国系であった。思えば義母たちも東から西へ逃れた難民のようなもの。これから新しくここに入居するのも今来ている難民であろう。そして彼らが近くの工場で働いてドイツの産業を支えるのだ。デュッセルドルフでも難民出身のような人たちが清掃業務とかに就いているけれど、もしかしたらその人達の中にはもともとは会社経営者だったりお屋敷に住んでいた人だったり貴族だったりがいるかも知れないわけよね・・・そんなことを色々と考えさせられた旅だった。

撮影: D600 + 58mm(F1.4)
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とある教会で [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の南西ドイツの話を連載中。

今日の場所はプロヒンゲン。Plochingenと書く。またもや「・・・ingen」だわね。ヒュフィンゲン、ドナウエッシンゲン、テュービンゲン、エスリンゲン・・・と、ずっと「・・・ingen」が続くが、以前の繰り返しになるけど「・・・ingen」とは「・・・に属する場所・人々」という意味。ドイツの地名に多いのはそのため。

今日のプロヒンゲンは昨日のエスリンゲンの隣に位置し、人口1万4千人ほどの小さな町。その目的地はこちら。
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プロテスタントの教会である。
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中はプロテスタントらしくシンプル。
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ヒュフィンゲンの聖体の日の儀式をしていたカトリックの教会と比べると、シンプルさは歴然。
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重要な目的地だった割には写真はどうも詰めが甘くてイマイチ。がっくり。
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この教会は、めぎ的にはたぶん、世界中の教会の中で最も重要な教会。というのは、ここでうちのドイツ人の両親が結婚したから。
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結婚したのは60年以上前のこと。それぞれ10代の頃に親とともに東ドイツから西側に逃れた彼らはシュヴァルツヴァルト地方に住み着き、成人してファッシング(カーニバル)のパーティーで知り合い、恋に落ちたのだ。結婚してうちのドイツ人が生まれ、その後別れ、またよりを戻してうちのドイツ人の妹が生まれ、その後離婚して父親の方がハンブルクへ、母親の方がイギリスへ移住してそれぞれ再婚し、二人ともその後二度とこの地を訪れることはなかったようだが、この教会での結婚が無かったらうちのドイツ人は生まれていなかったわけで、めぎ的には重要な聖地なのである。

しかしその聖地は、結構無造作に色々なものが置かれ、特に祭壇上の椅子の積み重ねは興ざめだったし・・・
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前方の柱にあったこのスイッチには大笑い。これ、洗礼のときに鳴らす鐘の音のスイッチなのだ。
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教会の鐘の音ってロマンチックな印象だけど、こんなスイッチで演出されたものなのよねえ・・・まあ宗教ってハッキリ言えば舞台のようなもので、否もともとは舞台のほうが宗教を表すものだったわけで、全ての儀式は世界で最も人を感動させる力を持つ演出なわけで、このスイッチはそのシンボルにすぎないのだが。

素朴な教会だけど、ステンドガラスから差し込む光が美しかった。
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ステンドグラスと光を一緒には全然上手く写せなかったけど。あ、よくよく見ると、一番下のモチーフは見ざる言わざる聞かざるみたいね。
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撮影: D600 + 20mm(F1.8)
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こんなところに百水 [南西ドイツ 2017年6月]

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現在、6月中旬の南西ドイツの旅の話を連載中。

プロヒンゲンという小さな町でもう一つ訪ねたのは、うちのドイツ人の父親が10代のときに住んでいたという家。今住んでいる人の個人的なものが写り込みすぎているので、ぼかしを入れてある。
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70年前の写真に写っている家が今もあった・・・うちのドイツ人の父親がたぶん16歳位のときにこの家の前で撮ったと思われる写真が見つかって、見に行ってみたのだ。今は亡き父親もこの通りを歩いていたのかな、東ドイツに残った実の母親と弟妹と離れ離れになり、父親の再婚相手と幼い妹と一緒にここでどんなことを思いながら暮らしていたのかな、などと思いながらその家の付近をちょっと散歩した。

うちのドイツ人の父親はその父親と二人で東独から西独へ逃れ、残りの家族は東へ置きっぱなし。つまり母親や弟や妹がいたのだけど、生き別れ。その後父親(うちのドイツ人の祖父)は西側で再婚し、娘が生まれた。だからうちのドイツ人の父親には腹違いの妹がいたわけで、おそらくこの家に継母と妹と一緒に住んでいたと思われるのだが、その妹(うちのドイツ人の叔母)は今イタリアに住んでいて、うちのドイツ人が記憶に欠けている部分・・・自分が父方の祖父母の家にはどの程度預けられていたのかとか、あまり記憶のない祖父についてとか・・・を聞きたくてやっとのことで探し出して連絡を取ったのだけど、その叔母は兄であるうちのドイツ人の父親と相当仲が悪かったようで、うちのドイツ人の父親がいかに嫌な人間だったかということを長い長い長いメールに何度も何度も何度も書きなぐった返事をくれただけで、肝心のことは何もわからずじまいだった。でも、そりゃそうだよなあ・・・東に家族をおいて出てきたのだから、お母さんや弟妹が恋しかっただろうに、たった一人の身内の父が再婚して子供を作り、その子供が家庭の幸せを独占していたのだから、若い多感な青年にはどれほど面白くなかったことだろうか。妹(叔母)にとってもこの兄の存在は疎ましかっただろうし、この小さな家の屋根の下に、色々なドラマがあったんだろうな。

それからうちのドイツ人は観光客めぎのためにここへ。
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↑これ、フンデルトヴァッサーハウス。

普通に使われている集合住宅で、部外者が敷地内に入るのは禁止(事前に連絡を取れば見学させてもらえるらしいが、そこまでの興味はなく覗いただけ)。門から覗くと緑がいっぱいあった。
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でも、敷地に入らないと肝心の塔が緑に隠れてて見えなかった。
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見えるところだけでも十分面白いけどね。
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塔が見えるところをぐるりと回って探したけれど、見えるところからはそのとなりの普通の住宅の影になってしまい、結局この程度しか写せなかった。
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このあとめぎたちは、うちのドイツ人の父方の祖父母が住んでいたという建物を見に行った。うちのドイツ人にはここの記憶はなかった模様。行けば何か思い出せるかと思ったけど、やっぱり何も。つまり、ここにはたぶん預けられていなかったんだろうな。
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そこから車で移動してノイブーラハという小さな町へうちのドイツ人の母方の祖父母が住んでいたという家を再びちらっと見にいった。ここの記憶はうちのドイツ人に断片的に、でもたくさん残っている。色々と確かめるために以前見に来た話はこちら。2011年夏のことで、もう6年も前なのね~
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こうして縁の地をウロウロしてこの日は終わり、うちのドイツ人の母方の叔母の住むナーゴルトという町へ向かった。

撮影: D600 + 58mm(F1.4)
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