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ベルリン中央駅 [ベルリン]

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これはデュッセルドルフ中央駅。
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乗る電車を待っている間にあれこれ撮影。ドイツの電車は自転車を積み込めるので、どこかへサイクリングに行く人たちが集合していた。
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めぎたちは今回ICEの1等を予約。早めに予約すればデュッセルドルフ=ベルリン往復が座席指定込みで一人当たり100ユーロくらい(3か月前に購入。もっと前に買えばもっと安かったらしい)。2等はもっと安いけど、座席指定にお金がかかる。それなら1等を取っちゃえ!と思うようなお値段。だって、ベルリンまで4時間半くらいかかるんだもの。新幹線のグリーンで4時間半の旅を往復すると思えば、それが100ユーロ(1万3千円程度)って破格でしょ。片道じゃないのよ~

中はゆったり。
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通路をはさみ、片側は1列。めぎたちがいた方は2列。一人旅にも非常に便利だ。
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めぎたちはわざと向かい合わせのテーブル席を予約した。こうやってお弁当やパンを広げたかったから。
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25分ほど遅れてベルリン到着。
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向こうには、旧東側にあるテレビ塔。
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めぎがベルリンに来たのは1984年と2003年。84年は壁があった東西分裂時代だし、2003年は未だ大工事中だった。うちのドイツ人は70~80年代に何度も来たが、最後が壁崩壊の頃。新しくなったベルリンは全く知らない。

開放的な明るい駅ね~
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めぎたちは、ベルリン中央駅を利用するのは初めて。2006年のドイツでのサッカーW杯に合わせて作られたそうだが、めぎたちの知識では、ベルリンは未だツォー駅に到着するところというイメージ。いやはや、本当に我々ってジジババになったわね~という感じ。
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ホームからガラス越しに首相府と国会議事堂が見えた。
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ベルリン中央駅は3層式。到着したのは高架ホームで、入り口はあちら。
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地下ホームまで全て吹き抜けになっている。
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なかなか面白い開放的な構造。
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東京駅がレトロな重厚さをテーマに改装したのに対し、ここのコンセプトはずいぶん現代的ね。
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さて、めぎたちはここからローカル線へ乗り換えた。ローカル線も高架ホームから。
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ローカル線の中。
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途中、懐かしのツォー駅を通過。
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こうしてベルリンへ向かったのは、ハンブルクの友人夫婦とこの夏ベルリンで会うことに決めたから。毎年どこかへ一緒に旅をしているのだが・・・数年前は日本へ、その後ライン河畔の古城ホテル、リューゲン島などを旅し、今年はベルリンに決めたのだ。というのは、友人夫婦の娘さんがベルリンに住んでいるから。娘さんの住むシャーロッテンブルクという旧西側の地域に宿を取り、あちこち案内してもらった。そんな旅の話は数日後から。明日は帰りのお話を・・・最初に鉄道の話をまとめておきたいので。

撮影: Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)
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13時間の旅 [ベルリン]

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ベルリンの話は一気に飛んで、これは帰りの日。ローカル線に乗ったのは11時15分頃。
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11時半頃ベルリン中央駅到着。
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帰りの電車は12時過ぎ。ちょっと時間あるので・・・
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一休み♪
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めぎはアイスコーヒー、うちのドイツ人はコーラを。日本と大きく違うことは、アイスコーヒーとはアイスクリームが乗っている珈琲のことで、ヘタするとその珈琲は温かいことさえあるのだが、この日の珈琲は一応冷たかった。コーラは日本と違ってこういう風に瓶で出され、自分でコップに注ぐ。いずれにせよ、氷はない。これで全部で9ユーロ弱(約1200円程度)。高~い・・・ベルリン中央駅はベルリンの普通の相場の倍くらいの値段だった。
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さて、ホームへ行きましょ。
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戻りのホームは地下。
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地下だけど吹き抜けだから外のように明るい。
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そして無事に出発。出発時点で既に10分くらい遅れていた。遅れたのは、車内のアナウンスによると、乗客が乗り込みに混乱して時間がかかったからなのだそう。でもね、どうしてそんなに混乱したかといえば、来た電車の号車番号が予定とまるっきり反対だったからなのだ。誰もがきちんと自分の指定した座席の号車番号のところで待っていたのに全然違ってて、めぎたちなどはホームの端から端まで移動しなければならなかった。ホームも車内も、自分の号車へ移動する人たちが狭い通路で交差して、大混乱になったのだ。予めその旨を告げるアナウンスでもあれば時間短縮できただろう。それを、混乱の原因を詫びもせず、乗客の乗り込みに時間がかかったので遅延が生じたとアナウンスするって、どういうこと?

その昔はドイツって時間に正確な国だったけど、今や公共交通機関が遅れないことなんて、無い。どうしてなのかしら・・・これは一つの仮説に過ぎないが、破格の値段でバスや飛行機や自家用車との競争に打ち勝とうと頑張っているしわ寄せが、たぶん職員の給料の辺りに出ているんじゃないかなと思う。お客が快適な旅ができるよう気持ちよくサービスしようというような気分には誰もなれないような、もしくは、時間に正確にキッチリ仕事をして自分の仕事に誇りを持とうと努力するような状況には誰もなれないような、劣悪な労働条件なんじゃないかしら・・・遅れようとどこか壊れてようとゴミが落ちていようと、この人たちは自分たちの職場がどれほど乱れていようとどうでもいいんじゃないかしら、と思う様なことがたくさん目につく。1等の座席もあちこち壊れていて、足置き台が上がらなかったり、枕が外れていたり。ICやICEの1等がよ。普通、1等って、会社の威信をかけてしっかり整備するんじゃないかしら・・・一事が万事そういう適当さで、10分程度遅れてもたいした話しじゃないという感じ。

さてさて・・・電車はどの後それなりに順調に進み、まずヴォルフスブルクへ。ここはかつてハーゼーベがプレイしていたスタジアム。彼は今はフランクフルトね。
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ヴォルフスブルクはフォルクスヴァーゲンで有名な街。というか、それしかない街。訳すと「オオカミの城」という意味だが、ここにかつてオオカミがいた訳ではなく(いや、この辺りはかつては森で、その森にはもちろんオオカミが住んでいたはずだが、それを名前の由来にしているサイトもあるが)、このオオカミという意味のヴォルフは実はヒットラーのニックネームに由来するらしい。1938年ヒットラーがここに礎石を置き、フォルクスヴァーゲンの工場が建設されたのだが、そのためヒットラーの城という意味でヴォルフスブルクと名付けられたのだとか・・・それが本当か否か、Wikipediaを見ても分からなかったが、少なくともドイツ人たちの間ではそう言われている。
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そんなことを話しつつヴォルフスブルクを通過。
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その後、ハノーファーに着く前に突然電車が止まった。どこだかに落雷があったというのだ。しばらくして、電車は進行方向と逆に動き出し、おお~ベルリンへ戻るのか?などと思っていたら路線変更してなんとかハノーファーの駅へ。この時点で25分の遅れ。
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同じコンパートメントの人が降りたので、車内を撮影。帰りの電車はICで、ちょっと古めのコンパートメントタイプ。このとき、食堂車に行ってカプチーノを購入し、ベルリンで予め買っておいた生ハムのサンドを食べた。
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そしてのろのろ運転でビーレフェルトという駅に着いた。ビーレフェルトはベルリンからデュッセルドルフまでの道のりの残り約3分の1くらいの地点。しかしここからが長かった・・・電車は雷雨と暴風の影響ですっかり止まってしまった。落雷でコンピューター制御が麻痺し、さらに暴風で木が折れたり枝が散らばったりして線路が塞がってしまったらしい。
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それでも電車の中は空調が効いていたし、コンパートメントをめぎとうちのドイツ人で二人締めで、まあ2~3時間くらい遅れても別にたいしたことはないよね、という感じだった。なにしろめぎは高校が夏休みだからそんなにストレスがなかったし、うちのドイツ人もベルリンで楽しく過ごしたあとだったのでリラックスしてたのだ。これは16時半の撮影。予定ではその頃デュッセルドルフに着いていたはずだった。
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待っていた5時間くらいの間(そのあともずっとずっとデュッセルドルフに着くまで)、うちのドイツ人は延々と新聞の数独とクロスワードパズルに勤しみ・・・(1等は新聞が無料で色々置かれていたので次から次へと勤しみ・・・)
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めぎは1等の無料のWifiでみなさまのブログ訪問、コメントを書いたりしていた。
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電車が止まった直後に水が無料で配布されたが、18時過ぎ、ビールとチョコレートケーキもいただいた。ちなみに食堂車は閉鎖されてしまい、温かい食事はいただけなかった。パンなどは電車を降りて駅に入れば買えたようだが、そんな気分にならなかった。ここでおにぎりでも売っているんだったらめぎは買いに行っただろうな・・・
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その後アナウンスで、向かいのホームの電車に乗り換えるよう指示された。おお、そろそろ移動できそうね、といそいそと荷物をまとめて乗り換えたが、乗り込んでも一向に発車せず、発車したのは20時過ぎ。これは20時24分にどこかでまたストップしていたときの撮影。
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電車は本来の路線が使えずぐるっと大回り。これは予定外の駅。このとき20時34分。
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そして、とうとう日が暮れ始めた・・・21時47分。
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残念ながら乗った電車はドルトムント止まりとなり、そこで乗り換え。世界はちょうどブルー。
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デュッセルドルフ行きという文字が輝いて見える!
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22時23分・・・乗る電車は18時12分発のはずだったのね。
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そして、23時50分頃デュッセルドルフに到着。
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さらに乗り換えなければならない人たちか、払い戻しを求める人たちか、長い行列が。夜中なのにお気の毒ね。
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この後めぎたちはトラムで自宅へ。自宅到着は0時15分頃。配られたビールとチョコレートケーキのあと何も食べていなくて、あまりにおなかが空きすぎて、もう空腹感もなかった。

そんなわけで、13時間もかかったという訳だ。ドイツから日本へ到着できちゃうわね。もちろん天候の所為だから仕方がないが、どうも天候の所為ばかりではないような気がする・・・できるだけ早くナントカしようとか、どうしたら早く解決できるか考えるとか、そういう努力があまり感じられないのだ。その点、日本って凄いなあ・・・日本で新幹線代や電車代が高いのには一理あるという気もする。あの正確な運行や迅速な事故処理にはそれだけのコストがかかっているのだ。安かろう悪かろうでは・・・ねえ。

明日からはベルリンでの旅のお話を。

撮影: Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)、D600 + 20mm(F1.8)
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トラビ [ベルリン]

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先日40℃を記録したドイツだが、急激に気温が下がり、今日は昼になっても14℃。フリース着て過ごす夏・・・むむむ。

さて、ベルリンで最も印象に残ったもの。
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長~~~~いトラビ!
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トラビというのはトラバントの愛称で、トラバントというのは旧東ドイツで生産していた車。

これ、タクシーなのかな?
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いいな~♪
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撮影: D600 + 20mm(F1.8)、Nikon 1 V3 + 30-110mm(F3.8-5.6)


♪ 黒つながりでおまけ ♪

うちのドイツ人の最も印象に残ったもの・・・
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このアジア系のウエイトレスさんの黒のショートパンツから見えている黒のレース!
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全く男というのは・・・
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カント通りとクーダム周辺の散歩 [ベルリン]

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今日からぼちぼち先週のベルリンの話を始めようと思う・・・と言っても、ベルリンへバリバリ観光に行った訳ではなく、友人夫婦に会いに行ったようなものなので、たいした話はないのだが。連日35℃越えでものすごく暑かったので、ちょっと歩いてはどこかに座っておしゃべりして涼み、さらに午後はシエスタのようにお昼寝したし。とは言え、高校が夏休みに入って同僚たちが数週間のバカンスへ旅立った今、めぎも3泊4日とは言え仕事や日常を離れて気分転換になったのは確か。大学が夏休みに入るまであと1週間だが、それまでのブログネタとしてはちょうどいいかしら。まあ、ドイツ人がドイツ国内を旅するとこういう感じになるというのもお見せできるかな。

ベルリンのシャーロッテンブルクという地域にあるホテルに到着したのは15時半頃。ホテルの隣の隣の隣くらいのアパートに住む娘さんを訪ねていた友人夫婦と早速再会し、まずはカフェへ。
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ベルリンと言えばまずはこれでしょ♪
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↑これ、ベルリーナーヴァイセといって、ビールを「森のマイスター」という植物のシロップで割った飲み物。森のマイスターについてはこちら。味はまあまあ。ちなみにベルリーナーヴァイセには赤のタイプもあって、赤はラズベリーシロップ味。

このカフェで16時まで注文可能だったランチに滑り込みセーフで来店し、ちょっと遅い昼食を。ここはタイだったかベトナムだったか東南アジア系の店で、これは春雨と鶏肉と白菜のサラダ。とても美味しかった。これだけスマホで撮影。
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こうしてちょっと腹ごしらえをしてから散歩。シャーロッテンブルクの駅から北へ行くと、鉄道と平行にカント通りというのがある(南へ行くと鉄道と平行にクーダム)。それを越えてもっと北へ行くとシャーロッテンブルク宮殿に着くのだが、そこはめぎは84年に見たし、うちのドイツ人も友人夫婦も既に見学済みなのでカット。今回はカント通りを東へ、つまりツォー駅の方へ。

ベルリンと言えば、このアンペルマン(信号男)よね♪
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カント通りはアジア通りという名に変えた方がいいんじゃないかと思うほどアジア系のお店がたくさん並んでいた。中華、日本、ベトナム系・・・特にベトナム系は何軒も。日本の盆栽を売る店もあったし、アジア食材ショップも。

ベルリンで非常に印象に残ったのは、道路が非常に広いこと。土地いっぱいあるわねえ。そして、車が少なく、でもいろんな種類の車が往来。自転車も意外に多い。
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今回の旅には、D600には20mm単焦点しか持ってこなかった。基本的にこのフルサイズ20mmだけで撮影し、必要に応じてV3に30-110mm(換算約80-300mm)を使うというシンプルで軽めのスタンス。あとは、念のためV3に18.5mm単焦点(換算50mm)も用意。行き帰りの電車の中と、疲れてフルサイズカメラを持ちたくないときに使おうと。使ったのはほんの数回のみだったけど。

時々ウィンドウを覗き込んだりしながらおしゃべりに花を咲かせつつ40分ほど歩き、途中で右に曲がって高架の線路を横切り、クーダムの方へ。あ、ケンピンスキー。ここにいらしたことのある方はきっといらっしゃるのでは。めぎは12年くらい前、妹とここでアプフェルシュトゥルデルを食べた。美味しかったなあ・・・あのときは4月に雪が降ったときで、寒くて凍えてこの中で温まったのだが、夏は様相が全く違うわね。
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しかし、ドイツ人たち3人はケンピンスキーのカフェなどに目もくれない。クーダムにも目もくれない。やってきたのは、Literaturhaus(文学館)というところ。
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新古典主義建築のこの建物は、1889~90年に建てられたもの。と言っても建築を見に来たのではなく、友人夫婦の奥さんの方がここで開かれていたWolfgang Herrndorfという作家兼画家兼イラストレーターの個展を見たかったのだ。
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そのイラストに関してはめぎにはあまりピンと来なかったが、この建物はなかなか重厚なヴィラで、ちょっと明治期の日本の洋館を思い出させる雰囲気もあって、興味深かった。友人と反対ね。
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外の木陰にはカフェがあって(あとで調べたら地球の歩き方にも載っているカフェ)、涼しげで素敵だったが、ドイツ人たちはここにも興味はないようだった。
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それからまたクーダムの方に戻り・・・
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ほんのちょっとクーダムを東へ散歩。この辺りはきっとご存じの方が多いわよね。
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信号のところから左を見ると、向こうにツォー駅が見えた。
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上の写真をトリミング。かつてのベルリン(西ベルリン)の中心だったツォー駅の辺りは今大きく取り壊されて大々的に工事中。クーダムの中心だったこのKranzlerというカフェは、なんだかすっかり寂れた感じになったわねえ・・・うちのドイツ人はここに入りたかったようだが、友人夫婦の奥さんが「ここはもう時代遅れでしょ・・・」と却下。いや、たぶん、だからこそ入ってみたかったんだろうけど。
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こうして時代は流れていくのだな、と感じつつ散歩は続く。

撮影: D600 + 20mm(F1.8)、Xperia Z1
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ヴィルヘルムからビールとベトナム料理まで [ベルリン]

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現在、7月初めのベルリンの旅を連載中。

クーダムをちょっと歩くと見えてきたこの建物。
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きっとご存じの方がいっぱいいらっしゃるわよね・・・これはカイザーヴィルヘルム記念教会と言って、ヴィルヘルム皇帝の死後建てられた教会なのだが、戦争で破壊され、その悲惨さを伝えるためにそのままの形で残してある塔である。下の方に知らないおじさんがカメラ目線で写ってたけど、暑いし眩しいしで全く気がつかなかった・・・

この日は人がいっぱい。向こう側の入り口の方が空いているわね・・・と、外をぐるっと回って反対側へ移動。
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ちょうどライブコンサート中だったのだ。
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そんなわけで、邪魔しないようにこれで退散。
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20mm単焦点でどうやって面白く取ろうかとあれこれ試してみるのだが、なかなかいい構図は見つからない。
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それにしても自転車が多いなあ。
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こうしてめぎが写真を撮っている間、ドイツ人3人は教会を見ることもなく陰に座っておしゃべりに花を咲かせて待っていた。こういう教会もライブコンサートも至る所にあるので、特に興味ないのだろう。

さて、そろそろホテルの方へ戻ろうか・・・ということで、またカント通りへ。ここから2枚はちょこっと撮り鉄♪
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↑電車の後ろの絵はゲッツェだわね♪(トリミング)
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そして、ドイツ人たちはこの店に吸い寄せられていった。
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そう・・・
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ビール!
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ドイツ人たちは、カフェではなく、お洒落なレストランでもなく、こういういかにもドイツ的な居酒屋で、それもベルリンの地ビールが生で飲める店でビールを飲みたかったのだ。ここで食事もできるけど、彼らはここで食べようという気はなく、ただビールを一杯飲むためだけに立ち寄っただけ。ドイツのいいところは、ビール一杯で1時間でも2時間でも、究極を言えば5時間でも8時間でも座り続けてOKであること。我々は一人一杯ずつの注文だけで1時間以上ここでおしゃべりした。日本でよく居酒屋で時間制限があったり、何杯も頼んだりすることに、ドイツ人たちは非常にびっくりする。もちろん飲みまくってへべれけになるドイツ人もいるが、少なくとも大卒以上の知識階級の人たちは、そして50代ともなれば(30代くらいからそうだが)、お酒はホンの1~2杯飲むだけで何時間もおしゃべりを楽しむのが普通である。

そして21時過ぎになってまたカント通りをホテルの方へ戻り・・・
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近くのベトナム料理のお店で夕食。
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大人4人、ビールを飲んで前菜やらメインやらあれこれおなかいっぱい食べて、チップも入れて60ユーロほど。一人15ユーロ(約2千円)だ。ベルリンってずいぶん物価が安いわねえ・・・美味しくて大満足。ここに限らず、ベルリンはどこで食べても安くて美味しかった。ベルリンには食事に全く期待をしていなかったので、意外な発見。ドイツ料理を食べると印象は別だったかも知れないが、めぎたちにはベルリンでドイツ料理を食べなければならない理由は全くなかったのだ。東南アジアまで飛ばなくとも、ベルリンに来れば美味しいアジア料理が安くいっぱい食べられるわねえ、熱帯地方みたいに充分暑いし、バカンスはベルリンにすればいいんじゃない?などと軽口言い合ったり。
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そうは言っても、数日過ぎれば夏でも20℃程度だし、真冬のベルリンはものすごく寒くて暗くて、いくら安く東南アジア料理が食べられてもね・・・

こうして一日目は終わり。二日目に続く。

撮影: D600 + 20mm(F1.8)
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ポンプとマルチパン [ベルリン]

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現在、7月初めのベルリンの旅の話を連載中。

2日目の朝10時過ぎ、既にじりじりと暑くなり始めているところを散歩開始。今日もまずは同じシャーロッテンブルク地区を、前日とは違って西側を歩く。
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この辺りはちょっとハイソな住宅街で、カフェやレストランもあちこちに。
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これはキオスクの前だったと思う。
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ここはシャーロッテンブルク地区の区裁判所。日本で言えば簡易裁判所かな。
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通りのあちこちに目についたこのポンプ。
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なかなかお洒落ねえ。
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この写真は別の日の別の時間帯だが、ポンプを押してみたら水がちゃんと出てきた!
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この水は緊急用ので飲み水ではないようだが、ベルリンにはこのようなポンプが2000以上もあるのだそう。

それからまたカント通りを横切る・・・赤と黄色のコラボが面白いなと思って写したけど、イマイチだなあ。もっと近づけば、そして2階建てのバスを待てばよかったわね。
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シャーロッテンブルクには魅力的な店が並ぶ。これはガラス越しで写り込みが激しい写真だが、手芸屋さん。デュッセルドルフにはこの手のお店がこの10年くらいの間にどんどん姿を消し、今や針や糸や毛糸やボタンなどを買おうと思ってもどこへ行ったらよいやら・・・という感じになったので、ベルリンの何気ない住宅街の通りにこういう店があることにちょっと感動。
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ピンぼけだが、こちらは時計修理屋さん。こういう修理のお店もデュッセルドルフからこの10年の間にどんどん姿を消した。ベルリンにはまだあるのね。
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そして、友人夫婦の奥さんの方のお目当てのお店へ到着。
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これ、なんだと思います?
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マルチパン・・・日本だとマジパンというのかも・・・アーモンドのお菓子である。
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マルチパンと言えばドイツでは北ドイツのリューベックのが有名だけど、友人によるとここのは本当にアーモンドの味がして、甘さも控えめで、ずっとずっと美味しいのだとか。ベルリンに娘さんを訪ねる度にお土産に購入するのだそう。日本へも送ってくれるという話だったので、興味のある方はこちらからどうぞ。ここで試食してみたが、確かに甘さ控えめでアーモンドの味がしっかり。

しかし、もともとマルチパンが好きではないめぎは・・・というのは、お菓子に興味ないし、そもそもアーモンドが好きじゃないので・・・何も購入しなかった。あとで思えば、大学の同僚たちにお土産に買えばよかったのだが、暑くてそこまで頭も回らず。

その近くにあったこういう鍵なんかの方がめぎはとっても興味あったのだけど。
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可愛いお店がいっぱいあるシャーロッテンブルクの散歩を終えて、このあと友人夫婦の車でベルリンの南東部へ。
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つづく。


撮影: D600 + 20mm(F1.8)
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ノイケルンという地区 [ベルリン]

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現在、7月初めのベルリン旅行記を連載中。

旧西側のシャーロッテンブルクから車で一気に移動して・・・
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着いたところはベルリンの南東部、Neukölln(ノイケルン)という地区。
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なぜここへ来たかと言えば、めぎもうちのドイツ人もベルリンは数回目で主な観光地は知っているので、友人夫婦に娘さんと息子さんがかつて学生時代に住んでいた地区へ連れて行ってもらったから。ベルリンは東京23区より大きいので(23区の1.5倍だって!)移動が結構大変だが、道路が広くて混んでいないので車があればすいすい。ここまで45分くらいだったかな。

ノイケルンというのはかつて旧東側との国境だった地区で、非常に簡単に言えば外国人労働者が住んでいた地区。写真を写さなかったが、途中のSonnen Allee(太陽の並木道)はアラブ通りとでも名付けるべきじゃないかと思うほどアラブ文字の店が並んでいた。その南側にあるノイケルン地区は今も家賃が安く、学生たちが多く住むらしい。しかし、娘さんもそのカレシさんも息子さんも、口を揃えてこの地区には二度と住みたくないという・・・夜中には酔っぱらいが多く、治安がイマイチだったのだとか。

この通りはボヘミア人通り・・・確かに外国人が多かったということね。落書きも多いけど、でも緑が多い所為か、夏の日差しで満ちていたからか、そんなに悪くない印象。冬の木枯らしの日にでも行かないと本当の姿は分からないんだろうな。
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これはベツレヘム教会。ね、綺麗よね。
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こんなに美しい感じなんだけど・・・学生さんたちは夏休みを終えた頃に新年度へ向けて宿探しをするから、ここの秋から冬にかけても姿を知らずに借りちゃうということなんだろうな。
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あ、Benzolだって・・・たしかトラビの燃料ね。旧東ドイツは常に石炭とBenzolの臭いがしていた、と言われている。
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ここは結婚式用の車や馬車、霊柩車などを貸す会社らしい。ずっと向こうに馬用の設備が見えたが・・・
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こんな風に使われていたのだろう。
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通り沿いのこんな建物の奥には・・・
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またさらに別の建物が。ここにも人々の暮らしがあるのよね。
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そうそう、ベルリンに限らずヨーロッパ中どこに行ってもこういう風に路駐しているけれど、これはいわゆる日本で言う路駐ではなく、合法の駐車場。ヨーロッパの都市はどこも100年以上前からの古い建物もそのまま使っていて、喩え戦争で爆撃を受けて壊れても残った建物の外枠と道路はそのまま使って再建しているので、つまり車社会に対応していないのだ。駐車場など作ってあったはずもなく、日本のように更地を駐車場に作り替えるということも、全部崩壊させて更地にして新たに建設し直すということもほとんど無く、従って駐車場がない。それで、かつて中庭だったところを駐車場に作り替えたり、道路の隅を駐車場スペースとしたりしているのだ。だから、こういう道の路駐にもお金がかかる。道のどこかにパーキングの自販機があり、ここに住む人たちやここに勤めている人たちは路駐年間契約をして駐車料金を払っている。
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だから、片側通行のところはこんな風に駐車も一列だけ。結構頻繁に駐車の取り締まりもやっていて、パーキング料を払ってなかったり(事前に駐車料金を払って・・・1時間とか2時間とか必要分を予め払い、その領収書をボンネットに置いておく)、駐車禁止の場所に駐車していると、結構すぐに反則切符を切られ、結構な額の罰金を払わされる。
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ちなみにドイツでは、新しく更地から建て直す場合は地下に駐車場を作ることが義務づけられている。そういうところがあまりないのが現状だけど、都市の中心部の新しい建物は普通駐車場完備である。めぎの住むアパートは築130年くらいであるため、当然のことながら駐車場はなく、前の通りへの駐車契約をしている。

さてさて・・・ノイケルン地区を歩いていたら、サンタナのライブの広告があった。ベルリンでライブだって。
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鍛冶屋さんも。
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中の写真を撮らせてもらった。
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それにしても暑かった・・・
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そうこうしているうちにお昼近くなり、娘さんとそのカレシさんとお昼に約束している場所へそろそろ移動することにした。
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つづく


撮影: D600 + 20mm(F1.8)
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オーバーバウム橋とイーストサイドギャラリー [ベルリン]

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現在、7月初めのベルリン旅行記を連載中。

友人夫婦の娘さんとカレシさんと待ち合わせしたのは、ベルリンの旧東側、ワルシャワ駅の近く。昨日の記事の場所からまっすぐ北へ車で10分ほど。
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この辺りは倉庫街。先日世界遺産に登録されたハンブルクの倉庫街と似ている。
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建物の内側。格好いいなあ。
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左がフルサイズD600と20mm単焦点で。右側は1インチのV3と18.5mm(換算50mm)で。
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今回の旅のあと、うちのドイツ人に「D600で写したのよりV3の方がずっとよかった」と言われちゃって・・・まだ買って間もない20mm広角に慣れていない所為かも知れないけど、50mm単焦点は半年間毎日通勤に持ち歩いて画角に慣れたからかも知れないけど、V3の写りは確かに悪くないのだ。

ここからは全てV3での撮影。

娘さんとカレシさんが連れて行ってくれたのは、このオーバーバウム橋が見えるレストラン。
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シュプレー川の向こうは旧西側だったとか。
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その昔は東側の人はこの川に近づくこともできなかっただろうに、今はこんなことが東側からできちゃうのだから、いい時代になったものだ。
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このレストランはセルフサービスなのだが、なかなか美味しい。めぎは好きなのを好きな量入れて量り売りするサラダバーだけでおなかいっぱい。
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ワンちゃん、暑いだろうなあ・・・
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食事を終えて、カレシさんは慌ただしく仕事へ戻っていった。娘さんも午後から出勤とのことで移動していった。

こんなオブジェのあるここに集合したのは・・・
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カレシさんのオフィスがこの辺りにあるから。
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娘さんの方はここから南東のアートラースホーフという地域へ。その辺りは今ちょうど研究都市が建設されているところ・・・ちなみに娘さんは物理学の博士様。なんの研究をしているのか聞いたけど、いやぁ、難しいわぁ・・・

さて、めぎたちはこのオーバーバウム橋を横切って・・・
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すぐそばのイーストサイドギャラリーへ。そう、ベルリンの壁が残してあるところ。
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すっかり観光地化してるけど。
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こんな分厚い壁だったのねえ・・・
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ここからまたD600で。

暑いのでこれ以上見るのは断念し、また車に乗って、次のポイントへ。ここはイーストサイドギャラリーからちょっと南下したところにあるテンペルホーフ空港跡。
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ナチスの空港だったここは、戦後は西ドイツから西ベルリンへの食糧・物資供給のための空港として復活し、その後国際空港としても使われたが、次第に大きなテーゲル国際空港に取って代わられ、2008年に閉鎖され、2010年からこうして市民に解放されているそうだ。
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この後めぎたちは一旦シャーロッテンブルクのホテルに戻ってシエスタならぬお昼寝休憩をし、夕方以降の予定に備えた。

つづく


撮影: D600 + 20mm(F1.8)、Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)
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カリーヴルストとツバメ [ベルリン]

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現在、7月初めのベルリン旅行記を連載中。

ベルリンと言えば・・・
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やっぱり一度は・・・
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屋台のカリーヴルストを食べなきゃね!
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カリーヴルストというのは焼きソーセージを一口サイズに切り、それにケチャップベースのスパイシーなソースとカレー粉をかけた食べ物。お好みでポメス(フライドポテトのこと)も。まあこれは今やベルリンに限らずドイツ中で食べられるものだけど。

それから友人夫婦とビールを一杯飲んで・・・
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オペラへ!
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シーズン最後のオペラには結構着飾った人たちが集まっていて・・・
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この日見たのはLa Rondineというプッチーニの非常にマイナーなオペラなのだが、無名のオペラの割には満席。めぎたちは非常に安い一番上の方の席だったのだが、舞台全体が綺麗に見えてよかった。
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La Rondineとは訳すと「ツバメ」。あらすじはこちらをどうぞ。清らかな愛を求めて駆け落ちした愛人が結局パトロンの元にツバメのように戻っていくという内容で、ハッキリいって愚かすぎてあまりにもバカバカしい内容のオペラだが、プッチーニの音楽は美しかった。あまり長くなくて、最後まで楽しめた。
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終わると、ちょっと薄暗くなってきていた。
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ドイツ・オペラからホテルまで歩く途中にあったベトナム料理の店(1日目の晩とは別の店)で夕食。写真は無いが、これまた非常に美味しかった。
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こうして2日目終了。3日目は今回の旅の中で最も観光っぽいことをした日。その話はまた明日から。

撮影: D600 + 20mm(F1.8)、Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)
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壁のこちらと向こうとその先 [ベルリン]

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現在、7月初めのベルリン旅行記を連載中。今日から滞在3日目のお話を。

これはMartin-Gropius-Bau(マルティン・グロピウス建築)。
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マルティン・グロピウスというのは建築家で、有名なヴァルター・グロピウスの大叔父。ヴァルター・グロピウスというのは、バウハウスの創始者。バウハウスというのは、1900年代前半のドイツの建築・美術・デザイン学校(ドイツのホームセンターのチェーン店とは別の組織)。

立派な柱のこの建物は、東西ベルリン時代、壁のすぐ西側にあり、かつては美術工芸品のミュージアムだったが今は展覧会やイベントに使われているようだ。
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壁画や彫刻は建物を掲げている人物の絵が多いなあ・・・
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これはガラス細工ね。
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向かいには、現在のベルリン州議会議事堂。もともとはプロイセンの議会議事堂で、東ドイツ時代には盗聴設備が置かれていたところだとか・・・
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そう、この道路を挟んで向かいは東ベルリンだったのだ。つまり、この道路にはベルリンの壁があったのだ。
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あちらはナチス時代にドイツ航空省が置かれていたところ。そこで1949年に東ドイツ(ドイツ民主共和国)が誕生したのだとか。壁崩壊後しばらくは旧東ドイツの国営企業を民営化するための信託公社が置かれ、現在はドイツ財務省。
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こうして書くと、如何にドイツが古い建物をずっと使い続けてきているかよく分かるわね・・・プロイセン時代の建物をずっと使い回しているのだもの。

そして、間の道路には、壁の一部が残されている。
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絵が描かれていないと、殺伐とした感じ。
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望遠で。
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この金属は壁に埋め込まれていたのだろうか。
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この辺りはテロのトポグラフィーというところで、ゲシュタポの本部があったのだとか。その跡がこうして展示されている。見なかったけど、この下には地下牢もあったらしい。
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それを見下ろすWelt(世界)という名の気球。Weltとはドイツの大きな新聞社の名前。
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そこから歩いて20分くらいのところへ移動。うちのドイツ人が是非見たいと言ったところへ。

それはここ。
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黒と灰色の世界。
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高さは同じではなく、水平でもない。
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地面もうねっている。
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ここはユダヤ人犠牲者記念館。2005年に作られたので、めぎもうちのドイツ人も見たことがなかった。うちのドイツ人がベルリンに行くにあたり見学を希望したのはここだけだ。
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若い観光客がたくさん訪れていた。
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ここは非常に広い。これだけの広大な土地にユダヤ人慰霊の場所を2005年になってからも尚建設し、さらここが連邦議会議事堂やブランデンブルク門など政治の中心や観光の目玉からすぐ目と鼻の先であることを思うと、ドイツって凄いなと感じる。最も美しく綺麗に見せたい場所に、こんな黒と灰色の世界を作ったのだ。それも、もう多くの人が戦争のことなど忘れた頃に。それどころか、もう壁のあった頃さえ知らないドイツ人がいっぱい育ってきている頃に。
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これは、喩えて言えば、日本の赤坂や霞ヶ関あたりに韓国人や中国人の犠牲者のための広大な慰霊記念公園を作るようなもの。そう考えると、この重みが少し想像していただけるだろうか。もちろんドイツがしたことと日本がしたことは規模も形もやり方も全く違って比べることはできないが、喩えとして分かりやすいのではと思う。

歴史の罪からも恥からも目を背けずに、様々なものを背負って東西再統一まで成し遂げたドイツは強い。強すぎる。それは、裏を返せば、過去と真摯に向き合えば武器など翳さずとも強くなれるということかも知れない。ヨーロッパの他の国々が色々と悔しくとも結局協調せざるを得ないのは、こんなところに一因があるのではと感じる。
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撮影: D600 + 20mm(F1.8)、Nikon 1 V3 + 30-110mm(F3.8-5.6)
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ブランデンブルク門とドイツ連邦議会議事堂 [ベルリン]

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現在、7月初めのベルリン旅行記を連載中。

ここはベルリンで最も有名なところ。
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31年前、めぎはここから向こう側へ行った。
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西ベルリンの壁を越えて、門のこちら側へ。いや、ちょうどこの辺りは無人地帯で、この辺でパスポート検査と、乗っていた車の厳重なチェックがあったような記憶。無人地帯には戦車もあったし、銃を持った兵士もいたし、ここは写真撮っちゃダメという地帯もあった。そこへ足を踏み入れたそのとき、空気が変わったような気がした・・・そんなことを思い出しながら、ドイツ人たち3人とちょっと離れて一人でここに立ってみた。あのときと同じ場所。でも、あのときと全然違う雰囲気。あのときの空気はもう無い。
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西側を振り返ってみる。
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そうだ、この馬は、こちら側からしか見られなかったのよね。
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馬さん、どこへ駆け出していきたいの?
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そのときのことは以前にも書いたような気がするが・・・めぎはここのどこかで東ドイツの方々に昼食に招かれた。非常に歓迎を受け、貴重な食事を出された。それはたぶんビスマルクヘーリングだったのではないかと思う・・・ヘーリングというのはニシンで、つまりビスマルク風の酢漬けニシン。めぎが好きで時々ご紹介しているニシンの塩漬けではなく、酢漬け。これが、食べ慣れない所為もあったのか、でも臭いがひどくて酢がきつすぎて、異常にまずかったという記憶。高級品を出してくれたそうなのにほとんど手をつけられなくて(5匹も皿に載っていたのが1匹半でギブアップ)、申し訳なかったというのが強烈な印象になっている。出されたものを食べ残すなんて、ものすごく失礼なことだと感じつつ、でもでも全く呑み込めなかったのだ。東ドイツの人たちはいったい何を食べているのかと非常に気の毒に思ったものだった。いや、もしかしたら、酢漬けニシンではなく肉類でも出してくれていたら印象は全然違ったのかも知れないが。

あのときは、めぎの生きているうちにここが東西統一するなんて想像もできなかったな・・・そんなときが本当にこの世にあったのだ。
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あのときの思い出をまた心の奥に仕舞って、ブランデンブルク門をあとにした。
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少し歩くと、壁を越えようとして撃たれたりして亡くなった方々の記念碑。
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うちのドイツ人も友人のご主人の方も、ドイツで兵役に就いた人たちだ。高校を卒業してから、当時は全部で1年半の兵役があった。当時は高校卒業時に19歳になる制度だったから、21歳を超えてからようやく大学に行けた世代。高校卒業と同時に親元を離れ、彼女とも離れ、軍隊の集団生活へ。東ドイツが国境を越えてくることを念頭に、大砲やら銃やら全ての扱い方を修得した。大きな銃は苦手だったが、ピストルの命中率はうちのドイツ人は彼のいた部隊でNo.1だったと言っている。そして、実際に前線・・・東ドイツとの国境地帯に赴いた。それは訓練ではなく当時本当に前線だったのだ。戦争になることは運良くなかったけれど、撃ち合いをすることも運良く無かったけれど、そのときは東ドイツは本当に敵国で、四六時中対峙していたのだ。だから、東西が再統一することになったとき、心中非常に複雑だったという・・・同じドイツ人だけど、彼らにとっては東と西はまるで違う国だったそうだ。あのときの彼らの東への歩み寄りを思えば、今のギリシャ問題などなんでもない気がするとさえ言う。

当時、西ドイツが武器を持つことをもちろんフランスやイギリスはいいことだとは思っていなかった。ポーランドだってユダヤ人たちだって反対だったことだろう。しかしそれが受け入れられたのは、もちろん西側が当時のソ連に対抗するためでもあるが、ドイツが全ての歴史の過ちを認め、謝罪を繰り返したからである。誰しも、過ちを犯しました、申し開きようもありません、と跪く相手には、さらに剣を振りかざしたりはしないのだ。国内にはもちろん反対意見もあった・・・誰も自分の国の代表が他国に頭を下げて詫びるところなど見たくない。しかし、ドイツはそれをやってのけた。そのおかげで自国の持つ権利・・・軍隊を持つ権利も、誰に文句を言われることもなくなった。なんて強かな国だろう。

そんなことをしてきたドイツだからか、ここ数日のドイツ国内の報道を見る限り、今の日本の動きには非常に冷ややかだ。子どもが売るケンカをあなた買うんですか?あなた、西側に属しているけど、大人(=先進国)じゃなかったんですか?だいたい、やったことをやってないと言い出すようじゃ、子どもと同じですねぇ、というような受け取り方だ。まあハッキリ言って極東で何がどうあろうとドイツにはあまり関係ないからどうでもいいけど、いくらアメリカが作った憲法だからってその解釈をころっと変えちゃうなんて、そしてあんな採決の仕方をするなんて、やっぱりアジアって異質で我々には分かりかねるねぇ・・・という感じでもある。ちょうどEU内でケンカを売られて、それを理性的にどう対処するかに頭を悩ませてきたところだから、ことの成り行きが対照的にも見えたかも知れない。ドイツだってパーフェクトじゃないが、隣人と話し合いを繰り返す努力はしているのである。

記念碑が見えるところの日陰にあったベンチで一休み。
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目の前をひっきりなしに通り過ぎていく観光バス。
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ベルリンにはたくさんたくさん外国人観光客がいたが、日本人は全くと言っていいほど見かけなかった。7月初めはまだ夏休みではない所為かも知れないが、日本人にとってベルリンはそれほど行きたいと思うような場所ではないということでもあるんじゃないかな・・・興味の矛先が違うのだろうと思う。ヨーロッパに行くのなら、絵に描いたような美しい街並みを見たいと思うのが普通だものね。

涼んで一息ついて、次にドイツ連邦議会議事堂へ。
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2003年に訪れたときは、ちょっと並べば荷物チェックだけでガラスのドームをすぐに見学できたが、今はテロ防止のため事前予約が必要。今回めぎたちは遠くから眺めただけ。

これはもちろんドイツ国民のためのものだが・・・
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上にはドイツの旗とヨーロッパの旗。ドイツ人たちには自分たちはヨーロッパ市民だという自覚が強い。ドイツ国民だという思いと同じくらい強い。今やヨーロッパを牛耳るドイツだが、ヨーロッパ市民として当然という意識もある。そう胸を張るにはそれだけの裏付けもあるのだなあと感じる旅だった。
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さて、めぎたちは暑さにギブアップして、日陰の多いティーアガルテンを横切り・・・
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ブランデンブルク門の西側を横切り・・・
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壁崩壊25周年記念のアンペルマンにちょっと会釈して・・・(アンペルマンというのは東ドイツの信号機のキャラクター。東西再統一してから信号機も西側化されるのに反対運動が起き、このアンペルマンが一部残され、お土産グッズにもなっている。)
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ポツダム広場を横目に見つつ・・・
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ベルリン一の観光地に別れを告げた。
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そして車でまた移動。これは車の中から写したポツダム広場の一部。
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ベルリンの話、長いわね・・・あとたぶん2~3回。

撮影: D600 + 20mm(F1.8)、Nikon 1 V3 + 30-110mm(F3.8-5.6)
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ベルリンで日本食 [ベルリン]

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現在、7月初めのベルリン旅行記を連載中。

ベルリン位置の観光地をあとにしためぎたちは、車でさくっと移動。これはガラス越しだが、Hallesches Torという駅で、文化財保護指定を受けている建物だそう。Torというのは門のこと。1812年のユダヤ教徒解放令まで、ユダヤ人は南の方角からはこの塔からしかベルリンの中に入れなかったのだそう。余談だが、こういう差別はドイツに限らずフランスなどヨーロッパ中にあった。
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地上を走る地下鉄沿いに東へ走っていくと・・・
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煉瓦造りの駅も。これはSchlesisches Tor(シュレージエンの塔)という駅。
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シュレージエンというのはポーランドのシレジアのことで、旧ドイツ領だったところ。アルザス地方と並び、戦後ドイツが失った地域である。その昔、この塔がシュレージエンに向かう出発点だったのだ。
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そこからすぐ、先日も来たあのオーバーバウム橋を渡り・・・
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ワルシャワ駅を通り過ぎてから割とすぐに右に入って通りに車を駐めて(3時間分の駐車料金を予めパーキングメーターで払って領収書をボンネットに置いておく)、レストランの並ぶこんな通りを歩いた。
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お洒落な店が並ぶこの辺りはFriedrichshain(フリードリヒスハイン)という地域。
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お昼ちょっと前で、レストランはどこもちょうど準備万端という感じ。
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この通りはSimon-Dach通りという。
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貸し自転車屋さんもあった。
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さて、なぜここまで来たかと言えば、ここでお昼を食べるため。なぜここでお昼を食べるかと言えば、友人夫婦がめぎをここへ招待したかったから。
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ま、マジですか・・・
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そう、ここは日本料理レストラン。ベルリンで美味しいと話題のレストランなのだそう。と言ってもコックもウエイトレスさんも日本人ではないようで、口コミなどを見ると凄く美味しいという賛美と本物じゃないという酷評とが入り交じる。友人はとっても美味しかったからとめぎを是非ここへ連れてきたかったのだそう。コックさんはたぶんアジア系の方。

そんなわけで、玄米茶で一息♪ 暑いときの熱いお茶って意外に一息つけるのよね。
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枝豆は日本の居酒屋チェーン店並み、餃子は焼き方がちょっと違うが味はまあまあ。
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その他、お寿司やお刺身など、充分美味しい。よくあるなんちゃって日本食と比べると、悪くない。スマホの写真しかないが、このベジタブルうどん(豆腐&青梗菜入り!茶色っぽいのは干し椎茸・・・この干し椎茸は日本のように予め甘辛く味付けしてあるのではなく、出汁をとったのをそのまま切ってある)も悪くなかった。その横の皿は、ちょっと鰹のタタキみたいにあぶった鮪を炒めた(もしくは茹でた)ほうれん草の上に載せて中華風の味付けになっている料理。この鮪に関しては、目から鱗の美味しさ。
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どう?と聞かれて、美味しいよ~独創的だけど・・・と言うと、どこがどう独創的なのか?と聞かれ、うーん日本ではうどんに豆腐を入れたりはしないと思う(少なくともめぎは食べたことがない)・・・と言うと、非常に変な顔をされた。うどんも豆腐も極めて日本的なもので、醤油味だし、どこが独創的だというのだ?と言いたげだった。そうねえ、どうやって説明すればいいのかしら。うどんの具に豆腐を入れたりしないというのは、どうしてかと言われると理由はよく分からない。ただ、そういううどんは食べたことがないというだけのことである(入れる地域もご家庭もあるのかも知れないが)。なぜめぎはうどんの具に豆腐を入れようとは考えたことがないのだろうか。別に入れて悪いものじゃないし、まずくもないし、よく汁物に入るありがちな具でもあるのに、どうしてかしら。白いうどんに白い豆腐を入れても彩りがよくないから?いや、それより、そういう取り合わせを見たことがなかったから、なのよね。そういう取り合わせはめぎの経験の範囲では日本にはない・・・たったそれだけのことで、うどんを食べてみたけどちょっと本物と違ったということになる。まあ許容範囲だけど、ちょっと違う。

ドイツの現代人気作家フランク・シェッツィングのLimitというミステリー小説に「日本人は料理に関してファシストだ。」というくだりがある(原語版で691ページ、日本語訳でどう訳されているかは知らない)。そのくだりを思い出すこのレストラン。日本食は今や国際料理として認知され、ドイツでもちょっとした街には必ず日本食レストランがあって以前よりはかなり日本食らしいものが食べられるようになったし、ドイツ料理に日本的な味付け・・・ヴァーザービー(山葵)ソースなど・・・をするのが流行になっているほどだが、外国である以上、日本で普通に食べられるような日本食は諦めざるを得ない。デュッセルドルフはずいぶん恵まれているが、それでも魚介類など札幌で食べていたものの多くは手に入らないし、東京でちょっと高めだけどできたてのざる豆腐を買っていたような贅沢も味わえない。本物はここにはないのだ・・・少なくともうどんに豆腐を入れるようなのは本物じゃないとめぎは思うのだが、それはファシストだと言われると、うーん・・・いや、そっちだって白アスパラの食べ方に関しては充分ファシストじゃない?と思うが、日本人はあらゆる日本料理に関し、いやそれだけじゃなく外国料理に関しても本物にひたすら拘るファシストだと言われると、うーんたしかに・・・日本人って国内海外どこへ行ってもそこの郷土料理に拘るし、その土地の食べ方(味付けや付け合わせや調理方法等々)まで拘るし、その拘りがドイツ人一般よりずっと強いのは確かだ。日本ではそういう「こだわり」をかなりポジティブな意味で解釈するけど、ドイツ語の拘りに当たる言葉って、そういえばネガティブな意味にしか使わないなあ・・・

とにかく外国人には、日本料理レストランの料理のどこがどう本物と違うのか、想像がつかない。ズーシー(寿司)もトゥーナー(鮪)もウードン(うどん)もトーフ(トにアクセントを置き、フは低く発音)も美味しいね~魚と野菜で健康的だね~日本食いいね~と上機嫌なのだから、でも本物はちょっと違うんだけど・・・というコメントは野暮なのかも知れない。ただ、こちらがこういうところでかえって望郷の思いを強くするのも確かなことである・・・舌の感じる微妙な「違い」は意地悪なほど奥に仕舞い込んでいた懐かしい味への憧れを呼び覚ますのだ。日本風創作料理、となっていれば、違いを楽しむゆとりも生まれると思うんだけど。

人気のお店のようで次から次へと席が埋まっていったが、日本人は一人もいなかった。
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ベルリンにお住まいの方、ベルリンでちょっと日本食が恋しくなった方には、ここまで足を伸ばしていく価値はある。独創的だけど、美味しい。ほうれん草の上にタタキの鮪を載せた料理は、本当に悪くない。自分でも作ってみようと思うほどだった。しかし、決して本物を求めてはいけない。本物とどのように違うかを楽しむようなゆとりを持って出かければ、とっても美味しく楽しめるレストランである。

それからまた車で移動。続きはまた明日。
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撮影: D600 + 20mm(F1.8)、Xperia Z1
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中庭で [ベルリン]

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現在、7月初めのベルリン旅行記を連載中。

お昼を食べたあと、友人夫婦に車で連れてこられたのがこの辺り。地下鉄の駅が写っているが、車でここまでやってきた・・・ワインマイスター通りだって。この辺り、ワインのマイスターがいたのかしら。
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自転車の駐輪が多いが、こんなのも止まってた。
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この辺り、こんな通り抜け路地が多い。
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その中に今ベルリンですっかり有名になったサブカルチャースポットがある。
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それは、ベルリンに最近いらした方ならきっとご存じのHackenscher Hof(ハッケンシャーホーフ)。
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入り口にはDie Hackeschen Höfeと書かれている・・・カタカナにしにくいが、ディ・ハッケンシェン・ヘーフェという感じかな。ハッケンシャーホーフは単数形、ハッケンシェンヘーフェは複数形だ。ディは複数形名詞の冠詞。ハッケンシャーまたはハッケンシェンというのは「ハッケンの」という意味で、ハッケ伯爵という人が18世紀半ばにプロイセンのフリードリヒ大王の命でこの辺りに広場や通りを建設したことに由来する。その後この辺りは繊維産業・服飾系の工場の中心地となり、ユーゲントシュティール(ドイツのアールヌーヴォー)の住宅が建設された。Hof(ホーフ)というのは色々な意味があるがここでは中庭という意味で、ここには住宅の8つの中庭が通り抜け路地でつながっているので、複数形で呼ばれるのだろう。今は住宅の他、企業のオフィスや文化施設も入っているらしい。カフェもいっぱい。
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友人夫婦が、ここは一度は見るべきと連れてきてくれたのだけど、こういうところはうちのドイツ人が最も嫌がるところで・・・というのは、いかにもシックに装って観光地化しているから・・・2つくらいの中庭を見たところでもう結構とばかりに出て行きたそうだった。
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ここが住宅として使われていることは、通り抜け通路のこういう郵便受けや・・・
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屋上やベランダに置かれた日傘でも分かる。
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しかし、ひっきりなしにこうやって観光客が訪れる場所に住むのって、寛げるのかな・・・
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あ、この向こうにアンペルマンショップがあるみたい!
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そうそう、アンペルマンというのはドイツ語で信号機男(アンペル=信号機、マン=男)という意味で、東ドイツの歩行者用信号機に使われていた人の形。先日も書いたが、再統一してから信号機までも西側のに取り替えられ、この愛すべきアンペルマンまで取り替えなくても・・・という反対運動が起き、さらにグッズもできたという訳だ。
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すっかり足取りが重くなったうちのドイツ人を置いて、めぎはここで妹に頼まれたグッツを購入。
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ちなみにこの中庭には大きな木が気持ちのよい木陰を作っていて・・・
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その下に泉があって、足湯ならぬ足泉で涼んでいる人たちがいた。
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うちのドイツ人はめぎや友人夫婦がアンペルマンショップで買い物をしている間、この女性たちと一緒に足泉をして待っていた♪ 友人夫婦はゆっくり買い物していたので、先に終わっためぎもここで足泉してみた・・・暑い暑い夏の日、冷たい水が気持ちよかった。

そんなわけでろくに中を見ていないけど、ハッケンシャーホーフはこれでお仕舞い。
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ベルリン旅行記は明日まで。

撮影: D600 + 20mm(F1.8)
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スペイン人とベルリンで [ベルリン]

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7月初めのベルリン旅行記は本日最終回。

ベルリンには3泊したのだが、早くも最後の夜がやってきた。18時に友人夫婦と娘さんのカレシさんと一緒に、ホテルの近く、シャーロッテンブルクのこの通りへ。滞在初日、到着直後にも来た通り。
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この日はここのストリートフェスティバル。
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屋台の並ぶストリート。
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通り沿いのお店も色々趣向を凝らしているようだった。
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こんなのがあったり。
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その一角でまずは喉を潤す・・・めぎたちは白ワインを飲んだのだが、友人夫婦とカレシさんはなんとノンアルコールビール。車の運転をする訳でもないのだが、暑かったし、これから散歩に行くところだから、まだ酔いたくないのだとか。
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↑この写真、何かちょっと不自然に感じませんでした?日本だったらこんな図には決してならないはず。そう、みんなそれぞれ一本ずつビールを頼み、自分で自分のグラスに注いでいるのだ。カレシさんがカノジョの親に気を遣って注ぐなんてこともないし、奥さんがご主人に注ぐなんてこともない。ドイツでは自分の飲み物は自分で頼み自分で注ぐのが普通で、まあまあまあ、おっとっと・・というようなやりとりは決して起こらないし、注ぐ注がないが気の利く気の利かないという人の判定につながったりすることもない。上司や目上の人に注いだりする文化もない。ワインに関しては、一流レストランの場合はウエイターが注ぎ、こういうくだけたところの場合は、グラスワインでなければ誰かが注ぐのだが、それは他人のグラスに気を配るというよりは、自分のグラスが空いた場合に他の人にも注ぎましょうかと聞くという程度。ドイツは飲みに関しては非常に気楽なところである。もちろん接待や招待の場合はもてなす側が全てに気を配るのが当然だけど。でも、ビールに限ってはやっぱり自分で注ぐのが普通だわね。

喉を潤してから、シャーロッテンブルクを散歩。
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そして、近くの池のある公園へ。
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ベルリンっ子たちがのんびりまったりしていた。
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花壇も整備された綺麗なところ。
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なぜここへやってきたのかと言えば、カレシさんがこれを飛ばすため。
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ぶーーーーーん!黒っぽくてちょっと見えにくいけど、ちょうど通りがかった人たちが足を止めて見上げてた。
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飛ばしたり調節したりまた飛ばしたりを繰り返しつつ話し込む彼ら。
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みなさま、お気づきになりました・・・?娘さんがここに同行していないことに。この日、友人夫婦にとってもベルリン滞在最終日だったのだが、娘さんは仕事がどうにも忙しくてご一緒できなかったのだ。それで、娘さんと同居しているカレシさんだけが我々と一緒に散歩に出かけたという訳である。もうつきあいは長いがでもまだ結婚の予定は全くない娘さんとカレシさんだが、ドイツではそういう間柄でもパートナーとして親に紹介し、休暇などを一緒に過ごすのが極めて一般的。友人夫婦の休暇先に娘さんとカレシさんが一週間ぐらい訪れたり、そこへ息子さんがカノジョを連れて遊びに来たりなんてことも。娘さんもカレシさんの実家にクリスマスやイースターなどを過ごしに行っている。

このカレシさん、実はスペイン人。娘さんがスペインへ留学したときに知り合ったそうで、彼もまたドイツへ留学し、そしてドイツで就職したのだ。スペインが恋しいけれど、スペインでは就職がないので・・・そう、スペインの失業率は凄くて、中でも若者の失業率は50%だとかで、大学を出ても仕事が無く、優秀な人はみんなドイツにやってくる。それは裏を返せば、優秀な人ほどドイツに行ってしまい、スペインには残らないということでもある。するとスペインはさらに空回りし、ドイツはますます強くなっていく。カレシさんはまだ20代半ば。そんな歳で、既に額面で月給5000ユーロ以上だというのだから(65万円以上)、どれほど優秀な人かが伺える。そういう人がスペインで職が無く、ドイツで働くのだ。EUで垣根が無くなって、ヨーロッパ人なら誰でもなんの手続きもなくドイツに住んでドイツで働けるようになって、たしかに東欧からの移住者が増えて社会問題にもなっているけれど、優秀な人を集められるというメリットもあるわけだ。ドイツがEUを潰したくない訳はここにもあるのだ・・・そして、それは周辺諸国の優秀な若者にとっても同じこと。今はドイツでも企業では国際的な企業であればあるほど英語を使うのが一般的だし、ドイツには同じ能力の人の場合マイノリティを雇うという決まりがあるので、優秀な外国人にとっては働き口を見つけやすいのである。

ベルリン、まだまだ発展しそうだわね。
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雲が広がってきて光が無くなってしまったが、V3と望遠レンズで色々と。
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このときまだ啼いていたクロウタちゃん。ちなみに今はもう啼かなくなった・・・お嫁さん探しの時期は終わったのよね。このクロウタちゃんはお嫁さんが見つかったかな。
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ここには特に何がある訳でもない。非常に落ち着いたベルリンの日常の週末の時間がゆっくりと流れていた。
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それからめぎたちは、カレシさんが一度入ってみたかったというスペイン料理のレストランへ。
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カレシさんのドイツ語は初級レベル。だからこのときみんなで英語中心で話していたのだが、このレストランで注文するときカレシさんはスペイン人のウエイターにもちろんスペイン語で。それがまあなんと流暢で(当たり前だが)、力と自信がみなぎっていたことかしら・・・ああこの人、本当はこういう人なんだ、とびっくりするほど人格が違う感じ。母国語って大事なんだなあ・・・なんでも自分の言葉で言い表せるって人を強くするんだなあ・・・ちなみにカレシさんと娘さんはうちではスペイン語で話しているそうだ。娘さんのスペイン語能力はネイティブ並みである。
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ここはとても美味しかった。でも、いくつか、美味しいけれど期待していたものとちょっと違うのがあった。例えばハモン・イベリコ。うーん、これ、本当にハモン・イベリコ?違わない?まあ美味しい生ハムだったけど、スペインで食べたのとは全く違う。
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このイカの料理も、写してないけどタコの料理も、美味しいんだけど、スペインで食べたのとはちょっと違う。
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ここで、スペイン人のカレシさんがどれほどがっかりしていたか・・・それは、もしかしたら、めぎが一番理解できたかも知れない。確かにめぎたちにとっては美味しかったのだけど、でも、スペイン人にとっては本物じゃなかったのだ。それは、美味しいとか美味しくないとかの問題ではない。この料理はこうあるべき、本場ならこうなのに・・・と期待が外れたときのなんとも言えない失望感は、喩えようもない。旅行者なら、やっぱりこんな外国で母国料理なんか食べるべきじゃなかったね、と笑えるのだが、外国に住む者にとっては、滅多に外食しないからこそ、そして母国料理への欲求をいつもは封じ込めているからこそ、こうして食べる機会があったときの幻滅感は非常に大きいのだ。若いカレシさんは、すっかり食欲を無くしていた。可哀想に。どれほどホームシックになったことかしら。

でもね、ホント、美味しかったのよ。本場スペイン料理にも負けない美味しさだったのよ。いや、スペインに住んだことのない者にとっては、充分本場スペイン料理だったのよ。
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食って、ときに凄く残酷ね。人の心を深く深く抉る。

そして最後の夜が明け、めぎたちはホテルの朝食をキャンセルし、友人夫婦お薦めのスペイン風カフェ(レストランとは別のところ)で一緒に食べた。スペインオムレツとブルスケッタ。美味しかった・・・でも、あのカレシさんだったらなんと言うかしらね。
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以上で7月初めのベルリンの旅の話はお仕舞い。いつもの如く友人夫婦と屈託無くおしゃべりし、ベルリンを新たに知ることができ、楽しく有意義な時間だった。

撮影: D600 + 20mm(F1.8)、Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)
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