ボルネオの旅~お土産&序章~ [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日から2022-23年の年末年始のボルネオ・コタキナバルの話を始めようと思う。
まずはいつもの如くお土産から。
拾いに拾いまくった貝殻たち。
木のヘラのようなものともう一つ何だか分からないものはお土産屋さんで目について購入。
それから調味料やら乾燥した小さい魚やエビ、よく飲んだ現地のビール、美味しかったドライマンゴー、乾燥麺やインスタント麺など。複数買ったものは一つずつ並べた。
今回の旅行、最初はイタリアを車で旅する計画をしていた。かなり計画を煮詰めつつあったところできっぱりやめることにしたのは、行きたいところの宿がほとんど閉鎖されていたから。オフシーズンでお休みらしく、それでは食べるところもあるかどうかちょっと不安だし、営業しているホテルは非常に高かったのだ。
これは野生のサイチョウ。宿の部屋のテラスから撮影。
そんな値段を払うのなら遠出できるよねということで、コロナが収まったらまた行きたいねと話していた南国が候補に浮上した。実は計画当時円安だった日本も検討したのだが、冬のドイツから冬の日本へはあまり気が進まなかったし、燃料費が上がっている昨今、日本への航空券が高くてびっくり、即却下。で、航空券代がそれほど高くなく、常夏の太陽の下でエネルギーを充電できる南国にと決定。とは言え、環境問題という見地から燃料を大量に使う飛行機での旅は控える傾向にあるヨーロッパなので、地球の反対側へ旅するのはどうかという躊躇いがあった。戦争中だし、コロナも完全には収まっていないし、という気持ちもあった。
これはシュノーケルしながら写した海の中。
それでも行くことにしたのは、まずうちのドイツ人が年金を受給する年齢になったという節目を祝いたかったことと、そういう年齢になった以上は仕事をやめる日も近づいてきているということで、もうしばらくは今まで通りに仕事する予定だが2年後3年後のことは分からないし、そのうちには大きな旅にお金をかけられなくなる、そもそも体力的にも遠くへの旅はちょっとしんどくなりそうだし、それなら体力とお金のある今のうちに行っておこう、と。また、戦争も今後どうなるか分からないし、飛行機代も物価も今後どこまで上がるか分からないし、調べてみたらマレーシア航空は値段が以前とほぼ変わっていなかったので行けそう、ホテル代も値上がりしていなかったのでこれはチャンス、と心を決めたのだった。
美味しいものもいっぱい食べた。これは中華系のレストランで。
そんなわけで、休暇でこんなに遠出するのはこれが最後かも、と思って行ったのだった。なんと大袈裟な、と思われそうだが、一年延ばしたら行けなくなる可能性もないとは言えない気がしたのだ。もちろん、また数年後には戦争も終わって燃料問題も落ち着くのかも知れない。でも、倫理的なことや世の中の動きはさておき実際長距離の旅は結構しんどくて、仕事をしている間は時差の大きな場所への旅はもうあまりしたくないなと思ったし、めぎの定年を待っていたらうちのドイツ人の方がそんな長距離の旅ができるかどうかわからないし、ひょっとするとここに来るのは本当にこれが最後かもしれないな、と思いながら過ごしてきた。
南国のフルーツ、特にバナナ、美味しかったな~
自分がそんなことを思う歳になるとは、50代半ばにしてはちょっと早過ぎるかもしれないが、うちのドイツ人が12歳年上なので、60代後半の目でもものを見ているのだ。日本はもちろんドイツも長寿国で、60代などまだまだ若く、あと20年30年元気でいられそうな気がする。しかし世界を見ると、2020年の統計によると平均年齢はドイツでも45歳以上なのだが(日本は48歳以上)、マレーシアはなんと30.26歳。で、ボルネオを歩いていると、どこに行ってもうちのドイツ人が最高齢者。コロナの所為もあってか、旅行者も若者ばかり。自分たちは現実に老人の域に達したのだ、と思い知った。なんとも寂しく聞こえるかもしれないが、めぎ的にはストンと腑に落ちたというか、結構サバサバしたというか、あ、そうだわね、と受け入れた。遠くへ冒険の旅に出るような年齢ではなくなってきた、ということなのだ。
そうは言っても、また数年後にはやっぱり真冬の暗さに耐えられなくなって南国に逃避に出かけてしまうのかも知れないが。時差も数日頑張ればまあ何とかなるわけだしね。また行けたらラッキー、行けなくてももう十分満足、という気分。3回もここを訪れてここの旅は十分堪能し、思い出がたくさんできたから。そうして二人とも非常に満足して帰ってきた。
あまりにも満足したため、帰宅した時に旅の終わりの寂しさをあまり感じなかった。仕事に戻る苦痛も感じなかった。ああ行って良かった。ああ無事に行けて終わって良かった。そんな不思議な旅だった。
まずはいつもの如くお土産から。
拾いに拾いまくった貝殻たち。
木のヘラのようなものともう一つ何だか分からないものはお土産屋さんで目について購入。
それから調味料やら乾燥した小さい魚やエビ、よく飲んだ現地のビール、美味しかったドライマンゴー、乾燥麺やインスタント麺など。複数買ったものは一つずつ並べた。
今回の旅行、最初はイタリアを車で旅する計画をしていた。かなり計画を煮詰めつつあったところできっぱりやめることにしたのは、行きたいところの宿がほとんど閉鎖されていたから。オフシーズンでお休みらしく、それでは食べるところもあるかどうかちょっと不安だし、営業しているホテルは非常に高かったのだ。
これは野生のサイチョウ。宿の部屋のテラスから撮影。
そんな値段を払うのなら遠出できるよねということで、コロナが収まったらまた行きたいねと話していた南国が候補に浮上した。実は計画当時円安だった日本も検討したのだが、冬のドイツから冬の日本へはあまり気が進まなかったし、燃料費が上がっている昨今、日本への航空券が高くてびっくり、即却下。で、航空券代がそれほど高くなく、常夏の太陽の下でエネルギーを充電できる南国にと決定。とは言え、環境問題という見地から燃料を大量に使う飛行機での旅は控える傾向にあるヨーロッパなので、地球の反対側へ旅するのはどうかという躊躇いがあった。戦争中だし、コロナも完全には収まっていないし、という気持ちもあった。
これはシュノーケルしながら写した海の中。
それでも行くことにしたのは、まずうちのドイツ人が年金を受給する年齢になったという節目を祝いたかったことと、そういう年齢になった以上は仕事をやめる日も近づいてきているということで、もうしばらくは今まで通りに仕事する予定だが2年後3年後のことは分からないし、そのうちには大きな旅にお金をかけられなくなる、そもそも体力的にも遠くへの旅はちょっとしんどくなりそうだし、それなら体力とお金のある今のうちに行っておこう、と。また、戦争も今後どうなるか分からないし、飛行機代も物価も今後どこまで上がるか分からないし、調べてみたらマレーシア航空は値段が以前とほぼ変わっていなかったので行けそう、ホテル代も値上がりしていなかったのでこれはチャンス、と心を決めたのだった。
美味しいものもいっぱい食べた。これは中華系のレストランで。
そんなわけで、休暇でこんなに遠出するのはこれが最後かも、と思って行ったのだった。なんと大袈裟な、と思われそうだが、一年延ばしたら行けなくなる可能性もないとは言えない気がしたのだ。もちろん、また数年後には戦争も終わって燃料問題も落ち着くのかも知れない。でも、倫理的なことや世の中の動きはさておき実際長距離の旅は結構しんどくて、仕事をしている間は時差の大きな場所への旅はもうあまりしたくないなと思ったし、めぎの定年を待っていたらうちのドイツ人の方がそんな長距離の旅ができるかどうかわからないし、ひょっとするとここに来るのは本当にこれが最後かもしれないな、と思いながら過ごしてきた。
南国のフルーツ、特にバナナ、美味しかったな~
自分がそんなことを思う歳になるとは、50代半ばにしてはちょっと早過ぎるかもしれないが、うちのドイツ人が12歳年上なので、60代後半の目でもものを見ているのだ。日本はもちろんドイツも長寿国で、60代などまだまだ若く、あと20年30年元気でいられそうな気がする。しかし世界を見ると、2020年の統計によると平均年齢はドイツでも45歳以上なのだが(日本は48歳以上)、マレーシアはなんと30.26歳。で、ボルネオを歩いていると、どこに行ってもうちのドイツ人が最高齢者。コロナの所為もあってか、旅行者も若者ばかり。自分たちは現実に老人の域に達したのだ、と思い知った。なんとも寂しく聞こえるかもしれないが、めぎ的にはストンと腑に落ちたというか、結構サバサバしたというか、あ、そうだわね、と受け入れた。遠くへ冒険の旅に出るような年齢ではなくなってきた、ということなのだ。
そうは言っても、また数年後にはやっぱり真冬の暗さに耐えられなくなって南国に逃避に出かけてしまうのかも知れないが。時差も数日頑張ればまあ何とかなるわけだしね。また行けたらラッキー、行けなくてももう十分満足、という気分。3回もここを訪れてここの旅は十分堪能し、思い出がたくさんできたから。そうして二人とも非常に満足して帰ってきた。
あまりにも満足したため、帰宅した時に旅の終わりの寂しさをあまり感じなかった。仕事に戻る苦痛も感じなかった。ああ行って良かった。ああ無事に行けて終わって良かった。そんな不思議な旅だった。
ビジネスクラスの旅 [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末~2023年初めの休暇のお話を。
ドイツから南国へ旅するにあたり、うちのドイツ人には決して譲れない条件があった。それは、今度地球の反対側へ旅する時にはビジネスクラスを使う、というもの。
そんなわけで、これは最初のフライトのウエルカムドリンク。特にすごく美味しいものというわけでもないが、ボーディングでいち早く搭乗し、エコノミーの人たちが搭乗して落ち着いてドアを閉めて離陸に向かうまでのそれなりに長い間、こうして優雅に過ごせるのがビジネスクラス。
前回同じくボルネオへ休暇に出かけたとき(2016-17年)、行きに幸運にもビジネスクラスにアップグレードされた(その話はこちら)。その昔にもラッキーなことにアップグレードを数回経験したことがあるのだが、それまでとその時とで全く異なったのが、フルフラット体験。完全に横になれると本当に体への負担が少なく、その後の休暇がとても楽だった。その2年後ペナン島に旅をしたとき、ビジネスは払えずプレミアムエコノミーにしたのだが(その話はこちら)、それと比べてもフルフラットってどれほど快適なのかと思い知り、それ以来うちのドイツ人は、次に行くときにはビジネスで、と心を決めたのだ。で、それ以来ずっとビジネスクラス預金をしてきた。
ここはデュッセルドルフ空港のビジネス・ラウンジ。かなり質素で特記しようと思うようなものはなかったが、お茶を飲みながら静かに落ち着いてフライトを待てるという素晴らしいメリットを満喫した。出発前の仕事をなんとしても終わらせるバタバタとパッキングで疲れてもいるし、フライトというのはそれ自体かなりストレスなので、この静かな時間はリラックスするのに非常に役立った。
コロナと戦争の前、ビジネスクラスにはそれなりにディスカウントがあった。下手すると、今の日本の航空会社の国際便のエコノミーとほとんど同じぐらいの値段で買えるのもあった。今も、閑散期など時期を選べば安いのもあるのかも知れない。しかし、めぎは仕事柄どうしても最も高い時期にしか休めなく、案の定目の玉の飛び出る値段。しかし、エコノミーはエコノミーで、エコノミーにこんなに出すなら旅行自体をやめよう、と思うような値段だったし、マレーシア航空のビジネスクラスは他のより2~3千ユーロ安かったので(凄い差!)、よしこれで行こう、と腹をくくったのだった。
しかも、予約したのはマレーシア航空だけど、乗ったのはコードシェアでトルコ航空。トルコ航空のサイトから予約すると倍ぐらいのお値段なので、こんな安くて本当に乗れるの?とちょっと心配だったけど、もちろん大丈夫だった。
そんなわけで、費用という面からもこんな遠出をするのはこれが最後かもしれないのだ。ビジネスクラスを一度味わうともうエコノミーには戻れないし、エコノミーに乗ってまで行きたいとはもう思わない、となるので。2人分だし、以前よりずっと高くなったし、仕事の出張などによるマイルも全くないめぎ家なので、もしいつかまた行けるとしても、ビジネスクラス預金をするのに今までより時間がかかるだろう。コロナ時代のようにどこにも行けない時期が長期間続けばまた貯まるだろうが、ヨーロッパはもう通常に戻ってしまったし、休みの度にどこかへ出かけていたらそんな費用は貯まらない。うちのドイツ人がそのうち年金生活に入ったらもう全く無理だろうな。
飛行機はデュッセルドルフからザルツブルク上空を飛んでイスタンブールへ飛んだ。まずその区間が3時間10分の飛行時間。
そのようなわけで、一瞬一瞬を心ゆくまで満喫した。3時間ほどの短い時間でも、国際線だからかしっかりとした食事が出る。前菜はトルコの前菜盛り合わせ、飲み物はトルコのビールを、メインはラム肉のケバブを選んだ。ラム肉がナスに包まれているケバブで、そのトマトソースを絡めて食べるバターライスが美味しかった。
そしてイスタンブールに到着。乗り継ぎの待ち時間はラウンジで。ここのラウンジはものすごく大きく立派。
食べ物も充実。
この緑の野菜がグリーンペッパーという名前で、一つ取ってきてかじってみたが、特に辛いわけではなかった。
麺などその場で作ってくれる料理もあったのだが、既にいっぱいトルコ料理を食べたし、この後乗る飛行機でも食べるので、自重してチャイだけにとどめた。うちのドイツ人はトルコのデザートを3つぐらい取ってきてたけど、めぎには甘すぎた。
下界を眺めながら過ごす時間…乗り継ぎは2時間半で、ボーディングタイムを考えると45分ぐらいしか時間がなかったけど、その45分を人混みの中で過ごすか、ラウンジでゆったりするかは、やっぱりその後の疲れ具合に大きく関わってくる気がした。
そして、この日のハイライト。イスタンブール空港はとても大きいのでバギー(カート)サービスがあるのだが、65歳以上は無料なのだ。つまりうちのドイツ人は無料で運んでくれて、めぎだけ約7ユーロ払わなければならないのだが、まあ2で割ると一人3.5ユーロで歩いて20分ほどの距離を荷物を持って歩かずに済む、というわけで、もちろんそれに乗ることに。良い気分だったわ~このサービスはビジネス・エコノミー関係なく誰でも使えるので、7ユーロが惜しくなければ是非。
長くなったので、続きは次回に。
ドイツから南国へ旅するにあたり、うちのドイツ人には決して譲れない条件があった。それは、今度地球の反対側へ旅する時にはビジネスクラスを使う、というもの。
そんなわけで、これは最初のフライトのウエルカムドリンク。特にすごく美味しいものというわけでもないが、ボーディングでいち早く搭乗し、エコノミーの人たちが搭乗して落ち着いてドアを閉めて離陸に向かうまでのそれなりに長い間、こうして優雅に過ごせるのがビジネスクラス。
前回同じくボルネオへ休暇に出かけたとき(2016-17年)、行きに幸運にもビジネスクラスにアップグレードされた(その話はこちら)。その昔にもラッキーなことにアップグレードを数回経験したことがあるのだが、それまでとその時とで全く異なったのが、フルフラット体験。完全に横になれると本当に体への負担が少なく、その後の休暇がとても楽だった。その2年後ペナン島に旅をしたとき、ビジネスは払えずプレミアムエコノミーにしたのだが(その話はこちら)、それと比べてもフルフラットってどれほど快適なのかと思い知り、それ以来うちのドイツ人は、次に行くときにはビジネスで、と心を決めたのだ。で、それ以来ずっとビジネスクラス預金をしてきた。
ここはデュッセルドルフ空港のビジネス・ラウンジ。かなり質素で特記しようと思うようなものはなかったが、お茶を飲みながら静かに落ち着いてフライトを待てるという素晴らしいメリットを満喫した。出発前の仕事をなんとしても終わらせるバタバタとパッキングで疲れてもいるし、フライトというのはそれ自体かなりストレスなので、この静かな時間はリラックスするのに非常に役立った。
コロナと戦争の前、ビジネスクラスにはそれなりにディスカウントがあった。下手すると、今の日本の航空会社の国際便のエコノミーとほとんど同じぐらいの値段で買えるのもあった。今も、閑散期など時期を選べば安いのもあるのかも知れない。しかし、めぎは仕事柄どうしても最も高い時期にしか休めなく、案の定目の玉の飛び出る値段。しかし、エコノミーはエコノミーで、エコノミーにこんなに出すなら旅行自体をやめよう、と思うような値段だったし、マレーシア航空のビジネスクラスは他のより2~3千ユーロ安かったので(凄い差!)、よしこれで行こう、と腹をくくったのだった。
しかも、予約したのはマレーシア航空だけど、乗ったのはコードシェアでトルコ航空。トルコ航空のサイトから予約すると倍ぐらいのお値段なので、こんな安くて本当に乗れるの?とちょっと心配だったけど、もちろん大丈夫だった。
そんなわけで、費用という面からもこんな遠出をするのはこれが最後かもしれないのだ。ビジネスクラスを一度味わうともうエコノミーには戻れないし、エコノミーに乗ってまで行きたいとはもう思わない、となるので。2人分だし、以前よりずっと高くなったし、仕事の出張などによるマイルも全くないめぎ家なので、もしいつかまた行けるとしても、ビジネスクラス預金をするのに今までより時間がかかるだろう。コロナ時代のようにどこにも行けない時期が長期間続けばまた貯まるだろうが、ヨーロッパはもう通常に戻ってしまったし、休みの度にどこかへ出かけていたらそんな費用は貯まらない。うちのドイツ人がそのうち年金生活に入ったらもう全く無理だろうな。
飛行機はデュッセルドルフからザルツブルク上空を飛んでイスタンブールへ飛んだ。まずその区間が3時間10分の飛行時間。
そのようなわけで、一瞬一瞬を心ゆくまで満喫した。3時間ほどの短い時間でも、国際線だからかしっかりとした食事が出る。前菜はトルコの前菜盛り合わせ、飲み物はトルコのビールを、メインはラム肉のケバブを選んだ。ラム肉がナスに包まれているケバブで、そのトマトソースを絡めて食べるバターライスが美味しかった。
そしてイスタンブールに到着。乗り継ぎの待ち時間はラウンジで。ここのラウンジはものすごく大きく立派。
食べ物も充実。
この緑の野菜がグリーンペッパーという名前で、一つ取ってきてかじってみたが、特に辛いわけではなかった。
麺などその場で作ってくれる料理もあったのだが、既にいっぱいトルコ料理を食べたし、この後乗る飛行機でも食べるので、自重してチャイだけにとどめた。うちのドイツ人はトルコのデザートを3つぐらい取ってきてたけど、めぎには甘すぎた。
下界を眺めながら過ごす時間…乗り継ぎは2時間半で、ボーディングタイムを考えると45分ぐらいしか時間がなかったけど、その45分を人混みの中で過ごすか、ラウンジでゆったりするかは、やっぱりその後の疲れ具合に大きく関わってくる気がした。
そして、この日のハイライト。イスタンブール空港はとても大きいのでバギー(カート)サービスがあるのだが、65歳以上は無料なのだ。つまりうちのドイツ人は無料で運んでくれて、めぎだけ約7ユーロ払わなければならないのだが、まあ2で割ると一人3.5ユーロで歩いて20分ほどの距離を荷物を持って歩かずに済む、というわけで、もちろんそれに乗ることに。良い気分だったわ~このサービスはビジネス・エコノミー関係なく誰でも使えるので、7ユーロが惜しくなければ是非。
長くなったので、続きは次回に。
ビジネスクラスの旅~その2~ [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末~2023年初めのボルネオへの旅のお話を。
先日も書いたように、うちのドイツ人の希望で長いことビジネスクラス預金をしてめでたく本当にビジネスクラスで旅をしためぎたち。乗り継ぎのイスタンブールからの飛行機でも、こうしてウェルカムドリンクで搭乗中の時間を過ごした。
↑その前の飛行機で選んだ飲み物が非常に人工的な味がしてあまり美味しく感じられなかったので、今回は当たり障りのないオレンジジュースをチョイス。
出発前にコックさんが各座席を回って、食事のメニューの中から希望を聞いて回っていた。
たしか飛び立ってから、アメニティの入ったバックが配られた。これは女性用で、男性用は別の形。中は以前と違ってブラシまたは櫛が入っていなかった。それ、結構使うものなんだけどな…クリームとかはお手洗いにもあるから使わないけど、櫛はお手洗いには無いし、でも長時間飛行の場合は寝るからちょっと髪をとかしたいし。
イスタンブールからの飛行機はマレーシアの首都クアラルンプールまでで、約10時間の長時間。夜中の1時50分発で、照明はかなり暗かった。
食事が配られた頃は、ほぼ真っ暗。
まわりには食事を要らないと言って寝ていた人も多かった。こうして何枚か見て分かるように、飛行機の中でマスクをしている人はかなり少なかった。着用義務も無かったし、もう全てが自己責任の範囲になったんだなあと実感した。
めぎたちは食事を楽しんで、というか食べながら飲んで、それで眠ることにしていた。で、めぎが飲んだのはシャンパンで、うちのドイツ人は白ワイン。どちらもかなり上等でとても美味しかった。前菜は、サーモンのタルタルとエビをチョイス。次にパンプキンスープもあったがそれは断った。メインはラム肉とナスのトマトソース。これもとても美味しかった。最後にデザートにはめぎはフルーツ。その時に3杯目のシャンパンを頂き、ものすごく眠くなってきていて、うちのドイツ人のことはもう覚えていない。なにしろその頃はドイツ時間で言えば朝5時半ぐらいだったし。
食べ終わって、まわりを写してみた。暗くて(しかも酔ってて)ブレブレ。フルフラットにする前に前とどれだけ遠いかを写そうと思って、座って足を延ばして撮影。フルフラットにすると、足の長い人の場合は前の台のところに足が載せられる感じ。肝心のフルフラットは撮っていない。めぎ、あっという間に爆睡。
そして、朝食の時間になった。ドイツ時間で昼の11時半ぐらい。
この海が長かった…それに、かなり揺れた。
到着したら、降りたところにマレーシア航空の職員が待っていた。めぎたちの飛行機がすぐだから迎えに来たという。実はデュッセルドルフから乗るとき、コードシェアのトルコ航空にチェックインしたのだけど、航空会社が違うからと最後の乗り継ぎの搭乗券は発行されず、クアラルンプールでもらうように指示されていた(しかし荷物は最終目的地までのタグをつけてくれて、クアラルンプールで受け取って預け直さなくてもいいことになっていた)。乗り継ぎカウンターを探さなきゃね、と言いながら飛行機を降りると、職員が搭乗券を持って待ってくれたのだった。
しかし、その乗るはずだった飛行機が突然2時間遅れとなり、結局めぎたちはラウンジへ送り届けられた。で、ここはクアラルンプールのラウンジ。国内線への乗り継ぎなので、ラウンジはかなり質素。めぎはマシーンで作るカフェラッテなどをやめ、マレーシアに来るといつも楽しむインスタント顆粒のネスカフェを。うわ~なつかし~来た来たって感じ♪
ラウンジで行ったトイレで撮影。マレーシアのトイレにはおしり用シャワーがついている。めぎはこれがとても気に入っている。日本のウォシュレットと違って冷水なのだが、マレーシアは暑いのでその冷水も(冷水と言ってもかなり生ぬるくて)気持ちよく、いつも清潔で、快適なことこの上ない。これも、うわ~なつかし~来た来たやっと来た~って感じ♪
そうこうしてやっと飛ぶことになった飛行機なのだが、搭乗開始直前にめぎたちの名前がアナウンスで呼ばれ、機材が違うのでエコノミーに格下げとなったと告げられた。へぇ~マジですか…アップグレードではなくダウングレードというのもあるのねぇ…めぎたちの予約していた席がたまたま4列目だったのだが、その変更になった機材では4列目からエコノミーなのだという。ビジネスがよければ次の飛行機なら座席を用意できると言われたのだが、この時点でマレーシア時間の20時ごろで、本来なら21時には目的地についていてはずのところこれから2時間40分も飛ばなければならなくて、もうサッサと飛んで行ってしまいたく、エコノミー格下げを受け入れた。3席を2人で使えるようにするが食事はエコノミーになる、とのことだった。まあもう食事なんてどうでもいいわ。2時間半だから狭くてもたいした話ではないし。ちなみにこの件、旅行後この分のビジネス料金の払い戻し申請をしたが、まだ返事がない。
飛行機の中ではもう疲れたし食欲も無く寝て過ごし、機内食は出たけどほとんど食べてもいないし、何も写していない。2時間半経ってやっと見えてきた夜のボルネオ島のコタキナバルをパチリ。ぶれてるけど。
で、23時過ぎに見覚えのある到着ロビーの表示を見ながらやっと着いた~と思ったのだが、この後が長かった…
と言うのは、スーツケースが届かなかったからだ。で、ロストバゲージの手続きをし、やっとホテルに向かったのだが、着いたのは現地時間の夜中の0時半ごろで、レストランもバーも閉まっていればルームサービスももう無く、しかも部屋のミニバー(冷蔵庫)も空で、あるのは部屋に置いてあったぬるい水のみ。ビールぐらい飲みたいところだが、何もない…今になってお腹もすいたけど、飛行機で食べずに持ってきたおつまみの豆しかない…という、ものすごくげんなりする到着だった。そんなわけでその日の部屋の写真も撮っていない。部屋にユカタと呼ばれる室内着があったので、それを着て寝た。まあ次の日にはスーツケースも届くだろうとは思っていたが、万一紛失したら水着も無ければ夏服も無い状態で、もちろん買えばいいけど持ってきたクリスマスプレゼントとかは無くなるし(モーツァルトのリンツ交響曲の古本のちょっといいスコアを用意してたのでそれは無くなったらものすごく残念だと思った)、何しにここまで来たんでしょ状態でホントげんなりだった。写真は次の日に無事に届いたスーツケース。
このドイツ=マレーシア間の旅は毎回毎回何か起こる…今まで、モスクワトランジットで遅延のため強制収容所かと思うようなところで見張られて一晩過ごしたり、アムステルダムに着いたら乗客全員のスーツケースがまるごと届いてなかったり(嵐で危ないとかで(乗客のみ乗せて)重いスーツケースは意図して置いてきたとの説明だった)、帰りに乗り継ぎのイスタンブール空港が雪で閉鎖されててクアラルンプールで3日も足止めを食らったりとかがあったし、コタキナバルに到着した際にロストバゲージに遭ったのはこれで2回目だ。3回来たうちの2回もロストバゲージ。凄い確率だなぁ…
以上、デュッセルドルフの自宅を出た12月23日の15時頃から到着の12月25日の0時半(デュッセルドルフの24日17時半)までの1日以上の旅のお話がおしまい。次回からはやっとボルネオでのお話を。
先日も書いたように、うちのドイツ人の希望で長いことビジネスクラス預金をしてめでたく本当にビジネスクラスで旅をしためぎたち。乗り継ぎのイスタンブールからの飛行機でも、こうしてウェルカムドリンクで搭乗中の時間を過ごした。
↑その前の飛行機で選んだ飲み物が非常に人工的な味がしてあまり美味しく感じられなかったので、今回は当たり障りのないオレンジジュースをチョイス。
出発前にコックさんが各座席を回って、食事のメニューの中から希望を聞いて回っていた。
たしか飛び立ってから、アメニティの入ったバックが配られた。これは女性用で、男性用は別の形。中は以前と違ってブラシまたは櫛が入っていなかった。それ、結構使うものなんだけどな…クリームとかはお手洗いにもあるから使わないけど、櫛はお手洗いには無いし、でも長時間飛行の場合は寝るからちょっと髪をとかしたいし。
イスタンブールからの飛行機はマレーシアの首都クアラルンプールまでで、約10時間の長時間。夜中の1時50分発で、照明はかなり暗かった。
食事が配られた頃は、ほぼ真っ暗。
まわりには食事を要らないと言って寝ていた人も多かった。こうして何枚か見て分かるように、飛行機の中でマスクをしている人はかなり少なかった。着用義務も無かったし、もう全てが自己責任の範囲になったんだなあと実感した。
めぎたちは食事を楽しんで、というか食べながら飲んで、それで眠ることにしていた。で、めぎが飲んだのはシャンパンで、うちのドイツ人は白ワイン。どちらもかなり上等でとても美味しかった。前菜は、サーモンのタルタルとエビをチョイス。次にパンプキンスープもあったがそれは断った。メインはラム肉とナスのトマトソース。これもとても美味しかった。最後にデザートにはめぎはフルーツ。その時に3杯目のシャンパンを頂き、ものすごく眠くなってきていて、うちのドイツ人のことはもう覚えていない。なにしろその頃はドイツ時間で言えば朝5時半ぐらいだったし。
食べ終わって、まわりを写してみた。暗くて(しかも酔ってて)ブレブレ。フルフラットにする前に前とどれだけ遠いかを写そうと思って、座って足を延ばして撮影。フルフラットにすると、足の長い人の場合は前の台のところに足が載せられる感じ。肝心のフルフラットは撮っていない。めぎ、あっという間に爆睡。
そして、朝食の時間になった。ドイツ時間で昼の11時半ぐらい。
この海が長かった…それに、かなり揺れた。
到着したら、降りたところにマレーシア航空の職員が待っていた。めぎたちの飛行機がすぐだから迎えに来たという。実はデュッセルドルフから乗るとき、コードシェアのトルコ航空にチェックインしたのだけど、航空会社が違うからと最後の乗り継ぎの搭乗券は発行されず、クアラルンプールでもらうように指示されていた(しかし荷物は最終目的地までのタグをつけてくれて、クアラルンプールで受け取って預け直さなくてもいいことになっていた)。乗り継ぎカウンターを探さなきゃね、と言いながら飛行機を降りると、職員が搭乗券を持って待ってくれたのだった。
しかし、その乗るはずだった飛行機が突然2時間遅れとなり、結局めぎたちはラウンジへ送り届けられた。で、ここはクアラルンプールのラウンジ。国内線への乗り継ぎなので、ラウンジはかなり質素。めぎはマシーンで作るカフェラッテなどをやめ、マレーシアに来るといつも楽しむインスタント顆粒のネスカフェを。うわ~なつかし~来た来たって感じ♪
ラウンジで行ったトイレで撮影。マレーシアのトイレにはおしり用シャワーがついている。めぎはこれがとても気に入っている。日本のウォシュレットと違って冷水なのだが、マレーシアは暑いのでその冷水も(冷水と言ってもかなり生ぬるくて)気持ちよく、いつも清潔で、快適なことこの上ない。これも、うわ~なつかし~来た来たやっと来た~って感じ♪
そうこうしてやっと飛ぶことになった飛行機なのだが、搭乗開始直前にめぎたちの名前がアナウンスで呼ばれ、機材が違うのでエコノミーに格下げとなったと告げられた。へぇ~マジですか…アップグレードではなくダウングレードというのもあるのねぇ…めぎたちの予約していた席がたまたま4列目だったのだが、その変更になった機材では4列目からエコノミーなのだという。ビジネスがよければ次の飛行機なら座席を用意できると言われたのだが、この時点でマレーシア時間の20時ごろで、本来なら21時には目的地についていてはずのところこれから2時間40分も飛ばなければならなくて、もうサッサと飛んで行ってしまいたく、エコノミー格下げを受け入れた。3席を2人で使えるようにするが食事はエコノミーになる、とのことだった。まあもう食事なんてどうでもいいわ。2時間半だから狭くてもたいした話ではないし。ちなみにこの件、旅行後この分のビジネス料金の払い戻し申請をしたが、まだ返事がない。
飛行機の中ではもう疲れたし食欲も無く寝て過ごし、機内食は出たけどほとんど食べてもいないし、何も写していない。2時間半経ってやっと見えてきた夜のボルネオ島のコタキナバルをパチリ。ぶれてるけど。
で、23時過ぎに見覚えのある到着ロビーの表示を見ながらやっと着いた~と思ったのだが、この後が長かった…
と言うのは、スーツケースが届かなかったからだ。で、ロストバゲージの手続きをし、やっとホテルに向かったのだが、着いたのは現地時間の夜中の0時半ごろで、レストランもバーも閉まっていればルームサービスももう無く、しかも部屋のミニバー(冷蔵庫)も空で、あるのは部屋に置いてあったぬるい水のみ。ビールぐらい飲みたいところだが、何もない…今になってお腹もすいたけど、飛行機で食べずに持ってきたおつまみの豆しかない…という、ものすごくげんなりする到着だった。そんなわけでその日の部屋の写真も撮っていない。部屋にユカタと呼ばれる室内着があったので、それを着て寝た。まあ次の日にはスーツケースも届くだろうとは思っていたが、万一紛失したら水着も無ければ夏服も無い状態で、もちろん買えばいいけど持ってきたクリスマスプレゼントとかは無くなるし(モーツァルトのリンツ交響曲の古本のちょっといいスコアを用意してたのでそれは無くなったらものすごく残念だと思った)、何しにここまで来たんでしょ状態でホントげんなりだった。写真は次の日に無事に届いたスーツケース。
このドイツ=マレーシア間の旅は毎回毎回何か起こる…今まで、モスクワトランジットで遅延のため強制収容所かと思うようなところで見張られて一晩過ごしたり、アムステルダムに着いたら乗客全員のスーツケースがまるごと届いてなかったり(嵐で危ないとかで(乗客のみ乗せて)重いスーツケースは意図して置いてきたとの説明だった)、帰りに乗り継ぎのイスタンブール空港が雪で閉鎖されててクアラルンプールで3日も足止めを食らったりとかがあったし、コタキナバルに到着した際にロストバゲージに遭ったのはこれで2回目だ。3回来たうちの2回もロストバゲージ。凄い確率だなぁ…
以上、デュッセルドルフの自宅を出た12月23日の15時頃から到着の12月25日の0時半(デュッセルドルフの24日17時半)までの1日以上の旅のお話がおしまい。次回からはやっとボルネオでのお話を。
コタキナバルの宿 [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末~2023年初めのボルネオのお話を。
滞在していたのはボルネオ島のマレーシア領のサバ州のコタキナバルで、宿泊は年末年始の数日の離島滞在を除きほぼステラ・パシフィックというホテル。ここに泊まるのは3回目、数名の顔見知りの従業員さんに会えて、いつも約2週間ほどの滞在なので印象に残るらしく向こうもめぎたちを覚えていてくれて、懐かしかった。
せっかく南国に来てるのにこんな建物に泊まるの?水上コテージとか、もっといろいろあるじゃない?という感じだが、ここはそんなに高くないのだ。2週間もの滞在なので、値段的に妥協しなければならない面がまず第一にある(ビジネスクラスにお金を使うよりホテルにお金を使えばいいのかも知れないが)。それから、コロナ後ここがどうなっているか確かめたかったし、ここはうちのドイツ人のお気に入りのホテルなのだ。というのは、もっといいリゾートホテルは宿泊客に欧米人が多く、「我々いいところに泊まれるエリートよ」的な雰囲気で、うちのドイツ人的には気分悪くつまらないというので。
これまでの2回の滞在では、いつもクラブラウンジの使えるクラブルームを利用していた。エリート意識が嫌なのにクラブルーム?と思われそうだが、クラブルームを選んだ理由は、このホテルではクラブルーム以外ベランダが無く窓も開かないから。めぎ的にはどうしてもベランダやバルコニーがほしかったのだ。で、泊まってみたらそのクラブラウンジが快適な上に気さくな雰囲気だったのが、うちのドイツ人にヒットしたのだった。今回再会を喜んだ従業員さんたちは皆、実はそのクラブラウンジでお世話になって親しくおしゃべりした方々だった…2週間もずっと朝昼晩ラウンジを使っているとすっかり親しくなり、かつて帰国後しばらくメール交換を続けた人もいた(そのメール交換はもう何年も前に途絶えてしまったし、その人は今回そこにいなかったけど)。そのようなわけで今回もクラブルームを予約するつもりだったのだが、予約いっぱいなのか閉鎖されているのか理由は謎なのだが予約できず、普通のカテゴリーの部屋を予約し、その場で交渉することに。部屋については次回書こうと思う。
今回の滞在中、朝食はクラブラウンジではなく普通の朝食会場を利用。6時半からの朝一に食べに来て、席は好きなところをゲットできた。
バイキングでいろんなのが食べられる。アジアでよくあるその場で作ってくれるオムレツもあるし、東南アジアの料理も並んでいるし。
これ、すごく美味しかったのだけど、朝からカレー味はめぎ的にはかなりきつかった…めぎはどうもカレー粉と体質が合わないのだ。
コシのないうどんのような麵のスープは優しい味で絶品。毎日違う麺を楽しめたし、ああ、アジアの朝食、嬉しかった~美味しかったなぁ…
このホテル、宿泊客の顔ぶれが、初めて泊まった約10年前から2回目・3回目と経つうちにどんどんアジア色、さらにローカル色が濃くなった。そこがうちのドイツ人のお気に召すところ。彼はこんな地球の反対側まで来て欧米人を見たくないのだ。食事を終えるころにはこんなに満席になった。
老朽化していて大丈夫かなと思う建物だけど、繁盛しているようでよかったわねぇ。
滞在していたのはボルネオ島のマレーシア領のサバ州のコタキナバルで、宿泊は年末年始の数日の離島滞在を除きほぼステラ・パシフィックというホテル。ここに泊まるのは3回目、数名の顔見知りの従業員さんに会えて、いつも約2週間ほどの滞在なので印象に残るらしく向こうもめぎたちを覚えていてくれて、懐かしかった。
せっかく南国に来てるのにこんな建物に泊まるの?水上コテージとか、もっといろいろあるじゃない?という感じだが、ここはそんなに高くないのだ。2週間もの滞在なので、値段的に妥協しなければならない面がまず第一にある(ビジネスクラスにお金を使うよりホテルにお金を使えばいいのかも知れないが)。それから、コロナ後ここがどうなっているか確かめたかったし、ここはうちのドイツ人のお気に入りのホテルなのだ。というのは、もっといいリゾートホテルは宿泊客に欧米人が多く、「我々いいところに泊まれるエリートよ」的な雰囲気で、うちのドイツ人的には気分悪くつまらないというので。
これまでの2回の滞在では、いつもクラブラウンジの使えるクラブルームを利用していた。エリート意識が嫌なのにクラブルーム?と思われそうだが、クラブルームを選んだ理由は、このホテルではクラブルーム以外ベランダが無く窓も開かないから。めぎ的にはどうしてもベランダやバルコニーがほしかったのだ。で、泊まってみたらそのクラブラウンジが快適な上に気さくな雰囲気だったのが、うちのドイツ人にヒットしたのだった。今回再会を喜んだ従業員さんたちは皆、実はそのクラブラウンジでお世話になって親しくおしゃべりした方々だった…2週間もずっと朝昼晩ラウンジを使っているとすっかり親しくなり、かつて帰国後しばらくメール交換を続けた人もいた(そのメール交換はもう何年も前に途絶えてしまったし、その人は今回そこにいなかったけど)。そのようなわけで今回もクラブルームを予約するつもりだったのだが、予約いっぱいなのか閉鎖されているのか理由は謎なのだが予約できず、普通のカテゴリーの部屋を予約し、その場で交渉することに。部屋については次回書こうと思う。
今回の滞在中、朝食はクラブラウンジではなく普通の朝食会場を利用。6時半からの朝一に食べに来て、席は好きなところをゲットできた。
バイキングでいろんなのが食べられる。アジアでよくあるその場で作ってくれるオムレツもあるし、東南アジアの料理も並んでいるし。
これ、すごく美味しかったのだけど、朝からカレー味はめぎ的にはかなりきつかった…めぎはどうもカレー粉と体質が合わないのだ。
コシのないうどんのような麵のスープは優しい味で絶品。毎日違う麺を楽しめたし、ああ、アジアの朝食、嬉しかった~美味しかったなぁ…
このホテル、宿泊客の顔ぶれが、初めて泊まった約10年前から2回目・3回目と経つうちにどんどんアジア色、さらにローカル色が濃くなった。そこがうちのドイツ人のお気に召すところ。彼はこんな地球の反対側まで来て欧米人を見たくないのだ。食事を終えるころにはこんなに満席になった。
老朽化していて大丈夫かなと思う建物だけど、繁盛しているようでよかったわねぇ。
ホテルの部屋 [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末から2023年初めのボルネオのお話を。
↑これは滞在初めの天気が悪い頃に写したものだが、敷地内に港もある大きなリゾートホテルに泊まっていた。今日の話は宿泊した部屋のこと。
泊まっていた部屋は、顔見知りの従業員さんがアップグレードしてくれたセミスイート。
ホテルのホームページではスイートが予約できないようになっていたのでもう予約いっぱいなのかと思っていたが、そうではなかったのだ。
先日も書いたように、本当はクラブルームを予約したかったのだが、なぜかまったく不可能だった。で、現地で直接聞いてみようとちょっとデラックスダブルルームのカテゴリーをとりあえず予約して行ったのだが、2週間も泊まるからなのか顔見知りの従業員さんが今や偉い人だったからなのかうちのドイツ人の話の持って行き方がうまかったからなのかどうしてなのか全然わからないのだが、ドーンとレベルアップしてセミスイートになったのだった。
お手洗いも2つあって便利。
ベッドも古さを感じず寝心地よい。湿度が高いからか、シーツがちょっと湿っぽいけどね。
約2週間の休暇の特に前半、旅とその前の仕事の疲れを取るため部屋で過ごすことの多かった休暇なので、居心地のいい広い部屋で本当にありがたかった。
なにしろ雨季で最初の数日外はこんなだったしね…向こうに見える島も見えなくなるほどだったし。その数日は南国らしからぬ低い気温で、Tシャツ一枚では寒くて上に羽織ったりしていた。
その後は良い天気で、でも極端には暑すぎず、南国を満喫。天気が良いとやっぱり楽しい。いや、それほど天気が良くなくても、日が差すと色合いがすっかり濃くなってとても美しく見えるというべきかな。眺めのいい部屋でよかった。
↑これは滞在初めの天気が悪い頃に写したものだが、敷地内に港もある大きなリゾートホテルに泊まっていた。今日の話は宿泊した部屋のこと。
泊まっていた部屋は、顔見知りの従業員さんがアップグレードしてくれたセミスイート。
ホテルのホームページではスイートが予約できないようになっていたのでもう予約いっぱいなのかと思っていたが、そうではなかったのだ。
先日も書いたように、本当はクラブルームを予約したかったのだが、なぜかまったく不可能だった。で、現地で直接聞いてみようとちょっとデラックスダブルルームのカテゴリーをとりあえず予約して行ったのだが、2週間も泊まるからなのか顔見知りの従業員さんが今や偉い人だったからなのかうちのドイツ人の話の持って行き方がうまかったからなのかどうしてなのか全然わからないのだが、ドーンとレベルアップしてセミスイートになったのだった。
お手洗いも2つあって便利。
ベッドも古さを感じず寝心地よい。湿度が高いからか、シーツがちょっと湿っぽいけどね。
約2週間の休暇の特に前半、旅とその前の仕事の疲れを取るため部屋で過ごすことの多かった休暇なので、居心地のいい広い部屋で本当にありがたかった。
なにしろ雨季で最初の数日外はこんなだったしね…向こうに見える島も見えなくなるほどだったし。その数日は南国らしからぬ低い気温で、Tシャツ一枚では寒くて上に羽織ったりしていた。
その後は良い天気で、でも極端には暑すぎず、南国を満喫。天気が良いとやっぱり楽しい。いや、それほど天気が良くなくても、日が差すと色合いがすっかり濃くなってとても美しく見えるというべきかな。眺めのいい部屋でよかった。
想い出の島へ [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022~23年の年末年始のボルネオのお話を。
ボルネオ島のコタキナバルに着いたのは12月24日の夜で、25日は近くにビールやおつまみなどの買い物に出かけただけであとはスーツケースの到着を待って部屋でのんびりし、部屋や外の庭の写真を撮ったぐらいで特に何もしなかった。26日は嵐で、プールにでも行こうと思っていたけどそれもできず一日部屋でのんびり。向こうの島が見えなくなっていた。
暇なのでめぎはホテルのマッサージに出かけた。1時間寛いで、凄くリフレッシュ。
夜は買ってきたビールとルームサービスで。実はこれ、25日の夜の撮影なのだが、全く同じルームサービスを26日もリピート。
めぎたち、ビジネスクラスで優雅に行った割にはなんだか疲れてて、最初の2日間はほぼ部屋に籠っていたのだった。せっかくはるばるボルネオまで来て時間が勿体ないと言えばそうなのだが、めぎたちにとって3回目の場所だから、どんなところか探検に行こうという気分でもなく、最初時差で疲れて何もできずにのんびりするのも含めて休暇なのだというか、歳を取ったというか、まあその両方である。以前だったら市価の10倍もするルームサービスなんてありえなかったのだが、まあいっか、と思うようになったというのも歳をとったと感じる。高いクラブカテゴリーに泊まってクラブラウンジで食べていたことを思えば、お安いものとも言えるけど。
27日もまだどんよりと曇っていたが、その日にはドイツから離島へのダイビングを申し込んであったので、予定通り出かけた。これは待ち合わせ場所。
その島へはめぎたちの泊まったホテルのハーバーから直接行ける。実はドイツから申し込まなくてもそこから直接島々へ行けるのだが、めぎたちが行きたい島へは申込制。しかも、そこはダイビング以外の申込みは受け付けていないところ。島へ渡る船には既にダイビングの機材が用意されてあった。
さあて、行ってきますわよ~
そんなわけで、いかにもダイバーって感じの人たちが乗っている。もう老人の域に達したうちのドイツ人とそれに限りなく近づいている運動音痴のめぎはハッキリ言って場違いでかなり馴染まないが、申し込んでお金を振り込んである以上はウエルカムである。
海からキナバル山が見えたのでパチリ。
上はスマホでの撮影で、下はAW130というニコンの水中カメラにて。揺れる~ということで斜め。
やっと水平に撮れた!
こうしてやってきたのは、めぎがかつてダイビングのライセンスを取ったところ。その思い出がとても懐かしく、その後どうなっているのか、かつての人たちは、かつてのダイビングの先生はどうしているのか、確かめたかったのだ。
ここの話は長々続く。
ボルネオ島のコタキナバルに着いたのは12月24日の夜で、25日は近くにビールやおつまみなどの買い物に出かけただけであとはスーツケースの到着を待って部屋でのんびりし、部屋や外の庭の写真を撮ったぐらいで特に何もしなかった。26日は嵐で、プールにでも行こうと思っていたけどそれもできず一日部屋でのんびり。向こうの島が見えなくなっていた。
暇なのでめぎはホテルのマッサージに出かけた。1時間寛いで、凄くリフレッシュ。
夜は買ってきたビールとルームサービスで。実はこれ、25日の夜の撮影なのだが、全く同じルームサービスを26日もリピート。
めぎたち、ビジネスクラスで優雅に行った割にはなんだか疲れてて、最初の2日間はほぼ部屋に籠っていたのだった。せっかくはるばるボルネオまで来て時間が勿体ないと言えばそうなのだが、めぎたちにとって3回目の場所だから、どんなところか探検に行こうという気分でもなく、最初時差で疲れて何もできずにのんびりするのも含めて休暇なのだというか、歳を取ったというか、まあその両方である。以前だったら市価の10倍もするルームサービスなんてありえなかったのだが、まあいっか、と思うようになったというのも歳をとったと感じる。高いクラブカテゴリーに泊まってクラブラウンジで食べていたことを思えば、お安いものとも言えるけど。
27日もまだどんよりと曇っていたが、その日にはドイツから離島へのダイビングを申し込んであったので、予定通り出かけた。これは待ち合わせ場所。
その島へはめぎたちの泊まったホテルのハーバーから直接行ける。実はドイツから申し込まなくてもそこから直接島々へ行けるのだが、めぎたちが行きたい島へは申込制。しかも、そこはダイビング以外の申込みは受け付けていないところ。島へ渡る船には既にダイビングの機材が用意されてあった。
さあて、行ってきますわよ~
そんなわけで、いかにもダイバーって感じの人たちが乗っている。もう老人の域に達したうちのドイツ人とそれに限りなく近づいている運動音痴のめぎはハッキリ言って場違いでかなり馴染まないが、申し込んでお金を振り込んである以上はウエルカムである。
海からキナバル山が見えたのでパチリ。
上はスマホでの撮影で、下はAW130というニコンの水中カメラにて。揺れる~ということで斜め。
やっと水平に撮れた!
こうしてやってきたのは、めぎがかつてダイビングのライセンスを取ったところ。その思い出がとても懐かしく、その後どうなっているのか、かつての人たちは、かつてのダイビングの先生はどうしているのか、確かめたかったのだ。
ここの話は長々続く。
ガヤ島の思い出の場所 [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022~23年の年末年始のボルネオのお話を。
ここはめぎにとって想い出の島、ガヤ島。今回は約2週間の滞在の3日目にやってきた。
懐かしの建物もそのまま。
場所はこちら。
めぎはここで2016年~17年の年末年始にダイビングスクールに参加し、ダイビングライセンスCカードをとったのだ。
この日も、ちょうどライセンス取得を目指して始めたばかりの人たちがいた。下の写真の欧米系の背の高い二人はいかにもダイバーという感じだったが、実はめぎの後輩だったのだ。彼らもめぎが既にCカードを持っていると知って、まさかという顔をしてびっくりしてたけど。その他の背の低い男性2人と女性1人はマレーシア人で、ここのダイビングの先生またはアシスタント。
あちらには、この日ダイビングに行く人たちがめぎたちが乗ってきた船へ向かっていた。機材を積んでこれから本当に潜りに出かけるのだ。
しかしめぎたちはここでまったり。
というのは、ここ数日天気が悪くて、この前日には大嵐で水が濁ってて、潜ろうという気が失せたのだ。木でできたピア?ジェッティ?が壊れてて、それは今回の嵐ではなくもっと前の別の嵐で壊れたとのことだったけど、ここの海はいつも穏やかってわけじゃないんだなあと実感したし。これは2枚上の写真のトリミング。
実はめぎたち、もしいい天気でやる気が出たら一緒に体験ダイビングで潜って遊ぼう、ダメだったらシュノーケルでもさせてもらおう、と考えて体験ダイビングに申し込んでここへやってきた。めぎはライセンスを持っているけどうちのドイツ人は無いし、ダイビング以外の目的では申し込めない場所であったので、そして予め申し込まなければ来られない場所でもあるので、どうしてもここに来たければそれ以外の選択肢はなかった。それも、他の人と一緒ではなくめぎたち二人だけにインストラクターを一人専属でつける、というお願いをしてあった(つまりそういう料金を振り込んだ)。で、3つ上の写真の赤いTシャツの人は実は、めぎたち専属のインストラクターとして待っていてくれた人なのだが、事情を説明し、この日予定されていた3回のダイビングのうち、2回目か3回目かにやる気が出たらお願いする、もしかしたらダイビングしないで海岸でシュノーケリングをすると伝え、ここでただのんびりさせてもらったのだ。インストラクターは、あなたたちの時間なのだからお好きにどうぞ、と言ってくれて、時々おしゃべりした他はほとんど放っておいてくれた。彼にしてみればお金はそのまままるまる入るわけだし、潜るか否かは本人の気持ち次第なのだ。体調が悪くて途中でやめる人だっていくらでもいるアクティビティだしね。そこを無理させてはいけないアクティビティでもあるしね。
インストラクターさんとのやり取りですぐに分かったことだが、ここの経営者やこの場所のマスターには変わりがなかったものの、めぎにダイビングを教えてくれた先生はコロナで転職してしまっていた。その時に一緒に働いていた人たちも、誰もいなかった。今回のインストラクターさんはもともとはタクシーガイドをしてて、これまたコロナで職を思いっきり減らされ、家族もいるのでこれじゃやっていけないということでトレーニングを受けてダイビングインストラクターになり、今はガイドをしつつインストラクターもやる、という二足の草鞋の生活をしているとのこと。このダイビングスクールにしても、やっとスクールを再開してもOKになったもののみんな転職しちゃって再び戻って来れる人がいなくて、それでちょうどタイミングよくここで仕事をもらえたのだという。
ああ、やっぱり変わっちゃったのね…あのとき、あんなキラキラないいお天気の中楽しく笑いながらみんなに支えてもらってライセンスを取らせてもらえて、なんて幸せな時間だったことかしら。あの時の人たちはもういなくて、あの時のお天気ももう無くて、ここはあちこち傷んでしまい、そしてめぎたちも歳をとってあの時みたいに頑張れなくなってしまい、あの時のあの貴重な時間が眩しい光の中に消えていったような気がした。ああ、切ないな…
でも、今回のインストラクターさんはとってもいい人で、英語も堪能で、色々話が聞けて楽しかった。その話については追々に。
ところで、ここの裏はこの一帯の国立公園のスタッフの宿舎なのだが、ここ数日の嵐で水が溜まったり枝が折れたりゴミが流れついたりして、それを総出で掃除していた。その人たちとダイビングスクールは全く関係が無いようで、顔を合わせても特に話をしている様子も無かった。すぐ目と鼻の先に存在しながら、まるで相手が見えていないかのような、そんな感じの関係だった。
めぎたち、ここに泊まれたらいいねって話していたのだが、部外者には開放していないとのこと。
みんながダイビングに出かけてしまったあとで、めぎたちは付近の散歩に出かけることにした。
ここはめぎにとって想い出の島、ガヤ島。今回は約2週間の滞在の3日目にやってきた。
懐かしの建物もそのまま。
場所はこちら。
めぎはここで2016年~17年の年末年始にダイビングスクールに参加し、ダイビングライセンスCカードをとったのだ。
この日も、ちょうどライセンス取得を目指して始めたばかりの人たちがいた。下の写真の欧米系の背の高い二人はいかにもダイバーという感じだったが、実はめぎの後輩だったのだ。彼らもめぎが既にCカードを持っていると知って、まさかという顔をしてびっくりしてたけど。その他の背の低い男性2人と女性1人はマレーシア人で、ここのダイビングの先生またはアシスタント。
あちらには、この日ダイビングに行く人たちがめぎたちが乗ってきた船へ向かっていた。機材を積んでこれから本当に潜りに出かけるのだ。
しかしめぎたちはここでまったり。
というのは、ここ数日天気が悪くて、この前日には大嵐で水が濁ってて、潜ろうという気が失せたのだ。木でできたピア?ジェッティ?が壊れてて、それは今回の嵐ではなくもっと前の別の嵐で壊れたとのことだったけど、ここの海はいつも穏やかってわけじゃないんだなあと実感したし。これは2枚上の写真のトリミング。
実はめぎたち、もしいい天気でやる気が出たら一緒に体験ダイビングで潜って遊ぼう、ダメだったらシュノーケルでもさせてもらおう、と考えて体験ダイビングに申し込んでここへやってきた。めぎはライセンスを持っているけどうちのドイツ人は無いし、ダイビング以外の目的では申し込めない場所であったので、そして予め申し込まなければ来られない場所でもあるので、どうしてもここに来たければそれ以外の選択肢はなかった。それも、他の人と一緒ではなくめぎたち二人だけにインストラクターを一人専属でつける、というお願いをしてあった(つまりそういう料金を振り込んだ)。で、3つ上の写真の赤いTシャツの人は実は、めぎたち専属のインストラクターとして待っていてくれた人なのだが、事情を説明し、この日予定されていた3回のダイビングのうち、2回目か3回目かにやる気が出たらお願いする、もしかしたらダイビングしないで海岸でシュノーケリングをすると伝え、ここでただのんびりさせてもらったのだ。インストラクターは、あなたたちの時間なのだからお好きにどうぞ、と言ってくれて、時々おしゃべりした他はほとんど放っておいてくれた。彼にしてみればお金はそのまままるまる入るわけだし、潜るか否かは本人の気持ち次第なのだ。体調が悪くて途中でやめる人だっていくらでもいるアクティビティだしね。そこを無理させてはいけないアクティビティでもあるしね。
インストラクターさんとのやり取りですぐに分かったことだが、ここの経営者やこの場所のマスターには変わりがなかったものの、めぎにダイビングを教えてくれた先生はコロナで転職してしまっていた。その時に一緒に働いていた人たちも、誰もいなかった。今回のインストラクターさんはもともとはタクシーガイドをしてて、これまたコロナで職を思いっきり減らされ、家族もいるのでこれじゃやっていけないということでトレーニングを受けてダイビングインストラクターになり、今はガイドをしつつインストラクターもやる、という二足の草鞋の生活をしているとのこと。このダイビングスクールにしても、やっとスクールを再開してもOKになったもののみんな転職しちゃって再び戻って来れる人がいなくて、それでちょうどタイミングよくここで仕事をもらえたのだという。
ああ、やっぱり変わっちゃったのね…あのとき、あんなキラキラないいお天気の中楽しく笑いながらみんなに支えてもらってライセンスを取らせてもらえて、なんて幸せな時間だったことかしら。あの時の人たちはもういなくて、あの時のお天気ももう無くて、ここはあちこち傷んでしまい、そしてめぎたちも歳をとってあの時みたいに頑張れなくなってしまい、あの時のあの貴重な時間が眩しい光の中に消えていったような気がした。ああ、切ないな…
でも、今回のインストラクターさんはとってもいい人で、英語も堪能で、色々話が聞けて楽しかった。その話については追々に。
ところで、ここの裏はこの一帯の国立公園のスタッフの宿舎なのだが、ここ数日の嵐で水が溜まったり枝が折れたりゴミが流れついたりして、それを総出で掃除していた。その人たちとダイビングスクールは全く関係が無いようで、顔を合わせても特に話をしている様子も無かった。すぐ目と鼻の先に存在しながら、まるで相手が見えていないかのような、そんな感じの関係だった。
めぎたち、ここに泊まれたらいいねって話していたのだが、部外者には開放していないとのこと。
みんながダイビングに出かけてしまったあとで、めぎたちは付近の散歩に出かけることにした。
ガヤ島の小さな湾の浜辺を歩く [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022~23年の年末年始のボルネオのお話を。
ここはガヤ島のダイビングセンターの前。
こんな植物を撮っていたら、なにやら動いてびっくり…根のところにヤドカリがぎっしりと詰まっていた。パラパラで。
ダイビングセンターは大きなガヤ島に無数にある小さな湾の一つにあるのだが、その湾の浜辺をちょっと散歩することにした。浜辺からすぐジャングルが始まる感じで、南国の緑が鬱蒼と茂っている。これもパラパラで。
砂浜だけではなく大きな石もある。
遠目には濃い緑だが、よく見ると赤くなっている葉っぱもある。常夏の植物って、秋が無くても古くなった葉っぱを落としてまた新たに青々と茂って、というのを繰り返しているのかな。虫に食われたり病気になったりもするんだろうな。これもパラパラで。
ゴミなのかな…
貝殻かと思って拾おうとしたら、生きていた!
それにしても、ダイビングスクール、寂れちゃった感じ…お天気の所為もあるかもしれないけど。
奥のジャングルはどこまでも深い感じ。朝にはここに猿が出てきたり、いろんな鳥が来たりするそうだ。
まだまだ散歩は続く。
ここはガヤ島のダイビングセンターの前。
こんな植物を撮っていたら、なにやら動いてびっくり…根のところにヤドカリがぎっしりと詰まっていた。パラパラで。
ダイビングセンターは大きなガヤ島に無数にある小さな湾の一つにあるのだが、その湾の浜辺をちょっと散歩することにした。浜辺からすぐジャングルが始まる感じで、南国の緑が鬱蒼と茂っている。これもパラパラで。
砂浜だけではなく大きな石もある。
遠目には濃い緑だが、よく見ると赤くなっている葉っぱもある。常夏の植物って、秋が無くても古くなった葉っぱを落としてまた新たに青々と茂って、というのを繰り返しているのかな。虫に食われたり病気になったりもするんだろうな。これもパラパラで。
ゴミなのかな…
貝殻かと思って拾おうとしたら、生きていた!
それにしても、ダイビングスクール、寂れちゃった感じ…お天気の所為もあるかもしれないけど。
奥のジャングルはどこまでも深い感じ。朝にはここに猿が出てきたり、いろんな鳥が来たりするそうだ。
まだまだ散歩は続く。
波打ち際の植物たちを見ながら [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末のボルネオ島の離島、ガヤ島のお話を。
ガヤ島のダイビングスクールのあるところの浜辺を散策中。遠浅の砂浜なのだが、湾の浜辺を歩いて行ってみると、結構石もある。そして、突然熱帯雨林となっているのも面白い。
前日の嵐で落ちた枝かな。
ちっちゃい粒粒が可愛いな、と思ってズーム。
この日は水中コンデジカメラのAW130とスマホしか持ってきてなく、今日の写真は全てAW130での撮影。
撮りながら、やっぱりAPS-CセンサーのZ50を持って来ればよかったな~とちょっと後悔したが、曇り空だし、ガヤ島には反対側だがまた来る予定もあったのでその時にリベンジできるし、この日のカメラを極めようなんて考えていた…
こうして写真を見ていると、その時の音、その時の匂い、その時の足の感触、その時の思いが蘇ってくる。
猿でも出てこないかなあってちょっと期待したが、巡り合えなかった。
すぐ目の前にジャングルがあるのだが、一歩も分け入って行けない。たぶん虫やら棘やら毒やら危険だし、そもそも生い茂り過ぎててとても入って行けない…
自分の生きている世界って、なんて小さな領域でしかないのかしらね…
まだまだ続く。
ガヤ島のダイビングスクールのあるところの浜辺を散策中。遠浅の砂浜なのだが、湾の浜辺を歩いて行ってみると、結構石もある。そして、突然熱帯雨林となっているのも面白い。
前日の嵐で落ちた枝かな。
ちっちゃい粒粒が可愛いな、と思ってズーム。
この日は水中コンデジカメラのAW130とスマホしか持ってきてなく、今日の写真は全てAW130での撮影。
撮りながら、やっぱりAPS-CセンサーのZ50を持って来ればよかったな~とちょっと後悔したが、曇り空だし、ガヤ島には反対側だがまた来る予定もあったのでその時にリベンジできるし、この日のカメラを極めようなんて考えていた…
こうして写真を見ていると、その時の音、その時の匂い、その時の足の感触、その時の思いが蘇ってくる。
猿でも出てこないかなあってちょっと期待したが、巡り合えなかった。
すぐ目の前にジャングルがあるのだが、一歩も分け入って行けない。たぶん虫やら棘やら毒やら危険だし、そもそも生い茂り過ぎててとても入って行けない…
自分の生きている世界って、なんて小さな領域でしかないのかしらね…
まだまだ続く。
遠浅の海を横切る [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末のボルネオのガヤ島のお話を。
こんな遠浅の海を散歩しているところ。
ズーム。
真横に行ってみる。
ズームすると、ダイビングのライセンスを取るコースを受けている人たちの練習が見える。めぎもあそこであんな風に最初の練習をしたんだったなぁ~と懐かしく思い出した。
いろんな形が面白い。
今いるところは、この湾の右側の岸辺。
長い桟橋が壊れてて、先端部分はこちらなのだが…
途中が崩れ落ちてしまっている。ちょうどその部分にはこの時間帯には水がなく、めぎたちは反対岸へ歩いて渡っているところ。
何か作業をしていた。直している様子ではなかったが、この前日の嵐で流れ着いたものを片付けていたのかもしれない。
すぐ後ろにはキラキラ光る海。
渡ってきました~
こちら側は石がゴロゴロ…
こんな違いはGoogle-Mapでは見えないわね。
こんな遠浅の海を散歩しているところ。
ズーム。
真横に行ってみる。
ズームすると、ダイビングのライセンスを取るコースを受けている人たちの練習が見える。めぎもあそこであんな風に最初の練習をしたんだったなぁ~と懐かしく思い出した。
いろんな形が面白い。
今いるところは、この湾の右側の岸辺。
長い桟橋が壊れてて、先端部分はこちらなのだが…
途中が崩れ落ちてしまっている。ちょうどその部分にはこの時間帯には水がなく、めぎたちは反対岸へ歩いて渡っているところ。
何か作業をしていた。直している様子ではなかったが、この前日の嵐で流れ着いたものを片付けていたのかもしれない。
すぐ後ろにはキラキラ光る海。
渡ってきました~
こちら側は石がゴロゴロ…
こんな違いはGoogle-Mapでは見えないわね。
ガヤ島の散歩1回目終了 [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末のボルネオの離島、ガヤ島でのお話を。
ここは、数年前にめぎがダイビングのライセンスを取ったガヤ島。思い出の場所がその後どうなったのか確かめたくてやってきた。
そこはガヤ島のほんの一角。
めぎたちはここでこんなのを見つけた。
ダイビングの人たちの船が戻ってきた。このとき11時半ぐらい。
ちょっと戻ってみることにした。
ダイビング講習を受けている人たちはまだあそこにいるけれど。見えるかな。
海を振り返りながら戻る。
湾の一番奥には、この辺りの国立公園の管理や調査をしている人たちの宿舎。
たぶんその人たちの船。
船はこんな風につながれていた。
しかし、この木、流されて行っちゃわないのかな…
ダイビングの人たちは小休止して、もう1本潜りにまた出かけて行った。
ここは、数年前にめぎがダイビングのライセンスを取ったガヤ島。思い出の場所がその後どうなったのか確かめたくてやってきた。
そこはガヤ島のほんの一角。
めぎたちはここでこんなのを見つけた。
ダイビングの人たちの船が戻ってきた。このとき11時半ぐらい。
ちょっと戻ってみることにした。
ダイビング講習を受けている人たちはまだあそこにいるけれど。見えるかな。
海を振り返りながら戻る。
湾の一番奥には、この辺りの国立公園の管理や調査をしている人たちの宿舎。
たぶんその人たちの船。
船はこんな風につながれていた。
しかし、この木、流されて行っちゃわないのかな…
ダイビングの人たちは小休止して、もう1本潜りにまた出かけて行った。
ジャングルに阻まれる [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末のボルネオの離島、ガヤ島のお話を。
めぎたちは、以前めぎがダイビングのCライセンスを取ったスクールを訪ねているところ。
ガヤ島はとても大きい。文字通り、大島、という意味らしい。
めぎたちがいるのはその左の一角、1番のところで、この地図によると道があって2番まで行けるようだ。
Google Mapでは全然見えないけど。
ダイビングスクールに来たものの、ダイビングはせずにその辺りで散歩させてもらっているめぎたち。スクールの人たちも、2番までトレッキングできるよ、と言うので、ちょっと試してみることにした。
ここがその入り口。
おお~凄いな…
たしかに一応道はある。
下がこんな風になっているので、進むことは可能な気がする。
しかし上を見上げると…
そして目の前にはトゲトゲの幹…パラパラで。
うっかり触ったら刺さりそうだし、毒があるかもしれないし、ということで、すごすご退散。30mも行けなかったように思う。
↑上の写真のトリミング。
で、結局湾の波打ち際を2回目の散歩。
ジャングル、めぎたちには歯が立たなかった。
めぎたちは、以前めぎがダイビングのCライセンスを取ったスクールを訪ねているところ。
ガヤ島はとても大きい。文字通り、大島、という意味らしい。
めぎたちがいるのはその左の一角、1番のところで、この地図によると道があって2番まで行けるようだ。
Google Mapでは全然見えないけど。
ダイビングスクールに来たものの、ダイビングはせずにその辺りで散歩させてもらっているめぎたち。スクールの人たちも、2番までトレッキングできるよ、と言うので、ちょっと試してみることにした。
ここがその入り口。
おお~凄いな…
たしかに一応道はある。
下がこんな風になっているので、進むことは可能な気がする。
しかし上を見上げると…
そして目の前にはトゲトゲの幹…パラパラで。
うっかり触ったら刺さりそうだし、毒があるかもしれないし、ということで、すごすご退散。30mも行けなかったように思う。
↑上の写真のトリミング。
で、結局湾の波打ち際を2回目の散歩。
ジャングル、めぎたちには歯が立たなかった。
ガヤ島のダイビングスクールでまったりしつつ [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末のボルネオ島の離島・ガヤ島でのお話を。
ここはガヤ島の、めぎがかつてダイビングのライセンスを取ったスクールのある岬。
場所はここなのだが…
その岬の左側の岸辺を行けるところまでやってきて向こうを見てズームし…
さらにこのコンデジのデジタルズームとやらで拡大すると、めぎたちの泊まっているホテルが見えた。こうして見るとホント味気ない建物だけど、そこからの眺めは抜群なのだ。
スクールはあちら。天気が悪い所為もあるけど、どうも寂れて見える。
この辺りにあった石。
ちょっと話は逸れるが、曇っているとはいえ赤道近くであるここは冬場でもかなり明るい。で、めぎはおかしなことに気がついたのだった。どうも左の目の前に何か虫が飛んでいるような…でも実際は飛んでない。その虫は動くので、目の前に飛んできたような気がするのだが、実際は本当に飛んでいない…
で、ネットで調べたところ(旅先ですぐにそういうことができるのはなんと便利な世の中になったことかしらね)それは飛蚊症という症状で、ネットで調べればわかるので詳しくは割愛するが、つまり目の老化現象の一つ。ドイツにいるときは昼間でも暗いので、どうもちょっと見えずらいなと思う以外に気がつかなかったのだ。もともとめぎは左目が乱視で、それに老眼も入って、コンタクトレンズも眼鏡も微妙に合っていないので、そのために見えにくいのかなと勘違いしていたのだが、そうではなかったのだ。こんな変な虫のような影が眼球でちらついているから見えにくかったのね。
それが、こんな明るい広々としたところに来ると、蚊が目の前を飛んでいるように黒い影がちらつくのがありありとクッキリと見えるのだった。それはめぎの目の中のことだから写真にも撮れないけれど。
医者をしているハンブルクの友人が以前似たような症状の話をしていたので、メールを書いて聞いてみたところ(これまたホント便利な世の中だわね)、緊急性は無いのでデュッセルドルフに戻ってから目医者に行けば良いという。それじゃまあ気にしないで(といっても四六時中その影が見えるので忘れることは全くできないのだが)、この場を楽しむことにいたしましょ…
ドイツに戻ってから数日後に眼科で診てもらったが、やはり緊急性はなく、老化現象の一つで特に為す術も無く、これに慣れるしかないとのこと。暗い1月のドイツではあまり目立たなかったが、左目だけ常に何となく靄がかかったような感じで、春分の日が近づいたころからまた影がはっきりと見えるようになった。
ここはガヤ島の、めぎがかつてダイビングのライセンスを取ったスクールのある岬。
場所はここなのだが…
その岬の左側の岸辺を行けるところまでやってきて向こうを見てズームし…
さらにこのコンデジのデジタルズームとやらで拡大すると、めぎたちの泊まっているホテルが見えた。こうして見るとホント味気ない建物だけど、そこからの眺めは抜群なのだ。
スクールはあちら。天気が悪い所為もあるけど、どうも寂れて見える。
この辺りにあった石。
ちょっと話は逸れるが、曇っているとはいえ赤道近くであるここは冬場でもかなり明るい。で、めぎはおかしなことに気がついたのだった。どうも左の目の前に何か虫が飛んでいるような…でも実際は飛んでない。その虫は動くので、目の前に飛んできたような気がするのだが、実際は本当に飛んでいない…
で、ネットで調べたところ(旅先ですぐにそういうことができるのはなんと便利な世の中になったことかしらね)それは飛蚊症という症状で、ネットで調べればわかるので詳しくは割愛するが、つまり目の老化現象の一つ。ドイツにいるときは昼間でも暗いので、どうもちょっと見えずらいなと思う以外に気がつかなかったのだ。もともとめぎは左目が乱視で、それに老眼も入って、コンタクトレンズも眼鏡も微妙に合っていないので、そのために見えにくいのかなと勘違いしていたのだが、そうではなかったのだ。こんな変な虫のような影が眼球でちらついているから見えにくかったのね。
それが、こんな明るい広々としたところに来ると、蚊が目の前を飛んでいるように黒い影がちらつくのがありありとクッキリと見えるのだった。それはめぎの目の中のことだから写真にも撮れないけれど。
医者をしているハンブルクの友人が以前似たような症状の話をしていたので、メールを書いて聞いてみたところ(これまたホント便利な世の中だわね)、緊急性は無いのでデュッセルドルフに戻ってから目医者に行けば良いという。それじゃまあ気にしないで(といっても四六時中その影が見えるので忘れることは全くできないのだが)、この場を楽しむことにいたしましょ…
ドイツに戻ってから数日後に眼科で診てもらったが、やはり緊急性はなく、老化現象の一つで特に為す術も無く、これに慣れるしかないとのこと。暗い1月のドイツではあまり目立たなかったが、左目だけ常に何となく靄がかかったような感じで、春分の日が近づいたころからまた影がはっきりと見えるようになった。
おやつはバナナ [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末のボルネオのお話を。
そうそう、先日の飛蚊症についてのコメントによると、ほとんどの方が「実は私も…」というお話で、ひょっとして日本人ってヨーロッパより飛蚊症にかかる確率が高いのかしら?だって、こちらではほとんどそういう話を聞かないものだから…うちのドイツ人にも、最初「何それ?」と言われたし。それとも、ヨーロッパって暗い時期が長いから、めぎみたいにみんな気がついていないのかしらね…
ここはめぎがかつてダイビングのCライセンスを取ったスクール。
ダイビングをする人たちやライセンスを取ろうとしている人たちは、今みんな海に行っている。めぎたちはここにダイビングの申込みをしてお金も払って来たものの、ダイビングを断って思い出のここでのんびりゆっくりさせてもらっている。
で、めぎたち専属のインストラクターさんは向こうで誰かと電話中だし、ここの責任者らしき人もスマホをいじってのんびりしていた。
この辺りに住んでいるらしい猫さんたちもお昼寝中。
ドイツで見かける猫たちより細身だし、薄汚れているように見える。ここの人たちに可愛がられているようではあったが、所詮野性の猫で、餌なども少ないし風雨の中で暮らしているからだろう。
ダイビングの人たちが一瞬帰ってきたのだが、一休みしてすぐにまた出かけて行った…めぎはもうそんなの担げないなぁ…
もう12時半なのになぁ…お昼も食べずにすごいなあ。
残っためぎたちにバナナがおやつとしてふるまわれた。これが、もうこの後は普通のバナナは食べられない!と思うほど甘くておいしかった。
↑これ、数個残してあったのだが、ふと見るとアリさんでいっぱいだった!それは写していない…
この後めぎは桟橋の島への上陸のところに行ってみた。ここに誰かいた試しはなかったが。
上にお値段表があった。ここはガヤ島という離島なのだが、国立公園なので入島料というか、管理費を払わなければならない。外国人とマレーシア人とで、かなり料金に差がある。ダイビング料金も外国人は倍以上だ。ちなみに現在、1ユーロ=5RM(リンギット)ぐらいなので、換算すると入島には4ユーロほど、ダイビングには10ユーロほど、と全然たいした金額ではないのだが。
めぎたち専属のインストラクターさんの話によると、ボルネオのマレーシア領では一人暮らしに最低でも月1000リンギットが必要だという。約200ユーロ、約3万円だ。そんな額で生活できちゃうのね、と思うことも可能だが、彼の説明を聞きながら、ああなるほど、ここの1000リンギットの価値ってドイツの1000ユーロとほぼ同じなのね、と分かった。なにしろドイツでは2023年現在、学生ビザを申請するのに一か月あたり934ユーロが必要とされているからだ。インストラクターさんは結婚してて子供もいるのでそれでは全く足りず、最低でも1400リンギット、できれば2000リンギット必要、と言っていた。ちなみにドイツの公務員の最も等級の低い給料は、月2095ユーロである(税込み)。従って、為替レートで換算するとずいぶん物価が低いけど、暮らしの中での1リンギットの価値はめぎにとっての1ユーロと同じなのだな、と理解できる。
…とすると、料金表の入島料20リンギットとか、ダイビングの50リンギットとか、結構なお値段なのね、と分かる。実際にはここに来るにはスクールに申し込まないと船が無いので、もっとかかる。ここのスクールの料金は、めぎたち2人分の行き帰りの船とお昼の食事とダイビング3回と専属インストラクターで783リンギット(約157ユーロ、つまり一人分78ユーロほど)だったのだが、めぎたちには問題なく払える783リンギット、普通にボルネオで暮らしている庶民には大変な高額だ。でも、ここで働いているインストラクターさんの様子を見ていると、なんというか、ストレスフリーでとっても自然で、彼らには常にこの海が日常的にあるのよね…こう考えていると、お金の価値っていったい…と考えてしまった。
そうそう、先日の飛蚊症についてのコメントによると、ほとんどの方が「実は私も…」というお話で、ひょっとして日本人ってヨーロッパより飛蚊症にかかる確率が高いのかしら?だって、こちらではほとんどそういう話を聞かないものだから…うちのドイツ人にも、最初「何それ?」と言われたし。それとも、ヨーロッパって暗い時期が長いから、めぎみたいにみんな気がついていないのかしらね…
ここはめぎがかつてダイビングのCライセンスを取ったスクール。
ダイビングをする人たちやライセンスを取ろうとしている人たちは、今みんな海に行っている。めぎたちはここにダイビングの申込みをしてお金も払って来たものの、ダイビングを断って思い出のここでのんびりゆっくりさせてもらっている。
で、めぎたち専属のインストラクターさんは向こうで誰かと電話中だし、ここの責任者らしき人もスマホをいじってのんびりしていた。
この辺りに住んでいるらしい猫さんたちもお昼寝中。
ドイツで見かける猫たちより細身だし、薄汚れているように見える。ここの人たちに可愛がられているようではあったが、所詮野性の猫で、餌なども少ないし風雨の中で暮らしているからだろう。
ダイビングの人たちが一瞬帰ってきたのだが、一休みしてすぐにまた出かけて行った…めぎはもうそんなの担げないなぁ…
もう12時半なのになぁ…お昼も食べずにすごいなあ。
残っためぎたちにバナナがおやつとしてふるまわれた。これが、もうこの後は普通のバナナは食べられない!と思うほど甘くておいしかった。
↑これ、数個残してあったのだが、ふと見るとアリさんでいっぱいだった!それは写していない…
この後めぎは桟橋の島への上陸のところに行ってみた。ここに誰かいた試しはなかったが。
上にお値段表があった。ここはガヤ島という離島なのだが、国立公園なので入島料というか、管理費を払わなければならない。外国人とマレーシア人とで、かなり料金に差がある。ダイビング料金も外国人は倍以上だ。ちなみに現在、1ユーロ=5RM(リンギット)ぐらいなので、換算すると入島には4ユーロほど、ダイビングには10ユーロほど、と全然たいした金額ではないのだが。
めぎたち専属のインストラクターさんの話によると、ボルネオのマレーシア領では一人暮らしに最低でも月1000リンギットが必要だという。約200ユーロ、約3万円だ。そんな額で生活できちゃうのね、と思うことも可能だが、彼の説明を聞きながら、ああなるほど、ここの1000リンギットの価値ってドイツの1000ユーロとほぼ同じなのね、と分かった。なにしろドイツでは2023年現在、学生ビザを申請するのに一か月あたり934ユーロが必要とされているからだ。インストラクターさんは結婚してて子供もいるのでそれでは全く足りず、最低でも1400リンギット、できれば2000リンギット必要、と言っていた。ちなみにドイツの公務員の最も等級の低い給料は、月2095ユーロである(税込み)。従って、為替レートで換算するとずいぶん物価が低いけど、暮らしの中での1リンギットの価値はめぎにとっての1ユーロと同じなのだな、と理解できる。
…とすると、料金表の入島料20リンギットとか、ダイビングの50リンギットとか、結構なお値段なのね、と分かる。実際にはここに来るにはスクールに申し込まないと船が無いので、もっとかかる。ここのスクールの料金は、めぎたち2人分の行き帰りの船とお昼の食事とダイビング3回と専属インストラクターで783リンギット(約157ユーロ、つまり一人分78ユーロほど)だったのだが、めぎたちには問題なく払える783リンギット、普通にボルネオで暮らしている庶民には大変な高額だ。でも、ここで働いているインストラクターさんの様子を見ていると、なんというか、ストレスフリーでとっても自然で、彼らには常にこの海が日常的にあるのよね…こう考えていると、お金の価値っていったい…と考えてしまった。
やっとお昼ごはん [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末のボルネオの離島ガヤ島でのお話を。
13時を過ぎたガヤ島のダイビングスクールの浜辺。
お昼寝していた猫さんも起きてきた。
そして14時ごろ、やっと昼食の用意ができた。
セルフサービスで、ハラルの食事。お代わり自由。
匂いにつられて出た来たのか、大トカゲさんが。
上の写真のトリミング。ああ、やっぱりAPS-CのZ50を持って行くんだったな~
その頃には、潮が満ちてきた。
ダイビングの人たちは、この日最後のブリーフィング(ダイビング前のミーティングのこと)。
↑この中にたまたまドイツ人の女性もいた(右奥に立っている人)。めぎたちがドイツ語でおしゃべりしているのを聞いて、どうしてドイツ語?と話しかけてきたのだ。めぎはどこから見てもアジア人だから、マレーシア辺りに行くと、オーストラリア人とのカップルだと想定されるらしい。こちらもいきなりドイツ語で話しかけられて、あららびっくり~
その人は19歳ぐらいで、2022年夏の高校卒業後、大学に行く前に見聞を広めようと半年ぐらいの予定でアジアにやってきて、あちこち転々とした後ボルネオでこのスクールを見つけて1か月ぐらいかけてダイビングインストラクターの修行をしているのだという。このスクールにはコタキナバル(ガヤ島ではなくボルネオ本土側の大きな町)に寮のような雰囲気の宿泊施設があって、窓のない小さな部屋だけど格安で借りられたのがポイントだったとのこと。この3日後ぐらいにとうとうドイツに帰国する予定だとかで、ここの時間の過ぎ方や生活の仕方とドイツとの違いにカルチャーショックを受けそうだ、ここでの経験で興味が出たので海洋生物学を専攻しようかなと思っている、などと話していたが、今はどこで何をしているのかな。ドイツでは、高校卒業資格を持つといつでもどこでも好きな時期に好きな大学に入れるので、つまり入学試験が無いので、何か月でも何年でも心置きなくギャップイヤーができる。だからこんな風に世界を見て回ってから自分の興味を見定める、なんてこともできるのよね。
ダイビングスクールらしい写真を一枚。
鳥がいた。
トリミング。鷺かな…?
13時を過ぎたガヤ島のダイビングスクールの浜辺。
お昼寝していた猫さんも起きてきた。
そして14時ごろ、やっと昼食の用意ができた。
セルフサービスで、ハラルの食事。お代わり自由。
匂いにつられて出た来たのか、大トカゲさんが。
上の写真のトリミング。ああ、やっぱりAPS-CのZ50を持って行くんだったな~
その頃には、潮が満ちてきた。
ダイビングの人たちは、この日最後のブリーフィング(ダイビング前のミーティングのこと)。
↑この中にたまたまドイツ人の女性もいた(右奥に立っている人)。めぎたちがドイツ語でおしゃべりしているのを聞いて、どうしてドイツ語?と話しかけてきたのだ。めぎはどこから見てもアジア人だから、マレーシア辺りに行くと、オーストラリア人とのカップルだと想定されるらしい。こちらもいきなりドイツ語で話しかけられて、あららびっくり~
その人は19歳ぐらいで、2022年夏の高校卒業後、大学に行く前に見聞を広めようと半年ぐらいの予定でアジアにやってきて、あちこち転々とした後ボルネオでこのスクールを見つけて1か月ぐらいかけてダイビングインストラクターの修行をしているのだという。このスクールにはコタキナバル(ガヤ島ではなくボルネオ本土側の大きな町)に寮のような雰囲気の宿泊施設があって、窓のない小さな部屋だけど格安で借りられたのがポイントだったとのこと。この3日後ぐらいにとうとうドイツに帰国する予定だとかで、ここの時間の過ぎ方や生活の仕方とドイツとの違いにカルチャーショックを受けそうだ、ここでの経験で興味が出たので海洋生物学を専攻しようかなと思っている、などと話していたが、今はどこで何をしているのかな。ドイツでは、高校卒業資格を持つといつでもどこでも好きな時期に好きな大学に入れるので、つまり入学試験が無いので、何か月でも何年でも心置きなくギャップイヤーができる。だからこんな風に世界を見て回ってから自分の興味を見定める、なんてこともできるのよね。
ダイビングスクールらしい写真を一枚。
鳥がいた。
トリミング。鷺かな…?
ルドルフさんのことなど [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末のボルネオの離島、ガヤ島でのお話を。
ここはめぎがかつてダイビングのCライセンスを取ったところで、今回コロナ後の様子を見に来たところ。
午後になり、少しずつ潮が満ちてきた。
それでめぎだけシュノーケルをしてみたのだけど、前日の大嵐の所為で水が濁っていて、ハッキリ言って無意味だった。
一番見えてもこんな状況。
で、諦めて陸に上がったら…
猿たちが来ていた!
さて、ここはダイビングスクールの敷地で、ダイビングに申し込まないとここに来られないのでめぎたちはもちろんダイビングに申し込んで迎えの船に乗ることができたわけだが、今までも書いたように、前日に大嵐で波が高かったし、海も濁ってたし、かつてお世話になったこのスクールの人たちに再会できたらいいなと思いながら様子を見に来ることが目的だったので、ダイビングをせずにここでゆっくり過ごさせてもらっていた。スクールの人たちは、お金をもらった以上はお客のめぎたちの希望通りにどうぞというスタンスで、めぎたち専属のダイビングインストラクターさんは、いつでもダイビングしたくなったら呼んでね、と言ってつかず離れずその辺で待機していた。その人は時々話し相手にもなってくれて、めぎたちはボルネオの、というか、ここコタキナバルの暮らしについていろいろと質問した。
インストラクターさんによれば、ボルネオのマレーシア領では人が暮らすのに最低でも月1000リンギットが必要だという。約214ユーロ、約31000円だ。そんな額で生活できちゃうのね、と思うことも可能だが、彼の説明を聞きながら、ああなるほど、ここの1000リンギットの価値ってドイツの1000ユーロとほぼ同じなのね、と分かった。なにしろドイツでは2022年末の時点で、学生ビザを申請するのに一か月あたり934ユーロが必要とされていたからだ。彼は子供もいるのでそれでは全く足りず、最低でも1400リンギット、できれば2000リンギット必要、と言っていた。ちなみにドイツの公務員の最も等級の低い給料は、月2095ユーロである(税込み)。マレーシアリンギットとユーロ、為替レートでは1リンギットが1ユーロとは全く言えないが、物価的に考えるとそういう感じなのだろう。
インストラクターさんの名前はルドルフさんと言って、その名前はヨーロッパの名前なので、キリスト教徒?と聞いたら、かつてはそうだったが、ムスリムの中国人と結婚したので改宗したのだという。へええ、このマレーシアでも違う宗教同士で結婚することがあるんですね、と聞いたら、最近多くなったとのこと。中国人でムスリムというパターンもあるんだな…で、キリスト教徒とムスリムが結婚する場合、男性の宗教に合わせるのではなく、ムスリムに合わせてムスリムになるというのも興味深い。ルドルフさんはもともとマレーシアのたくさんの民族の中の一つ、ドゥスン族の出身で、ドゥスンの言葉が母語で、コタキナバルのあるサバ州に多いカダザン族の言葉もでき、もちろんマレー語と英語もでき、さらに広東語とマンダリンもでき、そして結婚したため奥さんの中国語の方言も多少できるとのこと。ヨーロッパ人もよく複数言語できて、うちのドイツ人も母語のドイツ語の他に英語、フランス語、イタリア語、スペイン語ができ、さらに日本語もサバイバル程度できるけど、彼も顔負けのルドルフさんの多言語。凄いなあ。ルドルフさんには子供が2人いて、彼らは中華系の学校に通わせているという。それは私立なのでお金がかかるが、中華系の学校の教育が充実しているらしい。中国語も英語もしっかりやるし、とのこと。ムスリムだけど中華系の学校に通うというのもあるんだな…ホント、マレーシアって、奥が深いなあ。
めぎはこのダイビングスクールのあるガヤ島の端っこにある水上住宅の部落にちょっと行ってみたいなと思っていたので相談してみたら、即座に否定された。地元民の自分も未だかつて一度も近づいたことが無いし、行かない方がいいという。その水上集落は、ホテルからも見える本当に近いところにあるのだが、イリーガルで住んでいる人の多い所で、何が起こるか分からない、とのことだった。なるほど、そうかぁ…
そうやって色々話しているうちに時は過ぎ、いつの間にかダイビングに出かけていた人たちも戻ってきて、慌ただしく帰る時間になった。みんな、ダイビング客もインストラクターさんたちも残らずみんなが乗り込み、出発。
ああ、さようなら…
いつかまたここに来ることがあるだろうか。いや、たぶんここにはもう二度と来ないような気がする。めぎがここでダイビングをして楽しめる時代は終わったような、そんな気がした。
ここでの楽しかったかつてのダイビング講習の日々とこの日のルドルフさんとの時間を、めぎは一生忘れないだろう。
そしてまた遠くにキナバル山を望みながら…
ホテルのハーバーに戻ってきた。
ルドルフさんや他のダイバーの人たちとお別れし、めぎたちはホテルの外のレストランへ。
ここで、日が沈む直前に滑り込みセーフでオーダーし…
ガヤ島のダイビングスクールでは全く手に入らないビールで喉を潤し…
うちのドイツ人はカルボナーラを…
めぎはジャンキーなハンバーガーを晩御飯として食べた。
このとき滞在3夜目で、早くも現地食からちょっと一休みしたいということになったのだろうと思う。めぎたちも歳取ったなあ。
ここはめぎがかつてダイビングのCライセンスを取ったところで、今回コロナ後の様子を見に来たところ。
午後になり、少しずつ潮が満ちてきた。
それでめぎだけシュノーケルをしてみたのだけど、前日の大嵐の所為で水が濁っていて、ハッキリ言って無意味だった。
一番見えてもこんな状況。
で、諦めて陸に上がったら…
猿たちが来ていた!
さて、ここはダイビングスクールの敷地で、ダイビングに申し込まないとここに来られないのでめぎたちはもちろんダイビングに申し込んで迎えの船に乗ることができたわけだが、今までも書いたように、前日に大嵐で波が高かったし、海も濁ってたし、かつてお世話になったこのスクールの人たちに再会できたらいいなと思いながら様子を見に来ることが目的だったので、ダイビングをせずにここでゆっくり過ごさせてもらっていた。スクールの人たちは、お金をもらった以上はお客のめぎたちの希望通りにどうぞというスタンスで、めぎたち専属のダイビングインストラクターさんは、いつでもダイビングしたくなったら呼んでね、と言ってつかず離れずその辺で待機していた。その人は時々話し相手にもなってくれて、めぎたちはボルネオの、というか、ここコタキナバルの暮らしについていろいろと質問した。
インストラクターさんによれば、ボルネオのマレーシア領では人が暮らすのに最低でも月1000リンギットが必要だという。約214ユーロ、約31000円だ。そんな額で生活できちゃうのね、と思うことも可能だが、彼の説明を聞きながら、ああなるほど、ここの1000リンギットの価値ってドイツの1000ユーロとほぼ同じなのね、と分かった。なにしろドイツでは2022年末の時点で、学生ビザを申請するのに一か月あたり934ユーロが必要とされていたからだ。彼は子供もいるのでそれでは全く足りず、最低でも1400リンギット、できれば2000リンギット必要、と言っていた。ちなみにドイツの公務員の最も等級の低い給料は、月2095ユーロである(税込み)。マレーシアリンギットとユーロ、為替レートでは1リンギットが1ユーロとは全く言えないが、物価的に考えるとそういう感じなのだろう。
インストラクターさんの名前はルドルフさんと言って、その名前はヨーロッパの名前なので、キリスト教徒?と聞いたら、かつてはそうだったが、ムスリムの中国人と結婚したので改宗したのだという。へええ、このマレーシアでも違う宗教同士で結婚することがあるんですね、と聞いたら、最近多くなったとのこと。中国人でムスリムというパターンもあるんだな…で、キリスト教徒とムスリムが結婚する場合、男性の宗教に合わせるのではなく、ムスリムに合わせてムスリムになるというのも興味深い。ルドルフさんはもともとマレーシアのたくさんの民族の中の一つ、ドゥスン族の出身で、ドゥスンの言葉が母語で、コタキナバルのあるサバ州に多いカダザン族の言葉もでき、もちろんマレー語と英語もでき、さらに広東語とマンダリンもでき、そして結婚したため奥さんの中国語の方言も多少できるとのこと。ヨーロッパ人もよく複数言語できて、うちのドイツ人も母語のドイツ語の他に英語、フランス語、イタリア語、スペイン語ができ、さらに日本語もサバイバル程度できるけど、彼も顔負けのルドルフさんの多言語。凄いなあ。ルドルフさんには子供が2人いて、彼らは中華系の学校に通わせているという。それは私立なのでお金がかかるが、中華系の学校の教育が充実しているらしい。中国語も英語もしっかりやるし、とのこと。ムスリムだけど中華系の学校に通うというのもあるんだな…ホント、マレーシアって、奥が深いなあ。
めぎはこのダイビングスクールのあるガヤ島の端っこにある水上住宅の部落にちょっと行ってみたいなと思っていたので相談してみたら、即座に否定された。地元民の自分も未だかつて一度も近づいたことが無いし、行かない方がいいという。その水上集落は、ホテルからも見える本当に近いところにあるのだが、イリーガルで住んでいる人の多い所で、何が起こるか分からない、とのことだった。なるほど、そうかぁ…
そうやって色々話しているうちに時は過ぎ、いつの間にかダイビングに出かけていた人たちも戻ってきて、慌ただしく帰る時間になった。みんな、ダイビング客もインストラクターさんたちも残らずみんなが乗り込み、出発。
ああ、さようなら…
いつかまたここに来ることがあるだろうか。いや、たぶんここにはもう二度と来ないような気がする。めぎがここでダイビングをして楽しめる時代は終わったような、そんな気がした。
ここでの楽しかったかつてのダイビング講習の日々とこの日のルドルフさんとの時間を、めぎは一生忘れないだろう。
そしてまた遠くにキナバル山を望みながら…
ホテルのハーバーに戻ってきた。
ルドルフさんや他のダイバーの人たちとお別れし、めぎたちはホテルの外のレストランへ。
ここで、日が沈む直前に滑り込みセーフでオーダーし…
ガヤ島のダイビングスクールでは全く手に入らないビールで喉を潤し…
うちのドイツ人はカルボナーラを…
めぎはジャンキーなハンバーガーを晩御飯として食べた。
このとき滞在3夜目で、早くも現地食からちょっと一休みしたいということになったのだろうと思う。めぎたちも歳取ったなあ。
ホテルでまったり [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末のボルネオのお話を。
12月28日、滞在5日目。いや、初日24日は着いたのが夜でただ寝ただけだから、滞在4日目と言った方がいいかな。いつものように、朝食が始まる6時半には会場に。
この日はほぼ一日何もせず、いわば休養日。8時半にはプールサイドにいた。
最初は静かだったのだが…
むむむ…
子どもたちが大喜び大はしゃぎ。
賑やかになった。
で、めぎたちもひと泳ぎして部屋に戻ることにした。
戻るときに写した庭の池。
スマートフォンでうまく撮る練習、と試行錯誤。
ホテルというのはこんな見た感じあまりリゾートっぽくない建物なのだが…
立地がよく、ハーバーもあって便利だし、眺めがいいものだからとても気に入って、ボルネオに来るといつもここにきている。
部屋で何をしていたかと言うと、昼寝したり、WiFiでボルネオについて調べて(特に民族や言葉などについて)あれこれ話したり、この前日のガヤ島のダイビングスクールでのことを振り返ったり、窓から望遠であれこれ撮ったり。初日にスーパーに行って買ってきたドライマンゴーをおやつにしながら。
12月28日、滞在5日目。いや、初日24日は着いたのが夜でただ寝ただけだから、滞在4日目と言った方がいいかな。いつものように、朝食が始まる6時半には会場に。
この日はほぼ一日何もせず、いわば休養日。8時半にはプールサイドにいた。
最初は静かだったのだが…
むむむ…
子どもたちが大喜び大はしゃぎ。
賑やかになった。
で、めぎたちもひと泳ぎして部屋に戻ることにした。
戻るときに写した庭の池。
スマートフォンでうまく撮る練習、と試行錯誤。
ホテルというのはこんな見た感じあまりリゾートっぽくない建物なのだが…
立地がよく、ハーバーもあって便利だし、眺めがいいものだからとても気に入って、ボルネオに来るといつもここにきている。
部屋で何をしていたかと言うと、昼寝したり、WiFiでボルネオについて調べて(特に民族や言葉などについて)あれこれ話したり、この前日のガヤ島のダイビングスクールでのことを振り返ったり、窓から望遠であれこれ撮ったり。初日にスーパーに行って買ってきたドライマンゴーをおやつにしながら。
コタキナバルのホテルの部屋で [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末のボルネオ島コタキナバルでのお話を。
ボルネオ島のマレーシア領にあるコタキナバルで泊まったホテルはステラハーバーリゾートのパシフィックステラ。泊まった部屋の窓からは港と海の景色が楽しめた。
向こうに見えているのは同じリゾートのマジェランステラというホテルや、その向こうの工事中の建物。
あそこに建つのもホテルなのかな、コンドミニアムなのかな…
ず~っと向こうにはガヤ島という大きな離島の水上集落も見える。
場所はこちら。
真下を見ると望遠レンズでかなり色々見えてくる。この日は12月28日だったのだが、そろそろ大晦日のカウントダウンパーティーの準備が始まっていた。
さて、そんな窓からの眺めだが、実は窓がとても汚かった。で、うちのドイツ人が辛うじて腕がやっと通るぐらいでカメラは全く外に出せないぐらいほんのちょこっとだけ開く窓の隙間から腕を伸ばして、窓拭きを始めた!
腕の長い彼だけど、そろそろ限界かな~
で、頑張ってここまで綺麗にしました!
お蔭でガラス越しでもかなりクリアに写せるようになって、嬉しいめぎ。
池の中の鯉の模様まで見えちゃうし…
下を通っていく女の子たちの服の文字まで読めちゃうし…
今時の望遠レンズって、キットレンズでも凄い性能。この旅行に持って行ったのはお手軽に軽く持ち運べるAPS-CセンサーのZ50とそのキットレンズと小さな単焦点レンズ。望遠ズームがとても役に立った。
12月28日は一日こんな風にのんびりだらだらと部屋で過ごした。その前の日、あの島のあの辺にいたんだな~あっちからこの時間帯に来るあの大きさのボートは、ひょっとしたらあの島のダイビングスクールの船かもしれないな~などと思いながら。
この日の続きの話はまたいずれ。
ボルネオ島のマレーシア領にあるコタキナバルで泊まったホテルはステラハーバーリゾートのパシフィックステラ。泊まった部屋の窓からは港と海の景色が楽しめた。
向こうに見えているのは同じリゾートのマジェランステラというホテルや、その向こうの工事中の建物。
あそこに建つのもホテルなのかな、コンドミニアムなのかな…
ず~っと向こうにはガヤ島という大きな離島の水上集落も見える。
場所はこちら。
真下を見ると望遠レンズでかなり色々見えてくる。この日は12月28日だったのだが、そろそろ大晦日のカウントダウンパーティーの準備が始まっていた。
さて、そんな窓からの眺めだが、実は窓がとても汚かった。で、うちのドイツ人が辛うじて腕がやっと通るぐらいでカメラは全く外に出せないぐらいほんのちょこっとだけ開く窓の隙間から腕を伸ばして、窓拭きを始めた!
腕の長い彼だけど、そろそろ限界かな~
で、頑張ってここまで綺麗にしました!
お蔭でガラス越しでもかなりクリアに写せるようになって、嬉しいめぎ。
池の中の鯉の模様まで見えちゃうし…
下を通っていく女の子たちの服の文字まで読めちゃうし…
今時の望遠レンズって、キットレンズでも凄い性能。この旅行に持って行ったのはお手軽に軽く持ち運べるAPS-CセンサーのZ50とそのキットレンズと小さな単焦点レンズ。望遠ズームがとても役に立った。
12月28日は一日こんな風にのんびりだらだらと部屋で過ごした。その前の日、あの島のあの辺にいたんだな~あっちからこの時間帯に来るあの大きさのボートは、ひょっとしたらあの島のダイビングスクールの船かもしれないな~などと思いながら。
この日の続きの話はまたいずれ。
思い出の魚介レストランを訪ねてみた [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末のボルネオのコタキナバルの5夜目の夕食のお話を。
滞在1夜目は到着しただけ、2夜目はホテルのルームサービス、3夜目もルームサービス、4夜目は離島に一日遊びに行って戻ってきてホテルのビーチサイドで夕食、と全然やる気のなかっためぎ家。昔は元気ですぐに探検に出かけたのだが、歳を取ってきて長旅とその前の多忙な仕事で疲れた身体を癒すのが先決だったというのもあるし、もう3回目で探検しようと思う場所もなかったというのもあるし、今回は多少お金があって外へ安い夕食を取りに出かけなくても余裕があったというのもあり、今までのめぎ家には無いつまらない夕食生活を送っていたのだが、5夜目にしてやっと外へ旅に出かける元気が出た。で、やってきたのが、昔訪ねてとても楽しく美味しかったという懐かしい記憶の残るセドコ・コンプレックスという中華系の魚介レストランホールのある場所。
でも、あれ…?テーブルがない…
以前所狭しと魚介が並んでいた場所にはバイクが駐車している…
そうか、ここ、閉鎖しちゃったのね。だからホテルでタクシーを呼んでもらうときに、なかなかセドコ・コンプレックスが通じなかったんだわ。以前ははいはいという感じですぐに通じたのに、おかしいなあと思っていたのだ。それならそうと教えてくれればいいのにな。でも、若い従業員たちは、セドコ・コンプレックスに魚介レストランがあったということすら知らなかったのかも。
でも、あそこが開いているようだ。「双天」、そうだ、レストランはその名前だったわ!
行ってみたら、以前よりは規模が縮小していたが、同じように魚介の水槽が並んでいた。
こういう水槽の中から好きなのを選んで取ってもらうシステムなのだ。
で、あれ、と言うと…
こうして取ってくれる。
はい、これにします!
その他、ハマグリさんと…
小さい海老さんを注文。
すると、こんな部屋に通された。それなりに奥が広い。でも、以前みたいにホールでワイワイと言う雰囲気ではない。
以前の様子はこちら。どうしてこう変わっちゃったのか質問してみたけど、説明の英語が全然理解できなかった。なので、コロナで変わったのか、開発なのか、何か問題が起こったのか、謎。
まずはビール。
小さいエビはお刺身に。これ、結構食べた後で撮影したので皿に隙間がある。
ハマグリはガーリック炒めに。
お魚はこんなお姿に。これ、ものすごく美味しかった。
それからこんな野菜と…
カニチャーハンを頼んだのだが、そのチャーハンは撮り忘れ。エビの刺身の左上にちらっと写っているのがそれ。
あと、食べきれなかったがお刺身になったエビの頭が唐揚げになって出てきた。
お会計。ビールは後でもう1本頼んだので実際はあと20リンギットをプラス。1リンギットが約20セントなので、全部で約50ユーロ。これだけ美味しいものを食べて、二人で50ユーロなのでめぎたちにとっては大満足だったが、そう安くも無い。今の為替レートでは1リンギットが約31円なので、日本円にすると7600円ぐらい。二人で7600円でこの食事、皆様の感覚ではどうかしら。
この夜のお話はもうちょっと続くが、またいずれ。
滞在1夜目は到着しただけ、2夜目はホテルのルームサービス、3夜目もルームサービス、4夜目は離島に一日遊びに行って戻ってきてホテルのビーチサイドで夕食、と全然やる気のなかっためぎ家。昔は元気ですぐに探検に出かけたのだが、歳を取ってきて長旅とその前の多忙な仕事で疲れた身体を癒すのが先決だったというのもあるし、もう3回目で探検しようと思う場所もなかったというのもあるし、今回は多少お金があって外へ安い夕食を取りに出かけなくても余裕があったというのもあり、今までのめぎ家には無いつまらない夕食生活を送っていたのだが、5夜目にしてやっと外へ旅に出かける元気が出た。で、やってきたのが、昔訪ねてとても楽しく美味しかったという懐かしい記憶の残るセドコ・コンプレックスという中華系の魚介レストランホールのある場所。
でも、あれ…?テーブルがない…
以前所狭しと魚介が並んでいた場所にはバイクが駐車している…
そうか、ここ、閉鎖しちゃったのね。だからホテルでタクシーを呼んでもらうときに、なかなかセドコ・コンプレックスが通じなかったんだわ。以前ははいはいという感じですぐに通じたのに、おかしいなあと思っていたのだ。それならそうと教えてくれればいいのにな。でも、若い従業員たちは、セドコ・コンプレックスに魚介レストランがあったということすら知らなかったのかも。
でも、あそこが開いているようだ。「双天」、そうだ、レストランはその名前だったわ!
行ってみたら、以前よりは規模が縮小していたが、同じように魚介の水槽が並んでいた。
こういう水槽の中から好きなのを選んで取ってもらうシステムなのだ。
で、あれ、と言うと…
こうして取ってくれる。
はい、これにします!
その他、ハマグリさんと…
小さい海老さんを注文。
すると、こんな部屋に通された。それなりに奥が広い。でも、以前みたいにホールでワイワイと言う雰囲気ではない。
以前の様子はこちら。どうしてこう変わっちゃったのか質問してみたけど、説明の英語が全然理解できなかった。なので、コロナで変わったのか、開発なのか、何か問題が起こったのか、謎。
まずはビール。
小さいエビはお刺身に。これ、結構食べた後で撮影したので皿に隙間がある。
ハマグリはガーリック炒めに。
お魚はこんなお姿に。これ、ものすごく美味しかった。
それからこんな野菜と…
カニチャーハンを頼んだのだが、そのチャーハンは撮り忘れ。エビの刺身の左上にちらっと写っているのがそれ。
あと、食べきれなかったがお刺身になったエビの頭が唐揚げになって出てきた。
お会計。ビールは後でもう1本頼んだので実際はあと20リンギットをプラス。1リンギットが約20セントなので、全部で約50ユーロ。これだけ美味しいものを食べて、二人で50ユーロなのでめぎたちにとっては大満足だったが、そう安くも無い。今の為替レートでは1リンギットが約31円なので、日本円にすると7600円ぐらい。二人で7600円でこの食事、皆様の感覚ではどうかしら。
この夜のお話はもうちょっと続くが、またいずれ。
マレー系のナイトマーケット [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末のボルネオ島コタキナバルのお話を。
ここは12月28日、夕食を食べに行ったところ。
並んでいる人がいた。今も人気のようだ。来ているのは中国系の人と韓国系の人。日本人には会わなかった。この時の年末は日本人をほとんど見かけなかったが、たぶんまだコロナで旅行を自粛していたのだろう。
場所はここ。
広々と開いていたホールを後にし…
ちょっと夜の街を散歩したら、こんな場所に出くわした。
場所はここ。さっきの場所から斜め左下へほんのちょっと移動したところ。
マレー系のナイトマーケットの一つのようで、凄くお安いのだが、もうおなかいっぱい…
このとき、ちゃんとしたカメラを持ってくればよかったな~とちょっと後悔。この時はスマホしかなくて。
野菜を切って準備中。上の写真のトリミング。
こんな野菜を切っていた。
ここでめぎたちは紅茶を頂いた。
それからホテルに帰るためにタクシーを呼びたかったのだが、近くに乗り場は見当たらず、夜だからどっちに行けばあるのか探そうにもちょっと暗すぎるし、タクシーを呼ぶ術がない。スマホは持っているがタクシー会社の電話番号を知らないし、タクシーを手配するアプリも持ってないし。で、ちょっと歩いて適当にその辺にあったホテルに入り、タクシーを呼んでもらった。お願いするとフロントの人はすぐにアプリで手配してくれた…今はもう、電話って使わないのね。
場所はここ。ホテルのホームページはこちらで、一泊二人で27~41ユーロほど。海が見えるとかに拘らなければ、こんな安く泊まれるということなのだな…
この出口のすぐのところのソファーで待っている間に、何組か宿泊客が入ってきた。マレーシア人なのか他の国の人か分からないが、東南アジア系の人たちが主なお客さんのようだった。
コタキナバル、何度も訪れてもうほとんど知っているような気分だったけど、実はホンの表面的なことしか知らないんだよなぁ…マレー系どっぷりの旅をしているわけじゃないものね。
ここは12月28日、夕食を食べに行ったところ。
並んでいる人がいた。今も人気のようだ。来ているのは中国系の人と韓国系の人。日本人には会わなかった。この時の年末は日本人をほとんど見かけなかったが、たぶんまだコロナで旅行を自粛していたのだろう。
場所はここ。
広々と開いていたホールを後にし…
ちょっと夜の街を散歩したら、こんな場所に出くわした。
場所はここ。さっきの場所から斜め左下へほんのちょっと移動したところ。
マレー系のナイトマーケットの一つのようで、凄くお安いのだが、もうおなかいっぱい…
このとき、ちゃんとしたカメラを持ってくればよかったな~とちょっと後悔。この時はスマホしかなくて。
野菜を切って準備中。上の写真のトリミング。
こんな野菜を切っていた。
ここでめぎたちは紅茶を頂いた。
それからホテルに帰るためにタクシーを呼びたかったのだが、近くに乗り場は見当たらず、夜だからどっちに行けばあるのか探そうにもちょっと暗すぎるし、タクシーを呼ぶ術がない。スマホは持っているがタクシー会社の電話番号を知らないし、タクシーを手配するアプリも持ってないし。で、ちょっと歩いて適当にその辺にあったホテルに入り、タクシーを呼んでもらった。お願いするとフロントの人はすぐにアプリで手配してくれた…今はもう、電話って使わないのね。
場所はここ。ホテルのホームページはこちらで、一泊二人で27~41ユーロほど。海が見えるとかに拘らなければ、こんな安く泊まれるということなのだな…
この出口のすぐのところのソファーで待っている間に、何組か宿泊客が入ってきた。マレーシア人なのか他の国の人か分からないが、東南アジア系の人たちが主なお客さんのようだった。
コタキナバル、何度も訪れてもうほとんど知っているような気分だったけど、実はホンの表面的なことしか知らないんだよなぁ…マレー系どっぷりの旅をしているわけじゃないものね。
朝のプールと昼のお出かけ [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末のボルネオ島コタキナバルでのお話を。
滞在6日目の12月29日、いつものように朝6時半から1時間半ぐらいかけてゆっくりと朝食。その後海の様子を撮って…
敷地内を散歩。
この白い屋根はカウントダウンパーティーのための物。年末押し迫ってきたなぁ。
めぎたちはまだ誰もいない宿のプールでゆっくりすることにした。
ここでのんびりとスマホで新聞を読んだり、ちょっと泳いでみたり。
2時間ほどしたらすっかり賑やかになったので退散。
ここまでスマホ撮影。ここからAPS-CのZ50と16-50㎜のキットズームレンズで。
部屋で一休みしてお昼過ぎ、ちょっと遊びに行ってみようかという気になり、タクシーで街へ。これは途中に見えたコンドミニアム。休暇中こういうところで滞在するという手もあるのよね。ホテルのスィートルームよりも更に広いし、ずっと安く済む。でも、ここまで来て海の見えない立地はなんだかなぁ…と思っていつも見送っている。
数年前、この建物に入ったことがあるような気がする…
K-POPなのかな、それともマレーシアのグループなのかな。
こうして目的地に着いた。
つづく。
滞在6日目の12月29日、いつものように朝6時半から1時間半ぐらいかけてゆっくりと朝食。その後海の様子を撮って…
敷地内を散歩。
この白い屋根はカウントダウンパーティーのための物。年末押し迫ってきたなぁ。
めぎたちはまだ誰もいない宿のプールでゆっくりすることにした。
ここでのんびりとスマホで新聞を読んだり、ちょっと泳いでみたり。
2時間ほどしたらすっかり賑やかになったので退散。
ここまでスマホ撮影。ここからAPS-CのZ50と16-50㎜のキットズームレンズで。
部屋で一休みしてお昼過ぎ、ちょっと遊びに行ってみようかという気になり、タクシーで街へ。これは途中に見えたコンドミニアム。休暇中こういうところで滞在するという手もあるのよね。ホテルのスィートルームよりも更に広いし、ずっと安く済む。でも、ここまで来て海の見えない立地はなんだかなぁ…と思っていつも見送っている。
数年前、この建物に入ったことがあるような気がする…
K-POPなのかな、それともマレーシアのグループなのかな。
こうして目的地に着いた。
つづく。
コタキナバルのマレー系の人のためのマーケット [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末のボルネオ島コタキナバルでのお話を。
12月29日、滞在6日目のお昼ごろ、タクシーで街に出かけためぎたち。行先は、数年前にも訪ねたことのある市場。
↑こういうところでタダみたいな値段で買う小さなバナナが、ホテルのバイキングで出てくる立派なフルーツよりずっと美味しいのよね…下の立派なパイナップルにも惹かれたなぁ。
売っているのはマレー系の人たち。
知っているものもあればまだ食べたことのないものもある。
どんな風に料理するのかな。
店番しながらお食事中だったり。
釣り下がっているものは何かな~と英語で聞いてみてもなかなか通じない。
おしゃべりしている人も多いが、携帯をいじっている人が非常に多い。
大量のライス。
売っているものの単位が大きい。ちょっと買って試してみたいというのが難しい。
それでもうちのドイツ人が乾物の小エビとか小魚とか調味料などを、ミニと言ってみたり小さい袋を指さすとかしてコミュニケーションして試しに買っていた。その中の辛い味の付いている醤油とか、スプーンの先っぽだけ舐めても飛び上がるほど辛い調味料とか、料理酒のようなものとか、たまに使っているようだ。
場所はこちら。
12月29日、滞在6日目のお昼ごろ、タクシーで街に出かけためぎたち。行先は、数年前にも訪ねたことのある市場。
↑こういうところでタダみたいな値段で買う小さなバナナが、ホテルのバイキングで出てくる立派なフルーツよりずっと美味しいのよね…下の立派なパイナップルにも惹かれたなぁ。
売っているのはマレー系の人たち。
知っているものもあればまだ食べたことのないものもある。
どんな風に料理するのかな。
店番しながらお食事中だったり。
釣り下がっているものは何かな~と英語で聞いてみてもなかなか通じない。
おしゃべりしている人も多いが、携帯をいじっている人が非常に多い。
大量のライス。
売っているものの単位が大きい。ちょっと買って試してみたいというのが難しい。
それでもうちのドイツ人が乾物の小エビとか小魚とか調味料などを、ミニと言ってみたり小さい袋を指さすとかしてコミュニケーションして試しに買っていた。その中の辛い味の付いている醤油とか、スプーンの先っぽだけ舐めても飛び上がるほど辛い調味料とか、料理酒のようなものとか、たまに使っているようだ。
場所はこちら。
水上住宅への船 [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末のボルネオ島コタキナバルでのお話を。
12月29日、滞在6日目のお昼過ぎ、めぎたちは街中の海沿いの市場に来ていた。
前回、そこの1階のマレー系の市場を徘徊した話を書いたが、その2階から外を見ると、小さな港がある。
小舟がいっぱいあって…
おおお~賑わってる!
次々と乗り込んでは…
出発していく。
家族でお買い物をした後という感じで。
向かう先は、いつもホテルの窓から眺めていたガヤ島の水上住宅。行ってみたいなあと思ったけど、ガヤ島のダイビングスクールのインストラクターのお兄さんに、行かない方がいい、地元民の自分も行ったことがない、と止められた場所だ。
YouTubeを見れば、そこに行ってみたという若い強者の体験談が出てきたりする。それを見て、この辺から船に乗ったみたいだなあと思って確かめてみたのだが、本当にここだった。こうして見ているとみんな普通の人たちで、行ってみても特に危険はなさそうに見える。大多数は貧しいながらも普通の家族たちなのだろう。でも、無法地帯と言うか、マレーシア人ではなくフィリピン系の人が不法滞在しているところだという話だったし、歳とっためぎたちには確かに向かないだろうということで、こうして上から眺めただけで終わりとした。
さて、このときめぎたちのいた場所は、こんな広い食堂のホールで…
食事を提供しているようだった。
で、めぎたちはこの店で、いろんな料理から少しずつ選んで、写ってないが唯一英語のできる女の子に注文して…
お昼を食べた。二人で換算すると2ユーロ程度だったと思う。凄く美味しい。鶏レバーのオイスターソース味と、しめ鯖みたいな味の魚の料理と、鶏肉と野菜の炒め物のようなものだったと思う。
美味しかったのでこの日の夕食の分も買って、また、次の日からちょっと出かけるので持ち込み用のおやつなどを近くの中華系のスーパーで買って、タクシーでホテルに戻った。左にちらっと写っているのがうちのドイツ人が運んでいる買ったもののビニール袋。後ろに続きながら、そこにいた女の子たちの長い黒髪が美しいな、と思って撮ったものだ。
市場見てここでお昼食べただけでめぎたちはもういっぱいいっぱい。ここまでタクシー往復だし、暑い中バリバリ観光する元気は全くない。でも、たったこれだけしかしてないけど、見慣れないものを見て、ざわめきを聞き、臭いを嗅ぎ、色々なことを感じ、頑張って来てよかった。
12月29日、滞在6日目のお昼過ぎ、めぎたちは街中の海沿いの市場に来ていた。
前回、そこの1階のマレー系の市場を徘徊した話を書いたが、その2階から外を見ると、小さな港がある。
小舟がいっぱいあって…
おおお~賑わってる!
次々と乗り込んでは…
出発していく。
家族でお買い物をした後という感じで。
向かう先は、いつもホテルの窓から眺めていたガヤ島の水上住宅。行ってみたいなあと思ったけど、ガヤ島のダイビングスクールのインストラクターのお兄さんに、行かない方がいい、地元民の自分も行ったことがない、と止められた場所だ。
YouTubeを見れば、そこに行ってみたという若い強者の体験談が出てきたりする。それを見て、この辺から船に乗ったみたいだなあと思って確かめてみたのだが、本当にここだった。こうして見ているとみんな普通の人たちで、行ってみても特に危険はなさそうに見える。大多数は貧しいながらも普通の家族たちなのだろう。でも、無法地帯と言うか、マレーシア人ではなくフィリピン系の人が不法滞在しているところだという話だったし、歳とっためぎたちには確かに向かないだろうということで、こうして上から眺めただけで終わりとした。
さて、このときめぎたちのいた場所は、こんな広い食堂のホールで…
食事を提供しているようだった。
で、めぎたちはこの店で、いろんな料理から少しずつ選んで、写ってないが唯一英語のできる女の子に注文して…
お昼を食べた。二人で換算すると2ユーロ程度だったと思う。凄く美味しい。鶏レバーのオイスターソース味と、しめ鯖みたいな味の魚の料理と、鶏肉と野菜の炒め物のようなものだったと思う。
美味しかったのでこの日の夕食の分も買って、また、次の日からちょっと出かけるので持ち込み用のおやつなどを近くの中華系のスーパーで買って、タクシーでホテルに戻った。左にちらっと写っているのがうちのドイツ人が運んでいる買ったもののビニール袋。後ろに続きながら、そこにいた女の子たちの長い黒髪が美しいな、と思って撮ったものだ。
市場見てここでお昼食べただけでめぎたちはもういっぱいいっぱい。ここまでタクシー往復だし、暑い中バリバリ観光する元気は全くない。でも、たったこれだけしかしてないけど、見慣れないものを見て、ざわめきを聞き、臭いを嗅ぎ、色々なことを感じ、頑張って来てよかった。
12月29日のめぎ家の儀式 [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末のボルネオ島コタキナバルでのお話を。
昼間の町の市場や食堂ホールの散策後、タクシーでホテルに戻っためぎたちは部屋で景色を見ながらのんびり涼んでいた。夕方になったホテルの庭は、カウントダウンに向けたイルミネーションが灯り始めた。
どうやら結婚式らしい感じの人たちがいた。全てを仕切っている感じの迫力ある花嫁さん。
お衣装も今風。
庭で結婚式をするのかと思って見ていたら、この船に乗って出港していった。かなりのお金持ちなんだろうな。
めぎたちは市場の食堂で買ってきたお弁当を晩御飯とした。豆腐の料理と鶏レバーの料理とお魚の料理の3種類ぐらいの具を選んでのせてあるのだが、混ざっちゃった。味は抜群にいい。これがユーロ換算で2ユーロもしないのだから、タクシー代をかけて買いに行ってもホテルのレストランよりずっと安い。
さて、暗くなったころ、あの船が戻ってくるのが見えた。
青のイルミネーションは、川か池を演出しているのかな…?
それからめぎたちは、このホテルに新しくできた屋上のバーに行ってみた。
11~12階建てぐらいの高さなので、ある意味心地よい。戻ってきたあの船もイルミネーションしたまま。あそこでパーティーしているのかな。
さて、めぎたちがバーにわざわざ来たのは、赤ワインを飲むため。12月29日はうちのドイツ人の父親の誕生日で、2011年に亡くなった義父が今も生きていたら92歳になったところ。その亡くなった年からめぎたちは年末年始の東南アジアへの旅を始めたのだが、その初めてのペナン島で、生きていれば81歳になったはずの誕生日に義父が好きだった赤ワインをホテルのラウンジで飲んで偲んだのがこの儀式の始まり。あれからもう11年も経ったんだわね…
東南アジアの湿気と夜の生ぬるい風は赤ワインとは全く合わない。でも、生涯一度も常夏の東南アジアには足を踏み入れたことのなかった義父が、もし一緒に来ていたらどれほどオープンマインドで楽しんだか、と想像するのが楽しい。
部屋に帰るときに写したホテルの内側。こんな風に吹き抜けになっている。
これでようやく6日目の話が終了。次回からこの旅の話は中盤に入る。
昼間の町の市場や食堂ホールの散策後、タクシーでホテルに戻っためぎたちは部屋で景色を見ながらのんびり涼んでいた。夕方になったホテルの庭は、カウントダウンに向けたイルミネーションが灯り始めた。
どうやら結婚式らしい感じの人たちがいた。全てを仕切っている感じの迫力ある花嫁さん。
お衣装も今風。
庭で結婚式をするのかと思って見ていたら、この船に乗って出港していった。かなりのお金持ちなんだろうな。
めぎたちは市場の食堂で買ってきたお弁当を晩御飯とした。豆腐の料理と鶏レバーの料理とお魚の料理の3種類ぐらいの具を選んでのせてあるのだが、混ざっちゃった。味は抜群にいい。これがユーロ換算で2ユーロもしないのだから、タクシー代をかけて買いに行ってもホテルのレストランよりずっと安い。
さて、暗くなったころ、あの船が戻ってくるのが見えた。
青のイルミネーションは、川か池を演出しているのかな…?
それからめぎたちは、このホテルに新しくできた屋上のバーに行ってみた。
11~12階建てぐらいの高さなので、ある意味心地よい。戻ってきたあの船もイルミネーションしたまま。あそこでパーティーしているのかな。
さて、めぎたちがバーにわざわざ来たのは、赤ワインを飲むため。12月29日はうちのドイツ人の父親の誕生日で、2011年に亡くなった義父が今も生きていたら92歳になったところ。その亡くなった年からめぎたちは年末年始の東南アジアへの旅を始めたのだが、その初めてのペナン島で、生きていれば81歳になったはずの誕生日に義父が好きだった赤ワインをホテルのラウンジで飲んで偲んだのがこの儀式の始まり。あれからもう11年も経ったんだわね…
東南アジアの湿気と夜の生ぬるい風は赤ワインとは全く合わない。でも、生涯一度も常夏の東南アジアには足を踏み入れたことのなかった義父が、もし一緒に来ていたらどれほどオープンマインドで楽しんだか、と想像するのが楽しい。
部屋に帰るときに写したホテルの内側。こんな風に吹き抜けになっている。
これでようやく6日目の話が終了。次回からこの旅の話は中盤に入る。
ボルネオ滞在7日目の始まり [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末のボルネオ島コタキナバルでのお話を。
12月24日の夜に到着して7日目、30日の朝。帰りは1月8日なのでまだ折り返しではなく、予定的に旅が中盤に入るこの日、まずはいつものように朝6時半から朝食へ。
のんびりゆっくりそれぞれが好きなものを取ってきて食べる。
それから部屋でゆっくり食後のコーヒータイム。この日はうちのドイツ人の誕生日で、プレゼントは彼の望んでいた楽譜。
それからチェックアウトの時間に向けてパッキング。数日後にここに戻ってくるので、この宿に残しておくものと、持って行く物に分ける。次にきたらこの部屋とは限らないので、ちょっと名残惜しく下を写す。綺麗に窓拭きまでしたので、この部屋にまた来たいわねぇ…
日差しの強い日だった。
11時にチェックアウトしてタクシーで次の場所への出発地へ。そこは港で、めぎたちはこれから離島へ向かうのだが、出発の1時間半ぐらい前に着いたので、荷物を預けてそこの食堂というかホーカーでお昼とした。
朝あんなに食べたのにねぇ…
それから冷房の効いているこんなところでのんびり待つ。
中にいるのはめぎたちと同じ離島のリゾートホテルに向かう人たち。そこそこの値段のするホテルだから、そこにいる人たちもハイソサエティと言うか、あたくしたちお金持ちざますの、という感じのオーラがむんむん。でも、本物のお金持ちは離島に別荘とか持っててこんなリゾートに泊まりに来たりしないし、行くとしても船をチャーターするだろうから、ここにいる人たちはみんな成金なのだろうけど、どうも人を見る目つきが値踏みするような感じで、いい部屋を予約した人がえっへんオーラを放つ雰囲気があってあまり居心地よくない(そんな部屋を予約できない者のひがみかも知れないが)。だからずいぶん議論して検討したのだが、めぎたちは一度その島に泊まってみたかったのだ。
やっと時間になって、船に案内された。並んでいた順番ではなく、名を呼ばれた順番に乗らなければならない。部屋のランク順のようだった。ヒエラルキーの世界なのだ。
そして指示された場所に座る。めぎたちは後ろの方だった。
続く。
12月24日の夜に到着して7日目、30日の朝。帰りは1月8日なのでまだ折り返しではなく、予定的に旅が中盤に入るこの日、まずはいつものように朝6時半から朝食へ。
のんびりゆっくりそれぞれが好きなものを取ってきて食べる。
それから部屋でゆっくり食後のコーヒータイム。この日はうちのドイツ人の誕生日で、プレゼントは彼の望んでいた楽譜。
それからチェックアウトの時間に向けてパッキング。数日後にここに戻ってくるので、この宿に残しておくものと、持って行く物に分ける。次にきたらこの部屋とは限らないので、ちょっと名残惜しく下を写す。綺麗に窓拭きまでしたので、この部屋にまた来たいわねぇ…
日差しの強い日だった。
11時にチェックアウトしてタクシーで次の場所への出発地へ。そこは港で、めぎたちはこれから離島へ向かうのだが、出発の1時間半ぐらい前に着いたので、荷物を預けてそこの食堂というかホーカーでお昼とした。
朝あんなに食べたのにねぇ…
それから冷房の効いているこんなところでのんびり待つ。
中にいるのはめぎたちと同じ離島のリゾートホテルに向かう人たち。そこそこの値段のするホテルだから、そこにいる人たちもハイソサエティと言うか、あたくしたちお金持ちざますの、という感じのオーラがむんむん。でも、本物のお金持ちは離島に別荘とか持っててこんなリゾートに泊まりに来たりしないし、行くとしても船をチャーターするだろうから、ここにいる人たちはみんな成金なのだろうけど、どうも人を見る目つきが値踏みするような感じで、いい部屋を予約した人がえっへんオーラを放つ雰囲気があってあまり居心地よくない(そんな部屋を予約できない者のひがみかも知れないが)。だからずいぶん議論して検討したのだが、めぎたちは一度その島に泊まってみたかったのだ。
やっと時間になって、船に案内された。並んでいた順番ではなく、名を呼ばれた順番に乗らなければならない。部屋のランク順のようだった。ヒエラルキーの世界なのだ。
そして指示された場所に座る。めぎたちは後ろの方だった。
続く。
離島までの船旅 [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末のボルネオ島コタキナバルでのお話を。
離島のリゾートホテルに向けて、船に乗り込んでコタキナバルの港を出たところ。
出発地はこちら。
海へと船で出発するのはいつもワクワク。
まわりはこんな感じ。金髪の欧米人(と言ってもオーストラリア人とロシア人)もいれば、中国人もムスリムの人もいる。
古い大きな船が印象的。
向かう離島の端っこが見えてきた。
ここでスマホからAPS-Cに16-50㎜のキットレンズをつけたZ50に持ち替える。色の仕上がりが全然違うわね。
これはトリミング。APS-Cセンサーはスマホよりずっとトリミングに強い。でも、折角だからちゃんと望遠レンズをつければよかったな…リュックから出して付け替えるのが面倒でそのまま写していたのだが。それなりに水飛沫もあったし。
向かう先はガヤ島。かなり大きな島なので、そして向かう先は岸からかなり遠いところなので、船で一時間かかる。今まで見ていたのはこの辺。
コタキナバルがだんだんと遠くなった。
上の写真で見えているのはこの辺り。
しばらく進むと、ガヤ島にこんなのが見えた。水上コテージのリゾートだ。
それはここ。
実はここ、めぎたちが予約したリゾートと同じホテルの別のリゾートなのだが、ここ数日の嵐であちこち壊れちゃって、予約客はみんなめぎたちのリゾートの方に割り振られたのだという。ホントだ、壊れてる…(見えにくいけど、桟橋が壊れていた)
めぎたちは宿泊をここと迷ったのだけど、水上コテージはかなり高額でやめたのだった。でも、水上コテージの方が雰囲気あるしコタキナバルから近いのでかなり人気で、それはつまりもう片方のめぎたちが行くところは空いていて静かでいいかな、とも思ったのだが、まさか嵐で壊れてこんなことになるとはね。
その隣には高床式のコテージが並ぶ別のリゾート。
それからしばらく海の旅を楽しみ…
やっと減速。
着いたようだ。
どんなところかな~
続く。
離島のリゾートホテルに向けて、船に乗り込んでコタキナバルの港を出たところ。
出発地はこちら。
海へと船で出発するのはいつもワクワク。
まわりはこんな感じ。金髪の欧米人(と言ってもオーストラリア人とロシア人)もいれば、中国人もムスリムの人もいる。
古い大きな船が印象的。
向かう離島の端っこが見えてきた。
ここでスマホからAPS-Cに16-50㎜のキットレンズをつけたZ50に持ち替える。色の仕上がりが全然違うわね。
これはトリミング。APS-Cセンサーはスマホよりずっとトリミングに強い。でも、折角だからちゃんと望遠レンズをつければよかったな…リュックから出して付け替えるのが面倒でそのまま写していたのだが。それなりに水飛沫もあったし。
向かう先はガヤ島。かなり大きな島なので、そして向かう先は岸からかなり遠いところなので、船で一時間かかる。今まで見ていたのはこの辺。
コタキナバルがだんだんと遠くなった。
上の写真で見えているのはこの辺り。
しばらく進むと、ガヤ島にこんなのが見えた。水上コテージのリゾートだ。
それはここ。
実はここ、めぎたちが予約したリゾートと同じホテルの別のリゾートなのだが、ここ数日の嵐であちこち壊れちゃって、予約客はみんなめぎたちのリゾートの方に割り振られたのだという。ホントだ、壊れてる…(見えにくいけど、桟橋が壊れていた)
めぎたちは宿泊をここと迷ったのだけど、水上コテージはかなり高額でやめたのだった。でも、水上コテージの方が雰囲気あるしコタキナバルから近いのでかなり人気で、それはつまりもう片方のめぎたちが行くところは空いていて静かでいいかな、とも思ったのだが、まさか嵐で壊れてこんなことになるとはね。
その隣には高床式のコテージが並ぶ別のリゾート。
それからしばらく海の旅を楽しみ…
やっと減速。
着いたようだ。
どんなところかな~
続く。
ガヤ島のリゾートホテルに到着 [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末のボルネオ島の離島ガヤ島でのお話を。
コタキナバルから船に乗って45分ほどで、目指すリゾートホテルに到着。
綺麗な浜ね~♪
リゾートの名は、ブンガラヤ・アイランドリゾート。ホームページはこちら。場所はこちら。めぎたちが旅の初め頃に一日遊びに行ったダイビングスクールのちょうど反対側に位置する。本当はそのダイビングスクールのあるところに泊まりたかったのだが、そこには宿泊施設がなかったのだ。
さて、上陸したところでまずウエルカムドリンクを頂きながら船に乗ってきたみんなでこの島やこのリゾートについての概略の説明を受け、鍵をもらってそれぞれのコテージと言うかヴィラと言うか、そういうところへと向かう。遠いヴィラへはカートで送迎されるため、カートごとに名前を呼ばれていた。
で、ここでもめぎたちは最後の方だったのだが、それはカートが必要ないほど近いから。荷物はあとでカートで送り届けてくれたので、身軽にすぐに到着。ベッドの後ろの窓の向こうは外の道路。道路と言ってもたまにカートが通るぐらいで誰も通らないが、窓は全く開けていない。まあ常にエアコンをかけてるしね。左奥の扉はクローゼット。
ベッドの右側にコーヒーなどが準備されてて…
グラスなどの食器もあった。
ベッドの右側のカーテンの向こうは通路。
通路と言っても知らない人が通るわけではなく、ヴィラの玄関のドアがこの通路にあるということである。通路の向こうには隣のヴィラが見える。
それからベッドの左手前には机。カメラ置き場と化したけど。
その左にはテラス。右にはバスルームに入る扉。写真右端のところ。
バスルームは広く長く、洗面台のある空間の右側がトイレで…
左側にシャワールームとお風呂がセパレートで。立派なバスタブだったけど、やっぱりめぎ家は一度も使わなかったわ…
というのは、シャワーで十分だし、ここは常夏の南国、湯船につかるという気分にならないほど暑かったし、ヴィラのテラスに…
部屋専用のプールがついていたから。このプール、結構深くてめぎは脚がつかない。だからほとんど端っこにいたのだが、ちょっと泳いだり、涼んだり、花を見たり、やってきた鳥を撮ったり、気持ちよく楽しめた。部屋にいるときのほとんどをプールで過ごしていたように思う。
ただ…実はめぎ家、プール付きのヴィラは予約していなかった。そのカテゴリーより2つも低い、一番下のカテゴリーのコテージを予約していたのだ。というのは、お値段のこともあったけど、ここで大晦日を過ごすので賑やかなカウントダウンパーティーを避けて静かに過ごしたかったので、浜沿いまたはレストラン近くのプール付きヴィラは避け、中心部から離れ、隣のコテージとも距離の遠そうな、高台の海の見える静かそうな小さなコテージを希望したのだ。その旨をハッキリとメールで書き送ってあった。というのはネットで予約そたらメールをいただき、お客様が快適に過ごせるようお手伝いしたいから特別な希望があったら書いてくださいとあったので、わざわざその旨を書き送り、レストランや浜から遠い部屋をとお願いしたのだ。それが、アップグレードしました、と言われたのはいいけれど、それも1つ上じゃなくて2つも上のカテゴリーのプール付きになったのは凄いけど、場所はレストランの真ん前!
それにはかなりがっかりした。予め希望を聞かれ、わざわざ送ったメールは何だったの…最も避けたかった部屋になるなんて。読んだの?我々のメール…嵐のこともあってヴィラはもう満室で、もうどうしようもない。まあ仕方がない。しかし、なんだかなあという感じだった…
まあ良かったのは、プール自体はとても楽しめたし、海が見えなくても熱帯雨林と花とそこに来る鳥たちや蝶などを観察して十分楽しめたし、レストランに行くにも帰るにも凄く近く暑い中歩かずに済んで楽だったことかな。玄関のドアの方を使わずプールの横からこの階段を下ればすぐにレストラン。めぎたち、到着したとき以外には玄関のドアを使わず、常にプールのあるテラスから直接レストランや海へ降りて行っていた。
ここでめぎたちは12月30日から1月1日までの2泊3日を過ごす。そのお話はこれからのんびり続く。
コタキナバルから船に乗って45分ほどで、目指すリゾートホテルに到着。
綺麗な浜ね~♪
リゾートの名は、ブンガラヤ・アイランドリゾート。ホームページはこちら。場所はこちら。めぎたちが旅の初め頃に一日遊びに行ったダイビングスクールのちょうど反対側に位置する。本当はそのダイビングスクールのあるところに泊まりたかったのだが、そこには宿泊施設がなかったのだ。
さて、上陸したところでまずウエルカムドリンクを頂きながら船に乗ってきたみんなでこの島やこのリゾートについての概略の説明を受け、鍵をもらってそれぞれのコテージと言うかヴィラと言うか、そういうところへと向かう。遠いヴィラへはカートで送迎されるため、カートごとに名前を呼ばれていた。
で、ここでもめぎたちは最後の方だったのだが、それはカートが必要ないほど近いから。荷物はあとでカートで送り届けてくれたので、身軽にすぐに到着。ベッドの後ろの窓の向こうは外の道路。道路と言ってもたまにカートが通るぐらいで誰も通らないが、窓は全く開けていない。まあ常にエアコンをかけてるしね。左奥の扉はクローゼット。
ベッドの右側にコーヒーなどが準備されてて…
グラスなどの食器もあった。
ベッドの右側のカーテンの向こうは通路。
通路と言っても知らない人が通るわけではなく、ヴィラの玄関のドアがこの通路にあるということである。通路の向こうには隣のヴィラが見える。
それからベッドの左手前には机。カメラ置き場と化したけど。
その左にはテラス。右にはバスルームに入る扉。写真右端のところ。
バスルームは広く長く、洗面台のある空間の右側がトイレで…
左側にシャワールームとお風呂がセパレートで。立派なバスタブだったけど、やっぱりめぎ家は一度も使わなかったわ…
というのは、シャワーで十分だし、ここは常夏の南国、湯船につかるという気分にならないほど暑かったし、ヴィラのテラスに…
部屋専用のプールがついていたから。このプール、結構深くてめぎは脚がつかない。だからほとんど端っこにいたのだが、ちょっと泳いだり、涼んだり、花を見たり、やってきた鳥を撮ったり、気持ちよく楽しめた。部屋にいるときのほとんどをプールで過ごしていたように思う。
ただ…実はめぎ家、プール付きのヴィラは予約していなかった。そのカテゴリーより2つも低い、一番下のカテゴリーのコテージを予約していたのだ。というのは、お値段のこともあったけど、ここで大晦日を過ごすので賑やかなカウントダウンパーティーを避けて静かに過ごしたかったので、浜沿いまたはレストラン近くのプール付きヴィラは避け、中心部から離れ、隣のコテージとも距離の遠そうな、高台の海の見える静かそうな小さなコテージを希望したのだ。その旨をハッキリとメールで書き送ってあった。というのはネットで予約そたらメールをいただき、お客様が快適に過ごせるようお手伝いしたいから特別な希望があったら書いてくださいとあったので、わざわざその旨を書き送り、レストランや浜から遠い部屋をとお願いしたのだ。それが、アップグレードしました、と言われたのはいいけれど、それも1つ上じゃなくて2つも上のカテゴリーのプール付きになったのは凄いけど、場所はレストランの真ん前!
それにはかなりがっかりした。予め希望を聞かれ、わざわざ送ったメールは何だったの…最も避けたかった部屋になるなんて。読んだの?我々のメール…嵐のこともあってヴィラはもう満室で、もうどうしようもない。まあ仕方がない。しかし、なんだかなあという感じだった…
まあ良かったのは、プール自体はとても楽しめたし、海が見えなくても熱帯雨林と花とそこに来る鳥たちや蝶などを観察して十分楽しめたし、レストランに行くにも帰るにも凄く近く暑い中歩かずに済んで楽だったことかな。玄関のドアの方を使わずプールの横からこの階段を下ればすぐにレストラン。めぎたち、到着したとき以外には玄関のドアを使わず、常にプールのあるテラスから直接レストランや海へ降りて行っていた。
ここでめぎたちは12月30日から1月1日までの2泊3日を過ごす。そのお話はこれからのんびり続く。
ブンガラヤ [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末のボルネオの離島、ガヤ島のお話を。
船に乗って到着したリゾートホテルは、綺麗なお花でいっぱい。
お世話に手をかけているからか、南国で新陳代謝が早くて次から次へと綺麗に咲くのが目立つからか、枯れたものはあまり見かけなかった。
これは下から上へ順々に咲いて行くのかな。
いろんなのが重なってて、どれを撮って良いやら迷う。
特にたくさんあったのは、ハイビスカス。
リゾートの名前にもなっているブンガラヤ、ハイビスカスという意味で、マレーシアの国花だとのこと。
たくさんたくさん撮った。
似たようでいて微妙に違うのが興味深かった。
どの花もどの葉っぱも名前が全然分からないのが残念だけど、写真を見ながらふーっとため息…11月も後半になってくると、こういう美しい鮮やかな色が恋しくなる。ここにいると、一年中こんな状態で素晴らしいけど四季が無くてつまらないだろうな、と思ったりするのだが、今一日中薄暗く穴倉の中にいるようなドイツにいると、南国っていいなと思う。
船に乗って到着したリゾートホテルは、綺麗なお花でいっぱい。
お世話に手をかけているからか、南国で新陳代謝が早くて次から次へと綺麗に咲くのが目立つからか、枯れたものはあまり見かけなかった。
これは下から上へ順々に咲いて行くのかな。
いろんなのが重なってて、どれを撮って良いやら迷う。
特にたくさんあったのは、ハイビスカス。
リゾートの名前にもなっているブンガラヤ、ハイビスカスという意味で、マレーシアの国花だとのこと。
たくさんたくさん撮った。
似たようでいて微妙に違うのが興味深かった。
どの花もどの葉っぱも名前が全然分からないのが残念だけど、写真を見ながらふーっとため息…11月も後半になってくると、こういう美しい鮮やかな色が恋しくなる。ここにいると、一年中こんな状態で素晴らしいけど四季が無くてつまらないだろうな、と思ったりするのだが、今一日中薄暗く穴倉の中にいるようなドイツにいると、南国っていいなと思う。
ボルネオの離島・ガヤ島の散歩 [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日からまたかつての旅行記を始めようと思う。と言っても以前のように一日ずついろんなところの旅行記のローテーションをするのはもうしばらく先とし、今めぎに一番欠けているもの…明るさ・熱気・生命力…が溢れる2022年末のボルネオの旅行記をちょっと続けて行こうかと思う。写真を見ていると、元気が出てくるからだ。
場所はボルネオ島の離島のガヤ島のブンガラヤというリゾートホテルの中。こんなに生い茂っているところに自然との融合を謳ったリゾートが作られている。これはめぎたちが泊まったコテージではないが、どこもかしこも、数日したらコテージが隠れてしまうのではないかな、と思うほどの勢いに溢れていた。
ああ楽しかったなぁ…このとき。お花はいっぱいだし、軽装で思いつくままに散歩できて。暗くて寒いと、体のどこかにいつも力が入っている感じで、疲れがたまるわねぇ…
使ったのはAPS-CのZ50にキット望遠レンズ50-250mm。この旅行記、しばらくは写真少な目で、その分写真の解像度は高めで、たぶん一日おきに続く。
場所はボルネオ島の離島のガヤ島のブンガラヤというリゾートホテルの中。こんなに生い茂っているところに自然との融合を謳ったリゾートが作られている。これはめぎたちが泊まったコテージではないが、どこもかしこも、数日したらコテージが隠れてしまうのではないかな、と思うほどの勢いに溢れていた。
ああ楽しかったなぁ…このとき。お花はいっぱいだし、軽装で思いつくままに散歩できて。暗くて寒いと、体のどこかにいつも力が入っている感じで、疲れがたまるわねぇ…
使ったのはAPS-CのZ50にキット望遠レンズ50-250mm。この旅行記、しばらくは写真少な目で、その分写真の解像度は高めで、たぶん一日おきに続く。