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チェコとドイツの国境の辺り [ドイツ各地]

長々お伝えしてきた2008年夏の旅行記もようやくゴールが見えてきた。

チェコ滞在も終わり、いよいよドイツに戻ってきた♪
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雨がやむのを待って、国境の展望台へ。
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ぬかるんでいるけど、チェコとドイツがぐるっと見えるのを楽しみに。
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着いた!
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・・・と思ったら、この日は展望台が休みだった・・・中に入れず。がっかり。

木々の合間からこんなのが見えただけ。
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またいつかの楽しみにしましょ。でも、いつかって、いつかなあ・・・

久々のドイツ♪
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綺麗♪
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こういう景色、ちょっと北海道を思い出す。
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冬支度ですねえ。
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Bärendorf


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バイロイト [ドイツ各地]

国境を越えてドイツに入ってアウトバーンを走っていると、いかにもドイツって感じの景色♪
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速度無制限のアウトバーンなのに、ものすごく安全に感じるドイツ。運転マナーって、その国の文化熟成度を表しているんじゃないかと思ったり。

ちょっとこちらで一休み。
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そう、このお方のここ。
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・・・と言っても、毎年チケットの申し込みをしているんだけど、4年連続で落選。7年?8年?待てば、本当に手に入るのかなあ・・・


銅像じゃなくて本物のオペラを見たいものです。
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8月初旬のこの時期、日本から友人がバイロイトに来ていたので、ちょこっと寄って一緒にお昼。
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めぎとその友人のみビール♪
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久々のドイツ料理。
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重かった・・・


バイロイトはとても小さいけど素敵な町。
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いつかオペラを見に来ることができるかしら。
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Bayreuth


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バンベルク [ドイツ各地]

さてさて・・・めぎは写真の整理中。夏の旅行記は町をあと一つ残すのみ。それからハンブルクへの出張記も。まずは夏の話を終わらせようかな。

すっかり間が空いてしまったが、夏のポーランド・チェコの帰りに寄ったところがもう一つ。
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最後に寄ったのは、バンベルク。
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とっても可愛い建物ばかり。
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バリバリのカトリックの町。
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この景色は有名かも。
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この川の水量を調節しているこれ、魅力的♪
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デュッセルドルフまでのドライブに供えてゆっくり一休み。ポーランド・チェコの旅行を経て久々にドイツのコーヒーを飲んで、とっても嬉しかっためぎ♪ 
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こうして見てみると、夏が夢の話みたい。日が長くて明るかったなあ。


Bamberg


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バンベルクの大聖堂 [ドイツ各地]

昨日は、冬時間に切り替わってからの仕事初日。暗いなあ、と実感。先週までは6時過ぎまで明るかったのに、今日は5時15分に日が沈んでしまうから、最後の授業をしている最中から外はもう真っ暗。朝だって日の出は7時過ぎだし、8時から学校が始まるドイツでは、朝、日が出たか出ないかのうちに家を出る。学生たちも憂鬱そうな顔。これからクリスマスまで、陰気な雰囲気で辛いなあ・・・

さて、今日も夏の旅行記の最終地、バンベルク。ここは大聖堂で有名。
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この大聖堂は、4つの塔を持つ。
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中は意外に明るい。
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この1230年頃の騎士像はBamberger Reiter(バンベルクの騎士)と言って、理想の騎士像を描いたものだとか。ハルトマン・フォン・アウエの世界ですねえ。
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こちらはこの大聖堂を建てたハインリヒ2世のお墓。
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こうやって小さい頃からキリスト教に親しんでいくんですね・・・
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大聖堂の4つの塔を全部見えるポジションを探すのはとても難しい。
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外はまだ真夏だった。
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バンベルクを上から眺める [ドイツ各地]

本日、夏の旅行記最終回。やったー10月を終える前に終わったわ♪

バンベルクの町をぐるぐる散歩していたら、こんな景色を見つけた。
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見えます?真ん中の緑の上。ズームアップしましょ。

あそこからならよく見渡せそう♪
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行ってみると、そこは城砦のよう。
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こんな門を入ると・・・
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ああ、昔の城ですねえ。
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でも、綺麗にしているなあ。
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この塔にはのぼれなかったが・・・
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いい見晴らし!
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あ、大聖堂♪
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うーん、ここからも4つの塔が見えにくいわ・・・
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これで長い長い夏の旅行記がめでたくお仕舞い。夏の暑さを懐かしく思い出しつつ、みなさまのおつきあいに感謝。
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モンタバウア [ドイツ各地]

めぎは11月の写真整理中。11月中旬の一泊旅行の追加話にどうぞおつきあいを。

ヴュルツブルクからの帰り、休憩したのがこの街。
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高い城壁の上に建つこの街は、モンタバウア(Montabaur)という。
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モンタバウアという町の名前は、その昔、13世紀に十字軍遠征から帰ってきた司教が、イスラエル北部のTabor山(Mons Tabor)に似ていることから名付けたのだそうだ。

そんな歴史は全然知らなかっためぎたち。前の日に高速から見えた黄色い城に興味を持って、帰りに寄ってみることにしたのだった。どうしてモンタバウアという名前なんだろうって、その場であーでもないこーでもないと議論。モンは山という意味か、修道士の意味じゃないかとか、多少の察しはつくのだが、タバウアの方はなんとも想像がつかなかった・・・うちに帰ってからWikipediaで調べた次第。
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この城壁を築いた人は大変だったでしょうねえ。
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今はホテルや会議、研修などに使われているようだ。
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鳥さんがご飯に夢中。
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街を見下ろすと、街の方が面白そう。
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で、降りてちょっとお散歩♪
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向こうに黄色い城が見えている。こう見るとそんなに高くは見えないんだけどなあ・・・
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ここにも可愛い看板が。
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小腹が空いたので喫茶店に。
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ちょっとぼけてしまったアプフェルシュトゥルデルは、熱々で美味しかった。バニラソースがくどそうに見えたけど、けっこうさっぱりと甘くなくてよかった。うちのドイツ人はこってりマジパンケーキ。
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そろそろクリスマスシーズン。市庁舎の前にはまだ飾り付けをしていないクリスマスツリーが(この写真の撮影は11月16日)。もちろん生木。きっと今頃は綺麗に飾り付けられて、クリスマス市のシンボルになっていることだろう。
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コテコテのバイエルンの田舎町 [ドイツ各地]

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現在、昨年夏のザルツブルクの帰りに寄った町の話を連載中。今日からドイツ編。

オーストリアで最後に寄ったブラウナウという町から今度はまっすぐ西へ20kmくらいミュンヘンの方へ進む。すると、そこにAltötting(アルトオェッティング)という町がある。
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着いてみると、ザ・カトリックという感じの雰囲気満々。何かカトリック系のお祭りも開催されていたようだが、詳細は不明。ドアが開いていたのでこの立派な教会に入ってみた・・・
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しかし、なんだか暑くてもう疲れてしまってて、こんな斜めな写真を撮っただけ。豪華な大きな教会なのにね。
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で、そそくさと出る。あ、これは意図して斜めに撮ったのだけどね。この頃斜め撮りの練習をしてて。でもあんまり成功してないわねえ。
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疲れてしまったのは、ブラウナウでヒトラーの生家なんぞを見た所為でもあるし、ザルツブルクの休暇が終わってしまったからでもあるし(ザルツブルクでもう教会見まくったし)、おなかも空いたから。そんなわけで、めぎたちは昼食休憩。まずはバイエルンのビールから。
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そう、ここはもうバイエルン。

あ、でも、うちのドイツ人はアプフェルショーレ。リンゴジュース炭酸割りである。
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まずはスープから。クレープを細切りしたみたいなのがコンソメスープみたいなのに入っている例のスープである。
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そして、長々待たされてやっと出てきた料理は・・・
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バイエルンの白ソーセージ!
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このレストラン、白ソーセージに関しては注文を受けてから作ってくれるそうで、20~30分待つと言われたのだが、それを気長に待ったのだった。待った甲斐のある美味しい白ソーセージだったわ~~♡
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ここのはバイエルン州の紋章が。
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短いけど今日はここまで。次に向かうのはこの日の夜泊まるところ。アウトバーンでそろそろ急がないと到着夕方になっちゃうわ。

撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)
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ドナウのほとりの町 [ドイツ各地]

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昨年夏の旅の話は本日最終回。

アルトオェッティングというバイエルンの町から車で2時間半くらいで、最後の目的地Donauwörth(ドナウヴェルト)という小さな町に到着。アウグスブルクの50kmくらい北、ネルトリンゲンの25kmくらい南東である。そこに寄ったのはうちのドイツ人に所用があったからなのだが、その所用を終えて、これは夕方6時50分頃。ドナウ川。
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そう、ドナウヴェルトという町はドナウのほとりにあるのだ。あの美しき青きドナウも、上流はこんな川なのよね。

そこから町に入ると・・・
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こんな塔がある。あら、司教さんの像の頭が切れちゃった・・・
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この塔、戦争で爆撃を受けて再建したものだそうで、見るからに真新しい。
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このドナウヴェルト、ドイツ観光の目玉ロマンティック街道すぐそば。でも、ヨーロッパバスは止まらず、近くをかすめて行ってしまうようだ。その所為か、夕方だからか、人の気配のない町だった。
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めぎたちが泊まったのはポストホテル・トゥラウベという宿。ポストホテルというのは昔の郵便馬車の宿場で、トゥラウベとは鳩。
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一泊95ユーロ(二人分)。ザルツブルクの相場からするとずいぶんお安め。
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ホテルの1階で地ビール。
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この日の夜はギリシャ料理を食べたのだが、まあまあって感じ。

夕食後、20時半頃町を散歩。ほんと、誰もいない・・・
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あの人で溢れるザルツブルクから来ると、ドイツって寂れてる?と錯覚しそう。
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この町はその昔は歴史的な建物があったようなのだが、戦争で壊滅的に爆撃されたのだとか。戦後ずいぶん頑張って再建したようだけど、真新しさは拭えない。しかし、こんな田舎をそこまで爆撃しなければならなかったというのはどうして?
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飛行機雲を見ても怯えないですむ世界であり続けて欲しいわね。
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最後にもう一度ドナウ。
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ああ、夏旅は終わったわ・・・
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そして次の日の朝、一路デュッセルドルフへ。この日はたしか日曜日で、次の日からめぎは高校の教員研修と職員会議に参加し、水曜日から新年度が始まったのだった。
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以上で本当に昨年の夏旅の話はお仕舞い。やった~今年の夏旅の前に終わったわ!!

撮影: Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)、D600 + 24-70mm(F2.8)
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2016年夏旅の概要 [ドイツ各地]

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今日から夏旅のお話を。

2週間の今年の夏旅のうち、最初の7泊8日は「家族の義務」。まず1泊目は、うちのドイツ人の家系ルーツ研究につきあって、ドイツ東部ヴィッテンベルクの郊外の森の中にある叔父のサマーハウスへ。
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ヴィッテンベルクというのはライプチヒの近くにあり、ルターが宗教改革の発端となる「95箇条の論題」を掲げたところ。旧東ドイツ側の古都である。そこにはうちのドイツ人の父方の叔父(父親の一番下の弟)が住んでいるのだが、その叔父はうちのドイツ人の父親が長年生き別れていた旧東ドイツ人。つまり、うちのドイツ人の父親は、ドイツが東西に別れた頃に西側に逃れ、残りの家族は東ドイツに残ったのだった。そんなわけで、うちのドイツ人は父親の存命中この叔父に2~3回しか会ったことがなかったのだが、5年前に父親が亡くなってから、家のルーツを探るべくこの叔父に連絡を取り、2年前に一人で会いに行った。そして今回めぎも同行することになったという訳である。

叔父は街中の本宅には厳冬しか住まず、ほぼ一年中この森の中のサマーハウスで過ごしているという。順にご紹介するつもりだが、小さな小屋の中にはリビングとキッチンと寝室とバスルームが完備されていて、テレビもあればもちろん冷蔵庫などもあり、暖房もあり、狭いながら普通に生活できる・・・日本で言えば1LDKにテラスと広い庭がついているという感じで、小屋と書いたものの、日本の都会の一般家庭よりずっと広々とした空間であると言えるだろう。めぎたちはテラスで夕食をいただきながら談笑し、寝室に泊めていただいた。
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次の3泊はマイセン近くの義母の家。長い読者の方はもうご存じのように、義母は“貴族”。彼女ももともとは東側の出身で、一家で西側に逃れたという過去を持つ。ドイツが東西統一してから故郷に戻り、ここに住んでいるという訳である。
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ここへ来たのは、もともとの計画ではやはりうちのドイツ人の家系ルーツ研究の一環で、曾祖父などの洗礼の記録などを見に行ったり、母親の元にある古い写真を一枚一枚見てそこに写っている人たちが誰なのかを確認するという作業をするためであったが、実際は事情が大きく変わり、写真のチェックは出来たものの、洗礼の記録は見ることができなかった。というのは、母親が白内障の手術をすることとなり、手術と術後チェックの日の病院への送り迎えや食事の世話をすることとなったのだ。マイセンに行ったのは病院がマイセンにあるからで、特に観光も買い物もしていない。

そんなわけで、モブログでご紹介しためぎ家到着時に母親が用意してくれていたトマトの冷製スープ(最近ドイツで流行っているスペイン風のスープで、材料を切ってミキサーにかけて作る)の後は、3日間レストランで食事したり、うちのドイツ人が食事の支度をしたり。これはうちのドイツ人の作った鶏ガラスープにめぎが炊いたご飯。手術は無事に終わり、母親が温めて食べればいいように3日間分くらいの食事の用意をして、ここをあとにした。
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次に3泊したのはミュンヘン。それは、モブログでも書いたように、義父の遺した奥さんをヨーナス・カウフマンの出るオペラに招待するため。奥さんはヨーナス・カウフマンの大ファンで、めぎが去年の夏ザルツブルクでカウフマンの出たオペラを見たのをものすごく羨ましがったのだが、当時に脚の付け根の部分の骨がすり減り、全く歩けなくなっていた。それで、脚の手術をして歩けるようになったら、一緒にザルツブルクへカウフマンを見に行こう!と約束したのである。手術はうまくいって歩けるようになったのだが、肝心のカウフマンの方がこの夏はザルツブルク音楽祭には出演せず、バイエルン・オペラ座のサマー音楽祭の方に出ると言うことで、そちらに招待したのだった。
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しかし、↑上のように杖をつきながらの歩行ではほとんど街歩きは出来ず、ホテルは普通なら歩いてもヴィクトアーリエンマルクトまで行けるし、歩けずとも地下鉄の駅からすぐという便利なところにあったにもかかわらず、ホテルからヴィクトアーリエンマルクトまでタクシーを利用するという有様だった。そのヴィクトアーリエンマルクトでもマルクトを見て歩くなんてことは出来ず、木陰で座って待っていてもらって、めぎ一人でぐるりと撮影だけしてきた・・・写真はヴィクトアーリエンマルクトで朝からビールを飲む人たち。
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上の写真から下の写真のバイエルン・オペラ座まで、距離にしてホンの400mほどであるが、その400mを歩くのに4時間かかった。そのうちの1時間はダルマイヤーで過ごし、もう1時間はシュパーテンハウスで昼食を取り、後の2時間もベンチやら教会の中やらで座って休みつつであるが、つまりそのくらい休みを取って座らないとこの400mを移動できないのである。足は大丈夫なのだが、まだ歩くのが怖いようだし、喘息もあって息が上がってしまうのだった。そんな訳でミュンヘンでは奥さんの支払いでタクシーを多用し(マイカーがあるとは言え、一般車両が入れないところも多く、駐車場が遠くて不便だし、結局タクシーの方が便利なのだ)、ホテルから目的地へ横付け、目的地からもホテルへ横付け、という貴族のような生活を送らせてもらったが。ヨーナス・カウフマンのオペラは素晴らしく、奥さんも大満足でハンブルクへ帰っていった。よかったよかった。
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そんな7泊8日を過ごしためぎたちは、心身共に疲れ果てた。物事の考え方の全く異なる、そしてリズムや波長の全く異なる人と1週間過ごすというのは本当にしんどいことだし、それに介護と話し相手の任務まで加わると本当に大変だ。普段から介護をしている人の大変さは想像を絶する。80代の義母も70代の奥さんも介護が必要な状況ではないのは本当に有り難いことだ。また同時に、自分が70代80代になったときのことを考えずにはいられなかった・・・めぎは子どももいないし、うちのドイツ人は一回り年上で、めぎが高齢になったときにはたぶんめぎ一人だろう。そんな高齢になってから日本へ帰ったところで、住むところもない。ドイツなら病院も手術もただだけど、日本で病院にかかるような財力はたぶん無い。だからそのときには、めぎは外国で、なんとかして生きていかなければならないのだな。少なくとも歩けるようであり続けなければなぁ・・・

そして、その後の5泊6日はザルツブルク。去年3週間も滞在してくまなく見て回ったザルツブルクなので、特に観光もせず、夜のオペラに差し支えないようのんびりし、せいぜい2時間程度散歩したり、食事やお茶に出かけたりしたくらい。ここはモブログでもご紹介したザルツブルクを新市街側から見下ろす景色。
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今回の旅では例の70-300mm望遠ズームを持参し、圧縮写真もあれこれと。
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そして、長時間のオペラに備えて昼寝をして体力を蓄えて、音楽祭を心ゆくまで楽しんだ。これのみV3で撮影。
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そして一気に800km駆け抜けてデュッセルドルフへ帰宅。ザルツブルクに今回5泊6日しかいなかったのは、それほど見たい演目がなかったので。それに、残りの2週間、うちでゆっくりしたいとも。なにしろ去年の春も夏も秋も冬も今年の春も、いつもいつも休みとなれば遠くへ長々と旅をして、うちでゆっくりするという楽しみを忘れていたからね。


撮影: D600 + 20mm(F1.8)、D600 + 70-300mm(F4.5-5.6)、Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)
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アウトバーンを駆け抜ける [ドイツ各地]

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昨日から今年の夏旅の話を連載中。昨日は概要をまとめたが、今日は移動のお話を。

デュッセルドルフの自宅を出たのは、10時半頃だったと思う。うちのドイツ人の仕事が10時までかかり、その後車に荷物を積んで出発。しかしすぐには出発できず・・・と言うのは、出発直前の週末に突然クラクションが壊れ、鳴らないようになってしまったのだ。週末なのでドイツのディーラーや修理工場などはお休みで、たぶんリレー(ソケット?プラグ?)部分が壊れたようなのだが、それを売っているお店も週末は閉まっている訳で、まずはそれを買って取り付けるところから。部品はガソリンスタンドで購入。無事に取り付けて、アウトバーンに乗ったのは11時頃だっただろうか。

最初の写真は11時50分の撮影。この車が面白いなあと思って。
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アウトバーンにはオランダの車が多い。しかも、自転車やら積んだのが多いのだが、この車は船を引っ張っている。オランダ人って、自転車も船も休暇先までわざわざ運んでどうしても自分のに乗って過ごしたい人たちなのね~いや、ドイツ人にもそういう人はいるが、船まで運ぶのはオランダの車の方が圧倒的に多い。流石運河の国。ちなみにドイツ人は、後ろに馬を乗せた車を引っ張っていって、休暇先で自分の馬に乗って過ごす人がいるが、その写真は撮れず仕舞い。
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この日の走行は約600km。目的地のライプチヒ近くのヴィッテンベルクの叔父のうちに着いたのは、17時頃だった。
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ドイツのアウトバーンは基本的に速度無制限なので、うちのドイツ人は160kmくらいで駆け抜ける。適宜休憩を取り、時々工事中などの区間は速度制限があって(120kmとか80kmとか)ゆっくりになるが、平均すれば事故渋滞でもない限りだいたい100km1時間という感じ。

次の日は朝食をいただいて朝9時半にはお暇し、義母の家へ向かう。途中土砂降りに遭った。日本で言うゲリラ豪雨って感じの凄い雨だった。このときまだアウトバーンじゃなくてよかった・・・
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旧東の小さな集落は、ドイツには珍しく電線があったり、無機質な建物が並んでいたりもする。ライプチヒやヴィッテンベルクの旧市街は昔のままで美しいが、ちょっと郊外に出ると西側とはずいぶん雰囲気が異なる。
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その一方で、こんな昔ながらの石畳の道が幹線道路の一部として残っていたりもする。ゲーテが旅をした時代にはこんな道を馬車で移動したのだろうな、と思うと、ちょっと心躍る。
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そしてまたアウトバーンに乗ってさらに東へ。この辺りまで来ると、チェコやポーランドの大型車が目立つようになる。しかも、本当は大型車は追い越し禁止なのに、こうして平気で法規を破る。チェコナンバーに追い越されているのがドイツナンバーの大型車だというのがなんとも皮肉。重い荷物を運ぶ大型車がオランダのロッテルダムから無料でドイツのアウトバーンを横切ってチェコやポーランドへひっきりなしに通り抜けるため、アウトバーンもかなり傷む。そのことがもうずいぶん前から問題になっているが、未だドイツは画期的な手を打てずにいる。
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ずっと前の方に見える追い越しをかける大型車はポーランドのナンバー。このアウトバーンをずっと行くとちょうどドイツとチェコとポーランドの国境に出るのだ。
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しばらく走って、ようやく義母の住む辺りまでやってきて、アウトバーンを降りる。ああ、田舎に来たわね~12時前に到着。
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義母の住むノッセン。誰も知らないところだが、昔ながらの道標の経つ歴史ある小さな町。場所は、マイセンとドレスデンの近く。
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義母の白内障の手術のために病院まで何度も往復したマイセンへの道。
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ようやく最後の務めを終え、最後に見たマイセン。9時50分頃の撮影。
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そして、11時過ぎにまたアウトバーンへ。
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バイエルンに入ったのは11時45分頃。もうバイエルン?と思うほどすぐだったが・・・
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ミュンヘンまではまだ300kmくらいある。このHofという辺りはチェコとの国境で、ここで分岐するとプラハまで行ける。
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12時半の時点でミュンヘンまでまだ232km。亡くなった義父の奥さんの乗った電車は15時20分に着くんだけど、間に合うかしら・・・結構工事中の部分も多く、スピードが出せない。
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しかし、気にしてもどうしようもないので、あれこれ景色を撮影して気を紛らわす。ここまで写真を見てきて、風力発電がいっぱいあるなあと思った方がいたかと思うが、バイエルンに入るとソーラー発電も目立つようになった。
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そしてホップ畑も。バイエルンのビールが待ってるぞ~♪と気合いを入れる。
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今回の旅はマイカーでの移動なので、うちのドイツ人は予めインターネットで地図や距離を確認し、だいたいどう走ってどのくらいかかるかを調べてあった。走っている間はラジオの渋滞情報を使い、事故などの場合は別のルートを検討するのだが、今回は有り難いことにその必要がなかった。さらに今回、めぎのスマホのグーグルマップのナビ機能を使ってみた。いくつか道の選択肢がある場合、ナビの提案を見てみたのだった。めぎのスマホはドイツで買ったものだが、今時のスマホは日本語にも設定できる。日本語に設定するとナビも日本語を話してくれる(時代は変わったわね~!)。ドイツ語にしておけばイチイチめぎが通訳する手間が省けるのだが、うちのドイツ人がドイツ語のナビを聞きたがらず日本語の女性の声を聞きたがるので日本語に設定し、うちのドイツ人はその女性ナビを「道子さん」と名付け、「道子さんはなんて言ってる?」「ここはまっすぐだって」「いや、ここはこっちのルートで行こう」・・・などという会話を楽しみ、可哀想な道子さんはUターンさせようと頑張ってみたり、煩いからと音声を切られたりする羽目になったのだった。道子さんはドイツ語が全然出来なくて、カタカナ読みした通りの名前の発音が大いに違っていて解読しなければならなかったし、時折アルファベットを一つ一つ読み上げてくれたりして、それが長すぎてその通りを既に通り過ぎてしまうこともしばしばだった。最も道子さんが役に立ったのは、目的地までこの調子で行けば何時に着くかという見通しを示してくれることだった。ミュンヘン中央駅には15時15分に着くとの見通しが、28分になったり、5分になったり。ついでにスマホでDBの発着情報も確認してみたが(ホント便利になったわね!)こういうときに限って遅延していない模様・・・むむむむ。

バイエルン・ミュンヘンのホームスタジアムの横を通ったのは14時半。
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そして無事15時頃にミュンヘン中央駅に到着。アウトバーンを降りてからややこしい中央駅までの道案内は道子さんが本領発揮してくれた(めぎの同時通訳もうまくいった・・・この辺は、いつも助手席で地図を見ながらナビをした経験が物を言ったと思う)。おかげですぐ近くに駐車スペースを見つけることも出来、駐車チケットを買い、足早にまず駅のトイレへ。そして15時20分少し前にめぎたちも奥さんの乗ったICEもホームに到着し(いつも遅れがちなDBなのに、こういうときに限って遅れも生じず、それどころか数分前に到着!)、足の悪い奥さんを待たせずにピックアップ。
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ミュンヘンは暑かったなあ・・・
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この後ザルツブルクへの旅と帰宅の旅があるのだが、長くなったのでそれはまた明日。

撮影: D600 + 20mm(F1.8)
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ブレーゼ・イン・デア・マーシュという通り [ドイツ各地]

これまで1日おきにウィーンの旅行記とめぎ家の日常を交互にアップしてきたが、今日からそれにもう一つシリーズを加える。つまり、今後ウィーンの旅行記は2日おきになり、続きは明日の予定。

で、加わるもう一つのシリーズは、5月26~28日に2泊3日で行ってきた友人宅への旅行記。ドイツでは2022年5月26日の木曜日(日付は毎年変わる)が「キリスト昇天の日」で祝日で、その次の金曜日も学校が休校としたので4連休だったのだ。かつてはそういう4連休によくドイツ国内で旅行をしたものだが、コロナの2年間はどこにも行っていなかった。今年、コロナが落ち着いたということでかなりの人が出かけたようだし、めぎたちも随分前から友人たちに招かれていた。

その友人たちというのはハンブルクで育ったうちのドイツ人の若いころからの友人夫婦で、二人は今もハンブルクに住んでいる。ちょくちょくハンブルクの彼らの家を訪ねたり彼らがデュッセルドルフに来たり一緒に近場へ旅行したりしてて、一週間に一度は電話もしてて、2010年には日本へも一緒に旅行した準家族とも言える友人たちである。数年前、旦那さんの方がニーダーザクセン州のダンネンベルクという町のアパートやら土地やらを遺産相続し、そのアパートを改装して賃貸とし、彼らはハンブルクに住み続けつつも定期的にその管理のためにダンネンベルクに行くので、その近くに家を借りた。で、ぜひ遊びに来てほしいというわけである。

で、その彼らが借りた家というのが、ダンネンベルクの外れにあるブレーゼ・イン・デア・マーシュという通りにある。その昔は村だったのが、1972年以来ダンネンベルクに吸収合併。それがその通り。
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ドイツ語のWikipedia(こちら)によると、1834年にこの村は火災でほとんどが焼失し、その後復元されて今に至っている。一軒だけ火災焼失を免れたのがこの家。
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1723年築。
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友人たちの借りた家は休暇用の貸別荘で、普通は週単位で賃貸しているところを大家と交渉して年単位で借りたらしい。通りからちょっと奥まったところに立っていて、緑がいっぱい。
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さて、到着した木曜日は上にも書いたように祝日で、その土地の射撃クラブがパレードをした。ドイツでは各地に射撃クラブがあり、オリンピックなどで活躍する射撃の選手はこの広大な裾野のおかげで育っているのだが、その射撃クラブは5~6月にパレードを行う。その昔デュッセルドルフの区の射撃クラブのパレードをご紹介したこともある。このパレードというのは、基本的に観光客を呼ぶためではなく、彼ら自身のため、その村の人々と祝うために行われる。
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だから、ここで見物していた人たちの中でよそ者と思われるのはめぎ家だけであった。
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その後この通り唯一のレストランの裏でお祭りのようなイベントが行われていた。とっても規模が小さいが、食べ物の出店の他に、射撃の出店ともぐらたたきゲームと回転ブランコがあった。寒かったので、あまりまともに写真を撮っていないけど。
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そして射撃クラブの皆様はビールで乾杯していた。
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別の場所でも、何かを展示していた。
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こちらも寒かったのでまともに見ていないけど。
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この数日前まで窓に日除けをするほどの暑さだったのに、この日は長袖にカーディガン、さらにコートを羽織っていた。晴れたり曇ったり雨が降ったりまた晴れたりというのを繰り返してもいた。
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場所はこちら。

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木組みの景色の裏側で [ドイツ各地]

現在、2日おきにニーダーザクセン州のダンネンベルク周辺の話を連載中。

ここはダンネンベルク郊外のブレーゼ・イン・デア・マーシュという歴史的な通り。
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通り全体が重要文化財らしい。
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趣のある木組みの家の並ぶ地域だけど、これを守って住み続けるのは色々不便なこともあって大変らしかった。
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木組みの家というのは元々はこうなっているのね。
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通りの端っこには、この地域のサッカーチームがある。
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大人のチームはランデスリーガというランクに属してて、ドイツのサッカー・ヒエラルキーのたぶん7階級目に属する。その試合のチケットは一人5ユーロ。その下のKreisklasseというのは、たぶんU18とかのジュニアの試合で、チケットは一人3ユーロ。
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こんな通りにも独立したサッカーのチームがあるなんて、サッカーの国なんだなあと改めて思う。
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選手たちなのかな、集まって飲みながら騒いでいた。祝日だものね。試合も無いようだったし。
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さて、通りを歩いて木組みを写していたら、この黄色いXに気がついた。
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窓から覗いている場合もある。
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これ、実は、この近くのゴアレーベンという町に建設が予定されていた核廃棄物の中間貯蔵施設建設、さらに最終処分場建設への反対を表するマーク。この辺りの地下には岩塩があって、そこを最終処分場にできないかと実験・検証・探索されてきたらしい。で、この地域は80年代以降、国や支持者たちと反対者たちが繰り返し衝突していたところなのだ。
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反対者たちはデモを行い、トラクターで道路を封鎖したため、トラクターが定期的に没収されているとか。それに対し、Xの方は、非暴力を誓って座り込みや日曜日の祈りの集会などでデモを行っているという。色々あったんだろうな。
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この場所は、今のドイツのニーダーザクセン州にあって、今のドイツで言えば北部の真ん中だが、かつて東西に分かれていた時代には東ドイツとの国境で、それも西側からちょっと東に突き出た地形のところで、つまり西ドイツの北東の果てに位置していた。かつての政治家たちがそこに核廃棄物を置いておこうと考えたのは、当時それだけ東との断絶が深かったということなのだろう。
Gorleben


その場所はこちら。右下の白く四角いところが最終処分場候補だった岩塩の実験・探索場。真ん中はたぶん中間貯蔵施設。2回ほどマイナスをクリックすると上にエルベ川が見えてくる。その向こうはかつて東ドイツだった地域。ニーダーザクセン州の中でも鼻の先のようにちょっと尖って東側に突き出ていて、いかにも辺境の地という感じなのが分かるだろう。もう何度かマイナスを押してハンブルクとベルリンとマクデブルクが見えてきたら、州の境界を示す点線を見てほしい。ベルリンとマクデブルクとシュヴェーリンがある部分が旧東側(シュヴェーリンと書いたが、めぎのPCではSchwerinとアルファベット表示されるので日本のみなさんの画面にカタカナでどう表示されるかは分からないが、ドイツ語でシュヴェーリンと読む)。



それが統一後、国境が遥か彼方へ移動してしまい、ここはハンブルクとベルリンの中間地点に位置することになってしまって、困った困ったということになったのかもしれない。と言っても統一後も長々ともめてきて、2021年になってようやく最終処分場としての候補地域から外れ、閉鎖が決まったようだ。その話はドイツ語だがこちらこちらに書かれている。100万年間耐えられるという条件を満たせなかったかららしい。それまでに約19億ユーロ(約2500億円)が投入されたということで、よくそれが覆ったものだ…しかし、中間貯蔵施設は1995年から稼働していて、今もある。この辺り、有事ともなれば結構危険な地域だということなのね。ま、各国の原発と同じく、そういうのは想定外なんだろうけどね。
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友人たちの家 [ドイツ各地]

現在2日おきに、ドイツのニーダーザクセン州のブレーゼ・イン・デア・マーシュという地域を訪ねた話を連載中。こんな木組みの家が並ぶところで、シャクナゲの花が咲く時期のこと。
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その一つ、うちのドイツ人の友人たちが借りた家に入りましょ。
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こんにちは~!
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中はとても可愛らしく整えられていた。
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貸別荘を年単位で借りたとのことだけど、中の調度は友人たちのものがほとんどのようだ。
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これは相続した遺品の中にあったものだって。
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色々と可愛い。
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小さな家で、1階は20畳ぐらいの1LDKという感じ。
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キッチンもコンパクト。しかしこの家、時計がどれも合ってないんだけど…このとき14時ごろ。
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2階もある。
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上は寝室になっていた。
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本当はここに窓があったのだけど、重要文化財の規定で塞がれてしまったのだとか。割と最近のことで、朝日が入って気持ちよかったんだけど…と残念そうだった。
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急な階段、真夜中にお手洗いに行くときにちょっと怖い。若いときは何でもなかったけど、歳をとってくると飲んだ後とか真夜中とかかなり気をつけないとね…上で寝たのは友人夫婦とうちのドイツ人で全員60代。めぎだけ50代。彼らと一緒にいると、10年後ぐらいにどうなるかがよく分かる。
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1階にもう一つものすごく小さな部屋があって(だから上に1LDKと書いたのだが)そこでめぎは寝泊まりしたのだけど、写し忘れ。そうだなあ、3畳ぐらいの小さな部屋。結構大きな窓があって光が入って気持ちよかったけど、キッチンの隣だし、元は納戸だったんじゃないかなという感じ。そこに小さなシングルベッドを入れてあったのだが、その寝心地は最高だった。ただ、ドアが完全には開かないほど狭く、旅行鞄から服などを出すのも全てベッドの上で。そう言えば、小さな家に似合わないほどの結構大きめのバスタブのあるバスルーム(そこの方がめぎが寝泊まりした部屋より大きい)も撮り忘れ。
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友人宅での食事 [ドイツ各地]

現在2日おきに、ニーダーザクセン州のブレーゼ・イン・デア・マーシュという町の話を連載中。

これは友人たちの家のダイニングテーブル。
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この友人というのはうちのドイツ人の古くからの…50年来ぐらいの友人で、本拠地はハンブルクなのだが、ニーダーザクセン州の田舎に土地とアパートを相続し、そのアパートを10世帯に賃貸しているためその近くに家を借り、定期的に訪れている。借りた家は貸別荘で、普通週単位で借りるところを一年当たりいくらというような家賃で無期限で借りたらしい。無期限ということで調度品も自分たちのを持ち込んでいる。せっかくアパートを貸していてもこうしてセカンドハウスを借りて…しかもそれが重要文化財ということで結構お金もかかるようで…あまり儲けにならないようだけど、でも、ハンブルクという大都会での生活も続けつつ田舎暮らしも楽しめて、しかも近くに娘世帯も家を買ったので孫にも会えるしということで、充実した老後ライフのようだ。老後と書いたけど彼らは開業医でまだ現役で仕事もしてて、でももうがつがつと働く必要は無いとのことで週2日程度の仕事にとどめていて、本当に優雅なものだ…秋には一か月タイに行く計画も立ててたし、お金持ちって生活感覚が全然違うよなあ。でもまあ、彼らはつい最近まで二人の子供達の子育てと大学院を出るまで(それも子供の一人は2つ大学に行ったから長期間だったし)の生活援助で大変だったわけで、やっと悠々自適な生活になったところなのだけどね。

ご主人の方がコーヒーを入れてくれて…
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奥さんが焼いたケーキでウェルカム。
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ルバーブのケーキ、美味しかった。
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それから先日ご紹介した町のお祭りを見たりして時間を過ごし…
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お酒のお時間に。
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夕食はまずスープ。ジャガイモと白アスパラのグリーンカレー風味のポタージュスープに炒めたエビをトッピング。
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↑このスープ、Thermomixという万能調理器で作ったものだという。日本ではサーモミックスと言う名前のようだ。本体が1400ユーロほどで(2022年現在)、本体内蔵のレシピは270種類だが、レシピアプリとやらがあってそれを使うには毎年48ユーロかかるけど2022年現在7万レシピもあるそうで、つまり結構なお値段の調理器なのだが、ドイツではものすごく人気で、お金持ちはみんな持っているという感じで、友人たちもハンブルクの家でいつも使っていて、スープも予めそれで作ってニーダーザクセン州のこの家までもって来たのだとか。まあ、つまり、ここの狭いキッチンで料理したくないから、それに、機械が本当に万能で美味しくできるから、とのこと。なんでも自分で試行錯誤してやってみたいうちのドイツ人は全然欲しくないというけれど、料理の苦手・嫌いな人にはその機械、便利で良いのかもしれない。

それからちょっと厚めの生ハムが出てきて、その上に胡椒を振り…
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白アスパラとともにいただいた。出来合いを買ったというオランデーズソースをかけて。
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デザートはイチゴ。
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あれこれおしゃべりして夜が更けていった…

そして次の日の朝。軽くオーブンでトーストしたフランスパンで朝食。赤いのはパプリカ。その他、数種類のジャムと数種類のチーズなど。
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↑飾らない普通の食事だが、特別感があるのは茹で卵。ドイツでは朝食に普通日曜日などにしか卵料理を作らないので。
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ダンネンベルク [ドイツ各地]

現在2日おきにニーダーザクセン州にある友人のセカンドハウスを訪ねた話を連載中。

旅の2日目、朝食後に撮った友人の家。
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大きな庭は友人の家のというわけではなく、大家さんの敷地。休暇用の貸別荘として数軒あるようだった。とても大きな木がいっぱいで、向こうが見えなくて何軒あるのかは未確認。大家さんの可愛いお年よりよぼよぼワンちゃんがめぎになついて遊んでくれた。

大きなモクレンの木もあって、春先は素晴らしかったらしい。いいなあ。
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このとき(5月後半に入った頃)は、ライラックが終わり頃だった。デュッセルドルフより1~2週間季節が遅い感じ。
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足元にもかわいいお花。
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この日はそこから車で周辺へのドライブに。まずは5分程度でダンネンベルクの街中にやってきた。
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最初に案内されたのは、この案内板。
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ここは、先日も書いたように、この近く(20㎞程)のGorleben(ゴアレーベン)というところに使用済み核燃料の最終廃棄施設を作るか否かでもめている地域。その関連で、原子力発電がらみで有名な場所までここから何㎞かの表示があった。
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チェルノブイリとフクシマ以外の場所としては、まずKrümmelというのは北ドイツの街で、ノーベル賞のノーベルがダイナマイトを発明した地なのだが、そのダイナマイト工場の跡地が原子力発電所になり、全部で7回も事故を起こして2011年に閉鎖されたところなのだとか。Wismutというのはソ連時代のソ連の原子力発電の燃料となったウランの鉱山があるところ(今のドイツ・ザクセン州の辺り)で、Asse IIというのはニーダーザクセン州の旧塩鉱山で、放射性廃棄物の最終処分場を作るための実験が行われたところ。

綺麗なお花と現実のギャップがなんだか苦しく感じた。
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この日はとても変わりやすい天気だった。ちょうど鋭い日差しが当たっていたところをパチリ。この塔は中世の城の名残で、その昔牢獄や倉庫などとして使われたそうだ。
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場所はこちら。

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ダンネンベルクの街並み [ドイツ各地]

現在2日おきにニーダーザクセン州のダンネンベルクの話を連載中。

ここは町の中心部。右に見えているのは麻布のインテリア用品の店。
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奥に見えていた教会に近づいて一枚。聖ヨハネ教会。
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この辺りの建物は木組みに煉瓦の化粧が施されている。倉庫が上にあって、そこから吊り上げる装置も残っていた。
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古い建物だから、電気は全て後付け。しかしこれ、雨よけなんだろうけど、こんなタコ足配線を外に吊り下げてて、怖いわねえ。
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看板が素敵なところ。でも、なんだかライトアップの装置が邪魔だな…
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垣間見える小路がなんだか魅力的。
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これは市庁舎で、1780年の建物を1999~2000年に建て直したそうだ。
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古い街並みを残しつつ新たな建物を作る兼ね合いが色々と難しそうなところ。この白い建物は、2007年に火事で焼失した建物のファサードだけ使って新たに建てたとのこと。石の噴水はKlaus Müller-Klug(クラウス・ミュラー=クルーク)という芸術家の作品。
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新しい建物はどうしても無機質感があってつまらない。でも、古いものはこうして古くなっていくわけだしねぇ。
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キオスクに可愛い写真があった。こんなのが撮れたら楽しいだろうな。
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舗装された大通りから一歩横に入ると石畳。風情があるわね。
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しかし、ここ、本当に暮らすとどんな感じなのかしらねぇ…

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ダンネンベルクの大通りを歩きながら [ドイツ各地]

現在2日おきにニーダーザクセン州のダンネンベルクの話を連載中。

ここはダンネンベルクの目抜き通り。
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可愛い建物と綺麗なバラが並んでいたので色々撮ってみた。
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でも、難しい。こっち向いてくれないし…
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光が当たってなかったりするし。
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こういうぐるぐる、いいなあ。この色もいいなあ。
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惹かれる看板を見つけた。
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お店は閉まっているみたいだったけど。
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それからスーパーの前で白アスパラとルバーブを見つけたのでパチリ。
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そのスーパーはここ。



近くに難民用の店を見つけた。たぶん、寄付されたものを引き取れるところ。
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難民がらみで聞いたところによると、このグリルのお店、トルコ人の所有なのだが(つまりトルコ系のケバブなどのお店)、奥さんがモルドバ(ウクライナの隣の国)の出身で、ウクライナ戦争が起きてすぐにウクライナからの難民を呼び寄せ、ここでウエルカムパーティーを開いたとの話。友人夫婦の貸しているアパートにも今回ウクライナから来た難民が住んでいて、その流れでそのウエルカムパーティーに招かれたのだとか。こんな田舎にも難民が来てるのね…と言うか、イニシアチブをとって呼び寄せる人がいるのね。
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めぎの学校でもウクライナ系の生徒が来てて、まだドイツ語ほとんど話せないけど各クラスに数名ずつ入ってて、先日中等部で代講をしたときに目にした。生徒たちが、あの子たちはウクライナ人、などと私に教えてくれた。そうやっていつも「ウクライーネ」(ウクライナ人たち)と呼ばれ続けているのだろう。彼らはいつどんな風にドイツに根付くのだろう。早くここも自分のうちだと感じられるようになれるといいね。

しかしこのお店、壁がこんなになっちゃってて。古い家ってメンテナンス大変そうね。
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コウノトリ [ドイツ各地]

現在2日おきに、5月のニーダーザクセン州のダンネンベルクの話を連載中。今日からその周辺のお話を。

ダンネンベルクという町のあるニーダーザクセン州の東の果ての地域は、めぎたちに全く関係も興味もなかったところ。そこに行くことになったのは、ハンブルクに住む友人夫婦が、旦那のほうの母親の遺産で(それは母親の再婚相手の縁の遺産で、旦那とは全く血のつながりのない遺産なのだが、とにもかくにもそれは遺産として正式に引き継いだのだ)その場所に土地や建物を所有することになって、遊びに来てと言われたから。

で、ここがその遺産の土地の一つ。土地はこのほかに森とか畑とか飛び地で色々ある。
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向こうの柵の端のところから…
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あっちの飼料のところまで。
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ワンちゃん連れが遊んでいた。
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この土地、今のところ何に利用することもせずただ持っているだけなのだとか。その昔は狩猟につかわれていたところらしい。近くに馬の牧場もあった。こんなに大きな土地やら、その他にアパートやらも相続して、ここの他に旦那さんの本当の父親の土地やら家やらも相続してるし、奥さんの方の父親の分もあるし、相続税っていったいどうなっているの?と思うが、特に困ってはいないようだったので、ドイツの相続税は日本ほど大変ではないようだ。

さて、この日は友人の車で周辺を案内してもらっていたのだが、目の前に…
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コウノトリ!
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あ、飛んだ!
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この辺はコウノトリの巣がいっぱいあるのだ。
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ここにも…
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屋根の上にも…
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高い所なので雛は全く見えなかったけど。コウノトリの巣に小さな鳥も共生しているようだった。
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卵が売られていた。Freilandeier(フライラントアイアー)というのは露地卵と言う意味で、つまり放し飼いの鶏の卵。
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コウノトリの卵ではなかったけどね。
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この村を後にしたすぐ後…
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コウノトリの群生に出くわした。こんなにいっぱい一緒にいるところを見たのは初めて!
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ここ、凄く立派な超望遠レンズをつけたカマラマンらしき人が三脚立てて撮影していたので(一人だけ)、邪魔しないように車の中から窓ガラスを下げて撮影。めぎは後部座席の左側にいて、コウノトリ側ではなかったので、ちょっと離れていた1羽はどうしても一緒に写せなかった。それを入れれば13羽だったのにな~12話ではなく13羽であるところ、それも1羽だけちょっと離れているのが、西洋文化的に(キリスト教的に)ちょっと面白いのだが、残念。
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こんなところにカメラマンたちが集まらないのがドイツの良いところ。カメラ人口が日本と比べたらずっと少ないのだろう。場所はこの辺りのどこか。



注)日本や中国などに生息するコウノトリと違って、ヨーロッパのコウノトリは嘴が赤く、それを日本名では日本のコウノトリと区別してシュバシコウと呼んでいるようだが、めぎにはその名前は全く馴染みが無いので「コウノトリ」とした。ヨーロッパには黒い嘴の日本のコウノトリはいないわけで、この赤い嘴のが一般にStorch(シュトルヒ、訳すとコウノトリ)と呼ばれ、赤ちゃんを運んでくる鳥である。正確には日本のコウノトリは英語でOriental stork(オリエンタルコウノトリ)、ドイツ語でSchwarzschnabelstorch(黒い嘴のコウノトリ)といい、この赤い嘴のは英語でWhite stork、ドイツ語でWeißstorch(白いコウノトリ)と言うようである。
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エルベ川 [ドイツ各地]

現在2日おきに、2022年5月のニーダーザクセン州のダンネンベルク周辺の話を連載中。

友人の案内で、エルベ川にやってきた。
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こっちが上流で…
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船が向かっている方向が下流。
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この日はフルサイズZ6に24-200㎜便利ズームで。
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ここにエルベ・テラスと言うレストランがあるのだが…
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めぎたちはただこの眺めを見に来ただけ。
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地図上の右上、エルベ川の河畔へ伸びる道に降りてみた。



地図では何かあるみたいだけど、色々生い茂っていて見えなかった。
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振り返ってパチリ。
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こうして河畔から見ると、川と言うより湖のよう。
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小さな花が咲いていた。
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上流に行けばドレスデンやプラハが、下流に行けばハンブルクがある。そういう意味ではエルベ川はめぎにとって馴染みのある川だ。有名な大きな町の間に、こういう地域があったのね。
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川の堤防のようなこういう散歩道は、そう言えばうちのドイツ人の妹の家の近くと同じ。思えば彼女の家も、ニーダーザクセン州。ずっと西の方で、つまりエルベ川の河口付近だけど、似た雰囲気だな。
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ダームナツの教会 [ドイツ各地]

現在2日おきに、2022年5月のドイツ・ニーダーザクセン州のダンネンベルク周辺の話を連載中。

ダンネンベルクの隣町Damnatz(ダームナツ)というところの教会にやってきた。
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こんなところから入る。可愛いな。
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場所はこちら。



主に第一次世界大戦の慰霊碑。
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教会は木組みの建物で…
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煉瓦で化粧されている。
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古そうなガラス窓。
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1385年には既にここに教会があったという記録があるようだが、1617年に建て代えられ、その後30年戦争で破壊されたが修復され、祭壇は1650年の、鐘は1664年のものが今もあるようだ。中を見たい人はどこどこに鍵があると書かれていたが、うちのドイツ人も友人夫婦も全く興味がなく、素通り。
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かつてナポレオン戦争のとき、ここにフランス軍兵士が身を隠したとのこと。
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その戦禍の中、勇敢な女の子たちが兵士たちに食事を用意したらしい。
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こんな田舎の教会にいろんな歴史が詰まっているのね。
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これで教会を後にした。
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外から見ただけだけど、印象に残るところだった。
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エルベ川の堤防 [ドイツ各地]

現在2日おきに、2022年5月のドイツ・ニーダーザクセン州のダンネンベルク周辺の話を連載中。

ここは、エルベ川。
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先日ご紹介したDamnatzという村の教会を見下ろす場所。
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あ、ウクライナの旗がない…それって、最近のドイツでは、とても珍しい。ここにあるのはドイツとEUとニーダーザクセン州とハンブルクとベルリンの旗。ハンブルク出身の人とベルリン出身の人が住んでいるのかな。
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あそこが見晴らしポイント。
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地図はこちら。



そこにこんな家があった。素敵だな…ここ。
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鳥さんがいっぱい飛んでいた。全然うまく写せなかったけど。
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この素敵な家、友人夫婦の娘さん夫婦が購入しようか否か迷ったところなんだって。38万ユーロだったとのこと。1ユーロ140円で換算すると、5300万円ぐらい。

とっても素敵なところで勿体ないけど、こんな大きな川のすぐそばって、結構怖いかな。
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ボートとか持っていたら、楽しく過ごせそう…
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8mぐらい水位が上がってきたことがあるみたい。
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この堤防で洪水をずっと防げればいいわね。
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彫刻の公園 [ドイツ各地]

現在2日おきに、2022年5月のニーダーザクセン州のダンネンベルク周辺の話を連載中。

ダンネンベルクの隣町のダームナツという村の脇を流れるエルベ川の堤防の上に、こんな表示があった。彫刻の公園ミュラー=クルークと書かれている。
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降りていくと、こんな立派な家があった。
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そして、いろんな彫刻が置いてあった。
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家のドアに…
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猫ちゃんの通り道。
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実はこのミュラー=クルークという人の石の彫刻は、ダンネンベルクの市庁舎前のこの噴水(泉と言った方がよかったかな)もそうだし…
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友人夫婦の借りている家にもあった。
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この辺では有名な人たちみたい(夫婦でやっているようだ)。ホームページはこちら
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そして、結構広い敷地。38万ユーロの隣の家より少し広いかなと感じたので、50万ユーロぐらいなんじゃないかな。
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家の中に池もあった。
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そして堤防と反対側の道路側に抜けた。
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場所はこちら。

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円形集落 [ドイツ各地]

現在2日おきに、ドイツ・ニーダーザクセン州のダンネンベルク周辺の話を連載中。

めぎたちはエルベ川沿いの散歩から一度友人宅へ戻って一休み・ケーキ休憩をし、それから今度は20㎞ほど南下してここへやってきた。
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綺麗な家!と思ったけど、目的地はここではないらしい。
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人がいっぱいいて、ワンちゃん連れも多いなあと言う印象。
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で、やってきたのはここ。
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場所はこちら。



ここは集落が円形できていて、この自転車置き場をぐるりと取り囲むように三角屋根の家が立っているところ。
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最初にこういう集落を作ったのはスラブ系の人たちで、その昔ここに移住してきて住み着いたらしい。
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ぐるりと360度写す技術を持ち合わせてないのが残念。きっとできると思うんだけど。
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その昔と言うのがいつなのかはハッキリしていないのだが、この近くの村では9世紀にはすでにあったらしい。
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こんなサイクリング用の標識があって…
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とにかくいっぱい自転車が停まっていた。みんな健康的だなあ。
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つづく。
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円形集落のミュージアム [ドイツ各地]

現在2日おきに、ドイツ・ニーダーザクセン州のダンネンベルク周辺の話を連載中。ダンネンベルクから20㎞程南下したところにある円形集落を訪ねているところ。
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そこはミュージアムになっていて、昔の仕事を実演している人も。
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でもその人、さあご覧下さいという感じではなく、ただ何かの作業をしてて忙しいんですっていう感じのオーラ。で、あまり目を止めている人もいなかった。
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ミュージアムなので、昔の道具などが色々と置かれている。
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ニワトリさんは剥製。
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ベッドメーキングがちょっとイマイチな寝室もあったし…(誰か座ったのかな)
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機織りも置かれていた。結構鮮やかな色だわね。
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台所のオーブンの反対側には…
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暖房設備。
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昔って寒かったんだろうな。と言うか、そんな昔でもないのだけど、めぎの小さい頃の札幌もとても寒かった。めぎの当時の実家の暖房は灯油ストーブで、それも都市ガスではなくタンクに入れてもらうタイプの灯油で、ストーブは居間にしかなかったし。だから、自分の部屋とかお風呂とかトイレとかはとっても寒かったのだ。北海道だから外は何か月も雪だったわけで、玄関が箱ミカン置き場になるなど冷蔵庫代わりになっていたし。ほんの50年ぐらい前はそういう生活してたんだよなぁ。冬にはしっかり着込んだ生活をしてて、オーバーとか、重かったよなあ…

外では、そんな昔を思い出すずっしりと重い、でもめぎが昔着ていたのとは全然違う鮮やかな色の冬のマントと…
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ハーブなどが売られていた。
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円形集落ミュージアム その2 [ドイツ各地]

現在2日おきに、2022年5月に訪ねたドイツ・ニーダーザクセン州のダンネンベルク周辺の話を連載中。ダンネンベルクから20㎞程南下したところにある円形集落ミュージアムを見学しているところ。

ミュージアムには鍛冶屋もあった。
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ここでは実際に自分で刃物を作ることもできるらしい。
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と言ってもお試しという感じではなく、3日がかりや1週間がかりのアトラクション。こんなかまどを作ったりもしながららしいから。
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ミュージアムを見ていたら、急に雨になった。
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ここで雨宿り。
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いろんな物が雑多に置かれているのを写す。他にすることないしね。
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結構人がいて、ふとコロナが気になる。うちのドイツ人はすぐさまマスクをかけていた。でも、ほとんどの人たちはもうマスクはしていない。友人夫婦もしてなかったし。まあ彼らは2か月ほど前にもうコロナにかかったから、もういいやって思っているのかも。
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近くにいたカップルがスマホで見て「あと1分40秒でやむって」と言ってて、ホントかな~と思って写したが…
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本当にすぐに晴れた!
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ドイツの天気予報もそれなりに当たるようになったんだな~しかもスポット天気予報があるとは、進化したなぁ。
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緑が美しかった。
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ワンちゃんたちがお互いに気になっていた。
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ここ、蜂も飼っているようだったのだが、売り物の蜂蜜は見つけられなかった。
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木で作ったこんなのは売っていたんだけどねぇ。
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めぎたちはこれでこのミュージアムを引き上げ、友人宅に戻って1時間ほど休憩をし、夕食に備えた。この1時間ほど休憩と言うのがこの友人夫婦と一緒のときのいいところで、それぞれ昼寝したり本を読んだり一人の時間を過ごす。そうすると、そのあとまた楽しくおしゃべりできるのだ。長年(めぎにとっては19年、うちのドイツ人にとっては50年ほど)友人との良い付き合いが続くのは、そんな風にできることによるのかもしれない。
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最後の晩餐 [ドイツ各地]

2日おきに連載してきた2022年5月に訪れたドイツ・ニーダーザクセン州のダンネンベルク周辺の話は本日最終回。

2日目の夜はレストランへ。
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なかなか趣のある建物ね。
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18時半に行ったのだが、壁際と窓際の席はもう埋まっていた。
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かなり盛況の感じ。こんな田舎街なのに。どこにこんなに人がいたんだろう…
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まずはビールで乾杯♪
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バーみたいな感じでもあるところね。
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ワンちゃんたち、頑張ってガマンしてておりこうさんね。
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さて、まずは前菜。めぎはエスカルゴのバター焼き。巻貝みたいで美味しい。友人の奥さんの方は牛タルタル。うちのドイツ人と友人の旦那さんの方は、前菜盛り合わせの大皿を半分こ。
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それから赤ワインに切り替えて…
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写してないけどうちのドイツ人と友人の奥さんの方はラム肉の料理。友人の旦那さんの方は魚料理だったのだけど赤ワインに付き合ってくれていた。
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めぎのメインは牛タルタル(先日のウィーンの夕食も同じ牛タルタルだが、店によってこんなに感じが違う…ウィーンのはこちらをどうぞ)。これ、前菜用にもメインにも頼める。新鮮な牛の赤身に生卵の黄身を食べるのだが、つまりドイツにも肉を生で食べる料理があるし、生卵が食べられるということである(自分で作る場合はスーパーのではなく信頼できる店のに限るし、ちゃんとしたレストランにはこのメニューがある)。ぐるりと取り囲んでいる5つは、まず左の白いのが玉ねぎのみじん切り、上のボケて写っている赤いのは赤ビートの甘酢漬けのみじん切り、右上はケイパー(日本語でフウチョウボク?という植物の蕾を酢漬けにしたもの)、右下は西洋ワサビ、そして左下はピクルスのみじん切り。これをまぜまぜして食べる。
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最後にデザートのクレームブリュレ。甘さ控えめで美味しかった。
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それから帰宅して、めぎたちのお土産のフランスのグラン・クリュでのんびりと。次はいつどこに一緒に旅行しようか、などとおしゃべりしながら。
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彼らは開業医だがそろそろ世の中で言う定年の年が近づいていて(ドイツの定年は67歳)既に仕事をかなりセーブしていて(まあ彼らは遺産相続して賃貸アパートもやっているわけですでに働く必要もないわけだから)、夏にはカナダ、秋にはタイに行く予定が既にあって、さらに普通の人が休みのときを避けて旅行したいから、自営業のうちのドイツ人はともかく長期休暇の時期が決められている教師のめぎとはなかなか予定が合わないのだが。

そして次の日の朝食後、めぎたちは帰宅。これで友人の家を訪ねたお話はおしまい。
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