ナーゴルト川にかかる鉄橋 [2023年春 ナーゴルト・ロットヴァイル]
今日から4月初旬の黒い森地方ナーゴルトなどのお話を。
4月1日のイースター休暇の一日目、めぎたちは雨の中ナーゴルトという町へ向かっていた。そこに住む叔母の荷物の整理の手伝いをするためだ。雨なのでただ走って行くのみで全く写真を撮っていなかったのだが、ふと鉄橋を見つけ、車を止めてもらった。

なかなかカッコいいわね~




追記だが、ちょっと調べたところ、1874年製。ヨハン・ウィルヘルム・シュヴェードラーの設計で、ドイツでは現存するのはここだけとのこと。シュヴェードラーは19世紀後半のドイツ語圏の構造工学の第一人者。(情報はこちらから。)
鉄橋のすぐ近くに駅がある。それはこの建物。

場所はこちら。地図の駅のすぐ下に鉄橋が見える。
Unterreichenbach(ウンターライヒェンバッハ)という町で、訳すと「金持ちの下の小川」というのだが、この川の名前はナーゴルト。

近くにこんな家や…

こんな建物が見えた。これ、生ハムを燻すところらしい。

その後、ナーゴルト川沿いをこんな景色を見ながら走り続けた。

つづく。
4月1日のイースター休暇の一日目、めぎたちは雨の中ナーゴルトという町へ向かっていた。そこに住む叔母の荷物の整理の手伝いをするためだ。雨なのでただ走って行くのみで全く写真を撮っていなかったのだが、ふと鉄橋を見つけ、車を止めてもらった。
なかなかカッコいいわね~
追記だが、ちょっと調べたところ、1874年製。ヨハン・ウィルヘルム・シュヴェードラーの設計で、ドイツでは現存するのはここだけとのこと。シュヴェードラーは19世紀後半のドイツ語圏の構造工学の第一人者。(情報はこちらから。)
鉄橋のすぐ近くに駅がある。それはこの建物。
場所はこちら。地図の駅のすぐ下に鉄橋が見える。
Unterreichenbach(ウンターライヒェンバッハ)という町で、訳すと「金持ちの下の小川」というのだが、この川の名前はナーゴルト。
近くにこんな家や…
こんな建物が見えた。これ、生ハムを燻すところらしい。
その後、ナーゴルト川沿いをこんな景色を見ながら走り続けた。
つづく。
4月初めのナーゴルト [2023年春 ナーゴルト・ロットヴァイル]
今日は2023年春のナーゴルトの叔母の家でのお話を。
イースター休みに入った初日の4月1日、めぎたちは南西ドイツのナーゴルトの叔母の家へ。お昼を用意した家に到着。

ここ数年より春の到来が遅かったドイツ。

窓からちょうど桜が見えるのだが、まだ蕾だった。

叔母は6月に老人ホームに引っ越してしまうので、この花を見るのは今年が最後。めぎたちはもう二度と見られない。

叔母の娘(うちのドイツ人の従妹)とその息子が既に到着してて、めぎたちを待っていた。まずはサラダから。

サラダを食べた後、メインディッシュが並べられる。ドイツは伝統的に昼食がその日の一番大きな食事となるのだが、歳取った叔母はそういう生活をしてて、大皿料理が用意されていた。

余談だが、仕事をしている人もお昼に一度うちに帰って食事をする習慣だった昔と違って、最近のドイツでは生活習慣がかなり変わってきて、お昼は仕事先でパンなどで簡単に済ませ、夜に温かい食事をする家庭が増えてきた。国際化が進んだ所為でもある。
この日の料理はドイツらしい料理の牛肉の煮込みだったのだが、めぎは肉にあまり食指が湧かずソースのみたっぷり頂いた。ジャガイモ団子に絡めて食べるととっても美味しい。

以前にも少し書いたが、80を過ぎた伯母はナーゴルトに70年ほど住んでいて、ご主人の死後このアパートに移って30年ほど一人で住んでいた。しかしナーゴルトで生まれ育った娘はデュッセルドルフに移り、そこで定住してしまった。で、叔母は自分に近い将来何かあったら450㎞ぐらい離れた娘に負担がかかると考え、まだ足腰ちゃんとしてて自分で何でもできるうちにと決心して、デュッセルドルフ近郊の老人ホームに移ることにしたのだ。南西ドイツの訛りのドイツ語を話す叔母がデュッセルドルフ近郊にきたらまさに外様で、どの程度馴染むのかなとめぎはちょっと心配なのだけど、従妹と叔母が長い間考えて話し合って決めたことだから、口は挟まない。ただ、6月初旬の引っ越しを前にやることが山積みで、この日の昼食はその段取りとか途中経過報告とかの話題でみんないっぱいいっぱいだった。
ちょっと向こうを見ると、春先の花が咲いているのが見えた。

町の反対側には古城の廃墟が見えて…

ずっと遠くには教会も見える。どちらも絵を描く叔母が繰り返しモチーフにしていたものだ。

ナーゴルトの場所はこちら。ポイントは古城の廃墟にしてある。
ここにめぎがくるのはたぶん4回目ではないかと思うのだが、こうやって終わりが来るんだなあとめぎもしみじみした。

続く。
イースター休みに入った初日の4月1日、めぎたちは南西ドイツのナーゴルトの叔母の家へ。お昼を用意した家に到着。
ここ数年より春の到来が遅かったドイツ。
窓からちょうど桜が見えるのだが、まだ蕾だった。
叔母は6月に老人ホームに引っ越してしまうので、この花を見るのは今年が最後。めぎたちはもう二度と見られない。
叔母の娘(うちのドイツ人の従妹)とその息子が既に到着してて、めぎたちを待っていた。まずはサラダから。
サラダを食べた後、メインディッシュが並べられる。ドイツは伝統的に昼食がその日の一番大きな食事となるのだが、歳取った叔母はそういう生活をしてて、大皿料理が用意されていた。
余談だが、仕事をしている人もお昼に一度うちに帰って食事をする習慣だった昔と違って、最近のドイツでは生活習慣がかなり変わってきて、お昼は仕事先でパンなどで簡単に済ませ、夜に温かい食事をする家庭が増えてきた。国際化が進んだ所為でもある。
この日の料理はドイツらしい料理の牛肉の煮込みだったのだが、めぎは肉にあまり食指が湧かずソースのみたっぷり頂いた。ジャガイモ団子に絡めて食べるととっても美味しい。
以前にも少し書いたが、80を過ぎた伯母はナーゴルトに70年ほど住んでいて、ご主人の死後このアパートに移って30年ほど一人で住んでいた。しかしナーゴルトで生まれ育った娘はデュッセルドルフに移り、そこで定住してしまった。で、叔母は自分に近い将来何かあったら450㎞ぐらい離れた娘に負担がかかると考え、まだ足腰ちゃんとしてて自分で何でもできるうちにと決心して、デュッセルドルフ近郊の老人ホームに移ることにしたのだ。南西ドイツの訛りのドイツ語を話す叔母がデュッセルドルフ近郊にきたらまさに外様で、どの程度馴染むのかなとめぎはちょっと心配なのだけど、従妹と叔母が長い間考えて話し合って決めたことだから、口は挟まない。ただ、6月初旬の引っ越しを前にやることが山積みで、この日の昼食はその段取りとか途中経過報告とかの話題でみんないっぱいいっぱいだった。
ちょっと向こうを見ると、春先の花が咲いているのが見えた。
町の反対側には古城の廃墟が見えて…
ずっと遠くには教会も見える。どちらも絵を描く叔母が繰り返しモチーフにしていたものだ。
ナーゴルトの場所はこちら。ポイントは古城の廃墟にしてある。
ここにめぎがくるのはたぶん4回目ではないかと思うのだが、こうやって終わりが来るんだなあとめぎもしみじみした。
続く。
何を諦めるか [2023年春 ナーゴルト・ロットヴァイル]
今日は2023年4月初めの南西ドイツのナーゴルトの叔母の家でのお話を。
ここに来たのは、叔母が老人ホームに入るにあたり、荷物の整理を始めるため。

上の戸棚と下の本棚のどちらを持って行けるか、検討中。

老人ホームと言っても家具の付いていないワンルームに入るので、多少の私物を持って行ける。ベッドは将来介護になったときのために医療用のを使うことが義務付けられているらしいのだが、それ以外は自由。と言ってもワンルームだから所詮限られている。上の戸棚か本棚かの他に食卓テーブルや書斎机なども入るそうで、日本で想像するワンルームよりずいぶん広そうだけど。
まあ戸棚か本棚は別として、そこそこある本やら…

たくさんたくさんごまんとある小物はいったいどうなるのか。

一つ一つ思い出があるのだろうからねぇ。



サンルームもあるのだが…

そこも物がいっぱい。

お花もどうなっちゃうのかなぁ…



家中の一角一角に思いが溢れている。それを片付けるのって、勇気がいるわよね。
ここに来たのは、叔母が老人ホームに入るにあたり、荷物の整理を始めるため。
上の戸棚と下の本棚のどちらを持って行けるか、検討中。
老人ホームと言っても家具の付いていないワンルームに入るので、多少の私物を持って行ける。ベッドは将来介護になったときのために医療用のを使うことが義務付けられているらしいのだが、それ以外は自由。と言ってもワンルームだから所詮限られている。上の戸棚か本棚かの他に食卓テーブルや書斎机なども入るそうで、日本で想像するワンルームよりずいぶん広そうだけど。
まあ戸棚か本棚は別として、そこそこある本やら…
たくさんたくさんごまんとある小物はいったいどうなるのか。
一つ一つ思い出があるのだろうからねぇ。
サンルームもあるのだが…
そこも物がいっぱい。
お花もどうなっちゃうのかなぁ…
家中の一角一角に思いが溢れている。それを片付けるのって、勇気がいるわよね。