実は…冬どん底のめぎ家 [義母とのお別れ 2023年12月]
今日は1月7日、クリスマス休暇という名の冬休み最終日。仕事こそしなかったが、忙しくて休んだ気のしない冬休みが終わろうとしている。この写真は、12月31日の撮影。ちょっと晴れ間が出て嬉しくてパチリ。
え?と思ったみなさま、ええ、そうなんです…ブログではずっとポルトガルの景色を載せ続けていたけど、実はめぎたち、急用ができて12月26日にドイツに戻ってきていた。
その急用というのはうちのドイツ人の母親が突然亡くなったこと。89歳だった義母はとても元気で、今年の夏90歳になるお祝いをどんなふうにしようかと家族で話し合っていた矢先の突然の出来事で、12月21日には電話で90歳になったらかつて長く住んだイギリスの思い出のどこどこに行きたいなどという話も聞いていたところで、今も信じられない気持ち。
クリスマスイブに心筋梗塞で自分で救急車を呼んで運ばれ、検査したら心臓に穴が開いていて、延命治療を本人が拒否し、その結果として気を静める治療が行われ、上機嫌で安らかにでもあっという間に逝ってしまった。誰も苦しまないですんだのが不幸中の幸い。めぎたちは25日に義母の親しくしていた友人から知らせを受け取り、すぐに26日の帰国便の手配をしたのだが、亡くなったのは12月26日12時9分、めぎたちがドイツへ戻る飛行中だった。これは死後、義母の友人がめぎたちに送ってくれた去年の夏の誕生日の写真。煙草を吸い、およそ体にいいと思われることは食事も運動も含め全くしてこなかった義母だが、89年4か月、一人で元気に生き切った。
そんなわけでめぎたちは光いっぱいのポルトガル滞在の中断を余儀なくされ、どんより黒い雲の立ち込める、または冷たい雨の降る、または強風の吹き荒れる、ごくたまに弱々しいがきれいな光の注ぐドイツで年越ししたのだが、24日の午後と25日のまる一日のほんの1日半だったけど海の美しい景色を堪能できたおかげで随分と力を得て、ここまでクリスマス休暇でお休みの役所や葬儀屋やお墓の管理人やらなにやらと亀の歩みで二転三転の色々な面倒な手続き等を乗り切り、クリスマスと年末年始だからこそ忙しい司祭と貴族の義母が懇意にしていた町のお偉方との調整も乗り切り、1月5日、無事に義母の望んでいた通りのやり方でお葬式(埋葬式)を済ませることができた。
近親者が亡くなればみんな色々大変なのだろうが、今までの3人(義母のパートナー、義父、義父の奥さん)と違って今回は葬儀を行う義務を負っているのがうちのドイツ人一人なのでめぎが手伝わなければならないことも多く、知らせを受けてからのこの2週間のめぎはうちのドイツ人を支えるだけで精いっぱいで、リアルタイムにブログに書けるほどには頭の整理がつかなかった。結構大変だったので、学校がお休み中で良かったわ…
ほんの1日半だけどたくさんの写真を撮ったおかげでここまでずっとポルトガルでの休暇をブログ上だけでも続けることができ、めぎは気分的にずいぶん助けられた。でも、ポルトガルの海の景色を一緒に楽しんでくださった皆様、フェイクブログでごめんなさい…
そんなわけであまり気持ちも身体も休まらないまま冬休みが終わる。今年はあまり頑張らないようにしよう…
え?と思ったみなさま、ええ、そうなんです…ブログではずっとポルトガルの景色を載せ続けていたけど、実はめぎたち、急用ができて12月26日にドイツに戻ってきていた。
その急用というのはうちのドイツ人の母親が突然亡くなったこと。89歳だった義母はとても元気で、今年の夏90歳になるお祝いをどんなふうにしようかと家族で話し合っていた矢先の突然の出来事で、12月21日には電話で90歳になったらかつて長く住んだイギリスの思い出のどこどこに行きたいなどという話も聞いていたところで、今も信じられない気持ち。
クリスマスイブに心筋梗塞で自分で救急車を呼んで運ばれ、検査したら心臓に穴が開いていて、延命治療を本人が拒否し、その結果として気を静める治療が行われ、上機嫌で安らかにでもあっという間に逝ってしまった。誰も苦しまないですんだのが不幸中の幸い。めぎたちは25日に義母の親しくしていた友人から知らせを受け取り、すぐに26日の帰国便の手配をしたのだが、亡くなったのは12月26日12時9分、めぎたちがドイツへ戻る飛行中だった。これは死後、義母の友人がめぎたちに送ってくれた去年の夏の誕生日の写真。煙草を吸い、およそ体にいいと思われることは食事も運動も含め全くしてこなかった義母だが、89年4か月、一人で元気に生き切った。
そんなわけでめぎたちは光いっぱいのポルトガル滞在の中断を余儀なくされ、どんより黒い雲の立ち込める、または冷たい雨の降る、または強風の吹き荒れる、ごくたまに弱々しいがきれいな光の注ぐドイツで年越ししたのだが、24日の午後と25日のまる一日のほんの1日半だったけど海の美しい景色を堪能できたおかげで随分と力を得て、ここまでクリスマス休暇でお休みの役所や葬儀屋やお墓の管理人やらなにやらと亀の歩みで二転三転の色々な面倒な手続き等を乗り切り、クリスマスと年末年始だからこそ忙しい司祭と貴族の義母が懇意にしていた町のお偉方との調整も乗り切り、1月5日、無事に義母の望んでいた通りのやり方でお葬式(埋葬式)を済ませることができた。
近親者が亡くなればみんな色々大変なのだろうが、今までの3人(義母のパートナー、義父、義父の奥さん)と違って今回は葬儀を行う義務を負っているのがうちのドイツ人一人なのでめぎが手伝わなければならないことも多く、知らせを受けてからのこの2週間のめぎはうちのドイツ人を支えるだけで精いっぱいで、リアルタイムにブログに書けるほどには頭の整理がつかなかった。結構大変だったので、学校がお休み中で良かったわ…
ほんの1日半だけどたくさんの写真を撮ったおかげでここまでずっとポルトガルでの休暇をブログ上だけでも続けることができ、めぎは気分的にずいぶん助けられた。でも、ポルトガルの海の景色を一緒に楽しんでくださった皆様、フェイクブログでごめんなさい…
そんなわけであまり気持ちも身体も休まらないまま冬休みが終わる。今年はあまり頑張らないようにしよう…
教会で心を落ち着ける [義母とのお別れ 2023年12月]
ここはデュッセルドルフの旧市街近くにある聖マクシミリアン教会。めぎ家から歩いて10分ぐらいかな。めぎは12月末に一人でここを訪れた。
キリスト教ではクリスマスというのはキリストが生まれた12月25日からそれを聞きつけて東方三博士がお祝いに駆け付けた1月6日までの期間を指し、そのためめぎが行ったときはまだツリーが飾られてあった。
↑赤いアマリリスが活けてある。ドイツではクリスマスにアマリリスを飾ることが多い。そう言えば去年亡くなった義父の3人目の奥さんアンゲリカもアマリリスが好きで、クリスマスから春までの間、部屋をアマリリスの切り花でいっぱいにしていたな…義父もアンゲリカも、義母のパートナーも義母も、みんな亡くなってしまった。去年はずっと、新演出のオペラを見るにつけ、またはYouTubeで50年前とかの映像の中のめぎが知らない、でも恐らく当時有名だったはずの歌手たちの素晴らしい歌声を見つけるにつけ、この演出どう思った?当時この歌手どうだった?とオペラ歌手だったアンゲリカとおしゃべりできない淋しさを感じて過ごした。さらに今度は、クリスマスどうだった?休暇はどうだった?イギリスのこのニュースどう思った?などと長くイギリスに住んでいた義母と話すことももう叶わなくなり、こうやって、一人一人と欠けて行くんだな…となんとも言えない哀しさがこみ上げる。兄弟姉妹最後に残された義母の妹(うちのドイツ人の叔母)の哀しさも気の毒なほどだし、その次に一番年上なのはうちのドイツ人。つまり、めぎにとって次の大きな別れは(日本の家族を除けば)自分の夫なのだな、と否応にも考えさせられる。人の営みって、こんなに頑張って生きているのにつまりは死や別れに向かって努力しているということなのであって、なんて無情なのかしら。
義母はプロテスタントの教会の参事会員だったので、こんなカトリックの教会に来ても義母が喜ぶわけではないのだけど、めぎは自分の大好きなここで一人静かにこの世の無常に打ちひしがれて涙し、しばらく涙にくれることで少し落ち着くことができた。生まれた以上、どんな酷なことが起こったとしても、自分にお迎えが来るその日まで生きていくしかないのだ。
クリスマスのミサのためかな、席も多めに設置されていた。これは全部、生きている人たちのための物。ミサも綺麗な飾りもハッキリ言えば空しい営みだけど、それで今を生きる元気が出る人がいるならば、存在価値があると言えるのだろう。
キリスト教ではクリスマスというのはキリストが生まれた12月25日からそれを聞きつけて東方三博士がお祝いに駆け付けた1月6日までの期間を指し、そのためめぎが行ったときはまだツリーが飾られてあった。
↑赤いアマリリスが活けてある。ドイツではクリスマスにアマリリスを飾ることが多い。そう言えば去年亡くなった義父の3人目の奥さんアンゲリカもアマリリスが好きで、クリスマスから春までの間、部屋をアマリリスの切り花でいっぱいにしていたな…義父もアンゲリカも、義母のパートナーも義母も、みんな亡くなってしまった。去年はずっと、新演出のオペラを見るにつけ、またはYouTubeで50年前とかの映像の中のめぎが知らない、でも恐らく当時有名だったはずの歌手たちの素晴らしい歌声を見つけるにつけ、この演出どう思った?当時この歌手どうだった?とオペラ歌手だったアンゲリカとおしゃべりできない淋しさを感じて過ごした。さらに今度は、クリスマスどうだった?休暇はどうだった?イギリスのこのニュースどう思った?などと長くイギリスに住んでいた義母と話すことももう叶わなくなり、こうやって、一人一人と欠けて行くんだな…となんとも言えない哀しさがこみ上げる。兄弟姉妹最後に残された義母の妹(うちのドイツ人の叔母)の哀しさも気の毒なほどだし、その次に一番年上なのはうちのドイツ人。つまり、めぎにとって次の大きな別れは(日本の家族を除けば)自分の夫なのだな、と否応にも考えさせられる。人の営みって、こんなに頑張って生きているのにつまりは死や別れに向かって努力しているということなのであって、なんて無情なのかしら。
義母はプロテスタントの教会の参事会員だったので、こんなカトリックの教会に来ても義母が喜ぶわけではないのだけど、めぎは自分の大好きなここで一人静かにこの世の無常に打ちひしがれて涙し、しばらく涙にくれることで少し落ち着くことができた。生まれた以上、どんな酷なことが起こったとしても、自分にお迎えが来るその日まで生きていくしかないのだ。
クリスマスのミサのためかな、席も多めに設置されていた。これは全部、生きている人たちのための物。ミサも綺麗な飾りもハッキリ言えば空しい営みだけど、それで今を生きる元気が出る人がいるならば、存在価値があると言えるのだろう。
蝋燭の光 [義母とのお別れ 2023年12月]
ここはデュッセルドルフの聖マクシミリアン教会。
ちょうど蝋燭を捧げている人がいた。
一本だけでなく数本。家族の分かな。
その向こうにはクリッペ(キリスト誕生の厩の模型)。
1月6日にはここに東方の三博士も並んだのだろう。見に行っていないけど。今回のクリスマスは味わう暇もなく、らしさを感じる暇もなく終わっていったなぁ…
唯一クリスマスらしいことをしたと言えば、クリスマスまでのアドヴェントリースを作って蝋燭を4本、日曜日ごとに灯していったのだが、今、その蝋燭の使い残りを順番に食卓テーブルで使っている。蝋燭の火を消すとき、普通は吹き消すのだろうが、めぎはどうも吹き消すのが苦手でロウがテーブルの上に飛び散ってしまったりするので、義母に以前もらったこんな古い蝋燭消しを使っている。もともとはクリスマスツリーの蝋燭を消すためのものなのだが、パートナーを亡くしてツリーをもう飾らなくなった義母に数年前頼んで譲り受け、ずっと愛用していた。これがめぎにとって義母の形見になった。毎晩、蝋燭を消すときに義母のことを思い出している。
ちょうど蝋燭を捧げている人がいた。
一本だけでなく数本。家族の分かな。
その向こうにはクリッペ(キリスト誕生の厩の模型)。
1月6日にはここに東方の三博士も並んだのだろう。見に行っていないけど。今回のクリスマスは味わう暇もなく、らしさを感じる暇もなく終わっていったなぁ…
唯一クリスマスらしいことをしたと言えば、クリスマスまでのアドヴェントリースを作って蝋燭を4本、日曜日ごとに灯していったのだが、今、その蝋燭の使い残りを順番に食卓テーブルで使っている。蝋燭の火を消すとき、普通は吹き消すのだろうが、めぎはどうも吹き消すのが苦手でロウがテーブルの上に飛び散ってしまったりするので、義母に以前もらったこんな古い蝋燭消しを使っている。もともとはクリスマスツリーの蝋燭を消すためのものなのだが、パートナーを亡くしてツリーをもう飾らなくなった義母に数年前頼んで譲り受け、ずっと愛用していた。これがめぎにとって義母の形見になった。毎晩、蝋燭を消すときに義母のことを思い出している。