いつかはここへ、と思っていました [ポーランド]
旅の日程的にはちょっと飛ぶけれど、終戦記念日に。
その電車はこんなに綺麗な色じゃなかったと思うけど・・・
でも、この線路を見ただけで、重苦しくなってくる。
そして、行き着く先はこちら。
ドイツでは「終戦」とは呼ばない。Kapitulation(カピトゥラツィオーン)、すなわち「降伏」と呼ぶ。ドイツ降伏の日は5月8日。
ドイツにもいくつか、強制収容所が残っているけれど、ポーランドのここはそれらとは意味が違う。
ドイツ国内の強制収容所は、反ナチスの人たちを政治犯として閉じこめたところ。
でもここは、罪のない人たちを殺戮することを目的に収容したところ。
今は博物館としてすっかり綺麗な印象さえ感じるけれど・・・
ここが、大量殺戮の現場。
どうやったら少ないガスで大量に効率よく殺せるか、実験したのだという。事前にシャワーを浴びせたのは、人体を温めることでガスのまわりがよくなるからだとか。その実験結果を基に、この近くのビルケナウ強制収容所にもっと大規模なガス室が作られた。
その近くにあるこの看板(危険!高圧・死の危険)。外側に立つ人間だけを思いやるこの言葉。
ガス室・焼却炉の横には、ここアウシュヴィッツ強制収容所の長官だったRudolf Höß(ルドルフ・ヘス)の絞首刑跡も残されている。
ここにはたくさんの観光バスが駐車し、非常に多くの人々が見学に訪れていた。
この日はものすごく暑かった。冬にはものすごく寒いだろう。
その電車はこんなに綺麗な色じゃなかったと思うけど・・・
でも、この線路を見ただけで、重苦しくなってくる。
そして、行き着く先はこちら。
ドイツでは「終戦」とは呼ばない。Kapitulation(カピトゥラツィオーン)、すなわち「降伏」と呼ぶ。ドイツ降伏の日は5月8日。
ドイツにもいくつか、強制収容所が残っているけれど、ポーランドのここはそれらとは意味が違う。
ドイツ国内の強制収容所は、反ナチスの人たちを政治犯として閉じこめたところ。
でもここは、罪のない人たちを殺戮することを目的に収容したところ。
今は博物館としてすっかり綺麗な印象さえ感じるけれど・・・
ここが、大量殺戮の現場。
どうやったら少ないガスで大量に効率よく殺せるか、実験したのだという。事前にシャワーを浴びせたのは、人体を温めることでガスのまわりがよくなるからだとか。その実験結果を基に、この近くのビルケナウ強制収容所にもっと大規模なガス室が作られた。
その近くにあるこの看板(危険!高圧・死の危険)。外側に立つ人間だけを思いやるこの言葉。
ガス室・焼却炉の横には、ここアウシュヴィッツ強制収容所の長官だったRudolf Höß(ルドルフ・ヘス)の絞首刑跡も残されている。
ここにはたくさんの観光バスが駐車し、非常に多くの人々が見学に訪れていた。
この日はものすごく暑かった。冬にはものすごく寒いだろう。
いざ、追い越しの国ポーランドへ! [ポーランド]
今日からまたしばらくポーランドのお話を。
ドイツ国境の町ゲルリッツからポーランド側へ入ると、いきなり道が悪くなる。写真はたまたま綺麗な舗装だけど、多くは継ぎ接ぎだらけで、しかもタイヤの通ったあとがすり減ってへこんでいて、そして、一般道とは言え幹線道路なのに、ずーっとずーーーっと一車線。
こんな道路を、車がびゅんびゅんかなりのスピードで走るから、常にガタガタ、ぼわんぼわんはねているような印象。そして、びゅんびゅんじゃんじゃん追い越していく。4台くらいの追い越しも普通だ。みんな120キロくらいは出していて、カーブで見えなくても追い越す。前からももちろん追い越そうとしているのがいきなり出てくるし、向こうから車が着ているのに後ろから追い越していくし、運転マナーは無いと言ってもいいくらい。予めポーランド人の同僚からよーく聞かされていたとは言え、実際体験すると恐ろしいの一言。その様子を写真に撮りたいとも思ったが、怖くてそれどころじゃなかった。ルールってものが無いのか・・・それとも、このスリル満点追い越しにも何らかのルールがあるのか。これまで、ポーランド系の学生の不思議な自分勝手な屁理屈に手を焼いたことが何度かあるのだが、それはこのお国柄によるものなのか、とも思ったり。(もちろん、ポーランド系のとってもいい学生もいるけど。)
古いバスが走っている・・・これはかなり綺麗な方。後ろが壊れて黒い煙を噴きながら走っているものが多かった。
広大な畑が続く。ずーっと、100キロ単位で。
家の造りが、簡素だなあ・・・
牧歌的に見えるけど、化学肥料の臭いがすごかった。
少しずつ、チェコとの国境の山の方へ。
汚れたフロントガラス越しで申し訳ないが、雰囲気をお伝えしたくて次の写真を載せることとする。ポーランドには、幹線道路にこういう並木道が時々ある。ドイツもその昔、幹線道路の多くがこういう並木道だったそうなのだが、どんどん切り倒して太い道路を築いてしまった。ポーランドには、馬車道時代からの名残のこういう並木道が残っているのだ。
ポーランドも、EUに入って、これからどんどん発展していくうちに、並木道を太い道路に造り替えるときが来るのだろうか・・・これは、先進国側に住む人間の奢りかも知れないけれど、追い越しで恐ろしい道路とは言え、並木道を残していって欲しいなあと感じたり。
怖い道をひた走りに走って着いた山は・・・
いちばん高いところに何か建っている。そこへ行きたい、とうちのドイツ人は必死に道を探したのだけど、どうも軍事施設のようで、立ち入りする術が閉ざされていた。
ドイツ国境の町ゲルリッツからポーランド側へ入ると、いきなり道が悪くなる。写真はたまたま綺麗な舗装だけど、多くは継ぎ接ぎだらけで、しかもタイヤの通ったあとがすり減ってへこんでいて、そして、一般道とは言え幹線道路なのに、ずーっとずーーーっと一車線。
こんな道路を、車がびゅんびゅんかなりのスピードで走るから、常にガタガタ、ぼわんぼわんはねているような印象。そして、びゅんびゅんじゃんじゃん追い越していく。4台くらいの追い越しも普通だ。みんな120キロくらいは出していて、カーブで見えなくても追い越す。前からももちろん追い越そうとしているのがいきなり出てくるし、向こうから車が着ているのに後ろから追い越していくし、運転マナーは無いと言ってもいいくらい。予めポーランド人の同僚からよーく聞かされていたとは言え、実際体験すると恐ろしいの一言。その様子を写真に撮りたいとも思ったが、怖くてそれどころじゃなかった。ルールってものが無いのか・・・それとも、このスリル満点追い越しにも何らかのルールがあるのか。これまで、ポーランド系の学生の不思議な自分勝手な屁理屈に手を焼いたことが何度かあるのだが、それはこのお国柄によるものなのか、とも思ったり。(もちろん、ポーランド系のとってもいい学生もいるけど。)
古いバスが走っている・・・これはかなり綺麗な方。後ろが壊れて黒い煙を噴きながら走っているものが多かった。
広大な畑が続く。ずーっと、100キロ単位で。
家の造りが、簡素だなあ・・・
牧歌的に見えるけど、化学肥料の臭いがすごかった。
少しずつ、チェコとの国境の山の方へ。
汚れたフロントガラス越しで申し訳ないが、雰囲気をお伝えしたくて次の写真を載せることとする。ポーランドには、幹線道路にこういう並木道が時々ある。ドイツもその昔、幹線道路の多くがこういう並木道だったそうなのだが、どんどん切り倒して太い道路を築いてしまった。ポーランドには、馬車道時代からの名残のこういう並木道が残っているのだ。
ポーランドも、EUに入って、これからどんどん発展していくうちに、並木道を太い道路に造り替えるときが来るのだろうか・・・これは、先進国側に住む人間の奢りかも知れないけれど、追い越しで恐ろしい道路とは言え、並木道を残していって欲しいなあと感じたり。
怖い道をひた走りに走って着いた山は・・・
いちばん高いところに何か建っている。そこへ行きたい、とうちのドイツ人は必死に道を探したのだけど、どうも軍事施設のようで、立ち入りする術が閉ざされていた。
ポーランドの小さな町の風景 [ポーランド]
ああ、あと一日だ・・・一週間、早いような長いような。みんなだんだんと休暇モードから復活し、ようやく通常ペースに慣れてきた感じ。
今日もポーランドの話を。
チェコとの国境の山にあるのは、冬のリゾート地。
スイスの山か、と思うような可愛らしいホテルが並んでいて、避暑中の人たちでごった返していた。
そんな人たちを収容するべく、かなり大規模なホテルの建築中。
ポーランドも、やっぱりそのうちに西欧と変わらない街並みになるのかも。
そんな山をあとにして、ちょっと見晴らしのいいところで休憩。
この辺りの子どもたちがサッカーをしていた。
未来のサッカー選手たちかな?
線路を横切るときは一旦停止をするシステム。ドイツでは一旦停止する必要がなく、渡るためにちょっと減速するだけ。同じヨーロッパでも色々違ってて面白い。
たまに、町がある。ここは、めぎたちがお金をおろそうと思って降りたけど、銀行が見つからなかった町。
町はこんなに美しいのに、そして消費者金融はあるのに、銀行がない(もちろん、探し足りなかった可能性もあるけど)。両替商はあったけど、めぎたちはECカードから直接ポーランド・ズウォティを下ろそうと思っていたため、手持ちのユーロがあまりなかった。
そう、ポーランドはまだユーロではない。シェンゲンに入ったのでパスポート検査はないが、お金は両替しなければならない。2003年頃は1ユーロ=4.3ズウォティくらいだったそうだが、2008年夏は1ユーロ=3ズウォティくらい。ちなみに、消費者金融は至る所にある。お金を借りてどんどん使いましょう、という雰囲気がみなぎっている。かなり物価が高騰しているので、稼いでも稼いでも追いつかず、お金を借りる仕組みになっているのだろう。ポーランド人の同僚の話では、ポーランド生活に見切りをつけてドイツへ来ることにする人も多いとか。EUとシェンゲンに入ったおかげで、ドイツでも合法的にどんどん働けるし、そういう人はもっと増えるのかも知れない。でも、昔みたいに白アスパラの収穫といった力仕事への労働力としてではなく、きっと色々な分野へ入ってくるのだろうな。ドイツは外国籍の人間を雇うことに寛大だし。
ここは、銀行を見つけてATMでお金をおろしたところ。たぶん、Lwowekという町じゃないかな。
その町で写した、ポーランドの典型的な若い女性の格好。多くが金髪で、みんな細くて、原色の服で、長い足をいっぱい出している。カッコイイな~
上の女性たちとは関係ないが、ポーランドでは街中で売春婦を数多く見かけた。ひらひらの可愛い&セクシーな服を着て、男性に声をかける。2人一組で男性2人組に声をかけたり、1人だったり、やり方は色々。田舎道を走っていると、車道の両側に売春婦がヒッチハイクするみたいに立っていて車を止め、商談成立すると森の中のホテルへご案内するというシステムも。チェコではほとんど見かけなかったので、一括りに「東」とは言えないなあ、と実感。
今日もポーランドの話を。
チェコとの国境の山にあるのは、冬のリゾート地。
スイスの山か、と思うような可愛らしいホテルが並んでいて、避暑中の人たちでごった返していた。
そんな人たちを収容するべく、かなり大規模なホテルの建築中。
ポーランドも、やっぱりそのうちに西欧と変わらない街並みになるのかも。
そんな山をあとにして、ちょっと見晴らしのいいところで休憩。
この辺りの子どもたちがサッカーをしていた。
未来のサッカー選手たちかな?
線路を横切るときは一旦停止をするシステム。ドイツでは一旦停止する必要がなく、渡るためにちょっと減速するだけ。同じヨーロッパでも色々違ってて面白い。
たまに、町がある。ここは、めぎたちがお金をおろそうと思って降りたけど、銀行が見つからなかった町。
町はこんなに美しいのに、そして消費者金融はあるのに、銀行がない(もちろん、探し足りなかった可能性もあるけど)。両替商はあったけど、めぎたちはECカードから直接ポーランド・ズウォティを下ろそうと思っていたため、手持ちのユーロがあまりなかった。
そう、ポーランドはまだユーロではない。シェンゲンに入ったのでパスポート検査はないが、お金は両替しなければならない。2003年頃は1ユーロ=4.3ズウォティくらいだったそうだが、2008年夏は1ユーロ=3ズウォティくらい。ちなみに、消費者金融は至る所にある。お金を借りてどんどん使いましょう、という雰囲気がみなぎっている。かなり物価が高騰しているので、稼いでも稼いでも追いつかず、お金を借りる仕組みになっているのだろう。ポーランド人の同僚の話では、ポーランド生活に見切りをつけてドイツへ来ることにする人も多いとか。EUとシェンゲンに入ったおかげで、ドイツでも合法的にどんどん働けるし、そういう人はもっと増えるのかも知れない。でも、昔みたいに白アスパラの収穫といった力仕事への労働力としてではなく、きっと色々な分野へ入ってくるのだろうな。ドイツは外国籍の人間を雇うことに寛大だし。
ここは、銀行を見つけてATMでお金をおろしたところ。たぶん、Lwowekという町じゃないかな。
その町で写した、ポーランドの典型的な若い女性の格好。多くが金髪で、みんな細くて、原色の服で、長い足をいっぱい出している。カッコイイな~
上の女性たちとは関係ないが、ポーランドでは街中で売春婦を数多く見かけた。ひらひらの可愛い&セクシーな服を着て、男性に声をかける。2人一組で男性2人組に声をかけたり、1人だったり、やり方は色々。田舎道を走っていると、車道の両側に売春婦がヒッチハイクするみたいに立っていて車を止め、商談成立すると森の中のホテルへご案内するというシステムも。チェコではほとんど見かけなかったので、一括りに「東」とは言えないなあ、と実感。
ヴロツワフ(ドイツ語名はブレスラウ) [ポーランド]
夏の旅行記、本日はポーランドの小都市、ブレスラウ。
ブレスラウというのは、ドイツ語。ポーランド語ではヴロツワフ。シュレージエンという言葉を世界史か地理でお聞きになったこと、ありませんか?シレジア、ともいう。ここをめぐって、18世紀中頃、プロイセンとオーストリアが何度も戦争をした。なにしろここは、地下資源が豊富で、ポーランドの大工業地帯だったのだ。目指す町ヴロツワフは、そのシュレージエン地方の中心地だったところ。13世紀にはモンゴル人に、14世紀からはボヘミア人に、そしてその後ハプスブルクに、プロイセンに、ドイツに・・・と、800年間くらいずーっと他所の人に支配されてきたところ。
着いたのはもう日暮れ。7時くらいだっただろうか。
ビールで乾杯していたら、目の前を結婚ほやほやのカップルが!
引きずる裾も全く気にしないところがカッコイイ。
夕食を終えたのは9時過ぎ。東へ来たため、日暮れが早い。
広場では大道芸人が火を使って芸をしていた。ワンちゃんに服を着せるのって、ドイツではほとんど見たこと無いのだが、ポーランドでは流行っているのかしら?
ブレスラウというのは、ドイツ語。ポーランド語ではヴロツワフ。シュレージエンという言葉を世界史か地理でお聞きになったこと、ありませんか?シレジア、ともいう。ここをめぐって、18世紀中頃、プロイセンとオーストリアが何度も戦争をした。なにしろここは、地下資源が豊富で、ポーランドの大工業地帯だったのだ。目指す町ヴロツワフは、そのシュレージエン地方の中心地だったところ。13世紀にはモンゴル人に、14世紀からはボヘミア人に、そしてその後ハプスブルクに、プロイセンに、ドイツに・・・と、800年間くらいずーっと他所の人に支配されてきたところ。
着いたのはもう日暮れ。7時くらいだっただろうか。
ビールで乾杯していたら、目の前を結婚ほやほやのカップルが!
引きずる裾も全く気にしないところがカッコイイ。
夕食を終えたのは9時過ぎ。東へ来たため、日暮れが早い。
広場では大道芸人が火を使って芸をしていた。ワンちゃんに服を着せるのって、ドイツではほとんど見たこと無いのだが、ポーランドでは流行っているのかしら?
新旧こもごも [ポーランド]
ようやく週末だ!と思ったら、うちのドイツ人の友人夫婦が泊まりがけで遊びに来た・・・あーなんにもしないでごろごろしたかったのにな~彼らは南仏で休暇を過ごしてハンブルクに帰るところ。運転が大変なので、デュッセルドルフで一休み。
さて、今日もこの夏のポーランド旅行記の続き。
昨日のヴロツワフを出発し、さらに東へ。途中は道路工事ばかり。
こんな景色の中を高速道路が通っている。
継ぎ接ぎだらけの高速。スピード出すとぼわぼわはねる。
途中、アウシュヴィッツによって、一般道を東へ。壊れたバスの排気ガスに苦しみながらの旅。
ようやく目指す町が近づいてきた辺り。郊外はこんな建物ばかり。
辿り着いたのは、17世紀初頭までポーランドの首都だった町。昔の王宮がお出迎え。
見る角度が変わると城の印象が全く違う。
城の上へも行ってみましょ。
上から見た景色。
さて、どんな町でしょ? また明日。
さて、今日もこの夏のポーランド旅行記の続き。
昨日のヴロツワフを出発し、さらに東へ。途中は道路工事ばかり。
こんな景色の中を高速道路が通っている。
継ぎ接ぎだらけの高速。スピード出すとぼわぼわはねる。
途中、アウシュヴィッツによって、一般道を東へ。壊れたバスの排気ガスに苦しみながらの旅。
ようやく目指す町が近づいてきた辺り。郊外はこんな建物ばかり。
辿り着いたのは、17世紀初頭までポーランドの首都だった町。昔の王宮がお出迎え。
見る角度が変わると城の印象が全く違う。
城の上へも行ってみましょ。
上から見た景色。
さて、どんな町でしょ? また明日。
クラクフ(ドイツ語名はクラカウ) [ポーランド]
昨晩は友人夫婦の南仏とスペイン海岸での休暇の話を聞きながら、ワインを楽しくいっぱい飲んだめぎ♪ るるる~♪
彼らは典型的なドイツ人の休暇を過ごしてきた。一泊2人で40ユーロくらい(つまり一人当たり20ユーロ、ユース並みのお値段)の安宿に泊まり、寝袋持参でたまにテント生活も。同じ場所に1~2週間くらいは滞在し、持参した本など読みながらデッキチェアーの上でゆっくり。全部で3週間の休暇。大学生と高校生の子どもたちは、それぞれの友人と休暇を過ごし、休暇先から親の休暇先へ一週間ほど遊びに来たとか。大学生の娘はスペイン人の彼氏と彼の田舎から、高校生の息子はパリからの留学生と自転車でハンブルクからパリへ旅をし、そこから電車で南仏に来たらしい。ほんと、ヨーロッパって常にインターナショナルだなあ。
さて、昨日の王宮は、昼間に見るとこんな感じ。ほんと、いろんな時代の建築様式が継ぎ接ぎされている。
金ぴかのタマネギ。
それにしても、ああ、カトリック。
それもそのはず、ここは、このお方で有名。右の写真の方、わかります?
こちらの写真ならわかりやすいかしら。
前ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世は、法王になる前、ここクラクフの司教だった。生まれもクラクフから50キロ程度の近郊の町だとか。町のあちこちで彼の写真が飾られていて、展覧会も開かれていたようだった。
でも、お土産やさんには・・・
イコンがいっぱい。ここらへんはロシアの影響か。
そんなクラクフのシンボル、聖マリア教会。
町のあちこちから見える。
旧市庁舎の時計台からも。
その聖マリア教会では、クラクフが13世紀頃モンゴルの急襲を受けた際、ラッパでその襲来を知らしめたのだが、それをHejnał(たぶん、ヘイナウと読むんじゃないかなあ・・・)という。そのラッパ奏者はモンゴル人に射殺され(50メートル以上もある高いところまで弓矢で射貫くなんて、モンゴル人はすごい技術だったのね・・・)、ラッパの音が途中で途切れた。そのことを偲んで14世紀からずっと、今も、塔の上の窓からトランペットで毎定時Hejnałが奏でられ、途中で途切れる。
それを撮る人々♪
こちらにその音色を撮ったビデオを見つけたので、ぜひ一度どうぞ。
中は豪華絢爛。
戦争でも、ナチス本部があったため爆撃されずに残ったのだとか。でも、普通、本部があると真っ先に爆撃されそうな気がするんだけど・・・・??残って本当によかったですねえ。
この祭壇は国宝で、15世紀のファイト・シュトース(Veit Stoß)の作品。ファイト・シュトースはポーランドではヴィオット・ストウオシ(Wit Stwosz)と呼ばれている。ドイツのネッカー川沿いの村で生まれ、ニュルンベルクで亡くなった彼は、1477年から1496年までクラクフで仕事していたそうだ。
ドイツやハプスブルクの影響を色濃く受け、モンゴルやロシアにも常に影響を受け続けたクラクフ。800年も前からずーっとずーっとインターナショナルな町。それを一本に束ねたのは、ずーっとずーっとカトリック。明日はそんな町の、現代の人々の様子を。
彼らは典型的なドイツ人の休暇を過ごしてきた。一泊2人で40ユーロくらい(つまり一人当たり20ユーロ、ユース並みのお値段)の安宿に泊まり、寝袋持参でたまにテント生活も。同じ場所に1~2週間くらいは滞在し、持参した本など読みながらデッキチェアーの上でゆっくり。全部で3週間の休暇。大学生と高校生の子どもたちは、それぞれの友人と休暇を過ごし、休暇先から親の休暇先へ一週間ほど遊びに来たとか。大学生の娘はスペイン人の彼氏と彼の田舎から、高校生の息子はパリからの留学生と自転車でハンブルクからパリへ旅をし、そこから電車で南仏に来たらしい。ほんと、ヨーロッパって常にインターナショナルだなあ。
さて、昨日の王宮は、昼間に見るとこんな感じ。ほんと、いろんな時代の建築様式が継ぎ接ぎされている。
金ぴかのタマネギ。
それにしても、ああ、カトリック。
それもそのはず、ここは、このお方で有名。右の写真の方、わかります?
こちらの写真ならわかりやすいかしら。
前ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世は、法王になる前、ここクラクフの司教だった。生まれもクラクフから50キロ程度の近郊の町だとか。町のあちこちで彼の写真が飾られていて、展覧会も開かれていたようだった。
でも、お土産やさんには・・・
イコンがいっぱい。ここらへんはロシアの影響か。
そんなクラクフのシンボル、聖マリア教会。
町のあちこちから見える。
旧市庁舎の時計台からも。
その聖マリア教会では、クラクフが13世紀頃モンゴルの急襲を受けた際、ラッパでその襲来を知らしめたのだが、それをHejnał(たぶん、ヘイナウと読むんじゃないかなあ・・・)という。そのラッパ奏者はモンゴル人に射殺され(50メートル以上もある高いところまで弓矢で射貫くなんて、モンゴル人はすごい技術だったのね・・・)、ラッパの音が途中で途切れた。そのことを偲んで14世紀からずっと、今も、塔の上の窓からトランペットで毎定時Hejnałが奏でられ、途中で途切れる。
それを撮る人々♪
こちらにその音色を撮ったビデオを見つけたので、ぜひ一度どうぞ。
中は豪華絢爛。
戦争でも、ナチス本部があったため爆撃されずに残ったのだとか。でも、普通、本部があると真っ先に爆撃されそうな気がするんだけど・・・・??残って本当によかったですねえ。
この祭壇は国宝で、15世紀のファイト・シュトース(Veit Stoß)の作品。ファイト・シュトースはポーランドではヴィオット・ストウオシ(Wit Stwosz)と呼ばれている。ドイツのネッカー川沿いの村で生まれ、ニュルンベルクで亡くなった彼は、1477年から1496年までクラクフで仕事していたそうだ。
ドイツやハプスブルクの影響を色濃く受け、モンゴルやロシアにも常に影響を受け続けたクラクフ。800年も前からずーっとずーっとインターナショナルな町。それを一本に束ねたのは、ずーっとずーっとカトリック。明日はそんな町の、現代の人々の様子を。
真夏のクラクフ [ポーランド]
今日は、クラクフの現代の様子を。
まずは昼ビールで喉を潤してから出かけましょ♪
暑いから、売り子さんもやる気無いけど♪
まあ、無理せず一休みしながら♪
それにしても足長いなあ・・・
子どもは万国共通に可愛いね♪
こんな馬車に乗ると、ロマンチックな気分も一入、盛り上がっちゃうんでしょうねえ♪
馬もいたわり合ってます・・・暑いのにお疲れ様。こんなにいっぱいつけて、大変だよね。
ここは、大きな広場のど真ん中にある由緒あるカフェ。
なかは、まるでウィーン。
通りも地味ながらウィーンやプラハを思い起こさせる。
この町を一歩出ると、乱暴で殺伐とした運転やら、貧しそうな農村やら、道路工事ばっかりで渋滞だらけ&継ぎ接ぎだらけ&狭くて整備されていない道路や、やみくもに乱立している無機質な団地風のアパートやら、広大なポーランド中に広がる根の深い現実がある。でも、ここは、まるで夢の国のよう。歴史と伝統を背負っているからディズニーランドなどの遊園地とは違ってずっしり重いけど、ここにいると綺麗で楽しくて、ポーランドの現実をふと忘れてしまう。これが砂上の楼閣にならないことを祈る。
それじゃ、旧市街をちょっと出てみましょ。電車にも観光カーにも乗らないで歩いただけだけど・・・それはまた明日。
まずは昼ビールで喉を潤してから出かけましょ♪
暑いから、売り子さんもやる気無いけど♪
まあ、無理せず一休みしながら♪
それにしても足長いなあ・・・
子どもは万国共通に可愛いね♪
こんな馬車に乗ると、ロマンチックな気分も一入、盛り上がっちゃうんでしょうねえ♪
馬もいたわり合ってます・・・暑いのにお疲れ様。こんなにいっぱいつけて、大変だよね。
ここは、大きな広場のど真ん中にある由緒あるカフェ。
なかは、まるでウィーン。
通りも地味ながらウィーンやプラハを思い起こさせる。
この町を一歩出ると、乱暴で殺伐とした運転やら、貧しそうな農村やら、道路工事ばっかりで渋滞だらけ&継ぎ接ぎだらけ&狭くて整備されていない道路や、やみくもに乱立している無機質な団地風のアパートやら、広大なポーランド中に広がる根の深い現実がある。でも、ここは、まるで夢の国のよう。歴史と伝統を背負っているからディズニーランドなどの遊園地とは違ってずっしり重いけど、ここにいると綺麗で楽しくて、ポーランドの現実をふと忘れてしまう。これが砂上の楼閣にならないことを祈る。
それじゃ、旧市街をちょっと出てみましょ。電車にも観光カーにも乗らないで歩いただけだけど・・・それはまた明日。
クラクフのユダヤ人街 [ポーランド]
クラクフの旧市街を出ると、ヴィスワ川。散歩している人たちがいっぱい。
あら、警察だわ。
人間の世界は、見ていて飽きませんねえ。
川沿いに南へ歩いていくと、左側にカジミエーシュ地区が広がっている。そこにはこういう綺麗なレストランもちらっとあったりするけど・・
基本的にはこんな建物が並ぶ。
フリーマーケットの雰囲気も、独特。
ここは、このマークの人たちが住んでいるところ。
☆マーク、ユダヤ人のシンボルである。
ユダヤ人はもともとはクラクフの旧市街に住んでいた。それが、1335年に当時の大王カジミエーシュによってここへ追い出されたらしい。その名にちなんでこの地区はカジミエーシュ地区という。
また、ここは「シンドラーのリスト」の舞台となったユダヤ人ゲットーの場所。第二次世界大戦当時、クラクフに6万人のユダヤ人が住んでいたそうだが、その一部はこのゲットーに、大部分は収容所へ送られたそうだ。
古いシナゴーグを見学。ここに入るには、男性はキッパというお椀型の独特の帽子を被らなければならず、女性も肌の露出を避けなければならない。キッパとストールは入り口で貸し出されていた。
ストールはともかく、この独特の形のキッパを被るのは、キリスト教徒にはどうも居心地が悪いようだった。キッパはユダヤ教を信じていることの象徴でもあるから、違和感の度合いが非常に高いのだろう。カトリックの聖職者はこれと似たズケットという帽子を被る。ローマ法王の写真でも、白いズケットが写っているが、聖職者の位によって被ってよい色が決まっているとか。
席の後ろには仕切りがあって、その向こう側が女性席。
祭壇は意外に小さい。
なんて書いてあるのかな・・・
シナゴーグの横にはお墓がたくさん。ここを見学するのにも、例のキッパやスカーフが必要。
シナゴーグをあとにし、壊れた壁や窓が多いこの地区を歩きながらふと見上げると、ベランダに花。
灯りも。
ここにも人の生活があるのだ、ということを想う。
あら、警察だわ。
人間の世界は、見ていて飽きませんねえ。
川沿いに南へ歩いていくと、左側にカジミエーシュ地区が広がっている。そこにはこういう綺麗なレストランもちらっとあったりするけど・・
基本的にはこんな建物が並ぶ。
フリーマーケットの雰囲気も、独特。
ここは、このマークの人たちが住んでいるところ。
☆マーク、ユダヤ人のシンボルである。
ユダヤ人はもともとはクラクフの旧市街に住んでいた。それが、1335年に当時の大王カジミエーシュによってここへ追い出されたらしい。その名にちなんでこの地区はカジミエーシュ地区という。
また、ここは「シンドラーのリスト」の舞台となったユダヤ人ゲットーの場所。第二次世界大戦当時、クラクフに6万人のユダヤ人が住んでいたそうだが、その一部はこのゲットーに、大部分は収容所へ送られたそうだ。
古いシナゴーグを見学。ここに入るには、男性はキッパというお椀型の独特の帽子を被らなければならず、女性も肌の露出を避けなければならない。キッパとストールは入り口で貸し出されていた。
ストールはともかく、この独特の形のキッパを被るのは、キリスト教徒にはどうも居心地が悪いようだった。キッパはユダヤ教を信じていることの象徴でもあるから、違和感の度合いが非常に高いのだろう。カトリックの聖職者はこれと似たズケットという帽子を被る。ローマ法王の写真でも、白いズケットが写っているが、聖職者の位によって被ってよい色が決まっているとか。
席の後ろには仕切りがあって、その向こう側が女性席。
祭壇は意外に小さい。
なんて書いてあるのかな・・・
シナゴーグの横にはお墓がたくさん。ここを見学するのにも、例のキッパやスカーフが必要。
シナゴーグをあとにし、壊れた壁や窓が多いこの地区を歩きながらふと見上げると、ベランダに花。
灯りも。
ここにも人の生活があるのだ、ということを想う。
旅の楽しみ=ビール♪ ポーランド編 [ポーランド]
夏休みのポーランド旅行記もそろそろお仕舞い。今日は旅先での飲食をまとめてご紹介。と言っても、行き当たりばったりで適当に食べているので、もういったいどこの何というレストランだかも分からず。
まずは、1泊したヴロツワフの夕食。暑かったので、冷たいビールが感動的に美味しい♪
めぎが食べたのは鴨だったと思う。下に敷かれているのはリンゴの輪切り。付け合わせはもちもちっとしたジャガイモのすいとんを切って揚げたようなもの。
次に、クラクフ。2泊3日の滞在。まずは昼ビール♪
グラスに目盛り。ドイツと同じ。
こんなバールでも、軽食が美味しい。
こちらはどこかのバールでの昼ビール♪
赤いスープは赤ビートのバルシチで、甘酸っぱい。揚げ物2本はなんだったっけ・・・
こちらはピエロギ。餃子みたいで美味しい。
クラクフ最後の夜は、カジミエーシュ地区、すなわちユダヤ人街のレストランで。場所は右端の白いお店。
またもやビールで乾杯し・・
前菜に2人でレバー料理を食べ・・・
めぎはガチョウさんを、
うちのドイツ人は・・・なんだっけ?
ここは満席状態だった。隣のレストランはがらがらだったのに。味はまあまあ。最初のレバーが一番美味しかったかな。
デザートは、甘くて甘くてほとんど食べ残し。うちのドイツ人に経験として一度食べてみるように言われて頼んだけど、めぎには無理。不可能。ごめんなさい。
どこへ行ってもビールが美味しかった♪ 一年分ビールを飲んだって感じ。デュッセルに帰ってきてから一度もビール飲んでません。だって、すっかり寒くなっちゃったんだもの。
まずは、1泊したヴロツワフの夕食。暑かったので、冷たいビールが感動的に美味しい♪
めぎが食べたのは鴨だったと思う。下に敷かれているのはリンゴの輪切り。付け合わせはもちもちっとしたジャガイモのすいとんを切って揚げたようなもの。
次に、クラクフ。2泊3日の滞在。まずは昼ビール♪
グラスに目盛り。ドイツと同じ。
こんなバールでも、軽食が美味しい。
こちらはどこかのバールでの昼ビール♪
赤いスープは赤ビートのバルシチで、甘酸っぱい。揚げ物2本はなんだったっけ・・・
こちらはピエロギ。餃子みたいで美味しい。
クラクフ最後の夜は、カジミエーシュ地区、すなわちユダヤ人街のレストランで。場所は右端の白いお店。
またもやビールで乾杯し・・
前菜に2人でレバー料理を食べ・・・
めぎはガチョウさんを、
うちのドイツ人は・・・なんだっけ?
ここは満席状態だった。隣のレストランはがらがらだったのに。味はまあまあ。最初のレバーが一番美味しかったかな。
デザートは、甘くて甘くてほとんど食べ残し。うちのドイツ人に経験として一度食べてみるように言われて頼んだけど、めぎには無理。不可能。ごめんなさい。
どこへ行ってもビールが美味しかった♪ 一年分ビールを飲んだって感じ。デュッセルに帰ってきてから一度もビール飲んでません。だって、すっかり寒くなっちゃったんだもの。