タリンへ [エストニア]
新年度が始まるまで一週間を切り、ぼちぼちと仕事が始まった。めぎともう一つ別の教科が落第点をつけた生徒の進級をかけた追試をするか否かとか、来年度の時間割とか、教科書の準備とか、ああ始まったなあ・・・という感じ。一年はあまりにも長く、次の夏休みまでの一年間を思うと気が遠くなる。実際は一年ってあっという間なんだけどねえ・・・月日が過ぎるのはあまりにも早くて、いろんなことをつい忘れちゃうし。そういえば、一ヶ月前にこのブログは5周年を迎え、6年目に突入していたのだけど、お葬式のごたごたですっかり忘れていた。そして月末にはめぎがドイツに住み始めて10年目に突入していたのだけど、それも旅行中で忘れてた。こうして数字を並べると、ドイツ滞在はまだ大して長くないけど、ブログは相対的にずいぶん長い間やってますわねえ。
今日からエストニアの旅行記を。出発したのは月がこんな形の日。
朝4時に起きて5時に出発し、デュッセルドルフから北西へアウトバーンを30分ほど走って着いたのがこちらの空港。大きな駐車場に車を置いて、一週間40ユーロ。(1ユーロは9月1日現在110円弱)
格安航空会社専用のWeezeという小さな空港。場所はこちら。デュッセルドルフから結構離れてるでしょ。もうほとんどオランダって感じ。
タリン行きのルフトハンザなどは結構高く(片道180ユーロくらい)、このRyanairというのだとなんと片道45ユーロだったのだ。
安いだけあってスーツケースを預ける場合もお金がかかるし、機内サービスは飲み物も食べ物も全てお金がかかるけど。音楽などのサービスもないし、機内には雑誌もなかった。めぎ家は搭乗前に水を買い、おにぎりとトンカツをお弁当にして持ち込んだのだった。(そんなものはどこにも売られていないから、トンカツは前日に作り置き、おにぎりは4時起きして作った。こういうとき、日本のコンビニが懐かしい。)
さて、2時間くらい飛んで無事にタリン空港に到着。空港から市街地まではタクシーで7ユーロ弱。近いわ~安いわ~これはタクシーの車内から。
おお!トラム、ずいぶん古そうで可愛いわね~~あら、ずいぶん軽装・・・夏って感じ!暑いってこと?(いい写真じゃないけど、めぎのウキウキ気分をお伝えしたくてこのまま載せる。)
あっちの方が旧市街なのね。
こういう建物も結構目についたけど。
旧ソ連ということで、私は数年前のルーマニアのような風景を思い描いていたのだが、タリンはブカレストと比べてずっとこざっぱりとしていてずっと秩序だっているという気がした。車の運転も非常に秩序正しいし、街頭に物売りがいない。人々の服装も裕福ではないけれど小綺麗だ。ブカレストでは子供や老人の物乞いもたくさんいたけれど、タリンにはそれも全く無かった。
あら、ガソリンが・・・
ずいぶん安いわ~ドイツでは1リットル1.6ユーロくらいするのに、ここは1.3もしないのね。ドイツはやっぱり税金が高いんだわ・・・
そんなこんなとホテルに無事に到着し、早速散策へ。あら、ハーゲブッテですわ♪ 北国って感じね~
ロシア正教会の木造の小さな礼拝堂とガソリンスタンドをバックにしたこの旧式のガソリンメーターとこの車は、オブジェ?
壊れた古い倉庫を改築して再開発しつつあるところ。
北欧風の建物もちらほら。意外と木造が多いのにびっくり(ドイツではほとんど見かけないので)。この崩れかけたお家は使われているのかいないのか、微妙ね。
そして、いよいよ旧市街の方へ。
ドイツみたい。
たしかヴィル門という旧市街の入り口。ね、みんな夏みたいでしょ。たぶん25℃くらいだったのだと思う。カラッとしてて日陰だとちょっと肌寒く、日が当たるとかなり眩しかった。
今ちょうどこの辺。
つづく。
一番心に残った通り [エストニア]
現在8月後半のタリン旅行記を連載中。
昨日のヴィル門から旧市街に入ると、人がいっぱい!これは、入ってすぐ右に伸びる城壁を見たところ。
このヴィル通りとやらをまっすぐ行くと、旧市街の中心、つまり旧市庁舎のある広場に出るらしい。
でも、こんなにいっぱいの観光客を見ると、この通りをまっすぐ一緒に行きたくない。きっと広場はとんでもなく人がいっぱいなんだろう。平日なのになんという人出。夏休みだとは言え、ちょっと多すぎない?この旧市街が世界遺産になった影響かしら。(そう思うと富士山にも鎌倉にも世界遺産になって欲しくないなあ。)
そんなわけで人混みを避けてこんな裏通りへ左折。ほら、すごく魅力的でしょ♪
この通りは、めぎが最初に向かいたかったトームペアという高台の地域の方向だったからという理由で何も知らずとにかく人混みを避けてつい曲がってしまっただけだったのだが、いろんなことがめぎには非常に魅力的で、タリンで一番思い出に残っているところは?と聞かれたら、めぎ的には絶対にここ!
まず目についたのがこの倉庫のクレーン。
ハンザ都市のハンブルクやリューベックと同じ。タリンは中世(13世紀から16世紀頃まで)にはReval(レファル)という名前のハンザ都市の一つで、この辺りの建物はその時代のもの。つまり、商人の倉庫を兼ねた建物で、倉庫は上にあってこうしてクレーンで引き上げていたのだ。
街中のたいていのクレーンは跡しか残っていなかったのだが、ここにはまだロープが残っていた。
いかにも倉庫という感じの建物。
入り口も味がありますわ♪
あら、でも、鍵はずいぶん新しいわね。
人も出入りしていて、この辺りは今も倉庫として、または住居として、またはお店として生きているらしい。
ちょっと覗いてみたら、丸いトンネルのような天井には馬をつなぐためのものがあり、ずいぶん崩れたような昔の建物をそのまま使っているようだった。
世界遺産の旧市街にこんな通りがあろうとは。
いや、こういう建物とこういう生き方が残っているからこそ、世界遺産なのかも知れないな。
そして、このピンクの建物は・・・
なんと14世紀にはサウナだったんですって!
この歴史にちなんでこの通りはサウナ通りという名前がつけられていて、この建物の住所はサウナ通り6番なのである。
へえぇ~~と改めてしげしげと見ると、これまたずいぶん趣のあるドアですわねえ。
この呼び鈴、押してみたかったわ。
でも、現在も住居として使われているようだったから、もちろん押さなかったけど。
ね、魅力的な通りだったでしょ♪
この通り、これだけじゃ終わらないの。続きはまた明日。
今日の通りはこちら。
♪ おまけ ♪
ドイツ、6対2でオーストリアを破り、EURO2012の予選を一番乗りで突破!写真はARDから。
ベテランも若手もみんなゴール。よかったよかった♪
コーカサス料理など [エストニア]
現在8月後半のエストニア旅行記を連載中。
ここは昨日ご紹介したタリンのサウナ通り。
もう少し先には、レストランが。
可愛い看板♪
このレストラン、コーカサス料理のお店ですって。
でも、コーカサス料理って、どんなの・・・?と見てみると、一つのメニューが4カ国語で書いてあった。むむ、マトンのカルパッチョって、どんなのかしら~食べてみたいわ!
というわけで、滞在中(最初にこの通りを歩いてから4日目くらいの夜)、日本からめぎと同じくここへ出張してきていた研究者さんを誘ってこのレストランへ。
エストニア旅行記で初っ端からコーカサス料理の話をするのもなんだけど、サウナ通りの話だからどうぞおつきあいを。
グルジアのワインに、コーカサス地方のミネラルウォーター。ワインはスペインのワインに似た感じの、太陽いっぱいの味。めぎ好み♪ ミネラルウォーターはミネラルがありすぎて、かなりキツイ。そうだなあ、温泉水を飲んでいるような感じかしら。
念願のマトンのカルパッチョを食べためぎ。でも、上にチーズと葉っぱが乗ってて、マトンが見えないわね。タタキって感じで、臭みは全く無く、牛のタタキみたいに美味しく食べちゃった♪
↑向こうに写っているのはうちのドイツ人。めぎは出張を兼ねてるけど、彼は全くの休暇。楽しそうで何より・・・彼が食べてた前菜は羊の挽肉のワインの葉っぱ包み。研究者さんは野菜サラダ。3人で取った前菜盛り合わせには豆やらクスクスやらが。
メインも羊さん。焼きトウモロコシ添え♪
これ、こんな悪魔みたいな格好をしたおじさんがみんなの前でブランディーかけてフランベのパフォーマンスしてくれるの。
楽しく食べて、楽しくおしゃべりして、楽しい夕べでございました♪ エストニア料理についてはまた後日。
さて、まだサウナ通りのお話は続く・・・通りの突き当たりにはこんなお店が。
ショーウィンドウには、何やら魅力的なものが。
この皮にうちのドイツ人がすっかり魅せられて購入。いえ、もちろん、全部じゃなくて一枚だけよ。でも、かなりの大きさだったなあ・・・その大きい立派な皮が80ユーロという安さにもびっくりしたけれど。めぎは見たとき200ユーロはするだろう、下手したら300かしら、と覚悟したのだけど、ちょっと拍子抜け。
え?皮を何に使うかですって?それはもちろん本の表紙にするためよ~でも、買った皮の大きさを考えると、本が10冊はできそうだわ・・・ドイツであれだけの皮を買うととんでもないお値段になるから(革装の本の値段を思えば、一冊分のお値段で10冊分仕入れたってことよね)、本当にお買い得。でも、今特に作ろうと思っている本はないはずなのだけど、いつかDIYシリーズに載る日が来るかしらね。
ところで、昨日から今までご紹介してきたのは、通りの向かって左側に並ぶ建物。
向かって右側には実はエロティックなお店が並んでいたの。ここは端っこのお店。
こんな感じのサービスが受けられるみたい。
サウナ通りって、つまりはそういうことでもあるわけね。
♪ おまけ ♪
昨日のドイツの試合の5分間ハイライト・ダイジェスト。最初にドイツ・テレコムのCMが入る。-1.11くらいのところから数秒間のヨギが好き♡ 喜びだけじゃなく怒りもこうして身体で表現する彼が好き♪
Highlights: Deutschland vs. Österreich
対するオーストリアの選手たちの7人はドイツのブンデスリーガでプレイしている人たちなんですって。場所はドイツのゲルゼンキルヒェン(デュッセルドルフの近く)で、日本人ウシダ(ウチダのこと)がプレイしているシャルケのスタジアム。最初のゴールをしたのはオェーズィルかクローゼか議論になったけど、クローゼということに決まったらしい。喜ぶヨギは脇汗が目立ってるわね~2点目はオェーズィル。レアル・マドリッドでプレイする彼は一人だけ別世界の人のようにうますぎる。このETのようなちょっとかげりのある彼がめぎは好き。3点目はめぎの愛するポルディちゃん。彼はここのところナショナルチームの試合で5試合以上ゴールできておらず、今回得点できなかったらスタメン外される可能性が高かったので、よかったよかった。その後オーストリアがゴールし(3点も取って気が抜けたところをやられたという感じ・・・だめねえ♪)後半へ。後半の始めにまたもやオェーズィルがゴールし、その後ハンブルク出身で今シュトゥットガルトでプレイしているオーストリアの選手がゴールし(このゴールはなかなかにうまかったと思う)、完全主義者のヨギがここで怒鳴り散らし、それから選手交代して出た若手のシュルレがゴール、さらにめぎの愛する(めぎはサッカーに関しては気が多い)19歳のゲッツェちゃんが残り6分くらいのところで交代してすぐにゴール。この素晴らしい運動能力に脱帽。最後の2ゴールのアシストをしたミュラーは、去年のワールドカップのときには新星にして得点王というラッキーボーイのような役割だったけど、21歳にして早くも次の世代のアシストをする側にまわっているなんて(ワールドカップのときもアシストは素晴らしかった)、ドイツはなんて層が厚いのだろう。以上、オェーズィルの素晴らしさに加えて若手の充実度を満喫できて、1試合に6ゴールも見ることができるなんて、楽しかった~♪ 今後、これだけの多才な選手たちを抱えてどうスタメンを組み立ててどんな戦術でゲームするようになるか、ヨギの手腕に期待するめぎ。しかし、今からこんなに強すぎて、来年のEURO2012までこの勢いが保つのかしらねえ。
・・・ドイツ・ナショナルチームのこととなると、語り出すと止まらないめぎ♪ これでもずいぶん端折ったんだけど。
死の舞踏 [エストニア]
現在8月後半のエストニア旅行記を連載中。
サウナ通りの俗を楽しんだところで、今度は聖なるところへ参りましょ。タリンにはたくさん教会があるけれど、めぎが是非とも行きたかったのはこちら。ニグリステ教会(聖ニコラウス教会)
なかなか古そうな建物は13世紀に由来するとか。ここも戦争で爆撃されたけど、残った外枠はそのまま使ったらしい。
入り口はこちら。
よく見ると・・・入り口に書かれているのはドイツ語!
それもそのはず、この教会は13世紀にドイツ商人の居住区の中心に建てられたとのこと。創世記の一節で、ここが天国への入り口、と書かれてますわ。
でも、今はここは天国への入り口どころか教会でもなく、博物館。中に入るのにお金がかかる。大人一人3.2ユーロで、意外と高い印象。入り口のところにカメラに大きくバッテンマークがあって、そっか~撮影は駄目なのね、とクロークで荷物を預けるときにカメラを鞄に入れようとしたら、フラッシュ無しなら撮影OKですよ、とクロークのおばさんに言われた。あれれ、あのマークじゃそれは分からなかったなあ・・・で、有り難くカメラを持ったまま入場。入ると教会らしい雰囲気。
でも、壁には博物館らしき雰囲気。
この方・・・
地球を背負って重いでしょうねえ。(地球だよね?)
教会の色々なお道具も。
こういうところには必ずある中世の宗教画。
めぎがいつも見るポイントは遠景。
↑磔自体は約2000年前にエルサレムで起こったはずだけど、遠景には絵が描かれた16世紀の町の様子が描かれている。人々の服装も、色々な道具も、16世紀の街並みが見られるのが面白い。
この主祭壇はこの博物館のお宝の一つ。
リューベックの職人ヘルマン・ローデによって15世紀に描かれたもの。一世紀後の描き方とずいぶん違うわね。漫画みたい。15世紀の街並みや道具や服装、面白いわね。左側には天使がもう迎えに来てるわ・・・
こうして遠景を見比べると、キリスト教に興味が無くても、宗教画をちょっと楽しめる。
こうしていくつかをじっくりと、多くはさらっと眺めてめぎのお目当ての絵へ。
それは、死の舞踏。
「死の舞踏」という言葉を最初に聞いたのは子供の頃、リストのピアノとオーケストラの作品を習ったとき。数あるリストの曲の中でもめぎはこれが一番好きだった。次に「死の舞踏」に直面したのは、リストの作曲のきっかけとは全く関係ないものだが、約10年前のリューベック。リューベックの教会で、15世紀のベルント・ナトケの主要作品の一つだった「死の舞踏」が1942年に英国軍によって爆撃され焼失してしまったという説明を読んだときだった。ちなみにこのタリンのこの教会だって、爆撃されてこんな姿になっていたらしい。
ナチス・ドイツがしたことはもちろんとんでもない。でも、だからといって、これだけの芸術を、これだけの人類の遺産を、爆撃して焼失しても良いということにはならない。戦争末期には戦勝国側にもモラルが相当に欠けていたのだな、と思うことが、ドイツに来てから多々目につくようになった。「死の舞踏」はその一つ。リューベックのはそのようなわけでもはやこの世に存在しないが、いくつかコピーがあり、タリンに4分の1のがレプリカとしてあるというのだ。それも、作成者ナトケの手による作品として1500年頃完成したものらしい。空襲に備えてどこかに疎開させてあったのね。タリンに行くからにはそれだけは是非、と見に来たのである。
この絵画も当時の階級ごとの服装などがよく分かって面白い。一つ一つの人物像の下に何やら文字が書かれていて、どうやらその人物の言葉のようだ。こんなところにも漫画的要素があるなんて。最初の言葉を見て、うちのドイツ人が「北ドイツの言葉だ~」と嬉しそうに読み出した。普通のドイツ語じゃなくて、大学のドイツ文学科で習う中高ドイツ語(中世のドイツ語)でもなくて、本当に北ドイツの方言で書かれている。ナトケが北ドイツの人だというのがこれでよく分かる。
めぎには全部は分からない。うちのドイツ人もときどき想像・解読しながら読んでいた。意味はこちら。最初の人物は伝道者。
ゆっくりと堪能して、ここを後にした。そうね、誰もがいつかは死ななければならない。うちのドイツ人も、めぎも、いつか必ず死ぬのだ。そして、こうして踏まれて土に還っていくのだ・・・どんなにどんなに一生懸命生きても、どんなに成功しようとどんなに貧乏になろうと、その運命は変えられないのよね。今元気な自分がそれを想像しても嘘のような気がするけど、でも本当のことなのよね。その日まで、どう生きていこうかしら。
めぎの祖国とめぎの愛するドイツが、今後こんな愚かな爆撃をすることがないようにと祈っている。
♪ おまけ ♪
先週金曜日の試合前後にヨギたちがデュッセルドルフのホテルに滞在していることは知ってたけど、試合翌日の土曜日に、ヨギったらこんなところに!
ここはうちから歩いて3分くらい・・・あーん、めぎも散歩に行くんだったな~~~~!
・・・めぎはこの通り、とーっても俗な人間である。
タリンの中央市場 [エストニア]
現在8月後半のエストニア旅行記を連載中。まだタリンの旧市街はサウナ通りを歩いただけで綺麗な街並みはご紹介していないのだけど、それは「めぎはいまここ」でちらっとお見せしたことだし、めぎがサウナ通りの次に思い出に残る場所を先にご紹介することにいたしましょ。
うちのドイツ人がめぎの仕事中に地図やトラム路線図を見て検討し、是非行きたいと言い出したところ。それはKeskturgというところ。
↑見つかりました?二つの飛行機マークに挟まれた右側の停留所。
なんでも彼が言うにはKeskturgというのは中央市場という意味だそうで(なんでそんなこと知ってるのかしら・・・ドイツ語とも英語ともフランス語とも全然違うのに)、そこに市場があるに違いない、行ってみよう!と誘われ、お昼にそこへ。本当は仕事先でお昼も出たんだけど、めぎはそれをご一緒せずに外出。ま、市場は是非見てみたいしね♪ それで、こんなトラムに乗って・・・
こんなところで降りて・・・
ちょっと歩くとこんな住宅街があって・・・
その横から市場が広がっていた。スイカはドイツにあるのと同じタイプ。
あら、キノコだわ♪
このキノコはドイツ語でPfifferlingといって、ドイツでも今が時期のはずなんだけど、ここにもあるのね~美味しそう。でも、エストニアはチェルノブイリからまっすぐ雲が流れてそこで雨が降った地域だそうで、この辺りのキノコの安全性に未だ懐疑的な意見もあるとか・・・その真偽はともかく、これほど長い間安全面からも風評面からも影響があるこの前例を、めぎは聞くのが辛かった。
市場の中に入ると、そこにはなんでもあった。
あの、平たい桃もあるわ~レモンのようなここでは採れないものもなんでも豊富に売られている。
そうね、ここがソ連じゃなくなってもう20年。しかも、EUに入り、シェンゲンにも入り、2011年からはユーロまで導入されたところ。ヘルシンキとのつながりも深く、最近はタリンとヘルシンキをあわせてタルシンキと呼ばれたりもするとか。ここはすっかり西側の町になったのだろう。でも、ここで聞こえてきた言葉の大半はロシア語。エストニア語でもフィンランド語でもなくロシア語。すごく険しい顔をしたロシア系の顔つきの腰の曲がったおばさんが野菜を売っていたり(写真を撮らせてくださいとお願いすることが躊躇われたほど険しい顔つきでぎょろっと睨まれたので、その写真はない)。第一次産業にはロシア系の残留者がまだいっぱいいるということなのだろうか。
さてさて・・・野菜売り場の片隅にこんな塩漬け?干物?もあった。ちょっと心惹かれたなあ・・・
この市場には魚売り場もあったけど、それはずいぶん小規模でこんな感じでがっかり。この国はせっかく海に面しているのに魚の食文化はあまりなく、塩漬けや燻製がほとんどだった。バルト海ってあまり魚の種類が多くないのかしらね。
こんな大きなマーケットみたいなところにはハムやソーセージなどの加工品がたくさん売られていた。地下には生肉コーナーが広がっていたがその写真は無し。
うちのドイツ人がおやつにナッツ類を少々買っていた。
市場で新鮮なものをちょっと何かつまめることを期待してきたんだけど、どうも特にそういうお店はないようね・・・
で、市場の端っこにあったこういうコーヒーショップに入ってみた。
中は、昭和のレトロみたいな感じでしょ♪
中ではピザやパンなども売られてるし・・・
調理したものもあるようだ。
そこで、一枚80セントくらいの白身魚のフライ(二人で一枚を食べた)と一枚50セントのカナッペを二枚買ってみた。フライは電子レンジで!温めてくれた。コーラの値段は忘れちゃった。それにしてもなんて安い・・・50セントは50円とお考えを。ね、安いでしょ。一般庶民は普通こういう値段でこういうのを食べているってことかしら。
カナッペの魚は鰺のような鰯のような感じで、塩漬けになっていた。まあまあでしたわよ♪
これで市場の話はお仕舞い。品揃えはドイツの大きな町のマルクト市場とほぼ同じ感じで、これといって是非買ってみようと思うような珍しいものはなく、首都の中央市場にしてはちょっと小規模のような気もした。これが10年後にはもしかしたら建て替えられて、大きなショッピングセンターになっているのかも知れないな。そして、腰の曲がったおばさんの姿は消え、若い売り子さんばかりになるのかも知れないな。そしてそして、一枚50セントの衛生上大丈夫なのかなと思うような手作りカナッペはなくなって、清潔そうな工場生産のハンバーガーショップや世界中どこにでもあるコーヒーショップになっているのかも知れないな。
ちなみに街中の普通のスーパーはこんな感じ。雰囲気も品揃えもシステムも、ドイツの大型スーパーと何ら変わりがない。ユーロで買い物ができちゃうわけで、もちろんとっても便利だけど、なんだかあんまり遠くに来た気がしない。
ところで、左がドイツのユーロ、右がエストニアのユーロ。ユーロのコインは表はどこも共通だけど裏側は各国違うというのは旅行好きの方ならきっとご存じのこと。だけど・・・
表側の1ユーロと描かれた面のこの差をご存じの方は少ないんじゃないかしら。左は2002年のユーロ、右は2011年のユーロ。右のEUROという文字に重なった東欧の部分や上の北欧の部分、形が左と違うでしょ。ちょっと黒っぽく写っているのが見えます?この間にユーロ圏がこれほど広がったのね。
旧市街散歩 その1 タリンの山の手へ [エストニア]
今日からまた8月後半のエストニア旅行記を再開。旧市街をゆっくりと一回りいたしましょ。
スタート地点はこの大きな広場。Vabaduse広場というらしい。元は駐車場だったところがつい最近再開発されて綺麗になったところなのだとか。
場所は旧市街の南に隣接するところ。ほら、下の地図では駐車場として写っている。
この丘にこの横の階段から登る。地図に依れば、この階段沿いに日本大使館があるらしい。
階段の途中から見下ろした景色。もっと登ると現代建築が向こうに広がっているのだが、ここでは真ん中にちょこっとガラス張りの高い建物が見えているだけね。
丘の途中には薔薇のようなハーゲブッテのような花が。ハーゲブッテもバラ科ですものね。
登り切ると素敵なカフェがあった。
少し進むと古い城壁が見えてきた。その前に広がる緑の上ではアーチェリーが。
なかなか立派な城壁ですわね~
その城壁の向こうへいってみると・・・
旧市街へ直接下る道があった。
話は数日後に飛ぶが、その道を上がってみた日もあった。
そのときは、上った辺りの喫茶店で休憩。
こんなブーツが目印の可愛い喫茶店。ブーツ印の植木鉢をひっくり返したようなものは灰皿。
見上げるとそこにもブーツの看板が。
ちょうど向かいにも可愛い喫茶店。
ここでお茶をしていたとき、中国人の団体がやってきた。男性ばかりのグループを引き連れているのがこの赤い鞄と赤いベルトと赤いブーツのお姉さん。おじさんたちを笑わせて、なんて言っているのかまるで分からないけど、とてもにぎやかで楽しそうだった。
さて、丘の上の散策を続けましょ。まずどどーんとそびえているのはロシア正教会。エストニアが長いことロシアやソ連に支配されていたことを物語る。
そういえば、ロシア系のかなり恐そうなおじさまと、金髪の若い女性とのカップルも結構目についた。右に写っている男の子はこの二人の子供。
そんなふうに人々の様子も見ながら散歩は続く。
♪ おまけ ♪
夜8時半頃、仕事を終えたらしい彼女を旧市街で発見!
お疲れ様でした~
旧市街散歩 その2 展望台 [エストニア]
今日もタリンの散歩は続く・・・
こんな道を歩きながら・・・
向こうに見える大聖堂は1778年(たぶん1772じゃなくて1778だと思う・・・ハッキリとは分からないが、Wikiで歴史を読んでたぶん1778だと推測)と書かれているが・・・
それは17世紀に火災で焼失したものを再建した年のことらしい。もともとは13世紀に建てられたそうで、再建の際にもその土台を再利用しているのだとか。
てっぺんまで上れるようになっているのね・・・ぴかぴか輝いているけど、誰かがここを上がって掃除しているのかなあ。怖いなあ。
突き当たりのこんなところを左に曲がると・・・
最新式の公衆トイレがあった。並んでますわね♪ 後で人がいなくなってから使ってみたけど、たしか一回20セントくらいで、一回ずつ自動的に清掃がなされてて、中は清潔だった。
その辺りに展望台があって、ようやく海が見えた。
平らな土地ねえ。
こんな平らな土地でここだけこんな高台になっているということは、当然昔からここに城や教会が造られ、支配者がここにいたということ。ベルギーのブリュッセルもそうだが、支配者は高台に立派な城や宮殿を築き、下町の市民を見下ろしていたのだ。
今いるところはここ。
タリンの高台にはいくつか展望台があって、今は一般市民もそこから眺望を満喫できる。次の展望台を目指してまたこんな道を歩き・・・
こんな可愛いおみやげ屋さんの建物の向こう側に出ると・・・
今度は海だけじゃなくてタリンの旧市街が見えた。
キリスト教の教会とロシア正教会が並ぶ町。
城壁と塔はドイツのどこかの古城のよう。
めぎのいつもの屋根ズームアップ。タリンの屋根は新旧色々材料も色も違うのね。煙突さんが可愛いな。
旧市街の外には団地や工場の並ぶ街並み。
結構大きな船だなあ・・・どこへ行くのかな。ヘルシンキかな、ストックホルムかな、ドイツのキールかな。乗りたいなあ♪
カラフルなあの船は、ヘルシンキ行きらしい。
うーん、こんな青空の下、ぜひぜひ船に乗りたい!よし、滞在中に絶対にヘルシンキへ行こう!とここで決めためぎ家だった。そのお話はいつの日か追い追いに。
ところで、この高台はこんな崖の上。
崖は石灰岩でできていて、結構浸食されてますわ・・・
こちらの展望台はここ。
こうして景色を楽しんだ後、このおみやげ屋さんの建物の辺りを戻って、さらにもう一つの展望台へ移動。
散歩はまだまだ続く。
旧市街散歩 その3 もう一つの展望台 [エストニア]
現在8月後半のエストニア旅行記を連載中。昨日の公衆トイレの自動清掃だが、あのトイレの個室全体が締め切られて全シャワーされる感じ・・・洗車のイメージかな。説明をWiki(日本語)で見つけたので、説明はどうぞこちらを。
今日は昨日に引き続き、タリンの丘の上からの眺めをどうぞ。
タリンの丘の上にはいくつか展望台があるが、たぶんここが一番有名なところじゃないかと思う。
ほら、観光客向けの可愛いお店が♪
眺めも最高!
昨日見たのとは別の大きな船・・・あんな大きな船が何隻も泊まれるような港があるのね。
ヨットハーバーみたいなところも♪
めぎの一眼レフはパノラマ機能がないので、全体像を部分撮り。ここまでの写真は下の左側の部分。
今度は右側を・・・
ズームアップ!
どこだか分かった?
さて、ここは観光客がいっぱいで、上の写真を撮るために場所を確保するのが結構大変。記念撮影しようとするともっと大変。
その手前にはこんな空間が広がってて・・・
タリンはドイツと同様、若い女性の喫煙率が高かった。
ドイツはちなみに16歳から喫煙OK。だから、高校生もタバコを吸う。校内では禁止だが(教師も校内では禁止)、休み時間に外で吸っているのをよく見かける(教師も外へ吸いに行く)。ヨーロッパのたいていの国は18歳から。エストニアが何歳からなのかは知らないが、たぶん16か18だろう。
この展望台の場所はこちら。
丘の上の散歩と景色を堪能し、そろそろ旧市街の下町へ降りることにいたしましょ。
似顔絵を並べた若い女性の絵描きさんたちがこの通りにいっぱいいたけど、めぎはこの方と風景画に心惹かれた。
ふと見上げると・・・
さっきまでいた展望台が♪
このあとどうする?○○はどっち?こっち?という日本語が聞こえて、うちのドイツ人が嬉しそうに「日本人がいる♪」とめぎに教えてくれた。仲良しのお友達同士で海外旅行かしら。めぎがこの年齢の頃は、まさかエストニアに旅行できるようになるなんて、考えたこともなかったな。
ここまで一つになったEU。頑張ってこの良さを維持して欲しいなあ。
旧市街散歩 その4 旧市役所の辺りと路地裏 [エストニア]
現在8月後半のエストニア旅行記を連載中。今日は丘の上から降りて下町へ入るところ。
下へ降りると人がいっぱい!
降りたところからすぐに町の中心にあるこの広場に出る。
うわあ、観光客向けのお店がいっぱい!
陽射しがいっぱいで、日傘の無い席はがらがら。
あの端っこの細い建物、可愛いな。
こちらの端っこには・・・
1422年からの薬局が。
そんな広場には旧市庁舎もあって、こんなのや・・・
こんなのがくっついていた。
この広場はこちら。
広場はあまりにも人が多くて、めぎはすぐにここを退散。北の方へ、人のいない方へ歩いていくと、こんな魅力的な曲がり角が。
曲がっていくと、さらにこんなところに出る。
その横には野外劇場のような、野外博物館のような。
中世のみなさまが見下ろしていらっしゃいましたわ。
こんな壁に沿ってさらに進むと・・・
壁にはこんな電源のようなものと、そこに捨てられたコーヒーのカップが。
タリンでは街中でほとんどゴミを見かけず、これがめぎが目にした唯一のポイ捨てだったかも。
この辺りはアイーダ通りというから、もしかしたら昔から劇場があったのかな。
ずいぶん寂れた感じだけど。ここも世界遺産の旧市街の中。こんなふうに壊れたままであることこそが、世界遺産ならではの価値なのかな。もしかしたら、世界遺産になったから、簡単に手を入れることができなくなったのかな。
アイーダ通りはこちら。
この近くから壁の向こうに出られるみたい。行ってみましょ。
散歩はもう一日続く。
旧市街散歩 その5 色々な建物 [エストニア]
現在8月後半のエストニア旅行記を連載中。今日はタリン旧市街散歩の最終回。
昨日のアイーダ通りの辺りから壁を抜けるとこんな景色。
「塔の広場」という名前の緑の公園を少し北に進むと、教会の塔も見える。
見晴らし良さそうね~
ちょっと惹かれたけど、結構暑かったし、反対側の高台には上ったし、ぐるっといっぱい歩いてきたところなので塔に上るのはやめた。またいつかタリンに行くことがあったらね。(りんこうさんがここに上っていらしたので、興味のある方はどうぞそちらをご覧になって。)
旧市街の北端には、太めの塔が立っていた。
いまここ。
そこからまた旧市街の中へ入って南下。
振り返るとこんな入り口。
ちょっと南へ進むと、三姉妹と呼ばれているホテル。もとは15世紀の商人の家だったらしい。三角屋根の下に突き出ているのは、商品荷物を屋根裏の倉庫に入れるためのあのクレーンの跡。
そこからもうちょっと南下すると、こんな建物があった。
すてき~♡
その近くに止まっていたこの車もすごいわね。
ちょうどこの辺りで右に曲がるとこんなところに出る。これは旧市街の北東にある出入り口の辺り。
その出入り口の塔はブレーメンの塔といい、通りの名前もブレーメン通りだった。
ブレーメン通りを抜けると、旧市街はお仕舞い。
ブレーメン通りはこちら。
この日の散歩はこれでお仕舞いだったのだけど、別の日に北端の太った塔からもうしばらく南下してみた。町の中心部に近くなると、こんな可愛いお店もちらほらと。
街並みもずいぶん綺麗になる。
建物もずいぶん綺麗に修復されているわねえ。
こんなのもいるし♪
こちらの立派な建物は・・・
建てられたのが1909~10年だそうだが、この建てた人の名前を見るととってもユダヤ人っぽくて、亡くなったのも1943年だし、きっとひどい死に方をしたんだろうなあ・・・と想像してしまった。
今、いろんな歴史の詰まったこの町を、最新のカメラを持ったアジア人観光客が数多く闊歩している。このお二人は韓国人のツアー客。
これから世界はどんな方向に進むのだろう。
最後の場所はこの辺。
これでタリン旧市街の散歩はお仕舞い。明日は旅行中の食事のお話を。
タリンの食事の話1 [エストニア]
現在8月後半のエストニア旅行記を連載中。今日は滞在中の食事の話を、一日の風景を取り混ぜながら。
朝食は全く写さなかった。仕事先が手配してくれた宿泊先の大型ホテル(リネンなどはとても清潔)のビュッフェスタイルで、スクランブルエッグやサラダやフルーツや・・・と一通りあったけど、どれも特に美味しくはなかったし、人がいっぱいでざわざわしていていい雰囲気でもなかった。コーヒーもまずかったし、オレンジジュースは生じゃないし、ソーセージは乾ききってたし、パンもぼそぼそだし、毎日トマトジュースにゆで卵とヨーグルトとフルーツを食べていた。唯一まあまあだったのは白い豆をトマト味に似たものだったけど、毎日食べてたら最後には飽きちゃった。
毎朝、外に出るとホテル近くのこのロシア教会が目に入る。
お昼もあまり写していない。下の写真は、タリン到着初日にはすぐに町の散歩に出かけ、途中で昼食をとったときのもの。注文するとナイフやフォーク、塩・胡椒などと一緒にパンの入ったこんな箱が出された。レストランで出されたエストニアのパンは概してあまり美味しくなかった。どこかで出てきた甘い黒パンが美味しかったのだけど、それは残念ながら写真に収めていない。
めぎはたしかニシンのエストニア風ソース。塩漬けニシンが三色のソースまみれになって出てきた。味はまあまあというか、別に悪くはないが良くもない。昼ビールが美味しかった♪
うちのドイツ人はトンカツのエストニア風というのを食べたけど、これまた良くも悪くもなく、という感じだったそうだ。ボリュームはドイツと同じ感じね。
連日暑かったので、午後5時頃に夕方の散歩と夕食に出かける前にちょっと一杯飲んだりした。これは洋梨のシードル。エストニアでは色々なフルーツ風味のシードルが人気なのだとか。バーにもビールの注ぎ口と並んでシードルの注ぎ口があった。グラスに量のメモリがついているのは、ドイツの伝統を引き継いでいるからだろうか。
さて、夕方になって教会の鐘が鳴り終わってこのドアが閉められる頃、いそいそとお出かけ。
緯度が高くて明るい時間が長く、夕方の散歩はまだ日が高くて楽しかった。さて、そろそろ夕食にいたしましょ。ここはガイドブックにものっているエストニア料理の店。入り口は小さくて、地下へ入っていく感じ。
中から入り口を見上げると、ほら、穴蔵みたいでしょ。
地下室にできたレストランは、なんとなく、タリンに17世紀のスウェーデン支配下の時代に作られたという地下の秘密通路を連想させる雰囲気があった。いや、ここはただの地下室に過ぎないのだけど、なんとなく圧迫感があって。こうして写真だけ見ると雰囲気あって素敵だけど。飲んでいるのはビール。泡が無くて、ビールに見えないわねえ。
ここで最初に食べたのはコンソメのような透き通ったスープだが、特筆するほどのものではなく、メインのみご紹介。これはトナカイの煮込み。うちのドイツ人は確か豚肉のローストを食べていたような気がするのだけど、付け合わせは全く同じだわね。トナカイはベリー系の甘酸っぱい味のソースで煮てある。味はまあまあ。
食べ終わると空が素敵な深い青色だった。
これはどちらも旧市庁舎の上。
夕食後、旧市庁舎のある広場近くのこのカフェに寄るのが日課だった。Revalというのはタリンのドイツ語名。
そこでうちのドイツ人は毎回エスプレッソとヴァナ・タリン・クレームというリキュールを。めぎはリキュールはヴァナ・タリン(透き通ったオーソドックスのもの)を、それ以外はその日の気分でエスプレッソだったりそれにミルクを入れてもらったりミントティーにしたり。
こんな夕焼けを見ながらまったりと。
反対側にはこんな昔の商人の建物が見えた。胡椒を商っていたのね。
こうして優雅な時を過ごしてホテルへそぞろ歩き。9時半くらいだったと思うのだけど、8月終わり頃の夜9時半でもこんな空。北欧の夏は明るくていいわねえ。
♪ おまけ1 ♪
もう一つ、「めぎはいまここ」でご紹介したレストランも、この近く。ガイドブックにも載っているここ。
世界遺産の旧市街を持つ中世の町タリンを意識した、中世風のレストラン。エストニア語・フィンランド語、英語、ドイツ語・・・等々のメニューが作られているバリバリコテコテの観光客向けの店。日本語はまだ無かったけど。これはドイツ語版。
「可愛いドイツ語」を話す若い可愛いウエイトレスさんお勧めの「中世風」ワイン。この二つの表現にいっぱい質問のコメントがありましたねえ。まず、「可愛いドイツ語」とは、外国人ならではの典型的な間違いをするドイツ語のこと。その間違い方が可愛くて。ドイツから来たドイツ人と、ドイツ語を話す外国人を前に、喜んで一生懸命ドイツ語を話してくれて、親近感がわいためぎ。それから「中世風」ワインとは、中世にワインを酸化させないために色々工夫してスパイスを入れたらしいのをまねしたという感じ。味はGewürztraminerを甘くしたみたいな、スパイスの利いた甘いワインだった。それはそうと、このパンも美味しくなかったなあ・・・
前菜に海のものと山のものを注文しためぎ家。山のものの中では、生ハムのような燻製と、豚の煮こごりのゼラチンと、プラムか何かのコンフィがとても美味しかった。海のものの方にはイクラがあったりスモークサーモンがあったりさらにスモークした鮭を焼いたものもあったりしたが、味がどれもかなり濃くて、塩気が強すぎて、これを食べきらないうちにすっかり飽きてしまった・・・
それなのにめぎたちはメインも頼んじゃってて、それもあまり美味しいとは言えなかったから、かなり苦しかった。めぎが頼んだのはアラビアン味付けだという牛のフィレ肉。別に辛くはなかったけど。付け合わせの麦ご飯のようなのが一番美味しかった。
この夕食が実は第一日目で、おのぼりめぎ家はタリンの観光客向けレストランの洗礼を受け、かなりげんなりした。特にワインは全くいただけなく、ここは葡萄が生産できない土地だからワインリストにもチリ産ワインばかりが並んでて、めぎ家はその後毎回ビールを頼むことにしたのだった。これはホテルに戻って寝る前に口直しに飲んだビール。
ガイドブックに載っているレストランに行ったのはこの2回だけなんだけど、以上のようにどちらも玉砕。うーむ、情報なしに自分で見つけた方がいいかも。
♪ おまけ2 ♪
欧州では各国の一次リーグの他にチャンピオンズリーグが開幕!
サッカーというのは知れば知るほど目が離せなくなる。最初はもうかれこれ7~8年前、ドイツ・ナショナルチームの出る欧州選手権とか世界選手権のような国際試合からサッカーに惹かれ始めためぎだけど(予選から全て見るからそれだけでも一年中サッカーを見ているわけだけど)、だんだんと選手たちが所属するチームの普段の試合にも興味が出始め、本格的にブンデスリーガを毎週チェックするようになったのが2年前。すると、ブンデスリーガだけじゃなくてチャンピオンズリーグとかヨーロッパカップとかドイツカップとか、お目当てのチームが何やら他の試合にも忙しいことに気付き、この壮大な欧州のサッカートーナメントの仕組みをうちのドイツ人に説明してもらい(あまりにもいっぱいあって理解するまでに3時間くらいかかった)、なるほど~とようやく理解したのが1年前。今やめぎの生活は、いつなんの試合があるからその日は夜には予定を入れられない、とサッカー中心の毎日を送っている。
今年は栄えあるヨーロッパのチャンピオンズリーグにドイツから3チームが参加しており、グループリーグ初戦から是非是非見たかったのだけど、普通の地上波では放送されず。Skyというのにお金を払わないと見られない・・・でも、ラジオで実況中継があるので、昨夜めぎは夕食の後ラジオを90分間ヒヤリングマラソン。昨夜はまず、日本人カガワとめぎの愛するゲッツェちゃんが所属するドルトムントがイギリスのアーセナルと、あの懐かしきバラックが所属するレバークーゼンがバラックが怪我をするまで所属していたチェルシーと対戦。ね、それって、絶対に見たい試合だと思わない?これはドルトムントのゲッツェちゃん♡ 写真はDFVから。
カガワが来た!ああ、惜しい!って感じのドイツの実況中継を聞きながら、ゴールできなくてもこんなに名前を呼ばれる日本人がドイツのサッカーチームにいて、栄えあるチャンピオンズリーグに出ているということに、めぎも何だか日本人としての誇りをくすぐられる。ドルトムントは今年どうもイマイチ調子悪くて、昨日もホームで1対1だった・・・むむむ。レバークーゼンはアウェイとは言え精彩無く、バラックも不発で0対2で負けちゃった。写真はRP-Onlineから。
このブログがアップされた頃にはバイエルンの試合がある。今年絶好調のバイエルン。大好きだったノイアーもバイエルンに行ってからめぎ的にはもう魅力を感じられなくなっちゃったのだけど、めぎはマリオ・ゴメスが死ぬほどダイッキライなのだけど、ミュラーもシュヴァイニーもいるし、またラジオ聞いて応援しようかな(・・・と思ったら、バイエルンの試合はSkyだけじゃなくて地上波もある!全くバイエルンってこういうところにやっぱり力あるのねえ・・・)。写真はARDからで、先日の土曜日の7対0で勝ったゴール・パーティーみたいな試合後のノイアー。こんな風に勝てればいいね。
タリンの食事の話2 [エストニア]
現在8月後半のエストニア旅行記を連載中。今日はタリンでの食事のお話の2回目。
何日目か忘れたが、旧市街で食事して帰宅途中、こんなところを通った。
あら、こんな古い建物のところで食事ができるみたいね。
その近くの通りも、いい雰囲気♪
そしてこんな城壁の通りに出る。
この通りと建物が気になって、タリン滞在最終日、明るいうちにもう一度。今度は逆の道順。まずはタリンの旧市街の東側の城壁。城壁沿いにあるのは中華レストラン。中華ってエストニアにもあるのね。
この城壁横の小さな通りはこんな古い石畳。
そこから「カタリーナ通り」という小さな道に曲がる。
振り返ってみると、うん、記憶通り。
いろんな建物が重なり合って、いったいもともとはどんなんだったんだろう。
歩いていくと、まだ静かだけどいい感じ。夜になったらこの通りにこのテーブルと椅子を並べるのね。
そして、ここに出る。
ここは修道院の跡を利用したレストラン。1246年に建てられたドミニコ修道院で、1524年に宗教改革で破壊され、1531年に家事で廃墟になったのだとか。ほら、相当古い感じ。これがそのまま使えるってことは、そんなひどい地震がないってことでもあるわねえ・・・
修道院のレストランの場所はこちら。拡大するとカナリーナ通りも見えてくる。修道院の廃墟を見学することもできるらしいが、めぎはその時間がなかった。
この日は午後から曇ってちょっと雨も降って、そろそろ夏が終わりかなという感じ。これまで半袖で、夜になってもせいぜい薄手のカーディガンだけで夏らしさを謳歌していたが、この日の午後はすーっと涼しくなって、ジャンバーを羽織って夕食に出かけた。でも、氷の入っている飲み物が飲める程度には暖かかったのね。今はもう寒くてそんなの見たくもない。
「めぎはいまここ」でも載せた鱒のカルパッチョ。裏側は完全に生で、もっと濃い赤色だった。うちのドイツ人はクリームソース味の魚介のパスタのようなもの。めぎがクリーム味が苦手なので、彼は外食でここぞとクリーム味を連日食べていた。エストニアのレストランで食べたクリーム味はおしなべてかなり美味しかったそうだ。
メインはめぎはラム肉の赤ワインソース(すごい量!)。うちのドイツ人はスズキの白ワインソース。ワインはエストニアでは葡萄が採れないので、フランスのワインを。小さい小鉢に入っているのは追加で頼んだ麦ご飯。これに野菜などが欲しければ小鉢を頼むシステムだが、メインの皿だけで相当な量なので頼まなかった。
美味しく食べて、おなかいっぱいで、大満足いい気分でここを後に。
そして、いつものカフェへ。修道院からすぐそばだった。
いつもの景色を見ながら、生ミントティーといつもの40度のヴァナ・タリンというお酒を楽しむ時間。でも、この日が最後。
さあ、そろそろ帰りましょ、と腰を上げて、最後の最後にカフェの写真をパチリ。毎日素敵な夕暮れの時間をありがとう。
タリンの話はこれでお仕舞い。この他にエストニアの田舎へドライブにいった話や、ヘルシンキにいった話があるのだけど、それはまた数日後に再開する予定。そうそう、お尋ねの件、ホテルは一週間同じところ。めぎ家が普段あまり好まない大型ホテルだったけど、仕事が終わってからもホテルを変えずそのまま延泊。移動がないので荷物を部屋のタンスに全部出して暮らすように滞在でき、非常に楽だった。
♪ おまけ1 ♪
タリンで見かけた日本。
これは、ヘルシンキという名前の店だけど、タリンのお店。
こんなところまで寿司とカラオケが来ているとはね・・・
♪ おまけ2 ♪
現在(日本時間16日朝5時15分頃)、ヨーロッパリーグの初戦でウシダ先発のシャルケがブカレストと対戦中。前半終わってまだ0対0だけど、久々のウシダ先発、嬉しいな♪ (写真はRP-Onlineから。ウシダの写真を探したけどどこにも載っていなかった。結構活躍してたのにな~これはラウルで、彼はこれまでの人生で15年もずっとチャンピオンズリーグに出続けてて、格下のヨーロッパリーグに出るのは初めてだったんだって。)
タリン港 [エストニア]
楽しみにしていた2週間のイースター休暇が終わってしまった・・・今年のイースター休みは、2週目には大学の仕事も始まるし直前にヘルシンキに行ったということでどこへも行かず、ひたすら写真撮影修行に明け暮れていた・・・それはそれで一喜一憂、ほんのちょっとの成果もあれば大部分ガッカリもありのドラマで、教本を読んで添削も受けてずいぶん一生懸命取り組んだのだが、写真そのものはどれもうちの近くの同じようなのばかり。その話をブログに書くのもねえ・・・というか、ブログくらいはこの写真の上手下手や腹立ちや自己嫌悪などからも離れてリフレッシュしたいな、ということで、思い切ってまだ書いていない昔の旅の話を書くことに。
と言ってもこれまたどの話を書いてよいものやら・・・なにしろ、直近の年末年始のボルネオの話もまだほとんど終わってないし、去年の夏のザルツブルクの話もまだ書いてないし、その前の春のポルトガルの話もまだ一部しか終わってないし、さらに遡ると2年前のギリシャの話もまだ3分の1しか書いてないし、数年前からドイツ国内の田舎町を訪ねた話もすっかりすっ飛ばしたままなのだ。どれも思い入れがあるし、どこも書く価値のあるところばかり。
そんな中、先日ヘルシンキの話を書いた折に思い出した2011年夏のヘルシンキ日帰り旅行のこと。日帰りと言ってもエストニアのタリンからの日帰り。自分のブログをチェックしてみたら、タリンの話はちゃんと終わっているけど、エストニア国内で別の町を訪ねた話やヘルシンキの話はまだ。先日そのことを記事に書いたらコメントでリクエストしてくださった方もいたし、よし、まずはこのヘルシンキの話から始めましょ。
そんな訳で今日から突然2011年夏のヘルシンキの話をスタート!まずは出発地タリン港から。
朝の9時半頃の撮影。上の写真の人々がいるところへ行ってみた。
こちらはヘルシンキへ渡るフェリーのチケット売り場。
そして、いざ乗船!
当時のカメラはD40xで、使ったレンズは18-200mmの便利ズームレンズ1本。たぶんビビット仕上げに設定していたんじゃなかったかな・・・色合いがずいぶん派手だけど、懐かしさが甦る。当時はRAWでは撮ってなかったのでその色合いのままブログアップ。
出航は8時。
海から見たタリンの街並み。可愛い色合いだわね。
大きなフェリーも。どこへ行くのかな。
8月末のこのとき、予想外に暑く、このようにものすごく良い天気で、1時間40分の船旅の間ずっと甲板で過ごした。
行ってきま~~~す!
つづく
撮影: D40x + 18-200mm
2011年フェリーの旅 [エストニア]
現在、2011年のタリンからヘルシンキへ渡るフェリーの話を連載中。
エストニアのタリンを出港し・・・
かすかになっていくタリンの街並みを何度も撮影した。
赤い救命ボートが青い空と青い海に映える。
時折別のフェリーとすれ違う。
遠くに見えた船。
甲板には煙草を吸うヨーロッパ人がちらほら。
そうそう、このときうちのドイツ人もここで吸っていた訳だが、今のところ卒煙への試みはうまく続いている。時折無性に吸いたくなる衝動は未だ消えず、従って完全に卒煙したとはまだ言い難いが、今のところあのボルネオへ旅立った12月23日から今まで4か月、完璧に禁煙をし続けている。
フェリーの中はこんな感じ。
めぎたちの乗ったのはLinda Lineという会社ので、船はシンプルな高速艇。他にもフェリー会社があって、もっとゆっくり3時間くらいかけて移動する船やら、ゴージャスなのやら選択肢があるようだ。
そうこうしているうちにあっという間に1時間が過ぎ、早くもヘルシンキが見え始めた。
おお~大都会って感じ~!タリンとは規模が違うわね。
この辺りから小さな島がたくさんあって、船はゆっくりと進んだ。
つづく
撮影: D40x + 18-200mm
♪ ~デュッセルドルフの風景から~ ♪
カナダガンさん、アブナイよ~!
トラムの運転手さんはちゃんと止まって雁が渡りきるのを待っていた。
撮影: D600 + 105mm(F2.8)micro
スオメンリンナ島 (フィンランド) [エストニア]
現在、2011年夏のエストニアのタリンからフィンランドのヘルシンキへの船旅の話を連載中。
ずっと向こうに見えてきたヘルシンキ。
大きな船がいっぱい。あれはドイツのみたい・・・書かれている文字がドイツ語。
この辺りに島がたくさんあって・・・
その中でもここスオメンリンナ島はその昔要塞として重要なところだったらしい。今は博物館になっているそうだけど。砲台とか要塞跡とか、こういうものは博物館にあるのを見るのが良いのであって、使われたり使ったりはしたくないものだわね・・・
フェリーから見えるものをあれこれ撮影した。まあたぶんここへ渡って観光することは一生無いだろうから。
その島が過ぎ去り・・・
行く手にはどんどんヘルシンキが近づいてきた。
しかし実際はもう少し先。まだまだ船の旅はしつこく続く。
撮影: D40x + 18-200mm
♪ ~デュッセルドルフの風景から~ ♪
緊張感!
こんなに緊張感が走っているけど、どちらも全く吠えなかった。流石の躾だわね。
撮影: D600 + 70-300mm(F4.5-5.6)
ふね・ふね・ふね・・・ [エストニア]
現在、2011年夏のエストニアのタリンからフィンランドのヘルシンキへの船旅の話を連載中。
ヘルシンキが近づくにつれ、船もどんどん増えてきた。
観光船というか、貸し切りパーティーとかレストラン船とか、そういう感じなのかなぁ。
空にはこんな飛行機も。
そして、港には、ズラリ!
すごいな~乗りたいな~~行きたいな~~~
迫力満点の港。
そしてようやく到着するあたりには、たくさんの観光船。
やっと着きますわ~~1時間40分ほどの船旅。
この話はもう一回つづく。
撮影: D40x + 18-200mm
♪ ~デュッセルドルフの風景から~ ♪
歩いていたらふと視線を感じた・・・
そ、そんな目で睨まないで~
撮影: D600 + 105mm(F2.8)micro
ヘルシンキ到着! [エストニア]
現在、2011年夏のエストニアのタリンからフィンランドのヘルシンキへの船旅の話を連載中。
ようやくヘルシンキ到着!
タリンから1時間40分。あっという間。あそこに見える白いのは大聖堂。
あちらはロシア正教の寺院。
あ!あのリュック・・・結構きちんとした上着を着た年配の男性(手すりの陰で顔が写っていない人)がこれから肩にかけようとしているあのリュックは、めぎも持っているもの。実はこのとき、エストニアのタリン大学で開かれた学会に来ていたのだが、数日開かれていたその学会の中で、興味のない発表しかない日に一日抜け出してここに来たのだ。あのリュックはその学会でもらったもの・・・学会のシールも貼ったまま。あの人もきっと学者さんで、同じ学会に来てあのリュックをもらい、めぎと同じく抜け出したのね~あはは。
まあ学会期間内にエクスカーションも同時開催されていたりするので抜け出すのは特に問題ないのだが、個人行動している仲間を見つけて、それもたぶん教授職とか、結構な地位に就いていそうな人だったので、なんだか可笑しかった。
めぎもようやく上陸。
綺麗な街ね~~
エストニアからフィンランドへ旅をする人は結構いるようで、スーツケースを引いた人やバックパッカーの人をたくさん見かけた。
めぎたち(このときうちのドイツ人も同行していた・・・うちのドイツ人は学会とは全く関係ないのだが、タリンに行くというなかなか無い機会に一緒について来たのだ。彼はめぎが学会に出ている間一人で楽しく観光して休暇を過ごしていた)は、まず港近くの公園を散策した。8月末の北欧とは思えないほど、真夏のような暑さと光。わ~なんて白い人たち!ホント、フィンランドという感じがするわ~~
このとき、子どもたちの写生会が行われているようだった。
とても綺麗な緑で、めぎのヘルシンキの印象は緑いっぱいのところという感じ。4月はじめのヘルシンキはまるで別世界だったけどね。
綺麗な緑の中には、しかし既に秋の訪れが垣間見えていた。
はぁ~タリンからヘルシンキまでの船の話でもう5日間。いったいいつ終わるかしらね~このヘルシンキのお話。でも、実はヘルシンキ自体はそんなに撮影していないので、たぶん1~2週間で終えられると思う。
ここで一旦小休止。明日から数日は現在のデュッセルドルフの話の予定。日本はGWですわね~
撮影: D40x + 18-200mm
♪ ~デュッセルドルフの風景から~ ♪
餌やりおじさん、大人気。
だからみんな人慣れしてるのね~
撮影: Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)
ヘルシンキ探検開始 ~タリンから日帰り旅行~ [エストニア]
日本はGW真っ最中ですわね・・・みなさま、いかがお過ごしかしら。ドイツにはGWはもちろん無いけど、5月1日はメーデーで祝日である。したがって3連休中のめぎ。どこにも行かずうちでのんびり。明日から4日間は普通に仕事で、しかも結構色々気遣いとストレスの多い週でもあるので、ブログだけでも旅気分で逃避行いたしましょうか・・・というわけで、今日からまた2011年夏のヘルシンキのお話を。エストニアのタリンからフィンランドのヘルシンキまでフェリーで日帰り旅行したときのこと。当時のカメラD40xでの撮影で、当時好んでいたビビッド仕上げで、ちょっとどぎつい感もあるが、どうぞおつきあいを。
到着してすぐ、港近くの公園へ。
デート中のお二人。
ヘルシンキは道路標識が二ヵ国語。上がフィンランド語で下がスウェーデン語。
スウェーデン語は表記を見る限りドイツ語から結構推測が利くが、フィンランド語はちんぷんかんぷん。フィンランド語だけ言語的にルーツが全く異なることがこれでよく分かる。
そんなことを話しながら散歩。言語のルーツに関してはうちのドイツ人とめぎの好きな話題で、どこに行っても標識を見ながらあれこれと話が弾む。
それにしても綺麗なところね~
実はめぎたち、タリンからヘルシンキに行くというのは事前に全く考えていなかったので、地図もなければ予習もしてきていなかった。バリバリ観光するつもりだった訳でもなく、タリンからヘルシンキへ定期フェリーが出ているのを見て、天気も良いし、一日時間あるし、行ってみようか、という出来心に近い感じで渡ってきたのである。この頃はたしか窓七電話を持っていたと思うのだが、外国でインターネットにアクセスするととっても高く、ホテルのWi-Fiに繋ぐ以外には使っていなかった。だから、かなり適当に歩いていたと言っても過言ではない。
さて、どこか遠いところへ遊びに行くと、言語についての他に決まってうちのドイツ人が話題にすること・・・それは、石について。地学的にこの地方はどんな石が多いかといった話を彼は好み、めぎは常にそのレクチャーにつきあうこととなる。
この辺りは大理石があちこちにゴロゴロ使われていた。
ピンク色の大理石が多いようだ。綺麗ね~
これはどうして撮ったのかもう全く思い出せないブラシ。
こんな適当な散歩の話がしばらくつづく・・・
撮影: D40x + 18-200mm
ヘルシンキの街角 ~タリンから日帰り旅行~ [エストニア]
現在、2011年夏のヘルシンキ日帰り旅行の話を連載中。
適当に本能の赴くままに歩いていたら、こんな車を見つけた。
おお~取っ手が素敵♡
しかもオープンカーなんだ!いいな~
歩いていたらお昼時をとっくに過ぎていて、適当にカフェに入った。
カフェというか、バーというか。
食べかけだけど。
カウンターの上のこれが気になった。これ、なんなのかな~シロップ漬け?お酒?
お昼なのでお酒は飲まず、コーヒーで一息ついてまたてくてく。ちょっと大きな通りに出た。
素敵な建物ね~
ショップの建ち並ぶ通りで、こんなお店もあった。乗馬する人のためのショップかな。ブーツなどがショーウィンドウに並んでいた。
ドイツでも乗馬は人気の趣味なのに、そう言えばショップは見かけないな・・・どうしてかしらね。
つづく
撮影: D40x + 18-200mm
ヘルシンキでトラムに乗る ~タリンから日帰り旅行~ [エストニア]
現在、2011年夏のヘルシンキ日帰り旅行の話を連載中。
適当に歩いていたら、電車通りに出た。
石畳の上を走る電車。風情あるわね~
よく見ると、道路にもあの赤っぽい大理石がふんだんに使われていた。つまり、それだけいっぱいあるということなのだ。
ちょっと乗ってみようか・・・
という訳で、ここがどこなのかも含め、どこに行くかなど路線図を見てちょっと協議。
あ、アジア人だ・・・日本人かな~
あそこにも。
そして電車に乗ってみた。
窓の外に中央駅が見えた。
これが切符。例によってフィンランド語とスウェーデン語が表記されているが、スウェーデン語のGiltigというのはドイツ語のGültigと似てる~有効という意味ね。それがフィンランド語ではVoimassaというのね~全然違うわね。2011年8月25日の14時25分まで有効。買ったのは13時25分で、一時間有効。2.5ユーロ。
つづく
撮影: D40x + 18-200mm
ヘルシンキのオペラ座と水辺 ~タリンから日帰り旅行~ [エストニア]
現在、2011年夏のヘルシンキ日帰り旅行の話を連載中。
トラムに乗って向かったのはヘルシンキのオペラ座。
白い綺麗な建物。
ちょうどワーグナーの指輪をやっていた。ワルキューレとか、こういう風に書くのね~
うちのドイツ人がこのオペラ座がアアルトの建築かと思ってて、せっかくだから見てみようと言うのでここに来たのだけど、白いからこれか?でもどうもちょっと違いそうだよね~と言いながらぐるりとまわった。このとき地図もガイドブックもなく、ネットにつながる術もなく。
今ならこういうとき、スマホでアアルトとヘルシンキというキーワードで見るべきフィンランディア・ホールと場所がすぐに見つかるのだろう。スマホが無くても建物の中に入ってオペラ座の係員にでも聞けば分かることよね。そもそもどうしても見たいものであれば事前に調べたはずで、そうしなかったのはたいして興味がなかったからで、あとでめぎがうちのドイツ人に場所が違ったみたいだよと伝えても、ああそうなんだ、で終わった。彼にとってはそれを見ることが目的ではなく、探検することが旅の楽しみだったのだろう。
さてさて・・・このオペラ座の裏は池だった・・・いや、正確には池ではなく、海につながる湾。
鉄道が見えた。
北欧の海辺の花ハーゲブッテの花が咲きつつ実もなっていた。
ここは公園になっていて、ピクニックをしている人たちがいた。
なんか、絵になる雰囲気ね~
光いっぱいで綺麗だった。
撮影: D40x + 18-200mm
ヘルシンキのトーロ公園 ~タリンから日帰り旅行~ [エストニア]
現在、2011年夏のヘルシンキ日帰り旅行の話を連載中。
ここはヘルシンキのオペラ座裏の池・・・ではなく、海につながるトーロ湾。
8月末頃のこのとき、予想外に暑かったのだけど、景色には秋の訪れが。
海辺にはあの赤っぽい大理石がゴロゴロしていた。
岸に添って遊歩道があって、地元の人が散歩などしていた。
このとき、今は懐かしのもーきちさんを連れてきていた。実はめぎ、3年ほど前にもーきちさんを無くしてしまって、今となっては本当に思い出の写真。
観光客もぞろぞろと。彼らはここに何を見に来たのかしら・・・
なにやら制服を着た方も。
何かあるのかな~何かしらね~
のどがな雰囲気にめぎたちもまったりし、この公園の芝生に座って持参してきたパンなどをつまみながら結構長いこと(と言っても30分くらいかな)行き交う人々を眺めつつお喋りしていた。
こういうところ、旅ではなくまさに休暇って感じね・・・こんな適当なヘルシンキの旅はさらにつづく。
撮影: D40x + 18-200mm
ヘルシンキ・エスプラナーディ公園の辺り ~タリンから日帰り旅行~ [エストニア]
現在、2011年夏のヘルシンキ日帰り旅行の話を連載中。
オペラ座裏のトーロ公園でしばしのんびり時間を過ごした後、またトラムに乗って街の中心部へ。
そうそう、切符だけど、普通の切符は刻印しない限り有効期限はなく、買ったあとどこかで買い物しても数日後や数ヶ月後に使っても大丈夫。刻印したり、電車の中で切符を買ったりすると、その時点から1時間以内といった期限がつく。ドイツも同様で、たぶんヨーロッパはどこもほとんど同じだと思う。
途中で見えた国立博物館。今地図で見ると、この向かい側にアアルト設計のフィンランディア・ホールがある。トラムで反対側に座っていたら気がついたかしらね。
大学近くの停留所でトラムを降りた。
そこはヘルシンキの目抜き通り。
有名なお店が並んでいた。
この公園には・・・
フィンランド国歌の歌詞を作った人の像。
今はハトさんの憩いの場。
立派な建物がいっぱい建っている地域だった。
こうして6年前の写真を見ていると、便利なズームレンズでパシャパシャ撮っていた頃の楽しさが甦ってきた。写真の質を求めて同じ所で何枚も何十枚も下手すると何百枚も撮ってほんの1枚を選び出せるか否かのここのところの修行って、確かにその1枚に出会えればホント悦に入るというかすっごく嬉しいし満足だけど、それってただの自己満足だし、99.9999%はピントが合ってなかったとか明るすぎたとか暗すぎたとか構図がなってないとかぶれたとかコントラストが強すぎるとか光を読んでないとか斜めになっちゃったとかダメダメばっかりで気が滅入るし、うーん、どうなんだろ・・・辛いわ~もっと適当に楽しめばいいのだけどね・・・
空が青かった。
撮影: D40x + 18-200mm
ヘルシンキ港の市場 ~タリンから日帰り旅行~ [エストニア]
今日からまた2011年夏のヘルシンキ日帰り旅行の話をどうぞ。
適当に街を歩き、トラムに乗ってオペラ座を見に行って戻ってきて、また港へ戻ってきた。
そこには市場が。市場と言っても観光客向けで、記念写真を撮っている人が多かったけど。
こんなクマさんもいて・・・
トナカイさんと一緒にクマ肉の缶詰を売っていた。
トナカイさんも・・・これ、トナカイさんよね?それともシカさん?
燻製トナカイ肉を売っていた。
色とりどりの野菜コーナー。
そしてサーモンを中心としたお魚コーナー。ムニエル用かな。
お寿司コーナーも♪
それからこちら・・・ロブスターではなく、ザリガニ。
つづく
撮影: D40x + 18-200mm
港の味覚 ~タリンから日帰り旅行~ [エストニア]
現在、2011年夏のヘルシンキ日帰り旅行の話を連載中。
港の市場にはおいしそうなエビやカニのむき身が並んでいた。
もちろんゆでたままのも。
生魚のカルパッチョのようなものも。
そして、オープンサンドも並んでいた。
美味しそうね~ということで…
オープンサンドをゲット。
そして、夏だけの味覚だというザリガニも!
こうしてちょっとおなかを満たし、めぎたちは港のこんなテラス席に座ってビールを飲みながらのんびりした。
人々や鳥たちを眺めながら。
まったりした時間が流れていた。
つづく
撮影: D40x + 18-200mm
船を眺める ~タリンから日帰り旅行~ [エストニア]
現在、2011年夏のヘルシンキ日帰り旅行の話を連載中。
ここはフェリーターミナル。
ビールを飲む前はがらんとしていたのが…
飲んだ後はチケットを求める人の列が。
出港まで結構時間があったのだけど、ヘルシンキでもう特に見たいものもなかっためぎたちは、そのまま港でまったりのんびり船を見て過ごした。
もーきちさんもまったり。
船はいろいろあって、それぞれの動きを追って、いくら見ていても飽きなかった。
小さな島にきれいな建物があって、そこに船で渡ってパーティーを始めたような集団がいたり。
この赤い色が印象的だった。
つづく
撮影: D40x + 18-200mm
船の出港を見る ~タリンから日帰り旅行~ [エストニア]
現在、2011年夏のヘルシンキ日帰り旅行の話を連載中。
昨日の話の続きだが、めぎたちは自分たちの乗るフェリーの時間まで、港の船を眺めて過ごしていた。この大きな船もそろそろ出港。
ロープをここから外し…
ここへ吸い込んでいく。
船の上から撮っている人がいた。
ぴんと張っていた最後のロープも…
解き放たれて船が離れていった。
向こうに大聖堂が見えた。
回収されていくロープ。
さようなら・・・
ヘルシンキの話はあともう一回。
撮影: D40x + 18-200mm
タリンへ戻る ~タリンから日帰り旅行~ [エストニア]
2011年夏のタリンからヘルシンキへの日帰り旅行の話は本日最終回。
めぎたちもそろそろ乗り込む時間が来た。
真っ赤な平たい高速船。
乗り込んでから後ろに停泊中の船をパシャ。
そして出港・・・ヘルシンキ、さようなら~
大聖堂、さようなら~~
どんどん遠ざかっていく間にも、大きな船をいくつも見た。
人がいる・・・マリア姫ももうすぐ出港なのかな。
しばらくは島も多く、ゆっくりゆっくり進む。そうこうしているうちに日が翳ってきた。
外海に出たころに見かけた船・・・あれもタリンとヘルシンキを結んでいる船なのかな。めぎたちのと比べてずっと大きいわね。
8月末とは言えまだ北欧の夏の日暮れは遅くかつゆっくりで、こんな空を1時間以上楽しんだ。
あ、お仲間が・・・D90みたい。めぎのこのときのカメラはD40x。もう6年前のことだものねえ・・・
そして、再びタリンに戻ってきた。
朝出港したところに到着。
こうしてタリンからヘルシンキへの日帰りの旅は終了。
この勢いで、エストニア国内でレンタカーでタリンからちょっと遠出した話を近いうちに書こうかな。しばらく最近の話をしてからね。
撮影: D40x + 18-200mm
エストニアの田舎の教会 [エストニア]
今日からまた蔵出しシリーズ、2011年夏のエストニアの話を始めようと思う。
エストニアのタリンに行ったのは学会に参加するためだったのだが、そこでめぎは日本から来た友人の研究者さんに再会し、レンタカーしてうちのドイツ人に運転手をしてもらって3人でエストニアの田舎探検にGO!
研究者さんは社会学者さんなので、田舎探検にはノリノリ♪
向かったのは西なのだが、途中で「あれなんだろう~見てみようか~」とちょっと寄り道。
辿り着けるかな~
着きました!
他に高い建物が無くて、高速からこの尖塔が見えたのだ。
開いてるよ~入ってみましょ。
中にはお墓。
ぽつんぽつんと敷地内にお墓。
教会も開いていたので、ちょっとお邪魔。
光が美しかった。
この周りにはこんな無機質なアパートが立っていて・・・
猫ちゃんをこんな風に引いて散歩している地元の人に出会った。
大きな鳥!
後で調べてみたら、ここはNissiという町の聖マリア教会。寄ってみてよかったね。
こんな気ままな旅が続く。
撮影: D40x + 18-200mm
途中で見かけた民族衣装の人たち [エストニア]
現在、2011年夏のエストニアの話を連載中。
エストニアの首都タリンからレンタカーで西へドライブ中。途中でこんな道になった。
そこを抜けると、ずいぶんローカルな道となり、しかも民族衣装を着た人が立っていた。
なんだろう・・・お祭りなのかな。
こんな車がやってきて・・・
その後ろにはぞろぞろと。
踊っているみたい・・・
ただ歩いてついていくだけの人もいるし、自転車で追いかけている人も。
車の上から撮ってる人もいた。
楽しそうだな~
ローカルなお祭りの雰囲気、素敵だった。
撮影: D40x + 18-200mm