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千歳から成田へ [2015年秋 日本の旅]

今日からぼちぼち日本の話を書こうと思う・・・と言っても、今回は観光に行った訳じゃないので、数回でお仕舞いになると思うけど。

日本の旅の話を始めると書いておきながらなんだけど、まずは帰りの話から。ドイツに戻る日の朝は5時40分にタクシーを呼び、6時15分に札幌駅からJRに乗り、千歳空港へ。当初は父が空港まで車で送ってくれるつもりでいたのだが、その前日から冷え込んでちょうど前の日の同じ時間帯に札幌=千歳間で凍結による交通事故があり、まだ夏タイヤのままだったしそんなことになったら大変だからと急遽予定変更、両親と3人でJRで向かったのだった。車で送迎できるかもという父の健康は本当に有り難いことだ。一方で、父も母も23キロのスーツケースの取り扱いには限界があって、かつては最も体力のなかっためぎが今や最も力持ちという状況でもあった。ついでに言えば、めぎはこのとき両親の助けを借りつつ23キロのスーツケース3つ+機内持ち込みの小さなトランクを運んだのだが、駅で電車に乗り込むときなど、そういうのを見かけたらドイツだったらすぐに見ず知らずの通りがかりの誰かが手をさしのべてくれるのだけど、日本では誰もが知らんぷり。仕事としてだったら至れり尽くせりの過剰サービスだけど、ボランティアで他人に手をさしのべる余裕はない国なんだな、と改めて思い知った。慌ただしく空港で別れを告げ、成田空港行きの飛行機は7時50分発。これは飛行機の座席から見えた風景。
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今回の旅ではこの航空会社を使用。いつもは日本の航空会社のもう一つの方を使っていたのだけど(そちらの方が多少お安いからなのだが)、そちらはフランクフルトまで移動しないと日本への直行がないのに対し、こちらはデュッセルドルフから直行便を飛ばしていて、今回はめぎ一人だし、旅の直前まで激務だったし、日本国内でたくさん飛びまくる予定の旅だったので、ドイツ=日本間は乗り換えなしで身体の負担軽減を図ったのだった。
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飛行機が滑走路へ移動し始めると、こういう職員さんたちが深々と一礼し、さらにこうやって手を振る。日本ってなんて礼儀正しいというか、こういうところにまでサービスを行き届かせていることに、正直なところちょっと内心苦笑しながら非常に関心した。ここに限らず例えば空港リムジンバスなどの乗り場でも係員の人たちがバスの出発時に一瞬仕事の手を休めて整列して一礼して手を振るというのを繰り返し繰り返しやっていて、そういう文化をすっかり忘れていためぎは日本到着時ものすごくびっくりしたものだった。今旅を終え、ああこういうのもそろそろまた見納めだなあ・・・と思いながら手を振る人たちを撮影した。
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両親はもう札幌への帰途についたかな。それともあの建物のどこかから見ているのかな。
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飛行機は結構長々と移動し続けた。
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こういうのを撮影できるようになったのは、やっぱり楽しいわね。あ、タイの飛行機。千歳から直接タイに行けるのね。
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そして離陸。紅葉が綺麗だったなあ・・・
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飛行機はすぐに苫小牧の上空を通過。そう言えば去年の夏に船であそこに入港、北海道に上陸したんだったなあ。あの話、書かないうちに次の日本旅をしちゃったわ。
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そして、あっという間に北海道が見えなくなっていった・・・さようなら。
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そして見えてきたのが下北半島の東部分。
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尻屋崎っていうところなのね。
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小川原湖も綺麗に見えた。
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それから機内では飲み物サービス。めぎはスープをいただいて、母が持たせてくれたおにぎりを食べることにした。おお~懐かしいテーブルクロス。めぎのだったのか妹のだったのかもう記憶は定かではないが、小学校から高校までこういうのを弁当包みに使っていたような気がする。
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中には結構大きなおにぎりが4つ。それぞれ中身が違う。
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早めに食べるようにといわれた筋子のをいただいた。
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母におにぎりを作ってもらったのはいつ以来だろう。30年ぶりくらいかな・・・手料理は帰省すればいつもいただいてきたけれど、そう言えばおにぎりって、学校時代以来のことだろうか。あまりにも美味しくて、残り3つはドイツまで持ち帰った。うちのドイツ人と分け合って食べたのだが、包みを開けた瞬間からうちのドイツ人は「日本の匂いだ~」と深く息を吸い込み、おにぎりを一口食べるなり、「手作りの味だね~」と感動していた。記憶の彼方だった母のおにぎりの味をうちのドイツ人と共有できたことが嬉しかった。

さてさて・・・飛行機はめぎが筋子のおにぎりを味わっている間に岩手山の横を通過し・・・
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こんなところの上空を通過し・・・
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旋回して房総半島へ。このずっと向こうに津波の被害のあったところがあるんだな・・・
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房総は穫り入れ直後のようだった。
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この辺りの集落は木々の近くに密集する形なのね。この木々の部分は林と呼ぶのか森と呼ぶのか山と呼ぶのか、もしかしたらあの木々の中に神社があったりするのかも知れないな。
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刈り入れの機械の痕がまだ生々しい。新米の美味しい時期なのね。
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今回の日本旅、めぎは家族以外どなたにも連絡をしなかった。前半は仕事と休暇に徹し、後半は両親訪問に徹し、ブログのみなさまを始め大学時代の友人や恩師などにも全く連絡をせず、仕事関係者と両親以外誰にも会わずに過ごしたのだった。多くの方々に失礼をしてしまったが、おかげさまで解放感を味わうことができ、精神的にゆっくりできた。日本ではいつも会いたい人がいっぱいいて、したいこともいっぱいあって、どうしても時間刻みで忙しくなってしまうのだが、今回は全く別の滞在の仕方を試みてみたのである。都合が合わず妹に会えなかったのが残念だったが、その分両親と差しで過ごせたのも悪くなかった。そんな中、めぎが日本にいることをブログで知ったKrauseさんが、本当にご親切にも成田で時間があったら新米をお渡ししますよ、とご連絡くださったのだが、帰りの成田での乗り換え時間は1時間で、一度到着ロビーに出る余裕は残念ながらなかった。ただ、そんな失礼なめぎにも、本当に温かくお声をかけてくださったKrauseさんご夫婦のお心遣いが胸に浸みた。きっとブログを読んで「連絡なかったな」と思っていらっしゃる方もいらしたのだろうと思うのだが、みなさまそっとしておいてくださって、その思いやりに感謝した。

成田に到着。さて、乗り換えだわ。
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つづく

撮影: Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)
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成田からデュッセルドルフへ [2015年秋 日本の旅]

現在、秋の日本旅の話を連載中。

千歳から成田に飛び、無事に出国、ラウンジへ。
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今回、リッチにプレミアムエコノミーを利用したため、なんとラウンジを利用できた。乗り換え待ちの30分ほど、ここで一息。
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そして機内へ。あちらにビジネスクラス・・・いいなあ。フルフラット、憧れるなあ。疲れ具合が全く違うんだろうなあ。
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とは言え、機内はガラガラで隣も空いてて、めぎは大名のように優雅に広々使うことができた。
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あ、あれはジャンボ機・・・?懐かしいなあ。
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そして離陸。
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太平洋上で大きく旋回し、房総半島の方へ戻る。
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そして日本を横切って飛んでいく。
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このとき日本は昼の11時40分頃。デュッセルドルフは早朝4時40分頃。うちのドイツ人は寝てるのね。
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ドイツまで9400㎞。11時間強の飛行。遠いなあ。ホント、遠いわよね。
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飛行機は越後山脈を越えていく。
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そして、食前酒が配られた頃・・・(このスパークリングワイン、普通のエコノミーには無い。プレミアムエコノミーはビジネスクラスの飲み物の一部を味わえる。スペインのスパークリングワイン、ああヨーロッパの味。うちに帰るんだわ・・・とこのとき感じた。)
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新潟を通過した。(次の2枚はスマホで撮影。)
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ああ、日本を去っていく・・・
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そして食事。機内食はエコノミーと同じ。でも、エコノミーでも日本の航空会社の機内食は美味しいわねえ。めぎは予期せぬ冷や奴や枝豆、鶏の唐揚げを楽しんだ。そう言えばこのどれも今回いただかなかったなあ・・・そして、食後のお茶!緑茶が配られるのは日本の航空会社だけよねえ。
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そして飛行機は北海道の西を通過。
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あの雲の辺りに北海道があるんだわ。今朝、ついさっきまでいた北海道が・・・あの向こうに両親がいるんだわ。お父さん、お母さん、ありがとう、さようなら。またの日まで元気でね。
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そして飛行機は向きを変えた。
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利尻・礼文が表示されていた。
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デザートのアイスが配られた頃・・・
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北海道は遙か彼方の霞の向こうとなり・・・
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ロシア上空に突入。
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最後に見た礼文という文字。
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日本、さようなら・・・

次はいつ来られるかな。今回は1年3か月ぶりという比較的短いインターバルだったけど、次は2年くらいかなあ・・・

それからめぎは一眠りし、目が覚めたのは3時間半後くらい。プレミアムエコノミーのサービスで、ビジネスクラスであまったデザートをいただいた。暗い機内でまわりの寝ている人に迷惑をかけないように灯りをつけず、787のあの窓の明るさを調節できる機能で若干外からの光を入れるだけで写したのでちょっと分かりにくいけど、お酒の香りが美味しいリンゴのタルト。
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その後時折うつらうつらしながらNHKニュースを見たり、80年代のJ-POPとか井上陽水とかELTとか日本のバラード集とかを聞いたりして、日本の機内サービスを存分に楽しんだ。

そしてリンゴのタルトから約4時間後、機内が明るくなり、軽食が配られた。これもめぎにはとっても美味しかった。
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外は分厚い雲。向こうにちょっと小さめの飛行機が並行して飛んでいた。
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飛行機は2度目の食事から2時間くらいかけてロシアからエストニアの上空を通過してバルト海を横切り、ようやくバルト海の西の端の辺りまでやってきた。北欧からドイツにかけては天気悪そう。
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それから徐々に高度を下げて、雲の中に突入。
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おお~ドルトムント、ヴッパータール、ライン!ああ、帰ってきたわ~~
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雲が切れて下が見えたのは、着陸直前だった。
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着陸&逆噴射。16時到着の予定が10分ほど早めの着陸。
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外は雨。デュッセルドルフは5℃だって・・・16時の気温が5℃。ひえええ。北海道でも最高気温の予想が15℃だったのになあ。これはスマホで撮影。
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降りるところまでの移動中、機内は虹色だった。
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こうしてめぎはまたドイツに帰ってきた。誰もお辞儀などせずにこやかに迎えたりもしない無愛想なドイツへ。でも、めぎはそんな素っ気ないドイツでホッとした。礼をされたり挨拶されたりするところを無言で通り過ぎるのはめぎには気が引けるし、イチイチ挨拶を返すにはその回数や量が多すぎるのだ。その反面、ドイツは素っ気ないけど見ず知らずの人が駅でも電車の中でも手をさしのべてくれたり、ちょっとした親切に、ありがとう、いえいえ、というやりとりがあったり。お客様対応はひどいけど、お金を払わなくても一般の人同士のそういうコミュニケーションが日常茶飯事なのが、ドイツの良いところ。

9400㎞の旅を終え、デュッセルドルフへの直行は極楽のように快適だった。しかし、それでもめぎはへろへろ。空港までうちのドイツ人が迎えに来てくれて荷物も全部運んでくれたから楽だったけど、みなさまの場合はここから旅が始まるのね・・・ビジネスマンの方々はここから仕事なのよね!凄いなあ・・・そう言えばその昔、日本からドイツに到着して、さあここから重いスーツケースを押しつつスリに遭わないように気をつけながら電車で移動しなきゃ、と飛行疲れを感じつつもちょっとワクワクドキドキ気を引き締めていた頃のことを思い出す。うーん、それにしても、ヨーロッパって遠いわね。

撮影: Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)
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北の魚介づくし [2015年秋 日本の旅]

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現在、秋の日本旅の話を連鎖中。

旅の最後に札幌で4泊したが、そのうち2回実家で夕食をいただいた。まず、1夜目の夕食。
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生ちらし寿司。鮪赤身に中トロに生のホタテに生のエビにヒラメに鮭にタコ。豪華だわ~~
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母はある程度作り置きしていて、それを手際よく綺麗に盛りつけていく。いろんなものを少しずつって、やっぱりいいなあ。ドイツでは下手するとこれが1人分だが、ここではこれは3人分。
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この小さなサイズのナスはドイツにはなく、美味しい秋なすをしみじみ味わった。久々の母の煮物はとてもやさしい味で、父は毎食の母の手作りの食事がとても美味しくてとても幸せだと言っていたが、ホントそうだろうなあと思う一品。
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父は退職してから家事も手伝うようになり、テーブルを拭いたり食器を並べたり。めぎはすっかり上げ膳据え膳で両親の準備する様子を眺めていた。二人で色々話し合いながら準備を進めていく様子は微笑ましく、幸せそうだった。

それから、なんと言ってもお刺身。ボタンエビに、ホッキ貝に、ちょっと湯引きした鯛。なんて美味しかったことかしら。そうそう、ホッキって、東京などでよく見かける赤いのは、火を通してるから。生はこんな風にほんのり紫色。
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お酒も進み、母がオーストリアで買ってきたというワインをいただきつつ・・・
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アサリの酒蒸しも。
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ああ、感動的な夕食。

4夜目には一緒に買い物に。ホッキ貝もツブ貝も北海道のスーパーではこういう状態で売られてて、パックの中でごにょごにょ動いている活きの良いのを買ってきてお刺身にするのだから、本当になんという贅沢かしら。日本にいてもなかなか味わえるものじゃないわよね。こうやって綺麗にパック詰めになっているのはやっぱり日本だわね。
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噴火湾(内浦湾)のあんこうにめぎは妙に惹かれ、ちょうど半額のシールが貼られたのをお買い上げ♪
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食べたいものは尽きないのだけど、これは今回我慢。汁物2つも食べられないものね・・・めぎはこのタチをお吸い物にしたのが好きだった。ものすごく新鮮なのを生でいただくのも好きだった。
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たぶんこういうのを恋しいと思う人は、日本人でもあまりいないのではと思う。めぎはその昔東京に出た時点で北海道の多くの味覚に別れを告げたのだが、その経験のおかげでドイツに来てからも食べたいものがないという悲しみをそれほど苦しまずにすんだ。なにしろ、東京にもなかったのだから。いや、東京にはあるところにはあるのだが、当時めぎはどこにあるか分からなかったし、分かっても目の玉の飛び出るお値段を出さなければ食べられず、若いめぎには全く不可能だったのだ。まあそれでも、日本ならクール宅急便で送ってもらうという方法もあるのだが、それでもタチはどうかなあ・・・そこでしか食べられないもの、そこで食べるからこそ美味しいものっていう感じかしらね。

最後の夜のお酒はこちら。あ、いえ、これ一本全部飲み干したのではないが・・・ちゃんとカッコイイ器(徳利でもなく、陶器のピッチャーのようなもの)に入れて出されていたのだが、それは撮り忘れ。
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この日も海の幸づくし。イカの刺身は透き通っていたし、ツブ貝はコリコリしてて感動。ツブって新鮮なのはアワビよりも美味しく、めぎは居酒屋や海の家などでいただくツブ焼も好きだったし、こうしてお刺身でいただくのも好きだった。
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出来合いのを買ってきたハタハタの飯寿司もめぎの大好物。今の時期はハタハタに子が入っていないが、そんな贅沢は言っていられない。
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サラダもさっぱりとした日本風の味付けで美味しかったし・・・
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めぎのリクエストで急遽予定変更して作ってくれたアンコウ汁も感動の美味しさ。
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ああ、胃袋がいくつあっても足りないわ・・・残念ながらもうおなかいっぱい。両親には散財かけてしまったな・・・本当にどうもありがとう。

食べかけの写真だが、葡萄も柿も日本の上品な味わいで美味しかった。日本の果物って、ものすごく甘いのに上品で、香水のような匂いがする。いつもドイツの野性的な果物ばかり食べているので、ずいぶん手をかけて品種改良したのだろうというのがよく分かる。
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故郷の味って、みなさまにとっては何かしら。めぎにとってはこういうお刺身と、塩漬けの筋子とタラコとウニと、イカの塩辛。ハッキリ言えば素材勝負のものばかり。次に食べられるのはいつのことになるかしら。それまでは、ドイツのムール貝と牡蠣とボンゴレで頑張りましょ。

撮影: Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)、D600 + 24-70mm(F2.8)
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心に焼き付いている風景 [2015年秋 日本の旅]

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現在、秋の日本旅の話を連載中。

札幌滞在2日目、めぎは子どもの頃住んでいたところに連れて行ってもらった。これのみスマホで撮影。
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たぶんこれがめぎの原風景と言えるものなのではないかと思う・・・この、まっすぐな一本道、左にまむしが出るかも知れなかったほどの自然、写ってないけど左にずっと行くと高い山、右に人の住む世界、写ってないけど右にずっとずっと行くと海、この一本道をまっすぐ行き着くと学校。つまり、ものすごい傾斜の中を突っ切る一本道を行くと学校にたどり着く。おお~なんだか、めぎの人生みたい。

めぎはずいぶん回り道をした人間だけど、今思えば、それは回り道ではなく、めぎの中ではまっすぐ一本道だった、という気がする。それも、かなり容赦ない図太い一本道。邪魔なものを踏み倒し、横に捨てて道をつけていくような。自分の意志を貫くと言えば聞こえが良いが、そのためには情け容赦ないような。

この道、めぎが住み始めた頃は砂利道で、それから少しずつ、アスファルトがひかれて住宅街らしくなっていった。めぎはこの辺りに6歳になった頃から15歳になる少し前まで住んだのだが、その頃は歩道はなく、左の路肩はどぶ川だった。今や歩道があって真ん中に車線もある立派な道路になっているが、それでも左の自然はそのままというのが嬉しかった。
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めぎの記憶ではここは草がぼうぼうと子どもの頃の背丈まで生えた原っぱの斜面というイメージだったのだが、その後の云十年に木々が育ったのかも知れない。
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誰かが花を植えたようだった。
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花壇とまでは行かないが、誰かが綺麗にしようと工夫したのだろう。
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この直前まで雨が降っていたので、光が雨露に反射してとても美しかった。
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10年以上前、うちのドイツ人をここへ連れてきたことがあるのだが、そのとき4月の初めの残雪の最も汚い時期で、美しさのかけらもなかった(残雪が汚いというイメージはたぶん何ヶ月も雪に閉ざされる地域の人だったら良くお分かりいただけるだろうと思う。空気中の汚いチリが数ヶ月間雪に圧縮され、それが春の雪解けの時期に顕わになるのである)。うちのドイツ人はシベリアみたいなところで育ったんだね・・・などと言っていたが、そのときはなんだか非文化的なところで育ったと言われたみたいで腹が立ったのだけど(シベリアには失礼!)、今はその気持ちがよく分かる。
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だって、ハンブルクは何百年も前からハンザ都市として繁栄して、右も左もお洒落な美しい建物ばかりなんだもの。
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ここは、40年くらい前にこの自然を切り開いてトタンの三角屋根の無機質な団地が造られたところで、歴史や文化とはほど遠い地域。北海道に生まれればまあどこであってもたぶん今でも似たり寄ったりだが、めぎにとって歴史や文化は習う物であり、そこに何百年も前からあるものではなかった。うちのドイツ人は文化云々ではなく気候風土のことを言いたかったようなんだけど、でも、気候風土は人間の人格形成に多大な影響を及ぼすわよね。めぎの性格は、新興住宅街とは言えハッキリ言えば開拓地のようなところでこの厳しい自然を背負う形で形成されたのだ。
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昔の名残が感じられるクマザサもまだいっぱいあった。子どもの頃は、ヒグマが出るから一人で山に深く入ってはいけないときつく言われていた。本当にヒグマが出るには相当山奥に入らなければならないと思うが、そういう記憶がめぎには強く残っているのだ。ときに、事実より記憶の方がその人間の分析には重要なこともある。
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ちょっと塀の上に登ってみたが、奥は雨に濡れてて鬱蒼としてて入っていけなかった。子どもの頃はそれでも分け入っていたのだろうか。この山で虫取りなどした記憶があるのだが。
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紅葉が綺麗だった。
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少し歩くと、子どもの頃夏休みにラジオ体操に集まった公園がまだあった。この近くに住んでいた同級生の家もまだあった。しかも、同級生の名字の表札がかかっていて、彼らは今も尚ここに住んでいるのかと思うと(もしかしたら親だけとか、兄弟が住んでいるとかかも知れないが)、この云十年の月日が不思議に感じられた。めぎはここから札幌市内で引っ越しし、さらに東京へ、さらにドイツへ。彼らにはどんな歳月が流れたのかしら。
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この近くの川には・・・
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こんな看板が立っていた。
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そうね、この辺りではこの川が完全に埋まってしまうほど雪が降り、当時は道路の雪を川の方に積み上げることも多かった。今は積み上げるほどではないのかな。ここに捨ててはいけないのだとしたら、雪はどこに片付けたらいいのかしらね。それはそうと、この辺りは手稲区になったのね・・・めぎがいた頃は西区だったのだが、人口が増えて西区は分区したのだろう。

そこから車で少し移動し、学校の裏にあるスキー授業を行っていた山の方にも行ってみた。あの坂の辺りだと思う・・・懐かしいな。今はこの山の前は企業の敷地になっていたので、たぶんスキー授業はもうここでは行っていないのだろう。
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ここでまた雨が降ってきて、子どもの頃の原風景探検を終えた。両親と一緒に行けて、楽しかった。きっと両親にとってもここに住んでいた当時は子育てや仕事に一生懸命の若い頃で、それぞれに色々な思い出があるのだろう。今両親が住んでいるところは札幌の東側で、ここから車で1時間くらい。もうここに来ることはないかも知れない。

撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)
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北海道の海 [2015年秋 日本の旅]

現在、秋の日本旅の話を連載中。

子どもの頃住んでいたところを訪ねた後、今度は子どもの頃よく来た海を見に行った。学校の遠足はいつもこの海だったし、いろんな思い出の甦るところ。
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夏になれば雰囲気も少し違うのかも知れないが、なんとまあ荒涼としたところね・・・
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そして荒れる海。
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先日も書いたが、これがめぎの海。
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この、容易に入っていけない海がめぎの海。海は険しく、親しみやすいものではなく、恐ろしく、だからこそ神秘的。ドイツの北海みたいに遠浅でもなく、波の激しさがすぐ間近でハッキリ言えば危険。それが、めぎの海。

うちのドイツ人にとっての海はまさにその北海なのだが、1㎞にもわたる遠浅の向こうに激しくおどろおどろしく荒れる海というイメージのようだ。冬の荒れる海のイメージは同じだが、この遠浅の感覚が違う。

ちょっと虹が架かっていた。
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遠くに見える山。晴れていればまたきっと雰囲気が違って、もっと美しく見えたかも知れない。でも、これが、こういう険しい雰囲気こそが、北海道らしくて良かった。
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とは言え、あまりにも灰色の写真ばかりなので、ちょっとつけたしを。

この海をあとにしてしばらく進むと小樽に入り・・・
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たしか国道5号線上にこんな蕎麦屋さんがあった。(向こうに見える神様の名前、凄いわね・・・)
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お昼を過ぎておなかが空いたので適当に入ったのだが、そこがアタリ。入ったときは満席で、手打ち蕎麦があと2つしかないと言われ、母のみうどんで我慢してもらったが、このお蕎麦がとても美味。
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デュッセルドルフでは美味しい蕎麦にはなかなかお目にかかれないし、茹でる水も違うからか美味しい蕎麦を持ち帰ってもどうしても味が違うし、とろろ芋もないので(日本食材店にはあるけど高いしね)、めぎは久々の蕎麦ととろろ芋を同時に感動しつつ味わった。
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もし国道5号線を札幌から小樽へ向かうことがあればお薦め(普通は札樽道を使っちゃうと思うけど。)

撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)
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紅葉のドライブ [2015年秋 日本の旅]

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現在、秋の日本旅の話を連載中。

めぎは父の運転で札幌の西の地域、子どもの頃住んでいた辺りを見て回り、その後札幌の西隣の小樽市に入り、でも小樽の観光はせず浅里という地域まで来たところで左折、定山渓の方へ抜ける道路に入った。
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すると、こんなぐるぐる回る道路があり・・・
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大きなダムがあった。
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そして、綺麗なダム湖も。
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晴れていたらもっと紅葉が綺麗だろうに・・・と父は残念そうだったが、この曇った感じがいかにもめぎの覚えている北海道の景色なのだった。
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限られた日数の滞在予定の中でめぎが行きたいところを聞いた両親は、予めそれをどうやって組み合わせてどうまわろうかと考えてくれていた。めぎは子どもの頃のように両親にすっかりお任せして言われるがままに旅をしてみた。それは非常に楽しい経験であった。

それから結構カーブの続く山道へ。雪の深いこの地域の路肩マークも登場。おお~懐かしいな。
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工事中のところでこんな風に人件費をかけているのは日本ならでは。赤と白の手旗信号を大きく振るこの人にも、背負う人生があるのだろう。
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この道路、要所要所に駐車スポットが整備されていて、写真撮影にも非常に良い。3連休の3日目だったが、人もほとんどいなくて、紅葉狩りには穴場かも知れない。
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本当に、なんて綺麗な紅葉だったことかしら。
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高齢者の父は、そろそろ運転がところによってはきつく感じるようになったという。知っている慣れた道は良いが、知らないところに行くのは不安だし、カーブが続くと時折目眩がするような感じもあるとか。だから安全運転でゆっくり走り、おかげでめぎは紅葉をゆっくり眺めることができた。こんな風にドライブに出かけるのも、いつかはできなくなるのだろうな。そう思うと、本当にとても貴重な時間であった。
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程なく定山渓に到着。そうそう、札幌をご存じない方のために補足すると・・・定山渓とは「じょうざんけい」と読み、札幌の奥座敷の温泉街。そう、めぎたちは温泉に向かってきたのだ。
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つづく

撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)
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定山渓温泉 [2015年秋 日本の旅]

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現在、秋の日本旅の話を連載中。

小樽の浅里から紅葉ストリートを通って定山渓入り。温泉街が見えてきた。
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泊まる宿はこの近く。まあどの宿もこの近くにあるのだけど。
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通された部屋は最上階の和洋室。
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まずは和室の方でチェックインしながらお茶をいただいた。
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こちらが洋室。
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↑この洋室、ベッドが2つどんと置かれているだけの狭い空間で、ただ寝るためだけにあって、そこで寛げる部屋ではない。しかも窓がない。窓のように見える障子をあけるとガラスで、その向こうに部屋付き展望温泉。
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部屋付きの温泉があってそれこそふやけるほど入ることができてとてもよかったが、窓のない洋室にめぎは閉口した。日本のホテルや旅館には窓が開かないタイプの部屋が多く、それがドイツ暮らしの長くなっためぎには非常に辛い。どんなに機械で換気されていても、締め切った空気はよどんでいてドイツ人には息ができない感じがするのだ(ちなみにうちのドイツ人は真冬でも窓をわずかに開けて寝る)。

父はこの部屋に通されたあと部屋付きの温泉を堪能して次の日の朝まで一歩も部屋から出なかったが、めぎは母と大浴場に行ってみたり貸し切りの展望露天風呂などにも行って温泉を楽しんだ。そして、いよいよ夕食のお時間に。この宿は料理に定評があるのに加え、最上階は部屋食で(それ以外は食事処で食べるようだ)、しかも料理の質もグレードアップしたので、どんなのが出てくるかな~と楽しみにしていた。こちらは先付けやら前菜やらお吸い物やら。
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↑もう中身がなんだったか覚えてないが、北海道はこういう料理が苦手なのだな、と再認識する感じ。九州出身の伯父にかつてよく「北海道の料理は料理じゃない、素材だ」などと言われていたが、各地で懐石料理を味わった今はそれがよく分かる。見た目はとても綺麗だし、味も決して悪くはないが、頑張ってるね、という印象。

・・・が、やっぱりお刺身は素晴らしかった。北海道ってホントやっぱり素材勝負なのね。でも、その素材に関しては、アワビといい、ケイジ(若い鮭)といい、ボタンエビ、ウニ、その他の2種類に至るまで、流石の品質。
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しかもその上一人一人毛ガニが半身ついていた。そのうちの半分は生で刺身として出され、あとの半分は茹でてあって、どちらの味も楽しめる。良くあるカニ食べ放題などとは違って非常に質の高い毛ガニで(見た目豪華なタラバガニよりずっと美味しく、生で食べられるほど新鮮でもある)、非常に甘く、全員無口になって完食する価値のある素晴らしい美味しさだった。
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お刺身があまりにも美味しかったし、カニに夢中になってしまったので、それぞれが1合×2ずつ好きなのを注文した北海道の日本酒などは写真も撮っていない。この宿は焼き物工房などもあって、自作の焼き物でお酒やお猪口を出してくれて、それがどれも別々で素敵だったのだが。

ここまでで皆おなかいっぱいになってしまい、ここから先は食べたけど味わうという感じではなかった。北海道のなんとか牛のステーキにフォアグラの炭火焼に何かの白身魚の蒸し焼きになんとかという特別な北海道のジャガイモが添えられていたのだが、申し訳ないがどれも少しずつしか食べられず。いや、美味しかったのだけどね、その前のお刺身と毛ガニで本当におなかいっぱいで。その後のホタテとカボチャの蒸し物や、オマール海老半身の揚げ物など、もう全く食べられない。めぎはそれでも必死に多少流し込んだが、味わうというレベルにはほど遠く、ああ勿体ない。次回は品数を予め少なくしてもらうようにしなくちゃダメね。
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デザートの頃はただただ苦しくて、食べ終わったあとはラウンジにカクテル飲みに行こうとか、積もる話でも愚痴でもなんでもゆっくり聞こうとか思っていたけれど、めぎは沈没。両親も順次沈没したらしい。めぎはその後夜中の2時半頃空気が足りない感じがして目を覚まし、一人こそっと部屋の温泉に入り、そこから息苦しくてほとんど眠れなかったのだった。

朝起きると、外は美しい紅葉だった。
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かなり冷え込んでいたのだが、めぎは外の清々しい空気を堪能しながら撮影。ここからの3枚はV3に30-110mmをつけて換算70-300mmで。
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一人一人順番に部屋の温泉を堪能したあと、朝食へ。朝食は部屋ではないが、部屋ごとの個室。下の方の階に泊まると、こことは別のバイキング会場で食べるようだった。
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めぎたちの個室。
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いろんなものがほんの少しずつ。塩辛とか、タラコとか、ワラビとか、ああ幸せ。こういうのがどれほど幸せか、筆舌に尽くしがたい。焼き魚は予め鮭かシシャモかを選ぶことができ、焼きたてが運ばれてきた。めぎはドイツで食べられないシシャモをお願いしたが、子持ちで美味しかった。
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食後、昨夜行けなかったラウンジでゆっくりコーヒーをいただいた。
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出発前には、外は綺麗な青空が広がっていた。
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こうして一泊の温泉の旅は終了。なんだか食べて寝ただけの時間になってしまったが、めぎと両親だけの3人旅、なかなかによかった。次回は妹と4人で行きたいな。または、凄くお金かかるけど、うちのドイツ人と妹の連れ合いも一緒に、6人でどこかに二泊くらいゆっくりできたらいいな。いや、6人でどこかに4~5泊旅行できたらとっても楽しいだろうけど、それだと最後はみんな気疲れするかなあ・・・やっぱりちょっと物足りなく感じる程度の長さにしておくのが良いのかしらね・・・そんなことを想像したりできるようになったというのが、今回の3人旅の最大の収穫だったと思う。
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撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)、Nikon 1 V3 + 30-110mm(F3.8-5.6)
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北海道の旅の終わりに [2015年秋 日本の旅]

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秋の日本旅の話は今日で一区切り。

ここは両親のうちのベランダ。
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ハーブ類がいっぱい。それに、パプリカも育っていた。
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リビングの一角。観葉植物が大きく育ち、あまりにも広がるので縛っちゃったのだとか。確かに元気よさそう。
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母は食器に凝っていて、めぎは毎回このカップでコーヒーをいただいた。
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舞台裏はダメよ~と言われたのでこれだけ。コーヒーは父が豆をひいて入れていた。それぞれ別のカップを用意。
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実家で2回朝食をいただいた。これは1回目。前の日の寿司飯の残りにシラス干しを混ぜてあったのが美味しかった。
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ナメコのお味噌汁も。ナメコってドイツにはないのよね。
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これは2回目の朝食。
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日本の朝食って、朝から焼き魚とかお味噌汁とか用意して、漬け物とか野菜とかもあって手間もかかってて、本当に贅沢よね。朝から料理するなんて、ドイツでもフランスでもイタリアでもないこと。どこもパンにコーヒーにジャム程度が普通なのだ。めぎは上げ膳据え膳でゆっくり日本の美味しい朝食を味わった。それはなによりもの贅沢だった。たぶん、そんな贅沢な帰省をされている方は滅多にいないだろう。

滞在中、父のテニスを見に行った。実はこの父のテニス姿を撮影することが、今回のめぎの北海道訪問の最大の目的であった。父は仕事現役のうちからテニスを始め、もう15年くらいになり、今は熟年テニス会に所属して週に2~3回も習いに行ったり試合に行ったりしている。云十年前に実家を出ためぎは、その姿を見たことがない。今回は試合とは日程が合わず、スクールを見学させてもらった。日中のテニススクールは主婦の方に並んで熟年の方がたくさんいて、でもみなさん素晴らしい身のこなしで、めぎよりずっとスポーティ。父も足腰柔軟にコートを走り回り、なかなかの腕前(上級クラスだって!)。めぎは70を過ぎても今の父のように華麗に走り回れるかしら・・・と自らの運動不足を大いに反省。
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また、4泊の北海道滞在のうち、ほんの4時間ほどだけ一人で出かけた。まずは本屋さんへ。1時間ほどのつもりがあっという間に約3時間。本屋さんでは時間を忘れちゃうのよね~あ、ハーニュくん♪ いっぱい売ってるわね~ホント、人気なのね。ドイツではフィギュアスケートの雑誌なんて全く見かけない。
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ちなみにめぎはこの本屋さんで2万5千円分お買い物。それ以外にも事前にネットで必要な本を買って実家に送ってあって、実はスーツケース3つ分の重量(23kg×3=69kg)の約半分(34kg)は本。ずいぶん厳選して、泣く泣く棚に戻した本も多かったが、本を手にとって色々考えて選んだりやめたりできるのが楽しかった。やっぱりどんなに便利になってネットで本を買えるようになっても、スマホで本が読めるようになっても、紙の本を手にとって中身を見る楽しさには換えられないわねえ。

それから、数年前うちのドイツ人がネオ・アメリカンゴシックと聞いてぷっと鼻で笑った旧北海道庁と・・・(中世ゴシック建築の本場の人にしてみたら、ネオゴシックだって笑いものなのにさらにアメリカンだからね~悔しいけど、彼らには全く価値のないものに見えるのよね)・・・
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今の庁舎をちょこっと流し見し・・・
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あ、スマスマの!とここにもちょっと立ち寄って・・・
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一つだけ試してみたりして・・・(これ、美味しかった♪)
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そんな風にあっという間に滞在の時間は過ぎ、日本旅は終わりとなった。去年夏の訪問のあとインターネットで手配して胡蝶蘭を贈ったのが、今もそこそこ元気そうに、でも花はつけずにおかれていたが・・・
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今回は花束にした。
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父には何も思いつかず、これが好みだったんだけどいつも買っている薬局にはもう置かれてなくて、とぼやいていたハンドクリームを別の場所で見つけてプレゼント。
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こんなもので本当にごめんなさい。温かく迎えてくれてありがとう。

次に来るときには北海道に新幹線が通っているらしい。でも、札幌まで開通するのは16年後なのだとか。そのときもまだ元気でそれほどよぼよぼでなかったら新幹線で東京に行ってみたい、と言う父。その頃両親は90歳くらい・・・おお~・・・でも、あの華麗なテニス姿を見ると、父は100歳までも元気に活発に動き回っていそうな気がする。16年後、両親二人揃って元気に東京まで旅できますように。
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16年後、開通したらめぎもうちのドイツ人と東京から新幹線で札幌入りしてみたいなあ。ん?あらら!そのときにはうちのドイツ人は今の両親よりずっと年上になる・・・うーん、めぎたち、そのときにもドイツから日本へ飛べる体力が(財力も)ありますように・・・

撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)、Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)
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