心に焼き付いている風景 [2015年秋 日本の旅]

現在、秋の日本旅の話を連載中。
札幌滞在2日目、めぎは子どもの頃住んでいたところに連れて行ってもらった。これのみスマホで撮影。

たぶんこれがめぎの原風景と言えるものなのではないかと思う・・・この、まっすぐな一本道、左にまむしが出るかも知れなかったほどの自然、写ってないけど左にずっと行くと高い山、右に人の住む世界、写ってないけど右にずっとずっと行くと海、この一本道をまっすぐ行き着くと学校。つまり、ものすごい傾斜の中を突っ切る一本道を行くと学校にたどり着く。おお~なんだか、めぎの人生みたい。
めぎはずいぶん回り道をした人間だけど、今思えば、それは回り道ではなく、めぎの中ではまっすぐ一本道だった、という気がする。それも、かなり容赦ない図太い一本道。邪魔なものを踏み倒し、横に捨てて道をつけていくような。自分の意志を貫くと言えば聞こえが良いが、そのためには情け容赦ないような。
この道、めぎが住み始めた頃は砂利道で、それから少しずつ、アスファルトがひかれて住宅街らしくなっていった。めぎはこの辺りに6歳になった頃から15歳になる少し前まで住んだのだが、その頃は歩道はなく、左の路肩はどぶ川だった。今や歩道があって真ん中に車線もある立派な道路になっているが、それでも左の自然はそのままというのが嬉しかった。

めぎの記憶ではここは草がぼうぼうと子どもの頃の背丈まで生えた原っぱの斜面というイメージだったのだが、その後の云十年に木々が育ったのかも知れない。

誰かが花を植えたようだった。

花壇とまでは行かないが、誰かが綺麗にしようと工夫したのだろう。

この直前まで雨が降っていたので、光が雨露に反射してとても美しかった。

10年以上前、うちのドイツ人をここへ連れてきたことがあるのだが、そのとき4月の初めの残雪の最も汚い時期で、美しさのかけらもなかった(残雪が汚いというイメージはたぶん何ヶ月も雪に閉ざされる地域の人だったら良くお分かりいただけるだろうと思う。空気中の汚いチリが数ヶ月間雪に圧縮され、それが春の雪解けの時期に顕わになるのである)。うちのドイツ人はシベリアみたいなところで育ったんだね・・・などと言っていたが、そのときはなんだか非文化的なところで育ったと言われたみたいで腹が立ったのだけど(シベリアには失礼!)、今はその気持ちがよく分かる。

だって、ハンブルクは何百年も前からハンザ都市として繁栄して、右も左もお洒落な美しい建物ばかりなんだもの。

ここは、40年くらい前にこの自然を切り開いてトタンの三角屋根の無機質な団地が造られたところで、歴史や文化とはほど遠い地域。北海道に生まれればまあどこであってもたぶん今でも似たり寄ったりだが、めぎにとって歴史や文化は習う物であり、そこに何百年も前からあるものではなかった。うちのドイツ人は文化云々ではなく気候風土のことを言いたかったようなんだけど、でも、気候風土は人間の人格形成に多大な影響を及ぼすわよね。めぎの性格は、新興住宅街とは言えハッキリ言えば開拓地のようなところでこの厳しい自然を背負う形で形成されたのだ。

昔の名残が感じられるクマザサもまだいっぱいあった。子どもの頃は、ヒグマが出るから一人で山に深く入ってはいけないときつく言われていた。本当にヒグマが出るには相当山奥に入らなければならないと思うが、そういう記憶がめぎには強く残っているのだ。ときに、事実より記憶の方がその人間の分析には重要なこともある。

ちょっと塀の上に登ってみたが、奥は雨に濡れてて鬱蒼としてて入っていけなかった。子どもの頃はそれでも分け入っていたのだろうか。この山で虫取りなどした記憶があるのだが。

紅葉が綺麗だった。



少し歩くと、子どもの頃夏休みにラジオ体操に集まった公園がまだあった。この近くに住んでいた同級生の家もまだあった。しかも、同級生の名字の表札がかかっていて、彼らは今も尚ここに住んでいるのかと思うと(もしかしたら親だけとか、兄弟が住んでいるとかかも知れないが)、この云十年の月日が不思議に感じられた。めぎはここから札幌市内で引っ越しし、さらに東京へ、さらにドイツへ。彼らにはどんな歳月が流れたのかしら。

この近くの川には・・・

こんな看板が立っていた。

そうね、この辺りではこの川が完全に埋まってしまうほど雪が降り、当時は道路の雪を川の方に積み上げることも多かった。今は積み上げるほどではないのかな。ここに捨ててはいけないのだとしたら、雪はどこに片付けたらいいのかしらね。それはそうと、この辺りは手稲区になったのね・・・めぎがいた頃は西区だったのだが、人口が増えて西区は分区したのだろう。
そこから車で少し移動し、学校の裏にあるスキー授業を行っていた山の方にも行ってみた。あの坂の辺りだと思う・・・懐かしいな。今はこの山の前は企業の敷地になっていたので、たぶんスキー授業はもうここでは行っていないのだろう。

ここでまた雨が降ってきて、子どもの頃の原風景探検を終えた。両親と一緒に行けて、楽しかった。きっと両親にとってもここに住んでいた当時は子育てや仕事に一生懸命の若い頃で、それぞれに色々な思い出があるのだろう。今両親が住んでいるところは札幌の東側で、ここから車で1時間くらい。もうここに来ることはないかも知れない。
撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)
北海道の海 [2015年秋 日本の旅]
現在、秋の日本旅の話を連載中。
子どもの頃住んでいたところを訪ねた後、今度は子どもの頃よく来た海を見に行った。学校の遠足はいつもこの海だったし、いろんな思い出の甦るところ。

夏になれば雰囲気も少し違うのかも知れないが、なんとまあ荒涼としたところね・・・

そして荒れる海。

先日も書いたが、これがめぎの海。

この、容易に入っていけない海がめぎの海。海は険しく、親しみやすいものではなく、恐ろしく、だからこそ神秘的。ドイツの北海みたいに遠浅でもなく、波の激しさがすぐ間近でハッキリ言えば危険。それが、めぎの海。
うちのドイツ人にとっての海はまさにその北海なのだが、1㎞にもわたる遠浅の向こうに激しくおどろおどろしく荒れる海というイメージのようだ。冬の荒れる海のイメージは同じだが、この遠浅の感覚が違う。
ちょっと虹が架かっていた。

遠くに見える山。晴れていればまたきっと雰囲気が違って、もっと美しく見えたかも知れない。でも、これが、こういう険しい雰囲気こそが、北海道らしくて良かった。

とは言え、あまりにも灰色の写真ばかりなので、ちょっとつけたしを。
この海をあとにしてしばらく進むと小樽に入り・・・

たしか国道5号線上にこんな蕎麦屋さんがあった。(向こうに見える神様の名前、凄いわね・・・)

お昼を過ぎておなかが空いたので適当に入ったのだが、そこがアタリ。入ったときは満席で、手打ち蕎麦があと2つしかないと言われ、母のみうどんで我慢してもらったが、このお蕎麦がとても美味。

デュッセルドルフでは美味しい蕎麦にはなかなかお目にかかれないし、茹でる水も違うからか美味しい蕎麦を持ち帰ってもどうしても味が違うし、とろろ芋もないので(日本食材店にはあるけど高いしね)、めぎは久々の蕎麦ととろろ芋を同時に感動しつつ味わった。

もし国道5号線を札幌から小樽へ向かうことがあればお薦め(普通は札樽道を使っちゃうと思うけど。)
撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)
子どもの頃住んでいたところを訪ねた後、今度は子どもの頃よく来た海を見に行った。学校の遠足はいつもこの海だったし、いろんな思い出の甦るところ。

夏になれば雰囲気も少し違うのかも知れないが、なんとまあ荒涼としたところね・・・

そして荒れる海。

先日も書いたが、これがめぎの海。

この、容易に入っていけない海がめぎの海。海は険しく、親しみやすいものではなく、恐ろしく、だからこそ神秘的。ドイツの北海みたいに遠浅でもなく、波の激しさがすぐ間近でハッキリ言えば危険。それが、めぎの海。
うちのドイツ人にとっての海はまさにその北海なのだが、1㎞にもわたる遠浅の向こうに激しくおどろおどろしく荒れる海というイメージのようだ。冬の荒れる海のイメージは同じだが、この遠浅の感覚が違う。
ちょっと虹が架かっていた。

遠くに見える山。晴れていればまたきっと雰囲気が違って、もっと美しく見えたかも知れない。でも、これが、こういう険しい雰囲気こそが、北海道らしくて良かった。

とは言え、あまりにも灰色の写真ばかりなので、ちょっとつけたしを。
この海をあとにしてしばらく進むと小樽に入り・・・

たしか国道5号線上にこんな蕎麦屋さんがあった。(向こうに見える神様の名前、凄いわね・・・)

お昼を過ぎておなかが空いたので適当に入ったのだが、そこがアタリ。入ったときは満席で、手打ち蕎麦があと2つしかないと言われ、母のみうどんで我慢してもらったが、このお蕎麦がとても美味。

デュッセルドルフでは美味しい蕎麦にはなかなかお目にかかれないし、茹でる水も違うからか美味しい蕎麦を持ち帰ってもどうしても味が違うし、とろろ芋もないので(日本食材店にはあるけど高いしね)、めぎは久々の蕎麦ととろろ芋を同時に感動しつつ味わった。

もし国道5号線を札幌から小樽へ向かうことがあればお薦め(普通は札樽道を使っちゃうと思うけど。)
撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)
紅葉のドライブ [2015年秋 日本の旅]

現在、秋の日本旅の話を連載中。
めぎは父の運転で札幌の西の地域、子どもの頃住んでいた辺りを見て回り、その後札幌の西隣の小樽市に入り、でも小樽の観光はせず浅里という地域まで来たところで左折、定山渓の方へ抜ける道路に入った。

すると、こんなぐるぐる回る道路があり・・・

大きなダムがあった。

そして、綺麗なダム湖も。

晴れていたらもっと紅葉が綺麗だろうに・・・と父は残念そうだったが、この曇った感じがいかにもめぎの覚えている北海道の景色なのだった。

限られた日数の滞在予定の中でめぎが行きたいところを聞いた両親は、予めそれをどうやって組み合わせてどうまわろうかと考えてくれていた。めぎは子どもの頃のように両親にすっかりお任せして言われるがままに旅をしてみた。それは非常に楽しい経験であった。
それから結構カーブの続く山道へ。雪の深いこの地域の路肩マークも登場。おお~懐かしいな。

工事中のところでこんな風に人件費をかけているのは日本ならでは。赤と白の手旗信号を大きく振るこの人にも、背負う人生があるのだろう。

この道路、要所要所に駐車スポットが整備されていて、写真撮影にも非常に良い。3連休の3日目だったが、人もほとんどいなくて、紅葉狩りには穴場かも知れない。

本当に、なんて綺麗な紅葉だったことかしら。


高齢者の父は、そろそろ運転がところによってはきつく感じるようになったという。知っている慣れた道は良いが、知らないところに行くのは不安だし、カーブが続くと時折目眩がするような感じもあるとか。だから安全運転でゆっくり走り、おかげでめぎは紅葉をゆっくり眺めることができた。こんな風にドライブに出かけるのも、いつかはできなくなるのだろうな。そう思うと、本当にとても貴重な時間であった。

程なく定山渓に到着。そうそう、札幌をご存じない方のために補足すると・・・定山渓とは「じょうざんけい」と読み、札幌の奥座敷の温泉街。そう、めぎたちは温泉に向かってきたのだ。

つづく
撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)