行進の始まり [南西ドイツ 2017年6月]

現在、6月中旬の旅の話を連載中。南西ドイツのヒュフィンゲンという町での聖体のお祭りの日のこと。
そろそろ行列が始まるようで、参加する人たちが花の絨毯に沿って並び出した。

あの射撃協会の人たちも。

花の絨毯を横切るときには緑の葉っぱで作った枠の部分に足を踏み入れる。それは横切るときだけでなく、そこに足を踏み入れて写真を撮ってもいいわけで・・・

カメラマンさんたちは葉っぱの枠のところにスタンバイ。

音楽が鳴り始め、行進が始まった。めぎも枠の緑に足を踏み入れて撮影。でも、どんどん進んでくるし、なんだか緑の上と言えども立つのは気が引けて、上手く撮れなかった。

そしてこちら側へ。

こちら側にはほとんど人がいなくて、すぐそばを通っていく行列を間近で撮影。

そしてメインがやってきた・・・

司教である。

つづく
撮影: D600 + 70-300mm(F4.5-5.6)
祭壇での儀式 [南西ドイツ 2017年6月]

現在、6月中旬の旅の話を連載中。南西ドイツのヒュフィンゲンという町での聖体のお祭りの日のこと。
行列の中ほどに、司教さんがやってきた。

若~い!

もっとお年寄りを想像していためぎはこの若い司教さんにビックリ。

めぎの想像通り、一つ目の祭壇のところで行列は止まり、司教さんが祭壇へ。

司教さんが持っているのはMonstranzといい、語源は「見せる」という意味のラテン語のmonstrare。日本語訳は聖体顕示台。日本語にすると一気に難しく恭しくなるけど、確かに凄い顕示力だわね。でも、日本にだって小さな町の神社に立派な金ぴかのお神輿があったりするわけで、どこも同じだなあと思ったり。
これはガラス越しに撮ったもの。

ちょうどこの祭壇の近くにバス停があって、雨よけのガラス越しの位置から祭壇が良く見えたのだけど、映り込みがひどい。ふと見るとうちのドイツ人が祭壇の横の植物の陰に陣取ってて、めぎを手招きした。おお~ここからだと、植物がちょっと邪魔だけど、よく見えるわね・・・ピントが上手く合わせられなかったけど。

豪華なマントを脱いだ司教さんは厳かに儀式を進行。こんな若いのに、カトリックの司教さんということは女人禁制で、雑念とか欲求とかどうしているのかしら・・・などとめぎは余計なお世話なことを考えてしまった。

賛美歌を歌ったりお説教があったり聖句をみんなで読み上げたり参列者のスピーチがあったり。式次第(時折写りこんでいる人々の手にしているオレンジ色の紙)は教会で配布していて、それには賛美歌の歌詞や楽譜も書かれていた。

付き従っていた子供たちが印象的だった。

つづく
撮影: D600 + 70-300mm(F4.5-5.6)
教会のお祭りに思うこと [南西ドイツ 2017年6月]

現在、6月中旬の旅の話を連載中。南西ドイツのヒュフィンゲンにて、聖体のお祭りを見学しているところ。
儀式を終えた司教はまた聖体顕示台を掲げて・・・

行列の中へ戻っていった。

そしてまた行列は次の祭壇の場所へ向けて花の絨毯に沿って進んでいった・・・

・・・と、みなさま、司教の足元にお気づきになったかしら。そう、司教だけは、この花の絨毯の上を歩いていくのだ。というか、司教のために、いや、司教の持つ聖体顕示台のためにこの花の絨毯が敷かれたのだ。早朝からの準備やその前のデザインなど、そして夥しい数の花がこのために育てられ、そしてやっと咲いたと思ったら摘まれてしまっていることなど、全てこの聖体のため、いや、キリストのためなのだ・・・

そして、絨毯に沿ってたくさんの人たちがぞろぞろと続く。車椅子の人たちもたくさん。

司教は向こうの祭壇に到着し、また次の礼拝儀式が始まった。

そしてまた聖書を唱えたり賛美歌を歌ったり説教があったりスピーチがあったりして、儀式を終えると次の祭壇へ進む。次はあそこ。

あの射撃協会の人も炎天下でも文句言わず付き従っている。さっきの写真撮影の時には全く統制の取れていなかった射撃団体の人たちだが、行進の間はお喋りすることもなく、静かに真剣に付き従い、プログラムに沿って歌ったり成句を唱えたりお説教に聞き入ったりしてて、失礼ながらドイツ人もこんなに集団行動できるのね!とビックリするほど。宗教の力って凄い・・・

行進にはブラスバンドの生演奏。みんな暑そう・・・ドイツ人って、暑いからって学校も休みにしたり仕事も休んだりするのに、宗教行事は投げ出さないのね。

こうして3つ目の祭壇に司教が到着する頃、一緒に来たハンブルクの友人のご主人の方が「もう十分、そろそろ行こうよ」と言い出した。彼にはもうカトリックの儀式はたくさんで、これ以上は見たくない、どこか観光に行こうよ、というわけである。この近くにはドナウ河の源泉があり、彼はそれを見に行くのも楽しみにしてやってきたのだ。キリスト教徒ではないめぎは儀式を単純に物珍しく興味を持って見ることが出来たし、正直最後まで見ていたかったのだけど、めぎ以外の3人のドイツ人はプロテスタントで、ここへめぎを誘ったうちのドイツ人はともかく、友人夫婦は奥さんもカトリックの儀式にはもううんざりという表情。ホント、カトリックとプロテスタントの断絶って深い。まあこの展開は事前にちょっと予想してて、それでもこの友人夫婦の同行に同意したのはめぎだったのだし、一緒に行くつもりのドナウ源泉はちょっと遠くて車での移動なので2人で先に行っててと言うわけにもいかず、残念だけど儀式を見るのはこれで打ち切ることにした。ここまで早朝からしっかり堪能したし、ここはドイツだからまた見たければまた来れば良いのだし。
ホテルに戻る途中で、教会に寄ってみた。行列はここから出発し、4つある外の祭壇を一回りしてここに戻ってきてミサがある予定なのだ。めぎとしてはミサも見てみたかったなあ・・・中ではあと30分くらいに迫ったミサの最後のリハーサルが行われていた。行列を見ずに既に席を取っている人たちがいる中、後ろの2階で・・・そこはよく教会でパイプオルガンが据えてあるあの上の場所なのだが、そこに小さなオーケストラとコーラス隊がいるようで、モーツァルトのミサ曲を奏でていたのだ。振り返ると指揮棒がちらりと見えた。その綺麗な音色と歌声と言ったら!こんな名もない村の小さな教会のお祭りのミサで、名もないアマチュアの楽団とコーラス隊からこんなにレベルの高い音楽が聴けるなんて。ヨーロッパのクラシック界の底力というか、裾野の広さと根の深さを思い知らされた。これもまた宗教の力だと言えばそれもその通りで、ミサのために楽団やコーラス隊が組織され予算も出てしっかり練習するわけだし、モーツァルトだってミサのために美しい作品を遺したのだ。そして、ミサだからこそこんな素晴らしい音楽が無料で聴けるのだ・・・ミサではオルガンも使うようだったし、聴いてみたかったなあ・・・音楽を楽しむために儀式を見学するなんて、まあ敬虔な信者には失礼だけど。

つづく
撮影: D600 + 70-300mm(F4.5-5.6)