ウィーンの宿 [2022年春 ウィーン~シュプロン]
現在、一日おきに2022年春旅の話を連載中。
ウィーンの宿に到着!ど真ん中もど真ん中、グラーベンと言う通りを見下ろす部屋。真ん中右にはペスト記念柱、右上奥にはシュテファン大聖堂の尖塔、左上奥には聖ペーター教会の丸屋根。本当に、こんなところに泊まれるの?という立地である。
その宿はこちら。この写真は到着当日ではなく別の日に撮ったものだけど。
建物のEが地上階で、入り口。その後のHPはHochparterreの略で、「地上階(土間)より(階段の分)高い部分」と言う意味で、中二階のこと。MはMezzaninのことで、「間の階」と言う意味で、やはり中二階のこと。1900年頃ウィーンで床税(と言うのかな…床の数=階の数にかけられる税)があったため、階に数えない中二階がよく作られたようだ。上の写真の黒い部分までが地上階とHPで、Mはその上のピンクの壁の部分。それより上が1~3階でペンション。その上のバルコニーがあるらしい部分が4階の最上階。これはエレベーターの中の表示。
この建物があった場所にはその昔モーツァルトも1781年9月5日から1782年7月23日まで住んでいて、ここでオペラ「後宮からの誘拐」を作曲したとのこと。と言っても、今の建物はその後1904年に建て替えられたもの。
中はユーゲントシュティール様式。これは螺旋階段のところで、この金属の内側はエレベーター。
ステンドグラスもある。
レセプションや朝食会場は2階で、めぎたちの部屋は3階。
中庭側の静かで安めの部屋もあるが、めぎたちはどうせウィーンのここに来るなら賑やか(つまり煩い)かも知れないけどグラーベンの見える部屋にしましょうよ、ということで、スイート。
ベッドルームに洗面台もついているが…
もちろんバスルームも完備。めぎの使わないバスタブ付きだが、上からシャワーを使っても引き戸がついていて水が外にはねたりするのを全く気にせずに済むのが良かった。
バスローブもある。
こんなテーブルも。
ここは2019年3月に初めて泊まったのだが、そのときここの床を見てうちのドイツ人がこういう風にしようと決めたところ。
天井。昔と今が混在しているって感じ。
タンスはそんなに素敵ではないが、かなり大きく、旅行鞄もこの中に入れられてスッキリできる。そうは言いつつ、紙袋を冷蔵庫の横に置きっぱなしだけど。3泊したし、オペラやコンサートに行くための服も持ってきていたので、めぎたちは着替えをタンスに入れて、その他の必要な物も全てタンスの棚に並べ、暮らしているように使った。ホテルでいちいちスーツケースを開けたり閉めたりしないで済むようにできるのが、滞在型の旅の良さ。
寝室の隅にはこんな鏡台があった。化粧はしないが、そこにハンドクリームと香水を置いて、ちょっと優雅な気分で使ってみた。
場所はこちら。地図を少し右にスクロールすると、シュテファン大聖堂が見える。宿の場所(地図の赤い矢印の付いているところ)をもっと拡大すると、建物の中庭側が見える。宿のサイトはこちら。めぎたちは冬料金で割引もあって、スイートでも一泊159ユーロほどだったが、今は240ユーロするみたい。
ウィーンの宿に到着!ど真ん中もど真ん中、グラーベンと言う通りを見下ろす部屋。真ん中右にはペスト記念柱、右上奥にはシュテファン大聖堂の尖塔、左上奥には聖ペーター教会の丸屋根。本当に、こんなところに泊まれるの?という立地である。
その宿はこちら。この写真は到着当日ではなく別の日に撮ったものだけど。
建物のEが地上階で、入り口。その後のHPはHochparterreの略で、「地上階(土間)より(階段の分)高い部分」と言う意味で、中二階のこと。MはMezzaninのことで、「間の階」と言う意味で、やはり中二階のこと。1900年頃ウィーンで床税(と言うのかな…床の数=階の数にかけられる税)があったため、階に数えない中二階がよく作られたようだ。上の写真の黒い部分までが地上階とHPで、Mはその上のピンクの壁の部分。それより上が1~3階でペンション。その上のバルコニーがあるらしい部分が4階の最上階。これはエレベーターの中の表示。
この建物があった場所にはその昔モーツァルトも1781年9月5日から1782年7月23日まで住んでいて、ここでオペラ「後宮からの誘拐」を作曲したとのこと。と言っても、今の建物はその後1904年に建て替えられたもの。
中はユーゲントシュティール様式。これは螺旋階段のところで、この金属の内側はエレベーター。
ステンドグラスもある。
レセプションや朝食会場は2階で、めぎたちの部屋は3階。
中庭側の静かで安めの部屋もあるが、めぎたちはどうせウィーンのここに来るなら賑やか(つまり煩い)かも知れないけどグラーベンの見える部屋にしましょうよ、ということで、スイート。
ベッドルームに洗面台もついているが…
もちろんバスルームも完備。めぎの使わないバスタブ付きだが、上からシャワーを使っても引き戸がついていて水が外にはねたりするのを全く気にせずに済むのが良かった。
バスローブもある。
こんなテーブルも。
ここは2019年3月に初めて泊まったのだが、そのときここの床を見てうちのドイツ人がこういう風にしようと決めたところ。
天井。昔と今が混在しているって感じ。
タンスはそんなに素敵ではないが、かなり大きく、旅行鞄もこの中に入れられてスッキリできる。そうは言いつつ、紙袋を冷蔵庫の横に置きっぱなしだけど。3泊したし、オペラやコンサートに行くための服も持ってきていたので、めぎたちは着替えをタンスに入れて、その他の必要な物も全てタンスの棚に並べ、暮らしているように使った。ホテルでいちいちスーツケースを開けたり閉めたりしないで済むようにできるのが、滞在型の旅の良さ。
寝室の隅にはこんな鏡台があった。化粧はしないが、そこにハンドクリームと香水を置いて、ちょっと優雅な気分で使ってみた。
場所はこちら。地図を少し右にスクロールすると、シュテファン大聖堂が見える。宿の場所(地図の赤い矢印の付いているところ)をもっと拡大すると、建物の中庭側が見える。宿のサイトはこちら。めぎたちは冬料金で割引もあって、スイートでも一泊159ユーロほどだったが、今は240ユーロするみたい。
激しい天気 [小さな出来事]
このところ天気の激しく変わるデュッセルドルフ。これは先週のある日の帰りに写したもので、この5分後に暴風雨。ぎりぎりセーフで帰宅できてよかった…ま。その暴風雨は30分も無かったのだが、その間は暴風雨なわけで。
この金曜日も、午前中はこんな素晴らしい青空だった。
お花たちも輝いていた。
しかし、お昼過ぎから再び暴風雨になる、それも今回の方が激しく長いとの予報で、めぎ家は鯉のぼりを取り込み、ポールも短くした。
雨を流すようにテーブルなども斜めに。
そうこうしていたら、学校も13時半以降の授業が休校になった。この日午後の授業しかなかっためぎは、学校に行く必要がなくなった。
そして、来た~
向こうが見えなくなり、家の中も電気をつけないとよく見えない薄暗さ。
あそこ、大丈夫なのかな…
すごーい…
すごーい…
風はそれほどでもなかったが、その分雲の動きが遅いようで、1時間以上目一杯降った。
同じ州の別の町では竜巻もあったとか。外からは救急車やパトカーの音が聞こえ続けたが、めぎ家には特に被害なく終了。
よかった…
この金曜日も、午前中はこんな素晴らしい青空だった。
お花たちも輝いていた。
しかし、お昼過ぎから再び暴風雨になる、それも今回の方が激しく長いとの予報で、めぎ家は鯉のぼりを取り込み、ポールも短くした。
雨を流すようにテーブルなども斜めに。
そうこうしていたら、学校も13時半以降の授業が休校になった。この日午後の授業しかなかっためぎは、学校に行く必要がなくなった。
そして、来た~
向こうが見えなくなり、家の中も電気をつけないとよく見えない薄暗さ。
あそこ、大丈夫なのかな…
すごーい…
すごーい…
風はそれほどでもなかったが、その分雲の動きが遅いようで、1時間以上目一杯降った。
同じ州の別の町では竜巻もあったとか。外からは救急車やパトカーの音が聞こえ続けたが、めぎ家には特に被害なく終了。
よかった…
ウィーンへGO! [2022年春 ウィーン~シュプロン]
現在、一日おきで2022年春旅の話を連載中。
旅の2日目、4月10日土曜日。ドイツとオーストリアの国境にあるNeuburg am Innを後にして、一路ウィーンへ。これは途中に見えたメルク修道院。
その近くにあった城のような建物。ちょっと探してみたが、なんだか分からないまま。
そしてウィーンの市街に入った。国境の小さな村で朝食を食べて出発したのが9時半過ぎで、メルク修道院を見たのが11時半近くで、この写真は12時10分頃の撮影。
この道をまっすぐ行くと…
ウィーンを代表する観光スポットの前に出る。
自転車置き場も完備されている。
ここはシェーンブルン宮殿。おお、人いっぱいいる様子…
場所はこちら。何度かマイナスを押していくと左にメルク、次にリンツが見えてきて、さらにもう一回ぐらいマイナスを押すとパッサウがある。そこがドイツとの国境で、めぎたちが前泊したNeuburg am Innはそのパッサウという街のすぐ近く。
めぎたちはその正面の辺りで左折し、また右折し、ウィーンのど真ん中を目指す。
見えてきた…まもなくめぎたちは左折し…
ウィーン市庁舎を左に見つつ走る。
めぎたちは今、ウィーンのリングを走っているのだ。
このブルク劇場の辺りでさらにリング内に右折。
ここから先はうちのドイツ人がそこに止めると決めていた駐車場までめぎが道子さん(スマホのGoogle Mapsの道案内)を見ながら誘導していたので(誘導しなくてもうちのドイツ人は一人でなんとかたどり着くが、ウィーンは一通も多いので、せっかく持っているのだからとここは文明の利器を使う)、写真は無し。その駐車場は一泊40ユーロするが(めぎたちは3泊の予定だから駐車場代だけで120ユーロ)、郊外の無料のところに停めて荷物を持って移動するのも時間と労力の無駄だし、リングの外に停めて15ユーロぐらい浮かせたところでやっぱりお金かかる上に面倒なだけだし、どうせ停めるなら宿のすぐ近くにしようということで。こういうとき、コロナであまり出かけなかった間にたまったお金が大いに役に立つ。場所はこちら。ちょっとだけ左下へスクロールすると、グラーベンと言う通りが見えてくる。宿はそこにある。
旅の2日目、4月10日土曜日。ドイツとオーストリアの国境にあるNeuburg am Innを後にして、一路ウィーンへ。これは途中に見えたメルク修道院。
その近くにあった城のような建物。ちょっと探してみたが、なんだか分からないまま。
そしてウィーンの市街に入った。国境の小さな村で朝食を食べて出発したのが9時半過ぎで、メルク修道院を見たのが11時半近くで、この写真は12時10分頃の撮影。
この道をまっすぐ行くと…
ウィーンを代表する観光スポットの前に出る。
自転車置き場も完備されている。
ここはシェーンブルン宮殿。おお、人いっぱいいる様子…
場所はこちら。何度かマイナスを押していくと左にメルク、次にリンツが見えてきて、さらにもう一回ぐらいマイナスを押すとパッサウがある。そこがドイツとの国境で、めぎたちが前泊したNeuburg am Innはそのパッサウという街のすぐ近く。
めぎたちはその正面の辺りで左折し、また右折し、ウィーンのど真ん中を目指す。
見えてきた…まもなくめぎたちは左折し…
ウィーン市庁舎を左に見つつ走る。
めぎたちは今、ウィーンのリングを走っているのだ。
このブルク劇場の辺りでさらにリング内に右折。
ここから先はうちのドイツ人がそこに止めると決めていた駐車場までめぎが道子さん(スマホのGoogle Mapsの道案内)を見ながら誘導していたので(誘導しなくてもうちのドイツ人は一人でなんとかたどり着くが、ウィーンは一通も多いので、せっかく持っているのだからとここは文明の利器を使う)、写真は無し。その駐車場は一泊40ユーロするが(めぎたちは3泊の予定だから駐車場代だけで120ユーロ)、郊外の無料のところに停めて荷物を持って移動するのも時間と労力の無駄だし、リングの外に停めて15ユーロぐらい浮かせたところでやっぱりお金かかる上に面倒なだけだし、どうせ停めるなら宿のすぐ近くにしようということで。こういうとき、コロナであまり出かけなかった間にたまったお金が大いに役に立つ。場所はこちら。ちょっとだけ左下へスクロールすると、グラーベンと言う通りが見えてくる。宿はそこにある。