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叔母の誕生日パーティー [文化の違い]

2月前半のある日の夕方、うちのドイツ人のデュッセルドルフに住む従妹のうちに。ジュウシマツシジュウカラさんがお出迎え。(最近ホント日本語忘れてきたわ…なんかこんな感じだったという感じで適当に書いているのがばれるわね。)
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従妹のうちには叔母が遊びに来てて、そこで叔母の82歳の誕生日パーティーをしたのだった。ドイツはいくつになっても誕生日をきちんと祝う習慣の国で、それも誕生日の本人がパーティーを開いてみんなを招く。南西ドイツに住んでいる叔母はデュッセルドルフに住む娘を訪ねてきて、そこで我々を招くお祝いの会を開いたというわけである。

だから、叔母が自分で料理。シュヴァーベン(南西ドイツの地域の名前)風のポテトサラダにフリカデレ(ドイツのハンバーグ)。
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テーブルの用意もできていた。
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窓辺にはめぎたちからの誕生日プレゼントの招待状(そのお話は2日前の記事をどうぞ)。
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まずはこのストロベリー味のプロセッコで…
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乾杯。ビールは口にしなかった叔母だけど、プロセッコはみんなと一緒に飲んだ。
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メインの準備ができたところで…(長いウィンナーソーセージは沸騰しないように茹でている)
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まずはサラダ。ラプンツェルと赤ビートとちょっとしんなりさせたキャベツ。
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それからメイン。ハンバーグとウィンナーに合わせて叔母以外はちょっとだけビールも。
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でもそのあとすぐに赤ワインに切り替えた。しばらくしたら叔母の孫(従妹の息子)も合流(だから遅れて食べている。ちなみに彼はビール党で、ワインには全く興味なし)。そしておしゃべりに花が咲いた。見に行った絵画展のクロークで預けたコートを受け取ろうとしたら叔母のクロークのタグが見つからず、叔母が鞄の中身を全部出しても見つからず、うちのドイツ人が館内をもう一度歩いて探してきたけどやっぱり見つからず、最後の手段としてめぎが叔母の鞄をもう一度チェックさせてもらったら簡単に見つかったこととか、あの地ビールの店でのウエイターのタメ口のこととか(ドイツ語には英語のyouにあたる言葉がSieとduと2つあって、Sieを使うのが知らない人やそれほど親しくない知り合いと話すときの丁寧語、duを使うのが家族や友人とのため口)も話題になって、孫がウケていた。でもそういう面白おかしい話だけでなく、昨今の社会の右傾化のこととか、東西ドイツの統一は本当によかったのかなんていうような話題までも。
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80歳の誕生日をみんなで祝ったのがつい昨日のようだけど、それから早くも2年。その2年の間に叔母は脚の手術をし、目の手術もした。確実に歳を取ってきている。でも娘と遠く離れた場所で元気に一人暮らしを続けている。いつまでも元気でいてくれるといいな。
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デュッセルドルフの地ビール醸造レストラン [食べ物・飲み物]

昨日の記事の美術展見学の後、めぎたちはデュッセルドルフの旧市街にやってきた。昨日の場所から歩いて15分くらいのところ。と言っても雨だし82歳の叔母を連れているので、車で移動。すぐ近くの地下大型駐車場に止めた。
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目当てのレストランは駐車場から外へ上がってすぐ。レストランの前で叔母と甥をパチリ。
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うちのドイツ人にとってはとっても大事な叔母。母親の異父妹だが、母親が小さな彼を祖父母に預けてどこかに行ってしまっていた数か月間、この叔母が心のよりどころだったのだ。若い叔母は優しくて遊び相手になったり色々教えてくれたりしただけでなく、当時とても美しく、脚が綺麗だったという。きっと彼の初恋の相手なのだろう。

さて、行ったレストランは地ビール醸造所。
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名前は「小さな狐」というところ。
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デュッセルドルフの地ビールはこんな色で、コクがあるがスッキリすっと飲めるタイプ。グラスもこの大きさで、冷たいのをサクッと飲んでお代わりするというシステム。バイエルンみたいなジョッキではない。
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ここ、めぎのうちから歩くと旧市街の一番遠いところなので、ほとんど来たことが無い…これまでのめぎの18年半のデュッセルドルフ歴の中で、多分3回目。
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お昼だったからか、客層は年配がほとんど。今の若者たちはドイツ料理を好まず、お酒も飲まない人も多くなったし、スタバなどを好むし、サラダバーとかビーガン料理の店とかに行くことが多いのだ。ところでここのウエイターさんたちは客にもタメ口で話し、それが地ビールレストランの特徴なのだけど、82歳の叔母にはとても失礼に感じたらしい。彼女の住んでいる南西ドイツではそうじゃないのかしら…?
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全然いい写真ではないが、めぎたちが食べたもの。めぎは本日のスープで、この日は野菜とビーフのスープ。これ、相当な量で、野菜たっぷり。うちのドイツ人はレバー団子とザワークラウトとマッシュポテト。
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叔母はジャガイモのホイル焼き。こんな風にフォークをぶすっと突き刺した状態で運ばれてくるのがドイツ風。白いのはヨーグルト味のソース。たっぷりついたサラダは叔母一人では食べきれないということでめぎとうちのドイツ人と分けた。
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ところで地ビールのレストランに来たものの、ビールを飲んだのはめぎだけ。うちのドイツ人は車の運転でミネラルウォーター、叔母はコーラだった。めぎはビール2杯飲んでいい気分♪美味しかったわ~~♡
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この日はお昼の後叔母を従妹の家に車で送り届けて終了。叔母の誕生日パーティーは日を改めて従妹の家で。
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アンゲリカ・カウフマンの絵を見る [小さな出来事]

2月前半のある日、うちのドイツ人の叔母と一緒に美術展に出かけた。
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アンゲリカ・カウフマンと言う18世紀後半に活躍したスイス・オーストリア人画家の美術展である。
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その画家の名前をめぎは知らなかった。18世紀後半にイギリスとイタリアで大成功を収めたという女流画家である。イギリスのロイヤル・アカデミーの創立メンバーの一人でもある。王族にももてはやされ、多くの王族・貴族を描いている。これはイギリス王女(ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公妃)のオーガスタとその息子。
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この王女様の服装と履物はこの当時のオーソドックスなものだが…
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当時コンスタンチノープルから伝わってきたトルコの服装が流行となり、アンゲリカ・カウフマンはそれを描き残している。これはリッチモンド侯爵夫人で、トルコ風のズボンと絹でできたパンプスを履いていて、頭にもターバンのようなもの。これが当時のコルセットからの女性解放とエロティシズムを表現しているのだそう。
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肖像画をたくさん残している一方、神話や歴史のテーマを描いたものも多数あって、これはクレオパトラがアントニウスの棺を花で飾っているシーン。
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それを見ている衛兵の表情が印象深かった。
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さて、このアンゲリカ・カウフマンの絵画を見て感じたこと…まず、暖色で、なんだか温かい気分になった。昨今の殺伐とした雰囲気の中、心にほんのりと火が灯るような、心地よい絵だった。しかしながら最後には、ふーん、はいはい、と言う気分にもなった。最初から最後までずっと同じタッチで、成功した手法をそのままずっとずっと晩年まで量産し続けたと言う感じで、発展性が感じられず、飽きるのだ。会場で説明をざっと読んだが、どんな生涯を送った人なのかもうちょっと詳しく知りたいと思ってお土産に伝記を買ってきて読んでみたものの、肝心なことはさっぱり。2度も結婚したり、イギリスで大成功を収めていたのにローマに戻ったりしているのだが、どうしてなの?という疑問に全く答えてなくて。手紙などもすべて処分されてて本人の考えなどが確認できるものが全く残っていないということで、ある意味ミステリアスな、でも成功しまくっててミステリー性とはかけ離れているような、なんとも形容しがたい画家である。

めぎが一番気に入ったのはこの絵。自画像で、音楽の道ではなく絵画の道へ行くと決断した時を表したもの。
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自らも絵を描く叔母は、とても楽しんでくれたようだった。実はこれ、めぎとうちのドイツ人からの叔母への82歳の誕生日プレゼント。めぎたちはいつもそれぞれのテンポで見つつ、時折集まってあれこれ考えを話し合ったりするのだが、それに叔母も加わって話が弾んで楽しかった。
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館内にはこんな吹き抜けのカフェもあったが、めぎたちはお昼に場所を移動した。その話はまた明日。
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美術展の英語の案内はこちら。場所はこちら。地下に駐車場があってとても便利なところ。

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