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電気のある幸せ [小さな出来事]

北イタリア旅行記の途中だけど、最後の一泊二日の話を書き出す前に、ちょっと別のお話を。

電気がちゃんとつくのって、幸せなことなのよねえ・・・
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めぎが北海道の異変に気がついたのはドイツ時間の9月6日0時5分頃だった。日本時間では既に朝の7時5分頃。寝る前にいつも見ている写真サイトをちらっと覗くつもりだったのだが、そこに台風の被害の話にならんで北海道大地震という言葉が・・・え?で、すぐにNHKのインターネットサイトを見てみると、ネットでライブ放送をしている。えええええ?と見てみると、札幌市清田区の傾いた家や液状化したり陥没したりしてうねうねになった道路の映像が!

すぐに実家にメールを打った。実家は清田区ではないがそこからそれほど遠くない。既に地震発生から4時間も経過してて、NHKにはかなり具体的な情報が出てて、この映像の様子だと札幌在住の両親に命にかかわることが起きたようではないが、全域で停電しているということだし、ということは携帯電話を充電できないわけで、電話などかけるより短くメールのほうが良いだろうと思ったのだ。まずは0時14分(日本時間の7時14分)に父のガラケーに(母のスマホより電池の減りが少ないかなと思って)、返事がないので0時23分(日本時間7時23分)に母のスマホに、地震大丈夫?と。

すると、0時24分に父から返事が来た。「大丈夫です」「停電で困っている」「水道・ガスはある」とのこと。そうか、それじゃ両親はテレビが見られなくなっているはずで、情報がなく、具体的な震度とかどこでどんな被害があったかとかどうして北海道全域で停電するに至ったかとかは分かっていないのかもしれないな。そういう情報はドイツに居ながらにして現地より早くわかるというのがなんだか不思議だ。でも、そんなことはハッキリ言って当事者には必要ない情報かも知れない。彼らに必要なのは、電気が復旧する見通しはいつ頃か、という情報であって、あとは冷蔵庫には食べ物がいっぱいあるはずだし、水道とガスがあるならまあ数日なんとかなるだろう。そんな事を考えていたら0時31分に母からも返事が来て、家具や小物などに多少の被害があったようだけど、まあ大丈夫のようだ。それで一安心して、そのままNHKのネット放送を見続けた。山があんなに崩れて、とんでもないことになっている。千歳空港も天井が落ちたりしている。あらららら。

そうこうしていたら、0時59分に妹からメールが来た。札幌で地震があったけど父と連絡取れて大丈夫、充電できないそうなので私から連絡した、と書かれていた。妹が父と連絡をとったのがいつだったのかはわからないが、まあつまりはめぎにはこのくらい遅れて連絡が来るということなのだ。写真サイトを覗かずに既に寝ていたら、このメールを次の日の朝になって読むということになっただろう。1万キロ離れて生活するというのはこういうことなんだよな。

なにはともあれ両親は無事だし、めぎには電気を届けてあげることはできないので、次の日の仕事に備えてこれで就寝した。6日のドイツ時間お昼頃(日本時間19時頃)も、NHKで電気はまだだと報道している。父にメールすると、やっぱり「まだです」との返事。そうか。仕事を終え、夜に写真サイトを見ると、札幌在住の人が彼のうちでは電気復旧したと書いている。NHKでも半分が復旧したと出ている。しかし、父のメールでは、7日0時16分(日本時間朝7時16分)も「まだです」・・・あらら。次の日には復旧すればいいなと願いつつ就寝。しかし、7日12時13分(日本時間の19時13分)も「まだです」!!

13時16分(日本時間20時16分)に母のスマホからメールが来た。この日、父の兄の家で電気が復活し、充電させてもらったのだと言う。それはよかった。きっと、お互いに情報交換しあって、元気も出たことだろう。こういうときって、遠くの家族より近くの親戚だわね。まあ父の兄だから家族だけど。

「今やっと電気が復旧しました」という知らせが来たのはそれから間もなくの7日13時52分(日本時間20時52分)のことだった。それとほぼ同時に、報道でも北海道の停電は99%復旧したと書かれた。42時間近くの停電だった。その間、冷蔵庫も冷えないし、テレビもつかないし、明かりもないし、水もお湯にならないし、充電もできない生活だったわけだ。何でも電気が必要な機械ばかりを使う生活って、非常時にとんでもなく不自由になるわねえ。ガス湯沸かし器だって電気がないと作動しないのだもの。それに、たまたま寒くない季節に起こったから良かったけど、これが真冬だったら、ガスがあっても電気がなければストーブもつかないのであって、それはかなり生死に関わることである。地震を生き延びても寒さで凍えてしまってはねえ。ホント、不幸中の幸いとはこのことだ。

ネットを見ていると、電気は来ても断水している人や、電話回線が繋がらない人などいて、本当に被害のひどい地域では全てが麻痺してて、両親のケースは被災地と言ってもかなり恵まれた方なのだが、でも自分の親の住んでいるところが被災地になるなんて、それも地震の被災地になるなんて、考えたこともなかった。めぎの子供の頃はなぜか、北海道は大きな地震が起こらない、と言われていたのだ。でも、北海道の原発の真下には活断層があると言うし、どうして当時「起こらない」などと断言されていたのかしらね。

こうしてブログを書いたりする生活は、電気があるからこそのこと。仕事の資料だって全てパソコンで作っているし、写真データだって全てパソコンだ。電気に頼らない生活を、などと考えたところで、買い物だって電子決済になっていくところだし、車だって電気化されていくところだし、今や教育実習生たち若者は黒板を使わずパソコンで授業をするようになってるし、その流れが止まることはないだろう。しかし、これでいいのか?とちょっと考えさせられる出来事だった。それと同時に、普通に明かりがついてこうしてパソコンを使える生活って、ありがたい幸せなことなんだなあ・・・としみじみと感じた日々だった。この非常事態にめぎと両親を繋いだのは、他でもない電気によって実現されたメールだったのだから。
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撮影: Nikon1 V3 + 18.5mm(F1.8)
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