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巡礼の道 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、2017年秋のオーストリア・ブルゲンラント州の話を連載中。

ハイドンのお墓のある教会の祭壇の裏にあるドアから入っていくと、そこには別の祭壇があった。
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そして、なかなかリアルな人形たちがたくさん。
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聖書の話を再現した巡礼の道が続いているのだった。
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200以上あるという人形たちの訴えの叫びに圧倒される感じで、写真を写すのはそこそこにして道を進むと外へ出た。
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アイゼンシュタットの眺め。
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この教会は街の端っこにあるので、直ぐ側にワイン畑が広がっているのが見えた。
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それからまた人形たちの叫びを浴びながら(音はないが人形たちの表情が凄いのだ)こんな道を進み・・・
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もとの教会の祭壇のところに戻ってきた。ああホッとした・・・
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めぎたちはこれでアイゼンシュタットをあとにし、もう一泊どこに泊まろうかと議論しながらハンガリーとの国境の辺りへドライブに出かけた。このときの旅では最初のウィーン数泊以外の宿を決めずに出かけたのだ。このとき14時半頃。さてさて。

撮影: D600 + 58mm(F1.4)
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ハイドンのお墓 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、2017年秋のオーストリア・ブルゲンラント州の話を連載中。

アイゼンシュタットでエスターハーズィ城とハイドンの家を見学したあと、街の端っこにあるベルク教会を訪ねた。
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なんでもここにハイドンのお墓があると言うので。お墓は係の人に行って鍵を開けてもらって見学するシステム。開けてくれたドアの向こうにもう一つ鉄細工の扉があって、ハイドンはたった一人で閉じ込められていた。
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立派な棺だけど、こんなところに一人ぼっちで葬られるのって、なんだかちょっと悲しい気がした。
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この教会自体はとても綺麗。
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美しい祭壇の裏に・・・
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なんだか秘密の隠し扉みたいなドアがあって、係の人にそこにいれてもらった。これも言えばここの入り口を教えてくれるというシステム。
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その向こうに何があるかは、長くなるのでまたあした。

撮影: D600 + 58mm(F1.4)


P.S.
昨日のピアノは厳密に言うとハンマークラヴィーアと言って、チェンバロではなくピアノの原型になったハンマーで鍵盤を叩くシステムの楽器。当時のオリジナルで、かなり貴重なもののよう。
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ハイドンの家 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]

現在、2017年秋のオーストリア・ブルゲンラント州の話を連載中。

アイゼンシュタットはハイドンのいた街。と言っても生まれたとかではなく、エスターハーズィ家に仕えて住んだ街。
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ハイドンの住んでいたところを訪ねてみた。この旗のあるところ。
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ちょうど綺麗な日差しが出てきて美しかった。
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ハイドンハウスの中は当時の契約書とか楽譜とかが置かれていた。この家には1766年から1778年まで12年間住んだのだとか。
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ハイドンは宮仕えであるのでふさわしい服装をしなければならなかった・・・それはこんな靴にこんなかつらにこんな服。当時は男性もヒールのある靴を履いていたのね。
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これは当時のピアノ。どんな音がするのかな。
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↑<追記> 厳密に言うとハンマークラヴィーアと言って、チェンバロではなくピアノの原型になったハンマーで鍵盤を叩くシステムの楽器。当時のオリジナルで、かなり貴重なもののよう。

激混みのザルツブルクのモーツァルトの生家などと比べると、人がほとんどいなくて落ち着いて当時の生活に思いを馳せられる。
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撮影: D600 + 58mm(F1.4)
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