ハイドンの家 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]
現在、2017年秋のオーストリア・ブルゲンラント州の話を連載中。
アイゼンシュタットはハイドンのいた街。と言っても生まれたとかではなく、エスターハーズィ家に仕えて住んだ街。
ハイドンの住んでいたところを訪ねてみた。この旗のあるところ。
ちょうど綺麗な日差しが出てきて美しかった。
ハイドンハウスの中は当時の契約書とか楽譜とかが置かれていた。この家には1766年から1778年まで12年間住んだのだとか。
ハイドンは宮仕えであるのでふさわしい服装をしなければならなかった・・・それはこんな靴にこんなかつらにこんな服。当時は男性もヒールのある靴を履いていたのね。
これは当時のピアノ。どんな音がするのかな。
↑<追記> 厳密に言うとハンマークラヴィーアと言って、チェンバロではなくピアノの原型になったハンマーで鍵盤を叩くシステムの楽器。当時のオリジナルで、かなり貴重なもののよう。
激混みのザルツブルクのモーツァルトの生家などと比べると、人がほとんどいなくて落ち着いて当時の生活に思いを馳せられる。
撮影: D600 + 58mm(F1.4)
アイゼンシュタットはハイドンのいた街。と言っても生まれたとかではなく、エスターハーズィ家に仕えて住んだ街。
ハイドンの住んでいたところを訪ねてみた。この旗のあるところ。
ちょうど綺麗な日差しが出てきて美しかった。
ハイドンハウスの中は当時の契約書とか楽譜とかが置かれていた。この家には1766年から1778年まで12年間住んだのだとか。
ハイドンは宮仕えであるのでふさわしい服装をしなければならなかった・・・それはこんな靴にこんなかつらにこんな服。当時は男性もヒールのある靴を履いていたのね。
これは当時のピアノ。どんな音がするのかな。
↑<追記> 厳密に言うとハンマークラヴィーアと言って、チェンバロではなくピアノの原型になったハンマーで鍵盤を叩くシステムの楽器。当時のオリジナルで、かなり貴重なもののよう。
激混みのザルツブルクのモーツァルトの生家などと比べると、人がほとんどいなくて落ち着いて当時の生活に思いを馳せられる。
撮影: D600 + 58mm(F1.4)