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第2通過点:要塞のふもと [ザルツブルク 2017年夏]

現在、2017年夏のザルツブルクの話を連載中。昨日のご質問のコンサートについてだが、公演はたいてい夜、つまり一日の終わりなので、その日の話が終わるころに登場する。今書いている日の終わりにもコンサートに行っているが、その話はたぶん10日後ぐらいになる。ちなみに2017年で最も感動したオペラの話は例えばこちら。それ以外のコンサートやオペラの話は、記事のタイトルの横にあるカテゴリー名「ザルツブルク 2017年夏」をクリックして最初から気長に順番に見ていただければ、この年に見た数々の公演の話をそれぞれの日の終わりに書いてある。よかったらどうぞ。

さて、昨日の場所(フェルゼンライトシューレの横の階段を昇ったところ)から、Mönchsberg(メンヒスベルク)という山の小道を昇る。ここで道が二つに分かれるのだが、左の方へ。
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めぎなど消火栓に惹かれるのだが、うちのドイツ人はこういう文字にいちいち立ち止まる。これによるとここは、1696年2月にザルツブルクの大小時計職人(時計塔の時計と普通の時計の両方ということか?)が購入・改築・敷地整備をしたところで、この入り口に神のご加護がありますように、と本人が掲げたものらしい。
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同じ塀には、ここに画家とピアニストの姉妹がかつて住み、毎週金曜日に芸術家たちのサロンが開かれていたという表示があった。
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場所はこちら。6番の家。これ、写真で見ると、最初の時計職人さんの家と同じ敷地だと思う…



その先には、また別の女流画家のアトリエ兼住まいでザルツブルクの戦後の画家たちと女流芸術家たちのサロンだったという、同様の女性の靴の掘られたモニュメントがあった。その表示の上に、1412年大修道院塔、という表示もある。長い歴史の移り変わりを感じるところ。
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そこからもうちょっと上ると、9番の家はシュテファン・クルッケンハウザー教授というスキーヤー兼写真家の住んでいたところだという表示。スキーヤーとしてはインストラクターをして教本も出していて、スキーのパラレルターンのテクニック「ウェーデルンの父」なのだそう。ちなみにウェーデルンって、めぎが小さい頃はこの言葉をスキー授業で習ったのだが、今は呼び方が違うみたいね。写真家としても、35㎜フィルムカメラを使うパイオニア的な人だったらしい。ライカで写したモノクロ写真の写真集がいくつもあるようだ。
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それから程なく、要塞の門が見えてくる。
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書いてある言葉によると、1635年にザルツブルグの大司教パリス・ロドロンが(多分こういう門などを整備することで)丸裸だった街と城塞と城壁を強化した、とのこと。パリス・ロドロンについては英語のこちらをどうぞ。場所はこちら。



そこをくぐるってケーブルカーの下をさらにくぐると、さらに要塞に向かう坂道と、まっすぐノンベルク修道院(サウンドオブミュージックのマリアのいた修道院)へ抜ける道の分岐に出る。
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そこからまた城下が望める。向こうの方、青空になってきたみたいね。
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場所はこちら。



↑ここはこの数日前にも同じような道順でめぎ一人でやってきている(その話はこちら)。つまり、めぎはこの辺りを日々ウロウロしていたということである。一人だと景色にばかり目が行ってたけど、二人だと全く別のものが見えてくるのが面白いわね。
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