宗教改革の本教会 [ドイツ(主に東部) 2017年夏]
今日は2017年夏のドイツ・ヴィッテンベルクのお話を。
ザルツブルクからまっすぐ帰らずにドイツ東部を旅しためぎたちは、まず、当時ルターの宗教改革500周年だったヴィッテンベルクにやってきた。
今日の話は、先日載せた宗教改革の発端となった95か条の論題が掲げられた場所の城教会に対し、ルターが定期的に説教を行って宗教改革の現場となったらしい市民のための教会のこと。↑上の写真の真ん中左に見えている二つの塔がそれ。世界遺産である。
その場所までやってきたら、外にたくさん観光客がいて、なにやら説明を聞いている。
何の説明かなと思ったら、塔の下のあそこにある…
これについてだった。
↑これ、かつてユダヤ人迫害のためのシンボルとして作られた「ユダヤの雌豚」。反ユダヤ主義のキリスト教芸術に登場するモチーフで、嘲笑や侮辱の意味を持つ。これを今の世でここに設置しておくかどうかも裁判になり、その事実と文化の記念として保存することとなったそうだ。
外は落書きも多い。
ここは中にも入ってみた。宗教改革祭壇と呼ばれるところも人がいっぱい。
祭壇の真ん中部分をはじめ…
色々目についたものを撮ってある。
オルガンは新品。1811年のオルガンから引き継いだ部分もあるようだが、1983年製作とのこと。
何を思ってこれを撮ったのかもう思い出せない。我々は生きるか死ぬか…というようなことが書かれているが、どこにこれがあったのかも思い出せない。
外に出ると、日時計が12時を指していた。
上を見上げると、1時。夏時間だったからね。冬時間のままなら12時なのだ。日時計は夏時間に合わせることができないのね。Exif情報によると13時2分に撮っていた。
8月の光と影。
めぎたちはこれでヴィッテンベルクを後にし、この日の目的地へ出発した。ヴィッテンベルクはかつて2008年に泊まりがけで訪ねていたので(その時の記事はこちら)、今回はちょうど500周年の町でちょっと休憩するだけのつもりだったのだ。車を停めていたのは町の裏。ちょっと街を外れると、雰囲気がガラリと違うわね。
ザルツブルクからまっすぐ帰らずにドイツ東部を旅しためぎたちは、まず、当時ルターの宗教改革500周年だったヴィッテンベルクにやってきた。
今日の話は、先日載せた宗教改革の発端となった95か条の論題が掲げられた場所の城教会に対し、ルターが定期的に説教を行って宗教改革の現場となったらしい市民のための教会のこと。↑上の写真の真ん中左に見えている二つの塔がそれ。世界遺産である。
その場所までやってきたら、外にたくさん観光客がいて、なにやら説明を聞いている。
何の説明かなと思ったら、塔の下のあそこにある…
これについてだった。
↑これ、かつてユダヤ人迫害のためのシンボルとして作られた「ユダヤの雌豚」。反ユダヤ主義のキリスト教芸術に登場するモチーフで、嘲笑や侮辱の意味を持つ。これを今の世でここに設置しておくかどうかも裁判になり、その事実と文化の記念として保存することとなったそうだ。
外は落書きも多い。
ここは中にも入ってみた。宗教改革祭壇と呼ばれるところも人がいっぱい。
祭壇の真ん中部分をはじめ…
色々目についたものを撮ってある。
オルガンは新品。1811年のオルガンから引き継いだ部分もあるようだが、1983年製作とのこと。
何を思ってこれを撮ったのかもう思い出せない。我々は生きるか死ぬか…というようなことが書かれているが、どこにこれがあったのかも思い出せない。
外に出ると、日時計が12時を指していた。
上を見上げると、1時。夏時間だったからね。冬時間のままなら12時なのだ。日時計は夏時間に合わせることができないのね。Exif情報によると13時2分に撮っていた。
8月の光と影。
めぎたちはこれでヴィッテンベルクを後にし、この日の目的地へ出発した。ヴィッテンベルクはかつて2008年に泊まりがけで訪ねていたので(その時の記事はこちら)、今回はちょうど500周年の町でちょっと休憩するだけのつもりだったのだ。車を停めていたのは町の裏。ちょっと街を外れると、雰囲気がガラリと違うわね。