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所縁の場所 [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

今日は2017年夏の東ドイツの旅のお話を。ザルツブルクから帰宅する前に、レーゲンスブルクを経て東ドイツを数日回ったお話の最初の部分。

先日書いた宗教改革500周年を祝っていたヴィッテンベルクを後にしてこの日の目的地に向かう途中、こんなところに寄り道していた。
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もうすっかり忘れていたのだが、わざわざ機関車を見に寄ったんだろうか…?
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そう思って撮ってあった案内板を見ると、この辺りに鉱山があったらしいことは分かるのだが、地名を頼りにググってもめぎにはどうもピンとこない。
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で、うちのドイツ人に聞いてみたら、この近くに用が合ってやってきて、ちらりと機関車が見えたから寄ったのだという。
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ふーん…
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ひょっとしたら、機関車が見えてめぎが写真撮りたいって言ったのかもしれないな。
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で、寄りたかったというところはこの辺。
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ツバメの巣がたくさんあった。
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そしてここにも公園。ツバメの巣がいっぱいあるところは一応お城らしい。
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ここ。
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場所はこちら。すぐ上に機関車の公園があったMöhlauがある。



映像の地図だと、その公園の迷宮庭園も写っている。



この町にかつてうちのドイツ人の父親が子どもの頃、祖父母(うちのドイツ人の曽祖父母)を訪ねて遊びに来たという写真がある。1937年の写真だ。うちのドイツ人の父親はもともとは東の出身で、16歳の時にその父親(うちのドイツ人の祖父)に一人連れられて他の家族(母親や弟妹)を置いて(!)西へ逃れたのだが、これはまだ東側に住んでいた時。この車はHanomag Kurier Typ 11というらしい。
006 - Wittenberg 1937 Ausflug zu den Großeltern nach Altjeßnitz - mit Hanomag Kurier Typ 11.jpg


ちなみに東に置いてきた家族は一生西へ来ることはなく、家族はバラバラになった。今も東側に住むうちのドイツ人の父親の弟を訪ねて行ったのはこの前年の2016年夏で、その話はこちらから記事3つ分。

で、うちのドイツ人としては、その写真の辺りを訪ねてみたかったのだという。いったいどこにその家があったのかもはや定かではないが、ひょっとしたらこの公園で遊んだかもしれないわね、この家だったりしてね、などと想像するとちょっとロマンを感じた。
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この時点で15時ちょっと前。この後本当にこの日の目的地へと向かった。
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