ルドルフさんのことなど [2022-23年年末年始 ボルネオ]
今日は2022年末のボルネオの離島、ガヤ島でのお話を。
ここはめぎがかつてダイビングのCライセンスを取ったところで、今回コロナ後の様子を見に来たところ。

午後になり、少しずつ潮が満ちてきた。

それでめぎだけシュノーケルをしてみたのだけど、前日の大嵐の所為で水が濁っていて、ハッキリ言って無意味だった。

一番見えてもこんな状況。

で、諦めて陸に上がったら…

猿たちが来ていた!

さて、ここはダイビングスクールの敷地で、ダイビングに申し込まないとここに来られないのでめぎたちはもちろんダイビングに申し込んで迎えの船に乗ることができたわけだが、今までも書いたように、前日に大嵐で波が高かったし、海も濁ってたし、かつてお世話になったこのスクールの人たちに再会できたらいいなと思いながら様子を見に来ることが目的だったので、ダイビングをせずにここでゆっくり過ごさせてもらっていた。スクールの人たちは、お金をもらった以上はお客のめぎたちの希望通りにどうぞというスタンスで、めぎたち専属のダイビングインストラクターさんは、いつでもダイビングしたくなったら呼んでね、と言ってつかず離れずその辺で待機していた。その人は時々話し相手にもなってくれて、めぎたちはボルネオの、というか、ここコタキナバルの暮らしについていろいろと質問した。

インストラクターさんによれば、ボルネオのマレーシア領では人が暮らすのに最低でも月1000リンギットが必要だという。約214ユーロ、約31000円だ。そんな額で生活できちゃうのね、と思うことも可能だが、彼の説明を聞きながら、ああなるほど、ここの1000リンギットの価値ってドイツの1000ユーロとほぼ同じなのね、と分かった。なにしろドイツでは2022年末の時点で、学生ビザを申請するのに一か月あたり934ユーロが必要とされていたからだ。彼は子供もいるのでそれでは全く足りず、最低でも1400リンギット、できれば2000リンギット必要、と言っていた。ちなみにドイツの公務員の最も等級の低い給料は、月2095ユーロである(税込み)。マレーシアリンギットとユーロ、為替レートでは1リンギットが1ユーロとは全く言えないが、物価的に考えるとそういう感じなのだろう。
インストラクターさんの名前はルドルフさんと言って、その名前はヨーロッパの名前なので、キリスト教徒?と聞いたら、かつてはそうだったが、ムスリムの中国人と結婚したので改宗したのだという。へええ、このマレーシアでも違う宗教同士で結婚することがあるんですね、と聞いたら、最近多くなったとのこと。中国人でムスリムというパターンもあるんだな…で、キリスト教徒とムスリムが結婚する場合、男性の宗教に合わせるのではなく、ムスリムに合わせてムスリムになるというのも興味深い。ルドルフさんはもともとマレーシアのたくさんの民族の中の一つ、ドゥスン族の出身で、ドゥスンの言葉が母語で、コタキナバルのあるサバ州に多いカダザン族の言葉もでき、もちろんマレー語と英語もでき、さらに広東語とマンダリンもでき、そして結婚したため奥さんの中国語の方言も多少できるとのこと。ヨーロッパ人もよく複数言語できて、うちのドイツ人も母語のドイツ語の他に英語、フランス語、イタリア語、スペイン語ができ、さらに日本語もサバイバル程度できるけど、彼も顔負けのルドルフさんの多言語。凄いなあ。ルドルフさんには子供が2人いて、彼らは中華系の学校に通わせているという。それは私立なのでお金がかかるが、中華系の学校の教育が充実しているらしい。中国語も英語もしっかりやるし、とのこと。ムスリムだけど中華系の学校に通うというのもあるんだな…ホント、マレーシアって、奥が深いなあ。
めぎはこのダイビングスクールのあるガヤ島の端っこにある水上住宅の部落にちょっと行ってみたいなと思っていたので相談してみたら、即座に否定された。地元民の自分も未だかつて一度も近づいたことが無いし、行かない方がいいという。その水上集落は、ホテルからも見える本当に近いところにあるのだが、イリーガルで住んでいる人の多い所で、何が起こるか分からない、とのことだった。なるほど、そうかぁ…
そうやって色々話しているうちに時は過ぎ、いつの間にかダイビングに出かけていた人たちも戻ってきて、慌ただしく帰る時間になった。みんな、ダイビング客もインストラクターさんたちも残らずみんなが乗り込み、出発。

ああ、さようなら…

いつかまたここに来ることがあるだろうか。いや、たぶんここにはもう二度と来ないような気がする。めぎがここでダイビングをして楽しめる時代は終わったような、そんな気がした。

ここでの楽しかったかつてのダイビング講習の日々とこの日のルドルフさんとの時間を、めぎは一生忘れないだろう。

そしてまた遠くにキナバル山を望みながら…

ホテルのハーバーに戻ってきた。

ルドルフさんや他のダイバーの人たちとお別れし、めぎたちはホテルの外のレストランへ。

ここで、日が沈む直前に滑り込みセーフでオーダーし…

ガヤ島のダイビングスクールでは全く手に入らないビールで喉を潤し…

うちのドイツ人はカルボナーラを…

めぎはジャンキーなハンバーガーを晩御飯として食べた。

このとき滞在3夜目で、早くも現地食からちょっと一休みしたいということになったのだろうと思う。めぎたちも歳取ったなあ。
ここはめぎがかつてダイビングのCライセンスを取ったところで、今回コロナ後の様子を見に来たところ。
午後になり、少しずつ潮が満ちてきた。
それでめぎだけシュノーケルをしてみたのだけど、前日の大嵐の所為で水が濁っていて、ハッキリ言って無意味だった。
一番見えてもこんな状況。
で、諦めて陸に上がったら…
猿たちが来ていた!
さて、ここはダイビングスクールの敷地で、ダイビングに申し込まないとここに来られないのでめぎたちはもちろんダイビングに申し込んで迎えの船に乗ることができたわけだが、今までも書いたように、前日に大嵐で波が高かったし、海も濁ってたし、かつてお世話になったこのスクールの人たちに再会できたらいいなと思いながら様子を見に来ることが目的だったので、ダイビングをせずにここでゆっくり過ごさせてもらっていた。スクールの人たちは、お金をもらった以上はお客のめぎたちの希望通りにどうぞというスタンスで、めぎたち専属のダイビングインストラクターさんは、いつでもダイビングしたくなったら呼んでね、と言ってつかず離れずその辺で待機していた。その人は時々話し相手にもなってくれて、めぎたちはボルネオの、というか、ここコタキナバルの暮らしについていろいろと質問した。
インストラクターさんによれば、ボルネオのマレーシア領では人が暮らすのに最低でも月1000リンギットが必要だという。約214ユーロ、約31000円だ。そんな額で生活できちゃうのね、と思うことも可能だが、彼の説明を聞きながら、ああなるほど、ここの1000リンギットの価値ってドイツの1000ユーロとほぼ同じなのね、と分かった。なにしろドイツでは2022年末の時点で、学生ビザを申請するのに一か月あたり934ユーロが必要とされていたからだ。彼は子供もいるのでそれでは全く足りず、最低でも1400リンギット、できれば2000リンギット必要、と言っていた。ちなみにドイツの公務員の最も等級の低い給料は、月2095ユーロである(税込み)。マレーシアリンギットとユーロ、為替レートでは1リンギットが1ユーロとは全く言えないが、物価的に考えるとそういう感じなのだろう。
インストラクターさんの名前はルドルフさんと言って、その名前はヨーロッパの名前なので、キリスト教徒?と聞いたら、かつてはそうだったが、ムスリムの中国人と結婚したので改宗したのだという。へええ、このマレーシアでも違う宗教同士で結婚することがあるんですね、と聞いたら、最近多くなったとのこと。中国人でムスリムというパターンもあるんだな…で、キリスト教徒とムスリムが結婚する場合、男性の宗教に合わせるのではなく、ムスリムに合わせてムスリムになるというのも興味深い。ルドルフさんはもともとマレーシアのたくさんの民族の中の一つ、ドゥスン族の出身で、ドゥスンの言葉が母語で、コタキナバルのあるサバ州に多いカダザン族の言葉もでき、もちろんマレー語と英語もでき、さらに広東語とマンダリンもでき、そして結婚したため奥さんの中国語の方言も多少できるとのこと。ヨーロッパ人もよく複数言語できて、うちのドイツ人も母語のドイツ語の他に英語、フランス語、イタリア語、スペイン語ができ、さらに日本語もサバイバル程度できるけど、彼も顔負けのルドルフさんの多言語。凄いなあ。ルドルフさんには子供が2人いて、彼らは中華系の学校に通わせているという。それは私立なのでお金がかかるが、中華系の学校の教育が充実しているらしい。中国語も英語もしっかりやるし、とのこと。ムスリムだけど中華系の学校に通うというのもあるんだな…ホント、マレーシアって、奥が深いなあ。
めぎはこのダイビングスクールのあるガヤ島の端っこにある水上住宅の部落にちょっと行ってみたいなと思っていたので相談してみたら、即座に否定された。地元民の自分も未だかつて一度も近づいたことが無いし、行かない方がいいという。その水上集落は、ホテルからも見える本当に近いところにあるのだが、イリーガルで住んでいる人の多い所で、何が起こるか分からない、とのことだった。なるほど、そうかぁ…
そうやって色々話しているうちに時は過ぎ、いつの間にかダイビングに出かけていた人たちも戻ってきて、慌ただしく帰る時間になった。みんな、ダイビング客もインストラクターさんたちも残らずみんなが乗り込み、出発。
ああ、さようなら…
いつかまたここに来ることがあるだろうか。いや、たぶんここにはもう二度と来ないような気がする。めぎがここでダイビングをして楽しめる時代は終わったような、そんな気がした。
ここでの楽しかったかつてのダイビング講習の日々とこの日のルドルフさんとの時間を、めぎは一生忘れないだろう。
そしてまた遠くにキナバル山を望みながら…
ホテルのハーバーに戻ってきた。
ルドルフさんや他のダイバーの人たちとお別れし、めぎたちはホテルの外のレストランへ。
ここで、日が沈む直前に滑り込みセーフでオーダーし…
ガヤ島のダイビングスクールでは全く手に入らないビールで喉を潤し…
うちのドイツ人はカルボナーラを…
めぎはジャンキーなハンバーガーを晩御飯として食べた。
このとき滞在3夜目で、早くも現地食からちょっと一休みしたいということになったのだろうと思う。めぎたちも歳取ったなあ。