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ドイツ皇帝のいたところ [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]

今日から本格的にこの年末年始の旅のお話を。

ドイツを離陸したのが朝7時で、イタリアのヒールの付け根辺りにあるバーリ空港に着いたのが9時20分。それからレンタカーで最初に向かったのはほぼ真西へ50㎞の内陸。途中でオリーブ畑の中に何度も見かけたかまくらみたいな形の石積みの建物をパチリ。これが今回の旅の記念すべき最初の一枚で(その前に飛行機に乗り込むところと飛行機の窓からの眺めをスマホで2枚撮っているが、カメラで写したのはこれが最初)、10時39分の撮影。
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道沿いにあったので車を止めて覗きに行ってみた。
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トゥルッリという名前のこの石積みの建物はこの辺りでは住居としても使われていたらしいのだが、道路沿いのここは残念ながらゴミ捨て場になっていた。
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めぎたちが目指していたものがずっと遠くに見えてきた。
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あの山の上の建物。ものすごく異物感というか、馴染まないというか、奇妙に見える。
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なんと雪が!
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ものすごく寒かった…石の上にシャーベット状の雪で滑るし。
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これはカステル・デル・モンテという要塞で、13世紀前半に神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ2世が建てたもの。彼はシチリア王でありローマ王でありドイツ王でありイタリア王であり、それと同時にエルサレム王でもあったとか。で、イスラム寺院を真似て八角形で建てたのだとか、数学に造詣が深くて黄金比を用いて八角形にしたとか、色々と説明がある。イタリアのこの辺りに旅をすると決めて真っ先にうちのドイツ人が「じゃ、ここへ寄りたい」と言ったのがこのカステル・デル・モンテだった。無学のめぎは、デルモンテ?ケチャップ?などと連想したが、デルモンテって「山の」という意味だったのよね。カステルは英語で言えばキャッスル。つまりカステル・デル・モンテは訳すと「山城」である。
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6か国語に通じ、アラブ人とも話ができたと言われるフリードリヒ2世。当時のサラセン(懐かしい言葉!世界史を思い出すわ~)に対する防衛軍事施設としてあちこちに200以上の城を建てたらしいが、数学や天文学や建築・航海術などあらゆることに精通し、文化サロンを開き知識人を招待して交流し、宗教にも寛容で、封建君主であると同時に頭は近代的で教皇から2回も破門されたのだとか。イタリア生まれで一生のほとんどを南イタリアで過ごしたイタリア人だが、中身はドイツ的でもあるような気がする。

名前の通り山の上に立つ城で、風も強く、寒かった…
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海の方角に光が見えた。ちょうどどこかの街を照らしてその町が白く浮かび上がっていた。
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その反対側は雪景色。
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場所はこちら。



ドイツ・デュッセルドルフからここまで約2000㎞の長旅をしてきたのに、うちのドイツ人は外から城を見ただけで満足し、中は見学していない。で、これでカステル・デル・モンテを後にし、東へ戻り、海の方へ移動。これは途中で寄ったサービスエリアみたいなところ。12時49分の撮影で、エスプレッソとフォカッチャの昼食。
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そうそう、朝食は持参したお弁当だったのだが(ゆで卵とおにぎりとみかんを飛行機の中で食べた)、撮り忘れ。

明日からはしばらく海沿いの話。昨日のコメントへのお返事を昨日のコメント欄にしてあるので、もしよかったらどうぞ。
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