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rinoさんと [2014年夏 日本の旅]

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現在、この夏の日本の思い出を記録中。

7月末の東京がとても暑かった頃、rinoさんのお宅にお邪魔した。到着すると、まず手作りの梅酒が♡
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おいし~~~~い!
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rinoさんとはブログを通してデュッセルドルフで知り合った。海外生活が長く、かつてドイツにも住んでいらしたrinoさんとは話も合い、お子さんたちがめぎの母校に通っていらしたこともあって親近感も沸き、日本に行くとなると必ずお知らせする間柄に。今回もお忙しいところお時間を作ってくださり、しかもご自宅にお招きくださり、感動。いつもはクロスなど洋風にしていらっしゃるインテリアをめぎのために和風にセッティングしてくださったという細やかなお心遣い。

そして、手作りのこんなに素敵なお食事もご用意くださって。ああ、なんてお洒落なの~
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なんて豪華なの~~
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なんて美味しいの~~~
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心のこもった温かいおもてなし。美味しくていっぱいいっぱいいただいた。
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rinoさんとは子どものことやら親のことやら自分たちの健康のことやら話は尽きず、お優しさに甘えて愚痴を聞いていただいたりも。本当にホッと出来る素敵な時間。

お食事のあとは、リビングでおやつ♪
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BSの何かの番組でドイツのライン河畔の古城ホテルが紹介されていた番組を録画なさっていたのだが、それがめぎが以前訪ねた古城ホテルと同じ所なのか否かと確認したり。ええ、ここに泊まったのよ~ここ、本当に素敵でお洒落で食事もワインも美味しくてお勧め。rinoさんもまたドイツにいらしてぜひここに泊まって欲しいなあ。
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でも、今は色々とお忙しくてなかなか海外へは行けないみたい。ご主人の駐在もしばらくなさそうだし・・・いつかいらしたら、一緒に旅行もしてみたいわねえ。

おやつもとても美味しかった。
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本当は和室も準備してくださって、そちらでも座りましょと話していたのだけど、お話に花が咲いてあっという間に時は過ぎ、お暇しなければならない時間になってしまった。rinoさん、たくさんのお気遣い、ありがとう。お互い健康に気をつけて元気で過ごし、また会いましょうね。

撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)
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両親の家での食事 [2014年夏 日本の旅]

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ここ数日のテーマの食事つながりで、今日はこの夏の実家での食事のお話を。

札幌を訪ねためぎたちを待っていたのは、母の手作りの料理。
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手作りの料理が待っている幸せって、本当に貴重なことね。うちのドイツ人の母親を訪ねても、冷凍食品の解凍しか出てこないのだから。まあ歳をとれば仕方のないこともあるだろうけれど、だからこそ、親が元気で手作りの料理でもてなしてもらえる有り難さが胸にしみる。

蛸とエビを使ったサラダはさっぱりとしていて絶品。
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そして、赤い鉢の中にはお赤飯。
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そう、今回の訪問はお祝い事・・・めぎの父の会社は65歳定年なのだが、父はその後も仕事を任され、70歳で第2の定年を迎えた。それは既に2年くらい前のことなのだが、その間めぎはうちのドイツ人の家族のことで色々あって日本に行く精神的余裕はなく、父が特別な祝いを望まなかったこともあり、改まって何をすることもなく時が過ぎ、今回ようやく訪ねてみんなでお祝いすることになっていた。

ところが今回の日本旅の出発直前、父が突然の病で緊急入院、手術。それはそんな大病ではないが、放っておけるものでもなかった。その知らせを聞いたとき、全ての旅行の予定をキャンセルしてまっすぐ札幌に行かなきゃならないかな、とも思ったが、予定の変更の必要は無し、とのこと。妹も行かないというので、結局入院中の父を見舞うこともなくめぎは東京で友人たちと賑やかに楽しく飲み食いしたという訳だ。

訪ねてから詳細を聞いたところ、最初は4~5日様子を見てから手術するかどうか決めると言った主治医に対し、それじゃ退院がめぎの訪問に間に合わないからすぐに手術をしてくれ、と父の方から頼み込んだのだそうだ。めぎの来る一週間前には退院し、すっかり体調を整えて待っていた父。こういう料理も普通に食べられて、お酒も飲めて、なによりのこと。
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そんなダブルお祝いを、母の優しい味付けの料理をつまみながら家族みんなでおしゃべりできて、めぎにとってもとても嬉しい時間だった。
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8年前に訪ねたときは魚魚魚刺身刺身刺身魚魚・・・と魚介のオンパレードだったが、今回は生ハムやチーズも用意されていた。色々気遣ってくれたのだろうな。うーん、正直なところ、めぎは飽きるほど浴びるほどアザラシになるほど魚を食べたいな、あと5日もしたらこういうのがどっさり安く手に入るところに戻るんだけどな・・・と思いつつ、久々のチーズの味は格別。
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うちのドイツ人が、ちょっとふざけてチーズを箸で♪
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それからデザートの桃。日本の桃は絶品で、ほっぺたが落ちそうというのはこのこと。まさにケーキ代わりのデザートだわね。
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母が用意していたのはワイン。家族6人で(しかも病み上がりでセーブしながら飲んだ人が約1名いたのに)、これだけのお酒を全部空けてしまった。こんな遠くの日本まで来て、ヨーロッパでも滅多に飲まない格のワインをこんなに大量にいただくとはねえ。これ、日本では相当なお値段になるのだろうな。ちなみにワインのセレクションは義弟。めぎの実家には冷蔵庫みたいなワインセラーがあって、母はいいワインを集めて楽しんでいるらしい。そこから義弟が吟味して飲む順番も考えて選んで出してくれたのだった。義弟と妹もワイン好きで自宅に同様のワインセラーを持ち、ワイン会などをやって勉強しているようだ。
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↑一番右端のトカイワインは、長く寝かせたので瓶に色が染みついているが、空っぽ。

そのトカイワイン、飲む前にもっと若いトカイワインと並べて色の違いを写した。寝かせるとこんな色に熟成するのね。母の妹(めぎの叔母)がその昔お土産に買ってきてくれたものだというこの古いトカイワイン、みんなで美味しくいただいた。
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本場ヨーロッパから来たワイン歴40年以上のうちのドイツ人は(ドイツでは16歳からワインが飲めるので、文字通り本当にワイン歴40年以上)、久々のヨーロッパの香りと味に一気にホームシックに。香りというのは本当に残酷だ。同時にそこには醤油味の香りもあり、箸が置かれ、日本の果物が並び、お茶も出される・・・それと共に味わう上質なヨーロッパのワイン。このときどれほどうちのドイツ人が故郷を遠く離れていることを実感したことか、ドイツでそのちょうど反対の経験をしているめぎにはよく分かる。

次の日の朝食には、うちのドイツ人のためにドイツパンが用意されていた。札幌のどこかでかなり本格的なドイツパンが売られているらしい。
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バターが↑こうして切ってあるのは、料理に使いやすいようになのかな。ドイツではバターって冷蔵庫で出しやすい手前に置かれてどっかりと存在感を示しているけど、実家では奥深くに埋もれていたなあ・・・きっとあまりバターを使わないのね。めぎも日本にいた頃はバターなんてほとんど買わなかったものなあ。それはともかく、父や妹夫婦が食べる普通の朝ご飯の他にエキストラにうちのドイツ人用の朝食を用意してくれた母の手間と心遣いにうちのドイツ人は非常に感動し、大喜びでドイツパンを食べた。この朝食のことをドイツに帰国してから家族や友人たちに何度も何度も話していることからも、どれほどこれが印象に残ったかが伺える。食べながら、あと数日でドイツに戻れる・・・と心躍らせてもいたようだ。

めぎはもちろん朝から和食をいただいた。このお味噌汁のにおいが朝は殊の外敏感なうちのドイツ人には辛いだろうな、と知りつつも。(夜なら喜んで食べるのだけどね。)めぎは本物の和食が食べられるあと数日しかない貴重なチャンスを逃したくはないのだ。
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うちのドイツ人がどれほどの日本通になろうとも、朝のお味噌汁のにおいや大根やネギを切るまな板の音から日本人なら誰もが心に描く温かくも切ない懐かしい風景は思い描けない。背景を説明しても、心では理解できない。うちのドイツ人は、今回の旅を通して自分は日本では暮らせないとハッキリ悟ったそうだ。それは、ドイツの味が懐かしいとか文化の違いを感じたとかそういうことではなく、これほどの日本通になり、これほど日本と日本人が大好きだけど、如何に自分が日本のことを決して理解し得ないかをようやく悟ったからなのだとか。それだけ日本通になったということでもあろうか。

次の日の夜は温泉で、その次の日は外の居酒屋で夕食を食べ、早くも最終日の晩。めぎも買い物についていって、目についた出来合いのものも追加して食べたいものを用意してもらった。出来合いのは、鰹のたたきとなまこ酢。イカは釣りたてという感じの透き通った黒々とした生きのいいのを買ってきて母が刺身にしてくれた。(あのドイツに持ち帰ったイカのゴロはこのイカのもの♪)
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この日のメインは和牛。義弟の実家からお中元に贈られた物だとか。ああ、そうだ、日本にはお中元とかお歳暮とかもあったのよね・・・こちらからはアスパラやらメロンやら贈ったという話で、どうやら両親は義弟の実家とよく贈り物をしあっているようだ。霜降りの和牛、柔らかいわねえ!お肉がこんなに薄切りで、ああ日本だわねえ。今年の最後のものだという北海道のアスパラも、う~ん懐かしい味。ドイツの牛肉は霜降りじゃないし、ドイツでアスパラと言えば白で、グリーンのはほとんど食べない。
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鰻の蒲焼きで作ったこのチラシ寿司、とっても美味しかった。蒲焼きは出来合いのを買ってきたのだが、こんな美味しい調理品が手軽に売ってるのが日本の良さね。
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この日のお酒は妹がワインセラーからセレクトしたこちら。義弟が仕事のため先に仙台に帰り、残った5人だけで飲んだとは言え、ちょっとおとなしかったわねえ。
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デザートは葡萄。この種なしで皮の厚い葡萄はうちのドイツ人の印象に残ったものの一つ。ドイツでは皮ごと葡萄を食べるし(だから皮が薄く、皮から実がぽろっと剥がれるような品種改良がされていない)、甘さはドイツのもとても甘いが、甘みの方向が日本とどうも違うように思う。
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そして、お茶。食後にお茶を入れるのって、そういえばドイツでは全くしないこと。
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この器はめぎも覚えのあるもの・・・めぎが高校生くらいの頃、この器に恋した母が買ったもの。懐かしいなあ・・・日本のお茶、美味しかった。
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それにしてもなんて美味しい食事だったことかしら・・・めぎにもうちのドイツ人にも気を遣って色々と用意してくれて、父と母に感謝。

出発の朝は、コーヒーと桃を。桃の甘さはもちろん、このコーヒーが美味しかったとうちのドイツ人は今でも思い出しては言っている。
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芸術作品のような桃・・・夏に行くことがなければもう食べられないわねえ。日本にいつ行くかによって、食べられるものも全く異なる。この桃の味は一生忘れないだろう。
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撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)
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20年数年ぶりのお墓参り [2014年夏 日本の旅]

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今日もまた夏の日本旅のお話を。

今回札幌を訪ねることにした際、したいことのリストのNo.1にお墓参りを揚げた。義父が亡くなってからハンブルクへ何度もお墓参りに訪れ、そういえばめぎの先祖のお墓にうちのドイツ人を連れて行ったことがなかったなあ、と気づいたからだ。それどころかめぎ自身、20年以上お墓参りをしたことがなかったし。だから、今回のお墓参りは3週間の旅の中でもめぎにとってはハイライトの一つとも言えるほど思い出に残ることだった。

まずは母方のお墓へ。母方というのは母の実家のお墓という意味だが、めぎの両親は母の両親をうちに引き取って最後の面倒を見たので、めぎが一緒に住んだことのある祖父母がここに眠っている。それも、祖母が亡くなったときに最期を看取ったのは偶然ながらめぎ一人であったので、めぎにとってはまだ社会に出ないうちに人の死と直接向き合った思い出の墓でもある。
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お墓は千歳にある。母の兄が住んでいた地である。
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こういう桶と柄杓(という名前なのかな?)が地方によっては家ごとに用意されていることと思うが、ここには誰でも使えるように入り口にいくつか置かれているだけ。北海道はいろんなものを非常に簡略化しているのだ。
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線香をつける母。北海道では線香をこんな風に束であげる。線香の付け方一つとっても、日本の他の地方とずいぶん異なる。
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話は飛ぶが、かつて鹿児島で、嫁の仕事として朝と夕方一日2回墓の掃除と花の取り替えが日課であるという話を聞かされたことがあるのだが(20年前のことなので今もそうなのかは知らないが)、同じ日本といえども地方によって習慣がずいぶん異なるものだ。毎日2回も墓の手入れをする地方もあれば、冬は雪に埋もれたままほったらかし、夏も草ぼうぼうのままの北海道。今回めぎがお墓参りしたいと言ったため、めぎの両親はわざわざ事前に一度出向いて草むしりをしたそうで、たしかにちょうどうちのお墓とその前だけ草が生えていなかった。

祖父は85歳、祖母は79歳だったのか・・・これは数えだけど。その横には若くして亡くなった伯父の享年が。伯父は遺言により無宗教で葬式を行ったので、戒名が無く実名で、そして享年でここに記されている。さらに裏には千歳に住んでいたもう一人の伯父とその奥さんの名も。その伯父夫婦が亡くなったときにはどちらの場合もめぎはドイツにおり、葬式にも法事にも出たことはない。この伯父には幼いときには親しく遊んでもらっていたのに、今はこの墓の下にいるのだと思うと、人生は儚いものだ。
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折しもちょうどこの頃日本で男性の平均寿命も80歳を超えたと報道されたのだが、祖父は20年以上も前に結構長生きだったと言えるし、祖母はずいぶん早くに逝ってしまったんだな・・・

うちのドイツ人も日本風に手を合わせた。
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西洋の墓は個人のもの。日本のような、遺された者が供養しないとあの世で先祖が浮かばれない云々といった考えはなく、うちのドイツ人には先祖を「弔う」という意識がない。ドイツでめぎが、うちのドイツ人の先祖が洗礼を受けた教会に案内されたことはあるが、お墓に連れて行かれたことはないことからも分かるように、ドイツ人にとってお墓は死体を埋めるところという意識以外に何もない(もちろんカトリックかプロテスタントか、信仰心の深さにもよると思うが)。魂は神に召されていてお墓にはないし、お盆などに地上に戻ってくるという考え方もない。魂が救われるか否かは亡くなった本人の一生にかかっているのであり、遺族には全く関係がない・・・先祖を敬ったり誇りに思ったりはするが、それは弔いとは全く無関係なのである。うちのドイツ人は実の父のお墓でも手を合わせたことはなく、めぎはこういう姿を初めて見た。ありがとう。

次の日、今度は札幌の父方のお墓へ。父方のお墓というのは父の実家のお墓のことで、父と母もここに入ることになる。
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山の中にあるような墓地に見えるが、場所は札幌の円山で、つまりかなり町の中心部である。札幌市の公営だそうで、敷地の管理はかなり適当である。草もぼうぼうだが、これがお盆を前に掃除されたのか否か謎である。
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父方の祖父母は昭和のうちに亡くなった。祖父はめぎがまだ小学生の頃のこと。そんな昔に84歳まで生きたのね。それに対し、祖母は78歳まで。若かったのね。
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どうして墓のまわりに花を植えたりしないのかとドイツの墓地を思い出してうちのドイツ人が質問したが、めぎの父の答えは、日本のお墓は盛り土をしてその上に石をのせているので、花を植えるとその根が邪魔をして盛り土もろとも崩れる恐れがあるから、とのこと。お墓に根を張らせることには宗教的にも何かよくない意味があるのかも知れないが、父の合理的な理由付けはうちのドイツ人には非常に納得のいくものだった。たしかにドイツのお墓は盛り土をしない。死体にしろ灰にしろ、穴を掘って埋めて、その上に石を置き、植物を植えるのだ。つまり、地面は平らなままなのである。

近くに、千と千尋を思い出すような置物があった。
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お墓参りを終えて、うちのドイツ人が、めぎが死んだらここのお墓に入りたいか、と聞いてきた。めぎが入りたければ、自分が生きている限りはここまで遺灰を持ってくるという。父によれば名前が違っても入りたければここに入ることができるそうだったが・・・遺った相手が気の済むようにすればいい、だってその人はまだ生きて行かなきゃいけなくて、めぎの死を乗り越えなきゃならないんだから、というのが今のところのめぎの願い。でも、もしかしたら、遺った相手はそうでなくても大変なのだから、どこどこへ、ときちんと指定してあげておいた方が親切かも知れないわね。


撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)


XXXX 負けた~~! XXXX

ポーランド、歴史的勝利。写真はARDから。
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ドイツ、悪くもなかったんだけど。でも結果は完封。写真はRP-Onlineから。
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ヨギ、次も頑張れ~写真はRP-Onlineから。
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