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東京でデュッセルドルフの知り合いに会う [2014年夏 日本の旅]

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今日からしばらく東京の思い出話をどうぞ。

東京滞在中の7月下旬のある日、うちのドイツ人の知り合いと浅草橋で待ち合わせ。
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その知り合いは、以前デュッセルドルフにいた日本人。二人とも、日本で会うのはなんだか変な気分だね~と言いながら再会を喜び合っていた。

準備中の屋形船を眺めながら橋を渡る。
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中はスタンバイOKのようね。
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ちょっと川沿いにも歩きながら撮影。
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今度は向こうの橋、柳橋から。
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そこからしばらく歩いていくと、この日その知り合いがめぎたちを招待してくれた店がある。無機質な住宅街というか、日本中にあるタイプのマンションが並ぶ顔のない雰囲気だが、花街だったその昔はどんな雰囲気だったのかしら・・・と想像しながら。花街だったところだと知らなかったら、こんなところにそんなに連れて行きたいお店があるの?と思うほど、ここにはもはや雰囲気はない。
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案内されたのは、知り合いの大好きな鮨屋さん。まずはビールに焼き物から。
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日本一美味しいという潮汁。薬味のネギ以外に何も具の入っていないこのすまし汁がたしかに絶品だった。
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それから順次握りを。
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握ってくださった親方の手。先代親方がご病気だそうで、二人でやっていたのが一人になっちゃったので大変、とのこと。
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ビールからお酒へ。
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話も弾み、鮨が握られるテンポも速く、この先写真を撮っていない。美味しいお寿司をおなかいっぱい食べて大満足。うちのドイツ人も日本に行けばこうして方々で本物を御馳走になってすっかり舌が肥えてしまい、もはやデュッセルドルフでは寿司屋へ行きたがらなくなった。デュッセルドルフにも日本の下手なところより美味しい寿司屋があるのだけど、こんなのを御馳走になってはねえ・・・

ごちそうさまでした~~~♪
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外に出ると、暖簾には文化三年?五年?創業との文字。
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こちらには慶応二年の文字。
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調べてみたら、文化年間(1804~1817)に屋台で創業、慶応二年に二代目がここに店を構えたらしい。今の親方は六代目。どうやら江戸前寿司の元祖の一つのよう。Wikipediaで江戸前寿司を調べると文化年間の後の文政に江戸前寿司を考案したとされる人の名前が出てくるが、きっとその頃似たような握りの屋台がいっぱいあったのだろうな。

軒下にはたくさんの紫蘇(大葉)が。きっと自前なのね。
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それから別の店へ移動するために地下鉄の駅へ。駅のすぐ近くには同じ鮨屋さんの立ち食い処がある。ネットで調べると、他にも支店がかなりあるようだ。
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そして地下鉄で浅草へ。
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外国人に人気の浅草だけど、うちのドイツ人はもう今までに何度も浅草を見たことがあるので観光はせず、しばらく歩いてこんなお店へやってきた。
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外は梅雨明けのものすごい暑さで、ここまで歩くうちに汗びっしょり。でも、このお店の中はクーラーがんがんで別世界。ここでまずライムのカクテルをいただいた・・・名前忘れちゃった・・・
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めぎはそれからカシスリキュールを♡
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知り合いやうちのドイツ人が何を飲んだのか、もはや全く覚えていない。写真も撮ってないし。こういう飲み物は欧米から日本へ来た訳だけど、このバーの雰囲気は大陸ヨーロッパにはない感じ・・・きちんと掃除されてて綺麗だからかな。大陸ヨーロッパのバーは下に色々落ちてて汚いものね。いや、ジャズの所為かな。そういえばドイツやフランスやスペインやイタリアでバーに入ってジャズが流れていることってあまりないような。ジャズって元はアメリカの音楽だものね。ヨーロッパのお酒を飲みながら、ものすごく遠くへ来ていることを実感する不思議な感覚が湧き上がる。
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このバーのご主人はジャズのお好きな方で、お店ではもちろんジャズが流れ、写真を撮らなかったけどジャズの昔のレコードや写真がたくさん飾られていた。と言うか、今回日本で何人かの方々にバーに案内されたけど、どこも必ずジャズがかかってて、日本では今ジャズが流行っているの?とうちのドイツ人に聞かれたほど・・・うーん、めぎにはよく分からないのだが、日本でバーと言えばジャズが流れるものなのかしら?しかしここのご主人は流行とかそういうものだという常識でジャズを流しているのではなく、筋金入り。なんとここのご主人は、デュッセルドルフの近くのMoers(モェアス)という小さな町で毎年聖霊降臨祭(6月頃)の時に4日間開かれているジャズフェスティバルに来たことがあるのだとか。こんな東京のいかにも日本のバーというところでMoersという町の名前を聞くとは、ものすごくびっくり~~~失礼ながらただ可愛い田舎町だと思っていたのだが、そんな有名なジャズフェスティバルのあるところだったのね。

うちのドイツ人と知り合いの話す英語と、バーで流れていたジャズと、Moersという町と、自分たちが食べたり飲んだりしているものと、そしてこの東京浅草の風景がどれもこれも一つ一つあまりにも別世界で、自分がどこにいるのかふと訳が分からなくなる感じ。
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それにしても美味しいお寿司だったなあ・・・連れて行ってくれた知り合いに心から感謝。

撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)
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ナツパパさんと [2014年夏 日本の旅]

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今日はまた東京の思い出を。

ここは東京の千駄ヶ谷、鳩森神社。
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一つ目の鳥居をくぐってしばらく行くと、もう一つ鳥居が現れる。
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そこをくぐると橋。
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池は菖蒲がいっぱいで、シーズンによってはなかなか素晴らしい眺めなのだろうな。そこを渡ってしばらく行くと・・・
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そこには里宮。
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ちょっとお参りしてからちょっと登ると、そこにはお中道。まず烏帽子岩が見え・・・
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その奥に洞窟らしきところにいる食行身禄(じきぎょうみろく)像。
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その辺りから上を見上げる。
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そう、ここは富士山のミニチュア、富士塚。今年関東地方で梅雨明け宣言があった日、めぎはここへナツパパさんに案内していただいたのだった。初めてお目にかかったナツパパさんはとってもお優しく、非常に気配りの行き届く方。重要な見所をきちんと押さえて説明してくださりつつ間にホッとするような世間話もしてくださり、かつ写真を撮ったりめぎが眺めを堪能する時間も上手に配分してくださり、さらにドイツのことやらヨーロッパのことやら結構突っ込んだ質問もされたり、ブログを読んで想像していた通りのお人柄ですぐにうち解けることができ、初めてお会いしたとは思えないくらいおしゃべりも弾んだ。この富士塚でナツパパさんは数々のキーワードを口になさっていたが、その多くは冨士講や富士塚信仰と関係のある言葉でめぎには新しく興味深いし、いくつかは4年前富士登山をしたときの記憶と一致し、またはその昔富士五湖まわりや富士山麓一周の旅をしたときの記憶とも一致し、楽しい楽しい♪ 恐らく最初の菖蒲の池は富士五湖の見立てではないかと。そうかあ♪

こちらにも下へ降りる道が。御殿場口か須走口か・・・などと想像するのも楽しい。
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さらにお中道をぐるりと回って裏の方へ。そこには小御嶽石尊大権現。
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ここが砂走りなのか大沢崩れなのかもう記憶が曖昧だが、このお中道はなかなか険しく、でもきちんと整備されていて、本当に富士山の中を歩いているかのような疑似体験ができる。
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裏側から見上げると・・・富士山の溶岩が聳えている。なかなか高いわねえ。
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そしてぐるりと回って里宮へ戻ってきた。その付近に亀岩。
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それから頂上までがまたなかなか険しい。
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登頂!
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奥宮に・・・
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釈迦の割れ石と金明水。
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そして、なかなかの眺め。下には富士五湖♪
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手前右に里宮が見える。ね、結構高いでしょ。
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帰りは裏側から降りた。たくさん石碑があって、どれがどなたなのかは確認しなかったが、寄進した人や富士塚を信仰した人の強い気持ちが感じられた。
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江戸時代のアミューズメントパーク、エンターテイメントの一つだったのではというのがナツパパさんの説明。ワクワクする楽しさ。めぎがかつて東京に住んでいた時に富士塚に気がつかなかったことが悔やまれる・・・でも、遠く離れたドイツにいながらナツパパさんのブログに巡り会って富士塚のことを知り、いつか行ってみたいなあと思いながら何年もの間ブログで記事を拝読し、ようやくこうして案内していただける機会を得たというのもとっても素敵なことだわね。
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ナツパパさんはお土産にこの本をくださったのだが、これが非常に分かりやすく魅力的に書かれていて、この本に載っている富士塚を全部巡りたくなる。

ご近所富士山の「謎」 富士塚御利益散策ガイド (講談社+α新書)

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ところで、この鳩森神社でもう一つナツパパさんにご紹介いただいたものは・・・
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そう、ナツパパさんと言えば、富士塚ならびに狛犬さん。こちらは上の鳥居のところにいた狛犬さんたち。1735年生まれなのだとか。
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可愛い足ね。
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眩しいよって言ってるみたい。
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境内には他にも狛犬さんたちが。
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なかなか眼球の鋭いこの方々はずいぶん新しく、昭和29年のお生まれ。
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阿吽が反対のよう。
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この神社にはその他に1814年の狛犬さんの片方や、顔が割れちゃった狛犬さんもいるみたい。

最後にブロンズの狛犬さんたちも撮影。
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彼らは昭和7年生まれ。あら、ということは、ずいぶん新しく見えたけど、あの眼球の鋭い方々よりお年なのね。
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めぎは神社が好きで、東京に住んでいた頃はよく鎌倉などへ行って神社巡りをしたものだったが、狛犬には特に興味がなかった。それがナツパパさんのブログを読むようになってから、すぐに目が行くようになった。それにしてもこんなにも色々な表情があるとはね~

こうして鳩森神社の見学は終わったのだが、ナツパパさんがこのあとどこやら別のところに連れて行ってくださるということで、地下鉄に乗って移動することに。地下鉄の中は涼しくて、生き返る心地♪

つづく。

撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)
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芭蕉とケルンと富士山と財閥とルフトハンザ [2014年夏 日本の旅]

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現在、この夏の日本の思い出を記録中。

ナツパパさんに連れられて千駄ヶ谷から地下鉄に20分くらい乗ったかな・・・降りてちょっと歩くと足下にカエルさん♪
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そこにはこんな橋が架かっていた。
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その橋を渡った先に、こんな看板が。
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そのケルンの眺めはこちら。あの橋のことらしい。
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この眺め、たしかにケルンの大聖堂をバックにしたあの大きな鉄橋に似ているなあと感じてそこで大ウケしたのだが、モデルは鉄橋ではなくて昔の吊り橋だったのね(しかも場所も違う)。ケルンのオリジナルは1913~15年に作られ、45年2月戦争による被害を修復中に突然崩れ落ちたそうだ。避難民や戦車などの往来で重量オーバーしたらしい。写真はWikipediaから。
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ちなみに鉄橋の方は万年橋の方に似てるわね。こちらもWikipediaから。
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さて、この清洲橋を下に降りて近づいて撮ってみた。橋の撮影って、難しいわねえ。この日空もちょっと薄曇りになってしまい、白い部分が多くなっちゃう。
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このすぐそばに、芭蕉庵の跡やら記念館やらがある。ここは芭蕉庵跡の芭蕉稲荷神社。
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記念館は見学しなかったけど、展望庭園とやらへ行ってみた。
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おお!芭蕉さん、いつもケルンを眺めていらっしゃったのね~!ケルンについての俳句を遺していただきたかったですねえ。
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大聖堂の代わりに向こうに聳えるのは読売新聞社。
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この展望台には万年橋を描いた北斎の富嶽三十六景「深川萬年橋下」も。ふーん、その昔はここから富士山が見えたのね。
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同じ向きで撮ってみる・・・うーん、この近代化は本当によかったのか、ちょっと考えちゃうわねえ・・・橋はそこそこに趣があるけど、まわりの景色がねえ。
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それからめぎとナツパパさんは、カフェにでも行って一休みしようかと言いつつ通りすがりに見かけた緑の多いこの空間に吸い寄せられた。なんだかケルンかデュッセルドルフかと思うような広い広い空間・・・ふと東京にいるのを忘れるような。
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その辺りに看板が立っていて、この公園のことが説明されていた。もともとは江戸時代に豪商紀伊国屋やら下総国関宿の藩主やらの屋敷があったそうだが、明治時代に三菱財閥の岩崎弥太郎が買い取って庭園を完成させたのだとか。鹿鳴館だって~なんだか懐かしい歴史の言葉。
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関東大震災で焼失しちゃったその鹿鳴館時代の建物。残っていたら・・・と思うと本当に残念ね。
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岩崎家の敷地だったここが東京都の公園になったのにはそういう訳があったのね。
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めぎはこの岩崎家という言葉に吸い寄せられた・・・というのは、めぎのドイツ語の基礎を伝授いただいた恩師の一人が所縁の方だからである。その恩師は関東大震災の頃はまだ赤ちゃんで、ここにいらしたことがあるのかどうかはなんとも言えないが、せっかくここに偶然辿り着いたのだからこれもご縁と感じ、暑くて喉も渇いたけどカフェは後回しにして入園料150円払って庭園の方へ入ってみた。(ナツパパさんには暑い中申し訳なかったです!)
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石が印象的。
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広い池でのびのびとしていた鯉。
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亀さんものびのび~~
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そして、ここにも富士山があったのだった!
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おお~図らずも今日2つめの富士山登頂!?と心躍らせたけど、登山禁止だった。
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遠くにスカイツリーが見える・・・そして近くのマンションも。あのマンションに住めば、いつでもこの庭園が見える訳ね。しかし、マンション側はいいけど、庭園側から見ると、やっぱり興醒めだわねえ・・・仕方がないことだけど。
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それにしても東京都もこれだけの敷地を管理するのは大変だろうなあ。150円で公開してくれているのはとっても有り難いことね。数年前不忍池近くの旧岩崎邸にも行ったけど、明治から昭和初期にかけての財閥って、本当にすごかったのねえ・・・思えばめぎの知る恩師はものすごく仕事熱心で、ドイツ語のどんな些細な単語でも一つ一つのニュアンスにまで拘って辞書を端から端まで読んで的確な訳語を探して正確に訳すことを教えてくださったのだが、あの細かく熱心な仕事ぶりを思うとその矛先が商売に向けばご先祖様が財を築くのも頷ける・・・そんなことを考えている暇があったら辞書を引きなさい!と怒られそうだけど。

そしてようやくナツパパさんのお薦めのカフェへ。
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中にはルフトハンザの模型やらグッズやらがいっぱい。
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小さいタイプから大きなのまで揃っている。一つ一つもっとクローズアップして撮っておけばよかったなあ。
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ここでずいぶん長いこと色々おしゃべりしたなあ・・・いろんなテーマが後から後から浮かんで、話が尽きないのだった。そんなうち解けた雰囲気になったのは、ナツパパさんのあたたかいお人柄の故だろう。だって、この日のテーマの富士山が移動先にもあって、さらに東京にいながらにしてこんなにドイツを感じるようなところへ次から次へと連れて行っていただいたたんだもの!
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以上でナツパパさんとのお話はお仕舞い。充実した楽しいひとときに心から感謝。

撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)
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