2023年7月25日ザルツブルクにて [2023年夏 ザルツブルク]
今日は7月25日のお話を。
この日、曇り時々雨という一日。朝、雨の上がっているうちに新聞とパンを買いに出かけた。今年は基本的にこの屋台でパンを買っている。聖霊降臨祭のときにうちのドイツ人と買ってみて、美味しかったので。
あまり写真を撮ろうという気分にならず、これで宿に帰ることにする。
ドイツかららしい修学旅行らしき団体。先生が生徒たちに呼びかけるドイツ語がオーストリア訛りではなかったので、ドイツからかな、と。
それから一日、雨なのでどこにも出かけず、宿でゆっくり今後の予習と計画。計画というのは、そろそろ滞在も半分になるので、後半に一回ぐらいはレストランに行って食べようとか、天気予報を見ていつどの辺に散歩に行こうかな、などと。
そして、夜。20時半からのコンサートに20時10分ごろ行こうとしたときに土砂降りの雨と強風になって、どうしましょ~諦めようかな…と思ったが、あと5分という時になって小降りになったので駆け付けた。宿から歩いて3分の立地のおかげ。場所はまたKollegienkircheで、Ouverture spirituelleの枠内の教会コンサート。内容についてはこちら。行ってみたら人がいっぱいで、みんなあの雨の中でもちゃんと来たのね…めぎが到着してから5分後ぐらいにコンサートが始まった。
最初の曲は16世紀のフランドル学派の作曲家Orlando di Lasso(彼についてはこちら)のProphetiae Sibyllarum — Motetten-Zyklus auf Sprüche der Sibyllenと言い、下の曲全部ではなく3曲目、10曲目、1曲目のみ。
15分ぐらいの上記の曲の後、引き続いてこの日の主作品、Wolfgang RihmのET LUX für Vokalensemble und Streichquartetに移る。Rihmはまだ存命の作曲家で(彼についてはこちら)、めぎは以前にザルツブルクで彼のオペラ「メキシコの征服」を見て感動し、次に見たオペラ「エディプス王」も面白かったので今回このコンサートに行くことを決めた。ET LUXは2009年作曲の現代音楽。正直なところ、この曲を理解するにはめぎは勉強不足。オペラと違って舞台を見て理解することができないので、曲だけだと全然わからないのだ。テキストはパンフレットに載っているので、何について歌っているかは読めばわかるのだけど、ふわふわした感じで聞き取れないのでどこを歌っているのかわからないし…
というわけで、今回は現代音楽の響きに宙づりになったような気分だけで終わった。あとで新聞の批評を読んだところによると、親しみやすかったらしいんだけど。むむむ…
↑上のトリミング。
この日でKollegienkircheでのOuverture spirituelleのコンサートは終わり、あと2演目残っているがそれは別の会場で。
この日、曇り時々雨という一日。朝、雨の上がっているうちに新聞とパンを買いに出かけた。今年は基本的にこの屋台でパンを買っている。聖霊降臨祭のときにうちのドイツ人と買ってみて、美味しかったので。
あまり写真を撮ろうという気分にならず、これで宿に帰ることにする。
ドイツかららしい修学旅行らしき団体。先生が生徒たちに呼びかけるドイツ語がオーストリア訛りではなかったので、ドイツからかな、と。
それから一日、雨なのでどこにも出かけず、宿でゆっくり今後の予習と計画。計画というのは、そろそろ滞在も半分になるので、後半に一回ぐらいはレストランに行って食べようとか、天気予報を見ていつどの辺に散歩に行こうかな、などと。
そして、夜。20時半からのコンサートに20時10分ごろ行こうとしたときに土砂降りの雨と強風になって、どうしましょ~諦めようかな…と思ったが、あと5分という時になって小降りになったので駆け付けた。宿から歩いて3分の立地のおかげ。場所はまたKollegienkircheで、Ouverture spirituelleの枠内の教会コンサート。内容についてはこちら。行ってみたら人がいっぱいで、みんなあの雨の中でもちゃんと来たのね…めぎが到着してから5分後ぐらいにコンサートが始まった。
最初の曲は16世紀のフランドル学派の作曲家Orlando di Lasso(彼についてはこちら)のProphetiae Sibyllarum — Motetten-Zyklus auf Sprüche der Sibyllenと言い、下の曲全部ではなく3曲目、10曲目、1曲目のみ。
15分ぐらいの上記の曲の後、引き続いてこの日の主作品、Wolfgang RihmのET LUX für Vokalensemble und Streichquartetに移る。Rihmはまだ存命の作曲家で(彼についてはこちら)、めぎは以前にザルツブルクで彼のオペラ「メキシコの征服」を見て感動し、次に見たオペラ「エディプス王」も面白かったので今回このコンサートに行くことを決めた。ET LUXは2009年作曲の現代音楽。正直なところ、この曲を理解するにはめぎは勉強不足。オペラと違って舞台を見て理解することができないので、曲だけだと全然わからないのだ。テキストはパンフレットに載っているので、何について歌っているかは読めばわかるのだけど、ふわふわした感じで聞き取れないのでどこを歌っているのかわからないし…
というわけで、今回は現代音楽の響きに宙づりになったような気分だけで終わった。あとで新聞の批評を読んだところによると、親しみやすかったらしいんだけど。むむむ…
↑上のトリミング。
この日でKollegienkircheでのOuverture spirituelleのコンサートは終わり、あと2演目残っているがそれは別の会場で。
2023年7月24日ザルツブルク音楽祭など [2023年夏 ザルツブルク]
今日も数日遅れでザルツブルクのお話を。
なかなかおどろおどろしい空模様だった7月24日の朝。
でも空のこちら側はこんな綺麗だったので、散歩に出かけることにした。いっぱい休んで、やっと普通の元気が出てきたってことかな。
朝日の影が綺麗。
でも、岩山の上に来たら、雲が多くなっていた。
それから山の上をずっと歩いてノンベルク修道院へ。あのサウンドオブミュージックのマリアがいた修道院ね。ここももう何回目かなぁ…10回以上だわね。
それから娑婆に降りてきた。
宿に戻り一日ゆっくり過ごし、19時からのコンサートへ。直前に凄い雨が降ったのだが、行く時には上がってくれた。
この日もOuverture spirituelleのコンサートなのだが、今回の会場は教会ではなくフェルゼンライトシューレ。
あのサウンドオブミュージックでトラップ一家がコンテストに出る会場ね。
この日のコンサートの内容はこちら(ドイツ語)。演目はモーツァルトのレクイエムを中心に何曲か。指揮はManfred Honeckで、数人のオペラ歌手とバイエルン放送局合唱団とカメラータ・ザルツブルク(オケ)の演奏。
さて、この日のプログラムの内容を書くのはとても難しい。まずグレゴリオ聖歌のRequiem aeternamがどこからか響いてきた。バックステージで歌っているらしい。曲はこちら。
次にGyörgy Ligeti(ジェルジ・リゲティ)という現代作曲家(2006年没)のLux aeterna(永遠の光)。映画「2001年宇宙の旅」で使われた音楽。それについてはこちらを参照。
そのあと鐘の音が3回。それに引き続き、モーツァルトの1787年4月4日付の父親宛の手紙の朗読。その後、モーツァルトのMaurerische Trauermusik c-Moll KV 477 (479a)。
次にまたグレゴリオ聖歌(Domine, exaudi orationem meam)。
そのあとモーツァルトのLaudate Dominum。これを歌ったソプラノ歌手の声がこのときとても美しかった。だからほかの歌手のを張り付けたくなくて、ボーイソプラノのを選んだ。
歌ったのはKatharina Konradiという歌手で、これは今回のコンサートの演目ではないが、どんな声か一つ張り付けておく。
次に、またグレゴリオ聖歌(In quacumque die)。
そのあとNelly Sachsの詩の朗読。彼女についてはこちらを参照。そのあとモーツァルトのレクイエムの1 Requiemと2 Kyrie(曲は後程)。そのあとヨハネの黙示録の朗読。そのあとグレゴリオ聖歌(Christus factus est)。
そのあとモーツァルトのレクイエムの3 Sequenz(曲は後程)。次にヨハネの黙示録の朗読の続き。そしてまたモーツァルトのレクイエム。今度は最後の4 Offertoriumで、未完のまま演奏。つまりよく演奏されているバージョンの弟子が後で最後まで作った作品ではなく、モーツァルトの絶筆までで、尻切れトンボで終わった(だから、YouTubeで同じものが見つけられなかった)。
続いてAve verum corpus für gemischten Chor, Orchester und Orgel KV618が奏でられた。
最後に鐘の音が3回。
この、ある意味演出された死の世界への序曲のようなコンサートで、これが良いのかどうか何とも言えないのだが(めぎ的には朗読は一切必要なかった…朗読を聞くたびに娑婆に引き戻されたので。音楽だけだったらあの世に引きずり込まれたかも知れない)、ある意味トランス状態になったことは確かである。総立ちのスタンディングオベーションだった。
上のトリミング。Manfred Honeckという指揮者、凄いなあ。
なんだか放心状態でここを去った。
さて、このモーツァルトのレクイエムだが、めぎの好きなクルレンツィスも2017年にザルツブルクでこの曲を演奏していた。弟子の完成させた全曲の演奏であるが、それを張り付けておく。この古楽器での演奏がいい。モーツァルトの時代の音である。
もう一つ、ガーディナーも同じく全曲演奏。
帰るときには土砂降りだった。濡れて帰り、髪を乾かしたもののあとはかなりぼんやりしてまもなく就寝。その夜、自分が死を迎えるという夢を見たのは、このコンサートの所為である。いつ死んでも悔いのないように生きてきたつもりだったけれど、いざ死を目の前にしたら、ああもうちょっと生きたかったな~と強く感じた、という夢であった。このコンサート、凄い影響力だった…
なかなかおどろおどろしい空模様だった7月24日の朝。
でも空のこちら側はこんな綺麗だったので、散歩に出かけることにした。いっぱい休んで、やっと普通の元気が出てきたってことかな。
朝日の影が綺麗。
でも、岩山の上に来たら、雲が多くなっていた。
それから山の上をずっと歩いてノンベルク修道院へ。あのサウンドオブミュージックのマリアがいた修道院ね。ここももう何回目かなぁ…10回以上だわね。
それから娑婆に降りてきた。
宿に戻り一日ゆっくり過ごし、19時からのコンサートへ。直前に凄い雨が降ったのだが、行く時には上がってくれた。
この日もOuverture spirituelleのコンサートなのだが、今回の会場は教会ではなくフェルゼンライトシューレ。
あのサウンドオブミュージックでトラップ一家がコンテストに出る会場ね。
この日のコンサートの内容はこちら(ドイツ語)。演目はモーツァルトのレクイエムを中心に何曲か。指揮はManfred Honeckで、数人のオペラ歌手とバイエルン放送局合唱団とカメラータ・ザルツブルク(オケ)の演奏。
さて、この日のプログラムの内容を書くのはとても難しい。まずグレゴリオ聖歌のRequiem aeternamがどこからか響いてきた。バックステージで歌っているらしい。曲はこちら。
次にGyörgy Ligeti(ジェルジ・リゲティ)という現代作曲家(2006年没)のLux aeterna(永遠の光)。映画「2001年宇宙の旅」で使われた音楽。それについてはこちらを参照。
そのあと鐘の音が3回。それに引き続き、モーツァルトの1787年4月4日付の父親宛の手紙の朗読。その後、モーツァルトのMaurerische Trauermusik c-Moll KV 477 (479a)。
次にまたグレゴリオ聖歌(Domine, exaudi orationem meam)。
そのあとモーツァルトのLaudate Dominum。これを歌ったソプラノ歌手の声がこのときとても美しかった。だからほかの歌手のを張り付けたくなくて、ボーイソプラノのを選んだ。
歌ったのはKatharina Konradiという歌手で、これは今回のコンサートの演目ではないが、どんな声か一つ張り付けておく。
次に、またグレゴリオ聖歌(In quacumque die)。
そのあとNelly Sachsの詩の朗読。彼女についてはこちらを参照。そのあとモーツァルトのレクイエムの1 Requiemと2 Kyrie(曲は後程)。そのあとヨハネの黙示録の朗読。そのあとグレゴリオ聖歌(Christus factus est)。
そのあとモーツァルトのレクイエムの3 Sequenz(曲は後程)。次にヨハネの黙示録の朗読の続き。そしてまたモーツァルトのレクイエム。今度は最後の4 Offertoriumで、未完のまま演奏。つまりよく演奏されているバージョンの弟子が後で最後まで作った作品ではなく、モーツァルトの絶筆までで、尻切れトンボで終わった(だから、YouTubeで同じものが見つけられなかった)。
続いてAve verum corpus für gemischten Chor, Orchester und Orgel KV618が奏でられた。
最後に鐘の音が3回。
この、ある意味演出された死の世界への序曲のようなコンサートで、これが良いのかどうか何とも言えないのだが(めぎ的には朗読は一切必要なかった…朗読を聞くたびに娑婆に引き戻されたので。音楽だけだったらあの世に引きずり込まれたかも知れない)、ある意味トランス状態になったことは確かである。総立ちのスタンディングオベーションだった。
上のトリミング。Manfred Honeckという指揮者、凄いなあ。
なんだか放心状態でここを去った。
さて、このモーツァルトのレクイエムだが、めぎの好きなクルレンツィスも2017年にザルツブルクでこの曲を演奏していた。弟子の完成させた全曲の演奏であるが、それを張り付けておく。この古楽器での演奏がいい。モーツァルトの時代の音である。
もう一つ、ガーディナーも同じく全曲演奏。
帰るときには土砂降りだった。濡れて帰り、髪を乾かしたもののあとはかなりぼんやりしてまもなく就寝。その夜、自分が死を迎えるという夢を見たのは、このコンサートの所為である。いつ死んでも悔いのないように生きてきたつもりだったけれど、いざ死を目の前にしたら、ああもうちょっと生きたかったな~と強く感じた、という夢であった。このコンサート、凄い影響力だった…
2023年7月23日のザルツブルク音楽祭 [2023年夏 ザルツブルク]
今日はザルツブルク音楽祭の7月23日のお話を。
23日の朝は快晴だった。
この日は11時に教会コンサート。
先日夜に来たKollegienkircheである。
今日も人がいっぱい来ているな~
…と思って写していたら…
ヒンターホイザー(ザルツブルク音楽祭の音楽部門の総支配人=芸術総監督)がいた。
中は光が入って美しかった。
この日の演目もOuverture spirituelleの枠組みの中のコンサートで、内容についてはこちら(ドイツ語)。1時間ほどの時間に次の4曲が演奏された。まず、モンテヴェルディのLaetaniae della Beata Vergine für sechs Stimmen SV 204。同じ曲を張り付けておく。
次に、Agostino SteffaniのStabat Materという曲。
次に、Heinrich Ignaz Franz von BiberのRosenkranzsonatenの中から、Sonate Nr 10 für Violine und Basso continuo in g mollという曲。
最後に、同じBiberのRequiem f-Moll。
終わったら拍手大喝采だった。上のリンクを今聞くと、めぎにはザルツブルク音楽祭の質の高さがよくわかる。教会での生コンサートという臨場感のせいもあるのかも知れないが、まさに天使が歌っているようだったり、天国から聞こえてくるような音色だったりしたのだ。存在すれば、の話だが。
かつて、今のようなエンターテインメントが何もなかった時代、働いて働いて、唯一のエンターテインメントは日曜日の教会のこの音楽だけだった時代、この整った美しい歌声・音色を聞けば人々が天国を信じたのは当然だったと思う。思えば西洋音楽は宗教音楽から発展したのであり、その後音楽はどんどんテーマも作曲法も自由になって行って、つまり羽目を外していって今に至っているわけだが、ひょっとしてそれは堕落したってことかも知れないな、と思った。規則に従って作られている昔の音楽の方が、心にすんなり響くように感じたのだ。規則というのは、人が安らかでいられるように作られたものだともいえるのかも。もちろん悪政のための規則もあるけど、普遍的な規則においては、ね。
この日の午後はずっと宿でゆっくりと過ごし、ブログを書いたりしていた。これは籠るつもりで予めカフェに寄って買ってきたアプリコットのシュトゥルデルというケーキ。
夕方には曇って来て雨が降ったが、その後持ち直していた。
この日までどこにも行かず、ブログを書いたほかは宿で音楽のことだけ考えて調べて聞いて、次の公演の予習をしたりして過ごしていた。最後には予習しながら(つまり音楽聞きながら)寝落ち。うーん、最高の夏休み。
23日の朝は快晴だった。
この日は11時に教会コンサート。
先日夜に来たKollegienkircheである。
今日も人がいっぱい来ているな~
…と思って写していたら…
ヒンターホイザー(ザルツブルク音楽祭の音楽部門の総支配人=芸術総監督)がいた。
中は光が入って美しかった。
この日の演目もOuverture spirituelleの枠組みの中のコンサートで、内容についてはこちら(ドイツ語)。1時間ほどの時間に次の4曲が演奏された。まず、モンテヴェルディのLaetaniae della Beata Vergine für sechs Stimmen SV 204。同じ曲を張り付けておく。
次に、Agostino SteffaniのStabat Materという曲。
次に、Heinrich Ignaz Franz von BiberのRosenkranzsonatenの中から、Sonate Nr 10 für Violine und Basso continuo in g mollという曲。
最後に、同じBiberのRequiem f-Moll。
終わったら拍手大喝采だった。上のリンクを今聞くと、めぎにはザルツブルク音楽祭の質の高さがよくわかる。教会での生コンサートという臨場感のせいもあるのかも知れないが、まさに天使が歌っているようだったり、天国から聞こえてくるような音色だったりしたのだ。存在すれば、の話だが。
かつて、今のようなエンターテインメントが何もなかった時代、働いて働いて、唯一のエンターテインメントは日曜日の教会のこの音楽だけだった時代、この整った美しい歌声・音色を聞けば人々が天国を信じたのは当然だったと思う。思えば西洋音楽は宗教音楽から発展したのであり、その後音楽はどんどんテーマも作曲法も自由になって行って、つまり羽目を外していって今に至っているわけだが、ひょっとしてそれは堕落したってことかも知れないな、と思った。規則に従って作られている昔の音楽の方が、心にすんなり響くように感じたのだ。規則というのは、人が安らかでいられるように作られたものだともいえるのかも。もちろん悪政のための規則もあるけど、普遍的な規則においては、ね。
この日の午後はずっと宿でゆっくりと過ごし、ブログを書いたりしていた。これは籠るつもりで予めカフェに寄って買ってきたアプリコットのシュトゥルデルというケーキ。
夕方には曇って来て雨が降ったが、その後持ち直していた。
この日までどこにも行かず、ブログを書いたほかは宿で音楽のことだけ考えて調べて聞いて、次の公演の予習をしたりして過ごしていた。最後には予習しながら(つまり音楽聞きながら)寝落ち。うーん、最高の夏休み。