昔の暮らし [エムスラント 2018年5月]
現在、5月初旬の週末の旅の話を連載中。
泥炭地ミュージアムの中にあった1920~30年代のドイツの暮らしを再現した家のつづき。ここは寝室。
足元には湯たんぽ。
ベッドの下にはブーツを脱ぐ道具とおまる。
そして、宗教も寝室に同居。
電気もあったのね。
メーターは1951年のものだった。
朝起きたらこういうので顔を洗っていた暮らしは実はほんの少し前のことなのに、今ではもう考えられないわよね。左上には櫛が置かれ、小さな鏡も。
石板とランドセル。
手芸道具のこういう入れ物はうちのドイツ人も同じタイプのを使っている。
こうしてどうにかこうにか70-200mmのレンズで家の中を写し、外へ。
外にはパン焼き窯。
ちょっと魔女の宅急便を思い出した。
撮影: D600 + 70-200mm(F4)
泥炭地ミュージアムの中にあった1920~30年代のドイツの暮らしを再現した家のつづき。ここは寝室。
足元には湯たんぽ。
ベッドの下にはブーツを脱ぐ道具とおまる。
そして、宗教も寝室に同居。
電気もあったのね。
メーターは1951年のものだった。
朝起きたらこういうので顔を洗っていた暮らしは実はほんの少し前のことなのに、今ではもう考えられないわよね。左上には櫛が置かれ、小さな鏡も。
石板とランドセル。
手芸道具のこういう入れ物はうちのドイツ人も同じタイプのを使っている。
こうしてどうにかこうにか70-200mmのレンズで家の中を写し、外へ。
外にはパン焼き窯。
ちょっと魔女の宅急便を思い出した。
撮影: D600 + 70-200mm(F4)
ベントハイマー豚など [エムスラント 2018年5月]
現在、5月初旬の週末の旅の話を連載中。
昨日までご紹介した1920~30年代の家の展示を見て外に出ると、コッコッコと賑やかだった。
そのすぐそばに豚さんが寝ていた。
こんなふうに転がっていて、うんともすんとも。
その近くの納屋に入ると、子豚さんたちもお昼寝していた。
めぎのシャッターの音に気づき・・・
何だぁブーブーと起き・・・
みんな一斉に食べ始めた!
しっぽが可愛い♪
食べ終わった豚さんたちから順に水を飲みに行った。
この斑の豚さんたちの名前はベントハイマー豚。この旅の最初に訪れたバート・ベントハイムに由来する種類の豚で、前日の夕食に食べたもの。こうして豚さんたちは大きくなって、あのステーキになるのね・・・
近くには鶏さんの雛たちも。
なんだか、焼鳥さんになっちゃいますよ~という感じだったけど。
納屋には燕も出入りしていた。これはトリミング。
納屋を出てしばらく歩いていくと、羊さんたちも。
泥炭地の沢が広がっていたところを埋め立てて何をしたかと言えば、牧畜が主だったのね。
よしよし・・・きみたちも美味しいラム肉になっちゃうのかな・・・
撮影: D600 + 70-200mm(F4)
昨日までご紹介した1920~30年代の家の展示を見て外に出ると、コッコッコと賑やかだった。
そのすぐそばに豚さんが寝ていた。
こんなふうに転がっていて、うんともすんとも。
その近くの納屋に入ると、子豚さんたちもお昼寝していた。
めぎのシャッターの音に気づき・・・
何だぁブーブーと起き・・・
みんな一斉に食べ始めた!
しっぽが可愛い♪
食べ終わった豚さんたちから順に水を飲みに行った。
この斑の豚さんたちの名前はベントハイマー豚。この旅の最初に訪れたバート・ベントハイムに由来する種類の豚で、前日の夕食に食べたもの。こうして豚さんたちは大きくなって、あのステーキになるのね・・・
近くには鶏さんの雛たちも。
なんだか、焼鳥さんになっちゃいますよ~という感じだったけど。
納屋には燕も出入りしていた。これはトリミング。
納屋を出てしばらく歩いていくと、羊さんたちも。
泥炭地の沢が広がっていたところを埋め立てて何をしたかと言えば、牧畜が主だったのね。
よしよし・・・きみたちも美味しいラム肉になっちゃうのかな・・・
撮影: D600 + 70-200mm(F4)
泥炭地ミュージアムにて [エムスラント 2018年5月]
5月初旬の週末の旅のお話は本日最終回。
泥炭地ミュージアムには広大な敷地があって、泥炭地のかつての姿を見ることができる。
めぎは今回記事の中でずっと泥炭地という訳語を書いてきたが、それが本当に合っているのかよくわからない。ドイツ語でMoorというのだが、辞書にはその訳語として湿原というのも載っている。湿原の植物の死骸が泥炭となり、泥炭の土壌の地域を泥炭地と言うようなのだが、ドイツ語ではそれを全部ひっくるめてMoorなのだ。
泥炭を乾かせば炭としてエネルギー源となるわけで、20世紀初頭には難民を使ってたくさんの泥炭が生産された。最初は映像で見たような手作業だったのが、そのうちには機械も導入されていった。
大きな機械が別棟に展示されていた。
泥炭生産の様子を伝える貴重なフィルムも。記録って大事だなあ・・・これがなかったら、人々の労働の様子はもうすっかり忘れ去られていただろう。
機械は大きくて結構な迫力があったのだが、例によって広角レンズを持っていなかったので、スマホで撮影した。でもこれじゃなんだか大きさが伝わらないわねえ。
この銅像が普通の人の大きさ。この頃はビールを飲みながら仕事していたのかなあ・・・
泥炭生産は政策として勧められ、それに伴って湿地は姿を消していった。その後泥炭そのものが見捨てられ、生き残りを模索したこの地方はリニアモーターカーの実験地になり、そんなあれこれで地域の活性化を試みたか少なくともお金が流れてきたのだろうが、結局はどれも上手く行かず、今はドイツ国内でも殆ど忘れられた土地として地の果てのような扱いとなってしまった。
だからほとんど誰もいなくて、観光客も来てなくて、めぎたちは広い敷地を独占して楽しんだ。このすぐ近くのバート・ベントハイムのお城にはたくさんのオランダ人が訪れていたし、オランダのあの五稜郭みたいなBourtangeにもいっぱい人がいたが、この泥炭地ミュージアムには誰もいなかった。いたのは動物たちだけ。
まあ、朝一で来たからかも知れないが。早起きはホント三文の徳なのだ。誰も来ないようなところを再発見して歩くのが好きなうちのドイツ人には大満足の旅だった。
これ、ワラビよね?ドイツにもワラビがあるんだ!食べる文化はないけれど。
最後に、やっとやっとカエルの姿を発見。見えます?
↑上のをトリミング。カエルさんたち、元気でね。
最後の写真を写したのが11時50分。これで旅を終え(何しろサッカーはもう終わっちゃったし・・・おんおん)、サクッと一時間ちょっとでデュッセルドルフに帰宅。日曜日の午後は自宅でのんびりゆったりと過ごした。以上でエムスラント地方のお話はおしまい。
撮影: D600 + 70-200mm(F4), Xperia Z5
泥炭地ミュージアムには広大な敷地があって、泥炭地のかつての姿を見ることができる。
めぎは今回記事の中でずっと泥炭地という訳語を書いてきたが、それが本当に合っているのかよくわからない。ドイツ語でMoorというのだが、辞書にはその訳語として湿原というのも載っている。湿原の植物の死骸が泥炭となり、泥炭の土壌の地域を泥炭地と言うようなのだが、ドイツ語ではそれを全部ひっくるめてMoorなのだ。
泥炭を乾かせば炭としてエネルギー源となるわけで、20世紀初頭には難民を使ってたくさんの泥炭が生産された。最初は映像で見たような手作業だったのが、そのうちには機械も導入されていった。
大きな機械が別棟に展示されていた。
泥炭生産の様子を伝える貴重なフィルムも。記録って大事だなあ・・・これがなかったら、人々の労働の様子はもうすっかり忘れ去られていただろう。
機械は大きくて結構な迫力があったのだが、例によって広角レンズを持っていなかったので、スマホで撮影した。でもこれじゃなんだか大きさが伝わらないわねえ。
この銅像が普通の人の大きさ。この頃はビールを飲みながら仕事していたのかなあ・・・
泥炭生産は政策として勧められ、それに伴って湿地は姿を消していった。その後泥炭そのものが見捨てられ、生き残りを模索したこの地方はリニアモーターカーの実験地になり、そんなあれこれで地域の活性化を試みたか少なくともお金が流れてきたのだろうが、結局はどれも上手く行かず、今はドイツ国内でも殆ど忘れられた土地として地の果てのような扱いとなってしまった。
だからほとんど誰もいなくて、観光客も来てなくて、めぎたちは広い敷地を独占して楽しんだ。このすぐ近くのバート・ベントハイムのお城にはたくさんのオランダ人が訪れていたし、オランダのあの五稜郭みたいなBourtangeにもいっぱい人がいたが、この泥炭地ミュージアムには誰もいなかった。いたのは動物たちだけ。
まあ、朝一で来たからかも知れないが。早起きはホント三文の徳なのだ。誰も来ないようなところを再発見して歩くのが好きなうちのドイツ人には大満足の旅だった。
これ、ワラビよね?ドイツにもワラビがあるんだ!食べる文化はないけれど。
最後に、やっとやっとカエルの姿を発見。見えます?
↑上のをトリミング。カエルさんたち、元気でね。
最後の写真を写したのが11時50分。これで旅を終え(何しろサッカーはもう終わっちゃったし・・・おんおん)、サクッと一時間ちょっとでデュッセルドルフに帰宅。日曜日の午後は自宅でのんびりゆったりと過ごした。以上でエムスラント地方のお話はおしまい。
撮影: D600 + 70-200mm(F4), Xperia Z5