7年ぶりの両親の家で [2023年夏 日本]
今日は今夏(2023年7月初め)の日本でのお話を。
7年ぶりの日本、つまり両親に会うのも7年ぶり。めぎはLINEをしないし、父はスマホもPCも使わないし、母はスマホもPCもあるがZoomなどができるほどは使いこなしていないしで、顔を見たのはこの7年間にたった一回、数年前のお正月に妹夫婦がZoomをセッティングしてくれたときのみ。歳を取ったと聞いていたけど、さて。どんな感じかしら。今両親が住んでいるところにはめぎは住んだことはないので、その場所が懐かしいということは全く無いが、久々の札幌、久々の両親、ドキドキ。その場で見るもの聞くものすべてを目に焼き付けるように、めぎはものすごく集中していた。この先もそう簡単には来られない日本、今回はどんな小さなことも逃さない、というが如く。これは一晩明けた朝、父がチラシを確認・仕分けしているところ。これが朝の日課なのだそう。
↑ドイツには朝の新聞配達という制度が無いので、そして新聞を配達してもらってもチラシは入って来ないので(チラシは郵便局が一週間に一度まとめて持ってくるが、それにはスーパーのチラシぐらいしか入っていない)、こういう風景はとっても異文化。
朝はちょっとゆっくり、8時過ぎの朝食。朝からこんなにたくさん用意させて申し訳ない…特別なものは要らない、日本の普通の朝ご飯というものが食べたい、と言ったのだが、一通り揃えなきゃ、とかえってプレッシャーになったのかもしれないな。母はあれやこれや用意して熱々を出そうとするから、そしてやっと座ったと思ったらお茶やら出し忘れやら気がついてまた席を立つから、ゆっくり座って一緒に味わう暇もない。でもおかげさまでめぎは上げ膳据え膳で本当に美味しく、ゆっくりといただいた。
それから午前中は父と色々とおしゃべり。おしゃべりと言っても、父の趣味のテニスのことから父方の親戚のこと、そして将来のお葬式やお墓のことまで話はあれやこれや。父は本当に聡明で、短い時間にテキパキと重要なことを話していく。めぎがそれを望んでいるのだろうと察しているところが本当に聡明だと思う。
で、その間に母がデパートまで買い出しに出かけ…というのは近くにスーパーがあるのだけどそこで買えない新鮮なお刺身を仕入れたいとのことで…お昼は簡単に買ってきたもので。こんな立派なものを買ってきて済ませられるなんて、ホント日本って便利だわね。札幌だなあと思うのは、お稲荷さんや巻きずしの中身の色。お醤油の色が濃いわね。北国だなあ。
母はその後、買ってきたお刺身を仕分けして、一部は2日後の妹も集合しての団欒に備えていた。
それからめぎは、日本で受け取るために予めネットで色々発注して両親宅に届けておいていたものを段ボールから出し、ほぼ空で札幌に届けてあったスーツケースに詰める作業に取り掛かった。そこで母が、めぎにあげると言って着物と帯を出して来た。ありがとう…
午後4時近く、母がデパートで買ってきたお菓子とともにお茶にした。
お茶を頂きながら、両親は野球を見ていた。野球、久々だなあ…そんなスポーツもあったなあと思うほどご無沙汰だ。もう選手もだれ一人分からないし、球団の名前も随分変わったし、そもそも試合のトーナメントの方法もめぎが昔知っていたのと変わったようで、何もわからない。ただ、野球中継のアナウンサーの語り口調と言うか声のトーンが、昔と似たような感じで懐かしく聞こえた。ああ、日本だなぁ…両親はピッチャーがこうするべきとか采配がどうとか、議論している。そうか、こうして二人で過ごしているのね。めぎが子どもの頃は、父は仕事にかかりきりで母とあまり折り合いがよくなくて、こんな風に二人でテレビを見てあーだこーだ議論しているのを見たことが無かったからとても新鮮だった。
それからまた父の趣味のテニスの話になり、北海道の大会のシニアクラスで優勝して名前が載ったという資料を見せてくれた。これは2位までしか名前が載らないので、3位になったときには悔しかったとのこと。
その昔、めぎが小さい頃、父には趣味も何も無くて仕事しかなくて、将来年金になったらすることもなくぼけるんじゃないかなんて聞かされていたのだが、定年になる数年前から定年後に備えてテニスを始め、しっかり習ってトレーニングもして大会で80にして優勝を争えるようなレベルになったのだから、そういう意味でも父ってホント聡明だよなと思う。
それから時間が過ぎ、晩御飯。
お刺身さえあれば他は何も要らない、と言ってあったので、母が新鮮なのを買いに行ってくれたのだ。甘エビ、北寄貝、ヒラメ、ツブ貝。北寄は湯通ししていない本当の生で、だから赤じゃなくて黒っぽい。ツブはコリコリ。ああ、幸せ。お母さん、ありがとう。
そして、生のイカを買ってきて皮を剥いで作ってくれたイカ刺し。透き通るようで甘くておいしかった。
お酒は国稀。父がお正月など特別な時に飲んでいるお気に入り。右側の細い透明な便は、夏なので冷やすために使ったもので、でも父は常温が好きなのでそのまま。ちなみに普段の晩酌はパックの黄桜辛口一献だとのこと。年金暮らしの現実を垣間見る。
そして食べ終わった後の食器洗いは父がしていた。これも、現役時代には考えられなかったこと。人って変わるのだな。歳をとっても状況に応じて変われるというのが素敵。めぎもそうありたいな。
80のお祝いに両親を訪ねたのだが、めぎのためにこんなに色々してくれて、どっちが祝われているのやら。両親健在でこんな経験ができて、本当にありがたいことだった。
7年ぶりの日本、つまり両親に会うのも7年ぶり。めぎはLINEをしないし、父はスマホもPCも使わないし、母はスマホもPCもあるがZoomなどができるほどは使いこなしていないしで、顔を見たのはこの7年間にたった一回、数年前のお正月に妹夫婦がZoomをセッティングしてくれたときのみ。歳を取ったと聞いていたけど、さて。どんな感じかしら。今両親が住んでいるところにはめぎは住んだことはないので、その場所が懐かしいということは全く無いが、久々の札幌、久々の両親、ドキドキ。その場で見るもの聞くものすべてを目に焼き付けるように、めぎはものすごく集中していた。この先もそう簡単には来られない日本、今回はどんな小さなことも逃さない、というが如く。これは一晩明けた朝、父がチラシを確認・仕分けしているところ。これが朝の日課なのだそう。
↑ドイツには朝の新聞配達という制度が無いので、そして新聞を配達してもらってもチラシは入って来ないので(チラシは郵便局が一週間に一度まとめて持ってくるが、それにはスーパーのチラシぐらいしか入っていない)、こういう風景はとっても異文化。
朝はちょっとゆっくり、8時過ぎの朝食。朝からこんなにたくさん用意させて申し訳ない…特別なものは要らない、日本の普通の朝ご飯というものが食べたい、と言ったのだが、一通り揃えなきゃ、とかえってプレッシャーになったのかもしれないな。母はあれやこれや用意して熱々を出そうとするから、そしてやっと座ったと思ったらお茶やら出し忘れやら気がついてまた席を立つから、ゆっくり座って一緒に味わう暇もない。でもおかげさまでめぎは上げ膳据え膳で本当に美味しく、ゆっくりといただいた。
それから午前中は父と色々とおしゃべり。おしゃべりと言っても、父の趣味のテニスのことから父方の親戚のこと、そして将来のお葬式やお墓のことまで話はあれやこれや。父は本当に聡明で、短い時間にテキパキと重要なことを話していく。めぎがそれを望んでいるのだろうと察しているところが本当に聡明だと思う。
で、その間に母がデパートまで買い出しに出かけ…というのは近くにスーパーがあるのだけどそこで買えない新鮮なお刺身を仕入れたいとのことで…お昼は簡単に買ってきたもので。こんな立派なものを買ってきて済ませられるなんて、ホント日本って便利だわね。札幌だなあと思うのは、お稲荷さんや巻きずしの中身の色。お醤油の色が濃いわね。北国だなあ。
母はその後、買ってきたお刺身を仕分けして、一部は2日後の妹も集合しての団欒に備えていた。
それからめぎは、日本で受け取るために予めネットで色々発注して両親宅に届けておいていたものを段ボールから出し、ほぼ空で札幌に届けてあったスーツケースに詰める作業に取り掛かった。そこで母が、めぎにあげると言って着物と帯を出して来た。ありがとう…
午後4時近く、母がデパートで買ってきたお菓子とともにお茶にした。
お茶を頂きながら、両親は野球を見ていた。野球、久々だなあ…そんなスポーツもあったなあと思うほどご無沙汰だ。もう選手もだれ一人分からないし、球団の名前も随分変わったし、そもそも試合のトーナメントの方法もめぎが昔知っていたのと変わったようで、何もわからない。ただ、野球中継のアナウンサーの語り口調と言うか声のトーンが、昔と似たような感じで懐かしく聞こえた。ああ、日本だなぁ…両親はピッチャーがこうするべきとか采配がどうとか、議論している。そうか、こうして二人で過ごしているのね。めぎが子どもの頃は、父は仕事にかかりきりで母とあまり折り合いがよくなくて、こんな風に二人でテレビを見てあーだこーだ議論しているのを見たことが無かったからとても新鮮だった。
それからまた父の趣味のテニスの話になり、北海道の大会のシニアクラスで優勝して名前が載ったという資料を見せてくれた。これは2位までしか名前が載らないので、3位になったときには悔しかったとのこと。
その昔、めぎが小さい頃、父には趣味も何も無くて仕事しかなくて、将来年金になったらすることもなくぼけるんじゃないかなんて聞かされていたのだが、定年になる数年前から定年後に備えてテニスを始め、しっかり習ってトレーニングもして大会で80にして優勝を争えるようなレベルになったのだから、そういう意味でも父ってホント聡明だよなと思う。
それから時間が過ぎ、晩御飯。
お刺身さえあれば他は何も要らない、と言ってあったので、母が新鮮なのを買いに行ってくれたのだ。甘エビ、北寄貝、ヒラメ、ツブ貝。北寄は湯通ししていない本当の生で、だから赤じゃなくて黒っぽい。ツブはコリコリ。ああ、幸せ。お母さん、ありがとう。
そして、生のイカを買ってきて皮を剥いで作ってくれたイカ刺し。透き通るようで甘くておいしかった。
お酒は国稀。父がお正月など特別な時に飲んでいるお気に入り。右側の細い透明な便は、夏なので冷やすために使ったもので、でも父は常温が好きなのでそのまま。ちなみに普段の晩酌はパックの黄桜辛口一献だとのこと。年金暮らしの現実を垣間見る。
そして食べ終わった後の食器洗いは父がしていた。これも、現役時代には考えられなかったこと。人って変わるのだな。歳をとっても状況に応じて変われるというのが素敵。めぎもそうありたいな。
80のお祝いに両親を訪ねたのだが、めぎのためにこんなに色々してくれて、どっちが祝われているのやら。両親健在でこんな経験ができて、本当にありがたいことだった。
飛び入りで決めた宿 [ポルトガル北部]
今日は2016年春のポルトガル北部のお話を。
ポルトから数日かけて東へ移動し、スペインとの国境の街Miranda do Douroにやってきた。ドウロ川が国境である。
これはホテルからの眺め。左に大聖堂が、右に古い城壁が見える。
同じ場所から、当時使っていたニコンの1インチのミラーレス、V3と望遠レンズで。左に見える橋を渡るとMiranda do Douroの旧市街に入る。
ホテルはこんな建物。
そして、こんな高台にある。
この日、実は宿を事前に決めていなかった。行ける所まで行ってみようということで、その場で決めるつもりだったのだ。で、近くに来てからスマホでホテルを検索し、いくつか当たりをつけて旧市街を歩きながら、または車でその前を通ってみたりしたのだがどうもピンと来なくて、上に見えたこの建物が妙に気にいって、行ってみて直接オーナーのおじいちゃんと話をしてみたら、その人、ポルトガル語の他にはフランス語しか話せないとのことで(つまり英語ができないし、スペイン語もダメとのこと)、ここまで英語がダメでもスペイン語なら通じることが多くなんとかやってきたうちのドイツ人が突然頭を切り替えてフランス語でやり取りし、ここに決めたのだ。多国語できるのはホント羨ましい…
ネットで探してみたら、今もあった。こちらで見ると、一泊ダブルルーム一部屋55ユーロ。田舎だとは言え、今時かなりのお値打ち価格。当時も多分40ユーロしなかったぐらいではないかと思う。場所はこちら。
こんな風に旅先でいきなり宿を訪ねて部屋を見せてもらって決める、というやり方は、20年ぐらい前まではドイツやヨーロッパでは結構メジャーだったし、2016年にもこうしてできたのだが、今はもうほとんどあり得ないだろうな。事前にオンラインで予約しちゃうものね。そして、ナビでそこへ向かうんだものね。2016年時点でめぎはスマホを持ち始めていたが、当時はEU内でもローミング代がかかったので、外国では限定して使っていた。ナビなんか持たず紙の地図で旅をしていたし。この時ほぼ初めて向かう町のホテルをそこへ向かいながらスマホで探すというのを実験的にやってみたのだが、その画面に出てきたお勧めはどこもその場で見ると気に入らなかった。でも、こんな風にその場で宿を決める旅はたぶんめぎ家もこの時が最後で、だからこのポルトガル語とフランス語しかできないオーナーとのやり取りやここの空気はよく覚えている。
残念ながら部屋の写真は撮っていない。近くに桜が咲いていた。
朝食はシンプル。
スペインやポルトガルでメジャーな、甘いパンの多いラインアップだった。
さて、話は前後するが、宿に入って18時過ぎとなり、食事に出かけることとした。宿のオーナーに勧められたレストランは20時からとのことで、ちょっと散歩も兼ねて。ここは左へ行けばスペイン、右へ行けばMiranda do Douroの旧市街と言う表示のところ。
そろそろ日が沈む…
大聖堂はあちら。
ドウロ川を望む。
場所はこの辺。
夕食の話はまた今度。
ポルトから数日かけて東へ移動し、スペインとの国境の街Miranda do Douroにやってきた。ドウロ川が国境である。
これはホテルからの眺め。左に大聖堂が、右に古い城壁が見える。
同じ場所から、当時使っていたニコンの1インチのミラーレス、V3と望遠レンズで。左に見える橋を渡るとMiranda do Douroの旧市街に入る。
ホテルはこんな建物。
そして、こんな高台にある。
この日、実は宿を事前に決めていなかった。行ける所まで行ってみようということで、その場で決めるつもりだったのだ。で、近くに来てからスマホでホテルを検索し、いくつか当たりをつけて旧市街を歩きながら、または車でその前を通ってみたりしたのだがどうもピンと来なくて、上に見えたこの建物が妙に気にいって、行ってみて直接オーナーのおじいちゃんと話をしてみたら、その人、ポルトガル語の他にはフランス語しか話せないとのことで(つまり英語ができないし、スペイン語もダメとのこと)、ここまで英語がダメでもスペイン語なら通じることが多くなんとかやってきたうちのドイツ人が突然頭を切り替えてフランス語でやり取りし、ここに決めたのだ。多国語できるのはホント羨ましい…
ネットで探してみたら、今もあった。こちらで見ると、一泊ダブルルーム一部屋55ユーロ。田舎だとは言え、今時かなりのお値打ち価格。当時も多分40ユーロしなかったぐらいではないかと思う。場所はこちら。
こんな風に旅先でいきなり宿を訪ねて部屋を見せてもらって決める、というやり方は、20年ぐらい前まではドイツやヨーロッパでは結構メジャーだったし、2016年にもこうしてできたのだが、今はもうほとんどあり得ないだろうな。事前にオンラインで予約しちゃうものね。そして、ナビでそこへ向かうんだものね。2016年時点でめぎはスマホを持ち始めていたが、当時はEU内でもローミング代がかかったので、外国では限定して使っていた。ナビなんか持たず紙の地図で旅をしていたし。この時ほぼ初めて向かう町のホテルをそこへ向かいながらスマホで探すというのを実験的にやってみたのだが、その画面に出てきたお勧めはどこもその場で見ると気に入らなかった。でも、こんな風にその場で宿を決める旅はたぶんめぎ家もこの時が最後で、だからこのポルトガル語とフランス語しかできないオーナーとのやり取りやここの空気はよく覚えている。
残念ながら部屋の写真は撮っていない。近くに桜が咲いていた。
朝食はシンプル。
スペインやポルトガルでメジャーな、甘いパンの多いラインアップだった。
さて、話は前後するが、宿に入って18時過ぎとなり、食事に出かけることとした。宿のオーナーに勧められたレストランは20時からとのことで、ちょっと散歩も兼ねて。ここは左へ行けばスペイン、右へ行けばMiranda do Douroの旧市街と言う表示のところ。
そろそろ日が沈む…
大聖堂はあちら。
ドウロ川を望む。
場所はこの辺。
夕食の話はまた今度。
廊下の床の張替え~その3~ [めぎ家改装中]
今日は久々にめぎ家廊下の床の張替えのお話を。
めぎがザルツブルクに行く日、ここまで出来上がっていた。左から光が差し込んでいるところはキッチン。その向こうの右側に茶色の入り口ドア、奥にクローゼットが見える。
その後、うちのドイツ人の撮影。めぎがザルツブルクにいる間に、クローゼット側から撮った写真を数枚送ってきた。まず、キッチン前を敷き詰める途中まで。
そこからもう少し進んできた。
キッチン前が全て塞がった。
そしてドアのところまで敷き詰めた。
リビングの方から撮影。
そして11泊12日のザルツブルクからめぎが戻ってきた日。ここから再びめぎの撮影。向こうのクローゼットが取り外されていた。
右がドア、左がうちのドイツ人の部屋。
クローゼットはうちのドイツ人の部屋に移動中。クローゼットと言っても、もともとの備え付けではなくうちのドイツ人がその昔この廊下に合わせて自分で作ったものなので、こうして移動できたらしい。
玄関ドアとの隙間は、全て仕上がったら敷居の板で塞がれる予定。ドイツは玄関のスペースが無いので、ドアを開けたらいきなり廊下。
いやあ、頑張りましたね~
歩くとギシギシ音がして、ああ板張りなんだなあって実感する。
色が違うところからリビング。素晴らしいバリアフリー。
まあエレベーターのないアパートの4階で、しかもヨーロッパの昔の建物なのでフロアごとの天井が高いので、日本で言えば6階ぐらいまで階段を上がらなきゃいけないから、バリアフリーも何も…なんだけど、もし歩けなくなったら在宅で介護ケアをお願いする方法もあるわけで、そうしたら少なくとも家の中はバリアフリーで生きていける、ということ。
さて、この後の作業はやすり掛けなのだが、それだけは大型マシーンが必要なので外注しなければならず、以前リビングのときにお願いしたマイスターが非常によかったので連絡をとってみたら、3か月は無理、とのこと。それでじゃあ10月に予約を取りたい、と改めてメールを書いたら連絡が来ない…というわけで、作業は一時中断中。
そんなわけで、この話の続きはたぶん晩秋か冬になってから。
めぎがザルツブルクに行く日、ここまで出来上がっていた。左から光が差し込んでいるところはキッチン。その向こうの右側に茶色の入り口ドア、奥にクローゼットが見える。
その後、うちのドイツ人の撮影。めぎがザルツブルクにいる間に、クローゼット側から撮った写真を数枚送ってきた。まず、キッチン前を敷き詰める途中まで。
そこからもう少し進んできた。
キッチン前が全て塞がった。
そしてドアのところまで敷き詰めた。
リビングの方から撮影。
そして11泊12日のザルツブルクからめぎが戻ってきた日。ここから再びめぎの撮影。向こうのクローゼットが取り外されていた。
右がドア、左がうちのドイツ人の部屋。
クローゼットはうちのドイツ人の部屋に移動中。クローゼットと言っても、もともとの備え付けではなくうちのドイツ人がその昔この廊下に合わせて自分で作ったものなので、こうして移動できたらしい。
玄関ドアとの隙間は、全て仕上がったら敷居の板で塞がれる予定。ドイツは玄関のスペースが無いので、ドアを開けたらいきなり廊下。
いやあ、頑張りましたね~
歩くとギシギシ音がして、ああ板張りなんだなあって実感する。
色が違うところからリビング。素晴らしいバリアフリー。
まあエレベーターのないアパートの4階で、しかもヨーロッパの昔の建物なのでフロアごとの天井が高いので、日本で言えば6階ぐらいまで階段を上がらなきゃいけないから、バリアフリーも何も…なんだけど、もし歩けなくなったら在宅で介護ケアをお願いする方法もあるわけで、そうしたら少なくとも家の中はバリアフリーで生きていける、ということ。
さて、この後の作業はやすり掛けなのだが、それだけは大型マシーンが必要なので外注しなければならず、以前リビングのときにお願いしたマイスターが非常によかったので連絡をとってみたら、3か月は無理、とのこと。それでじゃあ10月に予約を取りたい、と改めてメールを書いたら連絡が来ない…というわけで、作業は一時中断中。
そんなわけで、この話の続きはたぶん晩秋か冬になってから。