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ビジネスクラスの旅~その2~ [2022-23年年末年始 ボルネオ]

今日は2022年末~2023年初めのボルネオへの旅のお話を。

先日も書いたように、うちのドイツ人の希望で長いことビジネスクラス預金をしてめでたく本当にビジネスクラスで旅をしためぎたち。乗り継ぎのイスタンブールからの飛行機でも、こうしてウェルカムドリンクで搭乗中の時間を過ごした。
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↑その前の飛行機で選んだ飲み物が非常に人工的な味がしてあまり美味しく感じられなかったので、今回は当たり障りのないオレンジジュースをチョイス。

出発前にコックさんが各座席を回って、食事のメニューの中から希望を聞いて回っていた。
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たしか飛び立ってから、アメニティの入ったバックが配られた。これは女性用で、男性用は別の形。中は以前と違ってブラシまたは櫛が入っていなかった。それ、結構使うものなんだけどな…クリームとかはお手洗いにもあるから使わないけど、櫛はお手洗いには無いし、でも長時間飛行の場合は寝るからちょっと髪をとかしたいし。
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イスタンブールからの飛行機はマレーシアの首都クアラルンプールまでで、約10時間の長時間。夜中の1時50分発で、照明はかなり暗かった。
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食事が配られた頃は、ほぼ真っ暗。
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まわりには食事を要らないと言って寝ていた人も多かった。こうして何枚か見て分かるように、飛行機の中でマスクをしている人はかなり少なかった。着用義務も無かったし、もう全てが自己責任の範囲になったんだなあと実感した。
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めぎたちは食事を楽しんで、というか食べながら飲んで、それで眠ることにしていた。で、めぎが飲んだのはシャンパンで、うちのドイツ人は白ワイン。どちらもかなり上等でとても美味しかった。前菜は、サーモンのタルタルとエビをチョイス。次にパンプキンスープもあったがそれは断った。メインはラム肉とナスのトマトソース。これもとても美味しかった。最後にデザートにはめぎはフルーツ。その時に3杯目のシャンパンを頂き、ものすごく眠くなってきていて、うちのドイツ人のことはもう覚えていない。なにしろその頃はドイツ時間で言えば朝5時半ぐらいだったし。
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食べ終わって、まわりを写してみた。暗くて(しかも酔ってて)ブレブレ。フルフラットにする前に前とどれだけ遠いかを写そうと思って、座って足を延ばして撮影。フルフラットにすると、足の長い人の場合は前の台のところに足が載せられる感じ。肝心のフルフラットは撮っていない。めぎ、あっという間に爆睡。
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そして、朝食の時間になった。ドイツ時間で昼の11時半ぐらい。
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この海が長かった…それに、かなり揺れた。
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到着したら、降りたところにマレーシア航空の職員が待っていた。めぎたちの飛行機がすぐだから迎えに来たという。実はデュッセルドルフから乗るとき、コードシェアのトルコ航空にチェックインしたのだけど、航空会社が違うからと最後の乗り継ぎの搭乗券は発行されず、クアラルンプールでもらうように指示されていた(しかし荷物は最終目的地までのタグをつけてくれて、クアラルンプールで受け取って預け直さなくてもいいことになっていた)。乗り継ぎカウンターを探さなきゃね、と言いながら飛行機を降りると、職員が搭乗券を持って待ってくれたのだった。

しかし、その乗るはずだった飛行機が突然2時間遅れとなり、結局めぎたちはラウンジへ送り届けられた。で、ここはクアラルンプールのラウンジ。国内線への乗り継ぎなので、ラウンジはかなり質素。めぎはマシーンで作るカフェラッテなどをやめ、マレーシアに来るといつも楽しむインスタント顆粒のネスカフェを。うわ~なつかし~来た来たって感じ♪
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ラウンジで行ったトイレで撮影。マレーシアのトイレにはおしり用シャワーがついている。めぎはこれがとても気に入っている。日本のウォシュレットと違って冷水なのだが、マレーシアは暑いのでその冷水も(冷水と言ってもかなり生ぬるくて)気持ちよく、いつも清潔で、快適なことこの上ない。これも、うわ~なつかし~来た来たやっと来た~って感じ♪
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そうこうしてやっと飛ぶことになった飛行機なのだが、搭乗開始直前にめぎたちの名前がアナウンスで呼ばれ、機材が違うのでエコノミーに格下げとなったと告げられた。へぇ~マジですか…アップグレードではなくダウングレードというのもあるのねぇ…めぎたちの予約していた席がたまたま4列目だったのだが、その変更になった機材では4列目からエコノミーなのだという。ビジネスがよければ次の飛行機なら座席を用意できると言われたのだが、この時点でマレーシア時間の20時ごろで、本来なら21時には目的地についていてはずのところこれから2時間40分も飛ばなければならなくて、もうサッサと飛んで行ってしまいたく、エコノミー格下げを受け入れた。3席を2人で使えるようにするが食事はエコノミーになる、とのことだった。まあもう食事なんてどうでもいいわ。2時間半だから狭くてもたいした話ではないし。ちなみにこの件、旅行後この分のビジネス料金の払い戻し申請をしたが、まだ返事がない。

飛行機の中ではもう疲れたし食欲も無く寝て過ごし、機内食は出たけどほとんど食べてもいないし、何も写していない。2時間半経ってやっと見えてきた夜のボルネオ島のコタキナバルをパチリ。ぶれてるけど。
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で、23時過ぎに見覚えのある到着ロビーの表示を見ながらやっと着いた~と思ったのだが、この後が長かった…
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と言うのは、スーツケースが届かなかったからだ。で、ロストバゲージの手続きをし、やっとホテルに向かったのだが、着いたのは現地時間の夜中の0時半ごろで、レストランもバーも閉まっていればルームサービスももう無く、しかも部屋のミニバー(冷蔵庫)も空で、あるのは部屋に置いてあったぬるい水のみ。ビールぐらい飲みたいところだが、何もない…今になってお腹もすいたけど、飛行機で食べずに持ってきたおつまみの豆しかない…という、ものすごくげんなりする到着だった。そんなわけでその日の部屋の写真も撮っていない。部屋にユカタと呼ばれる室内着があったので、それを着て寝た。まあ次の日にはスーツケースも届くだろうとは思っていたが、万一紛失したら水着も無ければ夏服も無い状態で、もちろん買えばいいけど持ってきたクリスマスプレゼントとかは無くなるし(モーツァルトのリンツ交響曲の古本のちょっといいスコアを用意してたのでそれは無くなったらものすごく残念だと思った)、何しにここまで来たんでしょ状態でホントげんなりだった。写真は次の日に無事に届いたスーツケース。
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このドイツ=マレーシア間の旅は毎回毎回何か起こる…今まで、モスクワトランジットで遅延のため強制収容所かと思うようなところで見張られて一晩過ごしたり、アムステルダムに着いたら乗客全員のスーツケースがまるごと届いてなかったり(嵐で危ないとかで(乗客のみ乗せて)重いスーツケースは意図して置いてきたとの説明だった)、帰りに乗り継ぎのイスタンブール空港が雪で閉鎖されててクアラルンプールで3日も足止めを食らったりとかがあったし、コタキナバルに到着した際にロストバゲージに遭ったのはこれで2回目だ。3回来たうちの2回もロストバゲージ。凄い確率だなぁ…
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以上、デュッセルドルフの自宅を出た12月23日の15時頃から到着の12月25日の0時半(デュッセルドルフの24日17時半)までの1日以上の旅のお話がおしまい。次回からはやっとボルネオでのお話を。
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ドイツのコロナの今~2022年後半から2023年初めにかけて~ [新型コロナウィルスのこと 2022年]

今日はスマホで撮った写真を見ながら、久々にコロナについての最近のお話を。この記事は2023年1月末に書いているが2022年のカテゴリーの中に入れてしまう。もし2023年にまたコロナについて書くことがあったら、新たなカテゴリーを作ってそちらに入れようと思う。

ドイツでは、2023年2月1日からコロナの特別法(条例)・特別措置がほぼ撤廃となった。
まずは1月中旬の撮影から。すっかりお馴染みとなりつつあるこのアングル。朝9時半頃の撮影。
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昨年(2022年)にも少しずつ緩和が進んでいた。もう詳しくはいつだったか思い出せないが、少なくとも昨年度のうちから(たしか去年の春から)学校ではマスク着用義務がなかったし、レストランや劇場やホテルや飛行機などのワクチン接種証明も要らなくなっていた。スーパーなどの店の中でのマスク着用義務も無くなって久しいし、店に入る人数制限ももうない。ソーシャルディスタンスは多少気をつける人がまだいるが、多くはもう気にしていない。病院や老人ホームなどに勤めている人や見舞いの人はマスク着用義務で検査陰性証明が必要、ということとなっていた。
その時の下の影。
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さらに去年の晩秋からは、コロナにかかっても自宅隔離期間は10日間から5日間に短縮となり、しかもその後の陰性証明も必要なく5日間経ったら勝手に仕事復帰してもいいような状況だった(もちろん症状があって辛かったり自主的に簡易検査して陽性だったりしたら休めるのだけど)。
次の日の撮影だが、今度は11時半頃の撮影。太陽はそんなに上がってはいないわね。
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で、学校では生徒と教員の希望者に週に一回分のコロナ簡易検査キットを無料配布していたが、使うか否かは義務では全く無かった。めぎは有難くもらい続けたが、検査するのを忘れたことさえあった。マスクは教員の希望者にはFFP2マスクが一日2枚ずつ配布されたが、するかしないかはやはり個人の勝手で、年配の教員や既往症があるらしい教員は今でもしているが、多くは去年の春以来していない。理数系の教師、それも男性教師の方が義務でなくなってからもマスク率が高かったので、統計上マスクした方がいいということの表れかなと思っていたが、今は彼らもほとんどやめてしまった。生徒はしている人もちらほらいるが、つまりちらほらというレベルである。例えば中等部のあるクラスで、13人のうちマスクは2人。高等部はほぼ0。
案の定、下の影も長い。
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そんな中、秋には生徒はとっかえひっかえ常に数人がコロナで休んでいる状況が続き、爆発的に流行ったインフルエンザと合わせてクラスの半分がお休みということもあった。そんな状況でも、もう陽性者が何人とか七日間指数がいくつとかのニュースは全く目に(耳に)しなくなっていた。ネットには出ているようだったけど、そのサイトを開くことも無くなっていた。
しかし、光は強くなってきた気がする。
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実はめぎも昨秋コロナにかかった。フランスのヴィサンブールに行った後、まずうちのドイツ人がゴホゴホ咳の出る風邪の症状に苦しみ、それが収まって数日後、急に発熱。しかし2日で収まった。もちろん数回コロナ簡易検査をしたが、いずれも陰性だった。
影が濃く感じたし。でも長いな。
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めぎの喉が痛くなったのはその数日後。おお~移ったかなと思っていたら、急に38℃以上の発熱。ガタガタ震えながら湯たんぽとともに寝たら、3時間後には解熱。その時点ではコロナ簡易検査は陰性。その2日後、陽性になった。
上も下も11時10分頃の撮影だけど、やっぱり太陽は結構低い。
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おおお~陽性だ!コロナってかかったら本当に陽性になるのね!でもホントかな~と思って別の検査キットでもう一回やってしまう辺り、きっとかかったことのある方はみなさん同じ経験があるのではと思う。
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陽性になったあとはまず学校に連絡し、自宅隔離。かかりつけの医者に連絡し、PCR検査をしてもらい、正式に陽性者としてカウントされた(しかしその時いったいデュッセルドルフで何人の陽性があったのかは確認していない)。ちなみに処方された薬はイヴ(解熱剤)と喉飴のみ。解熱剤に関しては、熱がもう無いのに?と聞いたら解熱のためではなく炎症を抑えるためにで、つまり鼻や喉に炎症があるうちは服用せよとのことだった。めぎがかかった頃はまだ10日間自宅隔離義務の頃だったのだが、もうすぐ5日間になるというニュースが駆け巡りもう5日間になったかのような感覚で、誰もきちんと10日間か5日間かをチェックしてなく、とりあえずコロナ陽性になったのでその連絡をした時点(月曜日)から5日間自動的に学校を休むこととなった。でも、当時調べた規則によると自宅隔離義務の10日間というのは陽性になってからではなく症状が出てからとのことで(法律が何度か変わっているのでいつもそうだったわけではないと思うし、5日間の隔離義務になってからはPCR検査で陽性になった日をカウントせず次の日から5日間だったと思う…その細かい変化と時期は未確認)、実はめぎ的にはPCR検査で正式に陽性になった頃にはもう5日間が過ぎようとしていた。

発熱は最初の3時間だけでその後はせいぜい37℃程度だったのだが、喉はかなり痛かった。しかし、毎日検査していたら、4日目には陽性反応の線がかなりうっすらとしてきて…
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5日目に全く線が消えてしまった。
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が、喉がやられたせいで声がひどい状況だったので、次の一週間も医者に病欠証明を出してもらった。ドイツという国は病欠証明があれば何の問題も無く休めるので、めぎは症状が収まるまでしっかり休むこととし、ゆっくり養生させてもらった。その方が後遺症が出る可能性も少ないのではと思ったので(その医学的信憑性に関してはめぎはなんとも分からないが)。と言っても調子を見つつ自宅で仕事をし、宿題や代講の先生にお願いするプリントを作成をしたり、年末までにデジタルでやっておくようにというお達しだった研修を受けたり、2週目にはズームで授業したりもしていたのだが。陽性反応はその後全く出なかった。
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そして2週間の自宅療養の後、仕事に復帰した。若干鼻水が出る症状がその後1週間以上続いたが、そのうちに忘れてしまった。一か月後にはコロナかかったっけ?というような感じに元通りだった。うちのドイツ人も、その後特に何もなく終わった。
冷え込んでライン河川敷に霜が降りていた日。これは10時45分頃の撮影。
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そのようなわけで秋の旅行と年末年始の旅行の間にコロナ罹患・完治を経験し、無事に元気にクリスマス休暇を迎えられ、旅行もできたわけである。注意深い方なら旅行を取りやめただろうと思うし、めぎももちろんそれを検討した。最終的には、もはや何の症状も無いので保険も利かないし、かなり最新の免疫ができたとポジティブに考えて行くこととしたのだ。現地で熱が出たりしたらめんどくさいな~一人で隔離されたらどうしよう、などと不安がなかったわけではないが、コロナに限らず旅行中に病気になる可能性はいつでもある、とうちのドイツ人が旅行決行を決めた。めぎとうちのドイツ人の二人の例だけで物は言い切れないが、大事に至らず運がよかったとも言えるし、50代や60代でも健康であればたいしたことなく乗り越えられるとも言える。

めぎの職場では教員も生徒も軒並みかかって、まだかかっていない人を探す方が難しいぐらいだが(マスクをし続けている教員もかかったし、していない教員がかかっていない例もある)、めぎのようにワクチン接種3回を終えただけで4回目をしないままかかってそのままになっている例が非常に多い。ドイツではもう、接種3回と罹患で国民全体に免疫ができたと考えているようだ。次によほどの変異種が出てまた重症化のリスクが高くならない限り、ワクチンもこのまま忘れられていくのかも知れない…
1月後半は雨や曇りが多く、写真を撮らなかった。これは1月末の帰宅時、19時40分頃の撮影。霧でラインタワーの上があまり見えない。
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で、ドイツは2月1日から、これまでのコロナ特別法を延長せずに期限が切れたところでおしまいとし、それによってコロナ陽性の場合の自己隔離義務が撤廃になり、最後の砦だったような公共交通機関利用時のマスク着用義務も撤廃となり、従って学校での簡易検査キット配布も打ち切りとなった。
このスマホは逆光に弱いのだが、光ギラギラ感があって面白い。
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教育省からのメールにはこう書いてあった。
Es gilt weiterhin der Grundsatz: Wer krank ist, sollte nicht die Schule besuchen.
(調子が悪いときは学校に行くな、という原則は今も変わりません。)
本当にその通りで、めぎはドイツのこういうところが好きである。調子が悪いときはキッチリ休めばいいし、気兼ねなく休めるのだ。自己隔離義務でなくても休んで養生すればいいし、そうできるのだ。
最後に週末に行ったパン屋さんの前で。このパン屋さん、ちょっと遠いのだが凄く美味しくて行く価値のあるところ。
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今でも以前と違うコロナ措置(条例)が取られているのは、1)病院や老人ホームなどの医者や職員のマスク着用義務、2)そういう場所を訪ねる人のコロナ簡易検査推奨(義務ではなく推奨)、3)コロナ陽性になった場合の自宅以外の屋内でのマスク着用推奨(つまりコロナにかかっても仕事や学校に行っていいし、マスクをしなくてもいい)、4)陽性になった人は陽性の日から5日間は病院や老人ホームなどを訪ねてはいけないし働いてもいけない、5)病院・老人ホームなどの医者・職員は、陽性になった後陰性になるまで仕事に復帰できない、である。

コロナが今後どうなっていくのかは分からないし、全く別の病気が流行る可能性もあるが、この3年間のようなことがまた起きなければいいなと願っている。でも、起きても、デジタル化とかハイブリッド授業とか色々経験したので、まあなんとかやって行けるのではと思う。今の状況ではそれよりも、戦争がこれ以上ひどくならなければいいな、電気やガスが止まったりしなければいいなと切に願う。
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ヴィサンブールの散歩~その3~ [2022年秋 ヴィサンブール]

今日は2022年秋のドイツとの国境の街フランスのヴィサンブールのお話を。

散歩して、ちょっと高台に登って町を見下ろしていたところ。
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こんな屋根が見えたり…
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蔦が茂った古い家を見下ろしたりし…
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下ってその家の方へ行ってみた。
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庭でバラが美しく咲いていた。10月の終わり頃で、こんな秋も深まった時期にバラが咲いているところが見られるなんて、と言いながら写していた。
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庭にはルバーブが生い茂り…
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リンゴがなっていた。
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そして、リンゴがたくさん落ちて、ちょっと腐って、酸っぱい匂い(臭い、と書いた方がいいかも)が立ち込めていた…ここ、空き家なのかな。
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美味しそうなのに、勿体ないな。でも、ちょっと遠くて手が届かなかった。
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今いるところはこの近く。



近くをこんな車が通って行った。ドイツナンバーだった。このPSはよく見かけたのだがラインラント・プファルツ地方のPirmasensという町のこと。ラインラント・プファルツ地方のナンバーはよく見かけ、お隣ドイツの国境の州からフランスの国境の街へたくさん遊びに来ているんだなと伺えた。
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