フライブルクのユースホステル [シュヴァルツヴァルト]
無事に出張から戻ってきました・・・温泉の話は写真の整理がついてから追い追いに。今日は出張先で撮ったユースホステルの写真を手短にご紹介。
このユースホステルの写真を見ただけでどこだか分かる方っていらっしゃるかしら・・・
ユースに泊まったことって、めぎのブログの読者の多くの方々にとっては一度も無いか、あってももう云十年前だったりするんじゃないかしら・・・ちなみにめぎがユースに泊まったのは、かなりいい歳になってからの2005年夏のイギリスのコーンウォールが初で(宿泊が当時のレートでは余りに高すぎて一週間泊まるにはユースが精一杯だった・・・いや、正確にはユースじゃなくてYMCAだったような記憶。その後海を渡ってフランスのブルターニュでは、同じ値段でホテルに泊まれたのが印象的だった)、その次が2006年夏のスイスの山。どちらも4~6人部屋をうちのドイツ人と二人使いした。今回のめぎにとって人生3回目のユースは、初のドイツ。場所はフライブルク。
フライブルクと言えば2008年夏に来たことがあって、そのときにこんな立派な大聖堂とこんな可愛い町並みを堪能したのだが、このユースはかなり町外れにあって、旧市街へ行くには車でも10分くらい。とても仕事の途中で散歩がてらに歩いては行けないところ。周りはこんな緑が広がる。
目の前にあるこの小川がいったい何というのかも確かめてこなかったが、この近くにはライン川が流れているので、たぶんこの川もラインへつながっているのだろう・・・そう思うと、ここをずっとずっと下っていくとデュッセルドルフに帰れるってことよね。
こんな堰(?)の横に・・・
ちゃんと魚が上れるような仕組みが作られていた。これ、ドイツ語でFischtreppe(=魚の階段)というんですって。魚が上っているのは見かけなかったが、カモが上っているのは見かけた。カモ、ここを飛ばずによっこいしょと泳いでのぼっていくの。写真を撮れなかったのが残念。
お父さんと子供たち・・・離婚家庭の週末の典型的パターンか、夏休みにお父さんと一週間、というのかな・・・とすぐに想像してしまうめぎ。
お母さんの自転車も見当たらないしね。
あ、あちらは夫婦と子供。夏の休暇かな。
こんな風にすぐに想像しちゃうのは、めぎの職業病なんだろうな・・・
川岸に可愛い花が色々咲いていた。
さて、ユースの中は、玄関を入るとこんな空間。ここは玄関ホールだけど、食事時には奥の台の上にサラダや果物やパンなどが並び、この右側にメインディッシュを配膳するコーナーがあり、左側には食堂がある。
外のテラスでも食べられるようになっている。めぎも外で食べたかったな・・・残念ながら同僚たちと食堂で歓談しながらの食事だったけど。
残念ながら食事の写真は一枚も撮影していないのだが、かなりびっくりの美味しさ。ユースだからと全然期待していなかった所為もあるけど、お魚が出たり美味しいお肉だったり、塩加減もなかなか良くて、下手なレストランよりも意外と美味しかったりして、と思うほど。
玄関ホールの奥から振り返るとこんな感じ。真ん中にエレベーター、その右に階段、左に玄関、そのまた左に受け付け。
階段も結構お洒落でしょ。
ユースって今時はこんなに綺麗なのね・・・
この写真は数日前にご紹介したのと同じ。部屋は今回二人部屋を一人使い。繰り返しになるけど、ユースの部屋にシャワーとトイレがついているなんて、もはやユースじゃないみたい・・・ユースらしいのはシーツと布団カバーを自分ですることと(貸し出しは無料)、タオルを有料で借りることくらいかしら。
部屋からの眺めは前回ご紹介した着いてすぐの撮影と違って、朝起きて撮影したもの。
こんな緑いっぱいのところで缶詰でお仕事・・・集中できるという意味で非常に良い環境だと言えるわね。フライブルクのお話はこれだけ。仕事後うちのドイツ人と合流して、帰りに温泉地に寄ったのだけど、そのお話は後日改めて。明日からは溜まっている写真の中から順番に。
ナーゴルトという町 [シュヴァルツヴァルト]
突っ走り続けた怒濤の日々を終え・・・
めぎはようやく夏休みに!踊りまくりたい気分♪
いや、その前にゆっくり寝たいけど。思いっきり寝坊したいわ。そして、どうでもいいDVDとか見て、時間をダラダラ過ごしたい。
今日から7月16~17日の二日間で訪れたシュヴァルツヴァルト(黒い森)地方の田舎のお話を。デュッセルドルフから片道480キロくらい。土日で往復するにはちょっと遠いが、学校の夏休みの時期はずらせないし、叔父の誕生日もずらせない。もう一週間後だったら夏休みでゆっくり旅ができたのになあ・・・
とにもかくにもその土日で訪れた場所はNagold(ナーゴルト)。人口2万2千人程度、シュヴァルツヴァルト北部、シュトゥットガルトの南西約4~50キロ、チュービンゲンの西約20キロ、ヘルマン・ヘッセの生まれた町カルフの近くに位置する小さな町。
場所はこちら。
中世の町並みが残る中心部。
木組みも美しいし・・・
看板も素敵。
何を売っているかよく分かるわね♪
土曜日の朝7時半に出発し、2度の休憩を挟んで到着したのが12時半頃。旧市街では土曜日の市がそろそろ店じまいを始めようとしているところだった。
まだ買い物中の人も結構いたけど。
お祭りかライブか何かあったようで、民族衣装を着た音楽隊がみんなでビールを飲んでいた。
建物が可愛いな~
お花も綺麗に飾ってあるし。
向こうに見える教会の塔みたいなのは、塔しか残っていない。
丘の上には古城跡が見える。
そんなナーゴルトに来たのは、ヘッセゆかりの地を訪ねるといった観光ではなく、既に書いたように叔父の70歳の誕生日に招かれたから。ドイツではこういう端数のない歳の誕生日にはちょっと大きなお祝いをするのが習慣なのだ。その叔父はうちのドイツ人の母親の弟で、ドイツが東西に分断された頃にザクセンからここへ移り住んだのだとか。つまり、うちのドイツ人の母方の家族の一部はシュヴァルツヴァルトに移り住み、今も妹(叔母)と弟(叔父)がここにいるのだ。どちらも連れ合いを既に亡くし、叔父はホームに、叔母はアパートに一人暮らし。ホームは見なかったけど、アパートの方は泊まらせてもらったのでそのうちにご紹介する予定。アパートと言ってもワンフロア全部が彼女の部屋で、リビングにダイニングにキッチン、寝室が二つ、バスルームとトイレが別々というずいぶん広い立派なところだったけど。ドイツでは親戚や友人の家に泊まらせてもらうのは非常によくあることだが、それはやはり広い住宅事情のおかげ。
その叔母の家からは旧市街が一望できる。
あの古城跡が目の前に。
ちょうど叔母の住むアパートは改装・外壁工事中で、せっかくの絶景に邪魔が入っているんだけど、全景はこんな感じなの。
シュヴァルツヴァルト(黒い森)地方ってなだらかな丘陵がうねうねと続いている。北ドイツの真っ平らな景色とはずいぶん違うでしょ。
明日はうちのドイツ人の思い出の場所をご紹介。
うちのドイツ人の思い出の地1 [シュヴァルツヴァルト]
夏休み初日のこの土曜日は、それほど寝坊をせず(8時半頃起床)、10時頃にうちのドイツ人につきあってホームセンターへ。彼は現在仕事部屋の洗面所のタイル張り替え中。その様子も一部写したのでリクエストにお応えしてそのうちにご紹介の予定。あ、でも、先週からその作業に取りかかっていたのだけど、めぎは出勤中だったから最初の部分は写してない。うちのドイツ人のDIYを早くご覧になりたい方は、左のカテゴリーの「めぎ家改装中」をどうぞ。
昨日から7月中旬のシュヴァルツヴァルトの話を連載中。今日はうちのドイツ人の思い出の地をどうぞ。
ここはナーゴルト川。
川岸を工事中だった。どうやら魚の階段を作っているみたい。
素敵なお家の後ろの山を登ると古城跡。でも、向かったのはそこじゃない。
向かったのは、この河畔にある小学校。
なんとここ、うちのドイツ人が小学校一年生に入学したところなのだとか。ここにいたのは半年だけで、その後ずっとハンブルクだったそうだけど、彼の入学式はこのナーゴルトだったのだ。校舎は綺麗に改装されていてあまり覚えがないそうだけど、辛うじて↑この煉瓦でできた段差の雰囲気をおぼろげに思い出したとか。
そして、さらにおぼろげな記憶・・・それは、その当時ナーゴルトを見渡せる高台に住んでいて、小学校まで一時間くらい坂を下りる形で歩いて通ったということ。その住んでいた場所へ記憶を頼りに行ってみた。
ずいぶんのぼったでしょ。
ほら、下の家がこんなに小さい。
こんな階段がずっと下から天まで続く気がした。子供の足で通学するのも大変だし、ここに住んでいる人は日々の生活で相当足が鍛えられるわね。
なかなかに素敵なお家が並ぶところ。
と言っても、結構新しめの家が多い。中世の町並みの残るナーゴルトの旧市街とは違って、ちょうどうちのドイツ人がここにいた頃、つまり50年ほど前に新興住宅街として開発された辺りなのだとか。
彼らが住んだのは集合住宅だったはず。たぶんここじゃないかな、と思われる家をようやく発見。
なんでも、この裏口と階段と・・・
このテラスの感じが記憶と一致するのだとか。
でも、この当時はここにほとんど家もなく、木々もまだ小さくて、下がずーーーっと見渡せたんですって。
集合住宅だけど、花がとても綺麗。
庭にも花がいっぱい。
彼らはここに半年住んだ後ハンブルクへ。それから早50年ほど。今は下まで一時間も降りなくても、この高台に小学校があるらしい。年月が過ぎて、遠い東洋からきた奥さんを連れて再びここを訪れるような日が来るとはね。人生とはかくもあっという間のこと。
明日はもう一つ思い出の場所をご紹介。