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大晦日その2 [文化の違い]

昨日の引き続き、大晦日のお話を。

2021年の年越しは、デュッセルドルフに住むうちのドイツ人の従妹の家で過ごすことにした。18時に到着。
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↑ツリーの下に置かれているのはプレゼント。ドイツではサンタさんは枕元ではなくツリーの下にプレゼントを置いていき、開けたプレゼントもそこに置いて飾る。一人暮らしの彼女のツリーはプラスチック。本物の木の香りはないが、かなり立派で綺麗。
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この日集まったのは、ドイツ南西部の黒い森地方の小さな町ナーゴルトに住んでいる従妹の母親(うちのドイツ人の叔母…義母の異父妹)と、デュッセルドルフの隣町デュースブルクに住む従妹の25歳の息子。(ちなみに従妹と離婚した元ご主人は新しい奥さんと新居にて年越しとのこと。叔母は30年ほど前に夫を亡くし、現在ナーゴルトで一人暮らし。息子は車のディーラーに就職。)食事の用意は従妹が請け負い、めぎ家が飲み物担当。これは秋にフランス北東部のシャンパーニュ地方で買ってきたシャンパン。
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ちなみにコロナ対策としては、ドイツではワクチン接種済みの場合は10人までの集いがOKとなっていて、めぎとうちのドイツ人はブースターも終わっていたけど、全員念のため事前にコロナ検査も行った。そこまでやっていても心配な時期ではあるが、今回はちょっとキャンセルできない事情があったのだ…ここから先、正月早々不幸の話になるので、縁起でもないとお感じの方やそういう話が苦手な方は、次の写真のところまでどうぞ飛ばしてほしい。
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実は暮れも押し迫ってきた12月28日に、ナーゴルト近くのホームで暮らしているうちのドイツ人の叔父(叔母の弟、義母の異父弟、80歳)が突然亡くなったのだ。それも、いつも通り森に散歩に出かけ、夜になっても帰って来なかったので捜索したら、滑って転んでそのまま亡くなっているのが発見されたという事件の形で。叔父は戦後パリで何かあって精神的にダメージを受け、生涯結婚せず、かなり早いうちからホーム暮らしをしていた。姉の叔母はその後見人となっていて、普段だったらクリスマスに彼女の自宅に弟を迎えて過ごしていたのだ。娘を訪ねたクリスマスにそんなことが起こるなんて…と、知らせを受けた叔母は相当なショックだったし、叔母の代わりにホームや警察や葬儀屋などとあれこれやり取りをした従妹が、どうしても来て、とうちのドイツ人にSOSを送ってきたので、めぎたちはコロナだけど行くことにしたのである。

叔母はめぎたちが家に到着するや否や、まだコートを脱いでもいないうちから叔父の死について話し始め、彼女の気のすむように、めぎたちは挨拶もしないうちからその話を聞き続けた。ひとしきり話した叔母は、男性(=うちのドイツ人)の冷静な言葉を聞くと、少し落ち着いたようだった。いやあ、従妹さんも大変だったわねぇ…来てよかったわ…

ところで、たぶん日本的に考えると、28日に叔父が亡くなったという知らせが届いたら、叔母はすぐに飛んで帰って警察で叔父と確認するとか、すぐに自宅に遺体を引き取るとかお葬式の準備をするとかがあって、大晦日あたりには従妹も義母も我々もナーゴルトにお葬式に集まっていた可能性があると思うのだが、ドイツでは全くそうはならない。叔父の確認は電話で済んだらしいし、叔父の遺体は火葬に出す順番を待つ冷蔵倉庫へもう運ばれたという。それは叔父の死が事件だったからではなく、誰が亡くなってもドイツでは同様で、火葬ではなく棺桶のまま埋葬する場合でもやはり自宅に遺体を引き取ることはなく、病院からまっすぐしかるべきどこかの冷蔵倉庫に安置され、お葬式に教会に配送されるというシステムである。叔母が事実を確かめたいと訴え出れば話は違ったかもしれないが、そのようなわけで叔父の遺体は既に倉庫へ移動し、火葬場が予約いっぱいだとのことでお葬式は約14日後に決まった。めぎが聞いた限りでは、叔母も誰も叔父の遺体に対面することはもう無く、次に会うのは遺灰になって骨壺に入った形で、埋葬するとき(それがドイツのお葬式)だろうとのこと。ドイツでは遺族が焼き場に同行することもない。

先日祖父を亡くした同僚も祖父の遺体は見なかったと言ってたし、うちのドイツ人の友人の父親が亡くなったときもその友人は遺体には対面していないし、うちのドイツ人の父親が亡くなった際には息子のうちのドイツ人の希望で倉庫へ配送前の病院の冷蔵庫の引き出しの中にいた義父に会うことが特別に叶ったという経験もしたし、義母のパートナーの遺体の入った棺桶は教会で開けられることなく、中は誰一人覗くことがなかった。このように亡くなった親戚と直接お別れする機会がほぼないドイツでは、死は日常の中に全く存在しないものと言っても過言ではない。死んだ瞬間に遺体そのものもこの世から消え、人々には生きているときの記憶しか残らないのだ。子どものころから祖父母や親戚のお葬式に行って、横たわる亡くなった人に触れたり、少なくとも納棺のときなどにその顔と最後のお別れをするのが当たり前の日本人とでは、死生観が全く異なるように感じる。


さて、一時間ぐらい話をしてやっと多少叔母の気が済んだところで、この日の食事に取り掛かる。大晦日の定番の一つ、チーズフォンデュ。
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サラダのほかは…
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チーズフォンデュのみ。それも、野菜とか肉とかは無しで、パンのみ。
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しかしこのチーズが深い味わいながらも意外にあっさりしていて、ずっとずっと食べ続けてもちっとも飽きなかった。それどころか、食べれば食べるほどますます食べたくなるほどだった。それがめぎにとってはかなりびっくり。これ、チーズもそれを溶かしているキルシュヴァッサーとかも大事だが、パンがそのまま食べてもとても美味しかったことも大事なポイント。
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で、食べながらフランスの2010年産グラン・クリュも開け、飲み切った。
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19時頃から食べ始め、チーズが無くなったところで、食事は終わり。食べ終わったのは21時。2時間、ワインを飲みつつチーズフォンデュとサラダだけを食べ続けたということである。それなのにもうちょっと食べたいなと思うほど、美味しかった。チーズを絡めるという作業も結構忙しく、叔母の気がまぎれたのもよかった。
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この日の話はさらに続く。
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