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2021年夏の音楽祭詣でを終えて [2021年夏 バイロイト・ザルツブルク音楽祭]

2021年のザルツブルクとバイロイトのお話は本日最終回。

ヨーロッパは7月初めに七日間指数(人口10万人当たりの7日間の感染者数)が10以下になってすっかりコロナが収束したかに見えて、コロナワクチン接種も大方終わってみんな夏休みに休暇へGoTo状態になったのだが(日本と違ってそのための何らかのクーポンとかがあるわけではないが、自己隔離期間がなくなったということで休暇に越境が促進された)、夏休みが始まるとともに急激にまた感染が拡大してコロナ第4波となった。で、一時はどうなるかと思ったが、無事に音楽祭を鑑賞でき、その後も音楽祭は無事に滞りなく上演され、無事に終了した。
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ホント良かったな~と思い出す。これは、ザルツブルク音楽祭のハイライト集。2分弱なので、ぜひ。



↑いろんなオペラやコンサートや演劇のシーンがダイジェストになっているのだが、バックに流れているのはモーツァルトのシンフォニー41番の第4楽章。それは、ウィーンフィルではなくムジカエテルナの演奏で、ムーティ―でもティーレマンでもなくクルレンツィスの演奏。

そうなのだ。今年、やっぱり何がどう印象に残ったって、クルレンツィスに過ぎるものはないと思う。絶賛あれ酷評あれ、とにかくクルレンツィス。話題性と言い、投げかけてくるものの問題の本質と言い、それに勝るものは無かった。ムジカエテルナの演奏は、他のオケと違って、なんというか実存を問われているような演奏なのだ。たまたまそのオケの一員だから今日はここで弾いてます、という人は一人もいなくて、それぞれが今日の命のある限りという思いで弾いている、と言っても言い過ぎではないような。今この瞬間は二度と無い時間で、今でき得る限りの最高の輝きを、という演奏は、それがいいかどうか、その演奏が好きかどうかはさておき、聞くものを鷲掴みにするエネルギーを持っているのだ。モーツァルトのコンサートの方はもう映像が11月中旬までの限定でドイツ語圏で見られるこちら以外見つからないので、これはドン・ジョヴァンニ。



演出も本当に興味深かった逸品。この公式写真は、最初の辺りのこの黒子さんたちの分身の演技でめぎが、おおこれは凄い!この演出は当たり!と思った瞬間。舞台の隅から隅まで、全部はめぎにも分からないが、全ての物と動きに意味がある素晴らしさ。演出って、なんて魅力的な仕事なのかしら。写真はこちらから。
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今年のザルツブルクのクルレンツィスが日本でも早く紹介されればいいなと思っていろいろ探しているときに一つ見つけたのが、6月のデルフィの古代円形劇場でのベートーベン7番。これ、NHKのプレミアムシアターで10月24日の23時20分から放送されるみたい。どんな人か、どんなオーケストラか、どんな演奏をするか、この演出には好き好きあるけど、曲の解釈には一理あるのでぜひ一度どうぞ。サシャ・ヴァルツの踊り付き。これは英語の字幕付きメーキング。



そんなわけで、帰ってきてからもしばらくクルレンツィスばかり聞いていた。ドイツではすぐにモーツァルトのシンフォニーコンサートの方もドン・ジョバンニの方もテレビで放送されたので、オンデマンドで何度も見たし、ダウンロードもしてとってある。時間があれば写真よりブログよりクルレンツィスという感じでひとしきり浴びるように何度も何度も繰り返して見た(聞いた)後で、彼の別のオーケストラ(SWRオーケストラ)と別の曲の演奏にも手を出した。プロコフィエフは大好きなのですぐに聞いてみたが、残念ながらピンとこなかった。



モーツァルトやベートーヴェンではあんなに徹底的で過激とも言われるのに、どうしてプロコフィエフはこんなに濃淡ないんだろう…もっともっと過激にしてもいい曲なのに。ちなみにこちらのショスタコーヴィチはめぎ的には素晴らしいと思うが、みなさんはどうかな。さらにこちらにはその他に2ページにわたってブルックナーやらシューベルトやらチャイコフスキーやら色々あるので、興味のある方は是非。こちらのリハーサル風景も英語で分かりやすいし面白いかも。

そんな風にクルレンツィスを追っていたら、もちろんライブコンサートの予定もチェックするわけで、ドイツでデュッセルドルフから行ける範囲で行ける時期で…と探したためクルレンツィスの予定はめぎの頭の中にぼんやりとインプットされている。そんなある日、デュッセルドルフからすぐ近くのミュルハイムという町の学者ベンヤミン・リストがノーベル化学賞を受賞したというニュースとともに、彼がそのニュースを10月6日の朝、遊びに行っていたアムステルダムのカフェでケータイへの電話で聞いたというゴシップが目に入った。それによると、なんでも彼は、まさか自分が受賞するとは思ってなかったので、10月5日の夜アムスのコンセルトヘボウにマーラーの5番を聞きに行っていたというのだ。あれ?そう言えば10月初めにクルレンツィスがアムスでマーラー5番のコンサートをするはずじゃ…と調べてみたら、やっぱりそう。こちらにその記事がある。この記事、翻訳ソフトで訳してみたが、めぎが言いたいことをほぼそのまま言っているという感じ。同じ演目でもウィーンはこちらによると不満足だったらしく、ベルリンはこちらによると感動しているといった具合で、賛否大いに割れている。めぎはマーラーがあまり好きじゃないので行かないが、こう大きく割れた記事を読むとどれどれ行って自分で確かめてみようかという気になるわけで、そして記事を書けばどっちにしても売れるわけで、なんだかんだ言いつつみんなお蔭様なんじゃないかな。めぎはオランダの記事の写真が凄く気に入ったのでここに載せておく。このコンサートマスターの陶酔したような顔と弓。ああ、こういう写真撮れたらなあ…
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↑この観客の中に次の日ノーベル賞を受賞する学者さんがいたのね。話は飛ぶが、その学者さん、なんでも2004年にタイで津波にも遭っていて、凄い人だな…

ノーベル賞受賞者が来ていたなんて言う偶然も然も有りなんと思えるような雰囲気を纏うクルレンツィス。めぎ的には今後しばらくクルレンツィス追っかけが続きそう。と言っても全部が全部当たりではないのだが、当たったときの、あの、ひょぇぇぇぇ!腰抜けた~たまげたぜ!という驚愕の瞬間を追ってしまうのだ。これって、あのヘルシンキの羽生君やその昔のプルシェンコを追っていた感覚と似てるかな。

さて、それはさておき、もう一つ、めぎが帰宅してからの上演で今年のザルツブルクで話題になったのがこのオペラ。実際にテレビ放送で見てみたら期待したほどではなかったが、ザルツブルクというのはこういうのも意欲的に上演するところという意味で、貼っておく。安定のネトレプコやムーティやティーレマンだけではない、チケットの売り切れる人気定番演目を揃えるだけでもない、現代の問題に焦点を当て、将来を切り開こうという貪欲な意欲を感じる面である。本来ならば是非見てきたかったのだが、月曜日から仕事のところ日曜日の夜のプルミエで、涙をのまざるを得なかった。



クルレンツィスもグリゴリアンもクレヴァッサも、こういう音楽祭だからこそ取り上げられ、そこで認められて出てきたのだ。ネトレプコもかつてそうだった。今年のドン・ジョバンニのドンナ・アンナ役のソプラノ歌手が素晴らしくて、20年前にネトレプコがやはりドン・ジョバンニのドンナ・アンナ役で彗星のごとくデビューしたことと比較されていたので、めぎは帰宅後その映像も探した。しかし音源はあったけど映像は無く、下の張り付けで雰囲気を垣間見るのみ。ネトレプコ、確かに素晴らしいけど、やっぱりイタリアオペラの歌い方。しかし2002年にはこれが最高だったのだろうし、これ以外の歌い方は認められていなかったのだろう。今でも、ドン・ジョバンニのドンナ・アンナはイタリアオペラの歌い方で歌うべきという意見がかなりの比重を占めているのだから。



しかし20年経った今、当時のネトレプコならめぎ的にはこちらの2005年のイタリアオペラの方が断然お勧めである。これは本当に素晴らしい。脱帽である。やっぱり適材適所、彼女はイタリアオペラなのだ。



ネトレプコは2002年当時無名でザルツブルク音楽祭に呼ばれていたわけではもちろんないが、既に名声高くなってから呼ばれたわけでもない。クルレンツィスも然り。クレヴァッサもグリゴリアンも然り。ザルツブルクは先見の明があるというか、売り出し方がうまいというか。それに、20年も前から上のような前衛的な演出をやっていたことも分かる。これが今の最新の演出ですって言われてもそうですかとなりそうな斬新さだ。そこが、ザルツブルク凄いな、と思わせる所以である。ワーグナーしか上演できないバイロイトでは同じようには行かないけど、でも演出やら配役やら演奏やらで(再び)唸るような驚きを世に送り出すようになって欲しいものだ。そう期待しつつ、今年のめぎの音楽祭を締めくくろうと思う。
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