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肉屋の前で [小さな出来事]

気に…
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なる…
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わん!
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8月終わりのめぎ家バルコニー [小さな出来事]

今日は音楽祭の話をお休みして、めぎ家のバルコニーの写真から。

と言っても、あまりよく考えず工夫もせずただパシャパシャ撮っただけのものだけど。
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すっかり秋だなあ…
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学校が始まってから、もう忙しくて忙しくて忙しくて…
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だから、書きたいことはまだまだあるのだけど、追いつかなくて。
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だからバルコニーの写真で小休止。
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ドイツでは紫陽花は初夏から晩秋までの花。綺麗な青色のがマルクト市場にあったので、思わず買っちゃった。うちの色褪せたピンクの紫陽花の影で、青色がめぎの目を癒してくれている。
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この自転車操業の毎日を何とかしたい…夏休みに遊び呆けた罰だわね。
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クルレンツィスのモーツァルト協奏曲など [2021年夏 バイロイト・ザルツブルク音楽祭]

現在、2021年のザルツブルク音楽祭の話を連載中。

8月2日の夜21時、とても楽しみにしていたコンサートへ。
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オーケストラのコンサートだが、普通の舞台の用意とちょっと違う。
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トリミング。ね、指揮者用の台が無いし、バイオリン奏者用の椅子もない。前に一つだけある椅子は、ソリスト(ソプラノ歌手)用のもの。右の一段高いところは、チェロの人たち用の場所。
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先日のウィーンフィルの舞台と比べてみよう。こちらは楽器の数もずっと多いし…
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指揮者の台と全員の椅子がある。これが普通なのだ。
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クラシックに興味のある人は、テオドール・クルレンツィスという名前はもう既に聞いたことがあるだろうと思う。クラシック界の異端児とか、革命家とか、いろんな代名詞がついている。ギリシャ生まれでロシアのペルミといういったいどこ?と思う町で長く芸術監督をやっていた人である。ペルミって、ロシア全体の地図で見るとまあ西の方に位置するのだが、モスクワよりもずっと東で、クルレンツィスがいなければ話題にもならなかったというか、知っている人もほとんどいなかった僻地の町ではないかと思う。しかし、数年前にクルレンツィスがザルツブルク音楽祭デビューしてからはペルミまで足を運ぶファンや批評家がどっと増え、飛ぶ鳥の勢いでコンサートはどこもチケット売り切れ状態である一方で、毛嫌いしたり批判したりする人も多い人物なのだ。なにしろ、見た目がこんなんだし。この写真はWikipediaから。
Teodor Currentzis. The conductor. In PermOpera with his vinyl record. 2016


彼は現在、南西ドイツ放送交響楽団の首席指揮者でもあるが、自分で組織したmusicAeterna(ムジカエテルナ)というオーケストラと合唱団を引き連れてコンサートをしていて、非常に独特な演奏をする。ここから下に貼ったリンク5つは今回のコンサートとは全く関係ないが、クルレンツィスの紹介のために。

まず、作品の作曲された時代の楽器、古楽器を使う。これはもうアーノンクール時代からある演奏法なので特に新しくはないが、それでも未だ批判の対象になっている。もしモーツァルトやベートーベンがのちの時代に生きていたら、今の楽器を使ったはずだ、という批判で、ロマン派時代以降の楽器とオーケストラ編成でロマン派的な演奏をするのが主流なのだ。しかし、クルレンツィスはムジカエテルナ(オーケストラ)に古楽器で演奏させるのだ。古典派時代の音楽ならもともとの楽譜通りの編成で、当時の音色で演奏。これはモーツァルトのピアノ協奏曲だが、ピアノも古楽器。



次に、これは、曲はプロコフィエフのロミオとジュリエットの一部だが、バイオリンの人たちがみんな立っているのが分かる。立つのはバイオリンに限らず、木管・金管の人たちも。立って演奏すると、緊張感が違うように聞こえる。思えばバイオリンや多くの吹奏楽のソリストはみんな立って演奏するのだから、オーケストラが座って演奏しなければならないという決まりはない。もちろん座らないと演奏できないチェロなどは座ってるが。さらに、この映像を見ると、古楽器一辺倒なのではなくて、あくまで作曲当時の楽器を使うということもわかる。



それから、彼の演奏はテンポが速いことも有名だ。ベートーベンの第5番「運命」のCDが発売されたのだが、それは、自分が一番早く演奏できると証明しようとしたものだ、などと酷評されたりもしている。確かに早い。しかし、ちゃんと聞けば、無意味に早いわけではないことが分かるはずだ。



全部聞きたい方はこちらから。



これは今年ギリシャのデルフォイ(デルフォイの神託の場所)でベートーベンの7番をやったときのメーキング。英語の字幕付き。本番の映像は見つけられなかった。



まあこんな感じなので、パフォーマンスに長けていて、本当に異端児というか、奇をてらい過ぎというか、ある意味やりたい放題に見える。ファンはカルト信者とも形容される。だから、音楽を聞こうと思ってもパフォーマンスに気を取られてしまうなんて言われるし、実際、彼の演出など見たくないということで音楽を聞くところまでたどり着いてもらえない場合が多い。うちのドイツ人も、2年ほど前のバーデンバーデンや去年のコロナ直前の2月のケルンで、始まる前に真っ暗な中で入ってきて拍手をさせない演出とか、靴紐の赤とか、終わった後で手をおろすまでに時間をかけ過ぎの演出とか、そんなことばかり気になって、肝心の演奏には全然集中できなかったと言ってたし。

それでも今回コンサートに付き合ってくれたのは、モーツァルトの協奏曲40番と41番という超有名な作品をいったいどう演奏するのかちょっと興味を持ってくれたから。俺が一番早いぜ「競争」曲になるのかも知れないが、それならそれで早く終わるし、などという軽い調子でもあった。しかしめぎはこう思っていた。めぎ的には、クルレンツィスのザルツブルク音楽祭でのコンサートに今まで外れはない。彼と一心同体でもあるムジカエテルナとともに最高の集中力で最高傑作を披露するはずだし、それが気に入らなければ、もう仕方がない。その場合は、うちのドイツ人はクルレンツィスと趣味が合わないということなのだ、と。

8月2日のコンサートはこう始まった。これは残念ながら抜粋版。でも、昔のフルートやクラリネットやホルンなどの音色を楽しめるし、長さも10分程度だから、ぜひ。6分25秒ぐらいから始まる曲では、古楽器でも見たことのないのが色々あって、モーツァルトってこういうのを使ったんだ、と非常に興味深い。お時間と興味のある方は、中国の動画サイトのこちらでなら全部が見られる。ドイツ語圏にいる方は、こちらをどうぞ。あら、今回は普通に最初に礼をして拍手受けてるし、靴紐が黒だわ!それに、レギンスみたいな細いジーンズにも見えるパンツ!(これはやっぱり後で批評家にコテンパンに言われてた。)あ、木管や金管でその曲に出番がない人は座ってる。なるほどね…



いつものことながら、メリハリが凄い。ピアニッシモの演奏が素晴らしいし、どんなに大きな音でも楽器一つ一つが生きている。めぎはクルレンツィスのそこが好きなのだ。クルレンツィスが指揮台を使わないのは、オーケストラと一体というイメージを演出するからなのかな。ホントよく動きながら指揮をしている。オケと同じ高さに立って、ともに演奏するという感じなのかしら。金髪のおかっぱ頭のコンサートマスターの男性が、飛び跳ねるように、ほとんどダンスするかのように演奏してて、これが立って演奏するということなのだなあと思ったが、指揮者がこんなに動き回るから、その言いなりのオケのコンサートマスターも指揮者以上に動き回っていた、などと批評で揶揄されていた。しかしめぎは、音楽というのはこうして全身で表現するものなのではないかと思う。かしこまって、お行儀よく弾く事に何の意味があろう。写真は、クルレンツィスに促されて一歩前に出て挨拶するコンサートマスター。遠目にはずいぶん若者に見えるけど、映像で見たらかなりおじさんでビックリ。
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元々発表されていたのより、演目が増えていた。40番の前に「ダビデ・ピニテンテ」というカンタータの1曲目(ハ短調ミサの一部でもある曲)、41番の前にも「フリーメイソンのための葬送音楽」。だから合唱もあるし、ソロのソプラノ歌手がいたのだ。
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うちのドイツ人的には、この最初のソプラノ歌手とのハ短調ミサ曲が、ここまでの人生で聞いたハ短調ミサ曲の中で最も美しく素晴らしい歌声と演奏だった(!)とのことで、彼はなんとこの1曲目で涙を流したのだった。イチコロである。1曲目が終わったら観客に拍手をさせずに40番に入り、その間がちょっと早すぎたのが残念だったけど、意図はよくわかった、とのこと。(その歌声は残念ながら上の抜粋版の映像には入っていないので、中国の動画サイトで聞いていただければと思う。彼女の歌が始まるのは3分25秒ぐらいからで、その曲は8分35秒のところで終わる。)そして、続く40番も、こんな有名で、失礼ながらある意味すっかりムード音楽のような位置づけにさえなっている40番が、クルレンツィスの演奏で全く別の、実存を問うような緊張感ある音楽に生まれ変わってて、隅々までよく知っているはずの曲なのに、新しい発見すら多々あった、とのこと。立って演奏することによる集中力の効果もよくわかったし、ただのパフォーマンスではなく本当に音楽を研究して理解してこう演奏したいという意図を突き詰めていることもよくわかったし、古楽器の音色もよかったし、オケの一つ一つの音がよく聞こえて素晴らしかった、と。やったね!そうなのよ!やっとクルレンツィスの凄さが分かったわね、あなた。

で、41番も同様に大いに感動したところで、うちのドイツ人の大嫌いなアンコールがあったのだが…アンコールの曲を聞くと、せっかく素晴らしい演奏で感動していたのが別の軽めの曲にすり替わってしまうので彼は嫌いなのだが…今回のアンコールは、最初のソプラノ歌手のオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の“Non mi dir“というアリアで、これがまた、そこまでの感動を上回る感動ものだった。何が素晴らしかったって、これまでのヴェルディとかプッチーニとかのロマン派バリバリのイタリアオペラの歌い方でモーツァルトのオペラを歌うのではなく、古典派の歌い方の“Non mi dir“があまりにも美しく、うちのドイツ人は再び涙したのだ。(その歌も抜粋版では入っていないので、中国の動画サイトの1時間13分55秒ぐらいからどうぞ。)これで、その2日後に見に行くことにしていた「ドン・ジョヴァンニ」が大いに楽しみになったとのこと。それもクルレンツィスの指揮で、ムジカエテルナの演奏で、このソプラノ歌手が歌うのだ。それについてはまた後日。

うちに帰ってから、うちのドイツ人はこれまでの彼的に一番だったハ短調ミサの演奏と何度も何度も何度も聞き比べていた。これもホント悪くない。1991年の演奏だが、30年前に既にこんなに完璧にクルレンツィスがやろうとしていることをやっていた人がいたのだということだし、このソプラノ歌手も完璧である。歌詞はちがうけど最初のKyrieのみ、下の映像と中国の動画サイトの最初の部分とを音楽を聞き比べてみてほしい。また、さらに興味のある方は、カラヤン指揮による全く異なるロマン派的な演奏のこちらとも。同じ曲が全く別物に聞こえる。



あと、めぎ的には、大好きなクラリネット奏者の彼がいるのを確認して、一人幸せな気分に。前にもリンクを張ったこの映像の中のクラリネット奏者だ。これは2017年のザルツブルク音楽祭のオペラ「皇帝ティトス」から。このアルト歌手マリアンヌ・クレバッサもこのときからめぎはファンだが、今年も別のオペラに出ている。その話は後日。



そんなわけで、非常に満足度の高く、感動的で、かつ新鮮味のあるコンサートだった。批評は極端で、モーツァルトを壊す気か、というのもあれば、モーツァルト自身の到来かのように絶賛するのもあり、ヨーロッパの音楽界は大論争中である。これは、音楽祭のチケットやCDなどを売る側からすると、凄い大成功ね。クルレンツィスとムジカエテルナはソニーが契約をしているという。こんなに話題になって、ソニーさん、よかったね。
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ちなみにクルレンツィスとムジカエテルナは来年3月中旬に京都と東京でベートーベンのコンサートの予定。来年の3月かあ…世の中どうなってるのかな。クルレンツィス、日本行けるといいね。

大いに感動して23時過ぎに宿に戻り、白ワインを炭酸水で割って喉を潤した。ああ、よかったわ。ホント、ホント、よかったわ。
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