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モーツァルト・マチネ [2020年夏 ザルツブルク]

現在、2020年のザルツブルク音楽祭の話を連載中。

中に入ると、ガラ空きという印象。
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めぎの席から一階下に見えるここは普通なら立見席なのだが、今回立見席は売られていない。これは開演前に立見席から下を眺めていた人。
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めぎの席の隣にはオーストリアのご夫婦がやってきた。隣の席とはコロナ対策で一つ間を空けて座席指定されており、その通り一つ空けてご主人が座り、もう一つ空けて奥さんが座った。なぜオーストリア人とわかるかと言えば、ドイツ語の訛りが聞こえるからだ。めぎはドイツ語がネイティブ並みかと問われると、欧州基準のネイティブ並みC2レベルに達してもいやいやまだまだというか永遠にネイティブにはなれませんという現実を日々一瞬一瞬味わっている(TOEIC900点とか英検1級をとってからが本格的な英語習得の始まりと言うのと似ている)。とは言え、起きてから寝るまで常にドイツ語ばかり聞いているのでドイツ語慣れしてて、発音やメロディーの違いはすぐに分かる(英語慣れしていればアメリカ英語とイギリス英語とアジア英語の違いがすぐに聞き分けられるのと同じ)。オーストリアや南ドイツのドイツ語は、めぎの聞き慣れている北ドイツや西ドイツの発音やメロディーとは全く異なり、粘っこくちょっと鼻にかかっている感じ。そして、オーストリア人もドイツ人も、彼らは決してその方言を包み隠さず、標準語など話すことが無く堂々と方言で話すので、すぐにだいたいドイツ語圏のどの辺りからの出身かが分かるというわけだ(ついでに言うと、東ドイツもスイスもまた全く違う)。細かく言えばオーストリアでもウィーンとザルツブルクでは大いに違うようだが、そこまではめぎには分からない。

さらに言い回しも大いに異なる。もっとも簡単な例で言えば、普通ドイツ語で「こんにちは」はグーテン・ターク(どうぞよい一日を、という意味)と言うが、オーストリアではグリュース・ゴット(神があなたに挨拶してくれますように、と言う意味)である。それも、ぐぅんりゅすごぉっっと、という感じで鼻にかかった発音で言う。こちらでは席が隣り合わせになった人と「こんにちは」と挨拶し合うので、それですぐにお里も分かる。まあこの場合めぎは外国人なので、グーテン・タークと言っても「この外国人、どこでドイツ語習ったんだ、分かってねーな」と思われるだけで終わるのだが、うちのドイツ人が美しい北ドイツの発音でグーテン・タークと言おうものなら、なんでぃあーたはピーフケかぃ、とすぐにそっぽを向かれる(ピーフケとはオーストリア方言でドイツ人を揶揄して指す言葉)。

さて、今回見に行ったのはモーツァルト・マチネと言って、モーツァルトの曲ばかりを演奏する昼のコンサート。演目は、「孤児院ミサ」と呼ばれるミサ曲と、「弦楽器のためのアダージオとフーガKV 546」と、「Vesperae solennes de Confessore」という礼拝用の曲。訳すと「懺悔の厳粛な礼拝儀礼」という感じ。モーツァルテウムの演奏はまあまあ。いや、もちろん十分素晴らしい演奏なのだが、すごく感動するというわけでもなかった。それは演目のせいかもしれないが。


映像を見つけたので張り付けておく。まず「孤児院ミサ」。



間の「弦楽器のためのアダージオとフーガKV 546」はめぎの見たザルツブルク音楽祭のがなぜか見つからないので、別の演奏のを。



そしてVesperae solennes de Confessoreという曲。



この写真は全部の演奏が終わってから。例によって休憩は無しだった(観客がマスクをとってしゃべったり何か飲んだりするのを避けるため)。
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オケとコーラスがどのぐらい密か、いや、どのぐらいいつもよりディスタンスを取っているか、トリミングでどうぞ。
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ソロの人たち。
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音楽祭の会場はマスク着用義務。マスクのない人は入場できない。だから、外に出るとああやれやれと外す人が多い。これは、終わってから会場を後にするときにパチリ。
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ここからの景色をこうして眺めるのは今回この日が初めてだったが、同時にこれが今年の見納め。あと2演目見る予定だが、場所はここではないので。
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つづく
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