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95か条の論題から500周年だったとき [ドイツ(主に東部) 2017年夏]

今日は2017年夏のドイツ旅行のお話を。

その夏、いつものようにザルツブルク音楽祭を見た後、数日ドイツを旅行した。一日目にレーゲンスブルクに泊まった話は前回までに書いた。今日から二日目の話に入る。

で、レーゲンスブルクを出発してちょうど4時間後、めぎはこの写真を撮った。
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1517年のルターの95か条の論題から500周年を祝っていた2017年のヴィッテンベルクである。
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これがそのルターが論題を門の扉に掲示したという城教会の塔。
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この頃、フルサイズのD600に70-300㎜の望遠レンズをつけていた。
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当時はあまりその写りに満足してなかったのだが、今見ると悪くないなぁ。
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さて、1517年当時の扉は消失してしまって今はない。これは1858年にプロイセン王のフリードリヒ・ヴィルヘルム4世からヴィッテンベルク市に寄贈されたブロンズ製の扉である。
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読んで、ほぉ~そうかそうだよね~と言っている人たちの像。
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300㎜、楽しかったんだな…
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ここにその論題が刻まれている。
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ルターの95か条の論題の内容についてはこちらをどうぞ。
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ものすごく簡単に言うと、カトリックの教皇の出していた免罪符などの制度に対し、それはちょっと違うんじゃない?本当の信仰というのはこうあるべきなんじゃ…と95もの議論を吹っ掛けたのがルターで、それやら何やらでヨーロッパには宗教改革が起こり、プロテスタントという宗派ができた。ドイツにはプロテスタントの多い州がいくつかあって、その州ではルターが95か条の論題を掲げた10月31日が祝日である。めぎの住むノルトライン・ヴェストファーレン州はカトリックとプロテスタントがちょうど半々ぐらい住む州なのだが、カトリックの諸聖人の日である11月1日の方が祝日で、ルターの10月31日は平日。あ、そうそう、この10月31日はハロウィーンとは全く関係がない。

音楽を奏でる像がその論題を飾っていた。
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扉の全体像。
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このとき、なぜか中には入っていない。時間がなかったのか、以前入ったことがあるからか、もう思い出せない。
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ここでの話はもう一回続く。
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