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札幌の実家3日目の朝 [2023年夏 日本]

今日は今年2023年7月初めの日本でのお話を。

札幌での3日目の朝、前日と同様、たくさんの料理が並んだ。お母さん、ホントありがとう。
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朝食後、父が新聞を読んでいた。
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母が片づけをしているキッチンをちょっと覗くと、可愛い色の鍋(というのかな?)が並んでいた。母が若いときからずっと使っているものだというが、めぎには全く記憶がない。水色のがあったような気もするが…それが火にかけられるものとは知らなかったな…
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この家はめぎが住んでいたところではないため、どこに何があるのか全く分からない。食器も見覚えのないものがほとんどだ。今回(と言うか7年前もその前も、つまりいつもだけど)めぎは上げ膳据え膳で全く何もせず、キッチンにはこのときぐらいしか足を踏み入れなかった。
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戸棚の大きい方のは、めぎがいたときにもあったものかもしれない。でも、あまり自信がない。そのぐらい、この家のことは分からない。ただ、右の奥に見えている薄青緑色の茶器は知っている。めぎが高校生ぐらいの頃、働き出した母がどうしても欲しくて買ったものだ。欲しくて何度も売り場に見に行ってとうとう…という話を聞いた記憶が残っている。懐かしいな。
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この花器もその茶器と仲間なのかな。仲間、という言い方はおかしいが、テイストが似てるなあと感じたので。
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その後、昔の写真が見たいなと言うと、父が自分の昔のを出して来た。色々説明してくれて、父も懐かしんでいるのが分かる。
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昔の写真はかなり整理し、母の若い頃の写真はもう処分して全くないとのこと。両親の結婚式の写真は父が辛うじて救って取っておいてくれてて、懐かしい親戚の若い顔などとても興味深かった。親自身の若い頃の写真も、親戚の写真も、子どもにとっては今の自分や昔の自分と重ね合わせて新たに色々感じたり発見したり理解できたりすることもあり、非常に重要なのだ。自分自身の子供の頃の写真より重要かもしれない。取っておいてくれてホント良かったわ。

下の写真は、父がどこに写っているのかもわからないが、当時の小学校の様子が分かる貴重な写真だと思う。学年の終わりに教室で、保護者も一緒に写っている写真なのだ。制服があったのね。そうか、父はこういうところで教育を受けたんだ…
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それからこちらは小5の時の写真のようだが、あ、ここ、知ってる…
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同じアングルでは撮っていないが、2014年に両親がめぎ家と妹夫婦と6人で支笏湖畔の温泉に招待してくれたときに、宿のすぐそばで写したのだ。
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この赤い橋がとても印象に残っている。ここ、父にとって懐かしい場所だったのね。
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橋の向こうの緑の部分にも、なんとなく当時の雰囲気が残っている。
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全員そろって一緒に行った温泉としてめぎにとっても非常に印象に残っている場所。共通点が分かってなんだか嬉しい。

美幌峠は思い出せないが、川湯温泉にはめぎもうちのドイツ人と妹と3人で一緒に泊まったことがある。
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こういう風に昔の写真を見て改めて思うのは、父にはめぎの知らないたくさんの他の思い出があるということ。当たり前のことなのだが、親子って、絆が深くて下手すると世界で一番理解しあっているように錯覚しがち。でも実は、めぎは父を「父」としてしか知らないし、父もめぎを「娘」としてしか知らない。もちろんそれでかなりの部分を知っているし、性格など変わらないところも多々あるし、どういう人でどういう風に考えてどう行動するかかなり推測もできるわけだが、でも、お互いに全く知らない面も実はあるのだということを、もっと慎み深く認知するべきだだわね。他人と同様、親でも子でも、一人の人間として全く別の人格で、ほんのちょっとしか知らない人なのだ。でも、その「ほんのちょっと」が濃くて、中身いっぱいぎゅうぎゅうなのよね。
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