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セダンまたはスダンという街 [2021年秋 ドイツ南西部とフランス北東部]

月曜日と金曜日に撮った写真はまだまだいっぱいあるのだが、こうしているといつまで経っても去年の秋旅の話を終えられないので、今日から再び2021年秋のフランス北東部の旅のお話を。3泊4日の旅の3日目、最後に一泊する街にやってきたところから。(月曜日と金曜日のお話と旅行記を交互にアップしようかな。)

ランスに泊まろうか、その近くのシャンパーニュに泊まろうか、その近くのエトージュという以前泊まったシャトーに行こうか、ずい分いろいろ考えたが、今回はランスから北上してベルギーとの国境の町セダンに泊まることにした。Sedanと書き、セダンともスダンとも読めるようだ。まずは高台に車をとめて街を見下ろしてみた。
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小さくて…
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かなり古そうで趣のある街ね。
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今いるところは、SedanのRés Ardenne Fougèresという通りのところにある駐車場。場所はこちら。ここから真下(真南)を見ている感じ。



サッカー場が見えた。CSスダン・アルデンヌというチームがここにあるようだ。今は3部か4部辺りにいるようだが、結構立派なスタジアムを持ってるのね。調べてみたら、2万3千人収容できるようだ。かつては1部リーグで活躍していたようだが、なんでも経営破綻して2部に落ち、4部以下のアマチュアリーグに落ちたりもしたが、今は3部(プロリーグ)にいるようだ。
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下を見ると壊れた建物も見えた。
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ちょっと荒んだ雰囲気にも見えるのはどんよりとした天気の所為もあるような気がするが、ここが常にドイツとフランスの戦場となっていたという事実がめぎたちの気分を支配していたからかもしれない。アルザス・ロレーヌ地方を旅するというのは、常に戦争の跡を見るということでもある。ドイツが勝った場合もあるし、その反対もあり、あの日本で有名な「最後の授業」という短編ではドイツが悪者に書かれているが、実際はこの地域のもともとの言語はドイツ語の方言のアルザス語で、あの小説のフランス語教師は、この地がフランス領になったのにいつまでたっても人々がフランス語を話せないから学校でフランス語を教えていた先生であり、ドイツがここを取り戻したためそのフランス語教師はいらなくなった、という歴史を知れば、話は全く異なって見える(その話についてはこちらをどうぞ)。今でもこの地域の人は、かなりの確率でドイツ語ができる。もちろん今は、最後の授業の当時とは違って、フランス語もできるけど。
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そういう歴史を乗り越えて、今はEUがあり、ドイツとフランスは手を携えている。ドイツでは第1外国語として小学校3年生から英語を勉強するが、第2外国語は7年生(日本の中1)からのフランス語(またはラテン語)だ。イタリア語やスペイン語がその後中3になってから第3外国語で学ぶのとは、フランス語は一線を画している。それだけフランスはドイツにとって重要な国なのだ。中学生のうちに半年間ぐらいフランスに交換留学する例も数多い。うちのドイツ人のフランス語も、中学時代から始め、大人になってからもずっと機会あるごとに習い続けた言葉のようだが、子どもの頃によく夏休みを過ごしたトスカーナで現地の子どもたちと遊んでいるうちに覚えたというイタリア語より、ずっとうまい。

前回旅をしたときには、この地方のヴェルダンという独仏激戦地を見学した。今回は、歴史に刻まれているもう一つの場所のこの街に泊まってみようと思ってやってきた。まずは、あそこに見えている教会に行ってみよう。
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